2016年12月 9日 (金)

バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来-揺れ動く日本人の死生観第2回

YouTube「びきまえ」まだ続いています。
402回「家族葬がはらんでいるもの 」あいかわらず滑舌悪いです。
 

揺れ動く日本人の死生観

変わる葬送

 
本稿のもとになっているのは2010(平成22)年に神社神道の『月刊若木』に寄稿したものであるため、神道者を意識している。

3回に分けて掲載する。

第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの

第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来

第3回 日本人の死生観と神葬祭

※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。

今回は第2回。
 

バブル崩壊以後の個人化

 

墓の変化が起こったのは平成の時代になった時期から。
「家(イエ)」を失い核家族となり、墓の承継の困難さが課題となったことによる。
イエは幻想であったとしても永続性を観念したものであり、墓や仏壇はその象徴としてあった(この観念の普及も実は昭和初期以降のもの)。
だが戦後民法に位置づけられた家族とは一代を本質としたものであった。
娘だけの世帯、子のない世帯、単身者、離婚の増加。
永続を前提とした家の枠外の人が増加した。
これに対し家墓システムは無力であった。

 

永代供養墓の先駆けの一つが京都の「女の碑」である。

戦時中に結婚適齢期を迎え、適齢の男性の多くを戦争で失い単身を余儀なくされた女性たちが、自分たちの墓を求めたものであった。

都市化、核家族墓ブームが招いたのは地方の放置された歯抜けの墓地であり、大都市周辺の墓地造成による自然破壊。

それへの反省と反発が散骨(自然葬)や樹木葬等の自然共生型の葬法を生み出し、人気を呼ぶところとなった。

 

葬式が自宅葬中心から自宅外へと出て行ったのは、自宅での死が少なくなり、病院等の施設に移った結果が招いたものである。

また地域共同体と個の違和感が招いたとも言える。

斎場(葬儀会館)葬は、自宅葬では地域の人が無遠慮に台所にも侵入し、自分も遺族であるのに、弔いに専念できず働くことから逃れられない遺族の女性たちが望んだ結果であった。

今や大きな式場を中心としたものではなく、自宅替わりの小ぢんまりとした、式場より遺族控室が充実した斎場(葬儀会館)が求められている。

 

バブル崩壊から3~4年後、不況が生活に及んできたと感じられるとともに、葬式では大きな祭壇が評価を失い、それまでの社会儀礼色が強かったことに反発するように反社会儀礼とも言うべき近親者中心の小型葬が急増した。宮型霊柩車も急速に人気をなくした。

 

永六輔の『大往生』(岩波新書)が200万部を突破する大ベストセラーとなり「死が茶の間でも話題にされるようになった」と言われたのが1994(平成6)年のこと。葬式をしない火葬だけの「直葬」は、かつては経済的事情や特殊事情から余儀なく選択されたもの。

だが死のタブーが崩れ、葬式が近所の視野から隠れ、一般の人も選択するようになった。

 

「葬式をしない」ことだけが批判されるべきことではなく、この背後には家族の解体、企業共同体の崩壊による絆から逸れる者が増えた社会的現実を見なければならないだろう。

 

そもそも共通した死生観を戦後日本人はもっていなかったのではないか。

 

数字的に挙げるならば、平均会葬者数は2005(平成17)年の公正取引委員会調査ではバブル期の半減以下の132名になり、2011(平成23)年の経産省調査では114人となった。

但し全葬儀の67%が100人未満の葬儀であった。
1991(平成3)年には平均会葬者数が280名であったから、これに比すと半分以下の59%減となっている。

 

NHKの「無縁社会」(2010年)の調べでは、誰かも特定できない行旅死亡人が全国で年1千人、縁者はいるが引き取ることを拒否された死亡人が年3万1千人。

推定ではあるが引き取り手はいても死体処理的に火葬だけをされた死亡人は年10万人はいるだろう。

この数はますます増えている。
年間死亡者数の1割は弔う親族がいない、と思われる。

※「2015(平成27)年人口動態統計(確定数)の概況」(2016年12月5日公表)では出生1,005、677人、死亡1,290,444人…なので約12~13万人程度となると思われる。

 

 

超高齢社会の到来
 

 日本の高齢化の進捗は著しい。

 

「高齢化率」とは全人口に対する65歳以上人口の占める割合をいい、国連では高齢化率7%~14%を高齢化社会」とよび、高齢化率14%~21%を「高齢社会」と呼び、高齢化率21%以上を「超高齢社会」とよんでいる。

 

日本は1950(昭和25)年には高齢化率は5%未満であったが、1970(昭和45)年に7%を超えて「高齢化社会」に入り、1994(平成6)年には14%を超えて「高齢社会」となり、2011(平成23)年には23.3%で世界一の「超高齢社会」となっている。)

2013(平成25)年には4人に1人が高齢者に、2035(平成47)年には3人に1人が高齢者になると推定されている。

 

死亡者の年齢もかつては80歳を超えて亡くなった場合には、「天寿をまっとうした」などといわれた。
80歳以上で亡くなる人は昭和初期にはわずか3~5%程度であった。2010(平成22)年の人口動態調査では、全死亡者の55.5%が80歳以上で亡くなった人の率である。※2015年現在では6割を超えた。
今では90歳を超えても「天寿」とは言われなくなった。
増加した認知症や身体不随の高齢者を支えきれない家族が増え、社会も支えきれずにいる。
「大往生」とは大違いである。
 
昔であれば自宅で看取り、口から本人が自力では食せないことで自然に死期にあることを共有したが、病院では点滴による過剰な栄養補給がなされ人工的な延命さえ行われている。
根本的に「自然死」が問われる時代にきている。
 
人の死でこれほど宗教が無力だった時代はないだろう。
自然に抱かれて往還する霊魂観をもつのでもなく、かの世である浄土や成仏を確かにイメージできるわけでもない。
映画「おくりびと」ブームが意味したのは、身近な人の死が本来もつ人間的な意味、感情を手探りする想いがあることだろう。
宗教がその想いに寄り添えるか、それは簡単なことではないだろう。
 
 

 

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2016年12月 7日 (水)

葬送は戦後二度目の転換期-揺れ動く日本人の死生観 第1回

私の書くものを知っている方にとっては「また同じことを書いている」と思われるだろう。

同じ人間が書くものだから基本的ラインは同じであることは了解いただきたい。
 但し、書くものによって少しずつ例証などが変わっている。その点に注目して読んでいただけると幸いである。

本稿のもとになっているのは2010(平成22)年に神社神道の『月刊若木』に寄稿したものであるため、神道者を意識している。

3回に分けて掲載する。

第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの

第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来

第3回 日本人の死生観と神葬祭

※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。

 

 

揺れ動く日本人の死生観 変わる葬送 第1回

①葬送は戦後二度目の転換期

 

日本の葬儀は太平洋戦争後に二度の大きな変化を経験している。
今、ちょうどその2回目の変化の途中にある。

最初は昭和30年代以降の高度経済成長期であり、第二は平成3年のバブル景気崩壊に始まる。
言うならば
日本経済の大転換期に葬送も合わせて大きな変化をしてきた
と言えよう。

 

高度経済成長期には祭壇の大型化に象徴される葬儀の社会儀礼偏重の肥大化、大都市周辺での核家族用の事業型墓地の開発が進んだ。


バブル崩壊に伴い、「家族葬」に象徴される葬式の小型化、個人化、自宅葬中心から斎場(葬儀会館)葬へと変化した。

墓では跡継ぎを必要としない永代供養墓(合葬墓、合葬式墓地)、散骨(自然葬)、樹木葬と多様化が一挙に進んだ

 

②高度経済成長が招いたもの

 

戦争および戦争直後に、国民のほとんどが近親者の死を体験しながら、満足な弔いができなかったという大きな悔いを残していた
経済的に復興した後、その悔しさを取り返すように、人並みの葬送を求めるあまりに、肥大化、奢侈化を招いた

という不幸が高度経済成長期にはあるように思う。

しかしこの時期、急激な都市化が進み、戦争直後は郡部人口が8割、都市部人口が2割であった日本の人口構成が逆転し、都市部人口が多くなり、今日の地方の疲弊、過疎化を生む源となった。
日本は経済成長と引き換えに地域共同体の繋がり、血縁を中心とした「家」の紐帯を失う方向へ舵を切ったのである。


「葬儀・告別式」は、戦前の大都市部では既に出現しているが、全国に普及したのはこの時期である。
各地に残っていた死者を親族、地域の人が葬列を組んで送る野辺送りが姿を消して告別式に代わり、葬列の代わりに宮型霊柩車が走り、告別式の装飾壇として大きな祭壇が葬儀場に置かれた。

葬式を出す家の前に家紋が入った提灯、墓石に家紋が彫られるのは、華族や士族でもないかぎり一般の庶民が使うようになったのは昭和30年代以降のことである

 

葬式の会葬者の増加は、大型祭壇とともに弔いの立派さと錯覚された。

その結果、バブル期の最後には、故人を知る会葬者はわずか3割であり、生前の故人を知らない会葬者が7割を占めるという奇異な現象を招いた。

つまり悲しみを共有しない人が大多数で、悲しみを抱えた遺族が、自身の弔いを横に置いて、第三者の会葬者に失礼がないように気苦労するという、葬式本来の意味から外れた方向に向かったのである。

 

仏教の戒名(法名)、院号問題が起こるのもこの時期である。

戦後の農地解放により大土地所有者であった仏教寺院が、戦後の占領軍による財源を失い、やはり大土地所有者であった檀家総代等の有力支援者が経済的に没落して、困窮の底にあった。
高度経済成長を迎え、その仏教寺院が、経済の民主化に基づく庶民の院号要求という前に金銭の取引による院号売買という禁じ手に手を出したことによる

庶民は大きな祭壇だけではなく、死後名の立派さも求めたのである

 

確かにこの時代、日本は経済的に大成功した。

GNP世界第2位の経済大国となり、戦前からの課題であった庶民の経済的困窮を乗り越えたかに見えた。

医療も発達し、乳幼児の死亡率も大幅に減少し、長寿化を達成した。

しかし、失ったものも少なくない。

 

失ったものは自然と人間の調和であり、人間の暮らしを通した絆、連帯であり、死を見ないようにしたいのちの生に偏した考え方が主流となったことである。(続)

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2016年12月 6日 (火)

書評再録『夫の死に救われる妻たち』

ジェニファー・エリクソン、クリス・マゴニーグル(木村博江=訳)

夫の死に救われる妻たち(飛鳥新社)

フロイトが「喪とメランコリー」を著したのは1917年。
だが、死についての、しかも死別の悲嘆(グリーフ)についての研究(サナトロジー)、が本格化したのは朝鮮戦争後、日本では
85年前後からであった。

しかし、遺された家族が喪に服すことが当然とされたのは古代にまでさかのぼる。
特に夫と死別した妻が「未亡人」と言われ、悲しみ、慎まねばならないとされたのは古くから世界的に共通した慣習・規制であった。


米国では死別体験者の自助(分かち合い)の会が活発である。
当事者にしかわからない死別の悲嘆(グリーフ)を、死別者という共通の土俵にある者が、率直にその悲しみを述べ、聴きあう場がグリーフワーク(喪の仕事、悲しむ作業)に有効だといわれている。

しかし、同じ死別者でも、病気による死、突然の事故や災害での死、子どもの死、自死による死では異なる。
最近では死別の種類によりグループを分ける傾向にある。悲嘆比べが行われ、会に出席することで、より傷つく事例もあるからだ。

ジェニファーは初婚相手と死別し、自助会に参加し、悲嘆心理カウンセラーとして参加していたクリスと出遭う。二人の出会いのきっかけだ。

ジェニファーは夫婦生活が破綻し、離婚を弁護士に相談すると告げた翌日に、夫を交通事故でなくし、悲嘆ではなく「心からの解放感を感じた」とカミングアウトした。

死を悲嘆と見るのが当然視されるのに、死を悼まない例外的存在であったのはクリスも同様だった。死別で解放感、幸福感等を感じた人は後ろめたい感情に責められる。

死別が悲嘆をもたらすのは、生前の死者とのそれぞれの関係による。
感情は関係いかんにより変わる多様で個別、固有のもの、という当然のことがタブー視されている。死の認識も個別である。

「人間らしさ」とは、その固有の自然な感情を自然だと認めること、というのが二人の主張。
40の実例が死と喪の多様性、固有性を雄弁に語る。

(2010年10月共同通信より配信)

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