2016年1月 4日 (月)

アマゾンのお坊さん便

全日本仏教会は2015年12月24日(イブ!)理事長談話を発表した。

去る12月8日、「Amazon」は僧侶手配サービスを販売開始しました。これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというものです。

背景には、「読経してもらいたいが、お寺との付き合いがない」「お布施をいくら包めばいいのか不安」といった社会からの声があるといいます。

これには、販売当初より大きな反響とともに賛否の声が寄せられており、定額で分かり易いという声がある一方、仏教界からは宗教をビジネス化しているという批判が起こっています。

私ども公益財団法人 全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。

申し上げるまでもなく、お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。

今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、およそ諸外国の宗教事情をみても、このようなことを許している国はありません。そういう意味で、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。しっかりと対応していきたいと考えます。

今回のことを通して、私ども伝統仏教界は、お寺は相談しにくいという声を真摯に受けとめ、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団・寺院運営に反映していかなければならないことを付言しておきたいと思います。

2015(平成27)年12月24日
公益財団法人 全日本仏教会
       理事長  齋 藤 明 聖

  苦悩に満ちた談話である。
このところネット企業は「お布施」とはあまり言わなくなった。
もっと割り切って「僧侶手配」と言うことが多い。
宗教者を紹介・斡旋手配をしてそのサービス対価として料金をいただくということだ。
ある意味、ビジネスであることを明確にした。

「お布施」と言えば宗教行為である。しかし、彼らは「宗教行為」などという認識はそもそもない。
一般的な葬儀は仏式で行われる。その葬儀を請けるにあたって、「僧侶の読経」も「祭壇提供」と同じ「葬儀手配」の要素に過ぎない。
元々彼らは葬祭サービスも自ら提供するのではなく、葬祭業者に手配している。
「葬祭業」ではなく「葬祭手配業」なのだ。
一般消費者が「葬儀に含まれる」ものとして「僧侶による読経」がある以上、それを避けては不十分なサービスの提供になってしまうので取り扱うのだ。
それだけのことだから宗教に介入している意識は皆無なのだ。

手配される僧侶にしても「生活手段」として仕事を受けているのだ。いわばアルバイト感覚なのだ。もっと深入りして「請負」として受けている人もいる。
そこには宗教はないのだ。

しかし、話は単純ではない。

ネット企業から仕事を受けている僧侶の中に少なからずの過疎寺院の僧侶が含まれているからだ。

過疎寺院の僧侶は過疎寺院から受ける給与だけでは食べていけない。
過疎寺院でなくとも、「兼業」している僧侶は多い。
兼業には学校教師、地方公務員、JA…この3つが3大兼業先。
しかし、少子化で教師が、大型合併で地方公務員もJAも就職が困難になっている。今、兼業先として互助会、葬儀社が増えてきている。僧侶としてではなく、葬儀社の従業員になる。
その兼業先に「派遣僧侶」が加わったにすぎない。これであれば自分の得意分野なのですぐ仕事ができるから、「いい仕事」なのだ。

住職している寺院では檀信徒も少なく、高齢化が進み、その生活を知っているだけにもっとお布施を、寄進をとは言いにくい。都会の恵まれた寺院とは違うのだ。
都会の寺院であれば納骨堂を作って寺院収入を増やすことは可能かもしれないが、地方寺院の多くはそれができない。魅力をつくる方策も資金もない。
そこで彼らは都会に出稼ぎに行く。
地元の寺院で葬儀や法事があれば帰って勤めるが、それは多くないし、今後ますます減ることが予測される。檀信徒にあまり負担をかけず、家族を養うには自分で生活費を稼ぎ、かつ寺の維持もしなければならない。
その新しい働き口が「派遣僧侶」である。

最近多数派となった結婚式のキリスト教式では、一部が自分の属する教会の牧師や神父に家族が直接依頼するが、日本のキリスト教信者は1%足らず、ほとんどは式場に任せる。
ほとんどが教団から資格を得ていない偽牧師、中には引退教師のアルバイトもある。一部が牧師派遣プロダクションに所属する牧師や神父。
1回の挙式で式場またはプロダクションからは1万5千円から3万円支払われるのが通例。依頼した家族はほとんどがいくら支払ったかもわからない。
結婚式ではすでに宗教者は結婚式産業に組み込まれている。

僧侶派遣業は宗教を食い物にしている点で私にとっては否定すべき存在だ。
しかし、派遣僧侶が悪いとは必ずしも言えない。
派遣プロダクション側は僧侶と遺族との接触を嫌う。あくまで葬儀という式典の一要素としか考えないからだ。
派遣僧侶でも上質な人は、葬儀前に遺族の話を聴き、寄り添って葬儀をし、家族が少なく不安にしている火葬場まで付き添っている。
身分は「派遣」でも僧侶として葬儀をする以上はきちんとやるのがプライドであるし責務と考えている人が数は少数ながら、いることはいる。

都会の寺院の僧侶で、檀信徒の葬儀でさえ、死者も家族の気持ちに応えるわけではなし、式典をするだけで帰ってしまうのがいる。高額な金額を家族の生活を知らないものだから、平気で要求する僧侶もいる。
平気でお布施の額が30万円であると「安い」と宣う僧侶がいる。
景気が悪いと法事も減少し、葬儀のお布施に過度に依存すると、1回の葬儀のお布施は多いほどいい。「寺の維持」にお金が必要だ、とする僧侶は少なくない。

多数の檀信徒を抱えれば、資金のない家はそれなりに低くても、資金力のある檀信徒がそれなりに寄進することで寺の経済は回る。しかし、今は資金力のある檀信徒が相応に負担することが少なくなってきている。
「皆が30万円ならうちも30万円に」と言う人が少なくなってきている。そこで一律50万円、院号は100万円などと談合し、檀家総代や葬儀社を通じて言わせるところが出てくる。
「儲けるためではなく寺の維持に必要」というのが理屈だ。
しかし低所得者にとってはこの金額は尋常なものではない。「払えない。だったら安いところに頼むしかない」となる。ここで低所得層の檀信徒は「寺に拒まれた」という意識をもち、恨みさえ抱く。

そもそも「布施」と言うならば、そこに信仰、せめて信頼がなければならない。そういうものが介在しないのであるならば、「料金」でしかない。
プロの僧侶だから「布施」になるわけではない。

寺の経営する墓地、といっても2種類ある。
・寺院境内墓地・・・寺にとっては宗教施設で、檀信徒に使用が許されているものだ。都内で大寺院が「入檀料」を条件に「販売」しているが、これは実態として「民営墓地」になる。ステータス料だけ高くなる。

・民営墓地…これが許されるのは公益法人。宗教法人も含まれる。地方寺院の名で企業が都内に納骨堂をつくったが、「宗教・宗旨不問」を言った。檀信徒意外に使用を許可するのでなければ寺院が経営するものでも「民営墓地」である。民営墓地が事業目的であれば課税対象になっても当たり前だ。寺が造れば課税を免れるものではない。実際には課税対象になって当然の民営墓地がゴロゴロある。

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「自然葬」はどこへ?

新年早々驚いたことは「葬送の自由をすすめる会」の会長を島田裕巳さんが辞めたことを知ったことだ。
機関紙『再生』100号が送られてきて知った。
島田さんのブログでは11月20日に辞めた事実のみあっさり書かれていた。

11月20日の総会前に事実上決まっていたのだろうか、総会ではあっさりと辞め、反対派が圧倒的に多数を占めたようだ。



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2015年12月 2日 (水)

戦争体験の一つの局面

水木しげるさんが亡くなった。
公式サイトに書かれた水木さんのプロフィールは
1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。
太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。
復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など。
とある。
1922年とは大正11年生まれ。93歳。1945年の敗戦を23歳で迎えたのだから、戦闘の最前線に生きた世代である。

この世代はそのほとんどが第一線に赴いた。
戦闘の第一線は若者である。戦争末期には40代の老兵も徴兵されたが、第一線を担ったのは20代の兵士であり、歴戦の30代であった。

「ラバウル」ば「パブア・ニューギニア領ニューブリテン島の都市の名前であるが、ドイツ統治の後豪州が統治していたが、1942(昭和17)年に日本軍が占領、この方面の一大拠点となった場所である。
21歳で召集された水木さんは陸軍のラバウル方面隊に所属、爆撃で左腕を失っている。
戦争体験も作品にしているが、水木さんの現地の人たちへの対応は,軍人としてより生活者としてのものであったようだ。多くの若い兵士たちが戦争に殉じたのと比べると特異なものであったと言ってよいだろう。

水木さんを追悼する番組の中で、コメントした人が、若い兵士たちにとっては戦争は「災害」のようなものだった、と言っているのを聞いて、思わず「?}と思った。

兵士たちが戦争を起こしたのではない。若い頑健な体力をもつがゆえに第一線に送られ、戦争を強いられた。
戦争初期には勝利の高揚もあったろうが、その多くは敗退戦であった。
当然第一線にいた若い兵士たちの犠牲が多かった。
「出征」という自由意思の形を取っていたが、それはほとんど自由意思によるものではなく、強制によってであり、どこに赴くか、どう行動するか、ほとんど選択の余地がないものであった。

軍隊生活はそうした強制もあり、人間の素がもろに出た、「非人間的」「暴力性」も人間ならではの地を露呈するものであった。
兵士たちは周囲の人間にそして自分に「人間」というものの裸の姿を見ざるを得なかった。また、軍隊生活は生活である側面もあたりまえにもっていた。
番組でも語られていたが、元兵士たちは「運」と言う。
自分の隣りの人間が死に、自分が生き残る、そこには何の理由もない。
生と死を隔てるのが「運」という極めて根拠のないもであることを身をもって知った。

その元兵士たちのほとんどはあまり兵士時代の己の体験を語らず、死んでいった。

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