2018年5月26日 (土)

報告 太田宏人さんの葬儀のこと

201852425日、15日早朝に48歳の若さで亡くなった太田宏人さんの葬儀が行われた。

太田さんは、雑誌『SOGI』を休刊に至るまでの後期、12年間にわたり共に支えてくれた。
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東京都大田区の臨海斎場(最寄り駅モノレール流通センター)で、2418時から通夜、2510時半から葬儀が行われた。
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会葬者で目立ったのは彼の属する曹洞宗のみならず各宗派の若い僧侶たち。

彼が東日本大震災の後、長期に係わり、死後遺骨の一部を散骨してほしいと熱望した宮城県女川の若い僧侶も駆けつけた。

全国から駆けつけた僧侶、神職の多くは24日または25日日帰りで馳せ参じた。

葬儀の裏方は海洋葬や終活カウンセラー等の活動を支える人たちが中心になってくれた。

 

201410月号に太田さんは築地のがんセンターで亡くなったお母さんの死について書いている。
http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html

その中で印象深いのは、次の文章である。

 

よく、死生学や終末関係の記事などに「死を想え(メメント・モリ)」だとか、「死を学習しよう」などと書かれています。私も「メメント・モリ」が、生を際立たせるためには必要不可欠なことと思います。しかし、現実の人の死に様から離れたところで語られる「死」は観念に過ぎません。記号にさえ思えます。
実際の「死」は衝撃をともないます。
衝撃をともなうリアルな「死」は本人だけではなく、家族や縁ある人々も程度の差こそあれ、ともに体験するものです。

 

私は彼の書いたことを全面的に首肯する。

 

彼は同じ文中に書いている。

 

亡くなられた方々や遺族たちの人生の物語が欠落していては、それは「死の表層」でしかない。

 

太田さんの葬儀会場(1Fに式場、2Fにメモリアルコーナー)は、彼と彼の家族、彼の仲間の「物語」が満ちたものであった。

太田さんの若い日々
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僧侶・太田さん
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ご家族
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メモリアルコーナーでとりわけ目を引いたのは、お二人の娘さんが亡くなった彼に寄せた恋文であった。

 

出棺に際して、夫人とお二人の娘さんがそれぞれ自らの言葉で、詰まり詰まり挨拶されたが、それぞれが彼に「愛しています」と強く言い切っていた。

 

弔辞は最初に師僧である寺江規克師(曹洞宗蔵守院住職)。

彼との出会いは、ペルーの日系人のための寺、曹洞宗慈恩寺で放置された寺、墓地、位牌について曹洞宗宗務院に訴えがあり1999年に宗務院にいた寺江師が現地視察に赴いたこと。
寺江師が現地で1994年からペルーに行き、日系ペルー人向け『ペルー新報』日本語版編集長をしていた彼に出会う。
太田宏人さんは放置された位牌すべてを書き写し、今では知られなくなった人たちの物語を復刻する。

太田さんの情熱に煽られるように寺江師は日系ペルー人の鎮魂の作業を共にした。

寺江師の寺は青梅線の羽村駅が最寄りだろうか?
寺江師に随って修行し、20124月に彼は出家、得度をするのだが、弟子である彼の送り迎えを師である寺江師が行ったという。
「普通は逆だが、私は喜んで弟子の送り迎えをした」
と寺江師は述懐しておられた。
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2番目に弔辞を寄せたのは、太田さんと国学院大学神道学科の同級生、神社系の一般財団法人日本興隆財団事務局長の佐久間宏和さん。

大学卒業後、1994年に太田さんは忽然と姿を消した(ペルーに行った)という。
「太田!」と呼びかけた佐久間さんは、学生時代のヤンチャな太田さんとの日々、2000年に帰国後、佐久間さんの季刊誌『皇室』に書き、東日本大震災で被災した神社の仮宮を設ける活動、被災地レポートを彼に頼んだことを愛情深く語った。

太田さんは熊本地震でも神職たちと被災地で協働した。

太田さんは曹洞宗の僧侶であるが、他の仏教宗派、神道の神職、キリスト教の牧師とも広く、また生死の現場で協働した、宗教の枠を超えた宗教者であった。

 

3番目は、「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」発起人、宗教者災害支援連絡会世話人、大阪大学教授の稲葉圭信さん。
東日本大震災、熊本地震に際し稲葉さんは被災地に行き、被災地で活動をする宗教者と深く連携した。
そこに太田さんがいた。

稲葉さんのブログ「避難所でトイレの仏様に出会った!」

http://altruism.blog56.fc2.com/blog-entry-331.html

は、太田さんの被災地支援活動の「現場」を活写している。
稲葉さんが3回目の熊本入りのおり、避難所で太田さんに出会った。

 

その避難所には、仮設トイレを掃除する人たちがいる。被災者が自主的に、トイレットペーパーを取り換えたり、掃除をしている。そこに単独で参加し、掃除の合間に被災者の声に耳を傾ける僧侶のO氏。
彼は、仮設トイレをすべて手作業で拭き掃除をした。他のボランティアがしない便器内も手作業で拭く。
(略)
O氏は、午前、午後と毎日、仮設トイレの掃除を続けた。避難所の仮設トイレが汚いと、トイレの利用回数を減らそうとする人もいる。そのために、水分摂取量を控え、体調を崩す。仮設トイレがきれいであれば、利用する人の心と体の負担が軽減される。

消毒液のにおい、便器からの飛沫も服につく。O氏の黒いシャツは、汗で白い粉が吹いていた。手は、トイレ掃除をおわって、消毒液のニオイが。その彼と握手をした。

表に出ないボランティア。地味な活動かもしれない。しかし、避難所の仮設トイレを利用している避難者は気がついていたであろう。
そう、O氏の顔は輝いていた。私は避難所で確かに「トイレの仏様」に出会ったのだ。

 

この「O氏」こそ、太田宏人さんであった。

 

4番目が私であったが、私の次に弔辞を述べたのが、ペルー食品、ブラジル食品、その他在留外国人向けサービスを展開するキョウダイジャパンの木本結一郎さん。
日系ペルー人が日本に来て頼るのがキョウダイジャパンのサービスだ。
太田さんの夫人太田プリシラさんは日系ペルー人、ペルーで太田さんと出会い、結婚して2000年に来日。
太田夫妻を支えたのが木本さん夫妻。
まさに同志であった。

 

太田さんは日本に帰国後もペルーにいる日系ペルー人のために、また日本に来たペルー系日本人のために半端じゃないエネルギーを割いた。

 

私は太田さんと2004年から2016年まで一緒に仕事をして、日系ペルー人のこと、被災地での活動のことを彼から聞き、また、彼はそのことを雑誌に書いた。
だが、この日弔辞を述べた、彼との協働者たちと会ったのは初めて。
また、大阪・應典院の秋田光彦師、溝口さん、大竹さん、八木さん等の古くからの知り合いにも会ったが、話は聞いていたが初めてお会いする人が多かった。

 

葬儀の前に祭壇の中段に置かれた太田さんと面会した。
ふくよかで逞しかった彼は痩せていた。
しかし、その顔は清々としていた。

 

24日、25日と続いた葬儀、私はすっかり疲れた。
考えてみれば彼は私の息子たちと同年輩。
「生き切った」とはいえ、思いを残しての死だったろう。
暗澹とし、重い錘を心だけではなく、身体の底に抱え、ヒーヒーと呻いている自分がいた。

 

以下は、私が25日に読ませていただいた弔辞である。

 

弔辞

碑文谷 創

 12年間雑誌『SOGI』の外部スタッフとして取材、編集に参画してくれた太田宏人さんに対して、共に雑誌制作を行った者たちを代表し、ここに厚い感謝の意を表します。

 

 太田さんに出会ったのは、2003年(平成15年)の秋であったと思います。仏教タイムズ編集長の工藤さんから紹介されてのものでした。南米ペルーで日系人向けの『ペルー新報』日本語版編集長をされていましたので、日系ペルー人の葬儀事情について雑誌に計3回にわたって書いていただきました。

それを契機に2004年の夏から雑誌の取材、編集企画に、休刊に至るまで12年間の長きにわたり参画いただきました。

 太田さんが自ら書いているように、大学の演劇部活時代から、気のおけない親友と「殴り合う喧嘩」をするほど「熱い」人でした。私と出会った後もそうでした。強い信念と熱情をぶつけてきて、よく衝突したものです。

 しかし、熱くぶつかる、というのはまさに太田さんの個性で、それが彼の人に対する最大の敬意の表現でした。

 

 太田さんは終始人の生き死に、そのリアルな現場にこだわり続けた人でした。

 太田さんにとって「ライター」であることは、リアルな「現場」に行って、「現場」の声にひたすら耳を傾け、「現場」の声を発信することでした。「ライター」は誇りある仕事で、彼はその発信に責任を取るべく「署名記事であること」にこだわり抜きました。太田さんはよく「ライターの太田です」と言っていましたが、そこには強い自尊、プライド、使命感があったように思います。

 

 太田さんは2012年出家し、僧侶兼ライターとなりました。以降、私には立ち位置が変化したように思います。稼業としてはライターなのですが、彼が自己紹介で「ライター、僧侶」とは書かず、その後は「僧侶」が先で、「僧侶、ライター」と書くようになりました。僧侶としての自らの活動、問題意識を自らライターとして記録し、発信するようになりました。

 

 東日本大震災の被災地ボランティア活動に身を投じ、被災地で死者を鎮魂すること、被災者の傍に立つことを通じて自らを「僧侶」と自覚したのではないでしょうか。

 

 太田さんは「僧侶」としても異色でした。寺をもたない僧侶である太田さんは、東日本大震災に続き熊本地震の避難所の現場にもいち早く入り、新潟では終末期医療の現場における宗教者としての臨床ケアに従事しました。また、派遣僧侶として家族と死別し、悲しみ、混乱を抱えた遺族に寄り添い法事を勤め、ペットを亡くし深い喪失にある人の傍らに立ち、海洋散骨の現場で弔い、鎮魂しました。

彼のフェイスブックには、自らが重病で死に臨んでいるのに、医師の反対を無視し、病院を脱出して、一つひとつのリアルな死を弔い供養する法事を大切に勤めた様が書かれています。

 

 日本において400年以上の昔、位階をもたない、まさに半僧半俗の「遁世僧」「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶たちが、大寺院での栄達を望まず、民衆の死の現場に分け入った如く、彼は現代において「聖」であろうとしたのだと思います。

 

 太田宏人さんは、48年というけっして長いとは言えない人生を、疾風の如く生き切りました。

友人である柏木篤志さんが悪性腫瘍のため45歳で死亡された時、太田さんは次のように書きました。

「最期の時まで、柏木篤志は生き抜いた。病魔に身体は蝕まれた。それは事実だ。だが彼の精神は1ミリたりとも敗退しなかった。最後の最後まで、柏木は父親として尊厳ある死を全うした」

まさに太田さんも「尊厳ある死を全う」されました。自身で書かれたように、「その生き様によって、大いなるものを」、ご家族に、そして私どもに遺してくれました。

 

 太田宏人さんが深く愛されたご家族、奥様、お二人のお嬢様、ごきょうだいの皆様に対し、心からなる哀悼の意を表します。また、自分が大切だと信じたものに対し、覚悟をもって挑み続けた太田宏人さんに深い敬意を表し、追悼の言葉とします。

 2018年(平成30年)5月25日

 

 

 

 

 

 

2018年5月20日 (日)

散骨の島 カズラ島

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「散骨の島」として知られるカズラ島について、本日(2018520日)の朝日新聞に作家である重松清さんと訪問した
(視界良考)重松清さんと @自然葬の島

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13502356.html?iref=pc_ss_date

が載っている。

 

カズラ島のことはもっと知られていい。
島根県隠岐の海士町にある無人島カズラ島。
ホームページ
http://www.kazurajima.jp/

 

私はカズラ島については2010年に取材して雑誌『SOGI』に書いている。
当時のものであるが当時の掲載写真とともに再掲しておく。
散骨(自然葬)についての議論も簡単であるが整理している。

 

レポート

現代の霊島 散骨の島

隠岐の無人島カズラ島訪問記

 

■カズラ島

隠岐諸島は、日本海にあり島根半島の北方約50キロにある。

島根県に属している。

昔は隠岐国という自立的な地域であった。

 

隠岐は島前と島後に分かれる。

島前は主に知夫里島知夫村)、中ノ島海士町)、西ノ島西ノ島町)から成り、島後は島後島隠岐の島町)。

小島を入れると180島くらいから成るという。

 

今回の主役は島前にあるカズラ島。

海士町の諏訪湾入り口にある無人島である。

ここ一帯は大山隠岐国立公園の「第一種特別地域」。

将来も無人島であることが約束されている。

内海にあるため海面は穏やか。

 

対岸の慰霊所からカズラ島を望む
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隠岐は遠流の地として有名。

13世紀には後鳥羽上皇が流され、この地で最期を遂げている。

また、隠岐は日本と中国、朝鮮半島の交易の地としても歴史に刻まれる。

 

■散骨(自然葬)を巡る論議

散骨が市民団体葬送の自由をすすめる会の手で「自然葬」と名づけられて相模湾で行われたのが1991年のことである。

その後、散骨(自然葬)は徐々に市民権を獲得し、今では「葬送を目的として相当の節度をもって行われるならば違法ではない」という法解釈が定着している。

 

各種の調査を見ると、「散骨をしたい」とする意見は15%程度であるが、「本人の希望であれば」等の意見を含めると約7割の人が理解を示している。

「理解している」「反対していない」が約7割というのが国民感情を表しており、刑法190条遺骨遺棄罪に該当していないとする数字的根拠である。

 

といっても無原則で認められているのではなく、「相当の節度」が求められている。

 

ここでいう「相当の節度」とは、①遺骨を細かく、原型がわからないまでに粉砕し、②生活用水として住民が使用している河川、養殖場や海水浴場など風評被害が起こる可能性のある土地を避けて行う、ということである。

「散骨が違法ではない」というのは、こうした基本的条件をかなえた場合に限るので、そもそも無条件ではない。

 

だが「相当の節度」を弁えない散骨もあり問題を発生させた。

 

北海道の長沼町では住居に近い公園の木々の根元に原型が残る遺骨を撒き、地域住民の反発を受け散骨禁止条例ができた。

この風評被害を恐れ、秩父市、御殿場市、岩見沢市等のいくつかの市区町村で散骨の禁止、制限の条例化が行われている。

 

長沼町の例で見れば、最初に墓地として申請した業者が、許可を得られなかったので、その地を公園とし、「散骨であれば墓地である必要はない」と勝手に理解し、公園内の木々の根元に遺骨を細かく粉砕することもなく撒いた。

これを「散骨樹木葬」と称した。

これを周囲の住民が発見して騒いだのが条令制定につながった。

 

長沼町のケースであれば、節度を全く弁えずに行った業者の行為が批判されるべきで、つまり散骨の方法が問題とされるべきで、散骨そのものの是非として論じられるべきではなかった。

 

長沼町のケースが教えてくれたのは葬送が住民の素朴な感情と折り合いを丁寧につけることの必要性であった。

だから散骨禁止条例を作り上げた住民が批判されるのではなく、そこまで住民を怒らせた、配慮なく遺骨を放置して「散骨樹木葬」なるものを行った業者が批判されるべきなのだ。

 

■島全体が霊場

隠岐のカズラ島は「日本初の専用散骨所」というネーミング、あるいは「自然散骨所」というネーミングが注目されるのではない。

海士町の住民との息の長い話し合いがあり、隠岐の国立公園という環境を維持しながら、隠岐の人あるいは隠岐出身者の永眠の地を確保しようという合意に向けた努力がなされたということである。

 

カズラ島に接近
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無人島カズラの自然は最大限確保し、むしろその未来を考え、散骨の時だけの上陸、その通路を恒久的なコンクリートではなく、木材によるものとしている。

 

カズラ島の仮設接岸
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島の自然を守るため島への上陸を制限している。

また、追悼はちょうど真向かいの対岸の慰霊所で行う。

 

慰霊所に実際に行ってみて驚くのは、慰霊所からカズラ島が正面にくっきりと姿を現すことである。

地図で見るよりも近いのだ。

誤解を避けずに言うならば、慰霊所から見えるカズラ島全体が「ハカ」に見えるのだ。

散骨は「ハカ」の体内に分け入り、その体内に同化できるように撒き、そして出て、「ハカ」全体を拝む如きなのだ。無人島カズラ全体が自然の造った霊廟の如くあるのだ。

 

島内には地蔵も
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そして隠岐の人が隠岐から出て行った人の遺骨を迎える場所として、跡継ぎがいない人のためにも、また、全国の人も受け入れる場所として設けた霊廟なのだ。

 

島の頂上散骨場所

白く見えるのが先日家族揃って撒いた散骨痕
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カズラの位置は孤島ではない。

隠岐の島々に抱かれているようにしてある。

隠岐をもっと大きな生命体としてとらえるならば、隠岐があらゆる死者を受け入れているが如く感じるのだ。

地元の人々と丁寧に協働して散骨の島カズラは作られて行っている。

 

島から慰霊所を望む
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海士町にある共葬墓地

古い墓石と新しい墓石が混合してある
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問い合わせ先

㈱カズラ

島根県隠岐郡海士町福井847-1

電話085140642

東京支店

東京都板橋区船渡4-16-11

電話0359704149

http://www.kazurajima.jp/sankotsu/index.html

 

 

㈱カズラの当時のスタッフ。取材には設計家の杉山昌司さんも同行したImg_3871_3

2018年5月18日 (金)

訃報 太田宏人さんのこと

2004年から2016年の休刊に至るまで、雑誌『SOGI』の取材、編集に参画いただいた太田宏人さんが515日午前719分に亡くなられた。

太田宏人さん(太田さんのFacebookから)
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15日に太田さんのFacebook
https://www.facebook.com/hirohito.ota.7

にお嬢さんが難病で入院加療中であったが「今朝死亡」と書き込まれていたのを八木芳久さんがシェアされて知った。
その後にご家族が葬儀の日程も書き込まれていたが、今は太田さんご自身が書いた状態のままになっているので、ここで記載しておく。

 

訃報によれば

喪主:太田プリシラ(妻)

通夜:524日(木)午後6時~

葬儀:525日(金)午前10時半~12

式場:臨海斎場 第3・4式場

式場住所:大田区東海1-3-1

式場電話番号:03-5755-2833

供花・問い合わせ連絡先:山田屋葬儀社 

電話03-3761-1493

ファックス03-3761-3950

 

一時、25日の開始時刻が11時となっていたが、山田屋葬儀社さんに問い合わせたところ、「ご家族がゆっくりお別れしたい」との意向で開始を30分繰り上げて長くしたとのこと。

 

昨日は式場にメモリアルコーナーを設け、「太田さんの書いた原稿の雑誌掲載誌を並べたい」という村田ますみさんの希望で、バックナンバーをチェックし、太田さんが書いた記事、編集した記事すべてに付箋をつけ、19時に2箱をヤマト便で送った。

太田さんと知り合ったきっかけは「世界の葬儀式」というコーナーがあり、仏教タイムズの工藤編集長の紹介でペルーの葬送事情について書いてもらったことだ。
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回連続カラーで掲載した。
雑誌掲載が20041月からなので、2003年秋に最初に会ったのだと思う。

ペルーの日系紙『ペルー新報』で長く日本語編集長をして、日本に戻り、フリーランスのライターとして多彩な執筆をしていた

南米の仏教事情ということで工藤さんと知り合い、そこから私たちの雑誌につながった。

 

雑誌の取材・編集に加わってもらったのは2004年の夏以来である。
彼は途中、曹洞宗の僧侶の資格も取得し、Facebookでの自己紹介によるならば「僧侶、ライター」として活動してきた。

僧侶として東日本大震災、熊本地震に際してはすぐ被災地入りして、しかも長期にわたって支援活動を展開した。
また、終末期の臨床ケアを長期にわたって行った。
雑誌『SOGI』に彼はそのことについても率直に書いている。

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197041日生まれというから48歳。

まさに油の乗り切っている歳。

彼の終末期の記録をみると、膠原病その他を抱え、最後は目も不自由となり、病気の行く末に期待できず、死に向き合い、しかし生き続けた壮烈な様がうかがえる。
重病人で外出を厳しく医者に止められても、少しでも動けるなら、最後まで法事に駆けつけた。

仏教、被災者、死者、遺族、患者に向き合い、自らの家族を思い、最後までいささか慌ただしく生き切った。

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「現場」にこだわった人であった。
彼の担当したコーナーには「現場から現場へ」と名付けられた。

熱い情熱と鋭い問題意識で執拗に問い続けた。

 

私もどちらかといえば短気な人間であるので、よく衝突した。

しかし彼の「異質な眼」は確実に雑誌の視点を拡げてくれるものであった。

私たちにとって、彼の書くもの、取り上げるものはとても大切なものであった。

 

こちらが才なく、雑誌休刊ということになったが、それゆえ彼の貢献に充分な報いができなかったが、最後まで雑誌を継続することに付き添ってくれた。
深い感謝を捧げる。

 

彼の死後にFacebookにはたくさんの仲間、ペルーからも多くの追悼の言葉が寄せられた。
その中で熊本地震の避難所にボランティアとして出かけた太田さんが、日に34回黙ってトイレを清掃していた様が目撃した人から報告されていた。
その現場ですべきことをする。
それが太田さんの48年の生涯を貫いた覚悟のようなものではなかったか。

最初に雑誌『SOGI』に寄稿した原稿
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2018年4月30日 (月)

日本の「超高齢社会」の現状を大雑把に説明すると

いろいろなつながりがあるものだ。
雑誌をやめて、毎日新聞の「ひと」に紹介されたのが201611月のことであった。

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2016/11/20161112-2e08.html

これを読んだ学生時代の友人が、自分が発行する新聞に、およそジャンル違いなのだが「原稿を書かないか?」と勧めてくれた。

ありがたく書かせていただいた。

そこからまた原稿依頼があった。

 

【テーマ】 仮題「中高年ノート」~家族、年金、葬儀、墓の現代事情~                                   【字 数】 400字詰め×6.0枚=2,400字

 

幅が広い。
年金生活者であるが「年金」についてはあまり書いたことがないので焦った。

そこで、今「超高齢社会」にある日本の現状を、その概略だけでもデータを用いて描いてみようか、と思った。

それほど多くないスペースなので、あまりに概略的で、いろいろ摘まんできた感じになるのは承知していた。

でも簡単に一望できるとすれば、それはそれで便利かもしれない、と思った。

 

取り上げるテーマが幅広いものだから、扱うデータも多く、それだけ手間がかかる。

幸い時間はある。
事務所にいたときは、スタッフに下読みしてもらい、データをチェックしてもらっていたが、今はその点ひとりで仕上げなくてはならないので、その点がいささか心配だが…

 

締切を2日間延ばしてもらって仕上げた原稿がこれである。
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字数の関係でカットした部分と注釈を補い、以下に示す。

 

「超高齢社会」が変えているもの

碑文谷 創

 

■人生90年時代

日本の高齢化率(65歳以上人口が総人口に占める割合)は、最新の2016(平成28)年では27・3%。

今や世界一の「超高齢社会」であり、22年後の30年には33・2%になると推計されている。

 

日本は戦後高度経済成長の初期である1955(昭和30)年には高齢化率はわずか5・3%と若い社会であったが、大きく変わった。

とはいっても高齢化は先進国に共通する傾向である。

 

「平成28年簡易生命表」によれば、生命表上で出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数である「寿命中位数」は、1955年に男約70年、女約74年であったのが、16年には男約84年、女約90年と著しく伸長した。

 

もちろんすべてが長生きするわけではない。

半分はそれまでに死ぬ。

だが、総じて言うならば「人生90年」時代に突入している。

「平均余命」は、55年には65歳時、男性12年、女14年だったのが、16年には男20年、女24年となった。

 

■高齢者世帯の1世帯あたりの総所得308万円

「平成28年年金制度基礎調査」によれば、65歳以上で公的年金の支払いのない者は14%、受給者でも、平均額こそ151万円であるが、100万円未満が37%もいる。

有業者は6569歳では本人35%、配偶者27%であるが、7074歳となると本人21%、配偶者16%と急低下する。

 

「平成28年国民生活基礎調査」によれば、全世帯の1世帯あたりの総所得平均は546万円であるが、高齢者世帯は308万円と低い。

しかし、1人あたりで計算すると、全世帯平均212万円、高齢者世帯200万円とあまり差がない。

 

また、貯蓄額で見ると、全世帯が平均貯蓄額1033万円、平均借入金額431万円であるのに対し、高齢者世帯は平均貯蓄額1225万円、平均借入金額68万円。

相対的に高齢者世帯が有利になっている。

 

しかし、高齢者世帯でも、貯蓄がない、貯蓄300万円以下を足すと34%になる。

また65歳以上の生活保護受給者は97万人と高齢者の2・86%を占め、全人口に占める生活保護受給者の割合1・67%に比べ多く、格差が大きい。

 

■家族が変容 ひとり暮らしが増える

1986年には、高齢者世帯がわずか6%であったが16年には27%になった。

「平成28年国民生活基礎調査」によれば、平均世帯人員は、60年には4・14人であったが年々縮小。86年には3・22人、95年には2・91人、16年には2・47人となった。

 

世帯構造を65歳以上の者のいる世帯に限定してみると、合計で全世帯の48%の2417万世帯。

その内訳は、単独世帯が27%と全世帯と同程度。

夫婦のみ世帯が最も多く31%。

親と未婚の子のみの世帯が21%、三世代世帯はわずか11%、その他の世帯が10%となっている。

夫婦のみの世帯は将来の単独世帯候補である。

 

誰にも看取られずに死亡する「ひとり死」。

東京都監察医務院の統計等から全国で約3万人と推計される。

 

■要介護者等の7割が80歳以上

介護保険法は97年に制定、2000年から施行された。

老人医療費の増大、介護の長期化、家族が変容し家族介護が困難となり、介護の社会化へ移行。

最新の改正は17年。

 

介護保険法での「要支援」とは、日常生活に支援が必要な状態のこと。

「要介護」とは寝たきり、認知症等で介護が必要な状態のこと。

 

厚労省老健局によれば、要支援または要介護と認定された者の合計は569万人。

うち72万人が6574歳、497万人が75歳以上。

国民生活基礎調査によると、要支援者は30%、要介護者が67%となっている。

 

「要介護者等の年齢階級別構成割合」では4064歳4%、6569歳4%、7074歳8%、757915%、808425%、858924%、90歳以上21%、となっており、明らかに80歳以上から要介護リスクが高まっている。

 

要支援の原因は、関節疾患、高齢による衰弱、骨折・転倒の順。

要介護の原因は、認知症、脳血管疾患(脳卒中)、高齢による衰弱の順。

 

近年は「介護離職」等、介護者の負担が社会問題を生んでいる。

 

介護者が事業者の場合は13%、別居の家族等が12%、同居者が59%と最も多い。

配偶者が25%、子が22%、子の配偶者が10%、父母やその他の親族が2%、不詳等16%。

介護者の高齢化も問題で、60代が33%、70代が25%、80歳以上も12%いる。

 

 

■増える高齢者の刑法犯検挙者割合

「平成28年の犯罪情勢」(警察庁)によると、刑法犯検挙人員は07年が約36万人であったのが年々減少し、16年は約23万人となった。

だが、65歳以上の者の割合は逆に増加。

07年が13%であったのが16年には21%まで増加。

窃盗(万引含む)が最も多く、暴行、傷害、占有離脱物横領、詐欺、強制わいせつ、脅迫、恐喝、強盗、殺人の順。

万引では検挙人員の45%が60歳以上となっている。

 

80歳以上の死者が6割を超す

80歳以上の死亡者が全死亡者の6割を超えた。

昭和初期であれば80歳を超えての死は全死亡者の5%前後に過ぎず、80の声を越すと「天寿をまっとうした」と言われたものだが、

今では95歳を超えてが「天寿」となった。

 

死亡の場所は、51年には病院等での死が12%、自宅死亡が83%と自宅死が普通であった。

だが、77年に病院等死が51%、自宅死49%と逆転。

16年には病院等死が76%、自宅死が13%、となっている。

近年増加しているのが老人施設での死で7%までになった。

今後は在宅看護・介護の増加もあって老人施設死、自宅死を合わせて2530%近くまで増加する見込み。

 

■「墓じまい」は増えているのか?

最近はテレビ話題で人気の「墓じまい」だが、ほんとうに増えているのだろうか。

 

「墓じまい」とは、これまでの家墓を改葬して、遺骨を跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)等に移すことを言う。

改葬数は04年までは年間6万件程度であったのが、15年には9万件に。10年で3万件増加したが、この間死亡者数も100万人から130万人に増加しているし、家族も変容しているので特に多い数字ではない。

 

増加が顕著なのは、遺骨の納骨にあたって従来の家墓形態から3分の1が90年頃より出てきた永代供養墓(合葬墓、合同墓)、樹木葬、散骨(自然葬)といった継承を前提としない葬りに移行していることである。

 

また明確に増加しているのは、地方の墓地で放置される墓。2~3割に迫る勢いだ。

 

超高齢社会は、高齢者の生活、終末期、死、死後の風景を明らかに変えている。

 

 

(注)単独世帯(単身世帯)については一般に「34.5%」と言われる。この数字と違う?という疑問をもたれた方もいよう。
34.5
%とあるのは「2015年国勢調査」の数字で、上に引用したのは「2016年国民生活基礎調査」の数字である。

調査も違えば、前提としているものが違う。

国民生活基礎調査の2015年の「単独世帯」は26.8%である。

2016年国民生活基礎調査」は以下参照。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa16/dl/02.pdf

 

国勢調査では以下のように記されている。

 

平成27年国勢調査による10月1日現在の我が国の世帯数は53448685世帯となった。平成22年と比べると,1498181世帯増加している。 世帯の種類別にみると,一般世帯数は53331797世帯となり,一般世帯人員は1億 24296331人で,一般世帯の1世帯当たり人員は2.33人となっている。また,施設等 の世帯数は11万7千世帯となり,施設等の世帯人員は279万8千人となっている。

 

 一般世帯数の推移を平成7年以降についてみると,一貫して増加している。また, 一般世帯の1世帯当たり人員の推移をみると,一貫して減少しており,平成22年と比べると2.42人から2.33人に減少している。

一般世帯数を世帯人員別にみると,世帯人員が1人の世帯が1841万8千世帯(一般 世帯の34.5%)ともっとも多く,世帯人員が多くなるほど世帯数は少なくなっている。 平成22年と比べると,世帯人員が2人以下の世帯はいずれも増加しているのに対し, 3人以上の世帯はいずれも減少しており,特に6人以上の世帯は10%以上減少している。

 

国勢調査は「一般世帯」の「1人世帯=34.5%」としている。
国勢調査では

世帯の種類 国勢調査では,世帯を「一般世帯」と「施設等の世帯」の2種類に区分している。

「一般世帯」とは,「施設等の世帯」以外の世帯をいう。 

「施設等の世帯」とは,学校の寮・寄宿舎の学生・生徒,病院・療養所などの入院者,社会 施設の入所者,自衛隊の営舎内・艦船内の居住者,矯正施設の入所者などから成る世帯をいう。

と定義している。

あくまで施設等の世帯を除く一般世帯についてのデータである。

 

「平成27年国勢調査 人口等基本集計結果 結果の概要」

http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/kihon1/pdf/gaiyou1.pdf

 

なお将来推計とされるのは国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口・世帯数」で、こちらは国勢調査の概念での「一般世帯」を対象としたものである。

『日本の世帯数の将来推計(全国推計)(2018(平成30)推計)

http://www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/HPRJ2018/t-page.asp

 

データを引用する場合、「単独世帯」「単身世帯」「1人世帯」と言葉の意味は同じであるが、引用によって概念、調査が違っていることに留意する必要がある。

 

放置墓についての一例

http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2015061900001.html

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3562/1.html

2018年4月15日 (日)

遺族のケアで考えるべきこと 「死別」ということ―葬祭サービスとは何か?③

「葬祭サービスとは何か?」の第3回である。
第1回は、「葬祭サービスの歴史的文脈」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-6f10.html
第2回は、「死者・遺体の尊厳を守る」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html

■「遺族ケア」の文脈

日本の葬儀で「遺族のケア」が課題になったのはそんなに古いことではない。
1990年代以降のことである。
特に米国から「グリーフワーク」、「グリーフケア」という言葉が紹介されてからである。

米国では、特に戦後のサナトロジー、デススタディ(死学、A・デーケンが日本に「死生学」と紹介)の研究成果がもたらしたものである。

日本では85年前後より終末期の患者のケアが注目され、WHOが全人的な患者のケアと並べて、「家族のケア」の必要性を提唱したのが1990年。

家族は患者との死別という大きな出来事を体験し、死後は「遺族」となって生きる。
医療は患者の死によって終わるが、「遺族のケア」の必要性は終わるわけではない。

終末期医療で「家族ケア」の必要性は説かれたものの、看護師の看護業務の多忙から充分なされていないのが今も実情である。
しかし、これを気にかけている看護師は少なくない。
死による退院後、これを気にかけ、病院の業務としてではなく看護師個人が休暇をとり葬儀に参列するケースも見られる。
そして各地の死別者(配偶者の死、子の死、自死による家族の死等)の会に関心を寄せ、参加する看護師は少なくない。
彼らがいなければ日本のグリーフケア活動はずっと遅れていたであろう。

■遺族ケアに着目していた人たち

ではその前にこの課題に注目はされていなかったのか、というとそうではない。

葬儀というものは2つの面をもつ。
死者と近親者を中心とした葛藤、交流という「内面的部分」と死者を送る儀礼・行事という「外面的部分」である。

葬祭業従事者の業務は、当初はあくまで「外面的部分」の支援、つまり葬具の提供や祭壇等の設営、葬儀の運営ということにあった。
しかし、遺族と接する現場の担当者レベルでは、一部で(けっして主流ではなかったが)、この「内面的部分がもたらす問題」はいやがおうにも直面せざるを得ないものとしてあった。
遺族のことを親身に考えればそうなる。
「ご遺族は身を挺しても守らなくてはいけない」と自らの仕事を深く自覚していた人を私は幾人も知っている。

葬儀に内面的部分と外面的部分があることはある意味で常識である。
しかし葬祭業者が葬儀を全面請け負うことになり、「葬儀」と言えば外面的部分だけを意味する傾向を強くするようになった。
現在の「直葬」「一日葬」「0葬」「家族葬」…の議論は、葬儀の外面部分の議論になってしまっていて、この議論の発展性のなさは、葬儀をあまりに外面的部分にのみ着目していることからきている。

■習俗としての遺族ケア

習俗ということで言うならば、四十九日が深く定着したのは何も仏教が教えたからだけではない。
死別を受容することがいかにたいへんであるか、ということへの共感が強くあったからだ。

四十九日はインド発祥であるが、49日とは言わず、20日、30日と長さはそれぞれだが、世界各地で死後の一定期間を大事にする慣習は少なくない。

四十九日、百か日、一周忌…という儀礼が重要なのではない。
近親者が死別という事実を受け容れることの困難さをそれぞれが体験しており、それが深い共感に支えられていることが重要なのだ。

もとより死別は固有であるから、人によって喪の期間は異なる。
死後7日間過ぎたから、30日、50日、3カ月、1年、2年過ぎたから「喪は終了」、とは言えない。
子を亡くした親の喪は10年経ってもあけることがないのはよくあることである。

僧侶のなかには「何もグリーフケアなどという横文字を出さなくとも、寺では長年大事にしてきた。四十九日に代表される法事もそう、盆もそう、特に最初の盆である新盆は特に重要視される。春秋の彼岸もそうである」と言う者がいる。

確かにそうだ。
しかし、僧侶がそれらを習慣行事としてではなく、個々の檀信徒に向き合って真剣に営んできたかが問われるだろう。

■「死別」の関係性

死別の悲嘆のことを英語ではグリーフという。

もとより死別の悲嘆だけがグリーフではない。
一般の悲しさよりも心を深く傷め、裂くような悲嘆がグリーフで、死別のみならず失恋、離婚、失業、離別その他大きな心の傷みで体験する。
とりわけ死別が代表的とされているのは誰でもが避け得ない出来事であるからだ。

死別の悲嘆は深く関係していた者と死によって分かたれることによって発生する。
関係の薄い者と死別しても発生しない。

また関係は深いが長寿であるとか長い闘病の結果でむしろ死が本人にも平安をもたらすだろうと納得を得られた場合には静かな死の受容がある。

日本では高齢化が著しく進み、80才以上での死亡者が死亡者全体の6割を超えた。
その結果、悲嘆が強くない葬式が増加している。

大正、昭和前期であれば、長寿は80才以上を言い、その場合には長寿を寿ぐようなお祝いとして葬式が営まれることもあった。
だが、近年の葬式は、家族の解体、親戚関係が薄くなったこともあり、高齢になればなるほど会葬者も少なく、遺体処理的な葬式が増える傾向にある、というまた別の問題を抱える。

現状は、「血縁」という理由だけで死者と心的に近い関係とは必ずしも言えない。
家族の変容・解体は進行中である。
およそ6~7割の人は「家族」に親和的、プラスイメージをもつであろうが、3~4割はそうではない。

親族がいて遺体の引き取り手がいない人は2010年のNHK無縁社会プロジェクト調査では3万1千人だった。
おそらく2018年現在はその数は6万人を超えるのではないか。
※単独世帯で看取られずに死亡し、死後数日、数週間経過して発見される「ひとり死」が増加している。東京都監察医務院等のデータから推計すると年間3万人程度と思われる。

必ずしも遺族=死別悲嘆者とはいえない。
また、同じ家族のなかでも大きな温度差がある。

■死別の悲嘆の固有性、多様性

死者と心的に深い関係性をもつ者が死別により深い悲嘆を体験するのは病気ではない。
人間として極めてあたりまえのことである。

昔の葬式で「喪主だからひとさまの前で泣いたり取り乱したりせず気丈に振る舞うように」と奨励することがあった。
だが、それは葬式を外面的な儀礼としてのみ理解して、葬式の本質が死別に伴う作業という内面的部分にあることを忘れ、また死別の悲嘆を第三者が甘く見ての誤った理解からであった。

死別の悲嘆は多様である。

近親者の死はほとんどの人が体験する。
いくつかの類型に分けることは可能だが、関係が個々である以上、死別の悲嘆も個々で異なる。
「私の父が死んだときは…」と一般化することができない。
多くの人が間違うのは、自分の体験した少数の事例をもとに他人の死別を類推してしまうことによって発生する。

配偶者の死の場合でも、その2人の歴史、家庭環境、発生状況、そもそもの関係性等によって大きく異なる。
配偶者の死ということだけで簡単に類型化できない。

基本的に人は個々によって生は異なる。
同じように死別も個々によって異なるのだ。
表象も、涙、怒り、無気力等さまざまである。

人間は他人の死に対しては存外冷淡である。
簡単に了解してしまう。
あの約2万人の犠牲者が出た3・11東日本大震災は死の過酷さを喚起させる大きな出来事であった。
だがその時でも例外ではなかった。
同じ被災地であっても凄まじい温度差があった。
同じ被災地であっても、犠牲者を抱えた人とそうでない人との間には凄まじいまでの温度差があった。

■グリーフケアの限界

近年、葬儀において葬祭従事者の役割としてグリーフケアが注目されるようになった。
葬儀の内面的部分において死別が基本にあり、個々の遺族の支援は死別の悲嘆に無理解であっては不可能である。

しかし誤解してはならないのは葬祭従事者の行えるケアはささやかなもので、せいぜい個々の死別者の自らなすグリーフワークを邪魔しないことだ、ということは理解しておくべきだろう。
最も効果があるのは家族同士、友人である。

但し、誰の支援も得られない人も増えている。
少しの気づき、配慮が葬儀支援で大きな差となることもある。

(注)
「グリーフ」については何度か書いているが、私が書いてまとまったもので、ネットで見られるものには、2003年と古いが、次のものがある。
「グリーフとは何か?」
http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/grief.htm

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