2017年4月26日 (水)

遠くなる母とその死―個から見た死と葬送(25)

携帯電話が鳴った。
2215分。

「高倉和夫さんですね。林病院の看護師の及川と申します。お母様の芳子さんが危篤になられましたのでご連絡します」


すぐに病院に車を走らせた。


ひどく落ち着いている自分がいた。


母は4人部屋から個室に動かされていた。

「高倉さんですね。こちらへどうぞ」


病室では若い医師がモニターを見ていた。
というより私が来るのを待っていたかのようだ。
モニターの線はもうなだらかであった。


2255分、ご臨終です」


と医師は言い、立って私に頭を下げた。


母の手を握ってみたが、ダラーンとしていた。
もはや生体反応はない。


「よろしいですか?」


と、看護師が言い、頷くと点滴器具などを片づけ始めた。
作業は事務的に淡々と進んだ。


母は地下の霊安室に移された。

 

顔を寄せると臭いがする。
忙しい看護師が寝たきりで生じた褥瘡の手当てにまで手が回らなかったのだろう。

薄く化粧はしてくれた。
だが、身体の手当てまでは充分にいきとどいていない。

しかし、そのことで病院を責める気にはならなかった。
家ではとても世話ができなかったのだから、これを含めて自分の責任だと思った。

看護師が
「お決まりでなければ葬儀社を紹介しましょうか」
と、言ってくれたので頼んだ。


母が入院し、認知症になってから4年と3カ月が経っていた。


母はどんどん表情が
変化していった。
母親なのだが、母親から遠くなっていく。

寂しさ、仕方のなさ…自分の気持ちを何とも整理しかねない。
そのまま日が進み、母はさらにどんどん遠のいていった。

ついには息子の顔も認識しなくなった。

それには自分の気持ちが追いつかないでいた。

幼少期からずーっと愚鈍な自分をぐいぐいと引っ張ってくれた母だった。
母らしさが消えっていった。

「終わった」
という思いと、入院前の溌剌とした母の姿が頭の中で交錯して、ひたすら混乱するばかりだった。

母の死後の1週間のことはほぼ記憶にない。

葬儀会館へ移動。
母の遺体は安置され、納棺、通夜、葬儀、出棺、火葬、骨上げ…と進んだということはうっすら記憶している。
だが、そこで自分がどう感じたか、葬儀社の人、坊さん、会葬者の方、親戚にどう対応したのだろうか。
ぼんやりとした記憶でしかない。

今、母は自宅に戻り、小さな骨壺に収められ、元気だったまさに「母」の笑顔の写真の前に置かれている。


2017年4月20日 (木)

「葬式をするって!」―個から見た死と葬送(24)

「葬式をするって!」

兄が怒鳴った。


「どれだけ苦労したって言うんだ。これでやっとせいせいしたっていうのに」


兄が疲れた顔で言った。

兄の言うこともわからないではない。
この
10年、母は昔の穏やかな母ではなかった。

「お前たちは私を殺そうとしている」
と被害妄想にかかり、近づくだけで「怖いよ」と喚き、退く。

また、よく怒鳴った。

私たち兄妹はすっかり消耗してしまった。

「でも、この
10年の母さんは病気だったのよ、ほんとうの母さんではなかったのよ。せめてお葬式くらいやってやろうよ」
と私は必死に兄に頼んだ。

渋々であったが、やっと兄は頷いてくれた。


母の顔は穏やかさを取り戻し、静かだった。

10
年の喧騒がまるで嘘だったかのように。

お寺に連絡すると、住職はすぐに駆けつけてくれた。


「いい顔なさっている。ご家族もこの
10年たいへんでしたね。よく尽くされました」

住職の労いの言葉に、兄は泣き崩れて叫ぶように頼んだ。


「お願いします、お願いします…」

私も兄と一緒に頭を畳に押しつけていた。

幼い日、両手に私たち兄妹の手を握り微笑んでいた母の姿が脳裏に立ち上ってきた。


2017年4月15日 (土)

「家族」…この不思議なもの


「家族」というのは不思議なものだ。

多くの人にとっては、疑いようのない濃い人間関係なのだろう。
しかし、それ故、強い反発と憎悪の対象にもなり得る。

また、家族を私物化してしまうこともある。
ほとんどが無意識のうちにだ。
それがいつのまにか、相手への肉体的、精神的暴力となったりする。
だが、それを意識化することは極めて困難である。

あるいは「関係を断つ」ことには相当の覚悟が強いられたり、いったん離れると、再度の関係づけは難しい。

「犯罪」というのは、「外から来る」と漠然と思っていることが多いが、実はかなりの確率で家族や親戚といった近い距離で発生している。
そのほとんどは「家族」や「親戚」という関係になければ発生はしなかっただろうことである。

「家族」と言うと、それぞれがわかった気になることが厄介である。
実はその関係は多様で、濃淡も異なるのだが、自分の家族関係に引き寄せて考えてしまいがちだからである。

「家族」という語は、認識よりも体験に深く影響される語なのだろう。

死別だけではなく、生きて家族を喪失することもある。
それもぼんやりと。しかし、確実に深いところで。


2017年4月14日 (金)

死亡数 人口動態統計と人口推計2006年版、2012年版、2017年版の比較

国立社会保障・人口問題研究所は、平成27年国勢調査の確定数が公表されたことを受けて、これを出発点とする新たな全国人口推計(日本の将来推計人口)を行い、 平成29(2017)年4月10日にその結果を公表。
http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp_zenkoku2017.asp

『四訂葬儀概論』(4月1日発行)にはギリギリ間に合わなかったのは残念。そこで死亡数についてのみ出生中位・死亡中位の推計を2006年版推計、2012年版推計と合わせて対照比較できるようにして提供する。
人口動態統計(確定)は推計値より概ね死亡数より低く推移していて、今回の推計はこれまでの推計に比べて抑制気味になっている。
死亡数は2015年の確定数では129万人であるが、140万人に達するのは2006年と2012年の推計では2019年であったが、2017年推計では1年遅れの2020年。
要するにこれまでの推計より実際には生存年数が少々伸びていることからきている。

なお、ここでは省いたが、出生数については2015年の確定値が1,005,677 人であった。2006年の推計では83万6千人、2012年推計では95万2千人と推計されていたが、出生率が改善されており、今回の推計ではこれを反映している。

 

人口推計は出生中位、死亡中位 単位千人
年 次 人口動態統計(確定) 2006年人口推計 2012年人口推計 2017年人口推計
死亡 死亡 死亡 死亡
平成 18 (2006) 1 084 450  1,103   1 084 450   1 084 450  
19 (2007) 1 108 334 1,122 1 108 334 1 108 334
20 (2008) 1 142 407 1,146 1 142 407 1 142 407
21 (2009) 1 141 865 1,169 1 141 865 1 141 865
22 (2010) 1 197 012 1,192 1 197 012 1 197 012
23 (2011) 1 253 066 1,216 1,264 1 253 066
24 (2012) 1 256 359 1,240 1,232 1 256 359
25 (2013) 1 268 436 1,265 1,258 1 268 436
26 (2014) 1 273 004 1,290 1,285 1 273 004
27 (2015) 1 290 444 1,314 1,311 1 290 444
28 (2016)   1,338 1,337 1,312
29 (2017)   1,361 1,363 1,338
30 (2018)   1,384 1,388 1,364
31 (2019)   1,406 1,412 1,390
32 (2020)   1,429 1,435 1,414
33 (2021)   1,450 1,458 1,438
34 (2022)   1,471 1,479 1,460
35 (2023)   1,491 1,499 1,482
36 (2024)   1,509 1,519 1,502
37 (2025)   1,526 1,537 1,522
38 (2026)   1,542 1,554 1,540
39 (2027)   1,557 1,569 1,557
40 (2028)   1,571 1,584 1,573
41 (2029)   1,585 1,598 1,589
42 (2030)   1,597 1,610 1,603
43 (2031)   1,609 1,622 1,616
44 (2032)   1,620 1,632 1,629
45 (2033)   1,630 1,641 1,640
46 (2034)   1,639 1,649 1,650
47 (2035)   1,646 1,656 1,659
48 (2036)   1,653 1,661 1,666
49 (2037)   1,658 1,665 1,672
50 (2038)   1,661 1,668 1,676
51 (2039)   1,663 1,669 1,679
52 (2040)   1,663 1,669 1,679
53 (2041)   1,662 1,667 1,678
54 (2042)   1,659 1,663 1,674
55 (2043)   1,654 1,657 1,669
56 (2044)   1,648 1,650 1,662
57 (2045)   1,641 1,642 1,652
58 (2046)   1,632 1,633 1,642
59 (2047)   1,623 1,622 1,631
60 (2048)   1,614 1,612 1,619
61 (2049)   1,603 1,601 1,608
62 (2050)   1,593 1,590 1,596

2017年4月11日 (火)

辻早紀「サヨナラの記念日」(葬送三部作)を聴く

CITY-WAVEの相徳さんという方からメールをいただいた。

突然のご連絡で申し訳ありません。

 弊社は20年近くに渡り音楽レーベル「G-WAVE Factory」を運営しており、
CDのリリースやアーティストのプロモーション等を行っております。

今年の6月7日(水)にG-WAVE Factoryより「辻早紀(つじ はやき)」というソロアーティストが
『サヨナラの記念日』というCDで全国デビューするのですが、この作品のテーマが「死別」で、大切な人との死別はとても悲しいことだけれど、その人の記憶がこれから周りの人々の心の中に永遠に寄り添い始める記念日でもあるのではないか、ということを唄っています。

また、この作品は従来のクラシックでもジャズでもない、いわゆる「歌モノ」の曲で、
タイトル曲の他に、『出会いの奇跡』『思い出の陽だまり』の3曲で構成された、
おそらく日本で初めての「葬送歌三部作CD」となっております。

私はもう雑誌媒体もない、とお断りしたのだが、まず聴いてほしい、とCDを送ってきた。

Photo

三部作は「サヨナラの記念日」「出会いの奇跡」「思い出の陽だまり」の順で収められている。
私は音楽については素人以下である。
歌詞を先に読んだが、
「出会いの奇跡」は墓参時の歌に聴くといいかな、と感じた。

巡りあえたこと いつまでも大切に…

出会いの意味はわからない
きっと本当は意味なんてない
でもこころは失くした何かに
気づいて それを探して


というフレーズからだ。

「思い出の陽だまり」は三回忌あたりに聴くといい歌かな、と思った。

何気ない言葉をいまも覚えている
些細なできごとがこころによみがえる
その一つ一つに思いを重ねてみる
というフレーズからだ。

この二つの歌は視聴してみても印象は変わらなかった。

「サヨナラの記念日」
これは歌詞を読んだ時より視聴した時のほうが印象が強かった。
これは、いわゆる「お別れの儀」、出棺前の棺の蓋を開けて花を入れてそれぞれが死者と別れるその時に流されるととてもいい歌になるだろう、と思った。

もう これからは自由に飛べばいい
私に残したあとがきをサヨナラの代わりに


あるいは

束の間に過ぎていったこの夢に

同じ時代を走っていた後ろ姿に


というフレーズは生きていた。

歌詞を読んで気になっていた
「今はお祝いしましょう」「今は微笑みましょう」「嬉しく泣いている」
は、よくあるプラスイメージの言葉で、沈黙しているほうがいい、と思っていたが、聴いていて邪魔にはならなかった。

歌詞段階では、90歳以上の方の葬儀、長い闘病の末の死の場合にいいかな、あるいは四十九日、一周忌あたりに聴くといいかな、と思っていたが、試聴して、多くの人を送る、しかも花入れの場面では共感を得るのではないか、と感じた。

先に記したが、葬儀については詳しいが、音楽的には素人である私の感想である。

辻早紀さんのプロフィール http://tsujihayaki.jp/profile/
CITY‐WAVEの会社情報 http://www.citywave.co.jp/company.html
相徳さんは株式会社CITY WAVEの代表者の方のようだ。
TEL:03-3770-7400  FAX:03-3770-7409
※ 営業時間:10:00~18:00(土日祝除く)

補足
6月7日ON SALE!
1,290円

«四訂葬儀概論が完成

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