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2008年12月29日 (月)

仕事納め

きょうは12月29日(月)、わが事務所はきょうが仕事納め。
早いところは26日で終わっている。
だが葬儀社には仕事納めがない。
火葬場は短いところで1月1日~1月3日だけが休み。
その間は火葬ができないだけに葬儀社の負担が大きい。
冬は死亡する人が多い。年末年始だからといって休むわけにはいかない。
1月4日から火葬場が開くと葬儀ラッシュとなる。

かつては松の内は1月14日までと言われ、その後7日までを言って、松の内は葬儀を行わないでいた。
といっても遺体の保全が困難なので、火葬だけは近親者で密葬にて行い、15日過ぎてから皆さんに案内して本葬をした。
それが8日以降になり、いまでは4日以降になっている。
三が日だけが葬儀を行わず、これも火葬場が休みだから行わない理由となっている。

年賀欠礼の葉書を出さなかった先から年賀状を受け取ったとき、喪中にある人は松が取れてから、つまり15日を過ぎて「寒中見舞」の葉書を出すのが慣例。

さて、クリスマスや正月についての「感想」らしきものを書いてみる。かなり大雑把だが。

きょう29日は、一般の会社の場合は休みが多いが、葬儀関係の会社ではいつもと変わらない。だからいつもと同じように電話してくる。
今朝用事があり、ある葬儀社を訪ねたが、いつもの日がそこにはあった。

近年は11月になるとクリスマス騒ぎが始まり、12月25日をもって終わり、途端に正月に向けて、すばやく転換する。
キリスト教ではクリスマスの4つ前の日曜日から待降節と言い、クリスマスの備えをするから、これがクリスマスの1ヶ月前からクリスマス商戦に入る根拠と言えないことはない。

クリスマスはキリストの誕生を祝って行われるが、キリストというのはイエスの尊称である。「イエス・キリスト」という名の人間がいたわけではなく「イエス・キリスト」というのは「イエスはメシア(救世主)である」と信仰告白した表現である。
仏教の「釈迦」に対応するのはキリスト教では「キリスト」ではなく「イエス」であるはずなのだが。
また、イエスが12月25日に誕生したということはどこにも根拠付けられていない。ミトラ教の冬至と関係づけられたらしい。
つまりキリスト教が進出するに合わせ、その地の祭をキリスト教的に意味づけをしたらしい。

日本でクリスマス商戦が始まったのは明治30年代というから結構古い。
日本では「メリー・クリスマス」と祝うが、キリスト教国アメリカでは90年代以降、他宗教の人を配慮して「ハッピー・ホリデイズ」と言う人が出てきたようだ。12月24日から1月1日までが休暇(ホリデイ)になることが多いという事情も背景にある。

正月と盆とは共通項が少なくない。一方で正月棚があれば、他方では盆棚がある。
先祖祭という点では共通する。
盆は三十三回忌で弔い上げを済ませるまでの死者の霊と交歓する祭であり、三十三回忌を済ませ先祖の霊に合祀された後の、個性を失った神様の祭が正月と、いまの日本では分業されている。
具体的には、三十三回忌が済むと死者個人ごとの位牌は寺に納められ(最近はダイオキシン問題とかで、お焚き上げが難しいので受け取らない寺もあるが)「先祖の霊」という位牌に合祀される。三十三回忌または五十回忌で個々の死者の弔いは終了する。

私は以前から「三十三回忌、五十回忌の弔い上げは、死者を知っている世代がいなくなり世代交代が行われる期間にほぼ一致する」と言っている。

日本の民俗は明治維新前までは神仏混淆の世界で、仏教と神道がうまく棲みあっていたようだ。最近これを懐かしむ声が宗教者の間から聞くようになった。そして言う言葉は、
「日本人は他の宗教に寛容」
である。
主にイスラームやキリスト教徒の他宗教への排撃性を批判しての言葉である。

仏教関係者、神道関係者が近づく理由に今の環境ブームがある。
キリスト教の人間中心主義はおかしいということで、両者は一致するというのだ。

ま、あまり宗教を手前味噌に利用することは、「ブッシュのキリスト教」を持ち出すまでもなく、不健全である。

よく臓器移植の問題で、キリスト教は、仏教はどう考えるか?
と問われることがあるが、こんな現代的問題に古典宗教が答をもっているわけがない。
宗教団体が答を出す問題ではなく、個人が答を出すべきだろう。その個人の答がその信仰に深く根差したものであるにせよ、あくまで個人の答なのだ。
私は宗教者が臓器移植のような問題を考えなくてよいというのではなく、宗教の名の下に答えることは結構危ういことだと思っている。

大東亜戦争と言われた先の大戦で、日本の宗教団体は、宗教の名の下に戦争に加担した。政府や軍部の圧力に負けたと言うが、事実は、いやいやながらも多少あったろうが、多くは積極的に加担したのである。加担を拒否した少数の仏教徒、キリスト教徒は、教団自体から否定され、排除された。

さて、2008年も残りわずかである。
私の予定は特にない。というより原稿を書かないといけない。
だから、ふだんの日のように事務所に出る予定。

よいお年を!

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2008年12月20日 (土)

師走に走る

12月に入ると地方でも東京でもクリスマス用の電飾があちこちと見られるが、いま一つ華やぎが感じられないのは若者の嬌声が聞こえないからだろうか。
「不況」という文字が、こんなにも早く生活レベルまで浸透するのは久しぶりのような気がする。

20年前に天皇が危篤になり死去したときの自粛ムードのような感じだ。

次男が就職活動をしたのは空白の10年のとき、その後活況を呈し、団塊世代の定年でその後を埋めるというので企業は新卒を獲ろうと求職活動に積極的だったのがおよそ半年で変化。
内定取り消し続出、非正規雇用が、これが「安全弁」であったとばかりにどんどん切られている。
柔軟な体制、働き方の自由とは、不況になると簡単に切ることができる体制のことかと思う。

「契約社員」とは「契約」に基づいている関係なのに、こんなに簡単に契約が破棄されていいものなのだろうか。

かつて社員に辞めてもらった厳しい体験がある。
辞めるほうには次の仕事への不安があるだろう。また、残るほうも、罪悪感、割り切れない後悔が残る。見通しの見えない手探り状態で、精神的に、きつく、耐えることができなかった。それが欝状態の最も厳しい状態での判断だったから、すっかり参ったものである。いまだに出口が見えずにいろいろと迷惑をかけているのだが。

年末というのは原稿では焦るものだが、今年はギリギリまでいくつか会合があり、忙(せわ)しない。
それぞれ厄介な問題を抱えており、年内に方向を出そうというものばかりだ。
会合には出るばかりではなく、準備もある。

きょうは比較的にいい天気だ。
私には九州に姉がいて、ブログもしており、最近写真に凝っている。どんどん腕を上げている。
そちらに対抗することなく、敢えて私は携帯で撮った写真を掲載している。

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2008年12月15日 (月)

欝もちもいいものです

きょうは1年に1回授業をする学校へ行ってきた。
レジメはここ3年変わらない。一部を最新のデータに入れ替えるだけ。
「無精者」と言われるかもしれないが、これでも生涯で後はほとんど会う機会のない人たちに、私が90分時間を与えられたとするなら言うべき内容は極めて制限される。
それなりに自分としては精選した内容のつもりだ。

それでも実態は毎年話すことが微妙に違う。
話す相手が違うし、私がいま置かれている立場も異なる。
だから同じ話にはならない。

帰りに2つ下の古い友人と駅まで一緒に帰った。
途中、私の「欝」に話が及んだ。
「ま、ボチボチ。治るということを考えないからいいんじゃないのかな」
と、僕は答えた。
薬は飲み続け、まるで薬中だが、これが普通と考えれば別に悪かない。
ときどきはっきりと自分の状態が悪いことがわかる。そうなるとどうにもできないが、そういう状態にある、ということがわかるというのは狎れてきたのだ。

講演でも、ときどき自分の病気を告白してしまうことがあるが、そうした後には必ずのように、
「実は私も…」
「私の妹が…」
と話しかけてくる人がいる。
人によれば、この病も「流行」だというが、少なくないことは確かだ。

昔、若い頃、会社の同僚がこの病にかかり、医者に行くことを勧めたが、親も含めて、頑として行かなかった。
「キチガイ扱いをするのか!」と怒鳴られたこともある。
いまはさすがに少なくなったが、まだいる。
身体に病気があるように心に病気があってもおかしくない。

「胆石で」と言うのと、「ウツで」と言うのとどこが違うというのだ。
胆石が傷むように、心もときどき傷むだけの話ではないか。

もちろん胆石の人間が傷みで仕事に出ていけないように、ウツ持ちである私は原稿をちっとも書けなくなることがある。

どうもこの病気、他人様には「怠け病」に見えるらしいので、また、自分自身もその境界があんまり明らかではないので、困るが。

だから不眠とか、閉じこもってしまいがちなときは、「行こう病院へ」と言いたい。
導眠剤を飲んで眠ることができたときの感激は忘れることができない。

ほんとうは、こんな話を書くつもりはなく、「編集者」について書こうとさっきまでは思っていた。

つまり、どういうことかと言うと、
書いた人間は自分の文章がおかしいことがわからない、
ということだ。

私の書いた文章がもともとそんなに上等でないことは認めるが、自分が何度読んでもおかしさがわからないことが、編集者には見える、ということを言いたいのだ。

自分が考えることと書くことは微妙に食い違っており、自分の回路では繋がっていることが、第三者には違和感が違和感としてわかるのだ。それだけ、書きなぐっていることを証明しているのかもしれないが、私は編集者のいない著作というものを信じない、というか、編集者に見てもらえるのがいい。

私も他人の文章を編集者として読むことがあるが、やはりその人はこう言いたいのだろうが、この表現よりは…
と思って朱を入れる(実際はクロエンピツなのだが)ことが少なくない。これは書くものの宿命みたいなものだ、と悪筆家は思うのだ。

引越し先にもようやく馴染んできた。まだ、どこに入れたかわからないで困るものがあるが。

最近、また発見したことは、まだ徹夜に近いことができる、ということ。ほんとうはそれだけ追い込まれたということなのだが、やればできる、ということだ。
忙しい、というのは一種の快感でもある、と昔よく感じたことをまた一寸感じた。
かつて徹夜をして、夜が明けて、そして仕事が仕上がると、外に出て深呼吸すると、何とも言い難い「いい気分」になったものだ。
「清々しい」とは、こういう気分を言うのではないか、と確信したものだった。
老いてその気分を忘れかけたが、あのときの「いい気分」をまた思い出したりしている。








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2008年12月 9日 (火)

大宮から見た富士

6、7日と福島県郡山市へ
昨年も今頃行き、初雪を体験した。
「今年も」と期待したが、そんな雰囲気はなし。
しかし、しかし、22時半頃、素敵なバーを出て上を見ると、微かに雪が舞っていた。

この日、導眠剤を忘れたため、布団に入ってもうつらうつら。
車を走らせていた夢で、音楽が響くところがあり、小学校の運動会か、と思うのだが、どこまで走ってもその音楽がついてくるのだ。
BGMの音が夢に入り込んでいたのだ。

翌7日、早く目覚めたので、ホテルから夜明けを撮る。
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新幹線で郡山と東京の間は1時間半弱。
大宮近くに来たら驚いた。
右側に富士山が大きく見えるのだ。
この写真は撮らなかったが、ほんとうに大きく見えた。

翌8日は大阪へ。
話す資料をたくさん事前に送っておいたのがいけなかった。
約3時間半(途中15分休んで)、一つの資料中心に時間を遣い、後の資料は簡単な説明のみ。

途中座って話すよう勧められたが、立って話すほうが話しやすいので、最後まで立ったまま話した。
見ると若干1名、眠気と闘っていた様子だったが、他は真面目に聴いてくれていた。
どうもこのところ、話がどんどん広がっていくことが多い。これも老化のせいか?

きょう9日帰京。
6日不足した睡眠を取り戻すかのように、新幹線でも爆睡。

6日、郡山行きで初めてコートの袖を通したが、それから放せなくなった。今朝の大阪も寒かった。
もちろん、東京でも普通にコートを着ている。
寒さが本格化するのだろうか?

例年、冬になると死亡する人が多い。
統計的に見事に冬多夏少である。
いまは室内はエアコンもきいているのに、と思うのだが。

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2008年12月 4日 (木)

ついに窓際族へ

365日(いない日も多いから、実態はこの3分の2くらい?)壁を向いていた生活をしていたのが急変。
いよいよ窓際族です。

正確には先月28日に引越し準備をして、29日に移動。但し、移動しただけで部屋はダンボールで埋められており、30日からヨッコラ荷解き。
何とか居場所はできたもののまだ入口や廊下には、ダンボールが積まれている状態。

こんなに!
とびっくりするほどゴミを捨てたのに、まだまだです。
この間、遅れた原稿にも取り組み、わずかな空間で仕事。
また、こんなに忙しいのに、メールでアチコチと喧嘩をし、それに無駄な時間を費やし、また講演にも出かけ…
事務所を出るのが午前様になったり、で
シッチャカメッチャカな生活でした。

本を捨てたにもかかわらず、まだまだあって、また本というのは何とも重たいものであって、腰が痛くなっても、その痛みに狎れてしまうほど。

この歳になり、思い知らされたのは23時を越えたら酒を呑んではいけないこと。
翌日ゆっくり寝ていられるならいいのですが、3時半に寝て6時に起きるという生活では、朝まだアルコールが残っているらしく、これはダメです。
1日おきに酒を呑んで、別な言い方をすれば1日おきに酒を呑まず、とやってきたのですが、夜1時を過ぎたら、ローテーションでは呑む日でも、翌朝の辛さを考えると、つい呑むのを躊躇ってしまうのです。

間に出かけた会議も神経を使い切るもので、でも、こんな生活の中では辛いとも感じず、何とか乗り切ってしまいました。といってもまだ終わりではないのですが…

この「引越し」、実はビル内移動、私たちは4階にいたのですが、2階の会社が「広いスペースがほしい、どうもお宅たちは人数が少ないようだ。引越し代を出すから交換しないか」と持ち出された話。
スペースは少し狭くなるのですが家賃も安くなることだし、と、その話に乗ったものです。
「超」がつく零細企業としては家賃が安くなるのは大歓迎。
しかし、出版業というのは在庫やら物持ちときたものですから、歩いて8分のところに、元は電器屋さんだったところを倉庫として借りるという羽目にもなりました。

引越し当日には書棚の移動は引越し屋さんがやったのですが、組み立てはせず、要求して人が来たのはいいのですが、道具がないとその人は1時間で行方不明。
でも、手伝いに来てくれてた印刷会社の担当のKさんと税理士のWさんが組み立てをやってくださって、もうひたすら感謝です。

この間、電話やランケーブルの移動、設置をしてくれた若い兄さんたち、力強くて手早い引越し屋さんの兄さんたちを見ていると、技術者、肉体労働者の逞しさにほれぼれ。
これが「オトコ」という生物らしい、とさっぱり「オトコラシサ」とは無縁の、また誰からも「オトコラシサ」を期待されていない、性別だけは「オトコ」である私は感じ入ったものです。

前の部屋は壁で隔離されていたものですから、それをいいことに換気扇と空気清浄機を回しっぱなしで、タバコはチェーンスモーキング状態であったのが、2階の部屋は本棚で隔離はされているものの、空気は繋がっているもので、タバコを吸うときはベランダに出て吸うという形。
「もつかな?」と心配したものの、こちらのほうが体にとって楽なようで、タバコの本数も激減しました。
でも、禁煙ではなく、後ろのドアを開ければベランダという絶好の位置に私の席はあるので、まったく無理ではありません。

昨夜でしたか、深夜に家に向かって車を走らせながらラジオを聴いていたら、娘さんを殺害され、その衝撃で精神を病んだ妻が事故とも自殺とも言えない形で喪った男性が、もう一人の娘と生活しているようなのですが、娘さんの死から警察の取調べ、病んで自傷行為を続ける妻、犯人が見つかっての裁判傍聴したときの感じ、そして妻を喪った様子を、記者の質問に答える形で淡々と、しかし物凄い内容のことを語っていました。

犯罪被害者であるその家族。娘も妻も奪われ、いまは縋りつくような想いで「生き残った」もう一人の娘の成長、結婚、そして孫の誕生と成長に全ての想いをかけているのを聴いて、重いなぁ、と呟いてしまいました。
彼は「娘のためなら何でもする」と言っていましたが、それしか選択肢は残されてはいないでしょう。

この話は連続して起こったのではなく、最初の娘の死から、最初を聴いていなかったのでよくわからないのですが、3~4年後に妻が死亡し、となんだかんだと7年間くらいの話なのです。
妻が娘を亡くし、精神を病み、彼は「自殺」ではなく「事故」だと言っていましたが(彼は彼女が自殺であったなら、きっと化粧をしたであろうに、まったく身なりをかまわないで死んだという事実が、「事故」であったことを証明している、と確信しているのです)、その妻の死は、私にとっては当然というかまったく自然な苦痛に思えたのです。

その二人を喪った男性は、とても淡々と、とても正確な言い回しで、とても客観的に、心の中は怒りと絶望で煮えたぎっていながら、静かに話す様に、その精神の凄まじさに打たれました。

犯罪被害者は2度殺される、と言われますが、この男性、そして話の中でしか出てこなかったもう一人の娘さん、この二人の家族は、けっして2回ではなく、4回も5回も殺されたのではないでしょうか。
犯人に、警察に、裁判に、報道に、そして興味本位な社会に。

この男性の一人残った娘にかける想いの何と重く苦しいものであるか。私がその娘であったなら、きっとその父親の下から逃げ出すことでしょう。
私はその男性が残った娘さんにかける想いを、生きがい、夢とは思いませんでした。そうとでも思わなければという気持ちの重さをただ感じていました。

また寒くなるようです。土曜日にはグンと寒くなるとか。

そういえば10月の中学の同級会の写真をH君が送ってきてくれました。その封筒の何とかわいらしいことか。昔恋文が入った手紙が来たときのトキメキを思い出したほどです。

中には3枚の写真。
1枚はH君と私、もう2枚はK君が入ったもの。
若いように思っても、写真に写っているのは、どう見てもむさ苦しい60過ぎの男です。

彼の、また女性のような美しい字で、もう初雪が降ったと書いてありました。

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