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2009年6月23日 (火)

蒸す

梅雨ですから「蒸す」のはあたりまえですが、このジトジト感は不快です。
このところ頭には冷却シートを貼り続けです。
これは癖になり、貼らないと落ち着かない、困ったものです。
コンビニで見つけて貼り、薬局に行ったら安いパックがありました。でも清涼感、持続力はコンビニの勝ちです。

このところ1日根つめて仕事をすると2~3日身体が使いものになりません。こういうところに「老い」を感じます。
やっていると「お!この調子だと朝までやれる」と感じるのですが、また、眠眠打破を数本飲みながらですが、もつのですが、後がいけません。

葬祭の現場では感性豊かな若者が増えるというプラスの現象と、まったく相反する乱暴な葬儀営業が目につきます。
葬儀を単なるビジネスの一つとして見て、それを当然とする人たちです。
彼らは葬儀業界を「遅れている」というのですが、どうも批判の観点を取り違えているようなのです。
「儲かる」だけでしたら他にもいろいろな業種があるのですから、そちらでおやりください、と言いたくなるのです。
彼らから言わせると、葬儀業界は遅れているので、簡単に勝てるというのです。
確かに業界はいい企業が伸びるわけではなく、なんでこんな乱暴な企業が伸びるの?という不思議に満ちています。

死に関わり、死者に係わり、死別の悲嘆であるグリーフを抱えた遺族に係わるという本質を理解しようとしていない。

斎場(会館)があり、舞台一杯に飾る生花祭壇があり、リムジンの洋型霊柩車があればいいと思っているのです。人は葬儀社、互助会から取ればいい、自分にノウハウなくてもやれる、と思っているのです。
そういう奴ほど安っぽい「感動」を押し付けているのです。

現金を振り回し、口先ではもっともらしいことを言い、跋扈するんですからいやになります。
消費者もそんな輩に簡単に騙されちまうのです。

その中でまっとうな人がいるということに感激するし、共感を感じます。(考えたら、お金持ちでない人に多い!)

葬儀業界について取材したいという依頼があり、企画書に「ディープな業界事情を」とあったものですから、
「取材に対してはできるだけオープンに応じることにしているが、偏見がある場合にはお断りする」
と断ってしまいました。

「おくりびと」効果にはいいものだけがあるわけではありません。

「死亡者数も増えるし、これからの葬儀業は儲かる。零細企業も多いし」と、他業種の大手企業が目をつけ始めています。
その連中は葬儀の何たるかも理解していないのだから困ります。

物販業ではないのに、見積書にはモノの値段だけが並ぶ不思議。
消費者が賢くなったとはいえ、「サービス」には金を払おうとしないものなのだから、こうしたおかしな価格構成がまかりとおっているのです。
業者だけが悪いのではないのです。
しかし、業に携わる人が変えていかないと「不透明」という謗(そし)りは払拭できないでしょう。
「不透明」なのではなく、表示方法の拙(まず)さなのに。

きょうは晴れて、暑いのですが、ジワっとした不快感があります。
感性が鋭く、しかも勉強熱心な若者が多く集まるようにはなっています。それはとてもうれしいことです。
しかし、商売はうまいのでしょうが、きちんとした哲学をもつ経営者が多くないように思います。
これからますますそうなるような気がして憂鬱なのです。



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2009年6月11日 (木)

ちょっと一段落

いま原稿をメールで送って一段落です。
このところいくつもの原稿が重なり、おまけに地方に出かける機会も多く、アップアップで、ついブログの更新を怠ってきました。

94年に出した本の文庫版ということで、修正を開始したら、今の時点とはあまりに違い、修正というよりもほとんどが新規に書いたり、もう無茶苦茶です。
葬儀の変化が95年前後ですから、その変わり目に書いたもので、自分なりに愛着がある本ですが、15年はさすが変化が激しく、書き直しを余儀なくされました。

ずいぶん変わったものだ、と思います。
いい変化ももちろんあるのですが、これはおかしいぞ、というのもけっこうあります。

「葬儀・告別式」がなくなって「通夜・告別式」と言ったほうが適当になり、「直葬(ちょくそう)」が増えたり、関西では「香典辞退」が増えたり、「自宅葬」が風前の灯であるだけではなく、遺体の自宅への搬送・安置が少なくなったり、葬祭文化を無視した儲けだけを考えた新規参入組が増えたり、etc.

最近、腹を立ててるのは、首都圏での出棺前の初七日
犯人は葬儀社か遺族か僧侶か、と言っているうちに一部の葬儀社は標準コースにしてしまっている!
何たる見識のなさか。
こんなのはやらないほうがまし、と僧侶は一致して異議を唱えるべきだと思う。
「やるだけまし」では断じてない。

「家族葬」の実態は「安い、簡単な葬儀」の意味になっているのが7割くらいか?

「一応お葬式はしましたよ」といういい訳になっている。

何にもしないでよいから、家族だけで遺体を囲んで、ずっと2日間でも過ごしてみたら。
きっと、そのほうが意味があるに違いない。
外から鍵かけて閉じ込める。

手製の会葬礼状以外は認めない、とか。

死者と係らずに済むようになっている。

斎場(葬儀会館)のロビーでコーヒーの無料サービス?
葬儀は少しくらい不自由な方がいい。快適だと何のためにここにいるかも考えなくさせちまう。

年寄りは子ども世代に「迷惑をかけたくない」なんて考える必要ない。
今の孫ども祖父母の葬儀で香典を出すどころか、交通費に日当まで祖父母の葬儀用貯金からもらっている。


一段落、なんて書くと怒る人もいるはずだ。
「まだ、こっちには来ていない!」と。

6月、7月はそうでなくとも忙しいのに、自分で自分の首を絞めているみたいだ。
今のところ、ここ少しはウツも大人しくしてくれているから楽だ。

そういうわけで生きています。

現状報告まで。

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