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2011年8月 4日 (木)

NHKの捏造、誤報 取材しないで書いている?

8月2日の全日本仏教会主催のシンポジウムについて書いたが、NHKがこれを次のように報じたという。(NHKのHPより)。

葬儀や法事の際の「お布施」の在り方について、仏教関係者と企業の担当者などが討論するシンポジウムが開かれ、お布施の金額の基準などが必要だとする意見と、それに反対する意見が対立し、折り合いはつきませんでした。

東京都内で開かれたシンポジウムには、仏教に対する相談を受け付けている団体や、お布施の金額を示して僧侶を紹介している企業、それに、消費者団体の代表らが出席しました。この中で消費者団体などからは、お布施の金額の基準が示されず、納得できるものになっていないのではないかという疑問の声が出されました。これに対して、仏教関係者からは、お布施は本来、葬儀でお経を読む対価ではなく気持ちとして表されるもので、金額を明示することはできないと主張し、折り合いはつきませんでした。日本消費者協会の去年の調査では、葬儀の費用はこの20年間で最も少なくなるなど、このところ減る傾向にあります。シンポジウムを主催した「全日本仏教会」は、「意見の違いをそれぞれの立場でよく考えて、葬儀やお布施の在り方をさらに議論していきたい」と話しています。

この記者は予め想定記事を書いていて、実際にはこんな進行ではなかったのに、取材前の記事を掲載したのではないか?マスコミとしての倫理違反に問われる。
NHKは社会的信用性が高いのだから、こんないいかげんな取材をしてはいけない。
この記事では当日のパネラーから無理やり役割を推定すると、日本消費者協会の佐伯さんが「お布施の金額基準の設定」を求め、これに対して仏教情報センターの互井さんが「あくまでお気持ちで金額明示はできない」と主張し、お互いが折り合いができなかった、という話になる。

当日出席した人間はわかるが、佐伯さんと互井さんがこれをやりあったなどという事実はない。同じ僧侶同士で林さんと互井さんの考えは明らかにことなったが。
これは捏造記事である。
記者が手を抜いて、このようなシンポジウムだから、こういうことが問題になり、結果こういうことになるだろう、と思って出かけ、シンポジウム中は寝ていたとしか思えない。
この記事の内容がどうか、ではなく、全くの捏造記事であることが問題である。写真があるから少なくともカメラマンは会場にいたのだろう。
NHKはこの事実をきちんと調査し、明らかにすべきである

佐伯さんは各種調査でお金の問題が出てくることは事実だが、弔うという行為の先に何でもお金の問題が出てくるのは正常ではない、と言ったのであり、故人、遺族、寺との関係で変わるし、実際の調査でも平均額だけ取り沙汰されるが、実態はとても大きな幅がある、と言ったのである。基準を出せと言ったのではないし、それがいいとも言っていない。
佐伯さんの意見に互井さんは答えたのではなく、おぼうさんどっとこむを経営している天台宗僧侶の林さんの価格表示に対して、布施はサービスの対価ではないでしょう、と言ったのである。

作られた記事は少なくないが、これほど明確な記事捏造が100人を超える聴衆がいたにもかかわらず平気でやってのける神経を疑う。NHKよ報道する以上は責任をもて!

ここからは私の意見である。
佐伯さんは「弔う」という当日のテーマにこだわり、その前に金、金、となる状況について消費者も含めて憂えている。

ある僧侶がもう10年以上前になるが、「今の葬儀には緊張感がない。遺族にも会葬者にも僧侶にもない」と嘆いていたことを思い出している。
事態は変わらないどころか深刻化している。

一人の固有の生を営んでいた人が死んだという事実が前にあって葬式は行われる。その人の死の事実に向き合わないで行われることは全てが空しく、死者を冒涜するものである。
人の死の事実に向き合うこと、それが「弔う」ということである。

その前には「遺産相続をどうしようか?」という遺族の打算、「葬儀が入って今月も暮らせる」という僧侶の打算、「この葬式をうまくやって客を増やそう」という葬祭業者の打算、「本人をあまり知らないが義理があってきた」という会葬者の打算…そんな打算を突き抜けて弔いは行われなければならない。
それがみんな裏にもつ「打算」を恥ずかしげもなく丸出しで葬式が行われるからおかしくなるのだ。

身近な人の死を経験するのは9~10年に1回。地域主体の葬式が減少しているので、葬式を見る機会も大きく減った。手伝っても当日の受付ぐらいだから近所の人も家族の嘆きを見る機会が少なくなった。死・葬式の経験がないものだから葬儀社に任せる。内容について希望するところがないから「安い」という点だけにこだわる人も出てくる。

でも遺族が葬儀慣習を知らないでも問題ない。死者を弔う自分の気持ちを率直に出せばいい。それが葬式では最も重要で基本となる情報で、他のことは寺や葬祭業者がうまくやってくれる。

かつての地域共同体の葬式がいいわけではない。遺族は希望一つ言えずに地域に任せ、金の支払いだけをする。
これもよく考えれば、遺族が弔いに専心できるよう雑用含めて全てを地域が取り仕切った。
親戚は遺族がお金の支払いに困らないようにと、できるだけ早く行って、香典を出した。親戚の香典は通夜でも葬式でもなく、できるだけ早く遺族に届ける。表書きも何も関係ない、現金を届ける。
地域の人間もどのくらいの人が香典をもって弔問するかを考え、お金持ちの場合は別として、香典の範囲で葬式を出そうとする。
だから僧侶も葬祭業者も自ら請求するのではなく、地域の者が「お布施は15万円」「祭壇は20万円」と決めていった。

葬式を出すことでその家が傾くことをおそれたから、地域も親戚も遺族を支えようとしたし、寺も地域にある寺だから、そうした事情を承知していた。

そんな世界が崩れたものだから皆勝手な方向に走り出し、「今弔うこと」にコンセンサスがないままに葬式が行われるようになった。
葬祭業者は祭壇を見せて葬儀料金を決めて葬式をする時代は去った。お寺では檀家以外の葬儀を亡くなった人のことも遺族の想いも訊かずに戒名をつけ葬儀を行うような輩が増えた。

打ち合わせに行ったら、遺体を横において財産相続で遺族は夢中で口論。思わず「やめてくれ!」と叫んだ葬祭業者もいる。

だがそのなかでも悲しんでいる、心が傷んでいる家族がいる。その想いを大切に葬式を出すのは僧侶、葬祭業者の役目だ。

そんな甘いことを言って、と遺族にも僧侶にも葬祭業者にも言われるかもしれない。みんな「生活がかかっている」と。
でも「死者を弔う」先に「生きている者の経済」が先にくるのはどう見ても異常なことである。

(注)高見さんから「「死者を弔う」先に「生きている者の経済」が先にくるのはどう見ても異常なことである」という1文についてクレームがついた。
言いすぎではないか、ということであるが、何もこれは経済状況が許されない人が葬式の経費を負担せよ、と言っているのではない。
遺族も家族が亡くなった事実に向き合うなら、費用のことは葬祭業者なり宗教者に相談すればいい、葬祭扶助やさまざまなことをアドバイスしてくるだろう(相談に乗らないところには頼まなければいい)。「弔う」ということが先にあれば、友人たちも力を貸してくれるかもしれない。いくらお金をかけたら弔いになり、いくらしかお金をかけなかった場合は弔いではない、なんてことは全くありえない。
宗教者だってその家の事情がわかり、また聴いたならば、弔うために力を貸すだろう。遺族の事情を聴かずにお金のことを言うのは「商品」「サービス」の世界。今の不況下、経済的に困窮している遺族が多いし、その弔いの環境整備をする必要がある。
しかし、お金はあるのに「僧侶へのお礼は通夜、葬儀と2日間で2万円でも人件費相場としては高い」などと言うのであれば頼まなければいいではないか。そんな頼みには僧侶は応じることはない。
「お気持ちで」というのは「それぞれの事情の範囲でお気持ちで」ということであり、10万円は人によってはとても用意できるお金でないというなら、今回はこれしかないので、と3千円でもいいではないか。
反対に2千万円以上の年収や財産のある人が10万円を包む、というのは「気持ちがない」ということだ。お布施は金額で価値が決められない。
弔いが先にあれば、弔うための費用は(周囲が健全であれば)何とかなるし、しなくてはならない。但し、弔う気持ちがないならばいくらお金を積もうが、そんなのことで弔いができるわけではない。
高見さんがご本人のブログで書いていたが、生活保護の葬祭扶助は「納骨」の経費まで含んでいると思われるが、多くの場合、その前の火葬までで終わっている。
その遺骨の保管、墓への納骨(「無縁塔」と言われる共同墓形態が多い。今では「永代供養墓」)は葬祭業者や寺のボランティアで行われていることが多い。多くの人の葬送に係わっているのだから、費用が出ない仕事も年にいくつか発生するのは社会で事業していく上での覚悟すべき出費で、こうしたリスクも普通の費用にのっかっている。だからといって手を抜いていい、というわけではない。
なんだったら寺も葬儀社もそういう葬儀をきちんと行うというので、「社会貢献基金」のようなものを用意し、葬儀や法事で呼びかけてもいい。そして年度の終わりには収入いくら、支出いくら、残りいくら、と会計報告すればいい。
寺にも生活がある。事実寺離れは深刻で寺の布施収入は一部を除き低下傾向にある。「お気持ちで」と言うと低い方に流れるのではないか危惧し、「通常30万円、院号大姉居士80万円」などとするところは少なくない。かなり多い。でもこれは自殺行為だ。
葬祭業者が布施の価格表示を行っているのはHPを見ればわんさか出る。もう表示されている。
しかし、この表示価格は商品やサービスのもので、葬儀を執り行うという意味のものではない。
葬祭業者に訊くと、「お気持ちで」というので20万円を遺族が出したら、「これっぽっち」という顔をし、プラス10万円出したら受け取ってくれた、という話を聞く。「どうせなら最初から30万円」と言ってくれていたら、遺族も仲介した自分たちも嫌な気をしないですんだ」、というのだ。金額を出すなら僧侶は事前に遺族の気持ちを聴いたうえですべきだろう。
もっとも「お気持ちで」と言ったら5千円包む遺族もいるという。何もお金に困っている家ではないのに。その僧侶は慣れていて、「そういうこともありますよ」と笑っていたが、私はその遺族には気持ちがないのだから、そもそも頼むのが間違っている、と思った。
弔いのコストは家族負担ということで言えば、下はゼロから上は1億円というのも過去の社葬ではあった(今のご時勢ではないが)。
中には香典でお釣りの出るケースも少ないがある。弔う気持ちはけっしてお金に比例するものではないのだ。




その特定の死者を弔うということにきちんと向き合えば、経済なんて後からついてくる。遺族が葬祭費を払わずトンズラすることも珍しくない。葬祭業者は今では遺族が支払えるかを考えている。僧侶だって檀家の生活がわかっていれば無茶は言わない。親戚もなんとかしようとするだろう。
でもその中の誰かが状況を読めずに変な行為に出たら崩れてしまう。

葬式というのはそうしたものだ。人の死を横に置いて進めようなどという不埒(フラチ)な者が出たら、そこから綻びてくる。
その結果、弔いとほど遠い葬式が出てくる。

人の死を忘れた葬式はもはや葬式ではない。

8月7日追記
本件についてNHKに直接文句をつけた。その結果が次のようなものであった。
「このたびは、ニュース報道へのご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。
いただいたご意見は、担当者へ申し伝えます。
個別のニュース判断については、お答えしていません


NHKでは、公共放送として、正確で公平・公正なニュースを提供するため、
幅広い取材を行ったうえで、総合的な判断に基づいて放送するかどうかを決定しております。何とぞご理解いただきますようお願い申し上げます。」

これは担当者に伝えるが回答しない、ということではないか。こちらは「正確で公平・公正なニュース」ではないから問題にしているのだ。誤ったニュース報道の垂れ流しはよくない。改めて、再調査のうえで回答するよう要求している。

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コメント

先生、僭越ながら申し上げますが、『「死者を弔う」先に「生きている者の経済」が先にくるのはどう見ても異常なことである。』はさすがに言い過ぎかと思います。もちろん先生のご意見を最後まで聞けば、「経済を優先させるようなことは本来の弔いを目的とした葬式ではない、葬式風の別のものだ』と仰るのはわかりますが、この一文だけを取り上げられると、近頃よく問題になるツイッター炎上的な反発(一部の言葉だけが一人歩きして攻撃の対象になる)が起こりそうです。

「生きている者の生活よりも…」というのが「甘いことを」と言うようなうちはまだいいのです。事実、現在の社会で現場にいるとどれほどこれが声なき嘆きとしてのし掛かってくるか。
私も生活困窮者の葬儀を請け負う時にはやむなく値引きをすることがあります。その時にはご遺族は皆すまなそうに恥じ入られます。けれども私は、「皆さんは苦しい中でもできうる限りの支出をして大切な人を葬ろうとしているではありませんか。それなのに何を恥じることがありましょう」と言ってあげたい。

その意味では私も先生と目指すところは似通っているはずなのですが、そうであるがゆえにやはり冒頭の表現は手厳しすぎると思うのです。

高見さん、ご意見ありがとう。1文だけ取り上げる奴がいたらそれでいいじゃないですか。こちらはコンテキストで言っているわけだから。文脈無視して攻撃してどうなる!お金だけでかたがつくわけではない問題を金の問題に収斂させるのはやはりおかしい。私の展開で問題だったのは遺族の周辺に親戚だけを置いたことです。遺族をバックアップするのは血縁関係者だけではないですから。また家族がいない場合もそうです。たった一人でも、たった一人でいきるのは困難ですが、その死者の尊厳は確保されなければならない。たとえ1銭のお金がなくとも。そういうことです。
私は一人の生活者ですから、お金がどうでもいい、と言える立場ではないです。しかし、そればかりになるのは、と薄い財布を見て呟きます。

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