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2011年8月 3日 (水)

全仏「葬儀は誰のために行うのか②」に行ってきました

昨年の第1回はパネラーでしたが、下に昨年の9月に3回ほど書いています。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2010/09/index.html

今回は「報道」という名で行ってきました。全日本仏教会主催「葬儀は誰のために行うのか?②―「お弔い」とは―」が昨夜(11年8月2日)秋葉原で行われました。

全仏は度量の広さを示すかのように、葬祭事業へ参入し、お布施の金額明示を行い、全仏と激しくやり取りし、HPからはその「目安価格」表示を取り下げたイオンの担当部長である広原章隆さん、僧侶で株式会社として経営して葬式への僧侶派遣を行っているおぼうさんどっとこむの林数馬さんを招いた。
その他消費者の視点から日本消費者協会の佐伯美智子さん、若手の僧侶で強い影響力をもっている仏教情報センター事務局長の互井観章さん、コーディネーターは全仏事務総長の戸松義晴さん。それぞれが発表し、パネルでは会場から寄せられた質問を整理する形で意見を言い、対論する形。

昨年話す方に回ったときには、もっと意見を闘わせたいのに中途で終わった感があったが、聴く立場では途中休憩を挟んだ18時から20時45分(予定は20時半終了)という時間は適切であった。もっと聴きたいと思ったことは確かだが。

きょうは「葬儀料」「布施」を中心に報告というより私の意見。

イオンの広原さん。
「お葬式が変わる―絆を大切にするお葬式―」と題して話しました。
つまり、現状の葬儀価格が不透明で不満という意見をもつ人が多いので「イオンで心のこもったお葬式を、生活者に代わって提供したい(お客様代位機能)」というのが事業開始の理由だと説明されました。

葬儀サービスの品質面を強調「14段階、140項目に及ぶ品質基準を作成し、特約店研修を実施」し、抜き打ちチェックも行う、と言っていましたが、この「品質基準」「特約店研修」の中身を是非とも公開してほしいものです。この中身を知らずして品質の良し悪しを言うことはできないからです。
電話で訊いたときには「企業秘密」と電話に出た方は言っていましたが、「品質」を売り物にするなら必要な「情報開示」でしょう。これでは「イオンの葬式はいいと信じよ」というもの。

というのはHP上にある「参列者のマナー」、「喪主さまの基礎知識」があまり上等なものではないからです。また、喪主への配慮がなさすぎです。

例えば「喪主さまの役割」

喪主さまの主な役割は、会葬者の弔問を受けることです。雑用はあまりせず、故人さまのそばに付き添うようにしてください。
そのため、席を離れて挨拶にまわることは、あまり行いません。玄関まで見送るのは避けるのがしきたりとなっており、この際は失礼にはあたりません。

弔問には丁寧かつ簡潔に対応します。死んだ際の状況や死因に関しては、故人さまと親しかった人を除いてはこちらから説明することは控えます。
お悔やみの言葉などに丁重にあいさつをして、
「ありがとうございます。故人もさぞ喜んでいることと思います。」
などと、簡潔に礼を述べましょう。

「会葬者の弔問を受けること」が主な役割?
民法的には祭祀主宰者だが、遺族の代表くらいの意味。
近い人であれば精神的なストレスを強く受けていることが考えられるので親しい人と会話するのはかまわないが、喪主や遺族の心理的負担はできるだけ避けるようむしろ配慮したいもの。
「死因」については遺族から言い出さないのに弔問する人から訊くのは無作法だが、「喪主が説明しない」なんてだれが言っているのか?
人数が多いと答礼もたいへん、それこそ遠い親戚に換わってもらうとかしたほうがいい。感謝の言葉にそれほどの注意は不要。

こんな「喪主の役割」をアドバイスする会社は生活者の身になっている、とはたして言えるのか。

アラを探すときりがないが、どこが生活者代位なのか?
品質基準だって疑わなくては。葬式のことをよく知らない人があたかも知っているかのごとく上から目線で「教えよう」としているのが不埒(フラチ)。

葬式の価格も結局は人数と祭壇の大きさが基準になっている古臭いもの。
役務サービスが中心になっているのだから、それ中心にしない価格構成には信頼がない。どこが「明瞭」なのか?
遺族がどんな葬り方をしたいのか、死者への想いを訊かずしての見積なんてする方が乱暴というもの。「ダイヤモンド」並みの粗雑さだ。

もう一つ「葬式の後の会食」について触れるならば
遺骨を後飾りの祭壇に安置したら、「還骨回向」とよばれる法要を営みます。僧侶が読経し、合図があったら喪主から順に焼香をしていきます。
本来初七日とは、故人さまが亡くなってから7日目を指し(亡くなる前日から数えて7日目のことも)この日に法要を行うのが古くからの習慣でした。しかし、最近では、遠方から足を運ぶ親戚の負担を配慮して、還骨回向と初七日の法要を併せて行うことがほとんどです。
還骨回向の後、最後までお付き合いいただいた方へ精進落としの席を設けます。

いちいち「故人さま」「喪主さま」と「さま」をつければいいというものではなかろう。
私みたいなひねくれ者はすぐさま
「その『さま』づけやめてくれ」
と言うだろう。過剰な敬語表現は嫌なこった。

本来は還骨法要は自宅に帰り、後飾り壇に。でも一般的には斎場(葬儀会館)やレストランで行われる。ここに書いてあるように、葬儀後には本来は自宅に帰ってから行う還骨法要も後から行う初七日の法要も葬式当日に行ってしまう簡略型が一般化している。
法要の後に食事をすることが多いが、「精進落とし」と言うのは関東くらい。精進落としは本来は四十九日の法要の後に行うもの。全国でさまざに言い、大阪では、これでおしまい、と「仕上げ」と言うことが多い、「忌中祓い」「忌中引き」というところもある。仙台や長野では、法要後の会食を「お斎(オトキ)」と言うのでそのまま「オトキ」と言う。神葬祭では「直会(なおらい)」と言う。地域に合わせてと言いながらこれはないだろう。
最近東京では「精進落とし」と言うよりも「初七日」と言う人が多いのではないか。何て言ってもいいが、関東の方言を全国一般にするな。

葬祭斡旋事業と僧侶紹介は別として「檀家をもたなく仏教で葬式をしたい人」向けであることを強調。「菩提寺と檀家の関係には介入しない」と言明。コールセンターでは問い合わせてきたお客の宗教宗派、地域を訊ねて、僧侶への料金を訊ねてきた人にはその地域、宗派に合わせて「目安」を提示、「高い」という人には紹介する僧侶と直接話すように提案しているという。
またこの「目安」とする金額はイオンが作ったのではなく、数百人になる協力している僧侶たちの意見をまとめたもの、と説明する。

お布施は「地方や宗派で違う」からと言うが、最も大きいのは僧侶と遺族の関係だろう。遺族のこれまでのお寺との係わりや経済事情もあるだろう。
佐伯さんが報告した日本消費者協会の調査でも、みんな合わせて割った単純平均では寺院にお礼した金額は約50万円だが、事例としては1万円から約200万円とそれぞれだったという。
私が分析した例では20~30万円あたりと60~100万円あたりとに二分していた。

お布施は地域によって違う。10万円でも「高い」と言われる地域もあれば、60万円でも「安い」と言われる地域もある。でも地域の一般基準に無理して合わせることはない。
「宗派による違い」はあってなきが如しである。個別の寺による違いのほうが圧倒的に大きい。その地の宗派の相場に合わせる必要なんてそもそもない。

互井さんがお布施について95年の被災地神戸に入った時の経験を話した。袈裟でお坊さんとわかると、おそらくそこで家族あるいは近所の人が亡くなったであろう場所に連れて行かれ「お経をよんでくれ」と言われた。お経の後に一人の人が出てきて500円玉を握らせ、「今これしかないけど、とっておいてくれ」と言われた話を紹介した。これが布施だろう。

檀家であればいいが、檀家でない場合、いくら包んだら恥をかかずに済むか、この地での「相場」が訊かれる。それに答えるのが「親切」なのか?
あるいは住職からいくらと金額を指定してくる例がある。これも事情を双方に訊かなくてはいけないが、無茶だ。

私の友人の僧侶は檀家総代との取り決めで「檀家の場合10万円、檀家でない場合は15万円。もっとしてくれるのも歓迎するし、出せない場合は相談してくれ」というところがある。
檀家はふだんから何かと寺のために負担しているが一見さんはこれまで負担していないから高く払ってもらう」というのだ。
布施が寺の維持費に使われるなら、問題は住職だけではなく檀家の問題でもあるのだ。

商品の価格とお布施(キリスト教会のお礼や献金も同じだ)の違いはこうだ。
商品では、車で言えばクラウンなら400万円だがヴィッツなら130万円、軽自動車なら 60万円、と決まっていて、誰が買おうが同じ価格である。特別大売出しのときもあるが。
お布施はそういうものではない。檀家であれば葬式や法事で回り回って負担してお寺を維持していく費用。金銭に余裕のある家はたくさん出せばいいし、経済的に困窮している家は無理することない。
お金がない檀家のおばあさんは、毎朝寺の庭掃除をした。それに感謝しておばあさんの葬式では、住職はお金を求めないどころか、むしろ香典を出した、という事例もある。金以外の布施もある。

なかには「うちの寺の格から言って、信士・信女で50万円、院号大姉・居士は100万円」などとうそぶく僧侶が世の中にはいるから困る。寺格で布施を決めるなんてどういう了見をしているのか。

おぼうさんどっとこむの林さん
ここは僧侶が株式会社形態で僧侶派遣をビジネスとしているところ。
HPには「大切なのはその心」と書いているから「いい僧侶をより安く派遣」というつもりだろう。

するとお坊さんは「商品」だからクオリティを上げなくてはいけないと主張。
確かにクオリティが低い僧侶はいる。残念だが事実である。株式会社である以上、「よりいい商品をより安く」という考えはあっていいだろう。
しかし、それが僧侶の仕事か?
そこで求められるクオリティと寺の住職として求められるクオリティとは似ているようで違うだろう。

林さんは、檀家寺(檀那寺、菩提寺)をもたない人は「仏教で」と言っても「何宗で」と言う人は少ない、と言う。これは確かであろう。
「葬式では仏教で」と言っても何宗がいいかなどという知識をもたないほうが多いというのは林さんが言うとおりである。
檀家も生まれてきたときからどこかの寺の檀家になっているケースが多い。選んだわけではない。
住職だって、今世襲が多いから数ある宗派の中から選んでいるひとは少ない。
釈迦に起源を求める仏教でも広くて多彩だ。キリスト教でもイスラム教でもそうだ。歴史的存在としての宗教は現実体としては考え方や集団構成の仕方で教団という形をとる。
自分はどうか?
宗教者であれば教団の選択あるいはそれとの確執がついて回る。

松本の神宮寺の高橋卓志住職は「皆の宗」と言って宗派を超えた連帯を唱えるが、彼自身は臨済宗の僧侶である。
私も仕事柄、神道、キリスト教、仏教諸派に招かれる。そのたびに思う。偏見をもってはいけない、と。どこでも学ぶことがある。
宗派を超えた連帯は当然あっていい。だからといって宗派はどうでもいいとは思わない。
求める人は宗派はわからないだろうが、行く僧侶は自分の立場がはっきりしていることが大切だろう。宗派を離脱する形でも。

宗教者が葬式に係わるのには覚悟が必要だ。死者の弔いに参加するのだから。その覚悟と緊張こそが問題で、お金ではない。
遺族も同様だ。家族を弔うには覚悟が必要だ。
今回の大震災でも「弔う」ことが大きく問題になった。それは形でもお金でもなかった。
昨年は『葬式は、要らない』などとふやけたことが話題になった。人の死を前にして、要・不要、高い・安い、以上にやることがあるだろう。

過激な人の中には「寺は死んだ!」と言う人もいる。でも生きようともがいている僧侶もたくさんいる。私は彼らを大切にしたい。

布施の問題になると強欲な僧侶の話が出てくる。そういう人がいないわけではない。だが、多くの僧侶は贅沢なんてできない。むしろどう寺を活かすか悩んでいるのが多い。
昨夜もそうした僧侶がたくさん来ていた。

林さんの話を聞いていたら、この人は葬儀もするだろうな、と思った。別に僧侶は辞める必要はないが、「僧侶」を名乗るよりも「葬儀社」を名乗ったほうがいいと思う。

「布施」の問題が難しいのは、僧侶はそれで寺を現実に維持している、という問題だ。寺を維持するにはサポーターが必要だ。これは昔からの檀家にもう頼れない。自分の生き方に共鳴するサポーターを集め、一緒に寺を基盤に活動していくサポーターである。
そのためには寺の方向性を出さないとだめだ。

イオンもおぼうさんどっとこむも昨夜はよろいを着てかっこいいことを言おうとしていたように思う。
イオンの実態はそれほどでもないし、式の運営でも「おくりびと」が流行ったから納棺の儀式を入れたり、と結構ミーハー発想ではないか。品質管理をしようとしたら悩むこともたくさんあるだろう。
林さんのところも悩みがあるだろう。他の寺の悪口言って済む問題ではなかろう。
だいたいきれいな言葉(こころ、愛、絆…)は実際にやろうとしたらものすごく難しいのだ。キャッチフレーズだけでかっこうをつけてもだめだ。

大体が最近、「他は悪くてうちはいい」式の言い方が多い。これは明確な根拠がなく行えば「景品表示法(優良誤認)違反」である(第4条)

実際はけっこうみんな無様さを抱える。それでいいではないか。

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