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2011年10月 7日 (金)

松尾さん、少々批判が過ぎましたが

松尾さま

早速の返信、反論(前回のコメント参照)ありがとうございます。
私のほうも肝心の中世史の部分の紹介を省き、まことに失礼しました。

中世史の方では、神仏習合で官度僧が死穢を嫌った話は、かねがね寺院では葬式の際に柩を庭に置いたまま、中に入れても外陣までで「本尊を背に引導を渡す」などと説明されていますが、私は「嘘だろう、寺院にも死穢意識があって内陣に入れなかったのだろう」と言っていたものですから、少し補強されたようでうれしく読みました。

中世の民衆の葬法で風葬、遺棄の例は前から知っていますが、弔う者がいた場合どうだったのか、という年来の疑問があります。
おそらく「霊山」「霊地」と地域において言われたところの麓に置いてきた例も多かったでしょうが、共同墓地、関西に見られる埋め墓等、いわゆる土葬(埋葬)がなされただろう。共同埋葬地のようなもの、墓碑など立てずに。そういうものを前提にしないと後が続きません。それはけっこう普通のことなので文献にも現われていないのでしょう。
松尾さんは惣墓に共同墓を見、これを焼骨に限定しているようですが、北陸とか真宗が強く早くから火葬が進んでいた地域に見られますが、地域の共同の敷地が共同の埋葬墓地としてあった例もあることでしょう。これは葬祭仏教の誕生(室町後期)以前からあったのではないでしょうか。

土葬、火葬、風葬は世界各地で認められます。おそらくはどれが本家か、とも言えないと思います。
ムスリームの人々が火葬を強く避ける、おそらくローマ期あたりから異端との闘いからカトリックが火葬を禁止した(今は解いているが)、とかの事情はありました。

「仏教伝来によって日本では火葬が始まった」と説明されることがありますが、でも考古学上、日本では仏教伝来以前に火葬跡と思われる事例があることから、火葬の拡大に仏教は貢献したと思われますが、基本的葬法として仏教抜きでも成立したでしょう。
天皇の遺体が火葬されたのは早い時期ですが、何せ江戸時代までは火葬率は2~3割だったと思われます(明治中期以降のデータしかない)。江戸中期の寺請制度による仏教の事実上の国教化が図れたにもかかわらず)。

「遁世僧」についての説明は明確で納得しました。
「官度世界が乱れ、もう一つの世俗世界になっていった。そのため、『遁世』とは官僧世界を離脱して、仏道修行に励むことを意味するようになった」として、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西、叡尊も遁世僧であった、と断ずるところは小気味よく読ませていただきました。
松尾さんは、遁世僧が官僧の死穢意識に抗して葬祭に積極的に従事した、と高く評価しています。なるほど、と思いました。

素人が生意気にも言うならば、しかし、それが葬祭仏教と直結はしていないだろう、という感想です。
そういう動きはあったにせよ、仏教の民衆化に即つながっているのではなく、その間に、よく「近世のムラ」と言われるような民衆の生活基盤の変化と結びついてであり、その多くは初めから鎌倉仏教教団の組織的な活動ではなく、もっと自由度の高い遁世僧、民間僧侶が網の目のように民衆社会に入っていったことで民衆と仏教は結びついていったのではないでしょうか。
その収拾を本末制度等の形で江戸幕藩体制は後に整理していったのではないでしょうか。

寺請制度(葬祭仏教の完成態とでも言うべき)についても言うならば、松尾さんと少々見解を異にしています。
島原・天草の乱をキリシタンの暴動ととらえキリシタン取締り、キリシタンでないことを証明させることを目的に寺請制度を確立した、としています。
私はキリシタンあるいは日蓮宗の不受布施派を取り締ることはむしろ「名目」で、幕藩体制に寺院を組み込むこと、それで民衆末端までの支配管理体制を確立しようとしたのではないか、と思います。
そうして利用したいほど戦国期から江戸初期までの寺院の増加、民衆への浸透は目覚しいものであったからです。

中世仏教についてはこちらは素人ですから学ぶ点はたくさんありました。だが遁世僧を民衆がこれを受け入れた点のことを、もう少し踏み込んだ展開があったらよかった、と思いました。
私の紹介の足りなかったことの失礼はお詫びしておきます。

但し、松尾さんの反論について私も述べることがあります。
葬儀と存在論が「宗教学の常識」と仮にしても、それはおそろしく間違っている空論の積み重ねの結果に過ぎないと思います。
死者の弔い、葬りについてきちんと考察するならば、火葬について松尾さんが紹介したようなことは出るはずがない。私に言わせれば「宗教学の常識」で説明を終える話ではない。とても滑稽な話をしているのに気づかないのか、ということです。
だいたいが宗教学に批判的ですから喰わず嫌いということもあるでしょう。それゆえ「宗教学の常識がどうした」という感じです。学界がどうだ、というのは単なる権威主義です。
例えば、旧約聖書には「土に還る」(創世記3・24「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」、詩編146・2「霊が人間を去れば人間は自分の属する土に帰り、その日、彼の思いも滅びる」)という表現があり、キリスト教ではよく引用される箇所です。
でも旧約聖書自体が時代も風潮も異なるさまざまな文書の寄せ集めですから、それをもってユダヤ教、キリスト教の考えとすることは短絡的です。
松尾さんが土葬の前段、火葬について引用したことはどう論証できるのでしょうか。

エンバーミングについて研究されたとのこと、その論稿は残念ながら目を通していません。エンバーミングの処置についてはほぼ正しいと認めています。
問題は戦死者とエンバーミングの話の不正確さ、と「現在」というならばせめて2010年くらいのデータは使いなさいよ、ということです。2010年(1月~12月で集計している)では約1万2千件に日本では処置されており、88年より導入されたのですが当初は北米出身のエンバーマーが中心でしたが、今や日本人エンバーマーが主力です。エンバーミングの修復技術への過度な期待を含め、先の論稿が本書と同じならば、きっと同じ欠陥をもっていることでしょう。

カトリックについての理解には正直呆れました。
日本の生活仏教が葬式・法事が中心になっていること(収入の面から見ての話ですが)の比較においてキリスト教を取り上げていますが、「神父や牧師の仕事の主なものは、洗礼と結婚式と葬式の三つであり、葬式従事が主とは言えない」とあるのはキリスト教会に対する理解ができていません。

教会では毎日曜日の礼拝、ミサ(プロテスタントでは聖餐式)、教会員への牧会があくまで主体です。欧州では「税」の形態もありますが、これだけ世俗化がすすめば教会税は風前の灯です。
財源の主体はあくまで教会員による献金にあります。
日本仏教でも最近は仏前結婚式が出てきていますが、一般のイメージは葬式・法事と大きく重なっています。
葬式については、キリスト教は、ある意味では日本仏教より関係が深いです。基本として死者の看取りに立ち会うことから行われるからです。
もっとも欧米の既成のキリスト教団は急激に勢いを失っていて、教会離れは日本の仏教離れより深刻かもしれません。

松尾さんは散骨についても丁寧な説明を欠いています。「自然葬あるいは散骨といって、僧侶を招かずに、亡くなった人の焼骨を粉にした遺灰を山や海などにまいて「自然に還す」葬法が…」とあるのは事実に反します。
1つは「僧侶を招かずに」というのは散骨(自然葬)の条件ではないからです。葬送の自由をすすめる会の中心にいる人に仏教葬に批判的な人が多くいること、散骨する方は一般の人々に比べ「無宗教」を標榜する人の割合が高いだろう、という話を直結してはダメです。
一般の葬式をしないで散骨する人もいます。しかしそれは散骨(自然葬)を行う人の大半ではありません。
葬式(たとえ小型であろうとも)をし、火葬をした後に、その遺骨を墓や納骨堂に納めるのではなく、遺骨を細かくし(=灰になるわけではない)それを海や山に散骨するのです。
全部の遺骨(火葬場で拾骨したものが遺骨)を播く例も多いですが、一部は手元に置いたり、自分たちの墓に納める例も少なくありません。

散骨(自然葬)について法務省が正式見解を出した事実はなく、法務省に取材した朝日社会部記者(会と深く関係した人)が「現状で取り締りの対象ではない」という主旨のことを担当官が言ったことを「公認した」と朝日新聞社会面で大きく報道されたことが既成事実になったのです。それが、私が法務省の同じ担当官に取材して得た結論です。
とはいえ現実には「あくまで葬送を目的として(遺骨遺棄ではなく)相当の節度(遺骨を原型をとどめないほど細かくし、住む人に風評被害を与えることのないよう生活用水は避ける、海水浴場、養殖場の近くを避ける等の配慮をする)をもって行うのであれば違法とは言えない」というのが法曹界のおおよその合意になっています。

但し、北海道の長沼町で墓地として認められなかった業者が「散骨・樹木葬」の公園とし、民家に近い公園で、木の根元に原型のまま遺骨を置いたことから長沼町は散骨禁止条例をつくり、他でも一部ですが規制している自治体があり、葬送の自由をすすめる会が「葬送基本法」を作る運動を開始しています。(そもそも「散骨・樹木葬」という言葉はなく、その業者が作ったもので、葬送の自由をすすめる会も初めて「樹木葬墓地」をつくった祥雲寺(現在、知勝院)もその業者の行為を批判して、言葉だけで規制しないよう長沼町に意見書を出しています)。

松尾さんは「細かな部分」とおっしゃるかもわかりませんが「僧侶抜き」などという概念規定はどこにもありません。

「直葬」にしても葬儀式を行わないで火葬しますが、出棺前や火葬炉前で僧侶による読経、牧師による祈りといった宗教儀礼を見ることは少なくありません。

私が島田本のときのように松尾さんの本について批判するのは、専門外の現在の葬送事情等について書くときは、慎重に正確さを心掛けてほしいということです。

せっかくですから質問させていただくと、墓石の五輪の塔型への説明はありました。江戸時代の民衆の個人墓を見た例では石塔型(ほんとうに小さなものですが)が主流のようです。また明治末期以降に流行し、現在も多く見られる和型の三段墓は、江戸末期に起源し、仏教ではなく当時の福禄寿信仰の産物と思われます。僧侶は一生懸命に仏教的位置づけを話しますが、噴飯ものです。
ここに見られる如く、あたりまえのように習俗との習合が葬送にはあります。五輪の塔型は仏教的に説明できますが、寺請制度のすぐ後からこうした変化が見られることについても触れていただけたら現代につながります。

また、近世仏教文化の問題から言えば、コミュニティと仏教寺院が関係を深めていったのは江戸後期からであり、宗教施設、戸籍係だけではなく、学校、公民館…という生活仏教、地域仏教として深まる時期でもあった、という複層的存在であったと思われます。

松尾さんに同情するならば、中世、近世の仏教史を中心に書きたかったのでしょう。それを編集者が無理やりに「現在」を書くことを求めて書いたのでしょう。
専門でないところを書くときはくれぐれもご注意ください。

碑文谷 創

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コメント

先生方のやりとりを興味深く拝見しました。

私は松尾先生のこのご著書を拝見していませんので恐縮なのですが、碑文谷先生が引用なさった火葬と存在論にまつわる一節と、松尾先生のコメントにある「宗教学の常識」というやりとりについては少し不思議に思いながら拝見していました。

教義に火葬を持つ宗教が、その思想として創造と破壊(再生)の根源を火に置くというお話はなるほどと思います。その意味では宗教学的な常識と言われればそうなのでしょう。
しかし、一大火葬大国となった現代日本の民衆の多くが、宗教的見地から火葬をそのように受け止めているとは思えません。碑文谷先生の仰るように、日本の火葬は宗教的要求から普及したものではないはずです。
現在の国民はごく一部を除き選択肢のないままに火葬を行っていますし、火葬に対して宗教的にではなく心情的に嫌悪を覚える遺族たちにも何度も遭遇しています。
この本が日本の葬祭について書かれているのであれば、どのような脈絡でこのお話が出てきたのかがいまいち想像できないのです。

碑文谷先生の引用だけでは前後の脈絡がわかりませんので、松尾先生がまったく別のお話をなさっているのであれば申し訳ありませんが、少し疑問に思ったところです。

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