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2012年11月10日 (土)

孤独死、孤立死の用語はこれでいいのか?

3日前に久しぶりにブログを更新しようと思い立って、いつものように長く書いていたのだが、最後の段階で手順を誤り、なしの状態になった。

こういった失敗はこれで数度目。
ココログに嫌われている?

本日問題にするのは「孤独死」「孤立死」という用語の問題。
私もこれまではこの用語を使ってきた。
以下、『現代用語の基礎知識2012』

孤独死 単独世帯の増加により在宅でのだれにも看取られない単独死が増加している。なかでも本人の生前の人間関係が薄い一人暮らしで、死後2週間以上(なかには1年以上)経過し、腐敗し、さらに進行し白骨化されて発見される例が増加しており、これを単独死と区別して孤独死と呼ぶ。離職・離婚の中高年男性に多い。

これを間もなく発行される『現代用語の基礎知識2013』では次のように書き改めた。

 

孤独死(孤立死) 単独世帯の増加により在宅でのだれにも看取られない単独死が増加している。死後2週間以上(なかには1年以上)経過し、腐敗し、さらに進行し白骨化されて発見される例が増加しており、人間関係の希薄化が招いたと、これを単独死と区別して孤独死(孤立死)と呼ぶことがある。だが、価値観が多様している中、外部者が孤独死(孤立死)と安易に評価すべきでないという意見もある。2人世帯でも介護を必要とする人との2人世帯で保護責任者の突然死で2人とも死亡し、発見が遅れる事例も出てきている。遺体発見が遅れた場合、賃貸住宅の場合1千万を超える賠償費を請求され遺族が困惑する事例も増加。

なんということはない。自分が12年版で規定しておいて、13年版では「だが、価値観が多様している中、外部者が孤独死(孤立死)と安易に評価すべきでないという意見もある。」と自分で変えている。私にとってはこれは自己批判である。
丁寧に読み比べる人がいれば(あまりいないだろうが)「おかしいぞ」ときっと思うだろう。

実はこの間に共同通信から依頼されて『特殊清掃』(著書:特掃隊長。出版:ディスカヴァー・トゥエンティワン)についての書評を書いたときの想いがあった。この書評はかなり多くの地方紙に掲載されたから読んだ人もいよう。

まず自説の展開前に出版社の内容紹介を紹介しよう。

「特殊清掃を行う『特掃隊長』と呼ばれる男性のブログをまとめたものである。『特殊清掃』とは、遺体痕処理から不用品撤去・遺品処理・ゴミ部屋清掃・消臭・消毒・害虫駆除まで行う作業のこと。通常の清掃業者では対応できない特殊な清掃業務をメインに活動している。
孤立死や自殺が増え続ける、この時代。その凄惨な現場の後始末をするなかで著者が見た『死』と、その向こう側に見えてくる『生』のさまざまな形は、読者を不思議な感動に誘う。」
とある。

著者(特掃隊長)は「はしがき」で説明している。

「『特殊清掃』今はいろいろなところで使われている言葉だが、もとは私の会社がつくった造語。そして、当社は、この特殊清掃の先駆企業である。
仕事の内容は、人間遺体・動物死骸・糞尿・山積ゴミなどに関係する特殊な汚染汚損を処理するというもの。
凄惨な現場に遭遇することや過酷な作業を強いられることも多く、陽の目をみることが少ない汚仕事(おしごと)である。(略)
私は、今まで、幾人もの死を体感し、幾人もの生を垣間見てきた。
目に見えるものを片付けるなかで、目に見えないものをたくさん目の当たりにしてきた。
すべての儚さを思い知らされつつも、死痕を消して生跡を刻み、死を生に転化させてきた。
命とは、生とは、死とは何であるか、それを探求したがる本性に心を揺さぶられてきた。
そして、自問自答を繰り返しながら、浅慮も省みず、それらを本にして出版することにしてみた。」

はしがきを読んだときは、また「遺品整理」に関係している人が書いた、新味のない本、くらいにとらえて読んだ。読んでいくと強烈な違和感を覚える記述に出くわす。

書評だから結果は本を手にとった人が読んだうえで結論を得ることなので、全面的な批判は控えた。本を紹介した後、最後に次のように書いた。

 こうした仕事は、とかく遠ざけられ、隠されがちだから、報告を聞く者は驚く。遺体が放置されればどうなるかは、現代も古代、中世とそう変わらない。管理されない遺体は、ほとんど腐敗するし、その形状も臭いもすさまじい。著者の感覚はきわめて普通人のものだから、感じた状態の苛烈さやそこから見えた世相の観察も貴重である。

 だが、遺体の変貌は死のほんの一面である。人の死は、固有で、当人の生き方、周囲との関係性、心理的、宗教的観点など多様な側面からとらえられるべきものである。」

遺体は長く放置されれば腐敗するのはあたりまえである。中世では路傍に死者が放置されていたこともあったから腐敗遺体を目にすることはあったろうが、今では一般の人がこうした遺体を目にする機会はほとんどない。それゆえこうした遺体のたどる自然な腐敗過程に関する記述に驚く。
しかし、こうした遺体と遺体のあった場所に立った者が、死者に対して「孤独」「孤立」「無縁」とかの評価を、その現場を見ただけで下すのはおそろしく不遜なこと、と思えた。
これが記述変更をもたらした。

10月6日(土)の中日新聞・東京新聞の文化欄で「死に対する偏見―単独死は孤立意味しない」というタイトル(後半記者がつけたのだが)でこの問題について整理して書いたので、それに関する部分だけ以下紹介しておこう。


 

   だが、こうした単独死の事例を「無縁者の死」と決めつけ、死者を人間関係が希薄で孤独、あるいは周囲から孤立していたと一律断ずるのはいかがなものであろうか。

 1995年の阪神・淡路大震災で仮設住宅に入居した人が周囲に気づかれることなく死に、その遺体が死後相当経過した後に発見される事例が出て「孤独死」として注目を浴びた。最近では遺体発見が遅れたのは、死者が社会から孤立していた結果の死として「孤立死」と呼ばれることもある。今回の東日本大震災でも既に仮設住居内で死後相当程度経過して遺体が発見された事例があるとの報道がされている。

 単独世帯に住む人が血縁、地縁、社縁、あるいは友人関係という縁から孤立していたから発見が遅れた「無縁者の死」であると言われる。

  実際、遺体の発見が遅れた場合、腐敗が進行し、遺体は融解し、体液や血液が漏出し、腐敗臭がきつく、住居も相当にクリーニングしないと再度の利用が困難となる。

  長期間でなく死後数日以内でも夏や入浴中の死であれば腐敗は進む。

  通常の死であれば2,3日はけっこうきれいな遺体が多い。だが、少なくとも1割前後の遺体はそうではない。終末期の過剰医療の結果、遺体はより腐敗しやすくなっていて、そのさまから遺族は友人等が遺体と対面することを断わる事例は少なくない。

  そもそも死後数日間にあわただしく葬式や火葬が行われるのは、死後まもなく遺体が腐敗を開始するからである。エンバーミングを施すのでなければ遺体は腐敗する、という至極当たり前の事実がセンセーショナルにとらえられてはいないか。

  平成23年の国民生活基礎調査では単独世帯は25.2%を占める。現代社会は単独死のリスクを抱えている。だが死後の形状だけでもって第三者が「無縁死」とかの安易な論評をすることで遺された家族の悲痛が増すことになってはいけない。

  死者はものを言わない。しかしその生死には常に固有の物語があると思うべきである。それを知ったがごとく、死者やその家族を論評することは死者の尊厳への不当な介入ではなかろうか。


「特殊」という言葉にそもそも疑問がある。

今回の大震災で腐乱遺体に直面したり、仮埋葬された遺体の火葬するために行われた掘り起こしと再納棺の作業に携わった人たちには「特殊な作業」をしているという意識ではなかったろう。
どんな状態にある遺体でも可能な限り尊厳をもって取り扱い、遺族のもとに返し、死者が弔われる状態にすること、一人ひとりの遺体がその形状に関係なくかけがえがないことをその作業の過程で学んだはずである。

 

 

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