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2015年10月に作成された記事

2015年10月31日 (土)

戦後の葬送の変化の概略―その1

今の葬儀の変化について聞かれることが多い。
若い記者がきても、50代未満はバブル崩壊後の人たちである。
「高度経済成長期」といってもすでに歴史の話である。
今、個人化が進んでいる葬儀を当たり前として育った世代が中心になっている。
以下は問われて急いで書いたメモである。
2回に分けて掲載する。

葬送について、今は戦後第2の変革期の途上にあります。

墓については80年代末来の、葬儀については95年来の大きな革期にあります。
これは高齢者の世代交代、高齢化、家族解体、ターミナルケアとかさまざまな会変化に照応しています。
戦後では高度経済成長期、特に都市化を背景に葬送は大きな変化をしましたが、その論理が日本経済同様に変化を強いられています。

《第1の変革期 高度経済成長期の変化》

60年代~80年代の戦後第1期の変化は、

墓でいえば、都市化に伴い、大都市周辺に墓地需要が広がり、結果として家墓ならぬ核家族墓が主体となり、民営墓地が現れ、これを背景に墓石の高級化が主流となりました。

60年代以降火葬率が6割を超え、80年には9割超えしたことも大きな変化です。

葬儀では宮型霊柩車、祭壇の普及、会葬者数の増大、これらにより社会儀礼化進みました。

バブル期には個人の葬儀でも会葬者が300人前後というのが少なくない状態で、会葬者の7割が生前の故人を知らない人が占めるようになりました。

高度経済成長期の流行が画一的であったのと同様に墓も葬儀も画一化が進みました。

本来の喪服は遺族・親族の着用するもので、これは世界的にもそうなのですが、日本では黒を会葬者までが着用する「仏事の礼服化」が進行、浸透しま した。

死亡の場所は、1955年当時は78割が自宅で、つまり生活の中での死であったのが在では自宅での死が1213%、8割以上が病院等生活の場以外での死が一的になりました。

戦後、医療では高度化が進み、延命治療があたりまえのように行われました。

こうした時代状況について反発するように出てきたのが第2の変化です。

(続く)

 

2015年10月29日 (木)

家墓(イエハカ)の誕生史など

「墓(ハカ)」の問題が動き出したのは80年代の末。
戦後、旧民法に替わり新民法になり、「家(イエ)」制度が消えたのに、墓は家制度の残滓である慣習を引きづったままであった。
90年代には「うちは子どもが娘だけだから墓の跡継ぎがいない」と真面目に言っている人が多いのには驚き、呆れた。
しかし墓園業者、寺院の中にも真面目に言うのがいたのには腹が立った。

しかし、日本人の墓は高度経済成長期以降、実は既に大きく変質していた。
大都市近郊に民営墓地が増加したのは都市化により地方から都会に移動して、都市近郊に居を定めた核家族世帯であった。
彼らが非継承の核家族ながら「●●家」と刻した墓を、しかも家紋入りで、ブランド石で造っていった。
それまでは庶民でブランド石など使えなかったのだ。また、家紋が葬式や墓石に登場するようになったのは戦後の高度経済成長期以降なのだ。
皆「昔からそうだ」と騙されたのだ。あるいは見栄をはったのだ。

もともと武家等を除いて家紋はそれまでさほど重要性をもたなかった。
氏姓制度は大化の改新あたりに遡るらしいが、武士の氏が問題となるのは鎌倉時代以降で、明確になるのは江戸初期である。
戦国時代以降の混乱の中で、武家そのものが定着するのが徳川幕府成立以降である。
つまり「大名家」といっても農民出身の天下人秀吉の例を持ち出すまでもなく、室町前期に遡ることがほとんど不可能な者ばかりである。
(室町前期まで遡れるのは元総理の肥後細川家くらい、と言われるほど。それもせいぜい鎌倉期まで遡れるくらいだ。推して知るべし。)

平民の苗字は明治維新後の1875(明治8)年の「氏」制度に基づくものであり、そこで戸籍は姓と名をもつようになる。それ以降は姓はいわばファミリーネームである。
これが「家制度」として明確な位置付けをもつのは1896(明治29)年の旧民法(明治民法)以降のこと。
家墓というのは、庶民においてはこの旧民法の制定と1897(明治30)年の伝染病予防法制定に伴う火葬の推進による。

伝染病予防法制定の直接の契機となったのはコレラの大流行であった。

日本にコレラが入ってきたのは1822(文政5)年、徳川家斉の時代。1817年にインドで始まる世界規模の大流行が日本にも及んだ結果。
日本で第2回の大流行をしたのが1858(安政5)年、幕末で井伊直弼が大老に就任、日米和親条約が締結された年である。数万人以上が死亡。幕末の政情不安に少なからずの影響を与えたといわれる。
明治に入ってもコレラは大流行を繰り返し、1879(明治12)年以降は年に10万人以上の死者が出た年も数回ある。
伝染病予防法の直接の契機となったのが、1895(明治28)年の大流行。軍隊で集団発生し4万人が死亡。
これほど猛威をふるったコレラは、今の時代であるならばマスコミは大々的に報じ続けたであろう。
これが今でいう「感染症」である伝染病予防法を生み、火葬推進の引き金となった。

1つの墓石に家族が同時に収納されるのは土葬形態では困難である。火葬された遺骨となり複数の遺骨が1カ所に収納されることが可能となった。
当時は現在のような墓石の下に骨壺を収納するコンクリート製の収納所カロートはほとんどなく、墓石の下に砂利を撒いた上に骨を合葬するイメージである。

「カロート」というのは不思議なものである。おそらく戦後にどこかの墓石業者が考案して流行らせたものだと思うが、広辞苑にも「からひつ」語源説が紹介されているが、語源も定かではない。
現在でもカロートを設けていない墓地、地域がある。

よく「実家の墓に入りたいと思うが、次男や女なので入れない」と言う人がいる。
だが、これは戦前からの通説ではないだろう。
むしろ戦後になって家制度が崩れ、世帯単位になったことから加速された考えではないか。戦前の「家(イエ)」はもっと大きな単位で考えられていた。
墓なぞ皆で入ればいいのだ。今でも使用者が「いいよ」と言えば、親族は皆入れる。
もっとも寺の墓地であれば寺の了承は必要だが。それでも理解のある僧侶はこの間増えている。僧侶だって戦後教育を受けているし、絶縁するより甥でもなんでも墓を継いでくれる可能性が高い方が歓迎される、はずである。

火葬は現在は日本でほぼ100%。
しかし、日本の火葬率が6割を超えたのは戦後の1960(昭和35)年のこと、それから急速に伸びて1980(昭和55)年に91.1%と9割超え。
家墓が火葬を条件とするならば、家墓形態の一般化は戦後のことだと言ってもいいだろう。1900(明治33)年にはまだ火葬率は29.2%に過ぎなかったのだから。
もちろん大都市では江戸時代から火葬が一般化していたが、全国的視野で見ればゆっくりとした動きであった。

誰でも弔われ、葬られる権利があるのだ。
血縁直系にこだわる理由はない。血縁だって超えていい。
血縁にこだわらない永代供養墓や樹木葬は意外に多い。

2015年10月27日 (火)

墓じまい(ハカジマイ)のことなど

今年は季節がはっきりしている。
冬から春、春から夏、夏から秋、今は秋真っ只中にある。
昨夜から寝間着にしているTシャツを半袖から長袖に変えた。
昼間と夜間の温度差が激しい。

今「ハカジマイ」ということが結構話題になっている。
週刊誌的にはいい話題なのだろう。

少し前までは地方にある墓を住所地、例えば東京に墓を移す、「お墓の引越し」つまり「改葬」が話題になっていた。
遠隔地に墓があったのでは墓参が大変、という理由であった。

今はもう少し進んで、継承者の必要な墓は地方でも東京でも維持がたいへんなので、家族の墓を整理して、継承者を必要としない「永代供養墓」(合葬墓)等に移すことを言うようである。

少子化、生涯未婚率の上昇もあり、墓が家族で維持していけないというので行われるものである。
何やら「ダンシャリ」に似ている。

残る家族がいない、いても彼らに負担をかけたくない、という心情から出ているものであろう。
主として40代以上~高齢者までの、どちらかというと女性が動かしている。
80年代末からの「墓」を問う動きも女性がどちらかといえばイニシャティブをとって動かしてきた。
家族の変化に敏感に反応するのは女性なのかもしれない。
別に言えば男性は鈍感なのかもしれない。

しかしブームに乗じてビジネスチャンスにしようという輩もいる。
これには男性が多いように思うのは偏見か。

流行る「改葬」「墓ジマイ」であるが、もっと桁違いに多いのは地方の墓地の無縁化あるいは放ったらかしである。
こちらは意図せずしているのか、存在を忘れたのか、係累が途絶えたのか、意図的に放ったらかしなのかはわからない。

「お墓の引越し」も「墓じまい」も、法律的には2つとも「改葬」であり、改葬する元の墓所の原状復帰が義務とされる。
工事費は、最も典型的な1坪(今の東京では大きな墓所にあたる)では1平方メートル10万円程度と言われるので約30万円程度となるようだ。

墓地のある寺へのお礼は別にしてである。
(タマシイヌキ、等言われる)
お寺へのお礼はそもそも各自が各自の想いで行うことで、一般論を言うのもばかばかしいので触れない。

かつて「改葬費用約300万円」と言われたのは、20年ほど前には新しく墓を建てるのは250万円程度(今はもっと安い)と言われたので、原状復帰の工事費プラス新墓代として計算されたからである。

「新墓代」は新しい墓地をどこに定めるかによって大きく違うのはあたりまえ。
これは地方の一戸建てを廃して都会の一戸建てに立て替えるイメージ。
「墓ジマイ」にはそもそも新しく一戸建て墓を造るイメージはないだろう。

今新しく動いているのが「送骨」と言われるもの。
どこかの(どこでもいいのだろう、墓参をしない前提なのだから)永代供養墓、合葬墓で使用権を3~5万円程度で買い、そこに遺骨を持参するのではなく、宅急便等で送りつけるというもの。
これは法律的には「埋蔵」の一形態であるが、ほぼ「遺骨処分」である。
こうしたことを選択する必要性がある人もいるだろうから、一般論としては是非を問わない。

もっともこうした措置を行う人は少ないが、最近ではチョクチョク話題になる。

当然この間には業者が介在する。主としてネットが仲をもつ。
大手スーパーもこんな事業に手を出している。

引き受ける墓地の方の名前は名乗っているところもあるが、名乗っていないところが多い。
通常の墓地では売れなくなったので永代供養墓でも造れば売れるかな?と思って造ったが、ポリシーも特徴もないので売れ残った墓地が、骨壺単位ではスペースも取るし、後から改葬なんて言われるのは面倒だからと、「合葬なら」という条件で引き受け、日銭を稼ごうとするのもあるようだ。

もちろん必要性を痛感してポリシーをもってやっている寺院もある。
が、多くはそうではない。

地方寺院は都市の寺院と異なり、このところ過疎化も進み、財政基盤が弱くなっているところも多い。
いいか悪いかではなく、引き受けざるを得なくてやっているところもあろう。

なんかまた「ハカ」は「遺骨の処分場」になろうとしているのか。

(続く)

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