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2015年10月29日 (木)

家墓(イエハカ)の誕生史など

「墓(ハカ)」の問題が動き出したのは80年代の末。
戦後、旧民法に替わり新民法になり、「家(イエ)」制度が消えたのに、墓は家制度の残滓である慣習を引きづったままであった。
90年代には「うちは子どもが娘だけだから墓の跡継ぎがいない」と真面目に言っている人が多いのには驚き、呆れた。
しかし墓園業者、寺院の中にも真面目に言うのがいたのには腹が立った。

しかし、日本人の墓は高度経済成長期以降、実は既に大きく変質していた。
大都市近郊に民営墓地が増加したのは都市化により地方から都会に移動して、都市近郊に居を定めた核家族世帯であった。
彼らが非継承の核家族ながら「●●家」と刻した墓を、しかも家紋入りで、ブランド石で造っていった。
それまでは庶民でブランド石など使えなかったのだ。また、家紋が葬式や墓石に登場するようになったのは戦後の高度経済成長期以降なのだ。
皆「昔からそうだ」と騙されたのだ。あるいは見栄をはったのだ。

もともと武家等を除いて家紋はそれまでさほど重要性をもたなかった。
氏姓制度は大化の改新あたりに遡るらしいが、武士の氏が問題となるのは鎌倉時代以降で、明確になるのは江戸初期である。
戦国時代以降の混乱の中で、武家そのものが定着するのが徳川幕府成立以降である。
つまり「大名家」といっても農民出身の天下人秀吉の例を持ち出すまでもなく、室町前期に遡ることがほとんど不可能な者ばかりである。
(室町前期まで遡れるのは元総理の肥後細川家くらい、と言われるほど。それもせいぜい鎌倉期まで遡れるくらいだ。推して知るべし。)

平民の苗字は明治維新後の1875(明治8)年の「氏」制度に基づくものであり、そこで戸籍は姓と名をもつようになる。それ以降は姓はいわばファミリーネームである。
これが「家制度」として明確な位置付けをもつのは1896(明治29)年の旧民法(明治民法)以降のこと。
家墓というのは、庶民においてはこの旧民法の制定と1897(明治30)年の伝染病予防法制定に伴う火葬の推進による。

伝染病予防法制定の直接の契機となったのはコレラの大流行であった。

日本にコレラが入ってきたのは1822(文政5)年、徳川家斉の時代。1817年にインドで始まる世界規模の大流行が日本にも及んだ結果。
日本で第2回の大流行をしたのが1858(安政5)年、幕末で井伊直弼が大老に就任、日米和親条約が締結された年である。数万人以上が死亡。幕末の政情不安に少なからずの影響を与えたといわれる。
明治に入ってもコレラは大流行を繰り返し、1879(明治12)年以降は年に10万人以上の死者が出た年も数回ある。
伝染病予防法の直接の契機となったのが、1895(明治28)年の大流行。軍隊で集団発生し4万人が死亡。
これほど猛威をふるったコレラは、今の時代であるならばマスコミは大々的に報じ続けたであろう。
これが今でいう「感染症」である伝染病予防法を生み、火葬推進の引き金となった。

1つの墓石に家族が同時に収納されるのは土葬形態では困難である。火葬された遺骨となり複数の遺骨が1カ所に収納されることが可能となった。
当時は現在のような墓石の下に骨壺を収納するコンクリート製の収納所カロートはほとんどなく、墓石の下に砂利を撒いた上に骨を合葬するイメージである。

「カロート」というのは不思議なものである。おそらく戦後にどこかの墓石業者が考案して流行らせたものだと思うが、広辞苑にも「からひつ」語源説が紹介されているが、語源も定かではない。
現在でもカロートを設けていない墓地、地域がある。

よく「実家の墓に入りたいと思うが、次男や女なので入れない」と言う人がいる。
だが、これは戦前からの通説ではないだろう。
むしろ戦後になって家制度が崩れ、世帯単位になったことから加速された考えではないか。戦前の「家(イエ)」はもっと大きな単位で考えられていた。
墓なぞ皆で入ればいいのだ。今でも使用者が「いいよ」と言えば、親族は皆入れる。
もっとも寺の墓地であれば寺の了承は必要だが。それでも理解のある僧侶はこの間増えている。僧侶だって戦後教育を受けているし、絶縁するより甥でもなんでも墓を継いでくれる可能性が高い方が歓迎される、はずである。

火葬は現在は日本でほぼ100%。
しかし、日本の火葬率が6割を超えたのは戦後の1960(昭和35)年のこと、それから急速に伸びて1980(昭和55)年に91.1%と9割超え。
家墓が火葬を条件とするならば、家墓形態の一般化は戦後のことだと言ってもいいだろう。1900(明治33)年にはまだ火葬率は29.2%に過ぎなかったのだから。
もちろん大都市では江戸時代から火葬が一般化していたが、全国的視野で見ればゆっくりとした動きであった。

誰でも弔われ、葬られる権利があるのだ。
血縁直系にこだわる理由はない。血縁だって超えていい。
血縁にこだわらない永代供養墓や樹木葬は意外に多い。

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