« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月に作成された記事

2015年11月 6日 (金)

何でも寺社の責任か?

机の上(周りもそうだが)ごった返しになっている。
資料を捜すので掘り返していたら、「中外日報」の7月22日号が出てきた。

その「提言」に既知の人の第1回が掲載されていた。
この方、この間に僧侶の在り方に関する本も出され、僧侶研修にも活躍されているようだ。
寺の外から寺を見る人の意見は貴重である。
しかもこの人は僧侶と一緒に活動されたから、いろいろな僧侶の人なりも結構見てきた方である。

ここでの指摘は的を射ている。
「いまの中高生が戦争の話を聞いて響かないように見えるのは、彼らは彼らで、大変な時代に生きているからではないか」
と中高年の若者への「甘やかされた世代」「温室でぬくぬくと生きている」という「固定観念」に異議を申し立てる。

それはそれでいい。
「戦争体験」世代にしろ、その「体験」は貴重だが、戦争全体から見れば「部分体験者」でしかない、という事実に規定されているし、それぞれの世代が時代、世代の歪みを背負っていて、比較の対象とはならない。

どっちが過酷か、を個人レベルで比較できない。
戦争世代には犠牲もあったが翼賛、加担もあった、それを含めて考えないと「戦争」の実相は見えないだろう。

私が「戦争責任」を若い時代から問うてきた時に心していたのは、「今の安全な戦後だから言える」というものではダメだ、ということであった。
時代のせいにもしたくなかったが、その時代がどうであったかもきちんと切開して、都合の悪いことも見ていかなくては、と思っていた。
今もそう思う。

筆者が大人の先入観を批判して、今の若者が、競争が「昭和の頃より激化し日々が苦しい」のかもしれない、という見方を提示するのは、とても大切だと思う。
私は団塊世代の直前で「競争」とはおよそ無縁な世代であったが、それでも若い時は日々息苦しかった。
私も「戦争を知らない」第一世代であったから、よく年長者には「甘い」と言われた。

だが、「中外日報」という宗教者、特に仏教関係者を主とする購読者である新聞に寄稿したせいであろうが、結びに
「競争主義の対極にある寺社がまず、大人たちの色眼鏡をはずす役割を担うべきなのだ」とあるのは?と思った。

それは日本の宗教が、一部を除いて大半が戦争協力したという事実をきちんと切開できていない、ということだけではない。
これは寺社だけに負わせる課題ではないからだ。
寺社に期待するのは期待しすぎであるし、自らの責任を放擲しかねないことだと思う。
寺社の体質に問題があるとしても、ここまで言うのは、「何でも宗教の問題にする」と批判する側の安易さにつながらないか。

そんな感想をもった。

2015年11月 2日 (月)

戦後の葬送の変化の概略―その2

メモの続き

≪個人化する葬送≫

85
年以降、ターミナルケアの問題が顕在化します。延命治療中心への問題提起で、れは現在ではインフォームドコンセントが当然視されるまでになりました。

 90年代に入って大きな変化はバブル景気が破綻し、墓需要が急速に低下し、不になったことです。

 戦後世代が葬送の中心位置を占め、旧来の慣習がとおりにくくなったこと、高齢者が「迷惑をかけたくない」意識が一般化したことです。

この背景にはより核
族化が進展し、高齢者の夫婦だけ世帯、単独世帯の増加があります。

 社会現象的には95年の阪神・淡路大震災以降、単独世帯での単独死(孤独死、立死と言われるもの、但し価値観が入った言葉なので使いたくない) が珍しものではなくなりました。

 家族地域社会を背景にした葬儀は、家族の解体、地域社会の弱化を背景に個人化、小型化への方向に進み、2000年以降はこれが主流になりました。

 死の生活離れに呼応するように80年代後半から進んだ斎場(葬儀会館)競争が化し、自宅での葬儀が一般的であったのに2000年以降は斎場(葬 儀会館)で葬儀が7割以上と現在では中心になっています。

 昭和天皇の葬儀で洋型霊柩車が使用されたのを契機に宮型離れが急速に進み、では宮型霊柩車は1割程度にまで減少しました。

 葬儀の祭壇では宮型の輿が主流でしたが、急速に生花祭壇が中心になっています。

 経済的には2008年のリーマンショックと経済格差の広がりが葬送の変化を後押しました。

 葬儀をしない「直葬(ちょくそう)」も全国平均で2割弱を占めるようになりました。

 ネット起業の「安さ」競争の結果、安いだけで期待するサービスを受けられなかったという不も顕在化しています。

 墓については戦後の家族の変化、非継承性が大きく変化を促しました。

 85年に比叡山で永代供養墓、久遠墓が出ましたが、特に当時は話題になりませんでした

 80年代末から90年代初頭にかけて継承を必要としない永代供養墓(例、新潟の光寺、京都の女の碑の会、東京巣鴨のもやいの碑)が話題を集めるようになました。

 91年には葬送の自由をすすめる会が相模灘で散骨(自然葬)を実施しました。

99年には岩手県で樹木葬が開始されました。

 今や亜流も含めてさまざまな形態が出てきています。

墓についての選択では、7割が既存の墓地とする回答はこのところ変化ありまんが、新規の3割に変化が見られます。

 その3分の1は従来の墓ではない、永代供養墓(合葬墓)、散骨、樹木葬を選んいます。

 死者に対する意識も変化しました。

 昭和初期には80歳以上の死者が全体の死者に対する割合が5%未満でしたから、80歳以上の死者の葬儀は長寿を祝するようなお祝い的に派手に行わ れました。

 現在では80歳以上の死者は全体の死者の約6割を占めます。
高齢者の死ほどひっそり、小さく行われます。

 死者を弔うのが家族、血縁者とは限らなくなっています。

 その家族の死者に対する心情が2分化しています。
要するにより親密化する傾向と反対に疎ましいものとする二極分化です。

 過去の葬送習慣、慣習は地域が継承しましたが、今では地域慣習は薄まり、また70年代以降は葬祭業者に委託するものへと変化てきたので、慣習の継承者がむしろ葬祭業者になっています。

 今では死や葬送については「知らない」「わからない」が、高齢者を含めて一的になっています。

 ※新しい葬送形態の一つに「宇宙葬」を挙げる人がいる。「宇宙葬」は、宇宙へのロマン感情を利用して宇宙にゴミとして撒くが如き(実際には大気圏突入時にも燃え尽きるというが)の高額ビジネスに過ぎず、葬送とはおよそ反する行為ということで私は最初から反対している。これを報じるマスコミも事業の宣伝に加担している。1グラムで45万円、7グラムで135万円というばかげた金額だ。宇宙葬について古くは「サンデー毎日」にコメントを求められ、反対意見として掲載されたが、一昨年に毎日新聞から執拗にコメントを求められ、「そもそもマスコミがつまらない1事業の宣伝に加担すべきでない。反対意見でもいいか」と念を押した上で発言した。コメント内容も確認し、「記事にする以上、反対意見として掲載する」と記者が明言したが、何の断りもなくカットされた。夕刊一面で、新しいニュースでもなんでもないのに大きく報道された。以後何の断りも弁明も連絡もない。記者として不誠実だろう。おもしろそうであるというだけで、反対意見があることは切り捨て、報道して読者を煽る。「報道の自由」「報道の中立性」が聞いて呆れる。

今、「終活」ブームがあります。
これはあまりプラスには考えていません。

もっとも死をないかのようにタブー視した戦後日本がいいわけではありません。
人の死は極めて人間的な出来事であり、これを直視することは極めて当然なことです。
私も、このブームにお墨付きを与える結果を招いた経産省「ライフエンディング・ステージ」第1回報告書(2010年)の作成には2晩徹夜する等深く関与しましたから、現在のブームの責任の一端を担っています。

しかし「終活」ブームの背景には、高齢者の不安感を必要以上に煽り、ビジネス化を図るという事業者の意図が透けて見えるような気がして、危惧しているからです。

 

 

 

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

仲間

ウェブページ