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2015年12月に作成された記事

2015年12月 2日 (水)

戦争体験の一つの局面

水木しげるさんが亡くなった。
公式サイトに書かれた水木さんのプロフィールは
1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。
太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。
復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など。
とある。
1922年とは大正11年生まれ。93歳。1945年の敗戦を23歳で迎えたのだから、戦闘の最前線に生きた世代である。

この世代はそのほとんどが第一線に赴いた。
戦闘の第一線は若者である。戦争末期には40代の老兵も徴兵されたが、第一線を担ったのは20代の兵士であり、歴戦の30代であった。

「ラバウル」ば「パブア・ニューギニア領ニューブリテン島の都市の名前であるが、ドイツ統治の後豪州が統治していたが、1942(昭和17)年に日本軍が占領、この方面の一大拠点となった場所である。
21歳で召集された水木さんは陸軍のラバウル方面隊に所属、爆撃で左腕を失っている。
戦争体験も作品にしているが、水木さんの現地の人たちへの対応は,軍人としてより生活者としてのものであったようだ。多くの若い兵士たちが戦争に殉じたのと比べると特異なものであったと言ってよいだろう。

水木さんを追悼する番組の中で、コメントした人が、若い兵士たちにとっては戦争は「災害」のようなものだった、と言っているのを聞いて、思わず「?}と思った。

兵士たちが戦争を起こしたのではない。若い頑健な体力をもつがゆえに第一線に送られ、戦争を強いられた。
戦争初期には勝利の高揚もあったろうが、その多くは敗退戦であった。
当然第一線にいた若い兵士たちの犠牲が多かった。
「出征」という自由意思の形を取っていたが、それはほとんど自由意思によるものではなく、強制によってであり、どこに赴くか、どう行動するか、ほとんど選択の余地がないものであった。

軍隊生活はそうした強制もあり、人間の素がもろに出た、「非人間的」「暴力性」も人間ならではの地を露呈するものであった。
兵士たちは周囲の人間にそして自分に「人間」というものの裸の姿を見ざるを得なかった。また、軍隊生活は生活である側面もあたりまえにもっていた。
番組でも語られていたが、元兵士たちは「運」と言う。
自分の隣りの人間が死に、自分が生き残る、そこには何の理由もない。
生と死を隔てるのが「運」という極めて根拠のないもであることを身をもって知った。

その元兵士たちのほとんどはあまり兵士時代の己の体験を語らず、死んでいった。

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