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2016年11月に作成された記事

2016年11月28日 (月)

四畳半からの近況報告 2016.11.28

YouTube「びきまえ」400回が公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=E7u-j6_tWfs

前から「文章はいいがトークは今いち」と評されることが多かったが、下手なトーク、滑舌の悪さはあいかわらず。

「東西の拾骨の違いはなぜか?」 が今回の話の中心。


『週刊現代』12月10日号が発売されたが
私が書いた、鵜飼秀徳『無葬社会』(日経BP社)の書評が掲載されている。
※dマガジンで読める。
これについては改めて書く。
 
先日、互井観章さん(日蓮宗経王寺住職)と話した。
地域さらに家族からも離れ看取る者、弔う人もいないときは最終的に誰が?
という話になった。
法律的には死亡地の市区町村の仕事とされている。
実際には社会福祉事務所の職員。
だが、彼らには職務以上のことは期待できない。

では?
という話になった。
途中(これが重要なのだが)を省略し、結論だけ述べるなら、

葬儀社の社員は立ち会う、僧侶も志があれば立ち会うことが可能。
最後に立ち会うことになった葬祭従事者、僧侶が覚悟をもって供養する必要がある。
というのが私の結論。
その覚悟がこれからますます必要になるように思う。
 
 
昨日は樹木葬のパイオニア
千坂げんぽう和尚(岩手県一関市祥雲寺、知勝院先住=前の住職)
が上京したので荻窪駅前の喫茶店で話をする。
彼は中学時代の同窓会の会長も務めている。
http://www.jumokuso.or.jp/
 
私を心配をして会いに来てくれた。
先日の毎日新聞「ひと」もコピーして同級生30人に配ってくれたという。

彼が力を入れている「久保川イーハートーブ自然再生事業」の新しい展開を聴く。
http://www.jumokuso.or.jp/kubokawa/index.html

「樹木葬」がいつの間にか墓地内に木を植え、その下に遺骨を埋蔵する形態「樹林葬」が盛んになっているが、最初は自然保護と葬送の両立にあった、ということはもっと考えられてよいと思う。
東京都にいたっては、いかに効率よく、たくさんの遺骨を埋蔵できるかが関心になっている。

散骨、樹木葬が同列に論じられ、「遺骨処分」と考えられることが多いが、理念なき計画者に問題がある。
「自然葬」と言われた散骨にも当初は理念があった。
すべてを消耗し尽くす商魂には腹が立つ。
理念なき永代供養墓が売れ残り、そこが今日銭を稼ぐ「遺骨処分」場化している。
 
 
ひっかかっていた原稿をようやく書き上げ、初校戻しを土日にかけて行なった。
原稿でのポカ癖はあいかわらず治っていない。
その分、デザインのKさんには迷惑をかける。
申し訳ない。


落ち着かないので四畳半の窓に毛布を張った。
家人に「ますますホームレスの住処になった」と嗤われた。

2016年11月23日 (水)

恥ずかしながら「びきまえ」が公開、そして自棄酒

昨日は温かかった。
また明日からは寒くなるらしい。
関東にも雪が降るかもしれない。
ラジオによると7割の確率で雪らしい。
北海道はすでに雪の時期に入っている。
温暖差が激しいのは身体にきつい。

さて、一昨日からこのブログのアクセス数が少し上昇した。
更新もしていないのに「なぜ?」と思ったが
https://www.youtube.com/watch?v=0P_zLhjEsSY&feature=em-subs_digest

のせいのようだ。
YouTubeの「びきまえ」という友引前に更新される番組で、399回目だ。
私の雑誌が156号で閉じたので、継続力は感嘆に値する。

S水さん(ここでは名前をそのまま言わず頭文字とするのが約束ごと。レギュラーのS水さん、S藤さん、S木さんは旧知の仲、S本さんが初対面)が、以前の番組で、私からの電話を「不幸の電話」なんて言っていたが、ついに私に出演要請がきた。

「事務所を閉じることになったがいいか?」
と念を押した結果、ありがたいことに「かまわない」とのことなので出演を了承。
S木さんの会社のビルで収録。
後1~2回続くのだろうか。

自分の声を改めて聴くと「歳をとったな」と思う。
初対面のS本さんは声のプロ、さすがにいい声をしている。
私みたいなロートルを歓迎してくれて恐縮。S本さん感謝!
私も「H文谷」で出演した。
気持ちのいい時間を過ごさせてもらった。
こうして「仲間」として扱ってくれる人たちがいるのはうれしい。

だが、こうしたうれしい話ばかりではない。
このところ業界ではすっかり「犯罪者」扱いされている。

いろいろ言われることは覚悟のうえだった。
しかし、これからの発言を倒産したからと変えるわけにはいかない。
遠ざかる者は追わず、信頼してくれる人が数人だけでも、そのために表現者であることは辞めない。

そもそも「儲け」を第一義にしていたら25年半もやってこない。
10年以上前に辞めていた。

これまで「仲間」と思っていた人すら、相変わらず信頼してくれる人と腰が引ける人とに大きく分かれた。
私の人徳のなさだ。
これまで私を「うるさい」「やりすぎ」と思っていた人たちが業界内に少なからずいたことが、よ~くわかった。

倒産のニュースを耳にして、原稿を依頼してくれる人もいるから、それはとてもうれしい。

多くの人にとって「倒産は人生からの落伍」であり「皆に損失と迷惑をかける行為=社会的犯罪」と見做されることなのだと思う。
そう思っている人がたくさんいて、「存在を許さない」と思っている人がたくさんいる…ということがよくわかった。

私が原稿内容を批評した人間が、いくら働きかけても私には応答しないでいて、私が倒産ということになると、会う人に「知っている?」と楽し気に言って回っていたという。
「へッ」と思う。

しかし「破産はいのちまでは盗らないから安心しな」と励ましてくれた人が何人かいた。
表現者にとって「いのち」とは表現することだ。
だから、相当悩んだが、裸一貫となったが、個人として表現者であり続ける、と覚悟した。
年齢からくる身体の衰えには勝てないが、後を続く人への道を拓く、受け渡しをするまでやってみよう、と思った。
これからはむしろ仕事をどう受け渡すかが私の仕事なのだろう。
70歳は表現者としては「賞味期限過ぎ商品」なのだろうが。

でも、正直、やれるかどうかは覚悟だけでできるものではないから、再びの「敗北宣言」をここで書くハメになるかもしれない。


今回、倒産ということで迷惑をかけるが、それを最小限にしようと思った。
特に、私が書いたが、いわば公有財産については、権利関係を無視して、残せるようにした。
いずれ再評価されるかもしれない。それまで待とうと思った。

だが、早速きたのは「追い打ち」だった。

昨夜は家で、〆切のきたゲラ校正をメールで出版社に返した後に、自棄酒を呑んだ。

なお、書いたのは鵜飼秀徳『無葬社会』(日経BP社刊)の書評だった。
これについては雑誌が発売後に詳しく書いてみようと思う(雑誌発売前に書くのは出版仁義にもとるので)。

もう一つ報告しておくなら、新発売の『現代用語の基礎知識2017』にも例年どおり署名入りで書いている。死と葬送について論じるなら、せめてこのくらい読んでくれよ、と思っている。近年は「素人」ジャーナリストが、不勉強のまま書いているのが目立つ。

本日のブログ、後半は、はっきり言って「愚痴」である。

2016年11月13日 (日)

四畳半からの近況報告 2016.11.12

冬の寒さ到来か、と思ったが、少し温(ぬく)んできた。


11月11日、このブログのアクセス数が増加した。
朝8時から
これは当日の毎日新聞朝刊「ひと」で紹介されたからだった。
恐るべし、マスコミの影響力。
http://mainichi.jp/articles/20161111/ddm/008/070/051000c
 
少し痩せたのではないか、と心配してくれるメールがきたが、写真の角度のせい。
むしろもっと痩せたほうがいい状態が続いている。
記者が最終号となった雑誌『SOGI』154・155合併号(2016年8月10日発売)で一挙掲載した「死と葬送」歴史年表を評価してくれたのがうれしかった。
 
実はこの年表は2010年に1年かけて書いた。
こうしたテーマで古代から現代までを通史として、社会・文化の変化を参照しながら書いたものがなかった。
私自身がこうしたものがほしくて書いた。
1年間かけてけっこう苦労して書いた。
雑誌に全部を掲載しきれないので6回に分けて掲載した。
 
雑誌掲載時は反応がほとんどなかった。
「こういう作業は評価されないんだ」と結構落ち込んだ。
読者に関心のないものを押し売りしているのではないか、と思った。
 
合併号としたのは、私の執念であった。
分冊では全体を見ることができない。古代から現代までを通史として見てもらいたい、ということで再提出したものであった。
2011年(3.11!)から2016年6月までをスタッフの助力を得て追加して完成させた。
おかげで多少評価してもらった。
だが残念ながら雑誌を継続する余力が尽きたので、これが最終号となった。
 
事務所を閉鎖したため最終号をお分けするすることができないのは残念。
問い合わせがいった毎日新聞にはご迷惑をおかけした。
主要な図書館では閲覧できるだろう。
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館では創刊号から最終号まで閲覧可能となっているはずであるが確認はしていない。
 
歴史年表を編みながら改めて痛感したのは、災害、飢餓、そして感染症が人間にとって脅威だったことである。
「死の穢れ」について民俗学や文化人類学では人間の現実を無視した蛸壺議論がなされてきた。
かつて「疫病」と記述された感染症への恐れを公衆衛生的知識がないものだから、今から見ると?と思われる形で表現しようとしたものであった。
 
「表現文化社」時代は、通常は10時から23時頃まで平日・休日関係なく事務所にいた。
今はこの時間を自宅の四畳半で過ごしている。
やせ我慢ではなく、このくらいの空間がいい。
FMのJ-Waveを流しながら原稿書いたり、本を読んだり、メールを書いたりしている。
外出する機会は激減した。
でも往復2時間の通勤時間がないこと、昼に何を食おうか悩むこともないので楽である。
精神的には少し落ち着いた。
身体は今のところ問題はない。

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