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2016年12月に作成された記事

2016年12月31日 (土)

お墓の引越し、墓じまい、遺骨処分等―「改葬」問題のコンテキスト②

お墓の引越し、墓じまい

2015年10月27日、このブログで「墓じまい」について書いた。

今「ハカジマイ」ということが結構話題になっている。
週刊誌的にはいい話題なのだろう。

少し前までは地方にある墓を住所地、例えば東京に墓を移す、「お墓の引越し」つまり「改葬」が話題になっていた。
遠隔地に墓があったのでは墓参が大変、という理由であった。

今はもう少し進んで、継承者の必要な墓は地方でも東京でも維持がたいへんなので、家族の墓を整理して、継承者を必要としない「永代供養墓」(合葬墓)等に移すことを言うようである。

少子化、生涯未婚率の上昇もあり、墓が家族で維持していけないというので行われるものである。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2015/10/post-4a92.html


ここでも触れているが、今「改葬」は主として「お墓の引越し」と「墓じまい」の2通りで話題になっている。
経緯的に言うならば、「お墓の引越し」が90年代から問題になり、2010年代から「墓じまい」が問題になった。
「お墓の引越し」は都市化、つまり地方から都市へという人口移動がもたらした問題であり、「墓じまい」は少子化や家族の解体がもたらした問題、ということができる。
この2つはつながっている。
「墓の承継者不在」が問題となり、承継者を必要としない墓である「永代供養墓」が登場し、話題を集めたのは90年代である。
その後に現れた「散骨(自然葬)」も「自然回帰」だけではなく、承継者不在が背景にあるし、90年代末に現れた「樹木葬」も「自然回帰」「自然保護」「承継者不要」ということを背景に登場した。

そして新しく登場した「墓じまい」はその後処理として「永代供養墓(合葬墓)」「散骨(自然葬)」「樹木葬(樹林葬)」が選択されている。
つまり、90年代の新しく登場した「承継者不要」の葬法が「墓じまい」に道を拓いた。


遺骨処分

そして「墓じまい」は今新しい局面を迎えている。
それは「遺骨処分」ということである。
「0(ゼロ)葬」と言われる火葬後の骨上げ放棄であったり、「送骨」と言われる3~5万円でのゆうパックでの永代供養墓への火葬後の遺骨の送り付けである。


「墓」以前の問題であるが、そもそも「遺体引き取り」されないケースが多い。NHKが2010年に「無縁社会」で調査した結果が、年間で行旅死亡人が1千人、身元は判明したが縁者に遺体引き取りを拒否された遺体が31,000体であった。
2016年それが推定で約5~6万体になっているのではないか、というのが私の推定。

「引き取られない遺体」はそのまま「引き取られない遺骨」になる。
しかし、「引き取られた遺体」でも「引き取られない遺骨」になる事例はある。
火葬まではするが、それ以上を拒否する例である。
これは今ほど多くないが古くから(80年代から)少しずつ見られた。
火葬すると縁者がドロン、火葬場に残された遺骨は「取りにくるかもしれない」というので保管される。
保管期間は最低5年というのが多いようだ。
その後は行政や理解のある寺等の墓地が合葬墓や納骨堂に引き取られる。

私が注目したのは「いやいや引き取られた遺体」の存在である。

気持ちが落ち着かない、というのもあるだろう。
また単独者の死の場合、引き取られないのは圧倒的に「遺産がなかった」事例が多いだろう。
別な言い方をすれば、
「本当は引き取りたくないのだが、遺産があるため仕方なく遺体を引き取り火葬にした。しかし、その後の遺骨までを守っていくつもりはない」
という人が「遺骨処分」を選択する。
(これがすべてではなかろうが)

今や3~5万円で個別埋蔵ではなく「合葬」ということであれば引き取る寺、墓地は少なくない。
その代表が「送骨」である。


骨壺での埋蔵、カロート

そもそも骨壺に入れて個別埋蔵が増えたのは戦後のことである。
骨壺での個別埋蔵が可能なように墓所には言葉の起源がはなはだ不明な「カロート」が設けられた。
理由の一つは「改葬できるように」であった。
石材店は骨壺に入れた状態での個別埋蔵が「丁寧な供養」と勧めたのであろうが、その結果、遺骨が土に還ることはなくなった。

もっとも近年の先端が1200度、平均800度という高熱で火葬された焼骨はなかなか土に還らなくなったということだが。
カロートの広さは有限だから、骨壺でいっぱいになると古い遺骨から骨壺から空けられる。


墓の変容

「墓」の歴史は確かに古い。
しかし、今の墓の形態が昔からあったわけではない。

民衆が墓をもち出したのは室町後期以降。
貴族であっても平安期にはさほど墓を意識しない例は多かった。
土葬が多かったから遺体を埋葬しなければならない、という意味では墓はあったが、多くはそんな立派なものではない。
土葬が多かったこともあり、江戸時代までは個人墓が多い。
火葬墓も土葬墓も墓石はあっても小さいもの。今の墓石と比べるとすこぶるささやかなものであった。

「家墓」が多くなるのは明治末期。
「家」を基礎にした明治民法とコレラにより伝染病予防法ができ、火葬が推進されたことによる。

私の曽祖父の墓が品川の東海寺にあるが、その墓石は大きい。側に今の墓石の大きさに近い大きさの曾祖母の墓石が並んでいる。
しかし大きいのは曽祖父が陸軍の将軍だったからである。

近くの寺院の墓地に行ってみて気づくのは日中戦争、太平洋戦争で戦死した者等の墓石の巨大さである。
戦死者の墓が巨大化し、死者の戒名に院号が付けられるようになる。

日本の火葬率は現在ほぼ100%であるが、火葬率が6割を超えたのは1960(昭和35)年のこと。
全国的に今のような家墓形態が増えたのは60年代以降だと言ってよい。

60年代以降に高度経済成長を背景に墓も変容する。
御影石等のブランド石が用いられ、民衆の墓石には家紋が登場する。
死者の戒名に院号がインフレのように付けられ、葬儀でも提灯や水引幕に家紋が付けられた。

「家紋」だから古い、と思っているだろうが、士族は別にして民衆が家名をもつのは明治維新以降。1875(明治8)年以降のこと。
葬儀社、墓石店が「付加価値」として高度経済成長期に家紋を普及させた。

戦後民法は「家」を廃し、結婚を機に新しい世帯を作る核家族が基礎となる。
高度経済成長を背景に続々誕生した家墓は実態は核家族墓である。
「マイホーム」が流行語となる。
今日のように「持ち家」の名前で使われるようになるのはもう少し後である。

核家族であるから子のいない世帯は継続性がない。
80年代には両家墓が都市の墓地では珍しくなくなり、墓の非継承性が問題となる。
80年代末から脱継承の「永代供養墓」が登場し、話題を集める。


生涯未婚率の上昇、単独世帯の増加

しかも近年は結婚そのものが選択肢になっている。

国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集2016年版』
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2016.asp?chap=6
によれば、
50歳時の未婚割合(生涯未婚率)は
1960(昭和35)年 男性1.26%、女性1.88%
(圧倒的に既婚が多かった、既婚者でも女性は70年代まで死別が多かった。夫の戦死経験者が多かったからである。)
2010(平成22)年 男性20.14%、女性10.61%
これが2035年頃になれば生涯未婚率は男性4割、女性3割になるだろう。
離婚も増えた。
離婚数は年20~30万件、婚姻数が60~80万組に対して3割近い。

『平成27年国民生活基礎調査の概況』
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa15/index.html
によるならば
平均世帯人員は、1953(昭和28)年が5人、2015(平成27)年には半減の2.49人
単独世帯の割合は1983(昭和61)年が18.2%、2015(平成27)年には4分の1を超える26.8%。
高齢者世帯の割合は83年が6.3%だったのが、15年には4分の1を超える25.2%。
「超高齢社会」と言われる。
高齢者(65歳以上)がいる世帯の単独世帯も増加しており、83年が13.1%であったのに対し、15年はやはり4分の1を超える26.3%。
「お一人様の死」はもはや少数者の問題ではない。

「家族」は3分の2の人にとって親密な感情をもってとらえられる言葉であるが、3分の1の人にとっては疎遠な感情でもってとらえられる言葉になった。

こうした変化は当然にも、葬儀、墓に影響してくる。

※この項続く。「改葬」を論じるつもりが、だいぶ横道に逸れている。

今でも読まれている昔の記事

このブログ「碑文谷創のはざまの日々」をココログに掲載始めたのが2005年12月。
ちょうど11年になる。

正確にはその前ヤフーで書いていた時期がある。
ココログでは記事数は373本でしかない。
1年にすると約34記事だから月に2.8本、約3本というルーズさである。
半年以上手をつけなかった時期もある。

アクセス記録を見ていると、1年前以前の記事がまだ結構読まれていることに気づく。
古い記事が読まれるということは、検索キーワードに合致しやすい、ということが多いせいであろう。
その意味では、私の書いた記事の良さを反映するものではない。
その一例をランダムに以下に示す。

2014年1月20日
青木新門『それからの納棺夫日記』を読んだ
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2014/01/post-e5fa.html
青木新門さんは『納棺夫日記』で有名。
だが、この本も必読の本である。
新門さんは、いわば私の恩師である。
だいぶ書いているものは違うが。
新門さんは今ブログ「新門日記」を毎日書いている。
私には真似できない真摯さにはおそれいる。10年年上であるが、筆力に衰えがない。

2011年10月7日
学者は手を抜くな 松尾剛次『葬式仏教の誕生』
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/10/post-42f4.html
これは松尾さんに悪いことをした。
中世仏教専門の良書だが、冒頭に現代のことについて書いたのだが、エンバーミングの情報が古い、カトリック理解がおかしい等、と私が嚙みついた。
松尾さんからもコメントをいただき、それについてまた書いたのが
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/10/post-662c.html
松尾さんは誠実な方で再版時に指摘した分を修正され、贈ってくださった。
真言宗の僧侶の方のコメント、私の反論を含めて読むことができる。
当時の私は「人間の現実を知らず論じる学者」に対して腹を立てていたものだから、松尾さんに矛先が向いて迷惑をかけた。


2008年10月19日
樹木葬10周年で一関へ
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2008/10/10-749a.html
日本の樹木葬の一号は1999年の岩手県一関市にある現在は知勝院が経営する樹木葬墓地。
現在では墓地の一画に木を植え、その下に遺骨を埋蔵するスタイルを「樹木葬」、「樹林葬」と言うことが多い。
一関の樹木葬は、一帯が森であり、その周辺の河川を含めた自然保護を目的とした理念もスケールの大きいものである点が現在流行りの樹木葬とは異なる。
こんなに商用の樹木葬、樹林葬が乱立するなら商標登録しておくべきだった、と後悔する。
創設した先住(先の住職)の千坂げんぽうさんは私の子ども時代の同級生という間柄なものだから、樹木葬墓地の約款の原型は私が書いている。
また、断わりなしに真似をしている墓地業者も多い。
2011年3月31日
疲弊する被災地
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/03/post-8d8d.html
東日本大震災は途方もない衝撃だった。
震災発生直後から、情報収集、現地との連絡等で気持ちが急き、極めて不安定だったことを思い起こす。
現地の人たちはほんとうによくやった。
現地の葬祭業者は遺体の世話に関しては自分たちの後には誰もいない、と自覚し、逃げずに責務を全うした。
この時期のブログは彼らへのエールでもあった。
震災はまだ終結していない。
東日本大震災についてはブログ以外でもずいぶんと書いた。
先日(12月19日)に書いた
「輿や葬列の写真を見たことがありますか? 樹木葬や大震災の遺体安置所の写真も」
の中で

東京都行政書士会の会報『Puente』vol.16
「特集 少子高齢社会の‘別れ‘を考える~日本人の死生観は変わったか~」
を取り上げていて、そこに寄稿した。
これが東京行政書士会のホームページからダウンロードして読める。
私が書いたのは第2部に掲載されている。
テーマは、いつもの「変わりゆく葬送事情」

に比較的に詳しく震災について書いている。


2013年8月22日
「式中初七日」てなんだ
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2013/08/post-db07.html
2010年前後から急激に都市部で普及した「式中初七日」には怒った。
仏教葬儀の形骸化を象徴する出来事だった。



2014年4月25日
姉の最期の記録
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2014/04/post-c473.html
2年前に72歳でがんで死亡した姉の最期の記録。
「記録」というのは親戚や知人に送ったメール等をまとめて記載したものであるからだ。
今話題になっていることではない。
極めて私的な出来事なのに読み継がれているのが不思議だ。

朝日「引き取り手のない遺骨」報じる

引き取られない遺骨が増えている。

今朝2016年3月31日の朝日新聞朝刊が大きく取り上げている。
私の推定では遺体の引き取り手のない遺体は約6万体に達しているのではないか?
 

2016年12月30日 (金)

友人の死、スーチャンの死―個から見た死と葬送(5)

個のレベルから見た死と葬送(5)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。



⑨友人
の死

彼女が死んだらしい、と噂で聞いた。
先月まで元気だったのだから嘘ではないか、と信じられないでいた。
 
もし、噂がほんとうなら、彼女と私が大の親友であると知っている娘さんから何かの報告があるはずだし、単に噂だけで安否を確認するのも、と思った。
考えてみると連絡は全て彼女からだった。
私にはない積極性を彼女はもっていた。


数日後、彼女の娘さんの名前で手紙が届いた。


2週間前に脳溢血を起こし路上で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、すでに息はなかったこと。

あまりに急なことで、家族がどうしていいかわからなくなったこと。
彼女の友人・知人の誰にも連絡することなく、父(本人の夫)と二人だけで送ったこと。

父はまだ現実を受け入れられず、一日中呆然としていること。
でも本人と親しくしていた方々にはご報告する必要があると、娘の一存で手紙を書いたこと、が記されていた。

「やはり噂はほんとうだった」と悔いる気持ちと、「どうして知らせてくれなかったの」と訝る気持ち、そして彼女がほんとうに逝ってしまったのだ、という事実で身体が震えた。


噂を耳にしてすぐに直接連絡を取ろうとしなかったのは、私自身が彼女の死を怖れていたからだった。

同い年、
45年の二人の歴史が閉じた。



スーチャンの死

名前も人生も知られることなく、今年の冬を耐えられず、亡くなった人がいる。

彼は通称「スーチャン」と仲間から呼ばれた。

彼の姓が「須崎」「菅原」「住田」「須山」「吹田」であるのを示すのか、姓ではなく名の「数一」「末男」「澄夫」からきたのか誰も知らない。
ある人は、彼がよく「スッゴイ」と連発する癖から呼ばれるようになったのではないか、と推察していた。
だが、確かというわけではない。


通称の由来、本名はわからないが、その過去のおおよそは彼の話から聞いていた。
55
歳と言っていた。
何でも東北から出稼ぎにきて、身体を悪くし働けなくなり、家に送る金がないため居ついたという過去。


雪国では冬は仕事ができず、家族の期待を受けて、東京に出稼ぎに出る男は多い。
彼の一家5人は彼の稼ぎに拠っていたのだ。
初めは順調で、子どもたちへの土産持参で正月に一時帰郷。
彼を待つ家族が温かく彼を迎え、暖炉の火がやわらかく一家を包んでいた。


だが彼自身が仕事を失ったとき、家族5人への責任は彼を苦しめ、家から遁走したのだ。


彼の着衣を調べ、いつも持参していたカバンを調べたが、彼自身および彼の家族に連なる情報は出てこなかった。


彼は家族を捨て、彼は家族や故郷から捨てられた。

「一ホームレスの死」と報じられた。
しかし、スーチャンは一人の固有の人格をもった人であったはずである。
その死が「不詳」とされていいのだろうか。



2016年12月29日 (木)

「墓(墳墓)」の使用権、祭祀財産、無縁墳墓の改葬―「改葬」問題のコンテキスト①

これから書くのは、12月24日に書いた「遺骨の定義、散骨ー「改葬」を論じる前に」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2016/12/post-1ab4.html
の続きである。

「改葬」問題のコンテキスト①


「墓(墳墓)」の使用権


「墓」を購入する時に支払うのが「永代使用料」と言われる。
近年は誤解を避けるために「使用料」とされることもある。
「永代」という言葉が「未来永劫」と誤解されることが多いからである。
「永代使用権」とは「期限を定めず、使用者がいる限り使用できる権利」ということ。

また「使用料」というのは墓所の所有権が移転するのではなく、あくまで墓地経営者のもので、「墓所として使用する権利を入手する」ものであるからだ。

墓所の使用は借地に家を建てるのになぞらえられる。

墓所の土地はあくまで墓地経営者のもので、その上に建てる墓石の所有権は使用者のもの、という関係である。
(無縁墳墓の改葬の後、墓石が集められ、積み上げられている光景を見るが、墓石処分に費用がかかることもあるが、墓石の元来の所有権は使用者にある、という理由もある。)

墓所の使用で誤解があるのは、使用しているのは埋蔵された死者たちではなく、生きて墓所を管理している人間である点だ。

借地に建てられた家が居住者が死亡し、その後に使用者がいない場合には借地契約が取り消されるのと同じく、墓所を管理している使用者が死亡し、承継する者が不在になると、その墓所の使用権が取り消される。
これが「無縁墳墓」である。
どうも言葉は感じが悪いが。


祭祀財産

また、墓所等は民法上は「祭祀財産」となる。

第八百九十七条  系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する。ただし、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。 
 前項本文の場合において慣習が明らかでないときは、同項の権利を承継すべき者は、家庭裁判所が定める。

この規定は「相続」に含まれている。「前条にかかわらず」というのはその他の財産とは異なる、という意味で、遺産相続の対象にはならないし、相続税も課せられない。

墳墓の所有権、つまり墳墓を使用する権利の相続は分割できない。
使用者は一人である。

これがときどき問題になる。

きょうだい3人で両親の墓を建てた。
とりあえず長男が使用者になった。
その長男が死亡し、墳墓の使用人が長男の子になった。
その長男の子は一緒に建墓した叔父、叔母に向かってこう言った。
「叔父さん、叔母さんの面倒は見られません。この墓には入れません」

これは実話である。
独身を貫き、学校の教員をしていた女性は、結婚している兄たちよりも建墓費用を負担したにもかかわらず、甥によって両親と一緒の墓に入ることを拒まれ、新たに自分用に永代供養墓を入手した。

祭祀財産について書かれた897条を整理すると、墓所の承継は、本人が指定した者がいればその人(血縁関係は書かれていない!)、いなければ慣習によるが決まらない場合は家裁が決定する、という順序になる。


無縁墳墓の改葬

墓の承継者不在という問題は80年代から行政でも問題になっていた。
「無縁墳墓等」の問題である。

「無縁墳墓等」とは、(墓地埋葬法施行規則第3条によるならば「死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下『無縁墳墓等』という。)」)、を言う。
つまりは「承継者が不在となった墳墓や納骨堂」のことを言う。
「縁故者」となっているのは、正式な承継者がいなくなった場合には縁故者がいれば誰でもよいから承継してほしい、という無縁にならないようにという行政の希望がうかがえる。

90年代の末、行政は墓地埋葬法施行規則を改正し、「無縁墳墓の改葬手続きの簡略化」に踏み切る。
それ以前は、無縁墳墓の使用者本人あるいは縁故者によるのではなく墓地管理者の手で改葬を行う場合には、全国紙2紙以上への公告、縁故者調査という費用も手間もかかり、しかし実効性のない手順を義務づけていた。

そこで公示は官報(ほとんど読む人がいない!)だけでよく、縁故者調査も不要とし、1年間立札を立てればよいとした。

墓地埋葬法施行規則
第三条   死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下「無縁墳墓等」という。)に埋葬し、又は埋蔵し、若しくは収蔵された死体(妊娠四月以上の死胎を含む。以下同じ。)又は焼骨の改葬の許可に係る前条第一項の申請書には、同条第二項の規定にかかわらず、同項第一号に掲げる書類のほか、次に掲げる書類を添付しなければならない。
 無縁墳墓等の写真及び位置図
 死亡者の本籍及び氏名並びに墓地使用者等、死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有する者に対し一年以内に申し出るべき旨を、官報に掲載し、かつ、無縁墳墓等の見やすい場所に設置された立札に一年間掲示して、公告し、その期間中にその申出がなかつた旨を記載した書面
 前号に規定する官報の写し及び立札の写真
 その他市町村長が特に必要と認める書類

但し、無縁墳墓の改葬が必要なのは新たな需要者が望める都市部の墓地。
地方ではそもそも新たな墓地需要がない。

結果、地方墓地は無縁墳墓が残されたままになっている。

結論を先取りするならば、無縁墳墓の改葬はそれほどではない。

改葬全体としても、
少しずつ増えているものの、極端な伸びではない。

平成27(2015)年度衛生行政報告例
第4章生活衛生6埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数,都道府県-指定都市-中核市(再掲)別

埋葬・火葬の総数 1,346,276(死体+死胎)
・死体の総数    1,323,473
・・埋葬の総数       185(土葬された数)
・・火葬の総数   1,323,288 (火葬率99.986%) 
・死胎総数       22,803
改葬            91,567
 (14年度83,574、13年度88,397、12年度79,749、11年度76,662)
・無縁墳墓等の改葬 3,625
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001031469  


※これで火葬率を都道府県別にみることができる。大体2年前が最新となる。
土葬が2桁となるのは東京都(島嶼部が多い)、石川、奈良、和歌山、島根、鹿児島。
 

 


2016年12月28日 (水)

「昨日、密葬を済ませました」、「夢」と刻まれた墓―個のレベルから見た死と葬送(4)

個のレベルから見た死と葬送(4)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


⑦「昨日、密葬を済ませました」


家に近づくと、近所の人たち数人が真剣な、驚いた顔を寄せて話していた。

近づく私に、「お隣の息子さんがいま救急車で運ばれて…」と、その一人が言った。

私は、昨日、息子さんが近くをいつもどおりに歩いているのを見ていたのできょとんとしていると、「いや、事情はよくわからないけど…」と言葉を濁して、一様に顔を見合わせた。

突然、隣家の中から切り裂くような、吼える声がして、隣家の娘さんが飛び出してきて、裸足のまま、私たちの前を走り去った。


その日は詳しいことはわからなかった。

翌朝、前の日に集まっていた一人が電話で、

「お宅のお隣の息子さん、亡くなったって。自殺らしいの」と教えてくれた。
隣家は2日間、電気も点かず、ひっそりとしていた。
近所の者とて何もできなかった。噂だけで、隣家からは何の通知もなかったからだ。

3日目、隣家の娘さんが来た。


「お騒がせしました。弟が死にました。昨日、密葬を済ませました。両親はしばらく家には帰らないと言うので、お宅にだけはお知らせしようと」と、ゆっくり、低い声で告げた。


私は「それは、それは…」と、おろおろするだけで、こういうときの常套句すら口から出てこない。
息子を亡くして絶望だけが隣家にある、ということだけはわかった。

 


⑧「夢」と刻まれた墓

このあたりのはずだが…

その墓地の奥行きは広く、以前来たときの記憶があいまいなものだから、周辺を行ったりきたりして捜した。


「夢」とだけ刻まれた墓を捜すのにゆうに
30分かかった。
寒いのに汗が滴った。

墓石の横には、友人の本名が「享年29」という文字とともに刻まれていた。
私は持参したウイスキーの角の小瓶をあけ、「夢」という文字に振りかけた。

あの時代、私たちの顔は激していたが、心は凍えていた。
未来はないものと思っていた。
「空元気」というのはこういうことだ、と感じ、苦く味わいながら、やたら元気に振る舞っていた。


その数日後、彼は死んだ。
事故と言われた。

彼の死が事故でも自死でも私はかまわなかった。
彼の不在という事実にただただ圧倒されていた。


一周忌に招かれ、最初に墓を見たとき「『夢』はないだろう」と激しく違和感を覚えた。
それ以来、私は「夢」という文字に「惨敗」「空虚」という意味を重ねることが常になった。

今回来て思った。
彼の両親が「夢」と刻んだのは、両親には彼の存在が「夢」であり、彼の死は彼らの夢の喪失を意味したことを言いたかったのではないか、と。


夕陽が眩しかった。

2016年12月27日 (火)

4畳半からの近況報告 2016.12.26

①YouTube「ともびきまえ」

これは旧知のS水さん、S木さん、S藤さん、今回知り合えた(耳では聴きなれているが)司会のS本さん(役者、声がいい)、通常「4Sさん」と言われている人たちが「あ~でもない、こ~でもない」と自由闊達に話しているコンテンツ。
これに招かれ話してきた。
長寿番組で「400回記念」というので、私が出演したのは399~405回と7回にわたって放送された。

若者たちのスピード感のある会話に入っていけるか心配だったが、うまく引き出してくれてかなり自由に話をさせてもらった。
だが、歳を重ねるのに合わせますます酷くなる滑舌の悪さはいかんしようもない。
一晩で収録したのだがS本さんの名人芸でうまく分割された。
この番組、お約束事で頭文字をアルファベットで言うことになっている。
そこで私も「H文谷」と紹介された。

話は、死別、寺、東日本大震災、家族葬…などなど多岐にわたった。
役者のS本さんも食えない役者稼業の裏で葬儀のアルバイトを長くやったというので、皆いわば葬儀のプロ、現場を担い、現場で起こっていることをきちんと把握していて、さらによく勉強しているので、話し相手としては最高。

私の出番は終わったので、これからは一聴衆として楽しませてもらおうと思っている。

私の出番の最終回となったのは、
第405回「被災した遺体と最後まで向き合った人たち ~東と西で違う収骨容器?400回記念更新月間~」。
https://www.youtube.com/watch?v=v3LNc-6uOgk

彼らとは収録の後と12月10日の「びきまえ忘年会」と2度呑んだ。
4人以外にも新しい人たちと出会え、楽しかった。


②リメンバー名古屋自死遺族の会

12月18日のリメンバー名古屋自死遺族の会の講演会の模様が「リメンバー新聞」82号に掲載された。
http://will.obi.ne.jp/remember/newspaper/pdf/newspaper82.pdf
2面に掲載されている。

うれしかったのは、ここで雑誌『SOGI』が1991年1月の創刊号から2016年8月の154・155号の最終号まで展示されたことだ。
関係者に感謝!

集まってくださったのは、ほとんどが自死遺族の方々。
アンケートも見せてもらったが、何とか話が通じたようだ。


私の話は、正直言って上手ではない。
滑舌の悪さは「びきまえ」でわかってくれるだろう。
でも、真面目に話す。
どんな小さな集まりでも、聴いてくれる、というならどこにでも行く。
ディスカッション方式でもいい。
その場での質問、という形式でもいい。
というか、いろいろな立場の人の意見を聞けるなら大歓迎である。
よく「講演料は?」とたずねられるが、それぞれの予算でかまわない。
(但し、商用は要相談)
問い合わせはメールで:orange46@mbn.nifty.com


③Facebook


このブログはFacebookと連動している。
https://www.facebook.com/hiroshi.fujita.79677


もともとは毎日新聞の記者が私も相談にのった新聞連載記事をFacebookと連動するというので、発言するより覗くことを目的に開設した。

そのため第3のペンネーム「藤田宏」で登録したが、フリーランスになったことを機に登録名を「碑文谷創」に変更した。

「公開」にしているので誰でも覗けるようになっている。


興味深いのは、坊さん仲間が、寺にとって一見不利と思われる情報にも耳を傾けてくれることだ。
いい坊さんはちゃんといるのだ。

2016年12月25日 (日)

掃除のプロは寺にいる

家にいると、今までやらなかったことを普通にやるようになる。

といっても、ほんの少しだが・・・


いつも10時には四畳半に籠る。
その前の、かつては車に乗っていた時間が空く。

昨日ははなれの窓ふき。
今朝は座敷、玄関、廊下…
昭和初期の建物なので障子が多い。
はたき(といっても昔のものとは違うが)をかけ雑巾で枠や柱を拭く。

地方に行かない時は事務所に朝から夜まで祝日、土日関係なく籠る生活だったから、普通家で当然やっていたことをまったくやっていなかった。
家にいるようになったので、あたりまえにやるようになった。
といっても30~40分くらいの話。

「掃除」といえば過去に感心したのは
その手際のよさ、集中力、速さ、それでいて細部の配慮・・・
ぴか一はお寺の人たちである。

坊さん連中は掃除のプロである。
もっとも私ができなすぎなのかもしれないが…
見ていてほれぼれする。

食器洗いでも、私がちょこっと手を出したら、
「それダメ。食器の底もきちんと洗わないと」
と叱られたことがある。
檀家の女性陣からだ。
速さ、力強さ…見事なものだ。
「じゃま」と言われて、寺の台所から追い出されたことがある。

掃除をしながら、そんなことを思い出していた。

2016年12月24日 (土)

遺骨の定義、散骨ー「改葬」を論じる前に

「改葬」とは「墓地、埋葬等に関する法律」(「墓地埋葬法」。かつて「墓埋法」と略すのが一般的であったが、近年変化が見られる)第2条3項に次のように定義されている。

この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

ちなみに「埋葬した死体」とは「土葬された死体」(年月が経過すれば骨化して「遺骨」になっているだろうが、墓地の墳墓(一般にこれを「お墓」と言う)に入れた状態を言う)のこと。
「埋蔵した焼骨」とは火葬後の遺骨(=焼骨)を墓地の墳墓に入れた状態のこと。
「収蔵した焼骨」とは火葬後の遺骨(=焼骨)を納骨堂に入れた状態のこと。

一般にお墓に遺骨を入れることを「埋葬」と言うが、これはあくまで一般的表現で、墓地埋葬法では「埋葬」と言えば「土葬」以外の意味はない。
ちなみに、ここで「遺骨」と書いたが墓地埋葬法では火葬後の骨は「焼骨」と表現される。

「改葬」を論じる前に言葉の整理をしておこう。

「遺骨」という表現は刑法190,191条に出てくる。

第189条  墳墓を発掘した者は、2年以下の懲役に処する。

第190条  死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

第191条  第189条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

刑法190条は内容的に次のものを含む。
死体損壊罪、死体遺棄罪、死体領得罪
遺骨損壊罪、遺骨遺棄罪、遺骨領得罪
遺髪等損壊罪、遺髪等遺棄罪、遺髪等領得罪
※「遺髪等」とは「遺髪又は棺に納めてある物」を言う。

墓地埋葬法の「焼骨」は「火葬された人骨」であるが、刑法の「遺骨」の定義は特にない。
墳墓に埋葬(土葬)された死体の骨化したものは189~191条の文脈で明らかに「遺骨」である。
では「焼骨」はすべて遺骨か、というと簡単ではない。
日本では大きく西日本は部分拾骨、東日本は全部拾骨と骨上げ(拾骨)の慣習が異なる。
焼骨がすべて遺骨であるとすると西日本の拾骨慣習は遺骨遺棄になってしまう。
従って「焼骨のうち拾骨されたものが遺骨」と解すべきであろう。

刑法190条との関係で問題となったのが
散骨(自然葬)が「遺骨遺棄罪」との関係で
エンバーミング(遺体衛生保全)が「死体損壊罪」との関係で
である。

刑法は法務省の管轄であるが、法務省では朝日新聞が散骨について見解公表したと報じたが、見解が公表された事実はない。
朝日新聞の当時の記者のミスリードである。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2016/12/post-8690.html

墓地埋葬法は厚労省の管轄である。
散骨について厚労省のホームページに記載があるのは「全国厚生関係部局長会議資料(生活衛生局)説明事項」
http://www1.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seikatu1.html
にある「これからの墓地等の在り方を考える懇談会の開催について」だけである。
これは厚生省生活衛生局時代の生活衛生局長私的懇談会(これはよくわからない会合だった)で、その結論ではなく、懇談会の開催主旨が書かれている。
・ 墓地、埋葬等に関する法律が制定されてから50年になろうとしているが、その間に、首都圏への人口集中により周辺地域の墓地の不足や高価格化が進む一方、核家族化の 進展に伴う無縁墳墓の増加、葬送等に対する国民の意識の多様化などが見られ、墓地、埋葬等をめぐる状況は大きく変化してきている。
・ このような状況を踏まえ、時代の変化に対応した墓地等の在り方について広く有識者 の意見を伺うため、本年2月から、生活衛生局長の私的懇談会として、「これからの墓 地等の在り方を考える懇談会」を開催する予定である。
・ 検討事項として、墓地等の需要とその計画的供給の在り方、墓地等の経営の在り方、墓地等の管理者の養成の在り方、墓地等の有期限使用契約の導入など契約の標準化、無 縁墳墓の改葬手続きの見直し、散骨等新たな葬送方法への対応などを予定している。

この私的懇談会の結果生まれたのが「無縁墳墓の改葬の簡略化」であり、墓地埋葬法の施行規則第3条に記載がある。今は
「死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有する者に対し一年以内に申し出るべき旨を、官報に掲載し、かつ、無縁墳墓等の見やすい場所に設置された立札に一年間掲示して、公告し、その期間中にその申出がなかつた旨を記載した書面 」で済むようになった。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23F03601000024.html

散骨についてはその後特に定めがない。
厚労省の見解では墓地埋葬法制定当時には散骨という葬法が想定されていなかったのでいい悪いが言えない。対象外。
懇談会では一定の方向性を出すべきという意見があったがその後は対処がされていない。
今は墓地等の許可権限が都道府県から市ならびに特別区(町村は都道府県知事のまま)に権限が移行したので、各地方自治体の考え次第となる。

規制で有名なのは北海道長沼町で、「長沼町さわやか環境づくり条例 」
第11条 何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない。
と散骨を禁止している。
その他、規制をしている地方自治体がある。
http://www.352-mag.com/law.html

刑法190条との関連で論じるならば
刑法190条は「国民の死体(法律的には「生体」との関係で「死体」であり、われわれが慣用的に「遺体」と言うのは、死体を尊厳あるもの、と理解した表現)や遺骨等に対して社会的風俗としての宗教感情を守る」
ことを目的とした法律である。
つまり「遺体、遺骨等を大切にしようという気持ち」を保護することを目的としている。

したがって、遺体や遺骨等を損壊、遺棄、領得してその国民感情を害する目的ではなく、葬送等を大切にしようという目的から相当の節度をもって行われるのであれば違法とは言えないだろう。
目的と方法の適正さが問題となる。
他人の感情、風評被害を無視した散骨は適切でない。
遺体の公衆衛生や尊厳を冒す技術的不備をもったエンバーミングも適切でない。

散骨についてはルールの合意は明確なものはないが、「遺骨処分」を目的としたものは適切ではないだろう。
また、散骨を実施する場所も、生活用水で用いられている河川、養殖場や海水浴場等の付近や他人の農地や住宅地の付近も避ける配慮がほしい。
撒く場合、遺骨の原型が残らないまで細かく砕くことも必須の条件となろう。
目的と相当の節度は厳密に考えられていい。

各種調査で「自分は散骨してほしい」という意見は3割未満であるが、「本人が希望するなら散骨していい」とする意見は約7割以上、と肯定的に受け取られている。

だから希望する人の気持ちも尊重して、それが悪感情で妨害されないためにも実施は適切さが求められる。

散骨についての法規制も一部の自治体以外にはなく、裁判所の判例もない。

エンバーミングについては既に判例がある。
IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)の自主基準を守って行われる、という条件付きで「正当業務」と認定されている。
このIFSAの自主基準、そんじょそこらの法律よりも細かく規定している。
http://www.embalming.jp/
(エンバーミングについては別に論じる)

2016年12月23日 (金)

夜中の電話、最期は眠るように~個のレベルから見た死と葬送(3)

個のレベルから見た死と葬送(3)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


⑤夜中の電話

夜中に電話があるといまでもビクリとなる。

それは叔父の死であったり、親しい後輩の死であったり、夜中や明け方の電話は親しい者の死の通知と私の中では深く結びついているからだ。
親しい者が病床にあるときには、避けられればと思った死がついに到来したのか、と刃が胸を抉る想いがし、怯えた。

それが突然の死であったときには、呆然として現実感を失った。
「死者」とされた親しき者の顔がクローズアップされ、その図は常に笑顔で私に声をかけているものであるのはどうしてだろう。

夜または明け方、私は車に乗り込み、病院または遺族となりたての家族のもとへと急ぐ。
それが嘘であり、夢であることを願いながら。

死は誰にも必ず訪れるものとは知りながら、私は親しい者の死をどこかで偽りであってほしいと願っているのだ。
まだ微かに温もりを残した親しき者の手に触れ、顔に触れても私にはまだ現実感がない。
何か役立つ仕事を見つけ、黙々とその作業をこなす。

涙が出るのは決まって通夜の晩だ。
弔問客が帰り、家族がくたびれ果てて床に就いた後、独り柩を抱きながら滂沱するのだ。
大きな虚無に胸を塞がれながら。


 

⑥最期は眠るように

なぜかホッとしていた。

実母の死は悲しみが強い、と思っていたが、今、母が息を引き取ると、違っていた。
私は酷薄な人間なのだろうか。

看病、介護は、昨日までは苛烈、過酷なもののように感じていた。
正直、母を怨んだこともある。
自分の時間というものが、すっかり母に奪われているという被害者意識が支配していた。
この苛烈、過酷な日々が終わりなく続くものと考えていた。

だが、今、母を見つめ、そのまだ温かな身体を抱いていると、昨日までの日々が懐かしく、優しい気持ちで振り返ることができる。

母の表情は柔らかであった。

夫が「お義母さん、最近は目が優しくなっているよ」と言っていたが、優しいと感じる余裕が私にはなかった。

確かに、今、母の表情は安らかである。
私が介抱で、食事づくりであたふたとして気づかなかっただけだったのかもしれない。

そういえば、このところ母の常套句であった

「死にたくない」
という言葉を耳にしていない。

眠るように死ぬ、ということは本当にあることで、母がそういう最期を迎えることができたことを、私は幸せに思っていた。

2016年12月21日 (水)

「父」の最期、「兄」が死んだ日~個のレベルから見た死と葬送(2)

個のレベルから見た死と葬送(2)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


③「父」の最期

昏昏と眠り続ける父を見守るだけであった。

父の
50代以降の人生は寂しかった。
結婚したばかりの若い息子が急逝。
認知症になった老母を独り看取り、長く連れ添った妻と離婚し、独り暮らし。
その元妻も急逝したがその葬式への参列は許されなかった。

父は、気はいいが、酒には溺れ、いわゆる「酒乱」だった。
格好を気にし、夢は語るが、実現する根気というものがなかった。

大手の商社に勤めていたが、先輩の甘言に乗せられ独立。
しかし世間の風は厳しく、借金を背負ったままその事業から撤退。
愛想尽かした妻が離婚したのはその時だった。


娘である私も早婚で失敗し、息子を連れて実家に戻っていたが、父母の離婚を機に母と同居。
父と縁を切った。
しかし、時折、父から電話がかかってきた。


同居した母が急逝、母の実家の手を借りて送った。
その後、私は再婚。
実直さだけが取り柄の、父とは反対の性格な夫だ。


その父が救急車で入院したと病院から連絡があり駆けつけた。
肉親と呼べるのは私だけ。


もう意識はなく、父母が一緒に暮らし健在だった時に登録していた尊厳死のリビングウィルが頭を過ぎった。
だが、なぜか実行に移せず、ひたすら見守るだけだった。


入院して一カ月後、父は息を引き取った。
娘である私が最期を看取ったことも知らずに。


④「兄」が死んだ日

あの日、兄が息を引き取った日から
年が経過した。

一周忌の通知は来ない。

嫁いだ身としては嫂にも、甥にも文句を言うことはできない。だが、切ない気持ちは抑えられない。
墓参りに行こう、と思ったが、兄の家族と出くわしたらいやなので止めた。

そうだ、兄の写真があった。

母に連れられ、二人して、目いっぱいのおしゃれをして写真屋さんで撮った、中学生の私と高校生の兄との二人での写真だ。

兄は、お洒落したといっても床屋さんに行っただけで、学生服だ。

兄はブスっとしていたがおそらく照れていたのだろう。
私はただはしゃいでいた。

その写真を飾り、ご飯を供えた。

兄が死んだ日、私には連絡がなかった。

翌日になって電話で甥から知らされた。

頭が真っ白になった。

そして受話器に向かって怒り始めていた。

あの時、父を亡くした甥に慰めの言葉一つかけられなかったことをいまは悔やむ。
だが、その時、私にはそれができなかった。

兄を強奪された想いでいっぱいだった。

通夜、葬式と私は不機嫌だった。
それが突然の死であったので、私は呆然として現実感覚を失っていた。



 




2016年12月20日 (火)

老いと死、生活と墓~個のレベルから見た死と葬送(1)~

「死」と言っても「葬送」と言ってもそれぞれが多様で固有であることは言うまでもない。

死や葬送について論ずる、というのはある半面しか描けない。

そこで具体的な場面を示してみようと思う。
これ自体が、あくまでも私個人が感じるものでしかない。

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。

過去に書いた短い断章を集めている。だ
から読まれたものもあるだろう。
それぞれがそれそれで読んでくださればいい。1回あたり2編くらいをときどき掲載していく。



①老いと死


「なかなかお迎えがこないんですよ」

彼は不自由な脚で杖をついて立ち止まり苦笑した。
「おいくつですか」の私の問いに
93歳になりました。周りに迷惑ばかりかけて、いやになってしまう」

老いというのは、はじめは徐々にだが、ある時急激に進む。
しかし、その後停滞する。

そこで人は自らの果てしない老いを自覚する。
と同時に自分の死を自覚する。

「自分の身の回りのこともできなくなっちゃって、もう早くお迎えがくればいいという心境ですよ」
「前は長生きしたいと思っていたけど、長生きできて、もういいやと思ったら、なかなか死なせてくれないんですよ」

身の回り、特に排泄の介助が必要となったとき、高齢者の自尊心は粉々に砕かれる。
介護するほうも大変だが、当の高齢者にとって精神的な苦痛ははかりしれないものがあるように感じる。
「人間の尊厳」というのは抽象的なものではない。
きわめて具体的で実際的なものであるように思う。


90
歳、老衰で死んだ義母を看取ったとき、その死顔はやすらかだった。
身体だけでなく精神も辛かった長い苦闘からやっと解放されたやすらぎがそこにあった。


生活と墓

北陸に旅行した折り、列車は日本海沿岸に沿って走った。
海の青の鮮やかさに魅入った。

山間部に入ると、車窓から墓が見える。

墓というと墓石が林立する墓地を普通イメージしてしまうが、この墓は違う。
集落地の一角に数個の墓石があったり、山側の斜面にやはり数個の墓石があったり、中には家の庭地に墓石があるのもある。
いまでは新たに創設が認められなくなった集落墓地、個人墓地である。

死者の世界が生者の世界と隔離されているのではなく、生活空間と共存している。

珍しいことなのかと思って車窓から注意してみていると、こうした墓があちこちにある。
家族が死者に寄り添って生きているのだ。

生活空間から隔離された墓も古くからあるが、こうした生活空間と共存した墓も古くから存在する。

日本人が墓に対してもつイメージというのは昔から多様であったという、いわばあたりまえの事実に気づかされた。
墓石の形も和型の三段という点では共通していても、土台の形が地域で異なる。

雪国の墓石は土台が高くなっていることが多い。
雪が降っても墓がわかり、納骨できるようになっている。
もっとも九州の都城でも墓石の土台が高かったが。


生活と墓、これは密接に関係している。


2016年12月19日 (月)

輿や葬列の写真を見たことがありますか? 樹木葬や大震災の遺体安置所の写真も

YouTube「びきまえ」404回更新
これからは若い人たちの時代だと思う。
ここにいる人たちも含め、優秀な40代が育っている。
先日会った2人の葬儀にのめり込んでいる連中とか。
託すべき人間は育っている。


彼らにどうつなげていくか、それが課題なのだと思う。
さて昨年のことであるが、東京都行政書士会の会報『Puente』vol.16
「特集 少子高齢社会の‘別れ‘を考える~日本人の死生観は変わったか~」
を取り上げていて、そこに寄稿した。

これが東京行政書士会のホームページからダウンロードして読める。
私が書いたのは第2部に掲載されている。
テーマは、いつもの「変わりゆく葬送事情」

そこに意図的に写真をたくさん掲載した。
構成とともにどんな写真があるかを示す。

1.葬送の「今」
 ここに新潟。妙光寺の安穏廟の写真、散骨の写真、樹木葬(一関)の写真、寺の納骨堂の位牌堂の写真、を掲載。
2.東日本大震災の心的打撃
 遺体安置所の写真
3.東日本大震災と「仮埋葬」
 仮埋葬地の写真、仮埋葬掘り起し作業の写真
4.火葬と感染症
 煙突のある火葬場の写真
5.「家墓(イエハカ)」の誕生
 首都圏の洋型墓地の写真
6.葬儀の個人化、小型化
 明治期の葬列図絵、白木輿・大正時代の葬列・火葬場ビム号の写真
歴史を知る、ということでは参考になる写真だろうと思う。
(文章も読んでほしいが。)
東日本大震災では約2万人という犠牲者が出た。
テレビ、新聞でほとんど紹介されなかったのが遺体安置所。
1枚だが載せておいた。

他にりすシステムや国立歴史民俗博物館の記事もあり、読むことができる。

2016年12月16日 (金)

火葬事情の実態

鵜飼秀徳『無葬社会』の書評の中で
最初に書かれた「火葬10日待ちの現実」は少し走りすぎ。
昨冬は死亡者数が少なく火葬場経営者が青くなったのは有名な事実。
「待ち」が出るのは葬儀時刻帯が似たよりなため混む時刻が決まっていること、東京では斎場(葬儀会館)が少なく、火葬場付きの式場人気が高く競争になること、決して「火葬場が混んでいる」わけではない。
また、名古屋が解消したが、本来火葬場を新設または改造したいのだが地域住民の反対によって妨げられている事例だ。
将来的には問題がないわけではないが、今の問題ではない。

と書いた。

この問題については、よく読まれている「考える葬儀屋さんのブログ」で

「無葬社会」鵜飼秀徳氏が流すデマを批判する

で、過激に「火葬10日待ち」状態という話は、デマです。」
と書いている。
併せて読んでいただくといいだろう。
多死社会となると「火葬は間に合うのだろうか?」という危惧はすぐ言われる。

東京は全国では珍しく民営が多い。民営の火葬場は先も見て経営しているので、とりあえずすぐパニックになる状況にはない。

問題はむしろ震災。
これは地域協力等で対処していかなければいけない問題。
これはどの地域でも同じ問題である。
東日本大震災で土葬はもう日本では選択肢ではないことが明らかになった。


よく言われる誤解は「東京の火葬料は高い
というもの。

実際の検証は火葬研の武田至さんがやっているが、民営だから高い、ということはない。
コストという意味では全国の火葬場では1体あたり約6万円前後はかかっている。

地方で無料とか1万円とかがあるのは、差額を自治体が負担しているからだ。
かかるものはかかる。

ある地方都市の首長さんから火葬場の運営について相談を受けたことがある。
サービスを充実するための財源がないというので、
「市民から1万円でも取ったらどうですか?」
と話したところ
「それだけはできない。そんなことをしたら選挙で落ちる」
と言われたことがある。
そこは火葬料が無料であった。

「社会福祉」という位置づけなのだが、地方自治も財源不足で悩んでいるのだから、負担できる市民には負担を求めていいのではないか。
負担できない人にまで負担させる、と言うのではない。
実際にはコストがかかっていることは、せめて市民に知らせる義務があると思う。
知ったうえで市の予算で手当てするのは市の自由だが、コストがかかっていることに関心がない、知らない市議も少なくない。


葬儀費用について「安ければいい」という意見があるが、「適切なコスト」と考えていく必要がある。

今の葬儀の安さ競争、度を超すと葬儀社に勤める従業員の人件費の過度な圧迫につながりかねない。
低賃金で過重労働・・・「ブラック」企業になりかねない。

「葬儀費用」に消費者の関心が高まるのは結構だが、時々度を越しかねない時がある。
消費者運動に携わっている人たちの意識も相当変わってきたが、まだ中には差別意識から「高い」と宣わっている人がいるのは困りものである。
「安さ」を求める消費者が「ブラック」企業を生む、というのは残念なことだ。

葬儀社や寺院攻撃はときおり「死」に係わる者への差別、偏見が関係していることが少なくない。

普通の眼で適切に考える、ということが必要だ。

 

 

2016年12月14日 (水)

書評『無葬社会』

YouTubeびきまえ 403回公開。まだ続く?
話題は「お布施」「遺族とのコミュニケーション」などなど。
週刊現代2016年12月10日号の書評に『無葬社会』を書いた。
依頼が11字詰なのに、おっちょこちょいなものだから19字詰と思い込んで最初書いた。
出す段になって気が付いて、詰めに詰めて完成させて送ったのが掲載されたものである。
ここでは掲載されずに終わった幻の書評を掲載することにする。


鵜飼秀徳『無葬社会―彷徨う遺体 変わらぬ仏教』(日経BP)

始まった多死社会のもたらす問題を活写

 

 

戦後長く年間死亡者数は7080万人規模であったが、進む高齢化で今や130万人台に突入し、2030年には160万人台にまで到達すると推計されている。多死社会はどういう問題をもたらすのかを、死と葬の変化を中心に丹念な取材をもとに活写した問題作である。


著者は先に『寺院消滅』で、都市化により過疎化した地方社会の中で進行する、寺院が担い手を失い荒廃し消滅していく様を、具体事例を取材して問題提起し、仏教教団に強烈なインパクトを与えた。
その続作とも言うべき本書は、主に多死化の現場となる大都市の死の現場と仏教寺院の抱える問題を描く。


「無葬社会」とは著者による造語である。
しかし、看取る人がない単独死(著者は「孤独死」という用語を用いるが、「孤独死」も「孤立死」も価値観が混入する危惧がある)、葬儀をすることなく火葬だけで済まされる直葬、墓地への埋蔵に立ち会うことなくゆうパックで遺骨を墓地に送る送骨等の遺骨処分…これらが増加する傾向にあるから違和感がない。

著者によれば「無葬社会」とは、死者が埋葬されず供養されない事例が増える社会のこと。


最初に書かれた「火葬
10日待ちの現実」は少し走りすぎ。
昨冬は死亡者数が少なく火葬場経営者が青くなったのは有名な事実。
「待ち」が出るのは葬儀時刻帯が似たよりなため混む時刻が決まっていること、東京では斎場(葬儀会館)が少なく、火葬場付きの式場人気が高く競争になること、決して「火葬場が混んでいる」わけではない。
また、名古屋が解消したが、本来火葬場を新設または改造したいのだが地域住民の反対によって妨げられている事例だ。
将来的には問題がないわけではないが、今の問題ではない。

地方から都市への墓の引越し(改葬)がもつ問題、アマゾンへの「お坊さん便」の出品がもつ、宗教意識が低下した都市住民と財政的に逼迫した地方僧侶の利害の一致のありさまは記者であり僧籍ももつ著者の問題意識がよく現れ、重層的に描かれている。

単独世帯で誰にも看取られずに死に、数週間、場合によっては数ヵ月後になって発見される遺体の増加と腐乱のせいで住居を修復するのに巨額が投じられる「特殊清掃」(嫌な言葉だ)需要の増加が語られる。
単独世帯が
4分の1を超し、だれもが「おひとりさまの死」の当事者になり得る状況がリアルに語られる。


墓の変化においては改葬の受け皿となり、大都市に進む寺院による大規模納骨堂ビジネスが描かれる。
だがこれが永代供養墓とは理念が異なるのに同列で論じられたり、散骨と自然保護型樹木葬、都市型樹木葬と言われる樹林葬等には混同も見られる。

戦後の民法改正により家制度は法的根拠を失ったが墓の慣習においては生きてきた。
それも家族の変化により崩れ出していることは著者の描くとおりである。

だが現実には改葬されることなく放置され、見放される墓がはるかに多く、地方の墓地を悩ませる。
跡継ぎ不要の永代供養墓が需要を見込んでたくさん造られたが、売れ行き不振で残っていたところが安価な遺骨処分場化している。
墓の問題は著者が描く先を走っている。


著者の関心である、仏教寺院のこれからの課題に立ち向かって僧侶への取材が生き生きとしている。
檀家制度に依拠せず、すべての人に開かれ、墓を入口に寺に新しい信徒を招くことに成功した新潟・妙光寺安穏廟の小川英爾住職、骨仏で信仰を集める大阪・一心寺、路上生活者の支援と供養を行う東京浅草・光照院の吉永岳彦副住職、永代供養個人墓を媒介に東京と地方寺院のネットワークを考える東京新宿・東長寺、難民キャンプ
NGOを率い、難民キャンプや被災地で絵本図書館を展開する長野県松本・瑞松寺の茅野俊幸住職。
仏教寺院の未来へ少しではあるが希望、夢を示す。

著者は
「多死時代を迎え、都会では遺体が彷徨い出している」
と言い、
「無葬社会は不可避のようにも思える。
しかし、一方で、亡き人を供養したいという根源的なこころ」が「社会に潤いと安定を与えてくれるはず」
と信念を述べ、そのためには仏教の再生が鍵となることを力説している。

 

 

四畳半からの近況報告 2016.12.14

家は東南の角なのだが、私の籠る四畳半は北に面しているので陽当たりもなく寒い。
この部屋で10時から22時半のほとんどを過ごす。
家人がいない時はうどん、そば、ラーメンを作って食べる。
たまに人に会いに出かける。

夜は酒を呑み、腹筋10回、腕立てふせい10回、その他軽い運動をする。
息子が「その年齢で鍛えることはダメ、維持できる程度がいい」と言うので、ほんとうに軽い運動で15分もすれば終わる。
たまの外出では、エスカレータはできるだけ避け、階段を歩くようにしている。ときどき誘惑に負けるが。
電車では座らないようにしている。
時折立って席を譲ってくれる優しい若者がいるが、「次に降りるので」と断わり、次の駅で降り、次の電車にまた乗るようにしている。
外に出る時は帽子着用。
頭の毛が少ないので寒いからだ。
白髪を隠す意味もある。

抗うつ剤は減らしているが、今のところ困ることはない。
自宅にいるようになり、精神的に落ち着いているようだ。


今月12月18日13時半より名古屋駅前ういんくあいちで講演する。
リメンバー名古屋自死遺族の会が主催だ。
http://www.will.obi.ne.jp/remember/

に詳細が書いてある。

テーマは「人それぞれの別れ方、メモリーがある」

かつて小児がんで我が子を亡くされた親の会で話す機会があったが、葬儀の慣習に悩まされたという話をいやというほど聴いたからだ。
「葬式が遺族の心を傷める」ことは絶対避けるべきである。
私はクリスチャンであるのに仏教のことばかり書いている、
と思われる方がいるかと思うが、キリスト教会でも機会があれば話している。
呼ばれるのは仏教関係者が多い、というだけである。
神道者に呼ばれればいく。選ぶことはしない。

その一つ、
事務所を閉鎖した後の10月9日に、」日本キリスト教団エパタ教会(新宿区矢来町)で
「死と葬送の現在とあり方」と題して話した講演録がエパタ教会のホームページに掲載されている。
http://ephphatha.web.fc2.com/09102016-himonya.html
ここでは私の家族の死について結構語っている。

2016年12月13日 (火)

書評再録『寺院消滅』

鵜飼秀徳『無葬社会』を紹介する前に、前著『寺院消滅』を紹介しておこう。

この書評を書いた日付は2015年8月31日になっている。
『週刊現代』に書いたもので掲載は2015年9月の中旬ではないだろうか?


鵜飼秀徳『
寺院消滅―失われる「地方」と「宗教」』(2015日経BP)


著者は仏教寺院の「消滅可能性」を警告しているのだが、本書で紹介された現実を見るならば、寺院の消滅はすでに進行中なのではないか。


著者は、14年に発表され、衝撃を与えた日本創生会議(座長・増田寛也元総務相)の
「2040年には全国の自治体の49・8%が消滅の可能性がある」
との指摘を受け、伝統仏教教団に属する寺院は3分の2になってしまう、と試算し、警告している。
確かに地方都市が消滅するのに寺や神社だけが生き残ることはありえない。


著者は、地方寺院の存立危機的状況を丹念に描いている。
だが、これまで、こうした現実が露になって来なかったのは、著者が指摘しているように、大都市寺院と地方寺院の間に大きな格差があるからである。

あいかわらず世間の仏教寺院に対する評価は「葬式仏教」「坊主丸儲け」という言葉に象徴されるように冷たいものが多い。
それは都市住民による大都市寺院の評価に過ぎない。
そして存立が厳しい現実にあるのは何も仏教寺院だけではない。
神社もキリスト教会もまた同様である。


本書が説得的なのは現状レポートに留まらず、歴史的視点を導入したことによる。

近世の江戸幕府による宗旨人別帳、明治維新の廃仏毀釈、宗教団体の戦争協力、戦後の占領軍による農地解放、高度経済成長による都市化がもたらした地域共同体の崩壊という過去、そして現に露呈している地方の過疎化、少子高齢化。まさに仏教寺院は歴史に翻弄されてきた。

だが著者が指摘するように、仏教寺院は自覚的に対応してきてこなかったし、今もしていない。
いわば「被害者」意識なのだ。これは近世以降の日本社会の構図そのものではないか。


戦後日本が平和で経済的に成功した、などというのは現実を見ない戯言である。
民衆の生き死にを精神的に支えるであろう宗教も文化も根絶やしにしようとしているのではないか。


本書では現実に抗して苦闘している仏教者がいることも同時に紹介されている。

2016年12月10日 (土)

日本人の死生観と神葬祭ー揺れ動く日本人の死生観 第3回

揺れ動く日本人の死生観

変わる葬送

 
本稿のもとになっているのは2010(平成22)年に神社神道の『月刊若木』に寄稿したものであるため、神道者を意識している。

3回に分けて掲載する。

第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの

第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来

第3回 日本人の死生観と神葬祭

※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。

今回は第3回(最終回)。


日本人の死生観と神葬祭

 

仏教の葬祭仏教化が庶民化のカギになったが、これは中世末期から近世初頭の戦国時代にあたる。
それまで貴族・武士の宗教であったのが僧侶が教団の意思とは異なり地方に放たれ、定住して、「民衆もまた成仏する、浄土へ往生する」と説いたことによる。

その仏教の民衆化の力を江戸幕府が利用し、寺請制度で利用した。
仏教の檀信徒向け葬法は僧侶とする儀礼を援用し、戒名を与え仏弟子にしてあの世へ送るという禅宗の葬法を基本とした。


この江戸幕府の、神職すら寺の檀家となり、檀那寺での葬儀の強制に対し、儒学者、国学者、神職が反発し、神葬祭を志向し、近世末期(1785)に吉田家からの免許状を条件に神職とその嫡子に限り神葬祭を行うことが許可された。
それ以前は水戸藩で日本古来の葬法は儒礼に近いものがあるとして朱子の「家礼」をアレンジする形で神葬祭が始まった。

実際に神葬祭の形式が誕生するのは幕末。
それが集大成されたのが教部省『葬祭略式』(明治5年)。
この同じ年に明治政府が「自葬禁止」の布告を出し、一般の人まで自由に神葬祭ができるようになった。
しかし明治15年に内務省が官幣社、国幣社の宮司の神葬祭関与を禁止し、府県社以下の神職のみの関与を認めたので、すべての神職に神葬祭関与が認められたのは戦後のことである。

江戸時代に神葬祭運動が生じたのは、仏教葬が僧侶の得度式を模したので、「なぜ神々に仕えた神職まで出家しなければならないのか」と反発したことによる。

神社神道とは、「神々とその建物や森などを守ってきた共同体の信仰」ということで、聖書、教会を中心としたキリスト教や仏典、教団を中心とした仏教などの宗教とは異なる独自性をもっている。

神社の信仰とは自然の中で生活を繰り返してきた人たちの信仰で、自然の中で生活してきた人たちが、自然の人智を超えた美しさや畏さを知り、そこに神を実感し、自然の神気に触れて浄化されたいという人間の感情、信仰心を本質としている、とまとめることができようか。

神葬祭は「仏教以前の日本人の固有の葬法」で、「これこそが日本人本来の葬法」という理解がある。


古代においては食い別れのような食事、死者に対し馳走して別れるという儀式があったらしい。
太古から死者を葬るのには葬列が組まれたらしい、ということが『古事記』や『常陸風土記』等により推測される。

 

柳田國男が『先祖の話』で書いているように、日本人の死後観は西方浄土のような遠くに行くのではなく、霊は永久に国土に留まっている、と考えられるので、亡くなっても生前と同じように食事を出して仕える。
蘇生しなければ、死者の世界に完全に入るとして野辺の送りをして葬る。
御霊(みたま)は生きてわれわれの生活の周辺や山にいて、いつでも交流できる。したがって生前と同じように御霊に仕える。


「神より出でて神に入るなり」という言葉があるように、死者の御霊は「土に還る」、大自然に還る。

 したがって、死者を亡き人を生前と同じように送り、また、いつでも還っていただく。御霊は、死後も子孫が繁栄し、子孫の手厚い祭りを受けられる、という日本人が安心立命できる境地が神葬祭の死生観といえよう。


こうした死生観は実は日本仏教文化に生きている。
彼岸、お盆、仏壇という習俗を見れば、死者は近くにいる、という観念を共通に保持している。

 

2006(平成18)年の紅白歌合戦で歌われ大ヒットした「千の風になって」は作者不詳だがアメリカ人の手になる、という説が有力である。

新井満の訳詩は


私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています


で始まる。
途中の「千の風になって」が詩、歌のタイトルとなっている。

原詩は詩の冒頭の「DO NOT STAND AT MY GRAVE AND WEEP」が通称となっている。


この歌が大流行したことは、家族や恋人など身近な人の悲しみを多くの人が抱え続けているという事実である。


日本人が春秋の彼岸、お盆、仏壇、法事を大切にしてきたし、いまもしているということは、死者を追悼し、覚えるということが、いかに私たちの心性に強いかということを示している。

仏教の、というより日本人の死生観に強いのは「無常観」であり、これは今回の東日本大震災でも見直された。(この項終わり)

2016年12月 9日 (金)

バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来-揺れ動く日本人の死生観第2回

YouTube「びきまえ」まだ続いています。
https://www.youtube.com/watch?v=ZkbjCg8XocY
402回「家族葬がはらんでいるもの 」あいかわらず滑舌悪いです。
 

揺れ動く日本人の死生観

変わる葬送

 
本稿のもとになっているのは2010(平成22)年に神社神道の『月刊若木』に寄稿したものであるため、神道者を意識している。

3回に分けて掲載する。

第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの

第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来

第3回 日本人の死生観と神葬祭

※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。

今回は第2回。
 

バブル崩壊以後の個人化

 

墓の変化が起こったのは平成の時代になった時期から。
「家(イエ)」を失い核家族となり、墓の承継の困難さが課題となったことによる。
イエは幻想であったとしても永続性を観念したものであり、墓や仏壇はその象徴としてあった(この観念の普及も実は昭和初期以降のもの)。
だが戦後民法に位置づけられた家族とは一代を本質としたものであった。
娘だけの世帯、子のない世帯、単身者、離婚の増加。
永続を前提とした家の枠外の人が増加した。
これに対し家墓システムは無力であった。

 

永代供養墓の先駆けの一つが京都の「女の碑」である。

戦時中に結婚適齢期を迎え、適齢の男性の多くを戦争で失い単身を余儀なくされた女性たちが、自分たちの墓を求めたものであった。

都市化、核家族墓ブームが招いたのは地方の放置された歯抜けの墓地であり、大都市周辺の墓地造成による自然破壊。

それへの反省と反発が散骨(自然葬)や樹木葬等の自然共生型の葬法を生み出し、人気を呼ぶところとなった。

 

葬式が自宅葬中心から自宅外へと出て行ったのは、自宅での死が少なくなり、病院等の施設に移った結果が招いたものである。

また地域共同体と個の違和感が招いたとも言える。

斎場(葬儀会館)葬は、自宅葬では地域の人が無遠慮に台所にも侵入し、自分も遺族であるのに、弔いに専念できず働くことから逃れられない遺族の女性たちが望んだ結果であった。

今や大きな式場を中心としたものではなく、自宅替わりの小ぢんまりとした、式場より遺族控室が充実した斎場(葬儀会館)が求められている。

 

バブル崩壊から3~4年後、不況が生活に及んできたと感じられるとともに、葬式では大きな祭壇が評価を失い、それまでの社会儀礼色が強かったことに反発するように反社会儀礼とも言うべき近親者中心の小型葬が急増した。宮型霊柩車も急速に人気をなくした。

 

永六輔の『大往生』(岩波新書)が200万部を突破する大ベストセラーとなり「死が茶の間でも話題にされるようになった」と言われたのが1994(平成6)年のこと。葬式をしない火葬だけの「直葬」は、かつては経済的事情や特殊事情から余儀なく選択されたもの。

だが死のタブーが崩れ、葬式が近所の視野から隠れ、一般の人も選択するようになった。

 

「葬式をしない」ことだけが批判されるべきことではなく、この背後には家族の解体、企業共同体の崩壊による絆から逸れる者が増えた社会的現実を見なければならないだろう。

 

そもそも共通した死生観を戦後日本人はもっていなかったのではないか。

 

数字的に挙げるならば、平均会葬者数は2005(平成17)年の公正取引委員会調査ではバブル期の半減以下の132名になり、2011(平成23)年の経産省調査では114人となった。

但し全葬儀の67%が100人未満の葬儀であった。
1991(平成3)年には平均会葬者数が280名であったから、これに比すと半分以下の59%減となっている。

 

NHKの「無縁社会」(2010年)の調べでは、誰かも特定できない行旅死亡人が全国で年1千人、縁者はいるが引き取ることを拒否された死亡人が年3万1千人。

推定ではあるが引き取り手はいても死体処理的に火葬だけをされた死亡人は年10万人はいるだろう。

この数はますます増えている。
年間死亡者数の1割は弔う親族がいない、と思われる。

※「2015(平成27)年人口動態統計(確定数)の概況」(2016年12月5日公表)では出生1,005、677人、死亡1,290,444人…なので約12~13万人程度となると思われる。

 

 

超高齢社会の到来
 

 日本の高齢化の進捗は著しい。

 

「高齢化率」とは全人口に対する65歳以上人口の占める割合をいい、国連では高齢化率7%~14%を高齢化社会」とよび、高齢化率14%~21%を「高齢社会」と呼び、高齢化率21%以上を「超高齢社会」とよんでいる。

 

日本は1950(昭和25)年には高齢化率は5%未満であったが、1970(昭和45)年に7%を超えて「高齢化社会」に入り、1994(平成6)年には14%を超えて「高齢社会」となり、2011(平成23)年には23.3%で世界一の「超高齢社会」となっている。)

2013(平成25)年には4人に1人が高齢者に、2035(平成47)年には3人に1人が高齢者になると推定されている。

 

死亡者の年齢もかつては80歳を超えて亡くなった場合には、「天寿をまっとうした」などといわれた。
80歳以上で亡くなる人は昭和初期にはわずか3~5%程度であった。2010(平成22)年の人口動態調査では、全死亡者の55.5%が80歳以上で亡くなった人の率である。※2015年現在では6割を超えた。
今では90歳を超えても「天寿」とは言われなくなった。
増加した認知症や身体不随の高齢者を支えきれない家族が増え、社会も支えきれずにいる。
「大往生」とは大違いである。
 
昔であれば自宅で看取り、口から本人が自力では食せないことで自然に死期にあることを共有したが、病院では点滴による過剰な栄養補給がなされ人工的な延命さえ行われている。
根本的に「自然死」が問われる時代にきている。
 
人の死でこれほど宗教が無力だった時代はないだろう。
自然に抱かれて往還する霊魂観をもつのでもなく、かの世である浄土や成仏を確かにイメージできるわけでもない。
映画「おくりびと」ブームが意味したのは、身近な人の死が本来もつ人間的な意味、感情を手探りする想いがあることだろう。
宗教がその想いに寄り添えるか、それは簡単なことではないだろう。
 
 

 

2016年12月 7日 (水)

葬送は戦後二度目の転換期-揺れ動く日本人の死生観 第1回

私の書くものを知っている方にとっては「また同じことを書いている」と思われるだろう。

同じ人間が書くものだから基本的ラインは同じであることは了解いただきたい。
 但し、書くものによって少しずつ例証などが変わっている。その点に注目して読んでいただけると幸いである。

本稿のもとになっているのは2010(平成22)年に神社神道の『月刊若木』に寄稿したものであるため、神道者を意識している。

3回に分けて掲載する。

第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの

第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来

第3回 日本人の死生観と神葬祭

※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。

 

 

揺れ動く日本人の死生観 変わる葬送 第1回

①葬送は戦後二度目の転換期

 

日本の葬儀は太平洋戦争後に二度の大きな変化を経験している。
今、ちょうどその2回目の変化の途中にある。

最初は昭和30年代以降の高度経済成長期であり、第二は平成3年のバブル景気崩壊に始まる。
言うならば
日本経済の大転換期に葬送も合わせて大きな変化をしてきた
と言えよう。

 

高度経済成長期には祭壇の大型化に象徴される葬儀の社会儀礼偏重の肥大化、大都市周辺での核家族用の事業型墓地の開発が進んだ。


バブル崩壊に伴い、「家族葬」に象徴される葬式の小型化、個人化、自宅葬中心から斎場(葬儀会館)葬へと変化した。

墓では跡継ぎを必要としない永代供養墓(合葬墓、合葬式墓地)、散骨(自然葬)、樹木葬と多様化が一挙に進んだ

 

②高度経済成長が招いたもの

 

戦争および戦争直後に、国民のほとんどが近親者の死を体験しながら、満足な弔いができなかったという大きな悔いを残していた
経済的に復興した後、その悔しさを取り返すように、人並みの葬送を求めるあまりに、肥大化、奢侈化を招いた

という不幸が高度経済成長期にはあるように思う。

しかしこの時期、急激な都市化が進み、戦争直後は郡部人口が8割、都市部人口が2割であった日本の人口構成が逆転し、都市部人口が多くなり、今日の地方の疲弊、過疎化を生む源となった。
日本は経済成長と引き換えに地域共同体の繋がり、血縁を中心とした「家」の紐帯を失う方向へ舵を切ったのである。


「葬儀・告別式」は、戦前の大都市部では既に出現しているが、全国に普及したのはこの時期である。
各地に残っていた死者を親族、地域の人が葬列を組んで送る野辺送りが姿を消して告別式に代わり、葬列の代わりに宮型霊柩車が走り、告別式の装飾壇として大きな祭壇が葬儀場に置かれた。

葬式を出す家の前に家紋が入った提灯、墓石に家紋が彫られるのは、華族や士族でもないかぎり一般の庶民が使うようになったのは昭和30年代以降のことである

 

葬式の会葬者の増加は、大型祭壇とともに弔いの立派さと錯覚された。

その結果、バブル期の最後には、故人を知る会葬者はわずか3割であり、生前の故人を知らない会葬者が7割を占めるという奇異な現象を招いた。

つまり悲しみを共有しない人が大多数で、悲しみを抱えた遺族が、自身の弔いを横に置いて、第三者の会葬者に失礼がないように気苦労するという、葬式本来の意味から外れた方向に向かったのである。

 

仏教の戒名(法名)、院号問題が起こるのもこの時期である。

戦後の農地解放により大土地所有者であった仏教寺院が、戦後の占領軍による財源を失い、やはり大土地所有者であった檀家総代等の有力支援者が経済的に没落して、困窮の底にあった。
高度経済成長を迎え、その仏教寺院が、経済の民主化に基づく庶民の院号要求という前に金銭の取引による院号売買という禁じ手に手を出したことによる

庶民は大きな祭壇だけではなく、死後名の立派さも求めたのである

 

確かにこの時代、日本は経済的に大成功した。

GNP世界第2位の経済大国となり、戦前からの課題であった庶民の経済的困窮を乗り越えたかに見えた。

医療も発達し、乳幼児の死亡率も大幅に減少し、長寿化を達成した。

しかし、失ったものも少なくない。

 

失ったものは自然と人間の調和であり、人間の暮らしを通した絆、連帯であり、死を見ないようにしたいのちの生に偏した考え方が主流となったことである。(続)

2016年12月 6日 (火)

書評再録『夫の死に救われる妻たち』

ジェニファー・エリクソン、クリス・マゴニーグル(木村博江=訳)

夫の死に救われる妻たち(飛鳥新社)

フロイトが「喪とメランコリー」を著したのは1917年。
だが、死についての、しかも死別の悲嘆(グリーフ)についての研究(サナトロジー)、が本格化したのは朝鮮戦争後、日本では
85年前後からであった。

しかし、遺された家族が喪に服すことが当然とされたのは古代にまでさかのぼる。
特に夫と死別した妻が「未亡人」と言われ、悲しみ、慎まねばならないとされたのは古くから世界的に共通した慣習・規制であった。


米国では死別体験者の自助(分かち合い)の会が活発である。
当事者にしかわからない死別の悲嘆(グリーフ)を、死別者という共通の土俵にある者が、率直にその悲しみを述べ、聴きあう場がグリーフワーク(喪の仕事、悲しむ作業)に有効だといわれている。

しかし、同じ死別者でも、病気による死、突然の事故や災害での死、子どもの死、自死による死では異なる。
最近では死別の種類によりグループを分ける傾向にある。悲嘆比べが行われ、会に出席することで、より傷つく事例もあるからだ。

ジェニファーは初婚相手と死別し、自助会に参加し、悲嘆心理カウンセラーとして参加していたクリスと出遭う。二人の出会いのきっかけだ。

ジェニファーは夫婦生活が破綻し、離婚を弁護士に相談すると告げた翌日に、夫を交通事故でなくし、悲嘆ではなく「心からの解放感を感じた」とカミングアウトした。

死を悲嘆と見るのが当然視されるのに、死を悼まない例外的存在であったのはクリスも同様だった。死別で解放感、幸福感等を感じた人は後ろめたい感情に責められる。

死別が悲嘆をもたらすのは、生前の死者とのそれぞれの関係による。
感情は関係いかんにより変わる多様で個別、固有のもの、という当然のことがタブー視されている。死の認識も個別である。

「人間らしさ」とは、その固有の自然な感情を自然だと認めること、というのが二人の主張。
40の実例が死と喪の多様性、固有性を雄弁に語る。

(2010年10月共同通信より配信)

2016年12月 3日 (土)

「宇宙葬」の可否?! クイズ番組に出す不見識

昨日の夜クイズ番組を見ていたら、

「宇宙への埋葬は可能か?」(この通りの表現だったかどうかは?だが)
という質問が出された。

「可能」が正解とされたが、出題そのものが不見識である。

これはやらせである。
「宇宙葬」を手掛ける銀河ステージあたりが仕組んだのだろう。
法的規制はない。だから「いい」とは言えない。
私はこの「宇宙葬」なるもの、人の夢を利用した「えげつない商法」だと思っている。

事業開始後数年経過して、新しいニュースでもないのに、この会社の働きかけに応じて大々的に報道した新聞、雑誌があるが、
「報道がこの会社の事業の宣伝の片棒担ぐことになる」
と批判したが、コメントそのものが抹殺された苦い経験がある。

米セレスティス社のCelestis Memorial Spaceflightsを提供するもの。
遺骨を粉骨したものをカプセル(標準クラス・シングルで1g、ツインで2g、ファーストクラス・シングルで3g、ツインで7g)に入れ、ロケットに搭載、大気圏外に打ち上げ、いずれは重力で墜ちてくる際に燃え尽きる、というもの、45万円以上かかる。

私は、宇宙空間は今でも宇宙ゴミが心配されている人類共有の大切な空間、汚すおそれのあるものは自粛すべきだと思っている。
規制がないことをいいことに、さまざまな商魂での利用は慎むべきだと考えている。
こうした事業は「葬送の自由」でもなんでもない。

この社のホームページに
Q.
宇宙葬に関して、法律上の問題点はありませんか?
A. 日本では墓地、「埋葬等に関する法律」により「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」と定められていますが、宇宙葬や海洋への散骨に関しては「葬送の一つとして節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪には当たらない」というのが法務省の見解として発表されています。

とあるのは明らかな嘘である。(※「墓地、埋葬等に関する法律」、「墓地埋葬法」「墓埋法」と略される。)

「法務省の見解」そのものが存在しない。
91年10月に葬送の自由をすすめる会が最初の散骨を相模灘で行った際に、これを朝日新聞の社会部記者(同会会員)が報道にあたって法務省刑事局担当官に面接した際、担当官は「法務省として見解を出すことはない」と断わった。
これに対し、食い下がった記者に対し「法曹人としての個人としては、遺骨遺棄を目的にするのではなく、あくまで葬送を目的として相当の節度をもって行うのであれば、遺骨遺棄を禁じた刑法190条の法益上、即違法とか考えて対処すべきとは考えてはいない。」
と「違法見解」に踏み切らない背景説明を行った。

これを朝日記者は意図的に「法務省が見解を発表」としたものである。
法務省が記者会見を行って発表したものではない。
言うならば、この記者のスタンドプレイである。
(以上は私が直接取材したものである。)

「大朝日」がそう書いたものだから、事実関係を調査しないマスコミや学者たちが「法務省見解」があることを既成事実として書いた。愚か者たちよ!

しかも、朝日の記者は意図的にだと私は思うが、担当官の「相当の節度があれば」を「節度があれば」と書き換えた。

私も法務省見解によるのではなく
、「葬送を目的として、相当の節度【遺骨が原型を残さないよう細かく砕き、撒く場所も風評被害が生じない場所(生活用水として用いられている河川、養殖場や海水浴場の付近、他人の敷地等は避けて)で行う等】をもって行うならば違法とは言えないという法的合意がおおよそできている
という見解を示している。

この朝日の歪みある意図的報道にせよ、相模灘の散骨に対して言っているので、この当時「宇宙葬」なるものに言っているのではない。
ないものに対して「見解」があるわけないのだ。

こうした銀河ステージの説明を鵜呑みにしてテレビはクイズ番組の「正解」を作っている。
答のないものは答がないのだ。
これは「正解の捏造」であり、こうしたクイズの質問そのものが「宇宙葬」事業の宣伝なのである。

この会社のホームページを覗いてみて驚いた。
葬送をなんでも商売にしている。
ここの「樹木葬」なんていい加減だ。
「樹木葬」が商標登録されなかったことを利用して、過去の歴史も理念も無視して、「樹木葬」を名乗る。
多少係わった者だから言わせてもらうが、こんなの「樹木葬」jじゃねぇや!
ここには葬送の理念はなく商魂しかない。
 
いちいちろくな検証のない、安易な作りのクイズ番組にケチをつけるのは大人気ない。
しかし、変な「常識」が捏造されるのは嫌だ。

福島から自主避難した子どもに対して担任教師までも「菌」呼ばわりしたニュース
 
新潟市の小学校で、原発事故のあと福島県から自主避難してきた4年生の男子児童が、担任の教諭から名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれたとして、1週間以上、学校を休んでいることがわかり、新潟市教育委員会は、児童の心を傷つける不適切な発言だったとして謝罪しました。(NHK
の方が重要である。
 
「びきまえ」YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jLHWb0KD45c
3回目が公開された。
「第401回  改めて問われる遺体への尊厳 ~葬送明文化の礎登場!400回記念更新月間~」
相変わらず私の滑舌の悪さは酷い。
内容は「遺体を取り扱わない葬儀社なんかあり得ない。遺体の尊厳を守る最後の砦は葬祭業者」という話。

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