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2016年12月31日 (土)

お墓の引越し、墓じまい、遺骨処分等―「改葬」問題のコンテキスト②

お墓の引越し、墓じまい

2015年10月27日、このブログで「墓じまい」について書いた。

今「ハカジマイ」ということが結構話題になっている。
週刊誌的にはいい話題なのだろう。

少し前までは地方にある墓を住所地、例えば東京に墓を移す、「お墓の引越し」つまり「改葬」が話題になっていた。
遠隔地に墓があったのでは墓参が大変、という理由であった。

今はもう少し進んで、継承者の必要な墓は地方でも東京でも維持がたいへんなので、家族の墓を整理して、継承者を必要としない「永代供養墓」(合葬墓)等に移すことを言うようである。

少子化、生涯未婚率の上昇もあり、墓が家族で維持していけないというので行われるものである。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2015/10/post-4a92.html


ここでも触れているが、今「改葬」は主として「お墓の引越し」と「墓じまい」の2通りで話題になっている。
経緯的に言うならば、「お墓の引越し」が90年代から問題になり、2010年代から「墓じまい」が問題になった。
「お墓の引越し」は都市化、つまり地方から都市へという人口移動がもたらした問題であり、「墓じまい」は少子化や家族の解体がもたらした問題、ということができる。
この2つはつながっている。
「墓の承継者不在」が問題となり、承継者を必要としない墓である「永代供養墓」が登場し、話題を集めたのは90年代である。
その後に現れた「散骨(自然葬)」も「自然回帰」だけではなく、承継者不在が背景にあるし、90年代末に現れた「樹木葬」も「自然回帰」「自然保護」「承継者不要」ということを背景に登場した。

そして新しく登場した「墓じまい」はその後処理として「永代供養墓(合葬墓)」「散骨(自然葬)」「樹木葬(樹林葬)」が選択されている。
つまり、90年代の新しく登場した「承継者不要」の葬法が「墓じまい」に道を拓いた。


遺骨処分

そして「墓じまい」は今新しい局面を迎えている。
それは「遺骨処分」ということである。
「0(ゼロ)葬」と言われる火葬後の骨上げ放棄であったり、「送骨」と言われる3~5万円でのゆうパックでの永代供養墓への火葬後の遺骨の送り付けである。


「墓」以前の問題であるが、そもそも「遺体引き取り」されないケースが多い。NHKが2010年に「無縁社会」で調査した結果が、年間で行旅死亡人が1千人、身元は判明したが縁者に遺体引き取りを拒否された遺体が31,000体であった。
2016年それが推定で約5~6万体になっているのではないか、というのが私の推定。

「引き取られない遺体」はそのまま「引き取られない遺骨」になる。
しかし、「引き取られた遺体」でも「引き取られない遺骨」になる事例はある。
火葬まではするが、それ以上を拒否する例である。
これは今ほど多くないが古くから(80年代から)少しずつ見られた。
火葬すると縁者がドロン、火葬場に残された遺骨は「取りにくるかもしれない」というので保管される。
保管期間は最低5年というのが多いようだ。
その後は行政や理解のある寺等の墓地が合葬墓や納骨堂に引き取られる。

私が注目したのは「いやいや引き取られた遺体」の存在である。

気持ちが落ち着かない、というのもあるだろう。
また単独者の死の場合、引き取られないのは圧倒的に「遺産がなかった」事例が多いだろう。
別な言い方をすれば、
「本当は引き取りたくないのだが、遺産があるため仕方なく遺体を引き取り火葬にした。しかし、その後の遺骨までを守っていくつもりはない」
という人が「遺骨処分」を選択する。
(これがすべてではなかろうが)

今や3~5万円で個別埋蔵ではなく「合葬」ということであれば引き取る寺、墓地は少なくない。
その代表が「送骨」である。


骨壺での埋蔵、カロート

そもそも骨壺に入れて個別埋蔵が増えたのは戦後のことである。
骨壺での個別埋蔵が可能なように墓所には言葉の起源がはなはだ不明な「カロート」が設けられた。
理由の一つは「改葬できるように」であった。
石材店は骨壺に入れた状態での個別埋蔵が「丁寧な供養」と勧めたのであろうが、その結果、遺骨が土に還ることはなくなった。

もっとも近年の先端が1200度、平均800度という高熱で火葬された焼骨はなかなか土に還らなくなったということだが。
カロートの広さは有限だから、骨壺でいっぱいになると古い遺骨から骨壺から空けられる。


墓の変容

「墓」の歴史は確かに古い。
しかし、今の墓の形態が昔からあったわけではない。

民衆が墓をもち出したのは室町後期以降。
貴族であっても平安期にはさほど墓を意識しない例は多かった。
土葬が多かったから遺体を埋葬しなければならない、という意味では墓はあったが、多くはそんな立派なものではない。
土葬が多かったこともあり、江戸時代までは個人墓が多い。
火葬墓も土葬墓も墓石はあっても小さいもの。今の墓石と比べるとすこぶるささやかなものであった。

「家墓」が多くなるのは明治末期。
「家」を基礎にした明治民法とコレラにより伝染病予防法ができ、火葬が推進されたことによる。

私の曽祖父の墓が品川の東海寺にあるが、その墓石は大きい。側に今の墓石の大きさに近い大きさの曾祖母の墓石が並んでいる。
しかし大きいのは曽祖父が陸軍の将軍だったからである。

近くの寺院の墓地に行ってみて気づくのは日中戦争、太平洋戦争で戦死した者等の墓石の巨大さである。
戦死者の墓が巨大化し、死者の戒名に院号が付けられるようになる。

日本の火葬率は現在ほぼ100%であるが、火葬率が6割を超えたのは1960(昭和35)年のこと。
全国的に今のような家墓形態が増えたのは60年代以降だと言ってよい。

60年代以降に高度経済成長を背景に墓も変容する。
御影石等のブランド石が用いられ、民衆の墓石には家紋が登場する。
死者の戒名に院号がインフレのように付けられ、葬儀でも提灯や水引幕に家紋が付けられた。

「家紋」だから古い、と思っているだろうが、士族は別にして民衆が家名をもつのは明治維新以降。1875(明治8)年以降のこと。
葬儀社、墓石店が「付加価値」として高度経済成長期に家紋を普及させた。

戦後民法は「家」を廃し、結婚を機に新しい世帯を作る核家族が基礎となる。
高度経済成長を背景に続々誕生した家墓は実態は核家族墓である。
「マイホーム」が流行語となる。
今日のように「持ち家」の名前で使われるようになるのはもう少し後である。

核家族であるから子のいない世帯は継続性がない。
80年代には両家墓が都市の墓地では珍しくなくなり、墓の非継承性が問題となる。
80年代末から脱継承の「永代供養墓」が登場し、話題を集める。


生涯未婚率の上昇、単独世帯の増加

しかも近年は結婚そのものが選択肢になっている。

国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集2016年版』
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2016.asp?chap=6
によれば、
50歳時の未婚割合(生涯未婚率)は
1960(昭和35)年 男性1.26%、女性1.88%
(圧倒的に既婚が多かった、既婚者でも女性は70年代まで死別が多かった。夫の戦死経験者が多かったからである。)
2010(平成22)年 男性20.14%、女性10.61%
これが2035年頃になれば生涯未婚率は男性4割、女性3割になるだろう。
離婚も増えた。
離婚数は年20~30万件、婚姻数が60~80万組に対して3割近い。

『平成27年国民生活基礎調査の概況』
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa15/index.html
によるならば
平均世帯人員は、1953(昭和28)年が5人、2015(平成27)年には半減の2.49人
単独世帯の割合は1983(昭和61)年が18.2%、2015(平成27)年には4分の1を超える26.8%。
高齢者世帯の割合は83年が6.3%だったのが、15年には4分の1を超える25.2%。
「超高齢社会」と言われる。
高齢者(65歳以上)がいる世帯の単独世帯も増加しており、83年が13.1%であったのに対し、15年はやはり4分の1を超える26.3%。
「お一人様の死」はもはや少数者の問題ではない。

「家族」は3分の2の人にとって親密な感情をもってとらえられる言葉であるが、3分の1の人にとっては疎遠な感情でもってとらえられる言葉になった。

こうした変化は当然にも、葬儀、墓に影響してくる。

※この項続く。「改葬」を論じるつもりが、だいぶ横道に逸れている。

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