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2017年1月に作成された記事

2017年1月31日 (火)

へぇ、多死社会ってもうかる社会なんだ!?

いまは通勤時間がないから、朝日新聞の朝刊をゆっくり読み、ネットで毎日等各新聞や各媒体に目を通す。

朝日新聞朝刊
福島第一2号機、原子炉直下に黒い塊 事故の溶解燃料か
http://www.asahi.com/articles/ASK1Z4D49K1ZULBJ005.html
には福島原発問題の先行きの見えない闇を感じる。

あまり関心がなく素通りしてしまいがちな
日経新聞1月30日
大和、中田副社長の社長昇格を発表 日比野社長は会長に
   
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL30HPP_Q7A130C1000000/
これを朝日新聞1月31日朝刊では
メガバンク系攻勢、「独立系」は正念場 大和証券グループ本社社長に中田氏
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12773100.html
と報じている。
その中にこう書いてあった。

中田氏は、法人部門の経験が長く、現在は個人営業部門のトップ。高齢化が進む中、相続資産などの運用のニーズをつかむため営業を強化する。「年間50兆と言われる大相続時代。主戦場は国内だ」という。

資産0の人間はほんとうに疎(うと)かった!

「終活」でも遺産相続がなぜ活況なのか?
行政書士、司法書士、弁護士が遺言、相続を手に「終活」にかくも熱心に群がるのか?

底辺しか見ていないと、

相続が争族になるのは金持ちだけではない。

という問題だけしか見ていなかった。

「格差社会」という現実は見てきたつもりだった。
かつて社会で相対的に「富裕」と言われた高齢者世代が貧困化に向かっている。
そこでさまざまな問題が出ている。
若年者の貧困化も進んでいる。
子どもの貧困化も大きな問題だ。

しかし、金持っている奴はこんなにいるんだ!

調査をしていた時、信託銀行は既に富裕層を握っていて、いわゆる大衆の信託にはリスクが大きい、効率的でないと冷たい視線でいたことを思い起こす。
超高齢社会を迎えた日本。
「一握り」に過ぎない富裕層の資産はべらぼーなんだ!

彼らにとって

「多死社会」というのは儲かる社会のことなのだ!

葬祭業界なんて、これに比べればかわいいものだ。
せいぜいが1兆5千億円の総市場。

小型化傾向が進み、売上単価は顕著に低くなり(事業者に差があるが)、死亡者数が増加しても総売上の減少傾向がとまらない。
あげく件数は増加しているから手間がかかるので従業員は増えている。
しかし正社員は増えず、非正規ばかりが増える。
しかも低賃金化が進む。
葬祭企業でブラック企業問題が騒がれるのも時間の問題だ。

横道につい逸れた。

資産がこれだけ多く、一方で貧困化が言われているのに、しかも増加傾向にある!

同記事に

各社の力量を測る「預かり資産」をみると、2016年9月時点で野村は99兆円、大和は49兆円、SMBC日興は45兆円。この3年間の増減率をみると、野村は9%増、SMBC日興は22%増三菱UFJは16%増、みずほは5%増。大和はそれよりも低い3%増にとどまった。

そうか、と考え日経やらを検索してみると、
各社預かり資産を増やし、運用益を上げようと必死だ。

「終活」に群がっているのは「心優しい」人間、企業ばかりではないのだ。
(もとより心優しい人間も企業もいる!)

しかし、心優しくない彼らは、これから深刻化する多くの貧困化なんて関心ではないのだ。
「持っている」人間の取り合いなのだ。

多死社会というのは資産の奪い合いが激烈化する市場でもあるということだ。

これが「終活」の裏にうごめく一つの現実か、と思うと、ゾッとする。

2017年1月29日 (日)

「布施」の問題の現況―戒名、布施問題の多角的アプローチ④

「布施」問題の現況

「布施」が今問題になっているのは、主に「葬儀の布施」である。

通称「お経料」とか「戒名料」と言われるのはその類である。

葬儀のお経の対価として「お経料」、戒名の対価として「戒名料」と言われる。

仏教会では「布施は対価ではない」として、布施は本来定額化されるべきではない、と布施の定額化に抵抗する。

それに対して僧侶派遣業は「消費者はいくら支払っていいかわからないで悩む」と、「明瞭化」をうたって定額化を進める。

寺院の一部では、消費者の「わからない、という心理は理解できる。強制ではなく、目安は出すべきだろう」と目安金額の提示をしている。

ネットで見ていると葬祭関連事業者ではなく、寺院のホームページに「布施料」などといった表現を見つけ、思わず嗤ってしまったことがある。

「布施」基盤の喪失

「布施」は寺院の財政的基盤であることは事実である。

寺院は信仰共同体であり、これの運営を財政的に支えるのは檀信徒であり、それが「布施」である。

ところが檀信徒に寺を支えるという意識が希薄になってきている。
あるいは寺を積極的に支えようとする檀信徒が少なくなってきている、ということが一つの問題。
昔は「大旦那」という存在がいたが、今は少ない。
金をもっていても大きく負担しようという大旦那がほとんどいなくなった。

もう一つは、宗教的浮動層の増加により、そもそも寺との関係がないにもかかわらず、葬儀や法事だけに僧侶を呼ぶケースが少なくない。

彼らには寺の活動を支えようとする意識はなく、あくまでも葬儀や法事の宗教的サービスの対価としての意識しかない。
そこで「対価ではない」と言ってもチンプンカンプンという現実がある。

彼らに寺を支える「布施」という意識はまるでないのだから、「対価である以上、料金を明示してほしい」という意見があるのは、ある意味で当然と言える。

寺院は「建前」を主張するが、宗教サービスの受け手である消費者は「本音」で迫る。
その「せめぎ合い」というのが「布施」を巡る問題である。
布施が寺院の財政的基盤、という問題は、布施の本質論だけではなく、寺院に「定額化」が布施の安い水準への統一になり、寺院収入を減らすことになるのではないか、という危機感もある。

地方寺院の問題

寺院の状況も異なる。

都市化つまり過疎化で、地方寺院は檀信徒が減少し、そもそも寺院収入は低下傾向にあり、地方経済も悪化しているから檀信徒にこれ以上の負担を求められない。

そこで寺院の僧侶は檀信徒に頼るのではなく、自ら正業を別にもつ。
つまりは兼業化している僧侶が多い。

但し、兼業寺院の現実も困難を抱えている。

兼業の主なものは昔から「役所の職員」「教師」「農協の職員」が多かった。
ところが役所は地方自治体の広域合併で職員が減っている。
教師は少子化で減っている。
農協も大型合併で職員数が減っている。

つまりは兼業先が少なくなっている。
住職が兼業できないと寺院は跡継ぎ不足に悩むことになる。
地方に行けば「子どもに寺を継がしていいものか」と悩む僧侶は多い。

また1カ寺で専任の住職を雇えない寺では複数の寺を兼務する「兼務住職」に頼る。
中には10カ寺ほど兼務する僧侶もいる。
いっそ寺を合併すればいいのにと思うが、これは一筋縄ではいかない。
それぞれの寺の檀信徒にとっては「おらが寺」であり、合併を好まない檀信徒が多い。

こうした兼務寺院では寺の本堂等の老朽化が大きな問題となる。
老朽化した建物を修復したいと思っても、当該寺院の檀信徒だけではできない。
そこで兼務先の他の寺の檀信徒に寄進を呼びかけても、自分の寺の話ではないので応えようとする人は少ない。
よって荒廃する寺院が後を絶たない。

「布施」相場の格差

葬儀の「布施相場」は、全国平均すれば40~50万円というところだが、現実的に多いのは20~30万円というところである。

都市部では50~70万円という数字が言われるが、郡部では5~10万円というのも少なくない。

5万円と70万円の違い、それはそのまま檀信徒の経済力の差である。

もう少し言うならば、郡部の寺の僧侶は地域住民と顔が見える場所にいる。
都市部の寺の僧侶は地域住民という感覚がなく、顔が見えない場所にいる。
という問題である。

この問題は大きい。
郡部寺院の住職は檀信徒の生活が見えているので「もっと」とは言えない。
都市部寺院の住職は檀信徒の生活が見えないので「もっと」と言える。
さらに言うならば、宗教的浮動層は檀信徒ですらない。顔が見えるはずがない。

「僧侶派遣」の問題は寺院格差を背景とした問題でもあることが問題を複雑化している。
(この項続く)

2017年1月26日 (木)

息が止まる時―個から見た死と葬送(17)

息が止まる時

生命の火がかすかに揺れている。

静かにろうそくの火が燃え尽きようとしているのだが、そこはかとなく保たれている。

見ているしかない。

新たにろうそくを足すでもない。

新たに何かをすることを本人が本能的に拒否しているように思えた。
最期の生きざまを見守るしかない。


何もできないことを最初は切なく思ったのだが、本人を見ているとそれとは違う。

本人は、その消えゆくさまを楽しんでいるかのようだ。
まるで遊戯をしているようだ。


閉じた目が開くことはなく、
静かに息をするのを辞めるのではないか、
ほぼそのようだ、
と思っていると、
何ごともなかったように目を開け、
たどたどしいが
「おはよう」
と言う。

同じような日が数日続いたある日、
23時に病院から
「血圧が低下して危険」
との報せが入った。

眼の周囲が昼間より、深く窪んでいるように見える。

明け方だった。
人目には焦っているように見えるのだが、本人は表情そのものを変えることなく、大きく下顎呼吸を繰り返した。
その後、大きくため息をつくようにし、息は止んだ。

後期高齢のだいぶ
手前にあるが、
「惜しい」
とは思わなかった。

「もう、充分だ」
と、私たちには思えた。
ようやく家に帰すことができる。

不思議な生き物である。
人間という奴は。

そのすべてのいのちが人間のはからいの世界から外れている。

それがあるときは魔物に攫われるように感じられるのだが。

そのいのちを左右することは誰にもできない。

宗教者にも医師にも家族にも本人にもできない。

「いのちは尽きるから尊い」のではない。
生も死も含めて、ここにあることが尊いのだと思う。


周囲を見ていて、
それ以外の選択肢はないのではないか、
と思ってしまうのだ。

2017年1月25日 (水)

子連れ無理心中―個から見た死と葬送(16)

子連れ無理心中

こういうニュースがいちばん怖い。
しかも記事はいつも中途半端だ。
そこに至った経緯を想像しようとしても何も見えてこない。


でもそのニュース記事を書いた当の記者にもそれ以上は書けなかったのだろう。
警察が発表した以上の情報はないのだろう。

おそらくそれを探ったならば、1日はもとより数日でも済まないだろう。
半年あってもその真実はわからないだろう。
また、仮にわかったとしても、それを明らかにすることは死者に対してどうなのだろう。
多くの者が傷つくだろう。
しかし、そこにはもしかしたら、第三者としてではなく、明らかにすべきものがあるかもしれない。
記者は自問するだろう。

見出しが扇情的であるのは、
「自分が書かなくとも他社は書く。ならば書くしかない」
と言い訳のようにも感じる。


事柄が痛切なのに、報じるほうは中途半端な姿勢で日常感覚の意識を出ていないかのように見える。

でも新聞を広げた者には、その見出し以上のものが入ってきて、しばし呆然とする。

何故か知る由もないし、知って何かができるわけではない。
いや、何かをしたらものすごい冒涜になるかもしれない。


ときどき

「子どもが病弱なことをこぼしていた」
「仲良く公園で遊んでいた」
などの説明が記事に付されることがあるが、わからないことは同じだ。

いっそ記事にしないでくれと呻く。
だが、その次には別のページをくっている自分がいる。


そんな日は一日憂鬱である。

しかし、それが家族であったら、憂鬱だけで済むはずがない。

何か自分の血が酷く冷たい感じがした。



2017年1月24日 (火)

戒名問題の視点―戒名、布施問題の多角的アプローチ③

「戒名」に関する問題

戒名についての社会的関心の一つは、「戒名料」に係わる問題である。
 
これは生活者の関心である。
近年は僧侶派遣のネット事業等が「戒名料の定額化」を打ち出し、仏教会がこれに反発するという構図になっている。

これはそのまま仏教寺院の財政基盤に関する問題である。

「戒名料とは言わない」というのが仏教会および各教団の立場である。
そもそも「戒名料」と言われるようになったことが問題なのであり、これが戦後の高度経済成長以降の主に都市における「社会的」問題の一つである。

かつてこの議論があった時、大阪の僧侶が「それは東京の問題だ」と言った。
訊いたら「院号料はある」と言う。
私は「その院号料と東京の戒名料は同質の問題だ」と指摘したことがあった。

もう一つは、「戒名」が歴史的に保持してきた階級性の問題である。
そこから派生した「差別戒名」の問題である。
過去において被差別部落民に対して被差別部落民であることを示す戒名をつけたことに対する糾弾とこうした歴史に対する寺院の反省の問題である。

「戒名」「法名」「法号」の基礎理解

以下、共通理解のための基礎的解説をする。
宗派によっても理解は異なる。

元々インド仏教には戒名はなく、仏教が中国に伝わった以降に生まれたものである。

「戒名」とは、仏教教団に入り戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のこと。
本来は戒を授けられ出家した僧にのみ与えられるものだった。
つまりは「出家名」である。


出家しない在家の檀信徒も授戒会に加わって戒を受けることにより、仏法に帰依した者として戒名を与えられるようになった。
これは出家者以外の葬儀をどうするか、で課題となったものである。


日本の仏教の在家葬儀の原型となったのが禅宗の葬儀法である。
禅宗が中国で儒教の影響を受けて葬儀法を確立した。

禅宗では、出家者に対する葬儀法「尊宿喪儀法」と修行途中の僧侶に対する「亡僧喪儀法」があった。
後者の「亡僧喪儀法」を、出家ではない者、つまり「在家喪儀法」に援用した。

修行途中であり、正式に僧ではなかったので、急いで戒を授け、僧とし、あの世に送り出した。
これと同様に僧でない在家の者も戒を授け、剃髪し、僧の如きにし、あの世に送り出した。
江戸時代には男性のみならず女性も剃髪された例があったようだ。

これは民衆の葬儀法が課題となることで生まれたものである。
江戸時代以降、寺檀制度が確立する中で、亡くなった人に授戒して戒名を与えることが一般的となった。

本来戒名は、生前に入信して与えられるべきものだが、死者の場合でも生きている者として扱い、できるだけ早く授戒させようと、しばしば枕経や通夜に授戒が行われた。


これは「没後作僧(もつごさそう、ぼつごさそう)」と言い、亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送るということを表す。
文字どおり「死没後に僧となす」ことを意味する。

授戒は引導と共に葬儀儀礼の中心をなすものとして位置づけられている。

「没後作僧」については、「生前、入信に際して授かるのが本来であるが、その縁がなかった者も死後といえども切り捨てるのではないという仏の大慈悲が存在する」と説明するものもある。

もっとも日本の葬儀では、葬式以前の通夜までは「生と死の中間」つまり「死者を生きているものと見做して」取り扱ったので、通夜までの間に行うのは生きている者と見做して行ったことを意味した。


近年、「戒名料」が問題とされたこともあり、多くの教団では、できるだけ生前に授戒会などに出て戒名を得ておくことを勧めている。


浄土真宗は在家道で教義にも戒律や授戒はなく、「聞法者」という意味をこめて「法名」と言う。
仏法に帰依した者が授かる名前で、「帰敬式」(「おかみぞり」「おこうぞり」とも言う)を受けていただくものとされている。


日蓮宗は「法華経に帰依することが持戒にまさる」ということで、あるいは「経(法華経)を受け持つことが戒を持つこと」という考えから葬儀式に授戒という作法はない。
「信仰に入った証」ということで「法号」が与えられる。

「入信の証」であるならば、本来は生前に与えられるものだが、亡くなった後に授与されることが多く、また生前に与えられていても死後改めて授与し直されることが多い。
特に「院号」等の修飾語が付けられるのは一般的に死後である。


修飾語の問題

戒名(法名)は、基本的には法号の2字である。
平易に表現すれば出家名であり、仏弟子としての名前である。

これに付加された院号、道号、位号は修飾語である。
だが、この修飾語が問題である。

過去において、どんな修飾語を付加するかという基準が、寺院への貢献度と社会的功績におかれた。

「死後追贈の褒章のようなものだ」というのは的を射ている。

寺院への貢献度は、寺院の建立や修繕に貢献したとか、檀家総代として尽力したとか、篤信な信者であったとか寺院または信仰を基準にしたものだから、ここでは問わない。

問題は社会的功績である。

大名だから、武士だから、庄屋であったから、という階級社会の上の立場という理由だけではなく、下の立場の階級付けまでがされたことによる。
この道具として戒名が用いられたことが問題となる。

※今戒名の修飾語の最高位として「院殿号」が位置付けられていることが多いが、これは足利尊氏が最初と言われる。以降、武家が天下を取ったことで、大名家やその上位家臣、旗本に陰殿号が授与されることが多くなったことから来ている。

戒名が檀信徒への褒章としてだけでなく、人の社会的階層づけに利用され、ひいては差別の固定化を招いたことが、仏教寺院の体質、それを許した日本社会の問題として批判される。

「差別戒名」問題

戦後、寺院は宗団全体で差別戒名の調査を行い、その付け直し作業を行った。

※曹洞宗では
曹洞宗がこのような取り組みを始めたのは、1979(昭和54)年の「第3回世界宗教者平和会議差別発言」(注1)に対する人権の確立を願う人びとや運動団体などによる糾弾・学習がきっかけでした。

1981(昭和56)年1月の第1回糾弾会から5回におよぶ一連の糾弾・学習の中で、「差別戒名」の問題、「差別戒名」のつけ方や「差別儀礼」のやり方などが書いてあった「差別図書」の問題(注2)、寺院住職が引き起こした「身元調査差別事件」が提起されました。
そして、曹洞宗としてこれらの問題が実際に存在することを確認、「差別戒名を改正する」「差別図書を回収する」「身元調査に加担しない」ことに取り組むことを社会に約束をしました。この3点の取り組み課題は現在でも、曹洞宗の人権確立へ向けた取り組みの大きな柱です。
(注1) 「第3回世界宗教者平和会議差別発言」
1979(昭和54)年、アメリカのプリンストンで開催された、第3回世界宗教者平和会議(WCRPⅢ)において、当時の全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長が、再三にわたり「日本に部落問題はない」「百年ほど前にあったことで今はない」「部落問題を理由にしてさわぐ一部の人がいるだけ」などの差別発言を繰り返し、WCRPⅢの報告書から部落問題についての言及部分を削除させてしまった差別事件です。
その後、5回にわたり確認糾弾会が行われ、「差別戒名」「差別図書」の存在、「身元調査」に加担した事実などが指摘された、個人の差別発言のみならず、曹洞宗がこれまで抱えてきた差別体質や、歴史・社会状況への認識・疎さの現れであったのです。

(注2) 「差別戒名」、「差別図書」
主に、江戸時代から昭和初期にかけて、被差別部落の檀信徒のみに「授与」された、一般の檀信徒と比較して「不当に差別され、おとしめられた戒名」を「差別戒名」と言い、曹洞宗寺院でもその事象が確認され、現在、改正の取り組みがなされております。
また、この「差別戒名」の付け方の手引書など、曹洞宗関係者が出した書籍について、差別的な記述等が確認された6種類を「差別図書」として回収を進めております。
http://www.sotozen-net.or.jp/activity/jinken/torikumi 

だが、差別戒名だけの問題ではない。
差別戒名の原因となった、戒名が人の階層化の道具であったことへまで及んでいる。

経済の民主化による「戒名料」問題

他方、「戒名料」は、戦後社会における寺院の民主化の問題であったという側面をもつ。

戦後、民主化が達成することにより、一般の檀家は、過去の身分によって戒名が階層化されて固定化されることを嫌い、戦後日本社会の実質的な規範である経済力によって新たに階層化することを望んだ。
それが民主的だと考えたのである。

寺院側にもそれを受け入れざるを得ない理由があった。
戦前の寺院経済を支えてきた大檀家の没落が相次いだ。
大農家が農地解放で没落し、大地主であった寺院そのものも農地解放により経済的基盤を失った。
寺院経済を支える新たな基盤作りに迫られていた。

一方で、都市化により、旧来の檀家ではない新たな都市住民が都市寺院に葬祭サービスを求めてくるようになった。
これらを取り込む基準は旧来の檀家としての貢献度や社会的立場以外のものでなければいけなかった。
それは戦後社会にあっての認められた基準である金銭を置いて他になかった。

「戒名料」という名称は、戒名の階層付けを新たに経済的な貢献度で行うという表明である。
経済の民主化が進み、都市化が進んだ高度経済成長期に「戒名料」が定着し、院号の乱発が行われるようになったのは、理由のあることなのである。

この後、80年代になると消費文化が成熟し、「消費者」という概念が定着してくる。
「安く良質のものを」という考え方は戒名料にも及んだ。

ところが戒名料には公認された社会的基準がなかった。
寺院側も、おおっぴらに戒名の基準が入手時の経済的貢献度とは表明しにくい。
苦々しく感じる寺院も少なくなかった。
寺院それぞれの対応の違いが、消費者には戒名料はブラックマーケットであると映った。

90年代に入ると社会的風潮も変化してくる。
特にバブル経済が崩壊して以降、価値観の変化が見られる。
褒章を求めない人が増えてきたのだ。
世俗化が進み、あの世への信仰が低下したこともこれに重なった。

戒名の院号信仰を支えたものは、死者の冥福を願う切なる心情があったことは事実である。
まさに欧州の宗教改革時代の免罪符に近い意味を戒名は負っていたのである。

だが、あの世信仰が希薄になることによって、その意味すら感じられなくなってきた。
この結果、これまでの戒名料批判に戒名不信が付け加わる事態となった。
これがジワジワと浸透していき、戒名料収入の低下を招き、将来的には寺院経済の基礎が揺るがされるのではないか、という不安が寺院を覆うようになっている。

一方、「戒名を買う」者には檀信徒として寺を支える意識が希薄で、「寺への寄附義務がない」ことが歓迎される風潮がある。
これが寺院側にとって悩ましい問題であり、僧侶派遣業者は「檀信徒にならない」ことをメリットとして宣伝している。

※現在の戒名に対する布施の定額化で、あたりまえのように「院号、居士大姉は別料金」になっているのはいかなる理由によるものか?
「ブランド」化になっていないか?

付加価値だから「高い」のだろうか?説得力をもって語られるのを聞いたおぼえがない。

戒名問題のこれから

教義的には既に今日の戒名問題を正当づけるものはないだろう。

僧となること、仏教徒たることを表明した徴、それ以上のものではない。
このことを教義的に意味づけることは可能であろうが、できるとしても法号に対してである。院号や位号などは歴史社会的に説明できるだけである。

対処としては仏弟子たることを表明し、あるいは授戒した人に対して、法号の2字(あるいは全て院号付きで)を授与するようにするだけである。
現状の没後作僧という死後授与を改めることも考えられる。

だが、問題はそれだけではない。

戦後に戒名問題が現在のような混迷を招いた原因が寺院経済の維持にあったのであるから、寺院経済の基礎をどこに求めるかを新たに考える必要がある。

戦前までの寺檀制度は寺院経済の基盤としてあった。
だが寺檀制度の基礎となる寺院と檀家の関係が葬祭サービスに偏ったものであったことがが一つの問題である。

寺院の活動が何であるかを明らかし、それが檀信徒に理解されて活動資金が支えられるという構造作りが課題となるだろう。

もう一つは、人の階層づけが戦前は階級社会、戦後は経済中心主義を無批判に基準にして行われたことへの検討であろう。
宗教は民衆に寄り添って力になる必要があるが、社会に埋没することではないだろう。
このことをきちんと考えないと、戒名問題そのものは解決しても、姿を変えて同じような問題が再発するであろう。

ことは寺院経済に絡まった問題であるから容易ではない。
できるだけ手をつけないでそっとしておきたいと考える僧侶が多いことは理解できる。

この問題は、仏教寺院の問題だけではない。
日本社会の縮図とも言うべき問題であるように思う。



2017年1月23日 (月)

待合室での会話―個から見た死と葬送(15)

私の通っていた「精神科」が別館から本館の4階のつきあたりに移動する際に「メンタルヘルス科」と名前も変わった。

外科や内科は人も充満しているし、けっこう騒々しい。
看護師や医師も駆けずり回っている。

だが「メンタルヘルス科」がある一角はいつも静かだ。


移動して変わったのは、診察室への呼び出しが名前で呼ばれず、受付番号がポンという音で待合室の画面に表示されるようになったことだ。


隣の、腕に包帯を巻いて待っている女性は、父親とおぼしき男性と一緒だった。


「3度目だからな…」
と父親がぼそっと言う。

娘は
「心配かけてごめんなさい」
と小声で謝る。
「でも気がついたらやっていたの…」


父親
「しかたないさ。死にたくて、死のうとするわけがない。俺も覚悟を決めた。付き合うさ。何回でも」



「自分がどうかしている、ということはわかっているんだけれど…」


私にも経験があるからわかる。
周囲がまったく見えなくなるのだ。
死という穴蔵に吸い込まれていく感じなのだ。

死ぬという覚悟も意思もそこにはなかった。


谷川を覗いていた時、偶然そこに立ち会った人に声をかけられなかったら…
おそらく私は「自殺者」になっていただろう。

2017年1月22日 (日)

死者との関係づけ―戒名、布施問題の多角的アプローチ②

戒名、布施問題の多角的アプローチ②

死者との関係づけ

仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(下)


日本の仏教葬儀の内部に少し立ち入って見てみることにしよう。

※誤解してほしくないのは、ここで教理を語っているのではないこと。
儀礼が民衆の心性とどう関係していたのか、その全部ではなく、一端を探る試みだ、ということである。
一つの見方を提示するもので、あるべき方向を提示しているわけではない。
しかし、これはこれで私の模索の一つの結果を提示している。


「導師」に期待されているもの

死後の世界に橋渡しする存在が導師である。

導師とは民衆に法施をなし、仏法に導く僧侶という意味ではない。
葬儀においては、まさに死後の世界に導く者であり、この役目においては、超自然的なものの化身、代行者であると理解されているように思う。

ある僧侶が地域共同体の葬儀の時代にあって、僧侶は地域共同体の一員として葬儀の儀礼執行を分業した、と語っていた。

だが、分業以上のものであると思う。
その僧侶の人間性を別として、葬儀の導師を務めることによって、聖化された存在と見なされたのであると思う。

創価学会が、僧侶抜きの葬儀を提案したとき、これに対する強いアレルギーが出たのは、僧侶が収益源を失うことへの僧侶からの反発もあったろうが、導師を欠くことにより、あの世への移行が不確実なものになることに対する民衆側の不安があったのではないだろうか。
創価学会の友人葬でも儀典の係が「導師」を務めている。
「導師」の期待されている役割を暗黙のうちに受け入れたのだろう。

枕経

仏教葬儀の儀礼で最初にくるのは枕経である。

枕経とは、新しい世界に移行させるための死者に対する修練であり、秘伝を伝えることであると理解されたのではないか。

歴史的にも中世の浄土教では死にゆく者への臨終経としてあったものである。
枕経は、まさに死者に対するものとして存在した。

授戒

仏教葬儀の中心をなす儀礼は、浄土真宗を除き、授戒である。

これは意味あることであると思う。
授戒は死後の世界に入りしむるための秘儀として位置づけられたのだと思う。

ちょうど古代の男子の成人儀礼で割礼を施すように、授戒儀礼では、死者を剃髪し、過去を殺し、新しい世界の世界観たる戒を授ける。

授戒は、死者を新しい死後の世界に移行させる決定的瞬間なのである。
それ故に授戒が中心をなしたのではないか。

日本の仏教葬儀が俗人が出家して僧侶となるための加入礼を模したことは偶然ではない。死後の世界へはイニシエーションが必要なために援用されたのだと思う。
授戒し、死者が戒名を授かることは、死者が霊的存在として再生したことを示しているのである。

戒名の有無は、死者が死後の世界に無事位置づいたことを示す証明であり、遺族にとっては死者と新しい関係づけをすることが可能となったことを証明するものなのである。
戒名を得ることの意味が、民衆にとってこのように理解されたからこそ、民衆は死者のために戒名を得ることへ殊更に拘ったのだ、と考えると理解しやすいように思う。

そして導師による引導とは、まさに、死後の世界に死者が入ったことの宣言としてあった。

曹洞宗では一挙に仏世界に導くとして「喝(かーっ)」などと大声するが、その場にいる者たちには、深い印象と安心を与えるものである。

藤井正雄が、日本における葬儀式の展開は、真宗と日蓮宗を除き
「没後作僧すなわち死者を仏弟子にする授戒式と、その新仏弟子を浄土に引導するという二重構造になっている」(『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』)
と述べているが、このことは日本の仏教葬儀がイニシエーションをその本質としていることを示しているように思う。

死後の修行という考え

しかし、引導の後にも、日蓮宗などでは、死者は死後しばらくの間は修行するという考えがある。
これは何故だろうか。

イニシエーションにとって、新しい世界に入るには、本来から言えば、修行が必要であるという観念がある。
だが、死者にはその充分な時間がなかった。
そのため死者には死後も修行が課せられたと考えるのが合理的であるように思う。
これが四十九日である。

この死者の修行は死者が単独で行うのではない。
遺族も死者と共に修行に参加することになる。
これが四十九日間を遺族が籠もることの意味であり、喪に服することの意味である。

服喪というグリーフワーク

遺族はかつて、「素服」という死者の衣と等しい服で身を包んだ。
まさに死者と共に修行に参加することを義務づけられたのである。

この服喪は、死は死者に単独で生じるものではなく、死者と遺族の間に起こる共同的なものであることを示しているように思われる。

ファン・ヘネップも
「服喪中は遺族と死者とは共に一つの特別な集団を構成しており、生者の世界と死者の世界との中間におかれている」
と語る。

と同時に、服喪は遺族の悲嘆を位置づけるものであった。
服喪をシステム化することにより、遺族が家族の死によって生じる精神的な衝撃、悲嘆が生じることを自然なこととして認容したのであると思う。

遺族に対して、システムとして服喪を課すことは外からの強制ではあるが、それを遺族自身が主体的になすことによって遺族自身のグリーフワークとなっていく。
遺族は服喪という死者との共同作業を行うことを自らに課すことによって、死者のために供養し、それを死者に振り向けて回向するという名分の下に、グリーフワークをなしたのである。

服喪の習慣が仏教世界だけでなく、各地に見られるのは、死の共同性が文化を超えて人間にとって本質的なものであることを示している。
死別した者の悲嘆が人間にとって極めて自然なことであることが受け入れられていたことを示しているように思われる。

修行を終えた死者は、最終的な秘儀である中陰儀礼(四十九日法要)を経ることによって、新しい世界である死後の世界に一人前として認められることになる。
これは仏教的には「成仏した」「浄土に往生した」などと表現される。

忌み

ここで「忌み」も新しい意味をもつことになる。

四十九日は「忌中」と名づけられ、「忌みの中にある」ことを示すものである。

「忌み」とは、一般に理解されているような、死穢を避けるということだけではない。
古い世界を殺すことを意味したのではないか。
例えば、今でも関西地方を中心に残る民俗である出棺時の死者の使用した茶碗を割る行為である(真宗はこれを嫌うが、一面的理解からきていているように思う。もっとも茶碗を割る風習自体がなくなりつつある)。

これは古い世界である生前の残存物を抹殺し、死者を古い世界に戻りようのない者とすることによって、新しい世界である死後の世界で生かすための象徴行為であったのではないだろうか。

確かに死に対する恐怖心や嫌悪感は現実にあった。
また、愛する存在としてあった死者を遺された生者が断念するという意味もあったであろう。こうした心性を合理化するものとしてもあったろう。

ファン・ヘネップによるなら分離儀礼であるが、忌みは、死後の世界での再生を願って行う、死者の古い世界の抹殺行為という積極的な意味を付与されたのだと思う。

服喪することを「忌み籠もる」と言う。

これは遺族が死穢に染まっているから遠慮して籠もるという消極的な行為だけではない。

死者が新しく死後の世界に再生するための(同時に遺族がグリーフワークをなすことにより悲嘆を表出し、死者亡き後の世界に生きるための)積極的な行為として理解されたのだろう。

カミ、ショウリョウ、ホトケ、ソレイ

死者が、こうしたイニシエーションを経て、つまり死と再生を経て、死後の世界に仲間入りし、加入した存在の名称が「カミ(神)」「ショウリョウ(精霊)」「ホトケ(仏)」である。
また、家族にとっては「祖先」であり、「祖霊」である。

イニシエーションにより死と再生を経たゆえに、祖先は力をもつものと見なされ、現世に生きる者である子孫を超越的に見守り、助ける存在として理解されたのではないだろうか。

まさにファン・ヘネップの言うところの「統合」の完成である。

イニシエーションが完成することにより、死者は死後の世界に位置づき、死者のパワーが生者に統合することによって、生者もまた回復し、死別の精神的混迷から抜け出し、新しい死後のステージに移ることが可能となるのである。

イニシエーションは死を内包する

エリアーデによるならば、
イニシエーションの「目的は、加入させる人間の宗教的・社会的地位を決定的に変更すること」であり、
「哲学的に言うなら、イニシエーションは実存条件の根本的変革」に等しい。
「ほとんどふるえ上がるほどの恐ろしい厳粛さ」を示す儀礼である。

多くの加入礼が、死を内包するという事実は、人間存在を揺るがし、人間関係に裂け目をもたらす二人称の死という事態こそがイニシエーションを必要としたことを根拠づけるのではないだろうか。

イニシエーションとして葬儀を行うのは、死が、単に人が存在を失うというマイナスの出来事としてのみ理解されたのではないからだ。
あるいは、そう理解したくないという想いがイニシエーションを生んだのであろう。

しばしば、死ぬことは、本源である世界に還ること、往還することであると理解された。
これは自然の循環と豊穣を積極的に理解したいという心性から出たものではないだろうか。

仏教の教理を別として、民衆が仏教葬儀を以上のようにイニシエーションとして理解したことは、ほぼ間違いのないことではないだろうか。
そして各宗派の葬儀に対する理解も、死に際してイニシエーションが必要であるという民衆の感覚と無縁ではなかったと思われる。
これが枕経、授戒、引導などの葬儀における位置づけとなって表現されたのではないだろうか。

死と再生

改めて確認しておきたいことは、死が「危機」であると理解されたから、民衆は家族の死に際してイニシエーションを必要としたのである。

死者の再生であり、同時に遺族は死者と共に小さな死を体験することにより、危機に陥った自らの再生をなすためのものであった。

死の危機に直面したとき、近代人といえども古代的心性、つまりは原初的な心性が奥底から湧き上がってくるのでないか。
これは人間の本源からくるエネルギーなのかもしれない。
人間の歴史は、こうして死と再生を繰り返してきたのだろう。

近代人は、世俗化され、聖なる世界から引きずり出された存在である。

それゆえに、儀礼という宗教的世界の中で再生することを簡単には実感できなくなっている。
これは不幸である。

だが、死という危機に直面して、水面下で、こうした葬儀というイニシエーションを必要とする想いがフツフツとしているのではないだろうか。
そうとでも理解しないと、崩れかけているとはいえ、民衆にとって葬儀というものがもつ意味が正確に理解できないような気がするのだ。

現在、戒名問題や仏教葬儀などへの不信が出ている。
これにはさまざまな原因や理由がある。
この背景については、今繰り返すことはしない。

世俗化や近代化を余儀なくされ、これからは、確かに葬儀は多様化してきたし、今後はいっそう多様化が進むだろう。

今や葬儀をどう行うか、についてのコンセンサスが薄れてきただけでなく、なぜ行うのかについてもコンセンサスをなくしているように思う。

だが、家族の死に直面した人の想いが、根本的なところで変わってしまっているとは考えにくい。
死は個別化されつつあるとはいえ、依然として危機であり、危機をもたらすという基本的な部分を変えていないからだ。

人間の死と再生の物語を過去のこととしてだけ共有し、現在のこととしては共有できなくなったわれわれ。
物語に郷愁を覚えつつも、その中に入っていけなくなったわれわれ。
多様化とはそれぞれが、それぞれの仕方で共有されることのない物語を編むしかないところに追いやられた事実を語っているのかもしれない

2017年1月21日 (土)

仏教葬儀で「授戒」がなぜ重視されたか?上-戒名、布施問題の多角的アプローチ①

「僧侶派遣」の話題も賑々しい。
少し基本的に戒名、布施問題をさまざまな角度で考えてみたい。
過去に書いたものも改めて取り上げていることを予めお断りする。


戒名、布施問題の多角的アプローチ


第1回 仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(上)


イニシエーション
20世紀の初め、アルノルト・ファン・ヘネップは『通過儀礼』を著し、
「あるグループから他のグループへ移るには、われわれの社会における特定の儀礼──洗礼、叙品式など──にみられるのと同様な通過の際の特別な様相を呈する」
と看破した。

彼は、人生の
「区切りの一つ一つについて儀式が存在するが、その目的とするところは同じである。つまり、個人をある特定のステータスから別の、やはり特定のステータスへと通過させることに目的がある。
目的が同じであるため、その達成手段は、細部に至るまで同じというわけではないにしても、少なくとも類似するようになるのである」
と分析し、
「出生、幼年期、社会的成熟期、婚約、結婚、妊娠、出産、父親になること、宗教集団への加入礼および葬儀などの儀式が一般的に似ているのはこうした事情による」
とし、
「これらの儀式はすべて皆同一のカテゴリーに組み入れるのが合理的」
として儀礼研究に体系を与えた。

そして彼は、
「通過儀礼はさらに分離儀礼、過渡儀礼、および統合儀礼に分析される」
とした。

あまりに有名になった儀礼の分類であるが、彼は葬式についても一章を設けて詳しく通過儀礼の要素をもつことを分析している。
その冒頭で次のように述べる。

「とむらいの儀式についてまず考えられるのは、主流をなしているのは分離儀礼であって、これに対し過渡および統合の儀礼はあまり発達していないのではないか、という事である。ところが実例にあたってみるとそうではなくて、分離儀礼は数も少なく単純で、かえって過渡期の儀礼の方が持続期間も長く、複雑化しており、それだけを独立したものと認めてもよい位のものもある。さらにまた、葬いの儀礼の中で最も複雑化しかつまた重要視されるのは、死者を死者の世界に統合させる儀礼である」

これは極めて示唆に富んでいる。

統合儀礼、つまり死者の世界へ加入させるための儀礼が重要な構成要素となっていると見ているのである。

私は葬儀を通過儀礼の一類型であることを否定するものではないが、その一つにファン・ヘネップが分類する加入礼として葬儀を見ると、よりよく明らかになるのではないか、というアイディアをもっている。

ここで「加入礼」というのはイニシエーションの訳である。

ちなみにイニシエーションとは、
「 1開始、創始、創業、 2a加入、入会、入門、b入会(門)式、 3a手ほどき、手引き、b秘伝を伝えること、伝授」
(研究社『新英和中辞典』)

と説明されている語である。
文化人類学的には訳す場合には「加入礼」とされるのが一般的である。

成人式のように、古代社会において、古い子どもの世界から新たに成人した世界に加入するに際して、苦行や儀礼を通じて新たな世界に導かれることを言う。

説明的に訳すとするならば
「秘伝を伝授することにより新しい集団に導いて加入させるための儀礼」
とでもなるだろうか。

私は、このところ、戒名について考えてきた。
今一つ、なぜ戒名が葬式において重要なのか、人々が関心をもつのか、自分で納得できなかった。

そんなときエリアーデの『生と再生─イニシエーションの宗教的意義』に出会った。
葬式について論じたものではないが、読んでいて、興奮してきた。

エリアーデは前近代社会のこととして論じているのだが、それは死滅した宗教世界のことではなく、死と葬儀においては根本のところで息づいているのではないかという想いを強くしたからだ。

河合隼雄も『生と死の接点』で
「近代人は…社会的な儀式としてのイニシエーションは棄て去ったが、その無意識内には、イニシエーションの元型的なパターンが存在し、われわれに今なお作用を与えている」
と述べる。

だが、儀礼そのものに仮託する心理も消え去っているわけではないように思う。

特に、日本の仏教葬儀とその中心を占める授戒を解釈する際に、イニシエーションと考えると、見えてくるものがあるように思われる。

予めお断りしておくが、これは思いつきである。まだ考えが詰められていないが、以下、このアイディアを説明してみることにする。


葬儀はなぜ切実なのか?

葬儀は、古い世界である生前の人間が死に、新しく死後の世界に入るためには必要なイニシエーションとして考えられていたのではないか。
古い人間である身体としての人間が死に、新しく霊としての人間が生きるための加入礼の秘儀がまさに葬儀であったのではないか。

死者が出る。
あくまで2人称の死として起こった場合である。

遺族は葬儀を行うことに拘る。
このわれわれがよく知っている拘りはどうして生ずるのであろうか。
この点が私が拘るところである。


ここには「弔う気持ちは人間の自然の感情」と説明される以上の拘りがあるように思われる。

その葬儀をすることへの遺族の拘りは多くの場合、今でも実に切実である。


これは何故なのだろうか。

葬儀をしないと、死者は行き場所を失うからではないのか。

日本の民俗的観念では、弔われず、行き場所を失った死霊は、しばしば生者に対して害をもたらすと信じられてきた。

死者が行き場所を失うことは、遺された者としても死者との関係づけができないまま留め置かれることになり、これが遺族に大いなる不安をもたらすのだろう。

したがって死者を死後の世界に加入させることは遺族に課せられた大いなる義務としてあるのではないだろうか。

葬儀において、分離儀礼、つまり死者を古い生前の世界と分離させることは重要であるが、分離は既に死によって発生したのであるから、より重要になるのは死者を新しい世界に移行させることにある。
分離は加入のために残存しているものをせいぜい切り離すためのものでしかない。
あるいは、加入のための条件を整えるためのものであろう。

死者を新しい世界である死後の世界に入らせるためのイニシエーションは、日本の民衆にとっては、長く日本社会にコンセンサスを作ってきた仏教葬儀を通して行われると理解されてきたのだと思う。
その理解はかなり薄くなったとはいえ、現在でも必ずしも完全になくなったわけではない。

だから、この場合、死者や遺族が仏教徒であるかどうかはあまり問題とされない。

仏教葬儀が死者を死後の世界に加入させるための儀礼として日本人の中に理解されてきたという事実が重要なのである。
これが現在でもなお8割を超す仏教葬儀ということで現実化しているのであろう。

もちろんこの歴史的背景としては、仏教の民衆化が葬祭を中心になされたことや、江戸時代の寺檀制度の法制化がある。

この結果、
重要なのは、日本の民衆にとって、仏教徒だから仏教儀礼によるイニシエーションが選択されたのではなく、死後の世界に入るために仏教葬儀があると理解されたことである。

そうでなければ、明治維新により寺檀制度が法制的位置づけを失って約150年を経てもなお、また真正の仏教徒が3割以下になっても、依然として仏教葬儀が8割という事態を説明しきれない。
(この項続く)

2017年1月19日 (木)

遺族にとっての別れ、友人・知人にとっての別れ

最近、2つの葬儀に出た。
一つは知人の配偶者の、もう一つは知人の葬儀であった。

2つの葬儀に共通していたのは、出棺の前の最後のお別れ(お別れの儀)に充分な時間をとっていたことであった。

参列者が一人ひとり、思い思いに遺体と対面して別れを告げていた。
一人ひとりが故人とそれぞれの関係を結んでいたのだろう。
その別れの仕方は実に多様であった。

直立して顔を見て深く合掌する人、
撫でるように顔を触る人、
立ち去り難い表情を見せる人、
すがりつきたい想いを堪えて立ち竦む人…。

ほんとうにさまざまな別れがそこにはあった。

その別れを見ていて、故人にはその参列者一人ひとりとの深い関係があり、その生を奥深くつくっていたのであろうことが実感できるものであった。
おそらくどんな人であれ、関係の深さ、広さには違いがあるだろうが、家族以外の人とさまざまな縁を結び人生を生きているのだと思う。

父の葬儀でもそうであった。
ほんとうに多様な人が湧き出てきたような気がしたものである。
そこには息子である私の知らない父の人間関係があった。
私は思わず父に嫉妬した。

家族といっても本人の全てを知っているわけはない。
本人の全ての人間関係を把握しているわけではない。
名前は仮に知っていたとしても、その関係がどんなものであったか正確に知るわけではない。
本人には本人にしか知りえない広がりと深さをもった人間関係があり、人生があるのだと思う。

父の葬儀のときに、参列者の顔の分だけ父がいたように感じた。
もちろんその中には、いわゆる義理や仕事の付き合いだけで来た人もいたであろう。
だからそれは息子としての、遺族としての主観でしかないのだが、父が私自身の父、家族にとっての父というだけではなく、一人の人間として屹立して生きたのだという実感、尊敬のようなものを感じていた。

2つの葬儀でも同じような感想をもった。

故人が、さまざまな人からさまざまな形で愛されたのであろうことが、参列者の表情から、所作からうかがえるものであった。

参列者のお別れが一巡した後、特に親しくしていた様子の仲間が数人集まり、柩に手をかけ、ある人は頭を触り、ある人は上の天井を見つめ、あるいはお互いに目で会話していた。

最後に家族が柩の周りに集まった。
周囲の人間も自然にわかる。
家族にとって本人が、特別に位相を異にした、かけがえのない人間であったことが。

だからしばらく家族のなすままに任せる。
そこには本人と遺族という独自の空間が自ずとつくられる。

それがどんなに愁嘆場になろうとけっして異質ではない。
本人をよく知る人たちにとっては、遺族がどのように振る舞おうとも、その遺族の気持ちが納得できている。
遠く囲むようにして、静かに本人と遺族との別れを見守る。
それが共感というものだろう。

私が出た葬式は特別なものではない。
それぞれの葬式ではこういったことが、それぞれの形で行われているのだと思う。

違うとするならば、多くの葬儀では出棺の時間を気にするあまり、最後のお別れに充分な時間を割かないことである。

2017年1月16日 (月)

死の授業―個から見た死と葬送(14)

死の授業


「健全な時代」と言うべきなのだろうか。



私たちの青春時代には、背中にベタッと死が張りついた感覚で生きていたものだ。

だが、目の前に座る学生たちの目には、珍しいことを見るような好奇心、あるいは理由もない怖れの感覚が支配しているように見えた。


そもそも授業内容に関心がなく、席に着くなり堂々と机の上に両手と頭を落として寝だす無関心な者もいる。


初めて耳にすることなのだろう。
死というのは年齢・性別・健康かどうかに関係なく突然侵入してくることがあること、
高齢者の終末期の状況、
人が死ぬと腐敗すること、
昔は乳幼児の死亡率が高かったこと、
単独死のこと…などなど、
ほとんど学生たちの日常会話の俎上にのることがありえない話題なのだろう。



澱んだ空気にたまらず、教壇の上から大声を出し
「聴く気のない者は出て行け」
「寝ている者、喋っている者は出て行け!」と叫ぶ。
すると学生たちは、教師が叱ることに驚き、姿勢を正す。

自分たちの常に反抗的だった時代と比べ、今の学生たちは何と温和なのだろう、と今度はこちらが驚く。



「デス・スタディ(死について学ぶ)」は、どこかで体験が交差しないと難しいのかもしれない。
「脳死」「セカンド・オピニオン」「死者との共食」など…

今は彼らには呪語に等しいかもしれない。
いつか「知る」時が来ると信じて、時間の最後まで授業をした。






2017年1月15日 (日)

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


母の初盆


厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。
毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。


昨年も厳しい夏であった。
でも母は元気に先頭に立って歩いた。
その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。
だから今年の夏は母の初盆である。


本堂には100人以上の人が集まった。
法要の後、住職が立って言った。


今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めることができました。
今年初盆のお宅は
23軒です。
3月の大震災でごきょうだいを亡くされた方もおいでです。
今年は震災でお亡くなりになった方々、身元不明の方々も覚えてお勤めしました。
仏さまになられたということは、全てのいのちがつながっているということです。
仏さまのいのちのつながりを共にいただきたいと思います。


母は戦争の時の話をよくした。


たくさん人が死んだ。
妹も日本への帰還船のなかで死んだ。
栄養失調だった。
その人たちはいなくなったのではなく、私のいのちに今もつながっているのよ。


つらい想い、悲しい想いも併せて、今、私たちはいのちをいただいている。


玄関先で灯を点し送り盆をした。
たくさんの人たちが手を振って去る風景が心に浮かんだ。
母もその妹もその中にいた。

(2011年9月記)



2017年1月14日 (土)

死者を弔う―「弔い」としての葬式(4)


死者を弔う


95年の阪神・淡路大震災でも、今回の東日本大震災でも遺族たちがとった原初的な行動は、死者を弔うことであったように思います。


祭壇がどうの、あるいは最近の家族葬がどうの、ではなく、死者を弔うことは遺族としてまずすべきことであった、ということです。


阪神・淡路大震災で焼け野原となった長田地区に足を踏み入れた時、焼け跡のそこかしこに、板切れに牛乳瓶に生けられた一輪の花、そしてペットボトルに入れられた水が載せられてありました。
おそらくその場所でいのちをなくした人に供えられたのでしょう。
その小さな小さな祭壇が輝いて見えたことを思い出します。

また負傷した人が大阪等の設備の整った病院に移るように勧める医師に、被災死した家族の弔いがまだ済んでいない、と強固に断わった姿に、家族を弔う想いの強さを見ました。


東日本大震災でも、そうした原点がそこかしこに見られました。
瓦礫の中から見つかった犠牲になった家族の写真を撫でるようにして見ていた遺族。
町が根こそぎ流出した様を高台から見ながら祈っていた子どもや家族。
無名の僧侶たちの死者を供養する読経の後ろで手を合わせていた人たち。
あるいは遠隔地の火葬場に深夜出かけた先で僧侶が待っていてくれて、おずおずと申し出た読経に感激したこと。
これらは遺族の死者を弔う想いに重なったからではないでしょうか。


死者を弔うことは死者を胸に刻みつける行為のように思います。
死者を忘れるためにではなく、より強く死者を自分の心に刻む行為だと思うのです。


東日本大震災で、宗教者が「区切りのためのお葬式」と言っていたのには大きな違和感を覚えました。

確かにグリーフワークの出発点は死の事実を否定するのではなく確認するという、遺族にとっては辛い作業にあります。
しかし、それはそれぞれの遺族がそれぞれのペースで行えばいいことです。


葬式や法事で遺族にとって必要なことは手順や知識ではないと思います。
手順は葬儀の担当者が寄り添って不安のないようにすればいいことです。
大切なのは遺族が通夜や葬儀の場でしっかり死者を弔う環境を用意することであろうと思います。


葬儀社の担当者は、遺族が来賓や会葬者に失礼がないように振る舞うことではなく、遺族が弔いに専心し、自分たちが弔ったと思える環境を用意することではないでしょうか。


現在の葬儀不信、簡素化は伝統的慣習を知らない若い世代のものと推定されることが多かったのですが、
11年の経産省の調査によれば特に70代以上の高齢者に顕著だということが判明しました。


高齢者は子どもたちに迷惑をかけたくない、という意識が強いものがあります。
また、自分たちが親を送った時は社会儀礼色が強い葬式であったので、あのような遺族が自分が弔うのではなく、お客に気を遣うだけの葬式を体験させたくない、という想いがあるのでしょう。


僧侶も葬儀社も葬儀の主役ではなく、サポート役だということを知ることです。
最近は遺族の考えを尊重する葬儀社の姿勢が出てきていますが、遺族の想いを知ろうとしないで葬儀を勤める宗教者がまだいることに驚きます。

死者のこと、死者に対する遺族の想いを知らないで葬儀をしようというのはあまりに葬儀を冒涜した行為であると思います。


もっとも遺族の中には、「葬儀の格好をつけるために僧侶を呼ぶのであって、何宗の僧侶でも料金が安ければいい」と思う輩が少なくありません。
これが派遣僧侶プロダクションの暗躍の温床になっていることは事実です。


でも葬儀社にも、僧侶を呼ぶことの意味を語り、派遣僧侶プロダクションはせめて利用しない、という見識が必要であると思います。
もっとも事前に遺族がネットから僧侶派遣プロダクションに頼んでしまっている、というケースもあります。


僧侶の中には仮に布施が安かろうと、遺族に弔う気持ちがあれば行く、という見識をもった僧侶はいるはずです。
その場合に布施の中から斡旋料を抜くのではなく、斡旋をお客が依頼するならば、適切な範囲の紹介料をお客に明示し、お客からもらうというのが筋でしょう。
現在の僧侶派遣ビジネスでは、ほぼ4割、中には5割という斡旋手数料が見られます。
しかし斡旋手数料が明示されている例はほとんどありません。

本来死者を弔うべき葬儀が、弔うこととはまったく無縁なビジネスに汚されている状況は脱する必要があります。

2017年1月13日 (金)

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


葬列

山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。
近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。

ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。
だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。


この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。

85
になる母親は「がんの末期で治療の術はもうない」と医師から言われた。
娘が、
「最期は家で」
と、
母親を自宅に連れ帰ったのだ。

娘がスプーンで食べさせようとすると、
母親は「もういい」と拒んだ。
そして静かに「ありがとう」と娘に感謝した。
その数日後の夜、眠るように静かに息を引き取った。


翌朝、連絡を受けてきた主治医が「ばあちゃん、よかったな」と言って涙を零した。


葬式は「母の遺言ですから」と自宅で行われ、近所の年寄り仲間が集まった。

山の中腹にある共同墓地までを、葬儀社の若い社員たちが柩を担いだ。
檀那寺の若い副住職が葬列を先導。
埋葬地に鍬(くわ)を入れ、引導を渡した。

深く掘られた穴に柩が静かに下ろされた。

再び盛られた土の上に、娘は履いてきた草履を脱いで置いた。
そして合掌した。


2017年1月12日 (木)

近親者の悲嘆への配慮―「弔い」としての葬式(3)

近親者の悲嘆への配慮

 

死者の近親者が死別により悲嘆を抱えるようになることは自然なことです。

それ自体病気ではありません。
人間が深い関係にある人間を喪失した時に起こる、極めて人間的な感情です。
それを埋めようとして行う近親者の作業を喪の作業(グリーフワーク)と言います。


死別の悲嘆(グリーフ)は泣き嘆くこともあれば、怒りになったり、他人への攻撃、情緒不安定、抑うつ等とさまざまな現れ方をします。
それぞれの関係によるものですから、実にさまざまです。
解放感、安堵もあるし、それだから薄情というわけではありません。

人の死は固有ですから、グリーフもまた固有でさまざまです。
こうであらねばならない、というものはありません。

注意すべきことは、睡眠障害、長期にわたる食欲不振。

周囲の人間が悲嘆や喪失に陥った人を支援すること(
grief and loss support, grief care)は特別なことではありません。
グリーフに陥った人の喪の作業(作業というより、辿る心理的・精神的あるいはそれが現れる身体症状の過程)がそれぞれなりに行えるよう配慮する、準備をすることです。
せめて周囲がそれを邪魔をしないことです。


誤解されるべきでないのは、グリーフケアが最も大切なことではなく、近親者らのグリーフワークが重要なのです。
主人公はあくまで当事者なのです。
グリーフケアは誰かの仕事であったり、それによって死者の近親者の悲嘆を劇的に改善するものではない、ということです。


好意的でしょうが、「癒してあげたい」という言葉をしばしば聞きます。
「力づけたい」という言葉も聞きます。
同じ目線に立たず、無意識に上から目線になりがちで、関係によっては力づけられることもありますが、「無理解」と反発を招き、更なる落ち込みを促進しかねません。「癒す」等の言葉は誤解をうみかねない表現です。
グリーフについては、「同情」と並び、しばしば用いるのを避けたほうがいい言葉の代表的なものです。

多くの場合、近親者の悲嘆の助けになるのはきょうだい等の家族や親しい友人です。
身近にいる人が最も有効な助け手になります。


もっとも身近な者に「裏切られた」と感じたり、不信になった時の傷は出口を失い内向化するリスクもあります。
そうした場合、まったく他人の方がいい場合もあります。

周囲からサポートを得られない人もいます。
そうした人に対して、本人が必要とするならば、その本人に必要なサポートを提供できる用意のある人が手の届くところにいる、と示すことは有効なことです。


近親者の喪の障害になるのは、しばしば葬儀慣習です。
親は子の火葬には立ち合ってはいけない、
納骨は四十九日までに終えなければならない等、
およそ根拠のない、当事者の気持ちに委ねるべきことが慣習にはあります。
そうした喪の作業の障害になる慣習を正していくだけでも近親者には益になります。

今、グリーフケアについて語られることが多くなりました。
これまで死別の悲嘆にあまりに無頓着な社会であった、ということもグリーフへの再認識を迫っているのでしょう。

しかし、グリーフケアは重要であるが、ささやかなものだという認識もまた必要ではないでしょうか。


私がどうしても好きになれない言葉に「傾聴」がある。
もともとカウンセリングの技法であることは理解している。
相手をまるごと理解しようとすることで押しつけではいけない、ということなのだろう。
それによって相手に理解してもらった、受け入れられたと思わせることなのだろう。
しかし、私には、しばしば「押しつけ」に感じるのだ。
「傾聴」活動した人も実際にはさまざまな障害にぶちあたり、それ以前の人間関係を築くのに苦労されたようだ。
「傾聴」は、どうも言葉が大げさで、自分を卑下することを強調しているようで、結果として押しつけになるようで好きにならない。
私はひねくれものだから、「土足で心中に乱入」「詐欺手法」とさえ思うのだ。
「自分はいい人」を押し付け感がある。
カウンセリングの技法として訓練することはいいが(それでも言葉は変えられないか!)、外に向かって「傾聴活動」と広言することはないだろう、と思うのだ。

人間と人間の係わりであるから、受け入れられ、確かにいい活動をしている人もいる。
「たくさんいる」と言ってもいいだろう。
それを否定するものではない。

しかし、内面に乱入するのではないか、と警戒して拒んだ人がたくさんいたことも事実だ。
「ボランティア」だけではいけなく、なぜ「傾聴ボランティア」でなくてはいけないのか?

私の感覚はつまらない誤解であればいいのだが、どうも不信感は拭いされていない。
私が「いい人」嫌い、「ひねくれもの」だからか。


スピリチュアルケアにも似た感覚がある。
スピリチュアリティは大切だが、ことさらスピリチュアリティが強調されると、何なのかな?と疑問、違和感がある。
もっと自然に全的に見られるといいのだが。
私にも過剰な部分があるから他人のことはあまり言えないのだが…

 

 

2017年1月11日 (水)

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな!―「弔い」としての葬式(2)

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな!
死者(遺体)の尊厳と「遺体のリアルな認識」

 


死者(遺体)の尊厳を守る―というのは、死者(遺体)を美しく保つことだけを意味しません。
腐敗した遺体であろうと尊厳をもって扱うということです。


※東日本大震災では葬祭業者がこの問題に直面した。
そして死者の尊厳を守るべく正面から相対し、自らの責務を尽くした。
このことはあまり報道されなかったが、きちんと記憶されるべきだと思う。


火葬と埋葬―東日本大震災の仮埋葬

http://www.sogi.co.jp/sub/zuiso/skar.htm
東日本大震災 遺体搬送、埋葬・火葬
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/03/post-fe36.html
奥州平泉の「大文字」。現地に空元気を送るな!
 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/08/post-a4a8.html
中秋の名月

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2011/09/post-112a.html

また、
その死者が生前どんな評価を世間、社会から受けていようと、その弔いにおいては差別することなく、人格としては等しく尊重して扱うことを意味します。


最近心配することは人間の身体は死ぬとどうなるか、ということへのリアルな認識の欠如です。


病院で死に、すぐに斎場(葬儀会館)に運ばれ、冷蔵庫に保管され、通夜・葬儀、そして火葬となると、意識していないと、遺体に対面せずに葬式を終えることすらあります。


冷蔵庫で保管されれば安全と思いがちですが、腐敗の進行が緩やかになるだけで、腐敗が止まるわけではありません。

人間も他の動物と同じく、死亡すれば腐敗を開始するのは自然なことです。
魚も2週間も冷蔵庫に入れっぱなしにすれば腐ります。

 

※腐敗の問題を解決するためにはエンバーミングしかない。
エンバーミングはIFSAでは「遺体衛生保全」と訳されているが、腐敗を防止するのみならず、公衆衛生的にも安全にする。
日本ではIFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)が自主基準のもとに実施している。
「遺体保全」と称してエンバーミングもどきも行われているので注意が必要だ。
エンバーミングの処置を施した場合、約2週間程度は安全に保全される。
海外移送等で2週間以上の保全を必要な場合にはそれなりに対処する。
事故遺体、長期闘病でやつれた遺体の修復も行うが、状態によって限度があるのはもちろんのこと。
費用は処置内容によっても異なるが、1体12~20万円程度。平均15万円。
IFSAの自主基準作成等に私は責任をもっている。

http://www.embalming.jp/embalming/


1995
年の阪神・淡路大震災で仮設住宅に入居した人が、周囲に気づかれることなく死に、その遺体が死後相当経過した後に発見される事例が出て「孤独死」として注目を浴びました。
最近では遺体発見が遅れたのは、死者が社会から孤立していた結果の死として「孤立死」と呼ばれることもあります。
東日本大震災でも仮設住居内で死後相当程度経過して遺体が発見された事例があるとの報道がされました。

単独世帯に住む人が血縁、地縁、社縁、あるいは友人関係という縁から孤立していたから発見が遅れた「無縁者の死」であるとも言われます。


だが、こうした単独死の事例を「無縁者の死」と決めつけ、死者を人間関係が希薄で孤独、あるいは周囲から孤立していたと一律に断ずるのはいかがなものでしょうか。


実際、遺体の発見が遅れた場合、腐敗が進行し、遺体は融解し、体液や血液が漏出し、腐敗臭がきつく、住居も相当にクリーニングしないと再度の利用が困難となります。

長期間でなく死後数日以内でも夏や入浴中の死であれば腐敗は進みます。


遺体は腐敗する、という至極当たり前の事実がセンセーショナルにとらえられてはいないでしょうか。


15
年の国民生活基礎調査では単独世帯は26.8
%を占めています。
現代社会は単独死のリスクを抱えているのです。
しかし死後の形状だけでもって、第三者が「無縁死」「孤独死」「孤立死」などの安易な論評をすることで、遺された家族の悲痛が増すことになってはいけないと思います。


※遺品整理業の方が「孤独死」「孤立死」という言葉を生み、また、その作業を「特殊清掃」と言う人がいる。
事情は確かにはわからないのだから「単独死」でいいではないか。
鵜飼秀徳『無葬社会』では「孤独死」と安易に用いていたので、週刊現代の書評で私は「単独死」と言い換えた。また同書では遺品整理業者が「特殊清掃」と言っているのを何の問題意識もなく、そのまま「特殊清掃」と書いているのは違和感があった。
「人の死」を論ずる以上、こうした問題については細心でなければならない。
こういう無神経な言葉が一般化して一人歩きしていることを憂う。

腐敗が長期におよんだ場合の作業は大変であることは確かだろう。だが「特殊」と名づけることが適切であろうか?
そう呼ぶ「態度」に疑問をもつ。


孤独死、孤立死の用語はこれでいいのか?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2012/11/post.html

死者はものを言いません。
しかしその生死には常に固有の物語があります。
それを知ったがごとく、死者やその家族を論評することは、死者の尊厳への不当な介入ではないでしょうか。

2017年1月10日 (火)

葬式の原点は何か?―「弔い」としての葬式(1)

葬式の原点は何か

葬送の変化を決定づけたのは2008年のリーマンショックです。
しかし、変化は今から20年前の1995年から始まっています。

お葬式は確かに表面的にはとても変化しています。
現在進行形で変化しています。

葬祭仏教の成立期である戦国時代のお葬式、
昼間に行われるようになった明治時代のお葬式、
祭壇が照明で煌めいたバブル景気時のお葬式、
それぞれ様相には変化があります。
しかし、原点、基本には変化がないように思います。


変わっているのは死者を取り巻く環境です。
環境の変化に伴い、お葬式の形態も変化してきています。


原点、基本に関して言うならば、お葬式とは「人の死を受けとめる作業」全体を言います。


社会的に影響力の多い人の場合、関係する人は多数に及びますが、一般的に言うならば、
葬式とは、死者と関係の深い人、たとえば配偶者、親、子ども、きょうだいらの家族、親戚、友人、仕事等の仲間、その他関係を結んだ人が、その人の死に直面し、営む心理的、精神的、宗教的、事務的等の作業一切を言います。


※「葬式」を「通夜}(90年代以降「通夜式」なる語が現れた!)、「葬儀」という今では1時間内外で行われる儀礼部分を指して言われることがあるのは大いなる誤解である。こういう単純な見方では葬式全体を見ることができない。


その中でも欠かせないのは、


①死者(遺体)の尊厳を守る

②近親者の悲嘆への配慮


この2つに尽きると思います。


そのために死者を弔い、鄭重に遺体を葬る(火葬、土葬等で)作業をするのではないでしょうか。


家族の喪(も)の作業を考えることで重要なのは、
看取りを充分に行うことと、
死後の死者との別れに可能なかぎり時間を取ることです。


とはいっても看取りは家族が離散し、少数化している現在、できないこともあります。
死後もあちこちへの連絡やらで遺体と向き合う時間は案外取りにくいものです。

せめて
仏教で言えば枕経の時間、あるいは納棺、通夜、葬儀の前に、1時間でも、
他に干渉されないで向き合う時間を取ることは極めて重要です。
おそらくこの時間の過ごし方が最も重要なように思います。

2017年1月 9日 (月)

突然父は逝った―個から見た死と葬送(11)

個のレベルから見た死と葬送(11

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


突然父は逝った

ドーンという音が身体に響いた。

時計を見たらまだ明け方の4時過ぎ。

うめき声のする玄関に急いだ。

父が倒れていた。
頭から血を流しながら。


それからのことはちゃんと記憶していない。


父を抱き起こして声をかけたこと、
救急車を呼んで病院に搬送したこと、
父がストレッチャーで救急病棟に入って行ったこと…


気がついたら手術室の前の廊下のベンチに座っていた。
息子が隣りにいて、私の手を握ってくれていた。


「おじいちゃん、どうした?」

息子は黙って首を横に振った。

父はこのところ病気がちではあった。
でも階下のトイレに一人で行けないということはなかった。
口は少し重く、どもり、不自由ではあったが、家族とのコミュニケーションには何の問題もなかった。


母が5年前に先立ってからは、いっそう寡黙になり、食事以外は自室で過ごすことが多かった。
まったく手がかからない老人だった。


来月
16日で父は80歳になるはずであった。
たまには妹一家も呼んで、賑やかに食事をしようと計画していた。


病院からは寝台車に乗せられ、家に帰り、父を居間に安置した。

朝の8時を少し過ぎた頃、朝陽が頭に包帯をまいた父の顔を射していた。

まだ温もりのある父の頬に私は頬を寄せてみた。

2017年1月 8日 (日)

死んだ戦友に義理立てした父―個のレベルから見た葬送(10)

個のレベルから見た死と葬送(10

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


死んだ戦友に義理立てした父



「親爺、もういいじゃないですか」

従兄が叔父を大声で制した。

叔父が「父の葬式をなぜしないのか」、「寺に断らずにいいのか」、と私に向かってなじっていたからだ。


叔父の気持ちも充分に理解していた。


「私たちもできるならば葬式をしたかった。
だが、これは父自身の家族への言いつけだった」と叔父には繰り返し説明した。


「寺の墓はどうするつもりだ」と言う叔父。

今までずっと叔父が長男である父に代わって寺との付き合いをしてくれていたから、私は「叔父さんがいいように」と答えるしかなかった。

父は戦争末期に学徒動員された、という話は聞いたことがある。
でも父は生前そのことについて詳しく語ることはなかった。
ただ葬式については、頑なに「俺の葬式はけっしてするな」と言うだけだった。


叔父は肩を落として呟いた。


「いいじゃないか、せっかく生きて帰ったいのちなのだから。葬式されないまま死んだ仲間にそこまで義理を通さずとも」


父にとっては「戦友」という存在が、懐かしさよりも、散乱し片々となった生温かな死者の感触として常にあったのだろう。
傷みをもって想起し続けた仲間だったのだろう。

その父の想い、頑強なこだわりを大切にすることが死者たちへの追悼でもあると私は思った。


2017年1月 7日 (土)

「閉眼」って、何?―「改葬」問題のコンテキスト④

「閉眼」って、何?


「改葬」問題から言えば、少し寄り道に近い話だ。


「改葬」に際して、元の墓を原状復帰するか、その費用相当分を墓地管理者に支払う。
墓石を撤去するだけではなく、使用していた墓域である墓所全体を原状=つまり使用以前の状態に復する必要がある。

また、管理料に不払いがあった場合にはそれを支払う。

以上は常識に属する。

しかし、「閉眼供養」って、何だ?

墓石業の方、寺院の方は(もっとも仏教者に限ることだが)
「墓を建てた時は開眼供養をし、墓を閉じる時は閉眼供養をするのは常識」
とおっしゃるだろう。※真宗は言い方が違うらしいが。

岩波仏教辞典


「開眼(かいげん) 新たに作られた仏像・仏画を堂宇に安置し、魂を請じ入れること。開眼の儀式には香華・灯明・護摩などをともなうので、<開眼供養>という」とある。

しかし、「閉眼」の項はない。

親鸞の有名な
某(親鸞)閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし(改邪鈔)
での「閉眼」は「目を閉じる=死亡」を意味している。

「閉眼供養」の「閉眼」の意味ではない。

仏像修理の時に「閉眼供養」をし、修理中は物とみなす、というのは工事をする者の気持ちを考えてのものであることが多いだろう。
しかも、この場合には修理が終了したら元に戻すのだ。

墓石を建立するのに「開眼供養」をするのは墓を仏像に見立てたからである。
そもそもこの「見立て」がなければ「開眼供養」は存在しない。
「見立て」は教理ではなく「慣習」である。
火葬された焼骨を「白骨」=「成仏の徴」と理解したのは、古くからの仏教の民間信仰であり、これが火葬を推進させる契機とはなった。
特に「喉ぼとけ」(実際には軟骨であるため火葬時に溶解しなくなるので、代わりに第二頸椎を見なすのだが)を「本骨」と言い、「本山納骨」ではこれを納骨する。
だから「白骨」も「成仏の徴」として大切にされ、それを納める墳墓もいわば堂宇と見做したのだろう。

以上は、あくまで見做した話である。
でも民間習俗・民間信仰であれ、それを信じる人がいる以上、大切にされるべきである。
刑法は遺骨、それを納める棺、墳墓を尊重すべし、と定めているのは社会的習俗としての宗教感情を尊重しているからである。

改葬に際し、「閉眼供養」が必要とするのは、後で墓石を撤去する業者等の心理を配慮したものと考えれば少し理屈がつく。

寺院が要求するとすれば、それは仏教者としての要求ではなく、墓地管理者として墓石業者の仕事へ配慮してのことだとすればわかる。
民間信仰を尊重する気持ちであればいいが、とかく逸脱する。

とするならば、墓所撤去作業をする墓石業者が「閉眼供養しなくともかまいません」と言えば閉眼供養は不要となるのではないか?


もちろん墓を建てる人が開眼供養を必要とし、改葬する際に閉眼供養をしたい、というのであるならば問題ない。やればいいのだ。
他人がとやかく言うことではない。

しかし、当事者がそう思っていない場合にはどうなのだ?
墓の開眼も閉眼も仏教の教えそのものとは異なり、仏像相当物と見做す民間習俗だとするならば、それを強制することは寺にはないのではないか?
民間信仰を尊重することを否定しているのではない。
とかくそれ以外の意図をもちかねないのが問題なのだ。

これは仏教寺院の場合、改葬する人にときどき(あくまで一部と信じたいが)閉眼供養を条件かのように要求し、これに相当額を要求する例があるからだ。

出る人が「これまでお世話になりました」と感謝の気持ちで差し出すのはいい。
これは美しい話である。
たくさんの人が進んでお礼を包むのは望ましいことだ。
だが強制すべきではない。

また「離檀料」を要求する事例がある、と聞く。

墓を移すことは即檀家(戦後は「家」がないので「檀信徒」「檀徒」と言うべきだろう)を辞めることを意味しないだろう。

本来なら移転先を訪ね、檀信徒をときどき訪れる、ということがあっていい。
だから改葬する人が申し出ない前に、寺から「離檀」を言い出す性質のものではない。

「離檀料」があるというだけではない。
「入檀料」があるから驚く。

首都圏の民営墓地ではなく、寺院境内墓地に見られるのだが、寺院境内墓地を入手するのに使用料以外に入檀料が要求される。
事務手数料的なもの、2万円程度のものはあっていいが、10万円以上となると性格が異なる。


寺院境内墓地がブランド化しているのだ。
ブランド料であり、それこそ事業型墓地の証左ではないか!

寺の檀信徒になるのにお金を必要とする、というのは壁を設けているようなものだ。
「金持ちだけが檀信徒になれます」
と広言しているようなものだ。

「檀信徒になる、というのはお寺の活動を支えることですよ」
と伝えるのはいい。護持会負担はあっていい。
また檀信徒にさせていただいたお礼をするのは美しい話である。

改葬だけではなく寺墓地購入にあたっても、「美しくない話」が多すぎないか?

改葬元の墓地管理者が「埋蔵(納骨堂の時は収蔵、土葬された場合は埋葬)証明を行うのは、単純に「事実証明」であり、対価をともなうものではない。

こうした問題と寺の財政問題は区別されるべきであろう。

確かに寺側からは改葬により檀信徒が減少するのは財政的に痛手である。
だから寺財政について話し、寺への寄進の継続を依頼するのはあっていい。
しかし「要求」すべきものではない。

寺の問題はまた別に論じる機会もあろう。

「改葬」にあたって、こうした「美しくない話」はいい加減やめないと、不信感のほうが増すのではないだろうか。

「開眼供養」「閉眼供養」を常識化してきた墓石業者にも問題はあるのではないか。




最初に断わったように「派生」の問題である。

こう考えると、いちばん腹が立つのは「入檀料」である。
「離檀料」はまだ地方寺院の事情から同情すべきところがある。
しかし、大寺院の「入檀料」は弁解の余地がないからだ。

妄言多謝


僧侶、墓石業者の方々から意見をいただけるとうれしい。

2017年1月 6日 (金)

「終活」ブームのコンテキスト

記者さんから問い合わせがあったので、かつて雑誌に書いた記事を以下紹介する。
2年前くらいに書いた記事だが、今でも有効だろう。


「終活」は「就活」をもじって週刊朝日が名付けたことから言葉として流行した。
あまり好きな言葉ではない。


以下、が元の記事。

『SOGI』通信 No.69
「終活」という言葉は『週刊朝日』が2009年に連載した記事名「現代終活事情」が最初と言われる。
2010年6月に連載のまとめとして刊行された週刊朝日MOOK「2010終活マニュアル」のタイトルは『わたしの葬式 自分のお墓』となっているように「葬式」と「お墓」がメインテーマだった。

ちょうど2010年は島田裕巳『お葬式は、要らない』(幻冬舎新書)が刊行されてベストセラーになった年。
葬式や墓についての要、不要論が話題になった。
しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災が一気にそのブームを消し去った。現実の大量死を体験して、死者・行方不明者への想い、その家族の想いの痛切さ、リアルな死の衝撃の大きさを感じさせるものであったからだ。

そうした状況を背景に、東日本大震災の発生で発表が延期されていた経産省の「ライフエンディング・ステージ」に関する報告書が同年8月に発表された。
報告書では生前の「老」で抱える終末期医療、介護の問題から死後の葬式、さまざまな事務処理、遺族のケア、お墓、遺産相続まで続くステージについて、バラバラではなく一連のプロセスと考え、ネットワークを組んで消費者をサポートできるシステムづくりを提言した。

『週刊朝日』の葬式、墓中心の「終活」に異を唱えた一人がファイナンシャルプランナーの本田桂子さん。
中高年の遺言や相続の相談を手がけているなかで本田さんが提起したのが「老」の問題。
超高齢社会になった日本社会でのリスク、認知症、延命治療、老後の生活資金、財産分与…等を加えた「終活」を提起した。
本田桂子監修『終活ハンドブック』(PHP)が刊行されたのは、経産省の報告書発表と同年7月末のこと。
同年8月には「おひとりさま」問題に取り組んでいたフリーライターの中澤まゆみさん『おひとりさまの終活―自分らしい老後と最後の準備』(三省堂)が刊行された。

この公の報告書、民の本田さんらの提言にくらいついてきたのが司法書士、行政書士や保険関係の人たち。
「終活ブーム」を代表する終活カウンセラー協会は、2011年10月に第1回終活カウンセラー初級検定を実施。
『終活の教科書』(タツミムック)を2013年6月に刊行。
「終活」ブームは、ここ2年くらいに生じたブームである。

注視しておく必要があるのは、ここでの終活は「事業」である点。
そして終活事情についての講演会等が事業として展開されている点である。

そしてこの背景には戦後の大量のベビーブーマーが65歳以上の高齢者になりつつあることがある。こうした団塊の世代が「終活」や「エンディングノート」に関心を寄せてきた。

関心が高いことを証明したのが、2013年、「終活」をテーマとする季刊誌『ソナエ』(産経新聞社)を刊行、創刊号は約5万部を売り上げたこと。
「ペットの葬儀」や「おひとりさまの終活」を特集した第2号は創刊号を上回る勢い。

多くのデータが示すように、「関心がある」が3割程度はあるが、「実際に準備している」のは5%未満、という壁ははたして破られるのだろうか?

2017年1月 5日 (木)

弔われなかった死者たちの「葬」―個のレベルから見た死と葬送(9)

個のレベルから見た死と葬送(9

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


弔われなかった死者たちの「葬」


「葬」とは、歴史的に見れば多様である。


大昔であれば、死ねば山や野に、いや川原や路端に捨てられたこともある。
聖たちがその死体を集めて火をつけ燃やし、その跡地である塚に名をつけて歩いたとされる記録もある。
中世から近世にかけ、戦場や災害で死んだ者の死体は、集められ、大きな穴が掘られ、そこに投じられ埋められ、その跡は「塚」等と呼ばれた。

大昔でも、死者を棺に入れ、集落の近くにハカを設けて埋葬したり、死者を担ぎ、霊の他界への入口と伝えられた聖なる山の麓に置くことで葬ったこともある。
 近世になると、民衆へも、死者には「戒名(法名)」と言われる死者への名の贈与が行なわれ始めた。
他界へ旅立つ餞のように。
もとより無名のままの死も多かった。

今も世界では、戦災や大災害での死者が、名もなく葬られることが起きている。

日本でも、わずか半世紀余り前の第二次大戦中の戦地や被災地では、個々の名を記録されない「葬」があった。
それを悔いて、一人ひとりの死者の残滓を探す旅も戦後70
余年を経た今でも続けている人がいる。

「施餓鬼」、毎年寺で行なわれるその場には、集まる者たちの血縁等の死者だけではなく、名もなく葬られた死者たちへの深い悔恨や慙愧があるだろう。

「葬」が揺れる今、弔われなかった非業の死者たちの「葬」にも目を向けることがあっていい。


2017年1月 4日 (水)

悔い―個のレベルから見た死と葬送(8)

個のレベルから見た死と葬送(8)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


悔い


出棺時に、彼はボロボロ泣いていた。

肩を大きく震わせながら。

「ごめんな、ごめんな、ごめんな…」
彼は棺の中の妻に囁きながら謝り続けた。

彼の妻が倒れた時、彼は不在だった。

その日彼は、予定されていた会合とその二次会にも行くと言って出かけた。
その朝、普通に、彼の妻も毎朝やっているように、外に出て彼を見送った。

彼女が倒れたのは、推定だが、夜の8時を回っていた頃のようだ。
彼女は一人での夕食を終えたのだろう。
その一人前の食器は洗いかごにあった。


彼はその夜二次会を終え、電車に乗る時、いつものように妻に電話をした。
だがその電話に妻は出なかった。
地元駅に着いて再度電話した。
呼び出し音が空しく鳴り続けるだけだった。


妻は居間の床にうつ伏せで倒れていた。
すでに身体は冷たかった。


自分が死ぬことを予想することはあった。
ベッドに横たわった自分が、妻の手を取り、感謝を口にして死んでいくものだ、とばかり思っていた。


現実は全く異なっていた。
妻は別れも告げず、自分の不在時に突然逝ってしまった。


友人の医師は「奥さんも何があったかわからなかっただろうよ」と言った。

しかし
「もし、自分がその時にいたら」
という悔いから、いつか脱する日がくるのだろうか。

四十九日を終えたが、ただ悔いだけが彼の胸を絞め続けている。

2017年1月 3日 (火)

「改葬」に関する法令と若干の注釈―「改葬」問題のコンテキスト③

未だに改葬許可申請に、改葬先から受け入れ証明が必要と記載されていたり、改葬元墓地等管理者の埋蔵等証明が改葬承諾書みたいに誤解されている、と誤解されていたり、誤った記載をする説明が見られる。
そこで「改葬」に関する法令について詳しく書く。


「改葬」に関する法令

墓地埋葬法(墓地、埋葬等に関する法律)

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO048.html

第1条第3項
「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

第5条
埋葬、火葬又は改葬を行おうとする者は、厚生労働省令で定めるところにより、市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)の許可を受けなければならない。
   前項の許可は、埋葬及び火葬に係るものにあつては死亡若しくは死産の届出を受理し、死亡の報告若しくは死産の通知を受け、又は船舶の船長から死亡若しくは死産に関する航海日誌の謄本の送付を受けた市町村長が、改葬に係るものにあつては死体又は焼骨の現に存する地の市町村長が行なうものとする。

第8条
市町村長が、第5条の規定により、埋葬、改葬又は火葬の許可を与えるときは、埋葬許可証、改葬許可証又は火葬許可証を交付しなければならない。

第14条
墓地の管理者は、第8条の規定による埋葬許可証、改葬許可証又は火葬許可証を受理した後でなければ、埋葬又は焼骨の埋蔵をさせてはならない。

 納骨堂の管理者は、第8条の規定による火葬許可証又は改葬許可証を受理した後でなければ、焼骨を収蔵してはならない。
 火葬場の管理者は、第8条の規定による火葬許可証又は改葬許可証を受理した後でなければ、火葬を行つてはならない。
《注釈》

①第5条第1項の「市町村長」とは、第2項に規定されているとおり、「死体又は焼骨の現に存する地の市町村長」、つまり改葬元の墓地等の所在する市町村長。

②第8条第3項の規定が想定しているのは埋葬(土葬)された死体(の遺骨)を改めて火葬する二重葬を想定したものと思われる。



第5条第1項に「厚生労働省令で定めるところにより」とあるので、以下示す。

墓地、埋葬等に関する法律施行規則
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23F03601000024.html

第2条   法第5条第一項 の規定により、市町村長の改葬の許可を受けようとする者は、次の事項を記載した申請書を、同条第二項 に規定する市町村長に提出しなければならない。
 死亡者の本籍、住所、氏名及び性別(死産の場合は、父母の本籍、住所及び氏名)
 死亡年月日(死産の場合は、分べん年月日)
 埋葬又は火葬の場所
 埋葬又は火葬の年月日
 改葬の理由
 改葬の場所
 申請者の住所、氏名、死亡者との続柄及び墓地使用者又は焼骨収蔵委託者(以下「墓地使用者等」という。)との関係
 
 前項の申請書には、次に掲げる書類を添付しなければならない。
 墓地又は納骨堂(以下「墓地等」という。)の管理者の作成した埋葬若しくは埋蔵又は収蔵の事実を証する書面(これにより難い特別の事情のある場合にあつては、市町村長が必要と認めるこれに準ずる書面)
 墓地使用者等以外の者にあつては、墓地使用者等の改葬についての承諾書又はこれに対抗することができる裁判の謄本
 その他市町村長が特に必要と認める書類

第4条   法第8条 に規定する埋葬許可証は別記様式第一号又は第二号、改葬許可証は別記様式第三号、火葬許可証は別記様式第四号又は第五号によらなければならない。

《注釈》

③第2条第1項に定める市町村長に申請する「改葬許可申請書」の実例
・青森市
https://www.city.aomori.aomori.jp/seikatsu-anshin/kurashi-guide/saijyou-reien/documents/kaisou.pdf
・水戸市
http://www.city.mito.lg.jp/3500/3505/3539/p011604.htm
l
・世田谷区(東京都)
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/101/111/203/204/d00005291_d/fil/kaisoukinyuurei.pdf
・岸和田市
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/uploaded/attachment/24943.pdf
・高知市
http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/67/yuuenshinsei.html
・宮崎市
http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/life/funeral/cemetery/577.html

少し多く例を挙げたのはランダムに選んだ「改葬許可申請書」では改葬先の墓地等の「受け入れ証明」という項目名はなく、第2条第1項6「改葬の場所」という項目名に統一されていて、改葬先の墓地等からの証明書が要求されていないことを例証するためである。

④第2条第2項1に定める「埋蔵(埋葬・収蔵)証明」
これは改葬元の墓地等から現に遺骨が存する事実証明であって、改葬元の墓地等が改葬を承諾するものではない。
つまり改葬元の墓地等は埋蔵等証明に離檀料等を条件にすることはできない。

⑤第4条に定められている「改葬許可証」別記様式第3号
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei17/pdf/01.pdf

⑥厚労省による墓地埋葬法の概要解説
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000130181.html
墓地埋葬法を巡る厚労省、都道府県、市町村の関係がわかる。

2017年1月 2日 (月)

彼の死後、同級生―個のレベルから見た死と葬送(7)

個のレベルから見た死と葬送(7)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。



⑫彼の死後

その男の写真とプロフィールは彼の創設した会社のホームページに今も残っている。

彼が創設したとはいえ、それは彼のフリー編集者としての事務所で、晩年(といっても
40代)には、ほとんどボランティアとして医療活動の事務局を担った。
その傍ら、その関連の人たちの手記を、自費出版に等しいものを、事務所の社名で細々と世に出した。
類を見ないほど生真面目に、無骨に、彼は生きた。


彼が病死したのは
48歳であった。
彼の死とともにその事務所は閉じられたはずであった。
なぜならそれは彼個人の事務所に等しかったからである。


ある日、新聞を見て驚いた。
その時世の中を席巻したメガ・ベストセラーの出版社の名が彼の事務所名で、その翻訳・発行者名として彼の配偶者の名が出ていたからだ。


その成功は、彼の没後、彼女自身の手のみで達成したものであったが、いつのまにか彼女の成功物語の重要な序章に彼が位置づけられていた。


彼の生前、一時は一緒に仕事をした。
歳は私のほうが下だが、
10年くらい、よく新宿御苑のスナックで呑んだ者としては、複雑な想いがした。
彼は報われず、地味に生きて、死んだ。
その彼を、彼女は、表舞台に自らと一緒に、必死で引き上げた想いがしたからである。


彼女の愛を見るか、彼の困惑を見るか。



⑬同級生

彼は同級生であった。


小学、中学、そして高校の1年まで同じ学校だった。
というのは私が高校2年で転校したからだ。

中学時代、彼は柔道を、私は篭球(バスケットボールのこと)をしていたから、あまり交わることはなかった。

昨年秋の同級会での様子が忘れられない。

彼は少しやつれた顔で
「千葉のがんセンターに通っている」
と私に淡々と話した。

そして同級生の皆の顔を瞼に焼き付けておくかのように、静かに皆の様子をやわらかい目を細めるようにして追っていた。

その彼が死亡したとの報せは、やはり同級生のKからであった。
地元の病院で、家族が見守るなか、静かに息を引き取った、と。


私が知るかぎり、現在2名の同級生ががんに罹っており、それも聞くと末期のようだ。


1人、2人…と櫛の歯が抜けるように同級生が欠けていく。
20歳を前にして死亡したのが2人。
50歳を前にして死亡した者が2桁。

先に死亡したのには女性もいる。

その一人、彼女は、中学時代、脚が速く、陸上部で活躍していた。
日焼けした顔でチャーミングに微笑んでいた顔を記憶している。

早くに地元を離れ、早くに結婚し、料理店の女将となり、早くに死亡した。

黙っていても、死は向こうからやってくる。



2017年1月 1日 (日)

祖父の記憶、「娘」の死―個のレベルから見た死と葬送(6)

謹賀新年*:ღ ╠ ╣ a Ρpy ღ:*♪(๑ノ ᴗ ◔ิ๑) *¨*•.

今年は年賀状を書いていません。
皆さんにとっていい年でありますように。
私はボチボチやっていきます。
2017年元旦  碑文谷 創


個のレベルから見た死と葬送(6)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。



⑩祖父の記憶

私には「祖父の記憶」というものがほとんどない。

物心つく前に死亡しているからだ。

父方の祖父の晩年は、末子で、むずがる赤ん坊の私を背負い、近所のサル小屋に連れて行くことを日課としたらしい。
孫である私の面倒をよくみた好々爺だったらしい。


輝かしい学歴、期待されて海軍将校への道を進んだ。
だが、何があったか、軍を中途退役した。
後から調べれば、軍縮の時期に照応している。

その後、商売を始め、失敗し、父親(つまり私の曽祖父)が将軍としてなした半端でない財の全てを失った。
東京帝大仏文科卒という学歴を隠し、女学校の用務員となった。

老後、といってもまだ50代だったが、長男(つまり私の父)一家の世話になっていた。
60代の初期、生涯を終えた。


 でも挫折してくれて、ただの無名の生活破綻した一老人として最後を終えてくれた祖父を私は晴れがましく思う。
下手に軍人として成功し、立身出世したならば、と考えると戦慄する。

 
祖父が失敗したから、父たちのきょうだいは生活苦で呻吟し、ある者は養子に、ある者は家出し、ある者は自死を選ぶ等、個々にはけっして幸せでなかった。

だが、少なくとも戦犯の負い目からは逃れることができたのだと思う。


祖母や大叔父の前では、人生の落伍者となった祖父の話は生前禁忌だった。
しかし、孫でほとんど祖父についての記憶をもたない私には、なぜか近しい感覚がある。

私と同じ匂いをもっていたように思えるからだろうか。

それぞれの家族には、それぞれの死者たちの記憶がある。
それは成功者としての歴史だけではないはずである。


そういえば、当時2階に飾られていた、髭を生やし、勲章がちりばめられた軍服に身を包んだ曽祖父の写真は今どこに行ったのだろう。



⑪「
娘」の死

人づてに聞いた話に戦慄することがある。


彼女に久しぶりに便りを出そう、と思っていた矢先のことであった。

話は確かな筋からのものだったから、それを事実と受け止めるべきであったろうが、私にはその事実を受け入れることを拒否するものがあって、彼女の父親にメールを送った。

「先日、はなはだ信憑性のない話を耳にし、それを根拠にお便りすることをお赦しください。ご一家のうえに何かあったとすれば、と深く危惧しております。嘘であればと思っております」


それへの返事はむごかった。


「ごめんなさい。哀しいことに本当なのです」


その先をすぐに読み続ける勇気がなかった。

メールには娘への切々とした親の気持ちが満ちていた。

「その時、その時、その時で、一所懸命に生きてきた恵(仮名)、と受け止めてあげたい」


「精一杯、律儀に生きようとしてついにくたびれたわがまま娘をゆっくり我家に休ませてやりたいと思っております」


泣き喚いてくれたほうが、どれだけいいか。
親が泣かないのに、こちらはどうすりゃ…。


私にも彼女と同年の息子がいる。

「子の死は自分の未来を失うこと」というが、そんな甘っちょろい話ではない。
私はどうしたらいいのか、まだわからない。


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