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2017年1月26日 (木)

息が止まる時―個から見た死と葬送(17)

息が止まる時

生命の火がかすかに揺れている。

静かにろうそくの火が燃え尽きようとしているのだが、そこはかとなく保たれている。

見ているしかない。

新たにろうそくを足すでもない。

新たに何かをすることを本人が本能的に拒否しているように思えた。
最期の生きざまを見守るしかない。


何もできないことを最初は切なく思ったのだが、本人を見ているとそれとは違う。

本人は、その消えゆくさまを楽しんでいるかのようだ。
まるで遊戯をしているようだ。


閉じた目が開くことはなく、
静かに息をするのを辞めるのではないか、
ほぼそのようだ、
と思っていると、
何ごともなかったように目を開け、
たどたどしいが
「おはよう」
と言う。

同じような日が数日続いたある日、
23時に病院から
「血圧が低下して危険」
との報せが入った。

眼の周囲が昼間より、深く窪んでいるように見える。

明け方だった。
人目には焦っているように見えるのだが、本人は表情そのものを変えることなく、大きく下顎呼吸を繰り返した。
その後、大きくため息をつくようにし、息は止んだ。

後期高齢のだいぶ
手前にあるが、
「惜しい」
とは思わなかった。

「もう、充分だ」
と、私たちには思えた。
ようやく家に帰すことができる。

不思議な生き物である。
人間という奴は。

そのすべてのいのちが人間のはからいの世界から外れている。

それがあるときは魔物に攫われるように感じられるのだが。

そのいのちを左右することは誰にもできない。

宗教者にも医師にも家族にも本人にもできない。

「いのちは尽きるから尊い」のではない。
生も死も含めて、ここにあることが尊いのだと思う。


周囲を見ていて、
それ以外の選択肢はないのではないか、
と思ってしまうのだ。

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