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2017年1月24日 (火)

戒名問題の視点―戒名、布施問題の多角的アプローチ③

「戒名」に関する問題

戒名についての社会的関心の一つは、「戒名料」に係わる問題である。
 
これは生活者の関心である。
近年は僧侶派遣のネット事業等が「戒名料の定額化」を打ち出し、仏教会がこれに反発するという構図になっている。

これはそのまま仏教寺院の財政基盤に関する問題である。

「戒名料とは言わない」というのが仏教会および各教団の立場である。
そもそも「戒名料」と言われるようになったことが問題なのであり、これが戦後の高度経済成長以降の主に都市における「社会的」問題の一つである。

かつてこの議論があった時、大阪の僧侶が「それは東京の問題だ」と言った。
訊いたら「院号料はある」と言う。
私は「その院号料と東京の戒名料は同質の問題だ」と指摘したことがあった。

もう一つは、「戒名」が歴史的に保持してきた階級性の問題である。
そこから派生した「差別戒名」の問題である。
過去において被差別部落民に対して被差別部落民であることを示す戒名をつけたことに対する糾弾とこうした歴史に対する寺院の反省の問題である。

「戒名」「法名」「法号」の基礎理解

以下、共通理解のための基礎的解説をする。
宗派によっても理解は異なる。

元々インド仏教には戒名はなく、仏教が中国に伝わった以降に生まれたものである。

「戒名」とは、仏教教団に入り戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のこと。
本来は戒を授けられ出家した僧にのみ与えられるものだった。
つまりは「出家名」である。


出家しない在家の檀信徒も授戒会に加わって戒を受けることにより、仏法に帰依した者として戒名を与えられるようになった。
これは出家者以外の葬儀をどうするか、で課題となったものである。


日本の仏教の在家葬儀の原型となったのが禅宗の葬儀法である。
禅宗が中国で儒教の影響を受けて葬儀法を確立した。

禅宗では、出家者に対する葬儀法「尊宿喪儀法」と修行途中の僧侶に対する「亡僧喪儀法」があった。
後者の「亡僧喪儀法」を、出家ではない者、つまり「在家喪儀法」に援用した。

修行途中であり、正式に僧ではなかったので、急いで戒を授け、僧とし、あの世に送り出した。
これと同様に僧でない在家の者も戒を授け、剃髪し、僧の如きにし、あの世に送り出した。
江戸時代には男性のみならず女性も剃髪された例があったようだ。

これは民衆の葬儀法が課題となることで生まれたものである。
江戸時代以降、寺檀制度が確立する中で、亡くなった人に授戒して戒名を与えることが一般的となった。

本来戒名は、生前に入信して与えられるべきものだが、死者の場合でも生きている者として扱い、できるだけ早く授戒させようと、しばしば枕経や通夜に授戒が行われた。


これは「没後作僧(もつごさそう、ぼつごさそう)」と言い、亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送るということを表す。
文字どおり「死没後に僧となす」ことを意味する。

授戒は引導と共に葬儀儀礼の中心をなすものとして位置づけられている。

「没後作僧」については、「生前、入信に際して授かるのが本来であるが、その縁がなかった者も死後といえども切り捨てるのではないという仏の大慈悲が存在する」と説明するものもある。

もっとも日本の葬儀では、葬式以前の通夜までは「生と死の中間」つまり「死者を生きているものと見做して」取り扱ったので、通夜までの間に行うのは生きている者と見做して行ったことを意味した。


近年、「戒名料」が問題とされたこともあり、多くの教団では、できるだけ生前に授戒会などに出て戒名を得ておくことを勧めている。


浄土真宗は在家道で教義にも戒律や授戒はなく、「聞法者」という意味をこめて「法名」と言う。
仏法に帰依した者が授かる名前で、「帰敬式」(「おかみぞり」「おこうぞり」とも言う)を受けていただくものとされている。


日蓮宗は「法華経に帰依することが持戒にまさる」ということで、あるいは「経(法華経)を受け持つことが戒を持つこと」という考えから葬儀式に授戒という作法はない。
「信仰に入った証」ということで「法号」が与えられる。

「入信の証」であるならば、本来は生前に与えられるものだが、亡くなった後に授与されることが多く、また生前に与えられていても死後改めて授与し直されることが多い。
特に「院号」等の修飾語が付けられるのは一般的に死後である。


修飾語の問題

戒名(法名)は、基本的には法号の2字である。
平易に表現すれば出家名であり、仏弟子としての名前である。

これに付加された院号、道号、位号は修飾語である。
だが、この修飾語が問題である。

過去において、どんな修飾語を付加するかという基準が、寺院への貢献度と社会的功績におかれた。

「死後追贈の褒章のようなものだ」というのは的を射ている。

寺院への貢献度は、寺院の建立や修繕に貢献したとか、檀家総代として尽力したとか、篤信な信者であったとか寺院または信仰を基準にしたものだから、ここでは問わない。

問題は社会的功績である。

大名だから、武士だから、庄屋であったから、という階級社会の上の立場という理由だけではなく、下の立場の階級付けまでがされたことによる。
この道具として戒名が用いられたことが問題となる。

※今戒名の修飾語の最高位として「院殿号」が位置付けられていることが多いが、これは足利尊氏が最初と言われる。以降、武家が天下を取ったことで、大名家やその上位家臣、旗本に陰殿号が授与されることが多くなったことから来ている。

戒名が檀信徒への褒章としてだけでなく、人の社会的階層づけに利用され、ひいては差別の固定化を招いたことが、仏教寺院の体質、それを許した日本社会の問題として批判される。

「差別戒名」問題

戦後、寺院は宗団全体で差別戒名の調査を行い、その付け直し作業を行った。

※曹洞宗では
曹洞宗がこのような取り組みを始めたのは、1979(昭和54)年の「第3回世界宗教者平和会議差別発言」(注1)に対する人権の確立を願う人びとや運動団体などによる糾弾・学習がきっかけでした。

1981(昭和56)年1月の第1回糾弾会から5回におよぶ一連の糾弾・学習の中で、「差別戒名」の問題、「差別戒名」のつけ方や「差別儀礼」のやり方などが書いてあった「差別図書」の問題(注2)、寺院住職が引き起こした「身元調査差別事件」が提起されました。
そして、曹洞宗としてこれらの問題が実際に存在することを確認、「差別戒名を改正する」「差別図書を回収する」「身元調査に加担しない」ことに取り組むことを社会に約束をしました。この3点の取り組み課題は現在でも、曹洞宗の人権確立へ向けた取り組みの大きな柱です。
(注1) 「第3回世界宗教者平和会議差別発言」
1979(昭和54)年、アメリカのプリンストンで開催された、第3回世界宗教者平和会議(WCRPⅢ)において、当時の全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長が、再三にわたり「日本に部落問題はない」「百年ほど前にあったことで今はない」「部落問題を理由にしてさわぐ一部の人がいるだけ」などの差別発言を繰り返し、WCRPⅢの報告書から部落問題についての言及部分を削除させてしまった差別事件です。
その後、5回にわたり確認糾弾会が行われ、「差別戒名」「差別図書」の存在、「身元調査」に加担した事実などが指摘された、個人の差別発言のみならず、曹洞宗がこれまで抱えてきた差別体質や、歴史・社会状況への認識・疎さの現れであったのです。

(注2) 「差別戒名」、「差別図書」
主に、江戸時代から昭和初期にかけて、被差別部落の檀信徒のみに「授与」された、一般の檀信徒と比較して「不当に差別され、おとしめられた戒名」を「差別戒名」と言い、曹洞宗寺院でもその事象が確認され、現在、改正の取り組みがなされております。
また、この「差別戒名」の付け方の手引書など、曹洞宗関係者が出した書籍について、差別的な記述等が確認された6種類を「差別図書」として回収を進めております。
http://www.sotozen-net.or.jp/activity/jinken/torikumi 

だが、差別戒名だけの問題ではない。
差別戒名の原因となった、戒名が人の階層化の道具であったことへまで及んでいる。

経済の民主化による「戒名料」問題

他方、「戒名料」は、戦後社会における寺院の民主化の問題であったという側面をもつ。

戦後、民主化が達成することにより、一般の檀家は、過去の身分によって戒名が階層化されて固定化されることを嫌い、戦後日本社会の実質的な規範である経済力によって新たに階層化することを望んだ。
それが民主的だと考えたのである。

寺院側にもそれを受け入れざるを得ない理由があった。
戦前の寺院経済を支えてきた大檀家の没落が相次いだ。
大農家が農地解放で没落し、大地主であった寺院そのものも農地解放により経済的基盤を失った。
寺院経済を支える新たな基盤作りに迫られていた。

一方で、都市化により、旧来の檀家ではない新たな都市住民が都市寺院に葬祭サービスを求めてくるようになった。
これらを取り込む基準は旧来の檀家としての貢献度や社会的立場以外のものでなければいけなかった。
それは戦後社会にあっての認められた基準である金銭を置いて他になかった。

「戒名料」という名称は、戒名の階層付けを新たに経済的な貢献度で行うという表明である。
経済の民主化が進み、都市化が進んだ高度経済成長期に「戒名料」が定着し、院号の乱発が行われるようになったのは、理由のあることなのである。

この後、80年代になると消費文化が成熟し、「消費者」という概念が定着してくる。
「安く良質のものを」という考え方は戒名料にも及んだ。

ところが戒名料には公認された社会的基準がなかった。
寺院側も、おおっぴらに戒名の基準が入手時の経済的貢献度とは表明しにくい。
苦々しく感じる寺院も少なくなかった。
寺院それぞれの対応の違いが、消費者には戒名料はブラックマーケットであると映った。

90年代に入ると社会的風潮も変化してくる。
特にバブル経済が崩壊して以降、価値観の変化が見られる。
褒章を求めない人が増えてきたのだ。
世俗化が進み、あの世への信仰が低下したこともこれに重なった。

戒名の院号信仰を支えたものは、死者の冥福を願う切なる心情があったことは事実である。
まさに欧州の宗教改革時代の免罪符に近い意味を戒名は負っていたのである。

だが、あの世信仰が希薄になることによって、その意味すら感じられなくなってきた。
この結果、これまでの戒名料批判に戒名不信が付け加わる事態となった。
これがジワジワと浸透していき、戒名料収入の低下を招き、将来的には寺院経済の基礎が揺るがされるのではないか、という不安が寺院を覆うようになっている。

一方、「戒名を買う」者には檀信徒として寺を支える意識が希薄で、「寺への寄附義務がない」ことが歓迎される風潮がある。
これが寺院側にとって悩ましい問題であり、僧侶派遣業者は「檀信徒にならない」ことをメリットとして宣伝している。

※現在の戒名に対する布施の定額化で、あたりまえのように「院号、居士大姉は別料金」になっているのはいかなる理由によるものか?
「ブランド」化になっていないか?

付加価値だから「高い」のだろうか?説得力をもって語られるのを聞いたおぼえがない。

戒名問題のこれから

教義的には既に今日の戒名問題を正当づけるものはないだろう。

僧となること、仏教徒たることを表明した徴、それ以上のものではない。
このことを教義的に意味づけることは可能であろうが、できるとしても法号に対してである。院号や位号などは歴史社会的に説明できるだけである。

対処としては仏弟子たることを表明し、あるいは授戒した人に対して、法号の2字(あるいは全て院号付きで)を授与するようにするだけである。
現状の没後作僧という死後授与を改めることも考えられる。

だが、問題はそれだけではない。

戦後に戒名問題が現在のような混迷を招いた原因が寺院経済の維持にあったのであるから、寺院経済の基礎をどこに求めるかを新たに考える必要がある。

戦前までの寺檀制度は寺院経済の基盤としてあった。
だが寺檀制度の基礎となる寺院と檀家の関係が葬祭サービスに偏ったものであったことがが一つの問題である。

寺院の活動が何であるかを明らかし、それが檀信徒に理解されて活動資金が支えられるという構造作りが課題となるだろう。

もう一つは、人の階層づけが戦前は階級社会、戦後は経済中心主義を無批判に基準にして行われたことへの検討であろう。
宗教は民衆に寄り添って力になる必要があるが、社会に埋没することではないだろう。
このことをきちんと考えないと、戒名問題そのものは解決しても、姿を変えて同じような問題が再発するであろう。

ことは寺院経済に絡まった問題であるから容易ではない。
できるだけ手をつけないでそっとしておきたいと考える僧侶が多いことは理解できる。

この問題は、仏教寺院の問題だけではない。
日本社会の縮図とも言うべき問題であるように思う。



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