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2017年2月に作成された記事

2017年2月27日 (月)

三回忌―個から見た死と葬送(20)

三回忌


三回忌だという。

つい2カ月ほど前の出来事のような、はたまた夢の中の出来事であったかのような…。

現実感がまるでないのだ。
心を裂かれた傷みはまだ癒えることはない。

でも、癒える必要はないのだ、と思う。

この傷みこそあなたの残り香なのだから。

この傷みがなくなったら、あなたが私の手の届かない先に行ってしまったことになるから。

どうか、私の心を傷ませ続けてください。

「時間が解決してくれる。いや時間しか解決してくれない」
と人は言う。


それは何と残酷なことだろう。

時間よ、止まってほしい。
かろうじて心の傷みがあなたの不在を意識させてくれているのだから。

子どもは、ほんとうはあなたがいないと何にもできない私だと知っているので、心配してくれている。

まるで子どもが私の庇護者であるかのようだ。

あなたが私を看取ってくれるもの、と私は勝手に心で決めていた。

だから最期の枕辺であなたに遺す言葉まで決めていた。

しかし、それを伝える機会は永遠に失われた。


そしてあなたは別れの言葉も遺さずに逝ってしまった。


私の唯一の日課は朝線香の火をつけること。


2017年2月26日 (日)

死の自己決定権―死に対する自由意思の限界(下)

本稿は「現代の死―死に対する自由意思の限界(上)」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/02/post-a72d.html#_ga=1.154086584.1288449594.1488071937
の後編。


死の自己決定権

■「死の自己決定権」の文脈

生きる上での「自己決定権」というのは個人の基本的人権として認められている。これは「死の自己決定権」に及ぶのか、及ぶとすればどこまでか、が議論としてある。


憲法第
11条から第14条には基本的人権が定められ、特に第13条は重要である。


13 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


一般社団法人日本尊厳死協会の設立目的に「死の自己決定権」論議の日本における経緯が簡潔に書かれている。


日本尊厳死協会は、1976年1月に産婦人科医で、国会議員でもあった故太田典礼氏を中心に医師や法律家、学者、政治家などが集まって設立されました。自分の病気が治る見込みがなく死期が迫ってきたときに、延命治療を断るという死のありかたを選ぶ権利を持ち、それを社会に認めてもらうことが目的です。

設立から40年近くが経ち、終末期に対する社会の認識も変わりつつあり、延命治療を望まない人が多数になっています。今後の目的は、そういった人たちにリビングウイルの提示という方法をお伝えすることにあります。

 

この簡潔な文章の裏に書かれているのが「安楽死(積極的安楽死active euthanasia)」と「尊厳死(dying with dignity、消極的安楽死)」を巡る議論である。
そして同法人の最初は「日本安楽死協会」という名であった。

 
63
年の太田らの「安楽死法案」では「安楽死」を「苦痛を和らげることを主目的とするもので、死期を早めることを目的としない。
従って、使用するのは薬剤であって、麻薬あるいは睡眠薬、神経安定剤である。
ただ、その使用の結果、生命を短絡する危険があってもそれにこだわらない」というものであった。

これは現在の尊厳死法案につながる見解であるが、太田自身は「積極的安楽死」を許容する立場であった。


「積極的安楽死」とは「苦痛が極度に激しく、人間的に意味ある生を送れる見込みが将来にわたって存在しない生の状況から患者を解放する目的から医療的処置でもって死に至らしめる行為」を言う。

 
14
年、米国オレゴン州の29歳の女性が進行性の脳腫瘍で医師から半年の余命告知を受け、激痛から、自宅で尊厳ある死をすることを決意、医師からの薬を自ら飲んで死亡した。オレゴン州は米国で安楽死を認めている州である。この医師による行為は自殺幇助でないか、とマスコミやネットを賑わせた事件であった。

これは「積極的安楽死」の範疇に入り日本では認められていない。

日本では立法化されていないではないか、との意見があるが、95年東海大病院安楽死事件(末期がんの患者の遺族が「見ているのが辛い」との強い要請を受けた医師が治療中止、鎮痛剤投与、最後に塩化カリウム製剤を注射し心停止に至った。
これが殺人罪で起訴され、判決では嘱託殺人罪で執行猶予付きの有罪となり確定した)についての横浜地裁判決で医師が法的責任を問われない消極的安楽死(尊厳死)の4条件が示されている。

 

1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる。

2.患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前である。

3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる方法で取り組み、その他の代替手段がない。

4.患者が自発的意思表示により、寿命の短縮、今すぐの死を要求している。

 

■生も死も「自由意思」は万能ではない

今、議員立法で「尊厳死法案」が検討されている。
私は、安楽死について積極的にせよ消極的にせよ一般論として是非を言うものではない。
だが、医療行為に「本人の自由意思」が金科玉条として過度に入ることは危険と思っている。


今の高齢者の口癖は「迷惑をかけたくない」である。
また難病患者も家族の負担を考慮する。
こうした人たちが「本人の自由意思」で尊厳死を望むということが入り込む余地があることを危惧するからである。


もとより本人の尊厳は大切である。
しかし、生も死もほとんどが本人自由意思で決定されているわけではない。


「ピンピンコロリ」信仰は昔から民衆の中に根強くある。
特に女性に根強い。
それは死者を看取った苦渋の体験から生まれた貴重なものである。


同じく「ヨメイラズ」は嫁に介護の世話をさせたくない、というものであったが、これは時代状況がすっかり変わった。
介護し看取るのは、嫁ではなく、結婚して姓が変わろうが実の娘の仕事になったからである。


「ピンピンコロリ」の願望は切実だが、それが現実化されることはほとんどないのも事実である。



患者のクオリティ・オブ・ライフを無視しての延命治療優先の時代には「本人の自由意思」は重要な課題であった。

だが尊厳死の意思を示せば、無判断も含めて8割かたの医師が尊重する時代になった。
今度は「自由意思」を隠れ蓑にした問題も注意すべき状況を迎えている。

「本人の自由意思」が発揮できるのはそんなに大きくない。
「本人の自由意思」を理由に生も死も不当に傷つけられていいわけがない。

社会は歪(ひず)みにこそ注意深くあらなければいけない。
そうした配慮こそ「人権の尊重」には求められている。


おわりに


私は先に書いたように「終活ブーム」には否定的である。
そこには死や老後の不安を煽ろうとする商業主義を見るからだ。

しかし、
70年以降、カトリック、プロ手スタンを問わずキリスト者が、わずか1%の存在ながら、終末期医療、死別の悲嘆、自死、高齢者問題等々の現場で先頭を走り続け、今もそうであることを感慨深く思っている。
この人たちの働きがなかったら日本の死の状況は大きく変わっていただろう。

しかし、近年は若い仏教者の関心が高い。
寺のせめて1割が変われば世の中が変わる。
キリスト教のプロテスタントが個人、個々の教会としてはがんばっているのだが、教団が内向きに転じて久しい。
「世にある教会」としての姿勢を放棄している。
ここは仏教者に期待すること大である。

2017年2月25日 (土)

現代の死―死に対する自由意思の限界(上)

現代の死
死に対する自由意思の限界(上)

死について「本人の自由意思」がキーワードになっている。
この問題については数回取り上げているが、キリスト教関係の雑誌で私が大学院時代から書かせていただいた『福音と世界』2015年3月号に書かせていただいた論稿を掲載する。

※内容は近年書いたものと重複することがあることをお断りしておく。


はじめに―個人的なこと


最初に個人的なことを書く。

筆者の姉は、13年6月に大腸がんでステージⅣであることを医師から宣告され、11か月後の翌年4月、72歳で死亡した。

本人は若い時に、長男がまだ幼い時に、2度のがんを体験している。
2度目の時は本人も家族も強い危機感を抱いていた。
しかし幸いなことに快癒した。快癒したとはいえ、しばらく定期的に抗がん剤を打つために通院していた。
その抗がん剤投与は本人にとって苦痛なものであった。
投与した日とその翌日は寝ている以外は何もできなかった。

その抗がん剤投与の苦しさを知っていたこと、また既にリンパ腺や肝臓に転移していて手術でがんを除去できる段階ではなかったこともある。
本人は傷みの除去以外の治療をしない、つまり無治療を選択し、私を含め家族も同意した。

本人は近く、といっても車で2時間以上かかる地にある緩和ケア病棟があることを探し、見学もし、気に入り、一時は入院もした。
しかし、最期は家の近所の病院に入った。
治療のためというより、日常動作が介助なしには家ではできなかったからである。また、近所の病院であれば働いている息子も毎日来ることができる。そのことが選択のキーとなった。

無治療という選択を否定するのではない。
おそらく私も同じ病状であれば同じ選択をしたであろう。
だが家族は少し楽観視するものである。
5年はともかく3年、いや2年は生きてくれるだろう、と期待していた。

だが、現実は家族の想いよりもはるかに速く進行した。
11か月後の最期の、痩せて骨と皮だけになり昏睡を繰り返す様子は見ていて耐え難いものがあった。
それを「本人の選択」という言葉では納得できるものではなかった。


どの選択がいいわけではない。
おそらくあの段階で「治療」を選択すれば、治療で本人を傷ませ、さらに後悔したであろう。だから選択を後悔するものではない。

そもそもどういう生き方、死に方だったら尊厳があるか、などという問いは不毛である。
すべてが尊厳あるし、どのような場合でも尊厳あるものとして接するべきなのだと思う。

告知以降、きょうだい3人で繰り返し話し合ったことは、自分たちを納得させるためのことだけであった。

いずれ皆死ぬのだから、先か後かの違いにすぎない。私たちの関係は変わらない。

かし、姉の死から9か月を経た今も、姉の死に納得していない自分がいる。

 

 

■「終活」という用語とその背景

「終活」という用語は、学生の「就職活動」を「就活」ということにもじっての造語である。
「終末活動」の略ではない。言うならば「(自分や家族の)終末期や死後に備えるための準備活動」ということである。

「死」については、80年代まではタブー意識が強く、そのため「縁起が悪い」と話題にすることが避けられたものである。

しかし、避けていたのは「社会」であり、人々の中ではしたたかなリアルな死生観が生きていたことを示したのが
94年の永六輔『大往生』(岩波新書)である。
以降「茶の間でお葬式が話題」になるようになった。

他方、単独世帯が増加するにつれ、死後数日経過後、中には1カ月を経過して発見される単独死が増加している。
これが初めて取り上げられたのは6千人を超える死亡者が出た
95年の阪神・淡路大震災後の仮設住宅で、一人暮らしの単独死が続けて発生したことによる。

老後、終末期、死後に関する問題は、もはやタブーとして放置できない現実問題となっている。

キリスト教会で問題にされるようになったのは久しい。
教会員の高齢化が著しく、すでに現場の牧師は高齢単独者の増加、介護や看取り手の不在という事態に対応を余儀なくされており、複数の法定後見人を務めて対応に追われているケースも少なくない。


「高齢化率」というのがある。
56年の国連の報告書でつくられたものだが、65歳以上人口が全人口に占める割合を言う。
7~
14%を「高齢化社会」とし、1421%を「高齢社会」とし、21%超を「超高齢社会」としている(なお、高齢化率が50%を超えた地域を「限界集落」と言い、地方での増加が著しい)。

 


日本社会の高齢化率は、高度経済成長下の
70年に7%を超えて「高齢化社会」となり、95年には14%を超えて「高齢化」の「化」が取れて「高齢社会」となり、07年には21%を超えて「超高齢社会」となっている。

世間やマスコミでは依然として「高齢化社会」と表現しているが、現実ははるかに先を行っている。
同時に「高齢化」が著しく伸長している様を表現しているのであろう。
13年、日本の高齢化率はすでに25%を超えた。

「終活」という用語は、09年に『週刊朝日』が連載記事に名付けたことから始まる。
11年8月の経産省「ライフエンディング・ステージ」に関する報告書が出たことを契機に、「公が認定した領域」ということで、それまでの葬送関連に加えて行政書士、税理士、保険関係業者等が一挙に群がり、流行語とした。
老後、死後への不安感を抱く層を煽って「終活ブーム」がつくりだされた(だから報告書作成に深く関与した私に責任の一部はある)。

もとより事業者が煽ったからといって即「ブーム」が引き起こされるわけではない。
この背景には、毎年250万人が誕生したという団塊世代がすべて65歳以上の前期高齢者の仲間入りしたことがある。


もともと『文藝春秋』を代表とする雑誌の主たる読者は団塊世代がその中心を占め続けてきた。
この塊が仕事から退き、いざ自分たちの「老後設計」の問題に取り掛かった。
この時点に合わせてマスコミが仕掛け、それに塊としての層が乗ることで「終活ブーム」なるものが現れた。

 

■「デス・スタディ」と現代の死の問題


「デス・スタディ(死学death study、元はthanatology。アルフォンス・デーケンがこれを「死生学」と訳した)」が大きな課題となったのは、最初は米国で、直接的には朝鮮戦争からの帰還兵が、前線で殺傷や仲間の死を体験し、精神的疾患を抱えることが多かったことによる。
すでにドイツの精神分析者のフロイトが対象喪失に伴う悲嘆については扱っていた。


日本へは70年代にすでに紹介されていたが、関心が広く展開したのは80年代の中期以降である。
キューブラー・ロスが紹介され、A・デーケンが精力的な活動を展開し、ホスピスが紹介されたことによる。

終末期医療における延命至上主義の見直しによるクオリティ・オブ・ライフ(生活の質の向上)、インフォームド・コンセント(説明と同意に基づく医療の提供)が広く話題を呼ぶようになり、医療の現場を変えた。

デーケンらの「生と死を考える会」の各地での活動により死別悲嘆の問題について、死別体験者同士による対話と共感の必要性が説かれ、さまざまな形で自死遺族、子を喪った親の問題が共有されるようになった。


95
年の阪神・淡路大震災、11年の東日本大震災では、突然の大量災害死、遺体の取り扱い、遺族の悲嘆が広く問われた。


「自死」についてもこの間広く取り上げられた。
かつての「自分の意思で自分を殺す」という「自殺」観が見直され、さまざまな固有の理由が重なった精神的疾患によりもたらされた自由意思によらない死がその多くを占めていることが注目を浴びている。
教会も寺もかつては「自死者」に対して「殺人者」呼ばわりし、葬儀の席で非難、葬儀拒否という行動を取った事例が一部にはあった。


10
年にはNHKTVが「無縁社会」を報じ、引き取り手のいない遺体が年間約3万2千体ある事実を報道した。
その多くの近親者は甥、姪の関係にある者が多く、血縁的には最も身近であっても生前の関係はなく戸惑う声が聞かれた。
少子化、離婚率の上昇、生涯未婚率の急激な上昇、家族分散化による単独世帯の増加、その孤立化を生んでいる。


日本の戦後の高度経済成長は豊かさももたらしたが、急激な地方から都市への人口移動により、地域共同体の崩壊を招き、個人化が進み、過剰に「自己責任」論が言われるようになった。


戦前の昭和初期には、80歳以上での死者は全死亡者のわずか3~5%程度であり、その死とそれに続く葬式は、長寿にあやかろうとする祝いの雰囲気すら漂うものであった。
それが高齢化の著しい伸長により、全死亡者の約6割が80歳以上の死亡者で占められるようになった。
その死は私事化され、葬式をしない直葬は全体の1割、東京では2割を超え、近親者のみで行う葬式である家族葬は全体の4割、東京では6割を超えるようになった。


高度経済成長期の葬式の社会儀礼偏重への反感が招いたとはいえ、死の極端な私事化は、死者を知る者の弔う想いを拒絶し、排除するかのようになっている。
また死者に接する機会の急激な喪失は、死および死者への接し方、弔い方がわからない人たちが多数を占めるようになった。
死は近親者にとまどいだけをもたらし、その悲嘆の表明の仕方を奪い、安く事業者に依頼するだけのものになった感がある。


葬儀は規模を別にして、近親者のみの親密な別れの場であることと死体を単に処理するがごとき場とに大きく分裂してある。


遺体はエンバーミングするのでなければ腐敗していくという認識すら欠いた人たちは驚くほど多い。


墓の世界も大きく変動している。

明治末期以降、明治民法の家(イエ)を単位とし、当時コレラの大流行により火葬化を進めることで成立した家墓制度。
高度経済成長期に都市周辺での核家族用の墓ブームを招いた。
だが、90年代以降は、承継者がいない、いても依拠しない人の増加で多様化が進んだ。

承継者不要の永代供養墓(合葬墓)、散骨(自然葬。遺骨を細かく砕き墓地以外の海等に撒く)、樹木葬(墓地である森林等に墓石等の人工物を設けずに遺骨を埋蔵)の認知が広がり、今や墓を求める層の3分の1がこうした新しい葬り形態を選択するまでになった。


日本社会は、91年のバブル景気の崩壊、08年のリーマンショックを契機として著しい格差社会となった。
これが高齢化に与えた影響は大きい。


80
歳以上の高齢者の増大は認知症患者の増大を招く。
病院の治療病棟の廃止は高齢者の病院からの追い出しを招き、一方で受け皿を期待された高齢者施設を増加させる動きは追いついていない。


「最期は家で」という高齢者の欲求は高いものの、家族の縮小化に伴い、介護要員がいない。
こうした高齢者の単独世帯、二人世帯での老老介護は多い。

政府は高齢者医療費、介護費用の削減を目的として「在宅ケア」へ舵をきった。
だが、「在宅ケア」を可能とする地域医療・介護態勢はまだまだ整備が行き届いていない。
自宅に放置された高齢者難民を大量に生んでいる。
「家で看取る」ことは理想ではあるが、それが一部のモデルケースを除けば現実からほど遠い現実である。


家庭内に閉じ込められて外部には見えないが、すでに大量の高齢者難民がいる。

こうした現実がある以上、死後に営まれる葬式が限りなく「死体処理」に傾いている現実も無理からぬことであると思う。


生者の尊厳も守れないで、死者の尊厳を守ることは不可能である。

 

2017年2月23日 (木)

仏教界への提言・葬儀は何が問題か?―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑦番外編

仏教タイムズ2017年2月16日号に「仏教界への提言」が掲載された。
これを本ブログのシリーズ「戒名、布施問題の多角的アプローチ」の番外編として公開する。

紙面は大きいが、字数が少ないため、問題を絞った。
全日本仏教会の中間報告へも言及していない。
しかし、最も言いたかったことを書いた。

編集部からは「消費者からの視点」で書くよう要請を受けたので、「葬儀とは遺族にとってどういう場面か」ということを切り口にした。
そのことで戒名問題、布施問題、僧侶派遣についても根本的なことを書けたかと思う。
詳細は本ブログで展開しているので、本ブログの読者にはわかっていただけるだろう。

201702224

この記事は「僧侶派遣の現状と背景を追う〈5〉最終回」として掲載された。

読みやすいように、以下本文を掲載する。

■遺族にとって葬儀とは?

葬儀というのは一般論で語られるものではない。
個々の人にとっては身内が死亡し、直面する重大事なのだ。
その死者とどう相対し、送り出せばいいのか迫られる。

それが高齢(何歳から「高齢」なのかわかりにくくなっているが)で徐々に弱ってきた場合には、ある程度の受け入れ準備があるかもしれない。
死亡してホッとする場合もあれば、強い寂寥の感情に襲われる場合もある。
老老介護の場合には遺された者が役割喪失感に襲われることもある。

状況はさまざまである。

たとえがんでステージⅣを宣告され闘病していた身内であろうと、その最後が生かしているのがむごいと思っていた場合でも、死亡という事態に愕然とする。
まったく違う心的情況に追いやられる。

人間の死は、たとえ高齢者が多いとしても、基本は年齢を選ばない。
若年者が死ぬこともあり、遺された年長者、特に高齢者の場合、自分が生き残ったことへの罪悪感でさいなまれることも多い。
その悲嘆は長期化、深刻化する事例が少なくない。

災害死、突然死、事故死、戦死、犯罪死…遺族はその事態を受けとめることを拒否し茫然としている。

単独世帯が4分の1を超えた。
身内の死を後から知らされる場合もある。
家族以外がその死を世話することもある。
家族に拒まれ、あるいは家族を拒んだまま死亡する人もいる。

いかなる形であれ、死は、他人にとっては「人間は死ぬ」という事実以外のものではないかもしれないが、身内にとっては迫られる事態、緊急時としてある。

そういう「人の死」に対処するのが葬儀である。
個々の死がそうであり、固有である。

僧侶は、どんな立場で葬儀を勤めるにせよ、その固有の死に相対する想いなくして葬儀を勤めることはできない。

また、単に同じ儀礼を型通りに行えばいいものではない。

その死者、死者の周囲の人の想いに無関係に行われるのは葬儀ではない。
単なる装飾だと知るべきである。

■紛いものの「仏教式葬儀」の横行

仏教の体裁をとった葬儀は、これだけ批判されても8割以上ある、というのは、過去の慣習を引きずった結果であり、ほんとうに必要とされているものは多くて4割。

それを僧侶に葬儀を依頼するのがあたりまえ、という感覚でいる僧侶が多すぎる。
その証拠に一つひとつの葬儀に向き合って行われない葬儀が多すぎる。

葬儀で初めて遺族に会うのに、話も聴かない、死者がどうであったか、遺族の気持ちも知ろうとしない僧侶がいる。

ある僧侶派遣団体では、僧侶が遺族と話をするのを禁じている。
バカな、と思う。
そこには商売しかない。

自分の宗派の儀礼に則ることには熱心だが、死者にも遺族にも無関心な僧侶がいる。

遺族も僧侶と話すことを敬遠し、僧侶も遺族を敬遠する。

そこで行われる僧侶の営みは大いなる空虚以外の何ものでもない。
それは葬儀とは呼べないしろものであることは確かだ。
そうした紛いものが横行し、それが「葬儀」だと言われているところに不幸がある。

そうした紛いものに対して「布施」なんてあるはずがないではないか。
出す方にも受け取る方にも。

遺族の心理は敏感である。
紛い物か本物かは頭ではなく、肌で感じ取る。

■信頼される寺

寺に行けば、そこの住職が檀信徒や周囲の人に信頼されているかわかる。

「オラが死んでも住職が葬式してくれるから安心」
と思われている寺は意外と多い。
そこではあまり布施の額や「戒名料(院号料)」などという言葉を耳にしないものだ。

遺族が少し無理して包んでくると、
「後々の付き合いもあるから半分だけ今はいただく」
と半額返す僧侶もいる。

生活困窮者の檀信徒が死ぬと、「檀信徒の葬儀は寺の責任」と無料で、しかも香奠持参で駆けつける僧侶もいる。

こうした僧侶は、一般の目に入らないだけで、多くいる。
そうした住職の下にいる檀信徒たちには、生活不安、家族間の問題、その他の不安はあっても寺への不安はあまりない。

■送り手がいなくても送る覚悟

私は葬祭ディレクターの育成にこれまで長く関与してきた。
そこで言ってきたことは

「たとえ身内が死者に無関心であろうと、死者の尊厳を守り、たとえ自分だけでもきちんと弔い、送る覚悟をもて」

ということであった。

同じことが僧侶にはより以上求められると思う。

「葬祭仏教」として民衆に定着したのは、戦国時代の聖たちのそうした覚悟があったからではないか。

 

 




2017年2月19日 (日)

布施と寺の関係―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑥

布施と寺の関係

 

「布施」は理念的には、

「施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきもの」

とされている。

本質的には、仏法を説く「法施(ほっせ)」も布施としてなされるものであり、見返りを期待したものではない。
また、その僧を支えるものとしてなされる「財施(ざいせ)」も「布施」としてなされるものであり、何らかの対価、見返りを期待したものではない。
また僧や仏教徒の布施は寺院の関係を超える。地域社会に精神的、身体的、経済的、人間関係的に不安や困窮し困難にある人や事態に対して布施する。これが「無畏施(むいせ)」である。

近年、若い僧侶を中心に災害支援、被災者の物心支援、生活困窮者への支援、終末期にある病者、高齢者の支援、貧困や疎外された子どもの支援、海外の弱者への支援…などさまざまな活動が積極的に行われるようになってきている。


以上が前回のまとめである。

 

前回も紹介したように、

「布施」について『岩波仏教辞典』は後段で
転じて、僧侶に対して施し与えられる金品をいう。

と極めて現実的な解釈を示した。
これは「布施」が日本仏教においては寺檀(じだん)制度を支える財政基盤として機能したことを示している。

 

そこで「檀家制度」における布施の機能を見る前に、そもそも寺という組織について考えてみたい。
これは過去がどうあったかではなく、現代において寺という組織が機能するために、どういう検討が必要か、という課題である。

 

「寺」という組織のあり方

 

僧は個だけではなく、仏教集団、寺院、教団…という組織をもつ以上、「組織のあり方」を考えざるを得ない。

これは仏教寺院だけではなくキリスト教会も必然的に抱える問題である。

 

第1は、活動理念である。

一般に宗教教団の場合、教義であり、その教義の普及により信者の獲得となる。

だが組織が小さく、民衆の近く位置するに伴い、活動理念はより具体的にされないと、それを支える意識が不明確になる。

また、教義というのも歴史的産物である以上、常に問い返しが必要とされる。
問い返しのない教義は保存はされるかもしれないが、単なる遺物と化し、活きて働かないものとなる。

 

第2は、組織運営である。

宗教団体では、とかく上から下、という形態が見られる。
しかし、上から下へ「教える」という一方通行だけではうまくいくわけがない。

下からの信頼、信仰が強くなければ組織は機能しない。

下から、つまり信者側からの熱意ある活動を組織に活かさないと組織は活性化しない。


実際に、住職や牧師中心で成員である信者が活性化していない寺や教会は活き活きとしていない。

 

第3は、活動の透明化である。

 

その組織が何をしようとしているのか、それをどうしようとしているのかを上だけではなく下まで認識を共有しなければならない。

例えば寺の行事一つとっても、これが欠けては成立しない。


これは、一方的な考えの押しつけになってはいけない。
成員個々の多様な考えは尊重されるべきである。

だが、個々に遠慮して何も発言しない、というのもまたおかしい。

 

第4は、組織の財政基盤の確立である。

 

現実的に組織運営する以上、その活動を可能とする財政的基盤を作らなければならない。

また、その財政は組織の形態によって変わる。
ボランティアがお金と労力だけで係わる場合があるが、それはしばしば不安定で、また負担が偏ることで継続性が困難になる。

その規模に合った人件費、運営費が確保される必要がある。


理念が正しくとも成員だけで維持できる組織というのは少ない。

また成員の経済力もさまざまである。
成員が過負担になれば組織から遠のく。

企業ではないのだから、それぞれに合った負担ということが許される必要がある。貧困者を閉めだす寺なんて最悪である。

成員だけで無理なら協賛、寄附が必要となる。
これは一部の資産家や企業に頼り過ぎてはだめである。
石材業者、葬祭業者等に頼り過ぎれば癒着も生じるし、偏り過ぎるとそこが撤退したとたんに成り立たなくなる。
薄く、広く求める必要がある。


戦後の農地解放で寺は経済的な打撃を受けた。
寺自体が大地主であったのが土地を取られ、大檀家が地主、大農家に偏ったため、大檀家が没落し、財政基盤を喪失した、という寺は多い。


※これが高度経済成長期の「戒名(院号)」料問題の背景となっている。


「布施」問題はこのコンテキストで正しく語られる必要がある。


「布施は檀家制度が崩壊したので根拠がなくなった」と言う人もいるが、寺は危機にあるが崩壊、消滅したわけではない。

これからの寺を検討すべき課題として「布施」問題はきちんと、中途半端ではなく検討される必要がある。

仏教界の議論はまだまだである。

寺のあり方を問う中できちんと議論されるべきである、と私は思う。
 

そうでないと苦労している僧侶たちを見捨てることになる。

 

第5は会計の公開である。

 

今の寺を見ていると経済的に自立している寺は全体の3割もないだろう。
むしろ財政実態を公開し、どうしたらいいかを皆で考えることから再出発すべきだろう。成員であることの自覚もできる。

また、そのためには寺の運営実態を透明化し、寺が何をしていくべきかの目標を共有することが必要だ。

私の知っている寺では、個人名は伏せるが、葬儀のお布施も公開している。

100万円以上出す人もいれば、その人にお金がなく、寺が負担して葬儀を出すこともある。

平均で20万円代であった。

自分たちの葬儀だけではなく、信者全体の葬儀を可能にするために葬儀代がまさに布施として活用されている。
会計公開は成員の自覚につながるし、寺が公共性を確保するための義務でもある。

 

第6は組織の規律である。

 

組織が崩れるのは自己規律がないことからきていることが多い。


組織運営が一部の者の都合がいいように偏ったり、運営が公平を欠いたり、偏見に基づいた差別やいじめが行われたり、お金の使い方がいい加減であったり、私欲がまかりとおるものであったり…


およそ最低限の規律が確立され、常に第三者の点検に耐え得るものである必要がある。


あたりまえのように見えるが、相当意識的にしないと規律保持は難しい。

また、規律が崩れると組織内はもとより対外的信用も崩れる。
雑誌やテレビのワイドショーで寺や僧侶の悪い話題が取り上げられるのは、規律が失われた寺の問題であることが多い。

 

 

檀家制度成立以前

 

寺の組織は「檀家」制度によって支えられてきた。

といっても本格化は江戸中期以降のことで、歴史的に中世までは寺の檀那(だんな)は権力者、貴族、武家に偏していた。

ある意味で権力者の権威の誇示に寺は利用されてきた。

また、寺は宗教的=世俗的権威ともなり一大勢力ともなった。
これが戦国時代に信長が仏教団と激しく対立、排撃されるところともなった。


仏教は権力者が檀那であった時代はある程度は拡がったが、民衆の中に定着したとは言えない。

 

 もっとも中世以降になるとさまざまな僧が民衆へのアプローチを行うようになるが、それは教団としての組織的なものではなかった。


例えば、平安時代の
938年、阿弥陀聖、市聖と呼ばれ中世以降の高野聖、民間浄土教行者である念仏聖の先駆けとなった空也(972年没)が京で念仏を広める。

これ以降、民間仏教の「聖(ひじり)」と言われる僧が民衆の中に入り、死者儀礼や農耕儀礼と結びつき大衆化していった。

 

 

「檀那(旦那)」とは、

サンスクリット語のdânaに相当する音写。もともとは、施し・布施を意味するが、わが国では、寺院や僧侶に布施・寄進をするパトロン、つまり檀越(だんおつ)・檀家と同じ意味で用いられた。布施を受ける寺のことは〈檀那寺(だんなでら)〉と呼ばれる。檀家はそこで死後の菩提(ぼだい)を弔ってもらうことになるので〈菩提寺(ぼだいじ)〉とも呼ばれる。なお檀那は、家を支えるパトロンとか、恩恵を与えてくれる者の意味から、既婚の男子、特に夫や主筋の相手に対する一種の敬称とも転じ、〈旦那〉とも書かれるようになった。(岩波仏教辞典)

 

「戦国時代」とは、室町後期の応仁の乱から織豊政権誕生による天下統一に至るまでの時代のことである。

政治的には乱れ、飢饉、戦乱で民衆は苦しんだ。
一方それまでは貴族や武士の下で翻弄されていた民衆が農業生産力を向上し、定住し、近世の村をつくり、一定の社会的地位を向上させた時期にも相当する。


「戦国仏教」という言葉もあるように。この時期を中心に仏教の民衆化は進む。

それを可能としたのが「葬祭仏教」であった。

(以下続く)


☆近況報告と予告

①仏教タイムズ2017年2月16日号
http://www.bukkyo-times.co.jp/pg125.html
に「僧侶派遣の現状と背景を追う(最終回)仏教界への提言―聖たちの覚悟を現代に 碑文谷創(葬送ジャーナリスト)」
。タイトルは編集部が付けたもである。全日本仏教会の「法務執行に関する協議会」の中間報告を読んではいるが、直接は触れていない。1800字という制限であったので、問題の根幹だけに絞って書いた。記事はネット紹介。まだ掲載紙が手元に届いていない。

②日本消費者協会第11回「葬儀に関するアンケート調査」(2017年1月)
仏教タイムス2月17日号には
2017/1/19
「日本消費者協会・葬祭アンケート 葬儀費用、やや増加 相談は寺院から業者 仏式葬儀 首都圏で減少気味」
というレポートがあり、これはネットで読める。
中外日報も報じている。2017年2月3日付

「僧侶と葬儀の関係希薄に 日本消費者協会調査」

http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/jijitenbyou/20170203-001.html
この日本消費者協会調査は入手したので、後日きちんと分析し、書く。
問題も多いこの調査、読み方も含めて提示したいと思う。
何回かに分けて書くことになるだろう。


③橳島次郎『これからの死に方 (平凡社新書)』

http://booklog.jp/item/1/4582858082
を読んだ。
なかなか切れ味のいい本だ。
多くの人に読んでほしい本。
中には?の部分もあるので、これについては問題点も含めていずれ書評したい。


 

 

 

 

2017年2月17日 (金)

親友の葬式―個から見た死と葬送(19)

親友の葬式

彼の葬式が行われる葬儀会館は駅からわかりやすい立地にあった。
冬から春に移行する時期。
コートはなくとも歩いて少し汗を感じるくらいだった。

式場に入る。
遺族席に行って挨拶する。


死者の配偶者が私が来たことに驚き、腰を上げる。
そして私が亡くなった彼の小学校以来の親友であることを周囲に教える。


「わざわざ、申し訳ありません…」


「いや、彼との約束だから。むしろもっと早く来るべきだったのですが」


「ちょっと顔を見てやってください。彼もSさんには会いたいでしょうから」


死後数日経っていたので、顔色は濃く沈み、筋張っていたが、面差しは穏やかだった。


「最後はずいぶん苦しんだのですが、亡くなると、すっと穏やかになって」


「奥さんが献身的に世話されましたからね。対面できてよかった。ありがとうございました」


そのうち式場は人が埋まり始めていた。
彼は高校教員を長くしていたから教え子や同僚とおぼしき人が
30代から80代まで来ていた。

あまり長く彼を独占しておくわけにはいかない。
彼のすっかり冷たくなった頭髪の生え際を撫で、別れを告げた。


彼とボランティア仲間だったという僧侶が導師となり式は進行した。
読経の声にも涙が被さっているように聞こえた。


教え子たちの弔辞は、彼のユーモラスな一面も紹介して座が和んだ。

皆彼を愛していたのだ、と強く思った。

彼を少し嫉妬している自分がいた。
私の葬式には彼は来てくれない。

2017年2月16日 (木)

布施の基本的理解―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑤

戒名、布施問題について間が空いた。
前回は「布施問題の現況」について書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/01/post-68ab.html#_ga=1.177174245.173638439.1487207866

今回は「布施」について基本に立ち返るところから書いてみる。

手元にある『岩波仏教辞典』(膨大な辞典類は事務所閉鎖に伴い譲渡したが、手元に残した数少ない辞典の一つ)には以下のようにある。

出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物その他を施し与えること。

とある。
「貧窮者などに」という言葉が入っているが、僧や寺院への財政的施しという面が強いことがうかがえる。


辞典でも、布施については「財施(ざいせ)」以外に、僧側からの「法施(ほっせ)」、そして「無畏施(むいせ)」について触れている。
今日専ら用いられている「僧や寺院への財政的施し」ということだけに布施は限定されないことを説明している。

これを私なりに再整理すると次のようになる。






「布施」
は、仏教では、布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべきつの実践徳目の1つとされている。

施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものとされている。






布施はさまざまに分類されるが、一般的には次の3つに分けられる。






財施(ざいせ)





出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物、衣食などの物品を与えること。
仏教の教えへの感謝を表し、施すこと。






法施(ほっせ)





正しい仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。僧侶の務めとされている。






無畏施(むいせ)





「施無畏(せむい)」とも言い、不安やおそれを抱いている人に対し安心の施しをすること。
困った人に対し親切を施すこと、など。







無畏施
は、近年特に注目されている。
といっても「無畏施」という言葉で語られることはあまりない。

無畏施は、対象に檀信徒(そもそも戦国末期以降、特に江戸中期以降確立した、寺をさまざまな形で支える人。戦前は家制度を背景として「檀家(だんか)」と言ったが、戦後は家制度でなくなったこと―慣習的には残っているが―、信教の自由を背景に「檀信徒(だんしんと)」と正式には言われる。「檀徒(だんと)」と言うこともある)や信者も含むが、それだけではない。
寺の壁を越え、地域社会、社会の精神的、経済的、その他に困難にある人へさまざまな支援をすることを言う。
葬式、法事といった範囲を超えた僧侶、寺の社会的活動(だけではないが)は「無畏施」に相当するであろう。
その意味では「布施」を論ずる際に、もっと注目されていいいことであるように思う。

近くでは、
阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震等の災害時に若い僧侶を中心にさまざまな支援が積極的に行われた。
また「臨床宗教師」等の終末期患者等への支援(「日本的チャプレン」とも言われるように、北米のキリスト教のチャプレン活動に刺激され、日本にも日本人の宗教に合った宗教者の病院や施設等での活動が必要、と開始された。宗教間協力として行われている。中には仏教者に特定した活動も)もある。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/diarypro/diary.cgi?field=8
アジアの子どもの支援活動をするシャンティ等の活動もある。
http://sva.or.jp/about/

これらは「無畏施」に相当する「布施」である。
もっとも僧や寺が行う活動のみが「無畏施」ではなく、仏教徒が行うこうした活動がすべて「無畏施」に相当する。

この解釈には一部の仏教者から異論があるかもしれない。

「無畏施」を
「衆生を危険から救い、安全な状態にすること」(『岩波仏教辞典』)
をそのまま理解すれば、これは人々に仏法を説くことによって施すもの、という解釈も充分にあるからである。
しかし、説く内容がなければ施しにはならない。

「布施」について『岩波仏教辞典』は後段で以下のように書く。

転じて、僧侶に対して施し与えられる金品をいう。

現実的解釈と言えよう。

だが布施が成り立つのは「出す者」と「受け取る者」の間に関係が必要である。
関係があって成り立つのが布施である。
しかし、「出す者」が何かを得ることを目的とするのは布施ではない。

施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものとされている。

のが布施の本質であるからだ。

だから、布施には定額はない。あったらおかしいのだ。それはもはや布施ではない。

しかし、「布施」も歴史的文脈を離れては語れない。
建前だけでは今日の布施問題は解決しない。

(以下、続く)

※後ろを長々と書いたのだが、途中保存せず長々と書いたため、保存できず後半のデータが紛失(泣)
今回は中途半端だが、ここまで。




2017年2月14日 (火)

子どもの貧困

子どもの貧困は日本の未来を決する問題だけではなく、子ども一人ひとりの人権に関する問題だと思う。

3keysによれば
http://3keys.jp/state/

OECDによると2005年の日本の子どもの貧困率は14.3%となっており、約6人に1人が貧困状態と言われています(2009年の厚生労働省調査によるとは15.7%)。
子どもの貧困とは、等価可処分所得の中央値の50%以下の所得で暮らす相対的貧困の17歳以下の子どもの存在及び生活状況を言い、一般的な水準の半分にも満たない水準で暮らしている子どもたちがどれだけいるのかということを指しています。

つまり社会がますます豊かになり、一般的な水準が上がっていくのに対して、その水準から落ちこぼれてしまっている子どもたちが、実に6人に1人の割合がいるということになります。
このような日本における貧困率は下図のようにOECD平均値を超えており、世界水準でみたら高い水準であることがわかります。

さらに母子世帯においては、66%が貧困となっており、地域のつながりの希薄化や離婚・核家族化等による支え合いの減少が貧困に強く結びついていることや、ひとり親家庭等に対しての社会保障が十分に追いついていない現状も窺えます。

そして

子どもたちは生まれた環境の経済的状況や、余裕等によってこれからの社会を生き抜いていく上で必要とされているあらゆる力が身につけられなくなってしまっているのが現状です。

さらにそのような力が身につかないことによって自分自身を責めたり、自信や意欲をもなくしていく、意欲や希望の格差にもつながりかねません。

日本では児童憲章によってすべての子どもたちに以下の権利があると定められていますが、実態としては環境によってそれが十分に保障されていないのです。

と指摘する。

親の責任に帰すこともできない。さらには次世代にも問題は引き継がれるリスクが高い。

これらの問題は何世代かにわたって引き継がれてきた根深い問題であり、それに対して社会に十分がサポートがないという社会の在り方の問題として考えていかなければいけません。親が生活保護を受給していた場合、その子どもが母親になった場合に生活保護を受ける確率は一般の約10倍近く、貧困率も3倍程度になります。その他でも親の離婚歴や、親からのDV歴等が、貧困状況に影響している


貧困の連鎖は深刻な問題である。

朝日新聞特集「子どもと貧困」では次のように報じている。
http://digital.asahi.com/articles/ASJBD638ZJBDPTIL022.html

困窮世帯の高校中退率が高いと貧困が連鎖しやすいとして、国は「子どもの貧困対策大綱」などで中退防止を掲げる。

 文部科学省厚生労働省によると、2014年度の高校中退者数は5万3391人で中退率は1・5%。生活保護世帯の中退者数は2323人で中退率4・5%。全世帯平均の3倍だ。

 20代への国の調査結果(12年)を労働政策研究・研修機構が分析したところ、失業率は高卒6・1%に対し高校中退者は14・6%。正社員の割合は高卒44・3%に対し、中退者は21・6%だった。
困窮世帯の高校中退率が高いと貧困が連鎖しやすいとして、国は「子どもの貧困対策大綱」などで中退防止を掲げる。

 文部科学省厚生労働省によると、2014年度の高校中退者数は5万3391人で中退率は1・5%。生活保護世帯の中退者数は2323人で中退率4・5%。全世帯平均の3倍だ。

 20代への国の調査結果(12年)を労働政策研究・研修機構が分析したところ、失業率は高卒6・1%に対し高校中退者は14・6%。正社員の割合は高卒44・3%に対し、中退者は21・6%だった。

記事では、慶応大の中室牧子准教授の話を紹介している。

高校中退で十分な技術や知識が身につかなければ、リーマン・ショックのような予期せぬ事態でリストラなどの困難に陥りやすい。高卒や大卒者との生涯収入の差も出てくる。家庭を持っても、生活が不安定で子どもの教育にお金をかけられず貧困の連鎖が起きうる。問題を放置することの社会的コストは大きい。

NHKスペシャル2月12日放映「見えない貧困~未来を奪われる子どもたち~」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170212
はかつて「無縁社会」に取り組んだスタッフたちの継続的取り組みによる労作であった。

6人に1人の子どもが相対的貧困状態に置かれている日本。そ
の対策は喫緊の課題とされながら有効な手立てを打てていない。
そうした中、東京、大阪などの自治体や国が初めて大規模調査を実施。
世帯収入だけでは見えない貧困の実態を可視化し、対策につなげようとしている。
調査から貧困を見えにくくしていた要因も浮かび上がりつつある。
1つ目は、ファストファッションや格安スマホなど物質的な豊かさによって粉飾されること。
2つ目は高校生のアルバイトなど子ども達が家計の支え手になっていること。
3つ目は、本人が貧困を隠すために、教師や周囲の大人が気づきにくいことだ。
こうした状況を放置すれば、将来の社会的損失は40兆円に上るという試算もある。
進学率の低迷、生活保護や社会保障費の増加など、社会全体のリスクとして捉えるべきと専門家も指摘している。
相対的貧困に直面する子どもたちの実態ルポとデータ解析で可視化し、専門家の提言も交え、「見えない貧困」を克服する道筋を明らかにしていく。


「将来の社会的損失は40兆円」という数字にも驚かされるが、そうした規模で子どもの人権が侵害され、侵害されるリスクを抱えていることには真剣に向き合う必要があると思う。

2017年2月13日 (月)

超高齢者には「終活」の準備は無理だ では?

『月刊エルダリープレス シニアライフ版』2017年3月号に

「‘ヘルプ信号‘早急に 周囲の支援受け生活継続」という記事が掲載された。
Photo_2


この原稿は「終活」といっても実際に準備しているのはわずか、という状況を踏まえてのものである。


以下、元原稿

困ったら早くヘルプ信号を出す。子や行政に甘えていい

――「終活」がブームになったのはいつからですか?

「終活」という言葉は、2009年「週刊朝日」による造語です。2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得ました。
――どうして火がついたのでしょうか?

 かつては「人生60年」と言われて生活設計もそれが前提になっていた。ところが今は男性が80年、女性が90年と超高齢社会になり、社会にひずみが出てきました。「長寿」そのものはいいことです。しかし、それを支える基盤が社会にも家族にもなくなりました。長くなった20~30年の生活設計ができない、という問題に直面することになりました。
――その一つは経済不安?

 今の高齢者で最も多いのは夫婦2人世帯。戦後は核家族ですから子どもが育って独立していくと夫婦だけの世帯になる。今の高齢者は優しいですから、できるだけ子どもに迷惑をかけないで、夫婦だけでやっていこうとする。例えば夫が70歳で死亡する。残された妻は自分が残りどれだけ生きるかわからない。10年なのか、20年なのか、30年なのかわからない。どれだけのお金があったら充分かめどが立たない。かつては高齢者ほど資産があって裕福でしたが、格差が広がり、今の80代より下はむしろ資産をもたない貧しい高齢者が多くなっています。「長寿」といっても80代以降は急激に認知症が増えるし、大病して身体の自由が失われる危険は高まる。「要介護」になるリスクが高まります。「高齢者の単独世帯も約25%。「おひとりさまの死」も他人事ではない。

――「老老介護」も増えていますね。

夫婦ともに75歳を超えて、配偶者が要介護になると、残った者も高齢ですから体力的に大変です。共倒れの危険もある。今は「認認介護」という言葉も出てきました。夫婦共に認知症。こうなると生活が成り立たなくなります。

――死後の不安もあります。

 配偶者の死ということは精神的にも大きな問題ですから、残った人が葬式の手配やら、死後のさまざまな事務処理など自分だけでは充分にやれるわけがありません。

 私は、自力での生活が困難になったら、周囲に「ヘルプ信号」をできるだけ早く出すように、と言っています。子どもや行政に遠慮せず出す。自分たちだけでやろうとするな、と言っています。周囲も、より注意深く配慮する必要があります。

 




「elderlypress201703.docx」をダウンロード

2017年2月10日 (金)

覚せい剤についての気になる記事と情報 2017.02.10

覚せい剤使用に関する逮捕報道が目立つ。
少し前であるが朝日新聞2017.02.07 シリーズ:依存症」
「専門家に聞く 意志の弱さではなく「病気」 依存症とは」
http://digital.asahi.com/articles/ASK2600R2K25UBQU00B.html

という記事が目に入った。この中から気になった箇所を抜き出してみる。
話し手は国立精神・神経医療センター薬物依存研究部部長の松本俊彦さん。

依存症は、周囲からやめるよう注意され、自分でもやめたいと思っているのに、やめられない病気です。本人の意志が弱いとか、道徳心がないからではありません。病気なので、本人の意志ではやめられないのです。最も怖くて悲しいのは、人柄がすっかり変わってしまうことです。

依存症の背景には、家族との不仲や友達とのもめ事、職場でのパワハラなど、苦しい境遇がかかわっているようです。依存症になる人は、ほかの人に頼るなどして、それらをうまく発散することができず、酒や薬物、ギャンブルにのめり込み、あとは心にふたをする人が多いのです。依存症の根っこは「人に依存できない病」であるとも言えます。

治療法はまだ十分に確立していません。センターではまず「病気なんだよ」と伝え、医療者が一緒に闘うことを伝えます。

治療で大切なもう一つの柱は、かつて依存症だった人たちによる自助グループへの参加です。医療者が依存行動をやめるきっかけをつくり、自助グループに参加することでやめ続けられれば、回復できる病気です。

日本ではまだ、依存症を病気とは見ず、本人が弱いからだととらえる人が多いと思います。マスコミも有名人が覚醒剤に手を染めると、人格まで攻撃するような報道が繰り返されます。

そして最後に結ぶ。

覚醒剤を使うことは犯罪です。ただ、依存症から回復しやすい社会にするためには、単に閉じ込めるのではなく、地域の中で本人が安心して治療できる環境を提供することが必要です。


覚せい剤は深刻な問題であることは事実だ。犯罪である。
だが、有名人の覚せい剤使用逮捕での人格攻撃には違和感を覚えていた。
人格攻撃は何の役にも立たないし、覚せい剤の恐怖を自分と隔離してとらえる、むしろ危険度の高いものであるように思う。


以下、覚せい剤に関する情報を集めてみた。

警察庁「平 成 2 7 年 に お け る 薬 物 ・ 銃 器 情 勢 」確定値
(警察庁刑事局組織犯罪対策 平成28年3月)
http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/yakujyuu/yakujyuu1/h27_yakujyuu_jousei.pdf
によれば
                                                                                                                 
  年別  区分 平23 平24 平25 平26 平27
覚醒剤事犯 検挙件数 16,800 16,362 15,232 15,355 15,980
  検挙人員 11,852 11,577 10,909 10,958 11,022
    うち暴力団構成員等   6,553 6,373 6,096 6,024 5,712
    構成比率(%)   55.3 55.0 55.9 55.0 51.8
    うち外国人   710 617 588 595 591
    構成比率(%)   6.0 5.3 5.4 5.4 5.4
となっている。

年齢層別でみると、近年、人口 10 万人当たりの検挙人員が各年齢層においてそれぞれ横ばいで推移している。
平成 27 年の人口 10 万人当たりの検挙人員は、20 歳未満が 1.7 人(前年比+0.4 人)、20 歳代が 11.0 人(前年比+0.4 人)、30 歳代が 21.0 人(前年比+1.2 人)、40 歳代が 20.5 人(前年比±0人)、50 歳以上が 4.9 人(前年比-0.3 人)であり、最も多い年齢層は 30 歳代、次いで 40 歳代となっている。

再犯者率
覚醒剤事犯の再犯者率は、平成 19 年以降9年連続で増加しており、平成27 年は 64.8%(前年比+0.3 ポイント)となっている。

覚醒剤事犯の主な特徴
覚醒剤事犯の検挙人員は、薬物事犯検挙人員の約8割を占めており、依然として我が国の薬物対策における最重要課題となっている。
その主な特徴としては、暴力団構成員等が検挙人員の約半数を占めていることが挙げられる。このほか、30 歳代及び 40 歳代の人口 10 万人当たりの検挙人員がそれぞれ他の年齢層に比べて多いことや、再犯者率が他の薬物に比べて高いことから、強い依存性を有しており、一旦乱用が開始されてしまうと継続的な乱用に陥る傾向があることが挙げられる。

また、
密輸入押収量がほぼ前年並みの高水準となっていることや、覚醒剤の末端価格が長期的に低下傾向にあることからも、覚醒剤の国内への安定した供給がうかがわれ、引き続き警戒が必要である。

とある。

脳科学辞典 覚せい剤
菅谷渚(横浜市立大学 医学部 社会予防医学教室)池田和隆(公益財団法人 東京都医学総合研究所 精神行動医学分野 依存性薬物プロジェクト)
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%A6%9A%E3%81%9B%E3%81%84%E5%89%A4 

によれば、

覚せい剤は、本邦の覚せい剤取締法(後述)ではメタンフェタミンフェニルメチルアミノプロパン)とアンフェタミンフェニルアミノプロパン)をはじめとして、これらと同様の作用を持ち制令で指定されたもの、またはそれを含有する物と定義されている。これらは、向精神薬の分類としては、精神刺激薬に含まれるが、精神刺激薬には、治療目的で用いられるメチルフェニデートなどの薬物も含まれる。(略)
性状は白色、無臭の結晶で水に溶けやすい。 1941年にヒロポンなどの販売名で発売され、第二次世界大戦時には軍需工場の労働者が徹夜作業を行う際にヒロポンを服用した。戦後、大量の覚せい剤が民間に放出され、乱用された。本邦は第二次世界大戦後の第一次覚せい剤乱用期(1945~1958)ののち、第二次覚せい剤乱用期(1970~1995)、第三次覚せい剤乱用期(1995~現在)を経験している。

覚せい剤の作用として以下のものが挙げられる[3]
1.中枢神経の興奮作用: 気分爽快、自信増加、積極性増加、精力増進、疲労感減少、多弁、不眠常同行動
2.交感神経の刺激作用: 瞳孔散大、立毛感、心悸亢進末梢血管の収縮、四肢の冷感、血圧上昇、狡猾、腱反射の亢進 
3.食欲減退作用 
4.強い渇望感を伴う依存の形成 
5.錯乱幻覚妄想などを伴う中毒性精神病の発現
1.覚せい剤急性中毒
覚せい剤の使用後1時間以内に出現する中枢神経系の異常興奮による精神神経症状、交感神経刺激作用などによる身体的中毒症状、さらに薬効の消退に伴って出現し数日間持続する反跳現象などから構成される。意識障害と激しい精神運動性興奮を主とする急性症候群の発現を見ることもある。 
     
2.覚せい剤依存症
覚せい剤依存徴候および関連した精神身体症状を有するが、明確な幻覚妄想を伴わない状態。 
     
3.覚せい剤精神病
覚せい剤依存徴候を有するかまたは有していたものに生じた幻覚妄想状態を主とする精神病状態である。
     
4.休薬後には以下の経過類型を示す。 
     
5・早期消退型:休薬後1カ月以内に症状が消退するもの 
     
6.遷延・持続型:休薬後も1カ月以上にわたって病状が持続するもの。

 なかには6ヶ月以上の長期にわたって症状の小康と増悪を繰り返すものなどある。

1.覚せい剤急性中毒
覚せい剤の使用後1時間以内に出現する中枢神経系の異常興奮による精神神経症状、交感神経刺激作用などによる身体的中毒症状、さらに薬効の消退に伴って出現し数日間持続する反跳現象などから構成される。意識障害と激しい精神運動性興奮を主とする急性症候群の発現を見ることもある。
2.覚せい剤依存症
覚せい剤依存徴候および関連した精神身体症状を有するが、明確な幻覚妄想を伴わない状態。
3.覚せい剤精神病
覚せい剤依存徴候を有するかまたは有していたものに生じた幻覚妄想状態を主とする精神病状態である。

休薬後には以下の経過類型を示す。
1.早期消退型:休薬後1カ月以内に症状が消退するもの
2.遷延・持続型:休薬後も1カ月以上にわたって病状が持続するもの。
 なかには6ヶ月以上の長期にわたって症状の小康と増悪を繰り返すものなどある。

なお、法律的には
覚せい剤取締法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO252.html
によって規制されている。
第1条には「この法律は、覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため、覚せい剤及び覚せい剤原料の輸入、輸出、所持、製造、譲渡、譲受及び使用に関して必要な取締を行うことを目的とする。 」とある。

2017年2月 7日 (火)

長過ぎる不在―個から見た死と葬送(18)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。

長過ぎる不在

先日、後輩の息子が死亡し、葬儀に出かけた。
職場で倒れ、入院。
10日後に息を引き取ったという。

遺族の顔を見ると、15年前の私とそっくり。
目はときおり上げるが誰も見ていない。
宙を彷徨っている。

私は15年経たが、息子の不在から卒業できていない。


5年後に部屋の模様替えをしてみたが、かえって居心地が悪くなった。

息子の帽子を2つ取り出して玄関にかけてみた。
ときおり触ってみるのだが、心は冷え冷えとするばかりだ。


でも帽子はもう動かせない。


運動靴も1足だけ玄関に置いたままだ。
それは新品で、ついに足を通されなかったままだ。


娘はもうすっかり成人したが、毎朝出勤前に
「お兄ちゃん、行ってきます」
と仏壇にチーンと鉦を鳴らして出かける。


何か辛いことがあると、一人仏壇に向かって小声で言いつけている。

娘の心には兄は居ついたようだ。

私の心にはまだ居つかない。

でも卒業できないのは私だけではない。

息子の祖母である義母がそうだ。

「私が歳をとっても生きているのはお兄ちゃんに悪い気がする。代わってあげたかった」
と悔やむ。

わが家では息子の死以来、誕生日は禁句となっている。


家族が揃っているときは会話も普通に飛び交うのだが、夜はいけない。
私たち夫婦だけになると、会話は時おり続かなくなる。
気がつくと二人で呆としている。


2017年2月 5日 (日)

四畳半からの近況報告 2017.02.05

四畳半からの近況報告 2017/02.03の補足


雑誌『SOGI』休刊に伴う事務所、私個人に伴う法的手続きについてすべて完了したことを報告したところ、Facebookにてコメント等をいただきありがとうございます。
このブログのアクセス数が増えたことは、心配いただいていた方々が多かった、ということでしょうか。
私としては少し複雑な気持ちです。

雑誌購読者、関係者個々にご報告すべきことですが、こういう形で報告させていただきました。ご了承ください。

雑誌『SOGI』を四半世紀にわたって刊行したこと、何よりも読者の方々、寄稿いただいた方々、取材者、カメラマン、編集者、デザイナー、印刷関係者、今はなくなりましたが組版、製版の関係者等多くの方々に支えられたものでした。
改めて御礼申し上げます。
雑誌を中心に死や葬送について記録し、発言できたこと(一部の方々には不快感を与えてところがあるかと思いますが)については感謝申し上げます。
44歳で開始し、当初は65歳までを目標にしていましたが、70歳まで行うことができました。
悔いはありません。
今後若い世代の方々が、形を変えようと何らかの形で、私どもが記録し、発言してきたことの志を継いでいただくことを願っています。
その橋渡しとして私にできることがあれば、精一杯努めさせていただきます。


前回も書かせていただきましたが、『葬祭ディレクター技能審査20年史』(葬祭ディレクター技能審査協会/非売品)が完成しました。
200_2


こういう事態であったにもかかわらず、私の名を執筆者として記したまま刊行を許していただいたことに感謝します。

この発足の経緯、理念、20年の歩み、抱えている課題について、記録者として記させていただいたのは、これまでこの制度に係わった者としての責任からです。
そして私の今後に関係なく制度そのものは継続していくわけですから、今後の制度を担う方々への引き継ぎという意味があります。

先人が葬祭業が社会的偏見をもたれていることに危機感を抱き、誇りをもってできる仕事にする、その鍵として人材教育に注目してできたのが葬祭ディレクター技能審査という制度。
この仕事に関与できて多くの方から教えていただきましたし、尊敬できる多くの方々にお会いすることができたのは私の財産です。


葬祭ディレクター技能審査には、近年田中大介さん(文化人類学)に関係してもらい、私の負担はだいぶ軽減しました。
田中さんが私の役割の一部を引き継いでくれるでしょう。
その田中さんが東京大学大学院総合文化研究科博士論文に加筆修正し、

『葬儀業のエスノグラフィ』(東京大学出版会、本体価格5,200円)

http://www.ajup-net.com/bd/ISBN978-4-13-056310-9.html
9784130563109
を出版されました。
264ページの労作です。
ぜひお手にとってお読みいただくことをお勧めします。
ちなみに「エスノグラフィ」とは京都大学フィールド情報学研究会のHPに掲載された辻高明さんによれば―

エスノグラフィ(Ethnography)は,フィールドで生起する現象を記述しモデル化する手法である. 文化人類学における未開の民族の調査に起源をもち,その後,社会学で逸脱集団や閉鎖集団の生活 様式を明らかにする方法として用いられるようになった.http://www.ai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/field/chapter5.html

と説明されています。



昨夜、元の会社関係の同年配3人で呑み会。
一人は99歳の母親の介護を抱え、一人は4年前に配偶者が若年性認知症になり介護、皆それぞれの問題を抱えています。

一人が私の学生時代に書いたものを読んでくれて
「あんたはまったく変わっていないね!」
と呆れて言ったのか、褒めて言ったのか(確実に前者だと思いますが)…

そう言えば、我が家では
「中学生の時から変わっていない!」
と呆れられています。
つまり人間としてあるべき進歩がない、子どものまま、ということ。
欠陥人間ということでしょう。
でも、見放され、追い出されていないことに感謝しています。

2017年2月 4日 (土)

四畳半からの近況報告 2017.02.03

ブログでの発言は昨年秋、2016年10月より再開。
雑誌休刊と表現文化社および連帯保証人であった私の破産手続き開始を契機とするものでした。
読者の方々には多大な迷惑をおかけしました。
改めてお詫びをいたします。
この負はお金でお返しできませんが、これからの表現活動でお返ししていきたい、と思っています。

ブログの再開は、お詫びを兼ね、雑誌媒体での発言はできなくなりましたが、その埋め合わせを自分なりにしていこうというものでした。

長年友人の僧侶の方には「無料でなんてもったいない」とありがたい言葉をいただきましたが、表現を続けることが表現者の役目と考えています。
資産0と71でなった人間は今さらの事業は考えていません。
どれだけできるかわかりませんが、できる範囲での発言は、不定期となるかもしれませんが行っていきたいと考えています。

昨年10月に開始された破産手続きは、今年1月24日の東京地裁での債権者集会が債権者に公示されて、意見が求められ、会社と私は地裁から指名された管財人の管理の下に置かれてきました。
金融機関、印刷会社、読者の債権者からは、ありがたいことに異議の申し立てはありませんでした。
債権者集会は多数の債権者数から200人規模の会場が用意されました。
出席は葬儀社の方1名。異議ではなく、雑誌を評価いただき、ありがたい応援メッセージをいただきました。
債権者退場後、地裁は管財人の報告を了承、即時に会社の解散を決定。
26年を超えた表現文化社が正式に消滅しました。
その後、連帯保証人である私の破産、免責については管財人の報告を受け、管財人業務は当日をもって終結し、法的手続きはすべて終了。
開始から終了まで10分足らずでした。
1月31日付で私の免責通知を弁護士経由で受け取りました。

多くの皆様にご心配をおかけしましたので、以上、すべての法手続きが終結したことをご報告します。
文字通り、これからはフリーランスのジャーナリストとして、0からの再出発です。
ご理解、ご支援に対し心から感謝申し上げます。
 
1月の私の報告。

ショックだったのは、葬祭ディレクター技能審査協会が創設以来最も長く一緒に活動した小林一敏さん(サンメンバーズ副社長)が死去されたこと。
会社閉鎖することをメールした折り、心配してくださり「会おう」と言っていただき、落ち着いたらお会いする約束をしていました。
だが、小林さんは昨年10月末の検査で大腸がんが発見され、12月には入院されましたが、心臓が悪く手術しないまま一時退院。
ご自宅で療養されていました。
1月12日に再度入院、緩和ケア病棟に入られましたが、当日0時を回り13日の1時過ぎに息を引き取られました。
連絡いただき、埼玉県本庄市で12日に行われた密葬通夜、13日の密葬に出席、お顔を拝見し、お別れしました。
小林さんは私の1歳上、穏やかで芯の強い方でした。
私にとっては「戦友の死」という感じでした。
Photo


小林さんと長年ご一緒した葬祭ディレクター技能審査ですが、
『葬祭ディレクター技能審査20年史』
が1月20日ようやく完成しました。
昨年7月末に書き上げる予定が、諸事情から遅延し、主として11月以降に書いたものです。
この遅延で、関係者の方々にはご迷惑をおかけしました。
これで、この仕事に係わった責任に一つのけじめをつけた気がします。
私としては『全葬連50年史』『IFSAの20年』に続く主な年史の執筆となりました。

1月に刊行された『ソナエ』第15号2017年冬号
http://www.sankei-books.co.jp/sp/sonae/index.html
に「碑文谷創の終活に喝!」というコラムを書いています。
タイトルは
「人生は統計どおりにいくわけがない」

その他、新聞、雑誌へのコメント少々。

これからの企画の打ち合わせが2~3というところです。

ボチボチ年齢を考えながらやっていこうかな、と思っています。

以上、ご報告まで。

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