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2017年10月 9日 (月)

弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③

弔われない遺体

 

①行旅死亡人(身元不明の死者)

 

1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。

この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。

7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をなすべし」とある。

 

行旅死亡人は、死亡地の市区町村により官報に記載される。
遺体は腐敗するので身元が判明するまで保全できないので、公費によって(約20万円)火葬され、骨壺として遺留物と共に各役所の責任で一定期間保管される。

 

官報記載例をあげておこう。

 

「名前本籍・住所・氏名不詳年齢6070歳位性別男性身長167cm身体的特徴体格中肉着衣灰色トレーナー長袖ハイネックシャツ黒色ズボン黒長靴所持品現金3,110円在中の小銭入れ上記の者は、平成2×年6月●日午後零時●分頃、●●市の●●川河口から北へ500メートルの●●湾で発見され、死亡年月日・死因は不詳。身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市生活福祉課まで申し出てください。」

 

「名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 5060歳位 性別 男性 身長 175センチメートル 身体的特徴 やせ型、短髪白髪混じり 着衣 none 所持品 カバン(黒色) ポーチ(黒色) 財布(2つ折り、黒色) 現金60円 腕時計 電気髭剃り 果物ナイフ 眼鏡 はさみ

上記の者は、平成2×年●月●日午前9時●分、●●市●●公園●番●号●立●●公園内●●東方付近樹木で縊死しているところを発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。お心当たりの方は当市生活福祉課までお申し出ください。」

 

これで身元が判明するというのも無理があるだろうが、行方不明となった家族を必死に捜そうとすれば類似ケースがあるかもしれない。

 

なお、行旅死亡人についての全国統計はない。

東京都で年間約100人程度、全国でも約1000人程度であるというのが2010年のNHKの調査でわかった。

 

②引き取り手のない遺体

 

その他身元は判明しても引き取り手のいない遺体がNHKの調査(20101月)によると約3万1千人。

身元判明し縁者を見つけても甥や姪というケースが少くなく、「縁者」というだけで、実際は「他人」に等しく、遺体の引き取りを拒否するケースが多いという。

 

NHK調査によると、縁者が親子、きょうだい関係にある場合は引き取られる率が高く、引き取られる率が低かったのが叔父、叔母―甥、姪の関係にあった場合、という。
但し近年は親子関係も危うくなっている。
中高年の一人暮らし世帯には離婚した者も少なくない。
離婚して妻方に引き取られて年月の長い子が一人暮らしの父の死にあたって遺体の引き取りを拒否する例も少なくない。


人口動態総覧(2016年)によると
離婚は216,798組で結婚の620,531組に対して34.9%になることから推定されるように、一度結婚しても離婚経験する者は3割以上はいると思われる。
2016
年については、全離婚組数のうち、結婚5年未満が31.4%、510年が20.5%、以下年数が増えるにしたがって割合は低下し、1015年が13.6%、1520年が10.6%、2025年が7.8%となっている。結婚25年以上でも9.6%いることから結婚年数に関係なく離婚の危機はある。
離婚は子がいない場合が41.9%と多いが、別に言えば半数以上に子がいる。
離婚者の年代を多い順に並べると(全離婚者の内訳)、男性では3033.1%と最も多く、4028.8%、2015.8%、5013.6%、606.3%、701.9%、80歳以上0.4%、100.4%、女性は順に3035.3%、4027.3%、2021.9%、509.7%、603.7%、701.1%、100.7%、80以上0.2%
80以上が少ないのは配偶者の生存率の低下、10代が少ないのは結婚数が少ないことからきている。
20
代、30代と子どもが小さいうちに離婚し、以後単身という人も多い。
離婚は妻方から言い出すケースが圧倒的に多いと言われる。


三世代同居世帯が急速に減少し、単身世帯が各年代で増加した結果、血縁にかぎらず人間関係をもちにくい人が増えている。
全国の死亡者総数は1,307,748人(2016年人口動態統計確定)であった。
おそらく引き取り手のない遺体数は、この4.5%、年間約6万体はいるのではないか。


死亡者総数の1割以上は引き取り手のいない人や、引き取り手がいても、弔いの想い不在のまま、事務的に火葬の手続きでお終いというケースだろう、と私は推定している。

これについて「人は生きたように死ぬ。本人の自己責任」と言う者が絶たない。
しかし、その人の生のプロセスがどうであれ、すべての死者、遺体の尊厳は保持されるべきである。

今後、こうした弔われることのない遺体が増加すると予測している。

引き取り手のない遺体のその後


引き取り手のない遺体は(市区町村によって対応は異なるが)、親族調査、親族交渉が面倒、かつ遺体保全の問題があり、市区町村の福祉事務所等ではとりあえず公費(約20万円)で火葬までし、骨壺にして5年程度保管し、引き取り手がいない時は市町村墓地または好意で協力してくれる墓地の合葬墓に埋蔵される。
また費用は本人の遺産を精査し、残金がある時はそこから弁済し、残りは国庫に収められる。

相続人がいる時は、遺体を引き取らず、相続だけするというケースはなくはないだろうが、そう多くはないだろう。
相続するなら公費はそこから弁済される。

横須賀市エンディング・プラン・サポート事業
2016
年開始。ひとり暮らしで身寄りがなく生活にゆとりがない高齢の市民の葬儀・納骨・死亡届出人・リビングウィルという終活課題を生前契約という形でサポート。これは本人の生前意思を生かすという意味で有用だが、一人暮らしの人の死で発生するトラブルを事前に解決しておこうという自治体にとっては自衛策という面もあろう。公費使用を抑制できるし、作業は生前契約先の葬祭事業者が行い、福祉事務所の関与は少なくなる。今後各自治体に拡がるだろう。但し、横須賀市が献体斡旋にまで乗り出すのは行き過ぎと思うが。

 

「遺体」について考察するとき、こうした「弔われることのない遺体」の存在について理解しておく必要があると思う。

 

 

「遺族」とは誰のことか?―縮小する「家族」観

 

死者と親しい者、愛着をもっている者にとっての遺体とはどういう存在なのだろうか。

血縁関係の遺族は、家族が解体していく中で、死者にこだわらない、つまり死を特別な出来事と見ないケースも増えている。

「家族」を私は二親等以内の血族、配偶者と見做している。
生まれた時の家族、つまり両親(一親等)、きょうだい(兄弟姉妹)は二親等、それに祖父母(両親のそれぞれの親)。
結婚後の家族、配偶者、子ども(一親等)、孫(二親等)。
この2つを合わせて死者本人の家族という。

だが、これが変化しているようだ。
二親等から一親等への縮小が見られるのだ。

葬儀は本来、死者本人の関係性で見ていかなければならない。
喪主が子となる時(配偶者はいても高齢)、子は案外と親の歴史、交友関係を知らない。
別居であるとなおさらである。
すると喪主の立場では、本人のきょうだいは三親等の「おじ」、「おば」になって家族ではない親戚になってしまう。
私は個人的には「いとこ」すら「家族」同様に思う人間だが、これは稀らしい。
どうも本人のきょうだいは、結婚後は家族でなくなることが多いらしい。

葬式などではこのところの違和が現れるのだ。
本人のきょうだいは自分の家族のことだから親身に心配する。
しかし喪主らにとっては「無関係な親戚が口を出す」となる。

これは子どもだけではない。
本人の配偶者も、場合によっては本人すら、「本人のきょうだい」を「家族」の範疇とはしない例が結構見られる。
「遺族」という言葉がもつイメージが変化してきているのだ。

そこで血縁以外の関係も含めた概念として「近親者」という言葉を用いてみる。
実際にその死者と近い関係にあった人、という意味である。
事実、血縁以上に、あるいは血縁同様に、本人と親しい者がいる。
そして、今流行の「家族葬」で排除されがちなのが、こうした「近親者」なのだ。

死は一人称だけのものではない


WHOの提言として終末期医療において、「本人」に続いて「家族」への配慮が出てきて以降、変化が見られる。

2013年に施行された死因・身元調査法(警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律)では、
第二条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、礼意を失わないように注意しなければならない。

とこれまでの死体取扱規則の文面を踏襲し、かつ、

第三条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、遺族等の心身の状況、その置かれている環境等について適切な配慮をしなければならない。
と定めた。


人の死は本人だけの問題ではない。
それは近親者にとってのものでもあるのだ。


その近親者にとっては、死亡直後の段階では、既に息をしなくなった、死んでしまった、魂の抜けてしまったものであったと言われたにしても、その死後の身体には愛着がある。
特別な感情の対象である。
これは人間としてきわめて自然な感情である。
割り切る者もいるが、割り切れない想いを抱く者は少なくない。
むしろ依然として多数派であろう。

「故人」という言葉で割り切れない、まだ人格をもった、半分生きた存在と見ていることが多い。

遺体は、近親者にとって「故人」という他者にはなり切れていない存在である。
それ故にそれを送別するには充分な可能な限り納得できるだけの身体をもった死者との心の対話が必要とされる。
といっても納得できるとは限らないのだが、それでも死者との別れを行うことが重要であることに変わりがない。

そうであっても多くの人にとって「死」は「自分の死」つまり第一人称の死を本義と理解する人が多いらしい。
どうも近年の「終活ブーム」は「死」の理解への誤解をも促進しているらしい。

確かに自分の遺体は自分ではどうしようもない。
誰かに頼まなくてはいけない。
だが自分だけでできないのはそれだけではない。
人間は好き嫌いに関係なく、人との関係において生きている。
そして死んだ時、本人の想いを超えて、周囲の人に及ぼすのだ。
それは長寿の死の場合、時には安堵感かもしれないが、けっしてどうでもいい感情ではない。
私は身近に90歳を超えた近親者を3人送ったが、それはどうでもよいこと、厄介なことではけっしてなかった。
遺された私にとっても、実に大切な時間だったし、大切ななすべきことであった。


「死」を「自分の死」に偏して見ることは「葬式」への意識調査に明確に表れる。

朝日新聞の
(be between 読者とつくる)自分の葬式は必要ですか?
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13111191.html

「自分の葬式はいらない。そう考える人は56%にのぼった。その理由は、お金、しがらみなど様々だ。」
という。

 

死とは無論、本人にとっても一大事である。
しかし遺される者、二人称の人間にとっても一大事なのだ。
何も「普通の葬式」をすることにこだわることはない。
すでに高度経済成長期~バブル期までの1955199年までに風靡した葬儀観は常識でもなんでもなくなった。
あの日本人の歴史としてはほんの短い時期に流行した「見せる葬儀」の時代は終わったのだ。
「普通の葬式」といっても今やさまざまである。
しかし、人の死を弔い、送るという本義は今こそ回復、獲得しなければないのではないか。


近年の傾向として、
死、葬式について、いわれなき偏見、穢れ意識は減少したが、死、遺体に対する無感覚も増加している
ように思うのだ。

「死」は人の死である。
きわめて人間的な出来事なのだ。
これに対する感性を失ったら、人間はほんとうに大切なものを失うことになる。

古来、日本では、通夜までは死者を生者と見なして取り扱った。
これは死について近親者の認識には時間的差異があることを長い時代の知恵として学んだからである。

私は死亡判定から通夜までを「生と死の境界線にある」と表現している。

 

近親者は、その死者をある種の断念をして葬るのである。
この時、古来多くの地域、民族において、その葬りはその人たちが信ずる宗教の手を借りて葬ってきた。

土葬にしても、例えばキリスト教徒(カトリック)は、終末の日の身体の蘇りを信じ、例えば仏教徒は火葬による白骨化をもって成仏の<徴(しるし)とし、風葬では死者の魂が山の頂にある浄土に昇ると信じられ、というように。
死後の行き先に対するさまざまな信仰に裏打ちされて葬法が選択されてきた。

それ故、葬式を行って遺体処理をする、あるいは、葬式全体の中に遺体処置を位置づけたのである。


遺体処理を行うための道すがら人々が葬列をして見送る、というのは世界各地で見られる風習である。
そこには遺体処理が汚物処理の如きものとは明確に区別されて、死者に対する愛惜と敬意の思いを見てとることができる。

 

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