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2017年11月に作成された記事

2017年11月30日 (木)

新門さんのHPは故障閉鎖中です

私が前に青木新門さんの「新門日記」のホームページを改装したお知らせをしたせいだろう。
新門さんのホームページが見えないと、このホームページを訪れる方がいる。

新門さんのパソコン不調で今ホームページは読めません。

しかし、新門さんはFacebookで発信中です。
https://www.facebook.com/yukio.aoki.75?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all

こちらをご覧ください。

自身の樹木葬や宇宙葬への考えは?-Q&A②

前回に続きます。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/11/post-b397.html#_ga=2.243146891.848299424.1512040010-979389886.1507963435


②自身の樹木葬や宇宙葬への考えは?

 

Q

 長く葬送という事に向き合ってきて、自身の樹木葬、宇宙葬等の現代の葬儀に対する考えを聞いてみたいと思いました。

 

A
私は90年代の初期より、初期の跡継ぎ不要の永代供養墓の概念作成、日本最初の樹木葬墓地の理念作り約款作成に関与してきました。
散骨の合意形成にも関わりました。

どんな人も埋蔵を拒否されることなく、自分の想いが生かせるような選択肢を葬送の世界に築きたいと思ったからです。
無論、私一人でしたことではなく、いろんな考えの人たちと共にやってきたことです。
その端緒は築けたかな、と思っています。

墓も保持しているし、散骨場、樹木葬墓地、永代供養墓のいくつかは私の遺骨が埋蔵されることを歓迎してくれています。
但し、私自身にこだわりは一切ありません。

遺骨に対する想いは遺された者のものだからです。

反対するのは人の想いをもてあそんで商売することです。

宇宙葬には反対です。
人々の夢を利用して、ほんのわずかな骨片を安くない費用で商売としてやろうという意識がみえみえです。
私は「宇宙は私有物すべきでなくゴミで汚すな」と言っています。

葬送には理念が必要です。
理念が説得力あり方法が相当の節度あるものは許容します。

しかし理念なき商売目的だけのものには強く反対します。
葬送の世界にはまだ商売だけを目的としたおかしなものがたくさんあり、これは「葬送の自由」とは言いません。

「永代供養墓」という名の単なる遺骨処分場もあるし、「樹木葬」を名乗りながら平気で自然破壊をする者もいます。

2017年11月26日 (日)

自身はどのような葬儀を家族に託すのか?―Q&A①

葬送について講演した後、寄せられる質問があり、後日にそれについて回答する場合がある。
全体の動きを解説するのがほとんどであるが、質問は私自身を直接問うものが多い。

2017年春に「日本人の葬儀観と死別」と題して行った講演後に寄せられた質問(質問は多かったが主催者より求められたもの)4つについて、その質問と回答を順次紹介する。

自身はどのような葬儀を家族に託するのか?―Q&A①


ご自身はどのような葬儀を家族に託しますか?」

 


基本は妻と2人の子に全てを託します。
といっても妻が先か私が先か、こればかりはわかりません。

家族が私のことをすべて知っているわけではないので、キーパーソンになる10人くらいの連絡先は書いておきます。


自分の死は決めることができません。
明日かも知れませんし、20年後であるかもわかりません。

状況によって葬儀のあり方は自ずと変わるでしょう。
それを全部予測して「こうしてほしい」と書くことは出来ません。


死別ということで大変なのは、死に逝く者より遺された者です。
姉との死別を体験してつくづく実感しました。

私の想いは日頃に家族によく伝えてあるので、どうするかは家族に安心して委ねたいと思うし、家族を先に送り出すという事態においては、家族の日頃の想いを尊重してしっかり送る責務があると思っています。


人間は遅かれ早かれ死にいく定めです。
死は点ではなく、人生という大きな流れの終点です。

後になる者は先に逝く者を送る責務がありますが、いずれは自分も送られる者です。
順番が先か後か、ということです。

そういう気持ちでこれまで家族の葬儀をしてきました。


死に方でその人間のすべてが定まるわけではありません。
今まで歩んできたこと、今歩んでいること、これから歩んでいくことの延長線に私の死があると理解しています。
ですから死だけに葬儀だけにこだわってはいません。


 

2017年11月20日 (月)

角田山妙光寺法灯継承式に行ってきました

新潟市(旧巻町)の日蓮宗角田山妙光寺の法灯継承式に行ってきました。
妙光寺は永代供養墓の先駆け安穏廟で知られますが、それだけではなく、お寺が生きるということを模索し続けてきた寺です。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html

700年の歴史をもち、まさに過疎地にある寺。
日本の寺の典型ともいうべき寺でした。
その寺がどう変わったか、は一つの実験例として広く検証される価値があります。

角田山妙光寺の住職が2017年11月18日に第53世小川英爾(今後は院首)さんから第54世小川良恵さんに交代する法燈継承式が行われました。

小川英爾さんの在任期間は42年。
先代小川陽一住職が66歳で亡くなり、引き継ぎもなく22歳で就任。
先代と同じ年齢となるのに合わせて次代への円滑な承継を願ってのもの。
良恵さん32歳。妙光寺初の女性住職。
今後は「院首(インジュ)」で、良恵さんが「御前さま」

継承式を迎えた角田山妙光寺
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客殿での受付
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山門から住職、新住職、檀徒総代等が行列で入堂(先頭は前に妙光寺に勤務した大分の常妙寺住職・永石光陽さん)
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檀徒役員の入堂
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小川英爾さん53世最後の導師
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小川良恵さんに住職任命状授与
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法燈の継承
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54世住職として良恵さん最初の払子
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見守る小川なぎささん(53世夫人、54世母)
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継承式を前に(左から大分の亀山さん、大分の菊地さん、私、小川英爾さん、鎌倉の松脇さん。松脇さんは良恵新住職の師僧)
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継承式前に新住職の良恵さんと
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寺を支える女性陣(の一部)上右は新住職の師僧である松脇さん夫人。20年前に妙光寺で出会った。
2

継承式記念誌(A4,108ページ)
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記念誌編集後記

碑文谷 創

 

■本書は、「寺が生きる」とはどういうことか、を実践、模索した記録である。
角田山妙光寺は、700年の歴史をもつ古刹である。
しかし、その歴史、地域社会との関係を大切にしつつ、時代、社会の変化に対応して、寺に縁をもつ人々の信仰と生活、地域社会との関係を築こう、と変化を模索し続けている寺である。

■現在、1955(昭和30)年以降の日本社会の都市化、地方の過疎化の大きなうねりが地方の寺を直撃、「寺院崩壊」という声を聞く。
7万ともいわれる全国の仏教寺院で、自立可能な寺は、厳しく見るならば3万にもならないだろう。
人が地域を去り、残るは高齢者のみ。寺は老朽化したまま、地域から去った人々の墓は放置されている。
最も深刻なのは、都市、地方を問わず、寺と人々の関係の距離が開いていくばかりなことである。寺の存在意義がどんどん失われていっていることである。

■妙光寺が他の寺と一線を画す一つは、信仰の見直しを行ったことである。
日蓮宗は日蓮聖人以来、強固に現世安穏を提唱した。
これを現代に活かすために「徹底して人々の生活現実に寄り添う寺であろう」とした。
檀信徒のみならず、地域の人々が高齢化、家族の変容、労働環境の悪化、精神的孤立という中で呻吟している。
人々のところに行って話に耳を傾け、また、人々が困った時に気軽に寺に寄ることのできるように、と考え、実践した。

■いま妙光寺では生前に法号を受ける人が多い。
法号は死後の名ではなく、仏弟子として生き、死のうと志すことの証である。
法号を授与された人々が寺の活動の支え手となっている。
寺は住職のものではなく、寺を支えようという意思のある人々がいて生きる。

■「安穏廟」は、どんな家庭環境、人の個性、個別事情にもかかわらず、すべての人に開かれた寺を志向している。
「墓」は単なる死後の葬地ではない。
墓は、どんな境涯であってもすべてのいのちの尊厳を守るところであると同時に、寺はその墓を求める人の生死を支える責務がある、という永代供養墓の理念を明らかにした。
これが人々の共感を呼び、墓を求め、墓を求めた人の中から寺の支え手を生み、寺を活性化させてきた。

■こうした寺をつくったのは、小川英爾という異能な住職の力だけによるものではけっしてない。
それこそ700年にわたり寺を地道に支えてきた檀信徒たちの「自分たちの寺を生かそう」という熱意と参加の賜物である。
檀信徒だけではない。
妙光寺に縁のある人々が、それぞれの仕方で住職を信頼し、足らざるところを補い、寺を支え、再生させたのである。

■本書の編集に参画できたことは幸いであった。
本書は、小川英爾住職の次代への強烈な想いの産物である。
併せて、新倉順さん、新倉理恵子さん、かもかよこさんの献身的な参画があって誕生したものであることを記し、感謝したい。
また、編集中、常に頭にあったのは「檀信徒の方々の寺への想いに応える記念誌に」ということであった。

2017年11月 7日 (火)

エンディングノートと終活

少しずつ記録。

「エンディングノート」と「終活」

 

「終活」という言葉は、今やすっかりと定着した感がある。

経過として見るならば、まず「エンディングノート」がブームとなり、それを後押しするように「終活」ブームが現れた。

 

■エンディングノート

 

「エンディングノート」について、『現代用語の基礎知識2007』に私が記載した原稿データが残っている。

(もし2007年版が最初であるとすれば、本年(2017年)119日発売開始される『現代用語の基礎知識2018』まで12年連続して「葬送」編の用語解説を継続執筆していることになる。)


エンディングノート

「遺言ノート」とも言う。「遺言」は法律的な文書で主として死後の財産について定めるもので葬式の希望等は法的拘束力がない。エンディングノートは、法的な拘束力は弱いものの、自分の臨終における尊厳死の選択、葬儀についての希望、残される家族へ贈る言葉、自分史、葬式の案内をする親戚・友人の名簿、書類の保管場所、家系図等を記して、残す遺族へのメッセージ、覚書を記すもの。

2018

「エンディングノート」という用語ではないが、市販本としての最初は、井上治代『遺言ノート―死ぬ前にどうしても残しておきたい大切なこと』(19967月)だろう。

■本邦最初はセキセー

 

もっとも最初は、それより先行する2~3年前、名古屋のギフト会社㈱セキセー(現在はシャディ㈱セキセー事業部)が葬儀の事前準備として会社(社葬)の場合と並んで個人(個人葬)の場合について小冊子を作成している。

 

㈱セキセーの創業者で、当時社長の石原正次さんの企画で、葬祭業者対象に消費者への販売ツールとして作成されたものである。

 

石原さんはアイディアマンとして知られる。

 

会社のメイン商品は葬儀の返礼品の販売であったが、葬祭業の未来についてさまざまな企画を提起した。

 

葬祭業を「Death Industry」と定義し、葬儀だけではなく、葬儀の前before、葬儀の後afterを含む一連のことを取り扱う事業であるべきことを早い段階から提起した。

 

その企画の一つが社葬の準備、個人葬の準備のための小冊子の企画であった。

 

エンディングノートについて「本邦初」というならばセキセーの企画であろう。

 

■東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』

 

私も、署名のものでも市販のものでもないが、最初期のものを書いている。

 

おそらく地方自治体が「葬送」をテーマに作成した最初の書籍である東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』(19973月)で私が担当した「巻末チェックシート」である。

 

エンディングノートがその後「自分の死後に備える」ものに傾斜していくのに比して、全体を「わたし自身について」と「家族について」とに分け、「家族の死、死後」についても対応しているのが特徴である。

 

大きな項目だけを以下上げる。

 

1.わたし自身について

 

・後継者について

 

・ターミナルケアについて

 

・葬儀について

 

・墓について

 

・死後の手続きについて

 

2.家族について

 

・臨終の際には

 

・死の宣告をされたら

 

・遺体の安置

 

・見積

 

・宗教者との打ち合わせ

 

・通夜

 

・葬儀・告別式

 

・会食

 

・お礼のあいさつ

 

・諸手続き

 

・追悼儀礼

 

これの原型にしたものをホームページに保管しているので、当分見ることができる。

 

もはや歴史的産物と言ってよい。

 

チェックシート

 

自分の死 葬儀の準備 http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/chkjibun.htm

 

家族の死 葬儀の準備 http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/chkkazoku.htm

 

 

 

東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』は、3万部製作したと記憶している。

 

地方の大小自治体の関心も高く、増刷希望が相次いだが、予算内で作成する配布物という位置づけのため重版はかなわなかった。

 

5144ページの本格的なもの。このハンドブックは結婚編とペアで制作されたが、私が関与したのは「葬送」編のみ。

 

葬送編の執筆にあたったのは、私のほか嶋根克己さん(専修大教授)、井上治代さん(元東洋大教授。当時はノンフィクション作家)、御船美智子さん(お茶の水女子大教授)、そして都の担当者。

 

結果として、私が3分の2程度を書いた。

 

今は入手できないものなので、主な内容と主な筆者(記憶を頼りに)を記録しておく。

 

1部 葬送の変化

 

・第1章 葬儀を知る(嶋根さん)

 

・第2章 変化する葬送観(都担当者+碑文谷)

 

・第3章 墓地を考える(井上さん)

 

2部 葬送のプロセス

 

・第1章 葬儀の手順(碑文谷)

 

・第2章 死後の手続き(碑文谷)

 

3部 葬儀と費用

 

・第1章 葬儀にかかわる費用(御船さん)

 

・第2章 会葬と交際費(碑文谷+都担当者)

 

4部 葬送と法律

 

・葬送に関する主な法律(碑文谷)

 

巻末 チェックシート(碑文谷)

 

参考 葬儀に関する情報バンク(都担当者)

Photo

 

 

■「終活」

 

「終活」は、2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得た。

 

「終活」という用語は週刊朝日による造語。主として葬儀や墓について考えようという主旨の連載だったと記憶している。

 

■経産省「ライフエンディング・ステージ

 

だが「終活」に、葬送分野以外の司法書士、保険やらの事業者がわっと飛びついたのは2011年夏に公表された経産省「ライフエンディング・ステージ」に関する研究報告発表が契機となった。

 

省庁が終末期医療、介護、遺言、エンディングノート、成年後見、介護保険、葬儀保険、葬儀、墓、遺族の死別による悲嘆、遺産相続等の死後の事務処理その他の人生の終末期~死後を一連の流れとして提示し、その課題を提起した最初のものであったろう。

 

終末期医療や介護は既に大きな問題としてあったが、その後の遺族の抱える問題までを一環として捉える視点のものはなかった。

 

日本は高齢化率が世界一の超高齢社会となったが、過去の基盤であった家族、血縁、地域共同体が弱まり、個人が周囲のサポートが得られにくくなり、行政もそれを充分にサポートするだけの人も金も不足するなか、社会的にどういうサポート体制を築くべきかの民間への問題提起としてあった。

 

終末期、死、死後…は、人としては一連の流れの中にあるのに、それに係わる業界は分断され、横の繋がりに欠けている。

 

そのため情報は氾濫しているがその質に問題があるものが多い。

 

(現在も情報は氾濫しているが、情報の質は大いに憂うべき状況にある。他の人も指摘しているが、一部を除き、テレビや雑誌に出てくる自称「専門家」「コメンテータ」、雑誌に書いている素人「ライター」の質が低くてウンザリ。要するに「書く」「話す」ことへの責任、プライドがないのだ。取材も本来関心がないものだから、他媒体が一度取り上げたところを安易に取り上げ、しかも表面的なおざなりなものが多い。クオリティを看板にする『アエラ』も酷い。)

 

当事者はどれが適正な情報かの判断がつかず、最も重要な自由意思に基づく判断・選択が困難な状況に置かれている。

 

報告書では、そこで隣接する専門家同士が問題意識を共有し、ネットワークを構築し、生活者のサポート体制を構築することの必要性を説いた。

 

私も報告書作成に数回徹夜するほど深く関与したので、報告書が評価されたこと自体はうれしいが、その後の動きにはいささか心配である。

 

(この研究会の第1回に私が参加したのだが、座長は嶋根さんで、東京都と併せて印象深いプロジェクトでご一緒することになった。)

 

■「終活ブーム」の背景となる社会変化

 

死の問題は戦後、特に高度経済成長期以降、長く敬遠、忌避されてきた。

 

ようやく注目されるようになったのが、1985年以降。がんを中心とした終末期医療のあり方がまず問題となった。

 

その後の進展は速かった。

 

高齢化が進み、家族、地域社会は急速に弱体化した。

 

伝統的家の象徴である墓も継続性が疑問視されるようになった。

 

この遠因は日本社会の興隆期とも言うべき高度経済成長にあり、急速な人口移動による地方の崩壊、核家族化の末路としての家族解体と単身世帯の増加を結果した。

 

しかも高齢化がここに加わった。

 

8割あった在宅死が2割を切るまで減少し、現実に死に向き合わない家族が増え、リアルな死の認識が欠け、抽象化した。

 

「個人化」と言うと好ましく聞こえるが、「個人」についての社会的合意のないまま、さまざまな分野で孤立を強いた。

 

死も例外ではない。

 

経産省報告書発表以降、錦の御旗にするようにさまざまな人たちが「終活」に乱入してきた

 

口あたりはいいが、生活者当人の真の利益なぞ考えていないのではないか、と思われるものがたくさんあることが心配である。

 

「終活」に関心のある人は3割以上と高いが、実際に準備しているのは5%足らず、というデータがある。

 

圧倒的な多数は、「終活」と無縁に終末期を過ごし死んでいる。

 

こうしたところで数々の問題が発生している。

 

この部分にもっと照射すべきではなかろうか。


お断り:本稿の一部は「ソナエ」のコラムに掲載した。

 

 

 

 

 

2017年11月 4日 (土)

日常はこんなもの

日常

 

きょう書くことはどうでもいいことである。

 

今朝、2日休んだ身体の動きを確認した。
腕立て20回、腹筋20回その他背伸びやちょっとした身体の動きの確認である。
時間にして510分。
家にいるようになり、毎朝ウォーキングやらやろうと思ったのだが、「今さら身体を鍛えようとしないほうがいい」という息子の助言に従って、身体の動きの維持だけを目的に毎日ちょっと動かすことにしている。


といっても出かけたりして忘れることもある。
いったん休むとズルズル休む傾向にあるので、忘れたな、と思ったら、すぐ復活するようにしている。
今のところ、今回の2日休みが忘れた最長である。

事務所にいた時は、週21時間ジムに通おうとしたのだが、せいぜい2週間に1回であった。
今は出かけて運動することもなし、思い立った時にできるので、無精の私には合っている方法かな、と思う。
でも、この程度なので、特にスリムになるわけでも、筋肉がつくわけでもない。

「日常」といえば、便通は昔から悩まされたものである。
外出すると腸の動きが心理的に不活発になる癖があった。
姉の葬式で福岡に行っていた時も、腹に重い感じを抱えていた。
非日常になると日常の何ごともないことがうまく機能しなくなり、それが身体を重くする。

今は下剤を用いているため、日常は問題ないのだが、それでも外出時には、無意識なのだが、心理的抑制が下剤の動きを上回りがちである。
家に戻ると急激に回復する。

「はみがき」、私は不器用で、歯の裏側を磨くのが苦手なため、電動ブラシを使用している。
加えて歯間ブラシに舌に蓄積されるものを剥ぎ取る作業をする。

事務所に出かけていた時は朝、昼食後、夜寝る前の3回が普通であったが、家にいるようになると少し回数が減った。
朝は昼食を食べた後に、と思い、昼食後は夕食を食べた後に、とたまに夜1回ということもある。

もし若かったら2日に1回になるかもしれない。
今は衰え、歯と歯の間が空くため、食事後に歯磨きせざるを得ない状態になる。
だから通常は日に2回程度は磨いている。
歯医者に歯磨き粉は使用しないほうがいい、と言われているのだが、すっきり感がほしくて、つい2回に1回は歯磨き粉を使ってしまう。

 

事務所にいた時は、昼飯は外食が多かった。
四谷三丁目近辺の主な店は制覇したろう。
今は前日の夕食の残りものか麺類。
麺類はラーメン、うどん、蕎麦、適当な具材で作る。
料理はけっして上手ではないが、飢えない自信はある。
椅子に座り続けているので、ちょっとした時間、台所に立っての作業はけっこう好きである。

日常のペースは事務所にいた頃とあまり変えていない。
9時頃から23時くらいまでは、煙草を吸うために換気扇の下に行く時間、食事の時間を除いて、ほとんどの時間を四畳半の自室で過ごす。
通勤に車を使っていたが、今は手放し、通勤時間がない分、椅子に座っている時間が長くなっている。
四畳半というのは、すぐ何かを取りやすいので便利である。
そのためあまり足を動かさない。

今はこの四畳半でほとんどの作業を済ませる。
書く、調べるはほとんどがパソコン。
プリンターは左手をのばせば届く距離にある。
一昨日仕上げるつもりの原稿をサボったので、昨日2つ、深夜になったが仕上げ、メールで送った。

ipad pro
を導入し、校正はpenncilを使ってやってみた。
意外と使い安い。
これでプリントして、赤字を入れ、スキャンして送る、という工程からプリント、スキャンを外すことができそうだ。
紙に書いていくと、書き間違えで汚くなるが、penncilを用いると戻せば消せるので、むしろ楽かもしれない。
最終確認はさすがプリントしているが、紙の大量使用は少し減るだろう。

 

本は大量に処分したので、1年前の5%程度しかない。
それでも4畳半には収めきれないため、分散して置いている。
読む、といっても一時的にはせいぜい2~3冊なので、そうたびたび足を動かす必要はない。調べものの本はほとんどを手放したので、ない以上は諦めてかかる。

大きな仕事は、右手のタンスに入れ、終わると処分する。
小さな仕事はファイルしておく。
よく使うデータはファイルしてあるので、すぐ見ることができる。

昔に比べると便利なのはクラウドである。
ここにデータ、原稿を溜め込んでおけば、タブレット一つでどこでも見て、使用できる。
パソコンのデータは携帯HD(といっても2t)に保管し、必要に応じてクラウドにコピーしている。
タブレットで仕事をすれば勝手にクラウドにあげておいてくれるので、本体の容量はあまり気にしないで済む。

部屋にあるパソコン、以前は外出時にはモバイルのパソコンだったが、今、外出時はタブレットを主に使用している。

タブレットの良さは、大きさの変更が楽な点である。
齢を重ねると、小さい文字が読みにくい。

 

今はメガネの上に拡大鏡のメガネを使用することも多い。
これは便利だが、歩くときに外し忘れ、足元がおぼつかなくなることがある。

 

仕事ではメールだが、ちょっとした連絡はメッセージ(=ショートメール)を使うことが多い。
タイムラグがあまりないし、結構の分量を送れる。
電話番号さえわかれば送れるので、最近は電話よりこちらを使うことが多い。

そういうわけで、ほとんどを四畳半で済ませる。

でも、時には高速道を走りたくなる。
今月もまた、レンタカーで新潟まで行く。

薬は常時7種類、時おり追加で2種類。
相変わらずの薬中ではある。

但し、日常は困ることはない。

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