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2017年12月に作成された記事

2017年12月13日 (水)

葬儀でタテの流れはどう表現?‐Q&A④

Q

血縁者の死について、先祖・子孫のタテ関係において、その方の「死」を弔うため(受け入れるため)の葬儀の中に、タテの関係がどう関わってくるのか?「若い世代に受け継ぐ」現代に相応しい形態は?家族葬、近親者葬の中にタテの流れをどう表現するのだろう?

 

A
私は、父母や義母の死の際に、孫どもに自由に遺体に触って自分たちなりの別れを時間制限なしに行うようにしました。
子どもたちは自分たちの「オジイチャン」「オバアチャン」との別れを自分なりに自然に行っていました。
恐がりもしませんでした。


また私は、家族の死に立ち会って動揺したり、かなり無様な姿を家族にさらけ出しました。
それを隠そうとも思いませんでした。


臨終、葬儀は、若い者、子どもにとって死に直面する貴重な機会です。
ちゃんとその場に立ち合い、皮膚で感じる大切な時間、空間です。
私は意図してその機会を重要視しました。
頭だけでいのち、死は理解できるものではありません。
子どもにも家族に対する想いや感情があります。


私は「先祖祭祀」をことさら重要視はしませんが、両親、祖父母。曾祖母、曽祖父(残念ながら史料もここまでが限界です)の歴史は大切にしています。
私のいのちはその人たちに負っていることは確実ですから。
ですから、できるだけ具体的に一人の先達として間違ったことも含めて検証し受け取ろうとしています。

葬式というのは身近な者の死を通じて、遺る者がまるごとその人生を受け取ろうとする機会です。
人間の歴史はバトンタッチされてきたわけで、その具体的な機会が葬式であると思っています。


叔父の葬式のことを思い出します。
この世的にはけっして成功者ではなく、家族にも迷惑をいっぱいかけました。
火葬を待つ間、叔父の悪口のオンパレードでしたが、それは立派ではなかった叔父への家族の愛情がほとばしった、まさに泣き笑いの凝縮された時間でした。
いのちのバトンタッチというのは、こうした死者との向き合いの中で行われるのであると思います。


葬式にはタテの関係だけがあるわけではありません。

姉の葬式では姉と付き合いのあった方々から私の知らない姉の一面を知らされました。
けっして家族だけでは知ることのできなかった重要な姉の一面を知ることができました。
私たちもそうですが、姉の友人たちも積極的に私たちへ姉への想いを伝えようとしてくれたからできたことです。

2017年12月 7日 (木)

老化、自然死をどう考えるか―Q&A③

死について「おまえはどう考えるか?」と質されると、一般論の解説では済まない。
ここは素直に自分の考えを言わないといけない。

③老化、自然死をどう考えるか?-Q&A③



Q
医療の発展により長生きできることは良いことなのか。
「当然」と多くの人は答えますが、医療費の増大がこれからの子どもたちに負担になることを考えると、老化自然死をど
う考えますか?
(私の場合は老化とともに死を迎えたい)

 

A

ここで「老化」「自然死」について解説することはしません。

人のいのちは自分では左右できません。
そもそもベッドの上で死ぬかさえもわかりません。
どんな事態が自分を襲うかは予期の範囲を超えています。

昔の人は6070歳を「寿命をまっとうした」と考え、そこまで生きることを熱望しました。

今や8割以上の人がその理想を実現する社会になりました。
私も「古来稀なり」と言われた70歳を超えました。


私は先立った友人たちのことを考えると、すでに自分は「余りの人生」に入ったと自覚しています。
これ以上の長寿は望んでいません。
ですから病気になっても、生活の質を犠牲にした延命治療を拒否することを広言しています。


しかし、いつまでかはわかりませんが、今生かされていることは大切にして、死に急ぐことはしません。

私は大きな病はありませんが高血圧、うつ病等を抱えています。
必然的に投薬しており、医療費は使わせていただいています。
医療費を使うこと自体子世代へ負担をかけること、と頭では理解していますが、投薬を拒否するほど潔くはありません。


私は個室入院を希望しない、保険対象外の治療は選択しない、と自分では決めて、家族にも伝えています。
しかし、外出中に突然発症し、救急車で運ばれたら、望まなくとも何らかの救命処置が施されかねません。
そうなるかもしれません。

自分の終末は自然に任せようと思っています。
特に終末に臨んでの過度の栄養補給は拒否します。

従妹の終末期、栄養補給でブヨブヨし、見舞っては脚を摩っていました。
しかも腐敗しやすいですから。


在宅治療へのこだわりもありません。
家族の負担もありますから、かねあいで無理はしない、という考えです。

多少の希望はありますが、家族を拘束することは意図しません。
自分の終末期がどんなか自体がわからないのですから。

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