« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月に作成された記事

2017年12月22日 (金)

最新死後事情ー講演録

昨日(2017年12月21日)午後に東京・飯田橋で関東シニアライフアドバイザー協会のビバシニア講座で講演してきた。
古くからの仲間である田島エリコさんから紹介された。
同協会では電話相談を受け付けており、最近は樹木葬やらの葬送関係の問い合わせも多く、電話相談の受けて向けに話を聞かせてくれ、というのが主旨。
行政書士、社会福祉士、医業経営コンサルタントなど多彩な肩書をもつ方々が多かった。

パンフレットには次のように書かれていた。

一人暮らしが増えて人生の終末期の考え方も大きく変化してきました。
身寄りのない人は死後処理や葬儀、お墓を生きているうちにきちんと決めておく人が多くなりいろいろな選択肢が出てきました。
特に「樹木葬」「散骨」「納骨堂」などの新しい情報を知ることが大事です。
今回は、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏を講師にお迎えして詳しくお話していただきます。


90分の講義の後で30分の質疑。
最近の講演ではできるだけ写真を多用している。
葬儀の変遷、永代供養墓、散骨、樹木葬…耳では聞いたり、読んだりしているがイメージがさまざまなので、見てもらうことがいちばん、と写真を見せる。
最近は講演を頼まれると、依頼テーマに合わせてパワーポイントで資料を都度用意する。
全部新規というわけではない。
過去の資料を再構成しプラス新規ということが多い。
同じテーマで話すなら楽だが、構成が新規となると時間配分が難しい。
今回は樹木葬等の墓の最新事情というのが最初の依頼であったが、これに家族葬、直葬などの葬儀の最近の動向も、というので話す量は倍になった。
資料は倍、話す時間は90分だから、どう時間配分したらいいか悩む。
だから、ここは資料を後から読んでくれ、とか途中カットしながら進める。

以下は昨日の講演の資料(但し、写真はカット)

◎タイトル:
最新死後事情 家族葬、直葬、散骨、樹木葬が人気だが。 多様化する葬送

◎主旨:
´社会が変わる今の社会は少子化・高齢化・多死社会へまっしぐら。「家族」も核家族すら危うくなり、個人化、単身世帯の増加が進んでいます。社会の経済格差も拡大しています。
´葬送習慣が変わる地域共同体、血縁共同体を中核に形成されてきた葬送習慣が急速に崩れています。
´葬儀が変わる葬儀をしない火葬のみの直葬、近親者中心の家族葬、葬儀はさまざまになりました。一方、死と葬式の自宅離れが進み、葬儀会館での葬式が中心になり、まるごと葬祭業者への依存が進んでいます。葬式の宗教離れも進行中です。
´墓が変わる:跡継ぎ不要の永代供養墓、墓を不要とする散骨(自然葬)、樹木・森との共生を求める樹木葬…等新しい葬送形態も生まれています。
´死のもつ特性:死は計画できない。死はいつか、どのように、わからない。誰もが死ぬのは確実だが。終末期、死後のことは誰かに頼まないとできません。死は自分だけの問題ではない。事前に意思を示すことや準備はできるが

◎変わる社会
1 少子多死社会(1955年から2075年までの出生数、死亡数の予測を含めたグラフ)
2 本格的な高齢社会(超高齢社会) (0~14歳、15~64歳、65~74歳、75歳以上人口の構成推移と予測グラフ)
3 死亡の場所の割合推移(グラフ)
4 伸びる平均寿命(平均寿命の推移と予測グラフ) しかし、誰もが長命ではない。80歳過ぎたら認知症リスク
5 世帯構成・世帯構造の割合推移(グラフ) 一人世帯が増え、三世代世帯は減少 「ひとり死」のリスク
6 高齢者世帯構成・世帯構造の割合(グラフ) 高齢者はだれが看る 嫁、配偶者→娘、同居の未婚の子(娘、息子)、誰もいない、一人暮らしを選ぶ人、一人暮らしをしなくてはならない人

◎死者のいのちの価値比べはしない
それぞれによって死別の意味は違う。
それぞれの人にとって変わるもの。
それぞれにとってかけがえのないもの。
残念なことに人間は他者の死に無頓着。

◎看取りの大切さ
看取りはお葬式より大切。
でも看取れない死もある。
その時は通夜が大切。


◎お葬式の変遷(写真)

◎葬式はどう変わったか?
■会葬者数の推移
 1991 280人  2011年 114人 2017年 40人?
■社会儀礼中心の葬儀→個人の葬儀
 マニュアル葬儀はイヤ→その人に合った葬儀
■デフレ→格差社会

◎どんな葬式だったらイヤか? 「0葬」「直葬」が出現したわけ
■簡略な処理の横行 
 引き取られない遺体約6万体
 増える「送骨」
■ゆっくり別れる
■送るのは血縁者とは限らない時代に
■「直葬」葬儀儀礼をしない葬儀  「0葬」拾骨をしない
■マニュアル葬儀はイヤ
 お仕着せ
■意見を聴いてくれなかった
■慌ただしい
 ゆっくり別れる時間が取れなかった

◎家族葬は人気だが、「家族葬」って何?
1995年に現れた「家族葬」
 本人と親しい者だけでゆっくり別れたい
 本人を知らない人が7割の葬儀への疑問から始まる。
■「家族葬」には定義がない ⇒近親者葬
 数人から80人までの幅
■「家族葬」が本人とほんとうに親しかった人を 拒むのは正当か?
■「家族葬」は「安い葬儀」?「簡略な葬儀」?

◎あなたが弔ってほしい人は誰ですか?
■「迷惑をかけたくない」というが
 「迷惑」とは何か?
■誰が「近親者」なのか?
■死は「高齢者」のものか?
■死後の事務処理を委託する場合
 生前契約書
 公正証書遺言 祭祀承継者の指定 負担付き遺贈

◎残る問題
■葬式にお坊さんは必要か?
■遺骨の行方 散骨、樹木葬、永代供養墓
■死別で発生すること グリーフ


◎お墓の世界
´新しい形態のお墓を選ぶのはもはや例外ではない。
´承継者が必要としないものを選ぶ傾向も。
´家族が一緒に入るのも悪くはない。

◎墓の略歴
 墓地は古来よりある。
´民衆が墓をもったのは戦国時代以降
´江戸時代までは個人単位の墓
´明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
´1955年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
´1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
´1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
´2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。

そもそも墓は?
´墓地埋葬法に規定。
´墓地、納骨堂は特別区と市が許可権限。
´埋葬=土葬 火葬が進み、現在ほとんどない。
´焼骨の埋蔵 墓地に限る
´焼骨の収蔵 他人の焼骨を預かるのは納骨堂に限る。
´墓地、納骨堂は一部例外はあるが原則として地方自治体、宗教法人以外には認めない。
´寺墓地 檀信徒用 境内墓地 宗教施設
 事業目的(檀信徒以外に供する)は民間霊園
 
宗教法人の墓地 名義貸し禁止。土地が宗教法人の所有が条件。

◎永代供養墓(えいたいくようぼ)
1985
比叡山久遠墓
1990年前後新潟妙光寺安穏廟
京都 女の碑の会「志縁廟」
東京巣鴨 もやいの碑
マスコミが話題に
今、遺骨処分場になるケースも
´永代久遠墓 「貴方自身の子孫に代わり、永代に亘り供養する墓地」(HPより)
´永代供養墓 跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓=無縁塔ではない。
´人間の生き方はさまざま、どんな人のためにも寺は開かれている。それぞれの生き方、生を尊重し、承継者のいかんにかかわらず寺が責任をもって供養
´永代供養墓 理念なきものは不人気
´信頼されると会員から檀徒になる事例も多い
´子がいる事例が多い。 親が選んだ場所というので墓参する子が多い。
´血縁という枠を取り払う事例も。
´生前から係わる

永代供養墓 新潟 妙光寺安穏廟(写真)

東京・巣鴨 合葬墓 もやいの碑、飛天塚(写真)

東京・中野 明治寺 多宝塔(写真)

長野県松本市 神宮寺永代供養墓(写真)

◎散骨(自然葬)
´1991年 葬送の自由をすすめる会 相模灘で散骨実施 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。自然葬」という言葉は、本会が1991年2月、発足にあたって起草した「会結成の趣旨」の中で初めて使われました。」(HPより)
´「厚生省が公認」は朝日社会部のフライイング
´法的一般的解釈 「遺骨を遺棄(捨てる)する目的ではなくあくまで葬送を目的とし、相当の節度(①細かく砕き、原型を残さない、②風評被害を招かないよう生活用水としての川、養殖場や海水浴場の付近を避ける、③付近の住民の感情を尊重等)をもって行うならば刑法190条遺骨遺棄罪にはあたらないだろう。
´墓地内の散骨場では可
´地方自治体によっては条例で禁止、制限もある。
´厚労省は「墓地埋葬法は散骨を前提としていない」とは言うが「合法」とは言っていない。

カズラ島 散骨場(写真)

◎樹木葬
´1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。自然保護に共感する人が墓地として使用することで理念に共感し、自然保護活動を支援
´墓地として許可を得るので粉骨の必要なし。
´穴を深く掘り(1メートル以上)遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。
´エンディングセンターが2004年「都市型樹木葬」として東京町田いずみ浄苑内に「桜葬」
´その後「樹林葬」とかさまざま理念なき世界に

岩手県一関市 知勝院樹木葬墓地(写真)

エンディングセンター樹木葬 桜葬(写真)

千葉県袖ケ浦市 真光寺里山葬(写真)

以上。

資料をきちんと説明するなら180分かかるので途中省略しながらである。

後の質問では週刊文春の「ビル型納骨堂の利点と難点」について質問された。
私の見解は明確である。
「全部とは言わないが、ほとんどが理念より事業、もうけを目的としており薦められない。また永続性ということでも疑問がつくところが多い。基金などつくって運用しているかチェックが必要だろう。」
というものである。

永代供養墓の選択基準についても質問された。
「3万円から90万円まであるが、安ければ良識的ということでは全くない。全国に数は多いが、理念がなく、無縁塔の衣を替えただけのものが8割といっていい。死後を託すのだから託す信頼がおけるか見極める必要がある。」
というのが回答。

 




2017年12月13日 (水)

葬儀でタテの流れはどう表現?‐Q&A④

Q

血縁者の死について、先祖・子孫のタテ関係において、その方の「死」を弔うため(受け入れるため)の葬儀の中に、タテの関係がどう関わってくるのか?「若い世代に受け継ぐ」現代に相応しい形態は?家族葬、近親者葬の中にタテの流れをどう表現するのだろう?

 

A
私は、父母や義母の死の際に、孫どもに自由に遺体に触って自分たちなりの別れを時間制限なしに行うようにしました。
子どもたちは自分たちの「オジイチャン」「オバアチャン」との別れを自分なりに自然に行っていました。
恐がりもしませんでした。


また私は、家族の死に立ち会って動揺したり、かなり無様な姿を家族にさらけ出しました。
それを隠そうとも思いませんでした。


臨終、葬儀は、若い者、子どもにとって死に直面する貴重な機会です。
ちゃんとその場に立ち合い、皮膚で感じる大切な時間、空間です。
私は意図してその機会を重要視しました。
頭だけでいのち、死は理解できるものではありません。
子どもにも家族に対する想いや感情があります。


私は「先祖祭祀」をことさら重要視はしませんが、両親、祖父母。曾祖母、曽祖父(残念ながら史料もここまでが限界です)の歴史は大切にしています。
私のいのちはその人たちに負っていることは確実ですから。
ですから、できるだけ具体的に一人の先達として間違ったことも含めて検証し受け取ろうとしています。

葬式というのは身近な者の死を通じて、遺る者がまるごとその人生を受け取ろうとする機会です。
人間の歴史はバトンタッチされてきたわけで、その具体的な機会が葬式であると思っています。


叔父の葬式のことを思い出します。
この世的にはけっして成功者ではなく、家族にも迷惑をいっぱいかけました。
火葬を待つ間、叔父の悪口のオンパレードでしたが、それは立派ではなかった叔父への家族の愛情がほとばしった、まさに泣き笑いの凝縮された時間でした。
いのちのバトンタッチというのは、こうした死者との向き合いの中で行われるのであると思います。


葬式にはタテの関係だけがあるわけではありません。

姉の葬式では姉と付き合いのあった方々から私の知らない姉の一面を知らされました。
けっして家族だけでは知ることのできなかった重要な姉の一面を知ることができました。
私たちもそうですが、姉の友人たちも積極的に私たちへ姉への想いを伝えようとしてくれたからできたことです。

2017年12月 7日 (木)

老化、自然死をどう考えるか―Q&A③

死について「おまえはどう考えるか?」と質されると、一般論の解説では済まない。
ここは素直に自分の考えを言わないといけない。

③老化、自然死をどう考えるか?-Q&A③



Q
医療の発展により長生きできることは良いことなのか。
「当然」と多くの人は答えますが、医療費の増大がこれからの子どもたちに負担になることを考えると、老化自然死をど
う考えますか?
(私の場合は老化とともに死を迎えたい)

 

A

ここで「老化」「自然死」について解説することはしません。

人のいのちは自分では左右できません。
そもそもベッドの上で死ぬかさえもわかりません。
どんな事態が自分を襲うかは予期の範囲を超えています。

昔の人は6070歳を「寿命をまっとうした」と考え、そこまで生きることを熱望しました。

今や8割以上の人がその理想を実現する社会になりました。
私も「古来稀なり」と言われた70歳を超えました。


私は先立った友人たちのことを考えると、すでに自分は「余りの人生」に入ったと自覚しています。
これ以上の長寿は望んでいません。
ですから病気になっても、生活の質を犠牲にした延命治療を拒否することを広言しています。


しかし、いつまでかはわかりませんが、今生かされていることは大切にして、死に急ぐことはしません。

私は大きな病はありませんが高血圧、うつ病等を抱えています。
必然的に投薬しており、医療費は使わせていただいています。
医療費を使うこと自体子世代へ負担をかけること、と頭では理解していますが、投薬を拒否するほど潔くはありません。


私は個室入院を希望しない、保険対象外の治療は選択しない、と自分では決めて、家族にも伝えています。
しかし、外出中に突然発症し、救急車で運ばれたら、望まなくとも何らかの救命処置が施されかねません。
そうなるかもしれません。

自分の終末は自然に任せようと思っています。
特に終末に臨んでの過度の栄養補給は拒否します。

従妹の終末期、栄養補給でブヨブヨし、見舞っては脚を摩っていました。
しかも腐敗しやすいですから。


在宅治療へのこだわりもありません。
家族の負担もありますから、かねあいで無理はしない、という考えです。

多少の希望はありますが、家族を拘束することは意図しません。
自分の終末期がどんなか自体がわからないのですから。

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

フォト
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

仲間

ウェブページ