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2018年1月26日 (金)

檀家制度の成立ー葬祭仏教の史的展開④

葬祭仏教の史的展開

1 葬祭仏教の誕生
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/03/post-2697.html

2 葬式仏教と葬祭仏教

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/01/post-c6ed.html

3 聖たちの世界

  http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/01/post-eba8.html

4 檀家制度の成立(今回)


■檀家制度の原型

檀家制度が法制化されるのは江戸中期の寺請制度によるものであるが、貴族や武士以外が檀那となり寺を支えるようになったのはそれより古い。
「戦国仏教」と言われる室町後期から戦国時代にかけて聖(ひじり)たちが民衆の中に入っていったことによる。
この手掛かりになったのが「葬祭仏教」である。

この時代以降江戸初期にかけて全国に寺院が展開される。
現在も多く残る仏教寺院の多くはこの時代に創建されている。
この寺院展開はさまざまであるが、大きく2通りある。
元来の村落墓地に寺が建設されたもの、寺が創建されて墓地が造られたものとがある。

いずれにしても大量に出現し、全国展開した仏教寺院は、貴族や武士によらず民衆が檀那=スポンサーとなってできたものである。
しかもこの多くは仏教各宗団が組織的に創建したものではなく、文字通りに民衆が地方展開した僧侶たちと協働して、それぞれで創建されたものである。

この背景には農業の生産性が向上し、農民が土地に定着し、農民たちが結束して「近世の村」を誕生させ、武士たちに対し一定の力をもつようになったことがある。
「戦国時代」というと武士が覇権を争い、織田・豊臣・徳川という近世の統一政権形成の時代と想定されるが、過酷な状況にあって、他方では民衆が大きく力を伸張させた時代である。

そしてこの結果として民衆を檀家とする大量の仏教寺院が全国展開された。
全国統一をなしとげた徳川幕府が支配を強化するためには、この勢力は無視できないものはとなっていった。

 

■本末制度


近世に入っての仏教は政治に絡めとられていく。
1615
年、徳川家康は寺院法度(はっと)を制定。
これを根拠に幕府は163233年に各宗本山に末寺帳の提出を命じる。

いわゆる現在に続く「本末制度」である。
仏教寺院を組織化し、幕府の管理下におさめた。
「聖(ひじり)たちの仏教」に見られる民衆への自由な展開を規制したのである。
そして以降、幕府は支配を強化する道具として仏教寺院を利用していく。
別な表現をするならば、仏教寺院の民衆への影響力を無視し政治や武力だけで民衆支配をすることはできなかった。

 

■禁教令、島原の乱、鈴木正三の布教


寺院法度の3年前の1612年、幕府は禁教令を出す。
いわゆるキリシタン(カトリック)禁制である。

このキリシタン弾圧の結果が島原の乱16371638年。
もっともこれは幕府、島原藩による領民収奪への反抗に対してキリシタン禁制を口実にしたものである。
島原の乱は幕府攻撃により3万人以上を殺戮して終結。
この結果、キリシタンは地下に潜り、鎖国となる。

島原の乱後のこの地域に曹洞宗の鈴木正三(しょうさん:15791655)が布教。
正三は『破切支丹』を著す。

鈴木正三が用いられたのは三河武士の元旗本であったこと、島原の乱後に天草代官となった弟重成からの要請による。

正三は在家仏教=仏教の民衆化を理論的に強めた。
曹洞宗が道元という思想的高みを獲得しながら、後に実態的には「生活仏教」としての性格を強化しているのは、葬祭仏教化による民衆化に加えて、正三による影響が極めて強い。

正三の『破切支丹』は仏教側からのキリスト教批判という意味で注目されるが、「仏教対キリスト教」という地平でははなはだ不公平なものである。
幕府弾圧後の後追いであるからだ。
切支丹弾圧に仏教側から理論的に支えた極めて政治的なものと言ってよい。
今でもこの地域一帯は曹洞宗が強い。


■宗門改、寺請制度


民衆はいずれかの仏教寺院に所属しなければならないという寺請制度。
今も続く檀家制度を決定づけたものである。

戦国仏教下の檀家制度は、ある意味では民衆が任意で寺をつくり、寺を民衆が任意で支えたものである。
それに対し、幕府の寺請制度は、いずれかの寺院の檀家となることを強制的に法制として定めたものである。
この差異は大きい。

寺請制度により仏教寺院は制度の一組織として位置づけられることになった。
簡単に言うならば「戸籍係」のようなものである。

寺に檀家となる家族が登録される。
檀家に子どもが出生すれば寺院に届け出る。
檀家が他藩に旅行するときは旅券である手形を寺院が発行する。
檀家に死亡者が出れば檀那寺に届け、檀那寺の住職は「枕経」という名を借りた検視を行い、葬式を行い、寺の墓地に埋葬する。

枕経は中世に臨終経として、つまり死に際に往生または成仏を願ってする念仏、読経を意味したが、次第に死後儀礼として行われるようになった。
死後ただちに行うものとされ、寺請制度下では、キリシタンでないか、不審死ではないか等を検視する役割ももたされた。
もとより臨終経に起源があることから死亡直後の家族の不安に住職が対処し、家族や地域住民とともに死者の葬りを準備する役割も担ったことであろう。

1664
年、幕府は宗門改め制度を開始。
「宗門改め」とはキリシタンでないことを調査することを直接的には目的とした。
1665
年にはキリシタンに加えて日蓮宗不受不施派も対象に加えられた。

だが実態としてはこれは名目であったと思われる。
むしろ支配の基礎となる戸籍台帳の作成による人民の個別管理が目的としてあり、租税管理、夫役管理の基本台帳で、民衆に一定の支持がある仏教寺院にこれを担わせることが適当とされたのであろう。

1671
年、幕府は諸藩に宗門人別改帳の作成を命じ、この制度は完成する。

 

法制度としての寺請制度であるが、特に葬式、埋葬が檀那寺で行うことが義務づけられたため、これによって人の死と寺の結びつきが強化されることになった。
弔い、葬りにも寺院の影響力を強くした。
明治維新で法制化は解かれたものの檀家制度は生き続け、特に葬制における影響力はいまだに強力である。


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