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2018年2月に作成された記事

2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

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談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
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ページだてである。

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https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
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年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
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分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






上野創『がんと向き合って』を読む

上野創『がんと向き合って』を読む

■「がんとともに生きる」

今朝(201824日)の朝日新聞朝刊を読んでいて気づいたのは「がんとともに生きる」という記事がさまざまな形で取り上げられていたことであった。
がんに罹ったことで退職を強要されることもまだまだ多い、という現実には心を痛める。
がん治療が相変わらず過酷なこと。
体力はもとより精神的にも大きな揺れをもたらすこと。

小児がんで子どもを亡くされた親たちの会で聴いた話は今でも鮮烈である。
(きょう明日掲載と聞かされていた「弔いのあり方」が掲載されていたが、これについては別に書く。)

■近親者のがんでの死亡

 

姉が約40年前にまず乳がん、翌年子宮がん。
2
度目の時は家族全員覚悟した。
その後の抗がん剤治療のダメージが姉には過酷だったようだ。姉は一応治癒したことになり、その治療の悪夢から逃れるように10年後以降は病院の検査からも遠ざかった。
そして30年後、体調不良で病院に行き検査したらステージⅣの診断。
治療の手立てがなかったこともあり、腸閉塞の手術はしたものの無治療を選択。
告知後11か月に、骨と皮になり72歳で死んだ。

従妹はその前年、ステージⅣと診断され、入退院を繰り返し告知後13か月に62歳で死んだ。
私の見舞いは、病院に行って、ひたすら従妹の腫れた脚をさすり続けることだった。

友人が40歳を目前にまさに苛烈な闘病の結果死んだのは約30年前のこと。

高齢であったが叔父2人ががんで死亡したが、この2人は病院から見放されたものの、数年間穏やかに自宅で生活し、穏やかに死んだ。

■上野創『がんと向き合って』(朝日文庫)


身近な者ががんに罹り死亡したことを見ていたが、その実相を知った気持ちになったのは、朝日新聞の高橋美佐子記者に夫にして同じ朝日の記者上野創記者の『がんと向き合って』(朝日文庫)を贈呈され読んだことによる(きょうの朝日の記事には高橋記者も参加して書いている)。
https://www.amazon.co.jp/がんと向き合って-朝日文庫-う-13-1-上野/dp/4022615249

Photo

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歳の記者上野さんは199711月に会社の定期健診を契機に横浜市立大学医学部付属病院で睾丸腫瘍と診断され、睾丸除去の手術。
その後に肺転移していることを告知され、「手術で取ることは不可能で、抗がん剤の治療しかない」「放っておけば半年もちません」と言われ、抗がん剤治療を受けることになる。

睾丸撤去手術の翌日、高橋美佐子記者は上野創記者に結婚を申し出る。


手術の2日後のことだった。ベッドサイドに来た彼女が満面の笑顔で「結婚しよう」と言った。

そのきっぱりとした言い方は自信に満ちていた。

驚いた。こちらは言葉が出ない。(略)

そもそも、がんを手術したばかりの僕だ。明らかに「不良物件」。格付けは一気に下がったはず。

こんな状態のオトコと結婚なんて!

 

128日抗がん剤の点滴開始。

上野記者のすごいところは告知を受けた時の自分の精神状態、家族はどう思うか、医者の態度…等を正確に、飾ることなく露わに記録していることだ。
さすが新聞記者だな、と感心する。

抗がん剤点滴の翌日の描写はこうだ。

近くのトイレに駆け込んで「おえっ」とやって、それが始まりだった。

やがて、たえず吐くのを我慢している状態になった。ひどい二日酔いがずっと続いているようなものだ。

ときどき大波のように手ごわい吐き気が襲ってくる。こぶしを握り、つばを我慢し、全身の神経を集中してやり過ごす。しかし。懸命にこらえても、結局は吐いてしまった。胃の中の物が逆流を繰り返すと、みぞおちのあたりがひきつるように痛んだ。唾液と鼻水と涙が同時に出る。

 

抵抗力の低下で病原菌の感染のリスクに晒される。
クリスマス前には体毛が脱落する。
1
回目の抗がん剤の効果が出ない。

効きにくい10%に入っているのか、と不安に陥る。

主治医からなげられた「あきらめなければならない事態」という言葉は、僕の心のなかに居座ってどす黒い存在感を放射していた。

それは、死の予感だった。

たちの悪い細胞は、副作用ばかり引き起こす薬をせせら笑いながら、僕の全身を内側からむしばんでいく。そうして、僕の心身から徐々に温度を奪っていくのだと連想した。

 

こうも語る。26歳の青年が、だ。

 

妻は「明日は外泊だよ。うちで作戦会議しよう」と言い、「絶対、大丈夫」と笑顔を残して職場に戻った。

僕は一人になって考えた。

自分自身の死の恐怖と向き合ったが、それは意外なほど重くなかった。ある意味で、死は苦しみからの解放ですらあった。

それより、重くのしかかるのは、残していく人たちのことだった。

何度考えても、逝ってしまう人間の方が、残される人間より気楽だと感じた。(略)それとも、「自らの死の恐怖から逃げ出したくて、残される側の心理に目が向くのか。

 

1229日から2回目の抗がん剤投与。

 

大みそかから三が日は「どん底」だった。吐き気に加え、倦怠感に襲われた。

自分の体が、自分の物でないようなだるさだった。どんより重くて、寝ていても起き上がっていても落ち着かず、身の置きどころがない。「この肉体を脱いだら楽だろう」という思いだった。

 

また

 

大みそかの夜、突然顔面と手足がしびれるようになった。

びりびりと弱い電流を流しつづけているような感じで、目の下が小刻みに震えるようになった。治療前に主治医が言った「四肢麻痺」「車いす」という言葉がよみがえった。

 

17日、主治医が「薬が効きはじめた」という朗報をもたらされる。
しかし、腫瘍は残っている。
そこで3回目の抗がん剤の投与。

通常の3倍量投与の「超大量化学療法」。

5日間かけての投与だ。

 

そして「予想もしなかった心の嵐」が上野記者を追い詰める。

心が落ち込み、「まったくコントロールできない」「すべてうんざりだ、ばかばかしい、やめちまおう」「圧倒的な虚無感が全身を貫いた」、この竜巻のような激情は3日間続く。

 

そして3倍量の抗がん剤の副作用は凄まじく、敗血症で多臓器不全の一歩手前まで。

 

611日病理検査の結果、腫瘍は認められず、同18日退院。
9
月から仕事復帰。

10月、1年遅れの結婚式。

(この時の上野記者のはにかんだ笑い、高橋記者の豪快な笑い顔の写真は秀逸だ。)

 

だが翌年、19995月、再発。
左肺の腫瘍を内視鏡切除して抗がん剤を2クール。

感染症にかかったが、ようやく熱が低下。
8
14日退院。

同年10月職場復帰。

 

20004月再々発。
5
3回目の内視鏡手術と抗がん剤2クール。
退院は8月。

上野記者は3回目の入院で闘病記を書くことを決意。

200010月から朝日新聞神奈川版に「がんと向き合ってー一記者の体験から」を連載。
それをまとめたのが本書。

これは書評ではない。
上野記者の圧倒的な現実描写に驚き、紹介するものである。
だいたい今読むのが遅すぎる。
姉や従妹から病状については聞いたものの、ここまで詳しく聞くことはできなかった。

本書の中の一節は、退院後夫妻で沖縄に行った時の感慨である。

ふと、1千年前に人が生きていたということをリアルに感じたことがあった。(略)
1
千年前にも人は喜び、悲しみ、悩み、絶望したり、はしゃいだりしながら生きたはず。そして、一人残らず死んだ。自分もさして変わらないことをしている一人だと思うと、愉快というかこっけいというか、肩の力が抜ける気がした。

本書は残念ながら絶版。

でもアマゾンで古書が買える。
重版を切に期待している。

 

上野記者へのインタビュー記事はこちら

http://www.mammo.tv/interview/archives/no230.html

鎌田實さんとの対談も面白い。

https://gansupport.jp/article/series/series01/series01_01/4382.html

 

 

上野記者の最も新しい記事、朝日新聞デジタルで

https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20180130004936.html



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