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2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
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ページだてである。

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https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
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年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
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分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






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