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2018年3月10日 (土)

火の子

新宿西口の墓地近くの古い雑居ビルの一角に「火の子」はあった。

私が通い始めたのは青木新門さんに連れて行かれたのがきっかけであった。
ママのイクさんは岩手県の盛岡の近くの出身ということで、同じ岩手県一関で生まれた私に対して親近感をもってくれた。
92-93年くらいであったろうか。
開店が73年、閉店が02年であるから、その30年の火の子の歴史の晩期に私は立ち合ったことになる。

以来、私は一人でも、あるいは仲間と連れ立って、あるいは新門さんからの呼び出しに応じて通うようになった。

この店のいいところは客同士の会話が多いことだ。
イクさんが客同士を引き合わせてくれる。
いろんな方と知り合いになれた。
私が子ども時代に隣家ですでに高校生だった方と隣り合わせになる、ということもあった。
編集者が多く、そこで知り合った方から原稿依頼を受けたこともある。
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「文化人類学で日本の葬儀に関心があるハーバード大学の学生がいる」
と山口昌男さんから紹介されたのが、今オーストラリアにいる鈴木ひかるさんだ。
山口さんは当時静岡県立大教授だった。

新宿西口とはいっても、青梅街道を渡り、小路を入った墓地近くであったから、フリの客はいない。
みな最初は誰かに連れてこられたのがきっかけだ。
誰かが仲間を連れてくると、イクさんはノートに名前とメモを書き、小型のデジタルカメラで写真を撮り、記録した。
だからその人が後から行っても、名前と顔、誰と来たかがイクさんに記憶されていて、それで居つくことになる。

常連の本が並べられていて、私の本や雑誌『SOGI』もその中にあった。
私が初めて会う人には私の本をもってきて「これを書いた人なの」と紹介してくれる。

私も新門さんも、今はもうほとんど呑まなくなったが、かつてはよく呑んだ。
新門さんは豪快に呑み、豪快にしゃべった。
私と新門さんが火の子に行くと、皆で死や葬送の話題で盛り上がることもあった。

イクさんこと内城育子さんが火の子を閉め、独居しておられたが、ときおりお電話をいただくことがあった。
晩年は特に細い声になった。

尾形弘紀さんから連絡をいただき、3年前に83歳で亡くなったイクさんが撮りだめた写真展の企画を教えていただき、実行委員会に名を連ねさせていただいた。
内城育子写真展「火の子の宇宙」
3月19日から24日まで銀座ギャラリー「巻房2」で開催される。
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このことが毎日新聞に掲載された。
https://mainichi.jp/articles/20180303/k00/00e/040/195000c

とてもいい記事で、当時の火の子の様子を伝えてくれるものとなっている。

なお、尾形さんから送られた案内状も紹介しておく。
ほんとうに裏方で準備された方々に感謝!
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