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2018年3月22日 (木)

葬祭サービスの歴史的文脈ー葬祭サービスとは何か?①

以下、昨年度に季刊誌『CORI』に連載した「葬祭サービスとは何か?」を数回に分けて掲載する。
1年をおいて掲載するのは雑誌に対する仁義のようなものである。
掲載にあたって手を加えている。
本稿の対象は葬祭事業者である。
第1回は「葬祭サービスの歴史的文脈」である。

葬祭サービスの歴史的文脈~葬祭サービスとは何か?①

「葬祭サービス」という表現はいまや葬祭業を語るときに一般的な表現としてある。
しかし、その歴史は、本格化してまだ約20年にすぎない。

1955(昭和30)年以降に日本では「葬祭サービス」という用語が現れ始めた。
だが、それは米国のフューネラルサービス(葬儀。元は埋葬時の祈りを中心とした礼拝に起源を持つ)を誤訳して「葬祭サービス」としたことから始まった。

「遺体、遺族に対する火葬(あるいは死後の事務処理)までを一貫してサポートするサービス」と理解されるようになったのはこの10年といってもよい。

1995(平成7)年前後以降、高齢化と家族像の変化・拡散を背景に、それまで地域共同体に基盤をもった葬儀が「個人化」へ大きく舵を切った。
その潮流が明確になったのは2008(平成20)年のリーマン・ショック以降である。

長く地域社会の慣習、仏教を中心とした宗教儀礼としてあった葬儀は大きく変質しようとしている。
それに伴い、葬祭業者が提供する葬祭サービスも内容を大きく変えようとしている。
しかし、葬祭業者がこの変化にどう対応していいいか、ということについては認識もさまざま、ある意味「右往左往」状態にある。

① 葬具提供業から開始された葬祭業

葬儀の歴史は古い。
人類が死を自覚して以降のこと、といってよい。

その歴史は日本においても流転してきた。
だがここでは「葬祭業」という専門業の登場以降を見てみたい。

葬祭に従事する職業が登場したのは古い。
だがそれは墓を掘る、火葬をする等の使役に従事する人々で、葬祭を事業とする人たちではない。

葬祭業の登場は江戸末期と想定されるが、その実態は、ほんの一部を除いて明らかではない。

「葬祭業」が明確に登場するのは1877(明治10)年以降といっていい。
江戸末期には創業していたかもしれない仙台の菊地葬儀社、東京下谷の小泉桶甚本店、名古屋の一柳葬具總本店はその頃に企業として創業されている。
明治という近代から本格的に葬祭業は登場したことになる。
だが、これとて現在の葬祭業全体の出自とは言い難い。

※1877(明治10)年といえば西南戦争の年である。
それにさかのぼること10年、1868(明治元)年に神仏分離令が出され、廃仏毀釈等の仏教排撃運動が激化。
これが止んだのは1872(明治5)年のことであった。
幕末の政権交代に伴う混乱が一段落し、産業興隆に向かう時代に突入する、まさにその時、葬祭業が誕生したことになる。

現在の葬祭事業者を分析すると、戦後の高度経済成長以前に創業し、現在残っている事業者はわずか1割程度である。
全体の約4割は1955(昭和30)年前後に始まる度経済成長期に創業している。
また全体の約5割は個人化の潮流が発生した1995年以降の創業となっている。

最初期(といっても地域により明治から昭和中期と幅が広いが)葬祭業に手を出すきっかけとしては棺(龕)(ガンヤ、カンヤ)の製造、造花の製造(ハナヤ)、その他葬具材の提供から小間物屋、葬儀の食材の提供から八百屋、乾物屋等、出自は多彩である。

1877年と言えば西南戦争の年である。幕末の政権交代に伴う混乱が一段落し、産業興隆に向かう時代に移行する頃。
産業が興隆することで、商工業業者が台頭し、その地位を示すかのように都市部では葬列が大型化、奢侈化することになる。

明治中期以降、今日目にする寝棺、祭壇の基礎となった輿、造花の銀蓮、金蓮、四華花等のさまざまな葬具が開発、提供され、葬列を彩ることになる。
このための各種葬具を提供するために葬具提供業者として葬祭業が展開を開始した。

しかし、これは都市部の話である。
都市部では街を練り歩く大型葬列が奢侈であるとの批判を受け、大正から昭和初期にかけて葬列から告別式へと中心が移動する。
代わって登場するのが霊柩車であり、告別式の装飾壇としての祭壇であった。

大正時代の初期に、現在の一部上場企業燦HDの公益社の前身の一つで、大阪で大型葬列時代に奴の行列等を演出し名を売った駕友、名古屋の一柳が前後して米国の当時流行の霊柩自動車ビム号を導入した。

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大正11年霊柩車ビム号(『一柳葬具総本店100年史』)


1922(大正11)年、元首相、早大の創始者、侯爵・大隈重信の日比谷公園での30万人を動員したと言われる国民葬。
ここで小型トラックの荷台に輿を載せた形が登場。
これが影響して自動車と輿が一体化した宮型霊柩車が昭和初期から東京、横浜、名古屋、大阪等の大都市で使用される。
自宅や寺院の葬儀では輿に葬具を並べた告別式用の祭壇が装飾された。
この告別式の誕生に伴う祭壇装飾、葬具提供に加えた式場装飾が葬祭業の第2期。

しかし、宮型霊柩車、祭壇の全国化は朝鮮戦争停止の1953(昭和28)年以降のこと。
それ以前は、地方では地域共同体主体型の葬祭事業者を必要としない葬儀が行われていた。

② 葬祭事業の確立

戦後の生活混乱期を背景に、主として地方部から新生活運動が展開された。
地域住民の香典の低額一律化、返礼品の簡素化等である。
「新生活運動」は、1947(昭和22)年に政府が提唱した新日本建設運動が最初で、「生活困窮に打ち克つ」「勤労精神」「文化の発揚」以外に「相互扶助友愛」「合理的・民主的な生活慣習の確立」等が謳われた。
地域の青年団、婦人会、労組が動員された。新日本建設運動は収束したが、地方での新生活運動は以後も展開され、90年代にようやくほぼ終息した。

この新生活運動を背景に登場したのが冠婚葬祭互助会である。
1948(昭和23)年に神奈川県横須賀に第1号。全国展開の契機は、紅白歌合戦の大晦日開催が始まり戦後復興が急激になった1953(昭和28)年、名古屋で山本信嗣が冠婚葬祭互助会を興したこと。

葬儀専門事業者も互助会の台頭に危機感を募らせ、1956(昭和31)年に任意組合全日葬祭業協同組合連合会(全葬連の前身)を発足させた。

祭壇が全国的に普及した時期と重なり、祭壇セットを基本料金として金額明示した互助会は葬儀においても急速に影響力を強めた。
冠婚葬祭互助会と葬祭専門事業者の正面対決が「葬具屋」「葬儀屋」の時代から「事業としての葬祭業」への道を拓いた。

1955(昭和30)年前後以降が高度経済成長である。
高度経済成長期は日本の消費文化を大きく変化させた。
葬儀もまた大きく変化した。

地域共同体色を残しながらこれに会社が関与し、会葬者数が拡大。
社会儀礼色を強めた。
互助会を含む葬祭事業者が進めたことは祭壇の大型化であり、会葬者サービスに手を抜いて遺族に恥じを欠かせないことであった。
立派な葬儀を滞りなく執り行うために葬儀のマニュアル化が大きく進んだ。

1985(昭和60)年以降、斎場(葬儀会館)建設が一つの傾向になり(最初は70年代初期)、90年代以降は「斎場戦争」と言われるようになった。
いまや自宅葬は約1割である。

葬儀が自宅離れし、地域共同体依存型から葬祭事業者依存型へと変化した。
これは葬祭事業者の位置取りとしては大きな変化となった。

それまでは死者、遺族の側には親戚、地域関係者、宗教者がいて、葬祭業者は葬儀の中心ではなく周辺の式場設営、会葬者の案内をしていればよかった。
それが急に葬儀の内部に、死者、遺族の側に位置することになったからである。

と同時に葬祭業は消費者からの視線に晒されることになった。

③ 葬儀の個人化と求められるサービスの変化

バブル景気の崩壊は1991(平成3)年から開始したが、景気後退の認識が消費者の間で定着したのが1995(平成7)年頃からである。
宝石が急激に売れなくなるのもこの時期である。

95年に阪神淡路大震災(死者・行方不明6,437人)が発生したことも消費者心理に少なからぬ影響を与えた。

95年に誕生した葬儀関係の用語は「家族葬」と「自由葬(無宗教葬)」であったが、圧倒的にその後に影響を与えたのは「家族葬」である。

「家族葬」という言葉の誕生を契機に、日本でも葬儀の個人化、小型化が進んだ。
既に欧米では個人化、小型化は進行していたが、日本人は別と言われていた現象である。

日本でも葬儀に対するコンセンサスが崩れ、高度経済成長期の葬儀マニュアルが容易には通用しなくなる。
経済格差も大きくなり、遺族像も多様化した。
単独世帯が4分の1を超え、「おひとりさまの死」が例外ではなくなってきた。
「高齢化」も伸張し、この課題は無視できないものとなった時期でもある。

※現在の高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)は26.7%(2015)である。
推移を見ると、1955年が5.7%、1970年に7.1%になり「高齢化社会」に、これ以降急激に高齢化が進み、1985年に10.3%、1995年には14.6%となった。
2000年に17.4%となり「高齢社会」に、2010年には23%となり「超高齢社会」になった。
2017年の社会保障・人口問題研究所の将来人口推計によると、2025年には30.0%に、2035年には32.8%になると推計されている。

葬祭サービスは一様なパターンの商品を提供する時代ではなくなった。
個々の死者、遺族に添ったサービスを的確に提供していくことが期待される時代となった。
それはまた葬祭業が葬儀について専門家(プロ)であることが求められる時代になったことを意味している。

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