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2018年7月に作成された記事

2018年7月11日 (水)

死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

このところ「遺体管理」の問題について考察している。

流れとしては

 

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html

 

に続くものである。

今回書くものを含め、概要は以下に書いている。

 

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html



死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

 

死亡場所により、その直後の遺体処置に違いがある。

また、病院でも、見分けは困難だが、すべてが看護師によって行われているわけではない。
当然歴史的変化がここには反映されている。

 

①死亡の場所の統計的変化

 

死亡の場所は、人口動態調査によると戦後大きく変化した。


1951
(昭和26)年には、自宅が88.4%と圧倒的に多い。
病院は9.1%、診療所は2.6%、合わせても11.7%に過ぎない。

病院・診療所が2割を超えるのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年のことで、病院と診療所を合わせ20.6%。
この年に自宅は79.3%と減少。


戦後の経済成長と共に医療のインフラは整備され、それに比例して病院等の医療施設での死亡が増加する。
病院死が増加することで、地域共同体による遺体処置(湯灌等)は病院での看護師等による死後の処置に取って代わられることになる。


病院等の医療施設での死亡が半分を超すのは1977(昭和52)年のこと。
以降は病院死が増加して自宅死が減少するという傾向が顕著になる。
1999
(平成11)年には病院・診療所での死亡が合わせて80%を超え、自宅死は15%まで減少した。

老人施設での死亡が2%を超え2.1%となり注目されるようになったのが2004(平成16)年のことである。

2010(平成22)年には病院・診療所での死亡が合わせて80.3%、老人施設での死亡は3.5%と伸び、自宅死亡が12.6%。
最新の統計である2015(平成27)年には病院・診療所での死亡が76.6%、老人施設での死亡が6.3%、自宅死亡が12.7%となっている。

老人施設での死亡が増加した理由については、終末期を老人施設で暮らす高齢者が増加したことに加え、かつては老人施設で暮らす高齢者が危篤になると救急車を呼び入院させ、死亡すると病院死にカウントされていたのが、老人施設で看取ろうという機運が高まり、施設での看取りが増えたことによる。

 


②死後の処置の担い手

 

自宅死が多い時期、つまり高度経済成長期以前は、人の死は家族が担い、死亡後の葬送は地域共同体が中心になって担っていた。


自宅死が多かった時代


一般には家族が看取り、主治医が来訪し死亡判定し、家族が死水をとり、遺体を安置した枕元で僧侶が枕経をあげ、家族で夜を徹して看取った。

当日、多くは2日目、地域の一員が水に湯を加えて適温にしたお湯で死者の身体を洗い、死装束に着替えさせるという湯灌(ゆかん)という習俗があった。

これは場所、場所で異なるが、古くは僧侶が行った事例もあるが、家族または地域の一員によって行われた。
その実態もさまざまである。
担当となったものの恐怖心を和らげるため、事前に酒を供し、酔っぱらって行われたこともあれば、家族の手で丁寧に行われたこともある。
都市部ではこれを担う専門の人がいたこともある。
あまりにもさまざまで、こうだ、と定式化はできない。

2
日目、または3日目に僧侶の立ち会いの下に家族の手で納棺され、通夜し、3日目または4日目には自宅または寺で葬儀をして出棺し、火葬または墓地に埋葬(土葬)された。


火葬率の推移

 

火葬または埋葬(土葬)までを急いだのは、遺体の腐敗が進行し、死者の尊厳を侵すことへの恐怖からであった。


都市部では火葬が多かったが、郡部では土葬が多く、火葬率が日本の統計で6割を超えたのが戦後の1960(昭和35)年の63.1%。
以後全国で地方自治体単位での火葬場建設が進み火葬率が急伸した。

1975
(昭和50)年に86.5%、1985(昭和60)年に94.5%、1995(平成7)年に98.3%となり、2010(平成22)年には99.9%を記録。
2015
(平成27)年には統計上100%の99.99%となっており、世界一の火葬先進国である。
1970
年以降、かつては土葬が多かった欧米でも火葬が顕著に増加傾向にある。


地域共同体から葬祭事業者へ

 

日本の葬儀は、地方共同体が中心に営んでいた。
大都市では1877(明治10)年頃以降に、地方では戦後の1950(昭和25)年以降に葬具提供業者として葬祭業が始まる。

現在の葬祭事業者の創設時期の分布は、1955(昭和30)年以前が全体の約1割、全体の約4割が1955年以降1995(平成7)年以前、1995年以降現在までが全体の約5割となっている。

葬祭事業者は、出自がさまざまで、登録の要もなく、したがって標準化規制もないため、葬祭事業者の業態はさまざまである。

1996
(平成8)年以降、厚労相認定葬祭ディレクター技能審査が開始され、2016(平成28)年まで21回を重ね、215,489名、116,470名の合格者を出し、合格者総数が葬祭従事者の約3割に達したことで標準化はかなり進行している。
だが、この資格取得が葬祭従事あるいは営業条件とはされていない。


葬祭事業者が葬儀運営の中心になるのは地域によって異なるが197080年代といえる。
ここで運営主体が地域共同体から葬祭事業者に漸次移行が進んだ。

葬祭事業者の遺体の係わりも同一ではない


この時期が病院死亡の増加した時期に相応するため、遺体の処置は地域共同体の湯灌から病院等での死後の処置に移行し、葬祭事業者はそのはざまで遺体処置に係わることになった。

遺体を細かく観察して適切な処置に心を砕く葬祭事業者もいれば、ドライアイスの補充以外は遺体処置にほとんど関心を示さない葬祭事業者もいる。
現在でも葬祭事業者の遺体処置への取り組みに大きな温度差があるのはこうした背景による。
地域差だけではなく葬祭事業者間に取り組みに温度差がある。

※次回は病院での死後の処置の実態について書く。
病院関係者、葬祭担当者も自分の守備範囲の経験だけで、さまざまであること、その実態は意外と知られていない。
ましてや一般の人には知られていない。

ちゃんとした紹介文献もほとんどないので、詳しく書く。

2018年7月 9日 (月)

海洋散骨ガイドラインへの要望―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む③

前回まで
海洋民族の記憶の古層―『海へ還る―海洋散骨の手引き』を読む①
海洋散骨ガイドラインー『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-a687.html

 

『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む

が少し長くなった。

今回はこれでまとめるため、少し長くなっている。

 

海洋散骨ガイドラインは極めてよくできている。
前回紹介していなかった項目で重要と思われるのは

 

10 日本海洋散骨協会ガイドライン遵守事業者の登録及び公表

である。

 

 

7散骨意思の確認業務、8散骨証明書の交付義務(情報の10年間保管義務を含む)と10遵守事業者の登録・公表と組み合わせることで、

誰がどういう目的で誰を散骨しようとしたか、その散骨はどの事業者がどこで実施したか、という記録が保管されることになる。

 

 

これにこだわるのは2点ある。

 

1つは、散骨の方法の相当の節度だけではなく、散骨の目的が「葬送」ではなく、「遺骨遺棄」になっていないかの確認である。
2
つ目は情報の適正な管理である。

 

このために共通仕様の「散骨申込書」を作成し、これには特別な理由がない限り火葬許可証(火葬済印)、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証のいずれかを添付することを条件とするとよい。

 

加えて次の文書に申込者の自署を求める。

 

 

海洋散骨申込書

 

私は、海洋散骨ガイドラインを遵守して、下記の者の遺骨を、海洋散骨することを申込みます。

 

申込みにあたり、あくまで遺骨遺棄を目的としたものではなく、葬送を目的とすることを誓約します。

 

海洋散骨する被葬者氏名

 

添付する証明書 いずれかに〇 火葬許可証、火葬証明書、改葬許可証、その他(             )

被葬者本人の生前の散骨希望する文書等がある場合はそのコピー

 

申込み者氏名(自署)

 

被葬者との関係

 

当事業所は申込み内容を確認しましたので、海洋散骨の申込みを受託します。

 

受託するにあたり、当事業所は、海洋散骨ガイドラインならびに関係法令を遵守します。

 

本申込書ならびに散骨証明書の控えは当事業所において「個人情報取扱に関する海洋散骨協会の基本方針」に従い、個人情報保護法等の関係法令の定めに従い、5年間適正に管理します。

 

事業所名

 

担当者名(自署)

 

 

申込書と受託書は同一の書面に書かれ、控えを申込者に残す。

 

散骨で必要なことは目的の正当性と方法の相当の節度である。

 これを文書化することが望ましい。

 

自署とし、記名捺印にしないのは証拠の確保である。

記名捺印では偽造が行われる可能性があるからだ。

 

本書との関係でいえば、勝桂子さんによる第5章「墓じまいと海洋散骨」が本来で言えば、火葬許可証、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証の手続きについて実務家の立場で詳述されるべきである。

 それが必ずしもそうなっていないのは残念である。

勝さんの指摘で、墳墓に収められているのは焼骨が埋蔵されている事例ばかりではなく、埋葬(土葬)された遺骨も古い場合あり、原状復帰、改葬作業においては費用が嵩む可能性がある、というのは重要である。

 

「墓じまい」という言葉自体が新しい用語で、法律概念としては改葬である。
承継者不在、あるいは墳墓が遠隔地にある、という理由で、これまであった墳墓を維持できないために整理する事例は、びっくりするほどではないが増加していることは事実である。

 

墓所は原状復帰すれば解決するが、問題は墳墓に埋蔵してあった遺骨の取扱である。

改葬とは墓地埋葬法第23項で

 

この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

 

とある。

 

この先が永代供養墓(合葬墓)であれば問題は少ない。

これまで管理していた遺骨を、今後は承継を必要としない墓または納骨堂に託すことになるからだ。


しかし、この先が散骨であるとすれば、どうだろう。

れまでの遺骨の本人の生前意思、あるいは直接関係して供養してきた人の意思も不明である。

 

遺骨遺棄になるかならないか、かなり微妙である。

それが葬送であるならば、葬送する人の意思、心情が問われる。

 

個別の心情は問えないので、せめて散骨を申込む人が申込書に「遺骨遺棄ではなく葬送を目的としている」ことの意思表示が必要となろう。

そして申込む人も自らの死後に散骨を希望するのでなければ論理矛盾になるだろう。

 

供養論を展開するのであれば、主観で「寺院が悪い」とか、どこに、誰に責任を求めるか、ではなく、死者、遺骨に対する宗教感情の変化を社会背景との関係で整理して論じられるべきである。

 

その整理が充分にされていない議論展開になっている。

 

あえて些末な部分を例として取り上げる。

 

(墓じまいが)これほどに一気に、市民権を得、広まった理由は何でしょう?(略)よく言われるのは、核家族化によって、3世代で同居することが少なくなったからという理由です。(略)行政書士という立場からは、核家族が増えた端緒は、戦後に民法が改正されたとき、親と子のみの二世代戸籍が採用され、三世代以上がひとつの戸籍に入ることができない制度になったところにあると考えています。(略)すなわち、核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです。

 

明治民法の家制度が戦後民法で廃されたことは事実である。

戦後憲法と矛盾するからである。

 

「核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです」という意味不明な言葉は、では明治民法の家制度がよかったとするのか、という疑問をもたざるを得ない。

もちろん、そうではないだろう。

 

戸籍法が変わったりしたことが家族意識に影響を与えたことは事実であるが、それだけではない(勝さんも「端緒」と言っている)。

 

戦後、高度経済成長することで、郡部から都市部への人口の大移動が起こり、家族分散が生じ、都市部に移動した住民は地方の実家に住む親と同居せず、親と子のみの核家族単位の生活が多くなった。


核家族は、子が育ち独立すれば夫婦のみ世帯となり、どちらかが欠ければ単身世帯になる。

現在、全世帯の4分の1、一般世帯(施設等の世帯を除いたもの)の3分の1が単身世帯となっている。

 

「親族」と言っても、子ども時代に近くに住んでいた、行き来が多かった、今も連絡がある…というのであれば関係は親密である。

だが離れて、無関係に過ごせば関係は自然に疎遠になる。

 

今、葬儀で「親族席」が縮小傾向にあるのは、戦前と比べてではない。

1980年代、1990年代と比して大きく縮小している。


勝さんが言いたかったのは、供養する気持ちを持ち続けることの大切さ、ということだろう。

 

海洋散骨が増えた社会的背景については村田ますみさんの第1章「海洋散骨とは?」がよくまとまっており充分である。

 

村田さんは海洋散骨がどういうものであるか、イメージしやすく展開している。

海洋散骨基礎知識が40ページ程度にうまくまとまっている。

 

感心したのは「散骨の歴史」。

 

12ページ程度にコンパクトに、ヨーロッパ、アメリカ、アジア(特に中国、韓国)の火葬事情、墓地事情、そして日本の古代からの火葬史から現代の墓事情までまとめられている。

 

私はとかくグダグダ書く癖があるので、こうしたまとめ方には教わるところが多かった。

 

補完するなら、1960年代のローマ教会のバチカン公会議で世界的に火葬が公認化されて以降、火葬は近代葬法として村田さんが紹介した以上に、ヨーロッパ、アメリカで伸びている。

 諸外国の火葬率の新しいデータは日本斎苑協会のホームページで見ることができる(イギリス火葬協会のまとめが出典)

http://www.j-sec.jp/files/f_1528351312.pdf

 

村田さんは2010年のデータで、ヨーロッパで火葬率70%を超えている国としてスイス、イギリス、スウェーデン、デンマークの4か国を挙げているが、201516年ではチェコ、スイス、スウェーデン、デンマークの4か国が80%を超している。

 

北米ではカナダが70%、アメリカ合衆国が50%と急伸している。

 

北米ではCANA(北米火葬協会)が2017年のデータを公表しているが、各州軒並み火葬率がアップしている。

「カリフォルニア州では火葬率が50%を超える」と書かれているが、全米で50%となり、西海岸ではワシントン州、オレゴン州では70%を超え、カリフォルニア州では6170%となっている。

ニューイングランドの最東北部にあるメイン州でも火葬率は70%を超えている。

 

村田さんがカリフォルニア州法に着目しているのはさすがである。

散骨、エンバーミングでは、カリフォルニア州法が日本にとって参考となると思われる。

 

 

2018年7月 8日 (日)

海洋散骨ガイドライン―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』はいろいろな意味で興味深かった。
特に興味深かったのが「付録」として掲載された日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」である。
これは優れている。

ガイドライン策定趣旨に次のように記されている。

万が一、散骨の態様が祭祀としての節度を越え、一般市民の宗教的感情を害した場合、遺骨遺棄罪にあたり違法と判断される可能性があります。
そこで、海洋散骨が祭祀としての節度をもって行われることを確保するために、業界団体として散骨方法に関する自主基準を策定する必要があると考えました。

そこで「散骨について否定的見解」をもつ人がいるという「事実も真摯に受け止め」、そうした人にも「理解を得られるよう、適正な散骨方法を広めていくこともまた、散骨事業者の責務」としている。
加えて、次の一文がある。出色と言ってよい。

そこで、海を生業とする方々とのトラブルの防止、環境保全、散骨の安全確保などの観点から問題視される可能性のある海洋散骨を抑止するためにも、業界団体として自主基準を策定する必要性があると考えました。

この点に関しては第4章に海事代理士の高松大さんが「海洋散骨と海事法規」を書いており、これは必読である。
私個人としては海洋葬について突き詰めて考えてこなかった。
まさに「不勉強」であったが、これは教えられた。

この自主基準は極めて具体的である。

〇粉骨義務
「遺骨を遺骨と分からない程度(1ミリ~2ミリ程度)に粉末化」
〇散骨場所の選定義務
「人が立ち入ることができる陸地から「1海里以上離れた海洋上のみ」「河川、滝、干潟、河口付近、ダム、湖や沼地、海岸・浜辺・防波堤やその近辺」での散骨禁止
「散骨のために出航した船舶においてのみ」散骨可で、「フェリー・遊覧船・交通船など一般の船客がいる船舶」では不可。
「漁場・養殖場・航路を避け、一般の船客から視認されないよう努める」義務。
〇自然環境への配慮義務
「自然に還らないもの(金属・ビニール・プラスチック・ガラスその他の人工物)を海に」撒くことの禁止。
「献花、献酒するにあたっては、周囲の状況に配慮」する義務。
〇参列者の安全確保義務
「船客賠償保険加入」義務、「小型船舶に乗船中の小児」にライフジャケット着用義務、「緊急時の連絡体制」、「乗員定員厳守」、「風速・波高・視程による出航停止基準や出航後の運航中止基準」の確立、厳守、「法令に従い安全に船舶の運航を行うこと」
〇散骨意思の確認義務
「官公庁からの依頼の場合を除き、本人の生前の散骨希望意思に基づく申込みまたは葬儀を主宰する権限がある者からの申し込みが必要」
「本人の生前の散骨希望意思の確認が取れずかつ葬儀の主催者が本人の親族でない場合」は「全量散骨を避けるなど適切な助言」の努力義務
〇散骨証明書の交付義務
「緯度・経度を示した散骨証明書を交付」、散骨場所情報の「10年間保管」義務
〇一般市民への配慮義務
「桟橋やマリーナの他の利用者への配慮」義務

驚くべきは、8つの注を設け、なぜこうした配慮が必要かを解説している点。
行き届いた内容となっている。
このガイドラインについては第3章「海洋散骨に関する法律」で弁護士の武内優宏さんが詳しく解説している。

■散骨の合法性に対する論理への若干の疑問

8月23日のエンディング産業展で村田さん、武内さんによるセミナーが予定されている。
このタイトルが「散骨は違法?合法?グレイゾーン?高まるニーズに対応するための海洋散骨基礎知識」と題されている。

私個人としては「葬送を目的として、相当の節度をもって行われる」前提で散骨は刑法190条の遺骨遺棄罪に該当しないと考えている。

1991年に葬送の自由をすすめる会が相模灘で第1回の散骨を「自然葬」と名付けて行った。
同会は「葬送の自由」を掲げて実施した。

法律に優位するのは無論憲法である。憲法第13条には

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

とある。

その下に刑法も民法といった法律も存在する。
さらに自治体が独自に定めるものが「条例」である。
(注)付言するなら、戦後民法が改正されたが、憲法が変わった以上、その理念を異にする明治民法は大きく改正をよぎなくされた。

散骨が合法か否かが問題となるのは2つの法律である。

刑法190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

この中で、散骨は「遺骨遺棄罪」に該当するか、否かである。

ガイドラインでは

散骨については、法務省が、1991年に、葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪(刑法190条)に違反しないとの見解を示しています。
このように、散骨は「節度をもって行われる限り」自由に行うことができます。

と、書いているのは書きすぎである。

武内弁護士はさすが、もう少し精緻に議論を展開している。

ここは、朝日社会部による「法務省見解」に依らず、
海洋葬の自由を確保するために「葬送の祭祀を目的」として「相当の節度」をもって行うべくガイドラインを設けた。
と書くのが適当である。
この点はぜひ次回改正してほしい。
せっかくの自主基準である。

(注)エンバーミングについても刑法190条死体損壊罪にあたるのではないか、という係争があったが、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)が精緻な(A420ページ)自主基準をもって実施していたことにより「IFSAの自主基準に則して行われるエンバーミングは正当業務行為」という判決が2006年に確定している。ここでも目的の明示、詳細な相当の節度の内容を規定している。

なぜ書きすぎか、というと、法務省が見解を発表した事実はないからである。
「法務省の見解」とされたのは、第1回自然葬実施について朝日新聞社会部記者が報じたものである。
後日、私が「見解を発表した」とされる法務省刑事局の担当官に面接して聴いたところはこうである。

相模灘の散骨について、法務省として遺骨遺棄罪として摘発する意思があるかないか取材を受けた。
法務省として違反かどうか判断する立場にはない。
違反かどうかは裁判所が判断すべきものである。
したがって法務省は判断しない。
今、これを摘発する段階ではない。
検事という法曹人としての個人的な考えで解説するならば、刑法190条の法益(法律が守ろうとしているもの)は遺体、遺骨に対する社会的風俗としての宗教感情である。
今回の散骨がこの法益を害するものか慎重に見極める必要がある。
目的が仮に正当であるとしても次に問われるのは方法が「相当の節度」をもって行われているか、である。
散骨は外形的には遺骨遺棄に当たる。
例えば死体解剖であるが、外形的には死体損壊になるが、死体解剖保存法、献体法、刑事訴訟法で定めがあり、これらに該当すれば死体損壊罪に該当しない。
それ以外であれば、目的と方法について慎重に検討されるべきであろう。
散骨法ができれば別だが。

当時、各種世論調査が行われ、散骨を自分が行うか、については15%程度であったが、家族がその意思をもって行うか、については7割程度が支持すると回答していた。
国民に明確な違反意識がない段階で法務省が摘発するというのは違うだろう、という意見であった。
見解発表という報道については「見解発表する立場にないのだから」と強く否定していた。

朝日社会部記者は2つの過ち、世論のミスリードをした。
1つは「法務省が見解発表」という事実でないことの報道。
2つめ、担当官の個人的考えのうち「方法については相当の節度が必要」をより簡易な「節度」という表現に置き換えたことである。

武内弁護士が参考として例示している熱海市、伊東市のガイドラインでも「節度」ではなく、「相当の節度」という表現が用いられている。

墓地埋葬法
第4条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外にこれを行ってはならない。

ここで書かれている「埋葬」とは「土葬」の意で、「焼骨」とは「火葬された骨」の意である。
厚生労働省は、墓地埋葬法は散骨を想定していない、と発言しているが、散骨は合法とは言っていない。
現実としては散骨に反対する、あるいは規制したいという自治体があり、それぞれの自治体に判断を任せている状態にある。

海洋散骨ガイドラインも、喪服着用しない等、ここまで神経を使う必要があるか、と思うほど民意に配慮している。
北海道長沼町の散骨を禁止する条例にしても、散骨を一律否定するのは行き過ぎと思われるが、きっかけが無茶苦茶な住民の意識を逆なでするような事業者の散骨実施にあった。
まさに自主基準が求められる。
または、民意を反映した散骨法等の制定が必要となる。

私個人は基本的人権に属することを何がなんでも法律で規制しよう、という考えには組みしない。
しかし、葬送というのは弔う権利を保障するためにも慎重な相当の節度を要する、と考えている。

2018年7月 6日 (金)

遺体は公衆衛生上安全か?

遺体は公衆衛生上安全か?

 

遺体のすべてが公衆衛生上リスクが高いわけではない。
だが、同様に言えることは「リスクが高い遺体もある」ということだ。
問題は、多くの場合、その判別がないままに遺体は病院から搬出されていることだ。

「病院が死亡退院を許すのは、公衆衛生上の危険がない、と判断しているからだ」
というのは事実に即さないきれいごと。
「病院が死亡後、死後のケア(死後の処置)をしているので、公衆衛生上は安全である」
というのはほとんど妄言に近い神話。
この神話を信じる医療関係者、葬祭関係者が案外多いのに驚く。
医療関係者、特に医師、は死亡判定後についてほとんど関心を示さない人が多いのは極めて残念なことだ。

神話の怖さはリスク対処をしないことにある。
適正なリスク対処をすればいたずらに怖がる必要はない。

 

したがって、遺体に敬意を払い、尊厳を確保すると同時に、取扱で注意すべきものは、感染症等からのリスクへの対処である。

 

①病理解剖500例の分析

 

森吉臣(獨協医科大学教授【当時、現名誉教授】。専門:病理学)は

遺体を扱う立場にある者(葬儀関係者、医療従事者など)は、多くの遺体が病原菌に汚染されており、不注意に扱うと感染を受ける可能性があること、また、公衆衛生上も周囲環境を汚染する危険性があることを認識する必要がある。しかし、だからといってむやみに恐れる必要はまったくなく、病原体や感染症に対する知識を修得し、予防法、消毒法を身につけて正しく対処すれば危険性はなくなる

と、説く。


森は、獨協医科大学越谷病院において行われた病理解剖500例を分析し、その結果を以下のように述べた。


500例の解剖例中、感染症が認められたのは、全体の65.2%の326例であった。感染症が認められなかったのは、残りの174例で、34.8%であった。特にここで注意すべきことは、感染性の高い肝炎ウイルス感染症や結核症が比較的上位を占めていることである。肝炎ウイルス感染症が35例、結核症が18例、また重症感染症である敗血症が19例で、合計72例である。これは500例の解剖症例中14.4%に相当する。


遺体内の細菌の増殖は経過時間によって飛躍的に増加する。
それは一般的な菌である大腸菌を尿10ml102乗個入れて実験すると24時間経過後に107乗個まで増殖した。
遺体は死亡後の経過時間に比例してリスクは高まる
(以上、森吉臣「遺体と公衆衛生」、『遺体衛生保全の基礎』所収に基づく)


病院等の医療施設での死後の処置は、死亡直後に行われることが多く、死亡後2時間以内がほとんどである。
いわゆる「死体現象」が発生している事例の割合は低い。
また、死後の処置は、死後硬直が顕著になる2時間前までに行うことが原則となっている。


死後の処置によって「死体現象」をなくする、止める効果はまったくない。

「死体現象」の進行を止めるにはエンバーミングを処置する以外の方法はない。
(しかし、病院で死亡直後にエンバーミングが処置されている例は今はない。)


「死体現象」の進行を考えると、「遺体管理」ということで最も重要になるのは、遺体が家族に渡され、葬祭事業者に管理を委ねられる以降が最も重要になる。

 

②開示されない感染症情報

 

感染症については、感染症法による一類、二類、三類および指定感染症は厳しく管理されていて告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡以外は、たとえ感染症を保持していても、死亡診断書、死体検案書に記載されない。

病院と懇意な場合は医師が把握している限りの感染症についての情報は葬祭事業者に注意する旨が伝えられることがあるが、多くの場合には個人情報保護を理由に開示されない


また、主な死因でない場合には、医師は遺体が保持している感染症のすべてについて把握していないケースも多い。

先の病理解剖結果は30日以上経過して判明することが多く、その結果は遺族にも葬祭事業者にも開示されないことが多い。
また、開示されてもすでに葬儀は終わり、火葬され、焼骨ななっている。

したがって死亡後に看護師等の医療関係者、介護関係者、葬祭事業者が遺体を取り扱う場合、危険な感染症を保持していることを前提にスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて患者のみならず遺体も取り扱う必要がある

 

スタンダードプリコーション

どの患者(遺体)も感染症の有無に関係なく感染症を保持しているという前提で、手洗いの励行、うがいの励行、環境の清掃を行う。
また、血液・体液・分泌物・嘔吐物・排泄物などを扱うときは、手袋を着用するとともに、これらが飛び散る可能性のある場合に備えて、マスクやエプロン・ガウンの着用。
また使用器具等は滅菌、消毒する。

 

院内感染の流行から、スタンダードプリコーションは、厚労相においては看護師教育内容基準等には採用され、また高齢者の介護施設でも危険認知と対策強化がなされている。
だが、より危険度が高まる葬祭事業者への指導は弱い

推測するに、医療施設、介護施設においては集団感染発生の危険度が高く、集団発生が生じると社会問題化することがあるのだろう。
遺体の場合、病院や施設外に出た場合、発生源のリスクは同等以上だが個別化されるため、施設、場所が厚労相の管轄を離れるため責任が問われないことによるのだろう。


葬祭事業者が組合等を通じて自衛策として研修をしているが不充分である。
葬祭ディレクター技能審査のテキストでは遺体取扱時のスタンダードプリコーションの内容を示し、必要性を説いているが、葬祭事業者における実態としては、このリスクに対応する熱心度で事業者格差が大きい。
(ちゃんと対策している葬祭事業者もいれば、まったく無関心な葬祭事業者もいる。葬祭事業者の選択は、見積金額が高いか安いか、だけではなく、こうした対処をきちんとしている事業者であるかも見分けることが重要になる。これが「葬祭サービスの質」の一つだ。「お金がすべて」かのように考える消費者も愚かであるし、「葬祭サービスの質」を説明しないで、「低価格のみ」を宣伝する葬祭事業者はおかしいのだ。)

2018年7月 5日 (木)

葬祭サービスと葬祭ディレクター―葬祭サービスとは何か④最終回

「葬祭サービスとは何か?」について、歴史的文脈、遺体、遺族心理と過去3回論じてきた。
しばらく時間を置いたが、最終回となる今回は「葬祭ディレクター」を扱う。

 

葬祭サービスの歴史的文脈ー葬祭サービスとは何か?①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-6f10.html

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html

遺族のケアで考えるべきこと 「死別」ということ―葬祭サービスとは何か?③

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/04/post-9d52.html



なぜ「葬祭ディレクター」なのか?

過去22年間、葬祭業界が団体の壁を越えて一致して取り組んできたのが「葬祭ディレクター技能審査」である。

この制度は「葬祭サービス」という事業分野の社会的地位の向上を目的とし、このためには葬祭サービスに携わる「人材の育成、人材の質の向上」が欠かせない、という共通認識の下に取り組んできたものであるからだ

 

■「葬祭ディレクター技能審査」の経緯と概容

 

「葬祭ディレクター」は一般名称ではない。
厳密に規定された称号である。

葬祭サービス業務に携わる必須資格ではないものの、「看護師」「医師」「税理士」がそれぞれ定められた試験に合格して認定された者だけを指す称号であるのと同様である。

 

「葬祭ディレクター」は、
「葬祭ディレクター技能審査協会が毎年実施する葬祭ディレクター技能審査に合格し、1級(または2級)葬祭ディレクターとして認定された者だけが名乗ることが許される称号」
としてある。


試験を実施し、認定するのは協会であるが、「葬祭ディレクター技能審査」は、1996(平成8)年3月に労働大臣(現・厚生労働大臣)の認定を受けた制度としてある。

 

「技能審査」は、厚労省において現在大きく見直され、現在、新規認定はない。

しかし、葬祭ディレクター技能審査は、過去の実績(毎年約2,600人に及ぶ受験者数、社会的評価の定着)、充実した評価方式が高く評価され、「異例」として存続を許可され継続している。


将来的には(直ちにではないが)「技能検定」の枠組みに包摂されるのではなかろうか、と個人的には思っている(私個人は本制度の立ち上げから関与したが、2016年度をもって退いた)。

 

葬祭ディレクター技能審査の第1回は1996(平成8)年のこと。

同年826日(月)に1級葬祭ディレクター技能審査を、翌827日(火)に2級葬祭ディレクター技能審査を、全国10会場にて実施した。

以来、1級・2級同日併行実施に変更したものの毎年継続実施され、20179月に実施された技能審査で22年となる。

 

2016年までの合計は、受験者総数は49,660名、1級合格者16,470名、2級合格者15,489名。合格者総数は31,959名である。

2級合格者の半数がその後1級を取得していると仮定すると、約2万5千人が葬祭ディレクターの概数となる。

 

葬祭従事者は多岐にわたり各種統計でも実数把握ができないが、およそ10万人と想定すると全体の4分の1程度となる。

葬祭事業に関係する各種事業所の主要担当者は資格取得していると見られる。

別な言い方をするならば、葬祭ディレクターが不在の葬祭事業所はその質が疑われるという認識が一般化するに至った。

 

葬祭ディレクター技能審査協会は、専門事業者の全国団体・全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)と冠婚葬祭互助会の全国団体・全互協(一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会)の主要2団体によって構成・運営されている。

しかし、葬祭事業に従事するすべての者に受験の門戸は開かれており(労働大臣が認定した際の条件)、実際にも両団体以外の受験者、合格者が約3割を占めている。

今では葬祭サービス事業分野における唯一にして統一された資格制度として社会的評価を受けている。

 

■葬祭ディレクターが変えたもの

 

「葬祭ディレクター」が葬祭サービス事業分野で変えたものは何か?

 

制度設計を開始した24年前の葬祭業務現場は、「極端に」言えばこうであった。

葬祭業務従事者の主要業務はどちらかといえば祭壇等の葬儀実施のための設営を中心としたものであり、「葬祭サービス」という視点はあまりなかった。

プロとしての意識は低く、知識は自己流が跋扈し、遺体を取り扱う立場でありながら公衆衛生知識に疎く、対消費者意識も欠け、マナーも悪く、全体的にコンプライアンス(法令遵守)の認識も薄かった。

各企業内部では教育訓練がなされないのに「10年経たなければ一人前ではない」という神話が横行。

 

結果として社会的地位としての評価が低く、かつ、死穢意識からくる不当な差別観に晒されていた

 

こうした状況に対して危機意識を抱いた全葬連、全互協が一致して取り組んだのが葬祭ディレクター技能審査制度の立ち上げであった。

 

相互に何かと軋轢があった両団体が一致して取り組むには、労働省が「認定条件」として強く促したこともあった。

だが、多死高齢社会に足を踏み入れていながら、社会的地位の低さから、このままでは社会的課題に対応できないという差し迫った社会的要求を両団体幹部が共有したことによる。

 

それまでは「葬祭業務」の範囲、要求される質についての確立された共通認識がなかったので、「葬祭サービス」という概念を導入して業務の範囲、深度の枠を再構成した。

 

「葬祭ディレクター」を「葬祭サービスを提供するプロ(専門家)」と位置づけた。

そのうえでどのような知識しかも信頼できる内容のある知識をもつべきかを定めた。

 

歴史、葬儀を囲む社会環境、業務内容、公衆衛生、葬具、棺、火葬、墓、霊柩車、法要、死後事務、関連法令等についての知識、加えて葬儀が宗教儀礼として行われることが多いために宗教宗派とその儀礼の基礎理解も課した。

消費者にサービスを提供する者としての基準となるマナー、弁えておくべき法令の遵守も重要である。

葬祭サービスの中心となるのが死者の尊厳、遺族への配慮であることから遺体の死体現象と対処法、遺族心理についての理解は欠かせない。

 

当初は「葬祭サービス」と言えば、お客様への言葉遣い、礼の仕方といったマナーに関心が集まりがちであった。

これに加えて、お客様、特に死別直後の遺族の立場、心情を尊重したサービスをいかに提供すべきか各自が考えられるようにすることがテーマとなった。

 

「葬祭サービスを提供するプロ(専門家)の育成」という課題が浸透したことには葬祭事業を巡る環境変化もある。

 

葬儀が個人化、多様化し、高度経済成長期に定式化したかに見えた葬儀の常識が変容し、原点に立っての構築、対応が迫られるようになった。

 

家族関係や地域関係が変わり、遺族個々への対応をせざるを得なくなった。

経済格差が拡大し、それぞれに合った適切なサービスの提供も求められるようになった。

 

もはや祭壇の大きさで葬儀の価格やサービス内容を決める時代ではなくなった。

葬祭サービスで求められることの幅も広がり、深度も深くなった。

 

葬儀の現場は大きく変わった。

そのことを痛感しているのは現場の葬祭ディレクターである。

彼らがいなければ今の葬儀現場はどうなっていただろうか、と思うと、継続して葬祭ディレクターを育成してきたことの重要性がわかる。

 

また一方、依然として一部の経営者が葬儀の現場に無理解なまま、数字だけを追っている姿勢は変えなければいけないと思う。

経営と現場が一致して取り組むべき課題はまだまだ道半ばである。


Img_0479

学科試験、実技筆記試験。このほか、実技試験として接遇、司会、幕張がある。
2級受験資格はじつ葬祭実務経験が2年以上、1級受験資格は2級取得後2年以上の実務経験または5年以上の葬祭実務経験


2018年7月 2日 (月)

海洋民族の記憶の古層―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む①

太田宏人さんとの縁で、村田ますみさんから彼の遺稿が収録された本を出す準備をされていると教えていただいた。

 

(注)太田宏人さんについては
ペルーとの関係を含めてわかる晃輝和尚の
https://ameblo.jp/seiryo-koki/entry-12377528763.html

asunohaさん(僧侶)の

http://taka.hasunoha-blog.info/shinsai6year/

私が書いた太田さんの訃報

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-134c.html

私が書いた太田さんの葬儀の報告

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-10c5.html

 

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』(啓文社書房)

である。

アマゾンで予約したが、それに先行して、贈呈いただいた。感謝!

Photo


この本はいろいろな意味で学ぶところが多かった。
海洋散骨について論じる場合に、避けて通れない必読書であろう。
とても丁寧に作られている。

本書については追々書いていき、感想も書かせていただくが、まずは太田さんの遺稿について触れたい。
全体の1割、20ページ足らずであるが、この小論、太田さんらしいキラリと光るものがある。

太田宏人さんは第2章「宗教面から見た海洋散骨」について書いている。

海洋散骨(海上散骨)について、日本の既存の伝統宗教からは、懐疑的な声が聞こえます。しかしながら、この国には「海へ還る」「海で眠る」という伝統があったことは事実です。

 

そして太田さんは「海洋民族の記憶の古層」を指摘する。
太田さんが展開するように、「人種的にも、文化的にも、日本人のルーツは多様」であり、「いくつもの他界観」をもっている。


その一つが「山上他界」「海上他界」である。

四方を海で囲まれた島々から成る日本列島。

長い海岸線に囲まれ、島の多くは山岳地帯。

平野部に後に都市が建設されるが、私たちがかつて住んだ地域は、背後が山で海岸線に沿った集落か、山間にあって河川の傍の集落であるかが多い。

山間部では死者は近くの霊山の麓から「浄土」へ還っていくと考えられた。
海岸線では海岸の洞窟から死者は海の彼方にある「浄土」へ還っていくと考えられた。

宗教学者である山折哲雄が日本の地理から生まれた日本人の浄土観を描いている。
これが近世以前の日本人の「古層」の他界観であった。

 

太田さんは、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を紹介する。

 

仏教の浄土といえば、阿弥陀如来の住む西方浄土が有名です。もうひとつ、観音菩薩が住む、あるいは降り立つ山「補陀落」または「補陀落山」という浄土が、南の海上はるか彼方にあるとされました。

 

私は、太田さんが海上他界に着目したことに彼の豊かな宗教観を反映していると見る。

太田さんの小論は「仏式海洋散骨」はどうあったらいいか、について実践的に書くのであるが、その背後には彼の禅僧としての供養へのこだわりがある。

 

仏教が海の上での散骨そのものについて反対する根拠は、私は希薄だと思っています。散骨に反対する僧侶は、墓制度や、供養の場所として大切な機能をもつ墓の存在と相容れないためと考えているようです。しかし、墓制度そのものは明治以降も常に変化を続けています。また、散骨を選ぶ確たる理由がある場合、やみくもに反対するのは衆生救済、衆生の抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与えること、慈悲)を旨とする大乗仏教の実践者として、どうなのでしょうか。

 

僧侶に対して批判して傍観者になるのではなく、供養をしてほしいと願う人がいれば、参加して供養すべきではないか、と勧めている(もっと穏便にだが)。
そして極めて実践的に仏式の海洋散骨での法事のあり方を提示している。

 

どこでも苦あるところには馳せ参じた。

供養することに生命を削り、一介の聖(ひじり)たろうとした太田さんの姿がここでも見ることができるように思う。

 



 

 

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