葬儀

2018年4月15日 (日)

遺族のケアで考えるべきこと 「死別」ということ―葬祭サービスとは何か?③

「葬祭サービスとは何か?」の第3回である。
第1回は、「葬祭サービスの歴史的文脈」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-6f10.html
第2回は、「死者・遺体の尊厳を守る」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html

■「遺族ケア」の文脈

日本の葬儀で「遺族のケア」が課題になったのはそんなに古いことではない。
1990年代以降のことである。
特に米国から「グリーフワーク」、「グリーフケア」という言葉が紹介されてからである。

米国では、特に戦後のサナトロジー、デススタディ(死学、A・デーケンが日本に「死生学」と紹介)の研究成果がもたらしたものである。

日本では85年前後より終末期の患者のケアが注目され、WHOが全人的な患者のケアと並べて、「家族のケア」の必要性を提唱したのが1990年。

家族は患者との死別という大きな出来事を体験し、死後は「遺族」となって生きる。
医療は患者の死によって終わるが、「遺族のケア」の必要性は終わるわけではない。

終末期医療で「家族ケア」の必要性は説かれたものの、看護師の看護業務の多忙から充分なされていないのが今も実情である。
しかし、これを気にかけている看護師は少なくない。
死による退院後、これを気にかけ、病院の業務としてではなく看護師個人が休暇をとり葬儀に参列するケースも見られる。
そして各地の死別者(配偶者の死、子の死、自死による家族の死等)の会に関心を寄せ、参加する看護師は少なくない。
彼らがいなければ日本のグリーフケア活動はずっと遅れていたであろう。

■遺族ケアに着目していた人たち

ではその前にこの課題に注目はされていなかったのか、というとそうではない。

葬儀というものは2つの面をもつ。
死者と近親者を中心とした葛藤、交流という「内面的部分」と死者を送る儀礼・行事という「外面的部分」である。

葬祭業従事者の業務は、当初はあくまで「外面的部分」の支援、つまり葬具の提供や祭壇等の設営、葬儀の運営ということにあった。
しかし、遺族と接する現場の担当者レベルでは、一部で(けっして主流ではなかったが)、この「内面的部分がもたらす問題」はいやがおうにも直面せざるを得ないものとしてあった。
遺族のことを親身に考えればそうなる。
「ご遺族は身を挺しても守らなくてはいけない」と自らの仕事を深く自覚していた人を私は幾人も知っている。

葬儀に内面的部分と外面的部分があることはある意味で常識である。
しかし葬祭業者が葬儀を全面請け負うことになり、「葬儀」と言えば外面的部分だけを意味する傾向を強くするようになった。
現在の「直葬」「一日葬」「0葬」「家族葬」…の議論は、葬儀の外面部分の議論になってしまっていて、この議論の発展性のなさは、葬儀をあまりに外面的部分にのみ着目していることからきている。

■習俗としての遺族ケア

習俗ということで言うならば、四十九日が深く定着したのは何も仏教が教えたからだけではない。
死別を受容することがいかにたいへんであるか、ということへの共感が強くあったからだ。

四十九日はインド発祥であるが、49日とは言わず、20日、30日と長さはそれぞれだが、世界各地で死後の一定期間を大事にする慣習は少なくない。

四十九日、百か日、一周忌…という儀礼が重要なのではない。
近親者が死別という事実を受け容れることの困難さをそれぞれが体験しており、それが深い共感に支えられていることが重要なのだ。

もとより死別は固有であるから、人によって喪の期間は異なる。
死後7日間過ぎたから、30日、50日、3カ月、1年、2年過ぎたから「喪は終了」、とは言えない。
子を亡くした親の喪は10年経ってもあけることがないのはよくあることである。

僧侶のなかには「何もグリーフケアなどという横文字を出さなくとも、寺では長年大事にしてきた。四十九日に代表される法事もそう、盆もそう、特に最初の盆である新盆は特に重要視される。春秋の彼岸もそうである」と言う者がいる。

確かにそうだ。
しかし、僧侶がそれらを習慣行事としてではなく、個々の檀信徒に向き合って真剣に営んできたかが問われるだろう。

■「死別」の関係性

死別の悲嘆のことを英語ではグリーフという。

もとより死別の悲嘆だけがグリーフではない。
一般の悲しさよりも心を深く傷め、裂くような悲嘆がグリーフで、死別のみならず失恋、離婚、失業、離別その他大きな心の傷みで体験する。
とりわけ死別が代表的とされているのは誰でもが避け得ない出来事であるからだ。

死別の悲嘆は深く関係していた者と死によって分かたれることによって発生する。
関係の薄い者と死別しても発生しない。

また関係は深いが長寿であるとか長い闘病の結果でむしろ死が本人にも平安をもたらすだろうと納得を得られた場合には静かな死の受容がある。

日本では高齢化が著しく進み、80才以上での死亡者が死亡者全体の6割を超えた。
その結果、悲嘆が強くない葬式が増加している。

大正、昭和前期であれば、長寿は80才以上を言い、その場合には長寿を寿ぐようなお祝いとして葬式が営まれることもあった。
だが、近年の葬式は、家族の解体、親戚関係が薄くなったこともあり、高齢になればなるほど会葬者も少なく、遺体処理的な葬式が増える傾向にある、というまた別の問題を抱える。

現状は、「血縁」という理由だけで死者と心的に近い関係とは必ずしも言えない。
家族の変容・解体は進行中である。
およそ6~7割の人は「家族」に親和的、プラスイメージをもつであろうが、3~4割はそうではない。

親族がいて遺体の引き取り手がいない人は2010年のNHK無縁社会プロジェクト調査では3万1千人だった。
おそらく2018年現在はその数は6万人を超えるのではないか。
※単独世帯で看取られずに死亡し、死後数日、数週間経過して発見される「ひとり死」が増加している。東京都監察医務院等のデータから推計すると年間3万人程度と思われる。

必ずしも遺族=死別悲嘆者とはいえない。
また、同じ家族のなかでも大きな温度差がある。

■死別の悲嘆の固有性、多様性

死者と心的に深い関係性をもつ者が死別により深い悲嘆を体験するのは病気ではない。
人間として極めてあたりまえのことである。

昔の葬式で「喪主だからひとさまの前で泣いたり取り乱したりせず気丈に振る舞うように」と奨励することがあった。
だが、それは葬式を外面的な儀礼としてのみ理解して、葬式の本質が死別に伴う作業という内面的部分にあることを忘れ、また死別の悲嘆を第三者が甘く見ての誤った理解からであった。

死別の悲嘆は多様である。

近親者の死はほとんどの人が体験する。
いくつかの類型に分けることは可能だが、関係が個々である以上、死別の悲嘆も個々で異なる。
「私の父が死んだときは…」と一般化することができない。
多くの人が間違うのは、自分の体験した少数の事例をもとに他人の死別を類推してしまうことによって発生する。

配偶者の死の場合でも、その2人の歴史、家庭環境、発生状況、そもそもの関係性等によって大きく異なる。
配偶者の死ということだけで簡単に類型化できない。

基本的に人は個々によって生は異なる。
同じように死別も個々によって異なるのだ。
表象も、涙、怒り、無気力等さまざまである。

人間は他人の死に対しては存外冷淡である。
簡単に了解してしまう。
あの約2万人の犠牲者が出た3・11東日本大震災は死の過酷さを喚起させる大きな出来事であった。
だがその時でも例外ではなかった。
同じ被災地であっても凄まじい温度差があった。
同じ被災地であっても、犠牲者を抱えた人とそうでない人との間には凄まじいまでの温度差があった。

■グリーフケアの限界

近年、葬儀において葬祭従事者の役割としてグリーフケアが注目されるようになった。
葬儀の内面的部分において死別が基本にあり、個々の遺族の支援は死別の悲嘆に無理解であっては不可能である。

しかし誤解してはならないのは葬祭従事者の行えるケアはささやかなもので、せいぜい個々の死別者の自らなすグリーフワークを邪魔しないことだ、ということは理解しておくべきだろう。
最も効果があるのは家族同士、友人である。

但し、誰の支援も得られない人も増えている。
少しの気づき、配慮が葬儀支援で大きな差となることもある。

(注)
「グリーフ」については何度か書いているが、私が書いてまとまったもので、ネットで見られるものには、2003年と古いが、次のものがある。
「グリーフとは何か?」
http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/grief.htm

2018年3月28日 (水)

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

■葬儀はだれのためにあるか?

 

「葬祭サービス」の目的は、葬儀等を十全に支援することにある。

そして葬儀等の目的を集約するならば、死者を弔い、送る(別れる)ことである。

 

これは一義的には死者の尊厳を守り弔うことであり、これを死者の近親者が充分に行えるように、近親者の想いに配慮して行うことである。

 

葬儀の葬祭事業者への発注は死者の近親者から行われるため、葬祭事業者にとっての顧客は発注する近親者であり、近親者のために葬儀を行う、と考えがちである。

それは一概には誤りとは言えない。

しかし単純すぎる。

 

そもそも死者が発生しなければ葬儀はない。

その死者を弔い、葬るために葬儀はあるのだから、葬儀の最大の主人公は死者である。

 

葬儀は誰のために行われるか、「死者のため」か「近親者のため」か、の二者択一を迫られるならば、その解答は「死者のため」である。

葬儀において「死者のため」が貫徹されなければ、結局は「近親者のため」にもならない。

 

仮に近親者が死者をいい加減にし、自分たちの満足のために葬儀を行なおうとするならば、葬祭従事者は近親者の意に反しても「死者の尊厳は私が守る」と心に覚悟するのでなければ葬祭サービスは成立しない。

 

■「遺体管理」は重要な責務

 

近年の通夜の場では、柩に近寄らず、遠巻きにしている近親者が少なくない。

「葬儀」ではなく「遺体処理」の場になっているのでは、と危惧する例が少なくない。

 

何も呼び名が「葬儀」とつくから死者の弔いを大事にしていて、「直葬」だから遺体処理だというほど単純ではない。

 

経済格差も大きいし、それぞれの家族の状況、事情、さらには死に至った状況も個々では異なる。

葬儀の外見だけでは判断できない。

それぞれの個々の固有の事情を見なければわからない。

 

90年代後期から主潮流となった「葬儀の個人化」は、外見では判断できない時代に入ったということである。

 

昔から葬儀が急がれるのは「遺体は腐敗する」からである。

遺体の腐敗が進み、死者の尊厳が失われることへの怖れが葬儀を急がせる。

 

死の状況にもよるが、一般的に言うならば、死亡後2~3日で葬儀を終了するのは、近親者の心情、心理を考えると「別れの時間」が不足している。

3日よりも4日、5日がいい。

少なくとも慌ただしいと近親者が思うことは避けるべきである。

 

問題は遺体を必要な期間管理できるかということである。

エンバーミングを処置するのでなければ遺体の安全な保全には自ずと限界がある。

葬祭従事者の大きな役割の一つが「遺体の管理」である。

 

だがこの任務の重要性に対する葬祭事業者の認識は未だに充分ではない。

正確に言うならば、充分な認識をもっている人、ほとんど認識していない人、その中間にある人が混在している。

 

2016(平成28)年の人口動態統計によるならば、死亡数は1,307,748人。

病院等死75.8%(2000年比▲4.3)、老人施設死6.9%(同+5)、自宅死13.0%(同▲0.9)、その他2.1%(同▲0.7)である。

 

16年前の2000年(死亡数961,653人)と比べると老人施設死が増えて、病院等死が減少している。

老人施設死が増加しているのは老人施設入居者増だけが理由ではなく、かつては老人入居者が危篤になると病院に搬送されて病院で死亡していたケースが多かったのが、病院に搬送して治療の見込みがない場合には、そのまま施設で看取るという考えをする施設が増加したことが多い。

 

1951(昭和26)年には病院等死11.6%、自宅死82.5%であったから大きく変わった。

 

病院等死が2割を超えたのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年。

病院等死が過半数を超えたのが1977(昭和52)年。

この時期を前後に葬祭事業者が大きく増加した。

それゆえ死後の遺体に対する処置は病院がするもの、という観念をもつ葬祭事業者が多い。

 

しかし、病院等での死後の処置は「遺体の管理」という観点で見ればはなはだ不充分なものである。

 

■遺体の変化、感染症 

 

遺体の死後変化は死後1時間内外から発生する。

外見的に死後硬直が出る等明らかになるのは主として病院等から出て以降である。

また病院では死後硬直が進む以前に死後の処置を済ませようとする。

 

だから看護師等は遺体の死後変化については無知に等しく、その対処は充分ではない。

病院における死後の処置はとりあえずの処置に過ぎない。

 

では遺体の変化に直面する葬祭従事者が充分に認識しているか、と言えば残念ながらそうではない。

葬祭従事者も死後変化については正確な認識に乏しく、公衆衛生的配慮も不充分である。

せいぜいドライアイスをあてるだけで遺体は管理不在の下におかれる。

 

遺体の変化は病気、死因、環境によって大きく異なり個体差が大きい。

また日々変化するので細かな観察が欠かせない。

遺体の管理に心砕く事業者はいるが、それは少数派に留まっている。

 

※遺体の変容については

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

 

「遺体処置」といえば納棺、湯灌を外注化するところが多い。

一般により丁寧な作業が行われているが、腐敗進行という観点で見るとおよそ効果がない処置である。

 

葬儀の祭壇設営、式の進行は専門分野であるが、遺体の管理は専門外であると認識している葬祭従事者があまりに多過ぎる。
これでは「丁寧で高品質な葬祭サービスを提供している」とは言えない。

 

葬祭従事者は、自分がわからないものだから病院等での専門職である看護師による死後の処置を過剰に信頼し、映画『おくりびと』が人気になれば納棺・湯灌の遺体処置業者に丸投げするケースが少なくない。
極端に言えば遺体の顔も状態にも無関心な葬祭事業者があまりに多過ぎる。

遺体を遠巻きにするのは近親者だけではなく、葬祭従事者も同様である。

 

遺体を詳細に観察している葬祭従事者は理解していることだが、顔面に浮腫等が発生し、近親者が会葬者に遺体との面会を嫌がる事例は1015%程度あるし、身体に至っては5割以上に見られる。臭気も無視できない。

 

また遺体は公衆衛生的にも安全とは言えない。

感染症でも特に危険な一類・二類、三類および指定感染症については厳しく管理され告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡の場合以外は死亡診断書・死体検案書に記載されない。

多くの場合、個人情報であることを理由に開示されない。

また医師が遺体の保持している感染症のすべてを把握していないケースが多い。

 

それゆえ葬祭従事者が遺体を扱う際には、危険な感染症を保持していることを前提としたスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて遺体を取り扱う必要がある。

 

遺体に接する近親者、葬祭従事者への公衆衛生的配慮にもっと関心を払う必要がある。

 

■死者の尊厳を守るということ

 

死者の尊厳ということは、生前の死者の功績や名声に無関係に、また葬儀費用の高にも無関係に誰にも等しく認められるべき権利である。

いのちの尊厳に欠かせない、葬送に従事する者にとって最も重視されるべき理念である。

近親者から遺体を預かり、葬儀が完了するまで葬祭事業者が遺体の管理の責任を負っていることの重要性は極めて大きい。

 

死者の尊厳を守る意味では、東日本大震災の教訓から、葬祭従事者の誰もが、公衆衛生に配慮した遺体対応ができるようになっていることが社会的責任としてある。

 

エンバーミングは現在年間4万体に処置されている。

死亡数に対して約3%である。

2000年に2万体を越し、この時が約1.7%であったから処置件数は倍に、割合も1.8倍近く増加している。

でも、事業者、施設、技術者が少なく、まだまだ選択肢になりえていない地域が多い。

 

※エンバーミングについては

http://www.embalming.jp/

 

浮腫の激しい遺体、事故遺体、病気でひどく変容した遺体、海外等に居住してすぐ帰れない近親者、子どもも高齢者も安心して死者と対面できること等を考慮すれば、エンバーミングの処置率は全体の30%程度には可能になるのが望ましい。

事業利益の向上のためではなく、遺体の尊厳、ゆとりある別れの実現のため、エンバーミングは積極的に検討されていいと思う。

 

エンバーマーの養成機関

https://www.humanceremony.ac.jp/subject/embalming/

 

2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

Photo_2

 

目次

Photo_3

互井住職×碑文谷創

Photo_4

Photo_5

Photo_14

Photo_15

合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

Photo_12
Photo_13

2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

Epson044

 

談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
18
時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
1
ページだてである。

Epson038

 

https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
1
年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
15
分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






2017年12月22日 (金)

最新死後事情ー講演録

昨日(2017年12月21日)午後に東京・飯田橋で関東シニアライフアドバイザー協会のビバシニア講座で講演してきた。
古くからの仲間である田島エリコさんから紹介された。
同協会では電話相談を受け付けており、最近は樹木葬やらの葬送関係の問い合わせも多く、電話相談の受けて向けに話を聞かせてくれ、というのが主旨。
行政書士、社会福祉士、医業経営コンサルタントなど多彩な肩書をもつ方々が多かった。

パンフレットには次のように書かれていた。

一人暮らしが増えて人生の終末期の考え方も大きく変化してきました。
身寄りのない人は死後処理や葬儀、お墓を生きているうちにきちんと決めておく人が多くなりいろいろな選択肢が出てきました。
特に「樹木葬」「散骨」「納骨堂」などの新しい情報を知ることが大事です。
今回は、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏を講師にお迎えして詳しくお話していただきます。


90分の講義の後で30分の質疑。
最近の講演ではできるだけ写真を多用している。
葬儀の変遷、永代供養墓、散骨、樹木葬…耳では聞いたり、読んだりしているがイメージがさまざまなので、見てもらうことがいちばん、と写真を見せる。
最近は講演を頼まれると、依頼テーマに合わせてパワーポイントで資料を都度用意する。
全部新規というわけではない。
過去の資料を再構成しプラス新規ということが多い。
同じテーマで話すなら楽だが、構成が新規となると時間配分が難しい。
今回は樹木葬等の墓の最新事情というのが最初の依頼であったが、これに家族葬、直葬などの葬儀の最近の動向も、というので話す量は倍になった。
資料は倍、話す時間は90分だから、どう時間配分したらいいか悩む。
だから、ここは資料を後から読んでくれ、とか途中カットしながら進める。

以下は昨日の講演の資料(但し、写真はカット)

◎タイトル:
最新死後事情 家族葬、直葬、散骨、樹木葬が人気だが。 多様化する葬送

◎主旨:
´社会が変わる今の社会は少子化・高齢化・多死社会へまっしぐら。「家族」も核家族すら危うくなり、個人化、単身世帯の増加が進んでいます。社会の経済格差も拡大しています。
´葬送習慣が変わる地域共同体、血縁共同体を中核に形成されてきた葬送習慣が急速に崩れています。
´葬儀が変わる葬儀をしない火葬のみの直葬、近親者中心の家族葬、葬儀はさまざまになりました。一方、死と葬式の自宅離れが進み、葬儀会館での葬式が中心になり、まるごと葬祭業者への依存が進んでいます。葬式の宗教離れも進行中です。
´墓が変わる:跡継ぎ不要の永代供養墓、墓を不要とする散骨(自然葬)、樹木・森との共生を求める樹木葬…等新しい葬送形態も生まれています。
´死のもつ特性:死は計画できない。死はいつか、どのように、わからない。誰もが死ぬのは確実だが。終末期、死後のことは誰かに頼まないとできません。死は自分だけの問題ではない。事前に意思を示すことや準備はできるが

◎変わる社会
1 少子多死社会(1955年から2075年までの出生数、死亡数の予測を含めたグラフ)
2 本格的な高齢社会(超高齢社会) (0~14歳、15~64歳、65~74歳、75歳以上人口の構成推移と予測グラフ)
3 死亡の場所の割合推移(グラフ)
4 伸びる平均寿命(平均寿命の推移と予測グラフ) しかし、誰もが長命ではない。80歳過ぎたら認知症リスク
5 世帯構成・世帯構造の割合推移(グラフ) 一人世帯が増え、三世代世帯は減少 「ひとり死」のリスク
6 高齢者世帯構成・世帯構造の割合(グラフ) 高齢者はだれが看る 嫁、配偶者→娘、同居の未婚の子(娘、息子)、誰もいない、一人暮らしを選ぶ人、一人暮らしをしなくてはならない人

◎死者のいのちの価値比べはしない
それぞれによって死別の意味は違う。
それぞれの人にとって変わるもの。
それぞれにとってかけがえのないもの。
残念なことに人間は他者の死に無頓着。

◎看取りの大切さ
看取りはお葬式より大切。
でも看取れない死もある。
その時は通夜が大切。


◎お葬式の変遷(写真)

◎葬式はどう変わったか?
■会葬者数の推移
 1991 280人  2011年 114人 2017年 40人?
■社会儀礼中心の葬儀→個人の葬儀
 マニュアル葬儀はイヤ→その人に合った葬儀
■デフレ→格差社会

◎どんな葬式だったらイヤか? 「0葬」「直葬」が出現したわけ
■簡略な処理の横行 
 引き取られない遺体約6万体
 増える「送骨」
■ゆっくり別れる
■送るのは血縁者とは限らない時代に
■「直葬」葬儀儀礼をしない葬儀  「0葬」拾骨をしない
■マニュアル葬儀はイヤ
 お仕着せ
■意見を聴いてくれなかった
■慌ただしい
 ゆっくり別れる時間が取れなかった

◎家族葬は人気だが、「家族葬」って何?
1995年に現れた「家族葬」
 本人と親しい者だけでゆっくり別れたい
 本人を知らない人が7割の葬儀への疑問から始まる。
■「家族葬」には定義がない ⇒近親者葬
 数人から80人までの幅
■「家族葬」が本人とほんとうに親しかった人を 拒むのは正当か?
■「家族葬」は「安い葬儀」?「簡略な葬儀」?

◎あなたが弔ってほしい人は誰ですか?
■「迷惑をかけたくない」というが
 「迷惑」とは何か?
■誰が「近親者」なのか?
■死は「高齢者」のものか?
■死後の事務処理を委託する場合
 生前契約書
 公正証書遺言 祭祀承継者の指定 負担付き遺贈

◎残る問題
■葬式にお坊さんは必要か?
■遺骨の行方 散骨、樹木葬、永代供養墓
■死別で発生すること グリーフ


◎お墓の世界
´新しい形態のお墓を選ぶのはもはや例外ではない。
´承継者が必要としないものを選ぶ傾向も。
´家族が一緒に入るのも悪くはない。

◎墓の略歴
 墓地は古来よりある。
´民衆が墓をもったのは戦国時代以降
´江戸時代までは個人単位の墓
´明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
´1955年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
´1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
´1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
´2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。

そもそも墓は?
´墓地埋葬法に規定。
´墓地、納骨堂は特別区と市が許可権限。
´埋葬=土葬 火葬が進み、現在ほとんどない。
´焼骨の埋蔵 墓地に限る
´焼骨の収蔵 他人の焼骨を預かるのは納骨堂に限る。
´墓地、納骨堂は一部例外はあるが原則として地方自治体、宗教法人以外には認めない。
´寺墓地 檀信徒用 境内墓地 宗教施設
 事業目的(檀信徒以外に供する)は民間霊園
 
宗教法人の墓地 名義貸し禁止。土地が宗教法人の所有が条件。

◎永代供養墓(えいたいくようぼ)
1985
比叡山久遠墓
1990年前後新潟妙光寺安穏廟
京都 女の碑の会「志縁廟」
東京巣鴨 もやいの碑
マスコミが話題に
今、遺骨処分場になるケースも
´永代久遠墓 「貴方自身の子孫に代わり、永代に亘り供養する墓地」(HPより)
´永代供養墓 跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓=無縁塔ではない。
´人間の生き方はさまざま、どんな人のためにも寺は開かれている。それぞれの生き方、生を尊重し、承継者のいかんにかかわらず寺が責任をもって供養
´永代供養墓 理念なきものは不人気
´信頼されると会員から檀徒になる事例も多い
´子がいる事例が多い。 親が選んだ場所というので墓参する子が多い。
´血縁という枠を取り払う事例も。
´生前から係わる

永代供養墓 新潟 妙光寺安穏廟(写真)

東京・巣鴨 合葬墓 もやいの碑、飛天塚(写真)

東京・中野 明治寺 多宝塔(写真)

長野県松本市 神宮寺永代供養墓(写真)

◎散骨(自然葬)
´1991年 葬送の自由をすすめる会 相模灘で散骨実施 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。自然葬」という言葉は、本会が1991年2月、発足にあたって起草した「会結成の趣旨」の中で初めて使われました。」(HPより)
´「厚生省が公認」は朝日社会部のフライイング
´法的一般的解釈 「遺骨を遺棄(捨てる)する目的ではなくあくまで葬送を目的とし、相当の節度(①細かく砕き、原型を残さない、②風評被害を招かないよう生活用水としての川、養殖場や海水浴場の付近を避ける、③付近の住民の感情を尊重等)をもって行うならば刑法190条遺骨遺棄罪にはあたらないだろう。
´墓地内の散骨場では可
´地方自治体によっては条例で禁止、制限もある。
´厚労省は「墓地埋葬法は散骨を前提としていない」とは言うが「合法」とは言っていない。

カズラ島 散骨場(写真)

◎樹木葬
´1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。自然保護に共感する人が墓地として使用することで理念に共感し、自然保護活動を支援
´墓地として許可を得るので粉骨の必要なし。
´穴を深く掘り(1メートル以上)遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。
´エンディングセンターが2004年「都市型樹木葬」として東京町田いずみ浄苑内に「桜葬」
´その後「樹林葬」とかさまざま理念なき世界に

岩手県一関市 知勝院樹木葬墓地(写真)

エンディングセンター樹木葬 桜葬(写真)

千葉県袖ケ浦市 真光寺里山葬(写真)

以上。

資料をきちんと説明するなら180分かかるので途中省略しながらである。

後の質問では週刊文春の「ビル型納骨堂の利点と難点」について質問された。
私の見解は明確である。
「全部とは言わないが、ほとんどが理念より事業、もうけを目的としており薦められない。また永続性ということでも疑問がつくところが多い。基金などつくって運用しているかチェックが必要だろう。」
というものである。

永代供養墓の選択基準についても質問された。
「3万円から90万円まであるが、安ければ良識的ということでは全くない。全国に数は多いが、理念がなく、無縁塔の衣を替えただけのものが8割といっていい。死後を託すのだから託す信頼がおけるか見極める必要がある。」
というのが回答。

 




2017年10月14日 (土)

民俗、習俗にとっての遺体ー遺体論④

「遺体論」は今回をもって最終回とする。



民俗、習俗において「遺体」とはどういう存在だったのか?―遺体論④

 

 

はじめに

古来、日本人は遺体をどうとらえていたのであろうか?
ここで葬儀習俗に残るものを手掛かりに述べるが、そういう形に定着するまで時代変遷があったはずである。

たとえば民衆が地域共同体を確立する以前はどうであったか?
都市での民衆の死体が路傍や川のほとりに棄てられていたという光景が伝えられるが、そこで民衆は人の死、そして遺体をどういう目で見ていたのだろうか?
単純に棄てられる例もあったろうが、その状況にあって、その時代の民衆は割り切ることのできない感情を抱えていたのではないか?

たとえば第二次大戦下、大陸で敗戦直後の状況で逃げまどう中で、死亡した老人や子たちの遺体を処理するために穴を掘り設けた場所に家族の遺体を置いてきた人々の心情はどうであったのか。
その時そうせざるを得なかった、遺体を火葬にして遺骨を持ち帰る時間的にも精神的にも余裕を奪われていた人たちが、その後どういう想いを抱えてきたのか。
今、私たちはその体験者の想いを記録、書かれたもので知ることができる。


戦友の死について、放置してきた人の記録もある。
あるいは家族はもとより関係者不在の中で死亡した人、名前を全く知られることなかった遺体が多くあった。

また、家族がどのように死んだのか、まったく情報がなかった人も少なくない。
名前も知られなかった遺体、飛び散った遺体が数多くあった、ということと、近親者の死についてまったく情報がなく、思いめぐらした人たちが数多くいた、ということは、同数ではなかったにせよ、裏表の面がある。

70年以上も前の昔の話」と言われるが、私が生まれた直前から遡ること20年間の短期間に起こった
ことである。

 歴史で言えば近現代史の話である。

私は東北人であるから、昭和の前期にあった東北大飢饉のことも想起せざるを得ない。
残って飢えた人たちだけではなく、そこにいられず逃げ出し、ある者たちは売られて関東各地に出てきた。
そこで名もなく死んでいった者たちがいた。

想像を絶する話であるが、1930年以降に生じたことは、まだその一端を記録で読むことができる。
ただ死者たちの肉声はないが。

古代の「棄葬」についても記録の多少はあるが、それについて民衆がどう考えていたか、おそらく立場によってもさまざまであろう、個々の想いを知ることは困難である。

私たちは「知らないことが多い」という地点から出発せざるを得ない。
そして今の私たちが死者たちに抱く想いが単純であり得ないように、私たちとは異なる点が多いだろうが、過去においてもけっして単純であったはずはないだろう。

ネアンダール人の3万年前以上前の墓であった北イラクのシャニダール遺跡から死者を弔い葬った跡と思える花粉が発見された。
これは死者を弔い葬る人類最古の証として注目され、私も大興奮した。
今も信じたい気持ちは強い。
(もっともその後の研究では、花粉は動物が持ち込んだ可能性も否定できないようで「明らかな証拠」とは言えないようだが)

だが、これだけは言える。
シャニダール遺跡が最古かどうかは別にして、少なくとも1万年以上前から人類は死者を葬る時に何らかの弔いの儀礼を伴ってきたことがある、ということ。
おそらく弔われないで葬られ、放置され、棄てられたことも多かったと思うが。

日本人の死についての習俗は、5千年前、数万年の話ではない。
もっと後代の話である。
それでも今から見れば充分に古い話であり、しかし、時代を経過し、その過程では変容もしたであろう、伝えられてきた話である。
そのことを前提として、その一端を見ていこう。

葬儀習俗と遺体

 

1)魂よびと湯灌

 

人が死亡したと思われると「魂よび(魂よばい)」と言われる動作が民俗では見られる。
死者の枕元であったり、屋根に上がってであったり、井戸に向かって、といろいろであるが、その人の名を呼ぶ。


死とは、魂(霊)が肉体から遊離することであると信じられていたため、魂に呼びかけ、再び肉体に戻り、再生することを願って行われた。

その後再生儀礼が、死の事実確認儀礼へと意味を変えていく。


これは最近の話であるが、例えば80年代までは病院の死の臨床現場ではよく行われたことであるが、危篤に陥ると医師は家族を病室から追い出し、患者の上に乗り心臓マッサージを試みる。
それは時にはあばら骨が折れるほどでもあった。
しばらくその行為を行った後、家族を病室に招き入れ、汗をかいたまま「手を尽くしましたが、残念ですがご臨終です」と宣告する風景はよく見られたものである。
この臨終時の心臓マッサージは再生を装った死の事実確認儀礼となっていたのである。


この魂よびの習俗から理解されることは、遺体とは魂が遊離して残された身体、つまり亡骸である。


では遺体は魂の抜けたものという理解が徹底していたかというと必ずしもそうではない。


現代の「湯灌」は古い習俗というより、在宅高齢者の入浴サービスから転じたものである。
これと異なり、かつては、
納棺するに先立って、身近な人の手で湯灌をすることが行われた。
これは死者の霊魂の浄化を願って行われたとされる。
したがって必ずしも霊魂が完全に遊離した状態に遺体があると理解されてもいなかったようである。
(実用的には、座棺が主だった時代にあって、死後硬直した死体を納棺する際、死後硬直を解くのに湯灌は役立ったといわれる。)

 

2)位牌と遺体

 

神葬祭(神道による葬儀)では、遷霊祭(せんれいさい。みたまうつし)を大事にする。
通夜に行われる儀式であるが、死者の御霊(みたま)を遺体から霊代(たましろ)である霊璽(れいじ)に移す儀式である。


霊代は、中国では儒教で用いられ、その影響を受けて仏教の位牌は誕生した。真宗では用いない。
位牌に死者の霊が宿っていると信じられ、葬儀では位牌が祭壇の中央に飾られたり、葬列や出棺の際には喪主が位牌をもったりして、極めて大事にされる。


死は、肉体から霊魂が遊離した状態であると信じられ、その霊魂を祭るのが葬儀であるから、位牌が中心になる。
ちなみに遺影が使用されて以降は遺影がむしろ中心的に扱われる傾向にある。
死者の面影という認識で霊魂観が弱くなっていることを反映している。


アメリカ等では、葬儀は遺体との別れが中心になっているのに対し、日本では、少なくとも論理的には位牌、つまり霊魂が中心になっているのが特徴的である。

 

3)儀式における遺体の位置

 

日本においても、葬儀では位牌がどちらかといえば中心になってはいるが、通夜などにおいては遺体が中心を占めている。

これは通夜(今は通夜は葬儀の逮夜、前日という理解が主流だが、かつては死亡直後の夜から葬儀前夜までが通夜であった)が生と死の境界線上にあるからである。
通夜の間は、必ずしも霊魂が肉体から完全に遊離していないという認識からであろう。
通夜では、身近な者が遺体を中心にして死者との最後の宴会を行った。


戦後の高度経済成長期以降の葬儀式・告別式となると、遺影写真の一般化もあって事情は変化する。

今、葬儀で遺体の納められた柩は祭壇の前面に置かれる。
かつては、といっても葬列の時代から祭壇の時代に移って以降であるが、異なる。

遺体が腐敗を開始するという事情もあったろうが、それによる腐臭を近くに感じないようにと、70年代までは遺体は祭壇の後ろに置かれることが多かった。
経緯としては、葬列が告別式に変わり、告別式の装飾壇である祭壇の上部に輿を模した宮型が置かれたので、宮型の後部に柩が置かれた。宮型は「棺前(かんまえ)」と呼ばれたこともあった。
しかし、実際には臭いからできるだけ遠ざけるという意味合いもあったのではないか。
江戸時代の図絵を見ると、寺院に運ばれた遺体()は寺院の内陣には置かれず、外陣に置かれた。


だが、葬列は明らかに遺体()が中心である。

遺体に対しては愛着と忌避の複雑な感情があったことがわかる。


ちなみに80年代(早いところでは70年代)以降は遺体(柩)は、祭壇の前に置かれることが多くなったが、これはドライアイスの使用が一般化したことと、自宅葬で運び出しに便利という理由だからである。

寺葬で柩が内陣に置かれなかったのは、葬列が到着するのを受けて本尊を背に引導を渡したと説明されることがある。
だが、それは理屈で、ケガレ意識から寺も逃れられなかったことを示すように思われる。

2000
年以降、寺葬に積極的な僧侶は、寺の荘厳(しょうごん)を用いて祭壇の仮設なしに内陣で葬儀を執り行うケースもある。

 

 

死穢意識-民俗としての「遺体」

 

1)死と穢れ

 

日本の葬式において遺体が愛着されながらも、むしろ見た目においては忌避されることが多いように映るのは、「死は穢れである」という意識の所産であると言えよう。


死が恐怖の対象として理解されるのは日本特有のことではない。
高齢者の死が4分の3以上の時代になり、死は生の完成、終結という考え方も現れるようになった。
しかし、これは戦後の80年代以降のことである。
高度医療が進み、社会的に安定する以前は「死は生を奪うもの」という考え方が強かった。


かつては高齢化と死は今のように直結しておらず、高齢での死はむしろ珍しいもの、幸せなものと認識されていた。
高齢になったから死ぬのではなく、突然の災害、病気によって絶たれる生が多かった。

戦前は日本に限らず、死亡者数全体において高齢者の死者が占める割合は3割未満であったろうと思われる(昭和初期は80歳以上での死は全体の3~5%)。
乳幼児の死亡率が高いということがあったにしても、若くての死が珍しいことではなかったといえる。

(注1:
死の高齢化 昭和初期の80歳以上の死亡者の全死亡者に対する割合は3~5%である、と記した。近年だけ見ても、これは顕著に割合が増加している。1990年:38.7%、1995年:42.0%、2000年:43.8%、2005年:48.6%、2010年:55.4%、2015年:61.3%。最新の2016年は62.4%で、男性は51.7%、女性は73.8%となっている。人口動態統計を加工。)
(注2:
寿命中位数 生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数を寿命中位数という。1955年:男性69.79年、女性74.19年、1965年:男性72.00年、女性77.04年、1975年:男性75.31年、女性80.17年、1985年:男性78.06年、女性83.38年、1995年:男性79.49年、女性85.73年、2005年:男性81.56年、女性88.34年、201583.76年、女性89.79年。完全生命表(5年ごと発表)による。毎年発表される簡易生命表によると2016年:男性83.98年、女性89.97年となっている。平均寿命より約3年長くなっている。
平均余命(平均寿命)の推移を見ると、1891(明治24)-1898(明治31)年:男性42.8年、女性44.3年、1947(昭和22)年:男性50.06年、女性53.96年、1955(昭和30)年:男性63.60年、女性67.75年、1975(昭和50)年:男性71.73年、女性76.89年、1995(平成7)年:男性76.38年、女性82.85年、2015年男性80.75年、女性86.99年となっており、戦前までは人生4050年であり、高齢化とは戦後の現象であることがわかる。1955年以降に人生6070年、1975年以降に人生7080年、2015年以降は人生8090年時代に突入している。)


日本においては、死の恐怖を「死霊が取り憑く」と表現した。
それゆえ死霊に取り憑かれないために浄めが考えられた。

だが、こうした強烈な表現の背景には、死そのものの恐怖と同時に死体が腐敗して変貌する恐怖もあった。
遺体に対する忌避の感情は、腐敗に根ざすところも強く影響した。

 

2)死は伝染する

 

遺体に触ると「穢れに染まって死霊が取り憑く」と理解され、また死者の出た家のかまどとは別火で食事をしたというのは、死はうつる、伝染するものと理解されたことからきている。


おそらく当時は明確には自覚されていなかっただろうが、感染症(かつて「伝染病」、古くは「疫病(えきびょう)」と言われた)に対する恐怖心があったのだろう。
感染症の蔓延を根拠として死一般が伝染するものという観念を生み出したものと思える。
死穢に染まることを今から見れば異常なほど嫌ったし、また遺体処理に携わる者(火葬従事者、墓堀、柩の担ぎ手)を差別した。

「忌中(きちゅう)」とは死後49日間と言われるが、死穢(しえ)が浄化されない間は死者の家の者は社会から隔離し、これを「忌み」といった。

 

3)遺体は変貌する

 

死そのものに対する恐怖心は、死体の腐敗による変貌の様(さま)により、より強化されたようである。
死によって体温は低下し、死斑(しはん)が出て、全身に広がり、死体は硬直していく。
腐敗が始まると異臭を放ち、肉体は解体を始めていく。


第三者にとってこうした遺体の変貌する様は忌避すべき対象となる。
と同時に家族にとってもこの変貌は精神的に辛いものであった。
それは愛する母であり、父であり、夫であり、子供であるものが、次第に生前の様子を失い、尊厳を失い、まさに死霊に取り憑かれたとしか表現のしようがないものに変わっていくのである。


こうした死体の変貌に対する恐れが、死者に対する愛着がありながらも葬式を早く、慌ただしく出すことを促した。


火葬により、白骨化した様(さま)が成仏の徴と理解されたのは、白骨化によりもはや恐怖の変貌を見なくてすむということで、浄化されたと理解されたためであろう。

 

4)死穢への対抗手段

 

死穢(しえ)に対抗するためにさまざまな手段が講じられた。
死穢に染まったと思われる者を隔離することもその1つである。

「浄め」と言われているのは、死穢からの浄化を意味していた。

 

①塩、水による浄め

 

今、会葬御礼のはがきに浄め塩が同封されることが多いが、これは70年代に葬祭業者が考案したものである。
そもそもは火葬場からの帰りに家に入る前に、家族に身体の要所に塩をふりかけてもらってから家の内に入ったものである。

古くから海水、塩、水は穢れへの対抗手段として考えられた。
死穢に染まったとされる者は海水を浴びたり、水を浴びたりした。

これは現代的に解釈するならば、洗浄し、消毒しているのであり、塩や水がこれに効果があると信じられた。
正しい知識とは言えないが、昔の人の公衆衛生意識の反映である。。

 

②酒食による浄め

 

例えば、土葬時の墓を掘る役目の人には大いに酒食を振舞ったとされる。
酒は恐怖心を薄れさせ、食事をたくさん食べることにより健康で死霊を撥ねつけると信じられたからなのだろう。
酒や食事が死穢への対抗手段として有効なものと考えられていたようである。

 

今日の葬儀の習俗にも死穢観念の残滓(ざんし)があり、浄めも残存している。
しかし、時代状況が変わったために、切実さは姿を消して、形式として残っているだけである。

形式として、言葉として残っているところに死穢観念の根強さを見て取ることもできるかもしれない。

現代において、習俗の模倣による継続を再検討すべきことも確かであろう。
死穢観念は、かつての若くての死、疫病等への恐怖という死に対するリアルな認識に根ざしたものであった。
それ故に、今では根拠のない死穢観念を追放することは正当であるが、死に対するリアルな認識を放棄してはならないと思う。

 

遺体を巡る遺族の心理

 

1)アンビバレントな感情

 

遺体に対する遺族の感情は複雑である。


死んで遺体となっても、霊魂は分離したと言われても、なお愛する肉親であるという感情から抜け出すことができない。
一方で生前とは容貌が変化した遺体があり、恐怖感もある。


こうした矛盾した2つの感情にとらわれるのが遺体である。
愛惜と恐怖のアンビバレント(両義的)な感情にとらわれるのが遺体という存在である。


第三者が遺体を見る感情と愛する者が見る感情とでは大きく異なる。


冬に掛け布団1枚だけであれば「寒くないか」と思い、ドライアイスで凍らされると「かわいそうに」と思う。
死者に向かって生前と同じように語りかける。
遺体とは愛する者にとっては完全な死者ではなく、いまだ生き続けている家族でもある。


1988
年に日本に導入されたエンバーミングは、こうした遺体へのアンビバレントな感情から解放し、心ゆくまで死者と触れ合いながら時間を共有して別れる機会を提供する。
そのことによってより人間的な関係感情と共に死の事実を受け入れることがより可能となる。

もちろんこれは死生観に関する問題もある。
朽ちる遺体を見て死の事実を認識することもあるだろう。
だからどういう形で死者と別れたいか、というのはそれぞれが自由意思で選択されるべきものである。

 

2)火葬を巡る心理

 

火葬を境にして遺族の心情は大きく変化すると言われる。
火葬までが長引くことによって不安になり、また火葬がいざ行われようとすると動揺する。
火葬が終わるとこの不安と動揺が諦めを伴い鎮静化される。


拾骨(骨上げ。ちなみに火葬場で「収骨」と表記されることがほとんどだが、意味的には「拾う」のであって(骨壺に)「収める」ではない。何とかならないだろうか?役所が右倣えでやっているものを変えるのは絶望的だが)の際に近親者の緊張感が緩むことはしばしば見られる。

火葬の日取りが決まらないと遺体の変貌に対する恐怖心、不安な気持ちが強くなる。
火葬が行われようとすると、愛する家族が喪われるという恐怖感、淋しさによって支配される。

いざ火葬が終われば、恐怖心はなくなるが、もう会うことができないという諦めに心が支配される。
身体へのこだわりがなくなるので、死者への思いは精神化される。 


この状態を指して「遺族の気持ちが落ち着いた」と言うことがあるが、具体的に執着する対象である遺体がなくなって、緊迫感から解放される。
そして悲しみが深く心の底に沈殿している状態に近くなるようである。


したがって悲しみがなくなるわけではない。
事実、火葬後5日くらいすると死別が傷みとなって近親者の心を襲う事例は少なくない。

 

3)解体と尊厳

 

遺族あるいは死者と身近な人にとって、その人の死を容認することは避けたいという心情がある。
もちろん近親者だからといっていつまでも拘泥(こうでい)するとは限らない。
死者との心の交流がいかほどであったかなどによってここには温度差のようなものがある。

同じ遺族であっても、一方はいつまでもその死を認めたがらず、悲しみにくれていて、他方ではあっさりとその死を認めている人もいる。
あるいは友人などが遺族以上のこだわりを見せる場合もある(悲嘆の代行)。

また、遺族の感情はそのまま表面化するわけではない。
悲嘆を押し殺して感情の安定ぶりを装うこともある。


通夜や出棺に際して、親しい弔問者に故人と対面させることがある。
「眠っているようようで、おだやかでしょう」と対面を勧めることもあるが、長期の入院などによる死後の変化により容貌が著しく変貌している場合には、遺族はこれを拒否したり、避けたがる傾向がある。


対面を拒否したり、避けるときには、遺族には故人の尊厳を守ろうとする意識が働いている。
故人の容貌の変化、悪化は、愛する者の解体であり、それは遺族および身近な人にとっては、自らの精神的危機にもなる。
遺体への執着と遺体の解体の危機は、精神的に極めて不安な状況作り出している。



以上、「遺体論」を終える。
別に論じているものがあるのだが、公表してからまた掲載したいと思う。
長い間、退屈な議論に付き合ってくれた方々に感謝する。
おそらく拙い議論ゆえであろうが、「遺体論」には近づきにくい雰囲気があるのだろう。
今まで書いたものでは格段に読まれなかったものの一つとなった。
ま、書くべきものを書く、というスタンスはこれからも同じである。

 

2017年10月 9日 (月)

弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③

弔われない遺体

 

①行旅死亡人(身元不明の死者)

 

1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。

この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。

7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をなすべし」とある。

 

行旅死亡人は、死亡地の市区町村により官報に記載される。
遺体は腐敗するので身元が判明するまで保全できないので、公費によって(約20万円)火葬され、骨壺として遺留物と共に各役所の責任で一定期間保管される。

 

官報記載例をあげておこう。

 

「名前本籍・住所・氏名不詳年齢6070歳位性別男性身長167cm身体的特徴体格中肉着衣灰色トレーナー長袖ハイネックシャツ黒色ズボン黒長靴所持品現金3,110円在中の小銭入れ上記の者は、平成2×年6月●日午後零時●分頃、●●市の●●川河口から北へ500メートルの●●湾で発見され、死亡年月日・死因は不詳。身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市生活福祉課まで申し出てください。」

 

「名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 5060歳位 性別 男性 身長 175センチメートル 身体的特徴 やせ型、短髪白髪混じり 着衣 none 所持品 カバン(黒色) ポーチ(黒色) 財布(2つ折り、黒色) 現金60円 腕時計 電気髭剃り 果物ナイフ 眼鏡 はさみ

上記の者は、平成2×年●月●日午前9時●分、●●市●●公園●番●号●立●●公園内●●東方付近樹木で縊死しているところを発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。お心当たりの方は当市生活福祉課までお申し出ください。」

 

これで身元が判明するというのも無理があるだろうが、行方不明となった家族を必死に捜そうとすれば類似ケースがあるかもしれない。

 

なお、行旅死亡人についての全国統計はない。

東京都で年間約100人程度、全国でも約1000人程度であるというのが2010年のNHKの調査でわかった。

 

②引き取り手のない遺体

 

その他身元は判明しても引き取り手のいない遺体がNHKの調査(20101月)によると約3万1千人。

身元判明し縁者を見つけても甥や姪というケースが少くなく、「縁者」というだけで、実際は「他人」に等しく、遺体の引き取りを拒否するケースが多いという。

 

NHK調査によると、縁者が親子、きょうだい関係にある場合は引き取られる率が高く、引き取られる率が低かったのが叔父、叔母―甥、姪の関係にあった場合、という。
但し近年は親子関係も危うくなっている。
中高年の一人暮らし世帯には離婚した者も少なくない。
離婚して妻方に引き取られて年月の長い子が一人暮らしの父の死にあたって遺体の引き取りを拒否する例も少なくない。


人口動態総覧(2016年)によると
離婚は216,798組で結婚の620,531組に対して34.9%になることから推定されるように、一度結婚しても離婚経験する者は3割以上はいると思われる。
2016
年については、全離婚組数のうち、結婚5年未満が31.4%、510年が20.5%、以下年数が増えるにしたがって割合は低下し、1015年が13.6%、1520年が10.6%、2025年が7.8%となっている。結婚25年以上でも9.6%いることから結婚年数に関係なく離婚の危機はある。
離婚は子がいない場合が41.9%と多いが、別に言えば半数以上に子がいる。
離婚者の年代を多い順に並べると(全離婚者の内訳)、男性では3033.1%と最も多く、4028.8%、2015.8%、5013.6%、606.3%、701.9%、80歳以上0.4%、100.4%、女性は順に3035.3%、4027.3%、2021.9%、509.7%、603.7%、701.1%、100.7%、80以上0.2%
80以上が少ないのは配偶者の生存率の低下、10代が少ないのは結婚数が少ないことからきている。
20
代、30代と子どもが小さいうちに離婚し、以後単身という人も多い。
離婚は妻方から言い出すケースが圧倒的に多いと言われる。


三世代同居世帯が急速に減少し、単身世帯が各年代で増加した結果、血縁にかぎらず人間関係をもちにくい人が増えている。
全国の死亡者総数は1,307,748人(2016年人口動態統計確定)であった。
おそらく引き取り手のない遺体数は、この4.5%、年間約6万体はいるのではないか。


死亡者総数の1割以上は引き取り手のいない人や、引き取り手がいても、弔いの想い不在のまま、事務的に火葬の手続きでお終いというケースだろう、と私は推定している。

これについて「人は生きたように死ぬ。本人の自己責任」と言う者が絶たない。
しかし、その人の生のプロセスがどうであれ、すべての死者、遺体の尊厳は保持されるべきである。

今後、こうした弔われることのない遺体が増加すると予測している。

引き取り手のない遺体のその後


引き取り手のない遺体は(市区町村によって対応は異なるが)、親族調査、親族交渉が面倒、かつ遺体保全の問題があり、市区町村の福祉事務所等ではとりあえず公費(約20万円)で火葬までし、骨壺にして5年程度保管し、引き取り手がいない時は市町村墓地または好意で協力してくれる墓地の合葬墓に埋蔵される。
また費用は本人の遺産を精査し、残金がある時はそこから弁済し、残りは国庫に収められる。

相続人がいる時は、遺体を引き取らず、相続だけするというケースはなくはないだろうが、そう多くはないだろう。
相続するなら公費はそこから弁済される。

横須賀市エンディング・プラン・サポート事業
2016
年開始。ひとり暮らしで身寄りがなく生活にゆとりがない高齢の市民の葬儀・納骨・死亡届出人・リビングウィルという終活課題を生前契約という形でサポート。これは本人の生前意思を生かすという意味で有用だが、一人暮らしの人の死で発生するトラブルを事前に解決しておこうという自治体にとっては自衛策という面もあろう。公費使用を抑制できるし、作業は生前契約先の葬祭事業者が行い、福祉事務所の関与は少なくなる。今後各自治体に拡がるだろう。但し、横須賀市が献体斡旋にまで乗り出すのは行き過ぎと思うが。

 

「遺体」について考察するとき、こうした「弔われることのない遺体」の存在について理解しておく必要があると思う。

 

 

「遺族」とは誰のことか?―縮小する「家族」観

 

死者と親しい者、愛着をもっている者にとっての遺体とはどういう存在なのだろうか。

血縁関係の遺族は、家族が解体していく中で、死者にこだわらない、つまり死を特別な出来事と見ないケースも増えている。

「家族」を私は二親等以内の血族、配偶者と見做している。
生まれた時の家族、つまり両親(一親等)、きょうだい(兄弟姉妹)は二親等、それに祖父母(両親のそれぞれの親)。
結婚後の家族、配偶者、子ども(一親等)、孫(二親等)。
この2つを合わせて死者本人の家族という。

だが、これが変化しているようだ。
二親等から一親等への縮小が見られるのだ。

葬儀は本来、死者本人の関係性で見ていかなければならない。
喪主が子となる時(配偶者はいても高齢)、子は案外と親の歴史、交友関係を知らない。
別居であるとなおさらである。
すると喪主の立場では、本人のきょうだいは三親等の「おじ」、「おば」になって家族ではない親戚になってしまう。
私は個人的には「いとこ」すら「家族」同様に思う人間だが、これは稀らしい。
どうも本人のきょうだいは、結婚後は家族でなくなることが多いらしい。

葬式などではこのところの違和が現れるのだ。
本人のきょうだいは自分の家族のことだから親身に心配する。
しかし喪主らにとっては「無関係な親戚が口を出す」となる。

これは子どもだけではない。
本人の配偶者も、場合によっては本人すら、「本人のきょうだい」を「家族」の範疇とはしない例が結構見られる。
「遺族」という言葉がもつイメージが変化してきているのだ。

そこで血縁以外の関係も含めた概念として「近親者」という言葉を用いてみる。
実際にその死者と近い関係にあった人、という意味である。
事実、血縁以上に、あるいは血縁同様に、本人と親しい者がいる。
そして、今流行の「家族葬」で排除されがちなのが、こうした「近親者」なのだ。

死は一人称だけのものではない


WHOの提言として終末期医療において、「本人」に続いて「家族」への配慮が出てきて以降、変化が見られる。

2013年に施行された死因・身元調査法(警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律)では、
第二条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、礼意を失わないように注意しなければならない。

とこれまでの死体取扱規則の文面を踏襲し、かつ、

第三条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、遺族等の心身の状況、その置かれている環境等について適切な配慮をしなければならない。
と定めた。


人の死は本人だけの問題ではない。
それは近親者にとってのものでもあるのだ。


その近親者にとっては、死亡直後の段階では、既に息をしなくなった、死んでしまった、魂の抜けてしまったものであったと言われたにしても、その死後の身体には愛着がある。
特別な感情の対象である。
これは人間としてきわめて自然な感情である。
割り切る者もいるが、割り切れない想いを抱く者は少なくない。
むしろ依然として多数派であろう。

「故人」という言葉で割り切れない、まだ人格をもった、半分生きた存在と見ていることが多い。

遺体は、近親者にとって「故人」という他者にはなり切れていない存在である。
それ故にそれを送別するには充分な可能な限り納得できるだけの身体をもった死者との心の対話が必要とされる。
といっても納得できるとは限らないのだが、それでも死者との別れを行うことが重要であることに変わりがない。

そうであっても多くの人にとって「死」は「自分の死」つまり第一人称の死を本義と理解する人が多いらしい。
どうも近年の「終活ブーム」は「死」の理解への誤解をも促進しているらしい。

確かに自分の遺体は自分ではどうしようもない。
誰かに頼まなくてはいけない。
だが自分だけでできないのはそれだけではない。
人間は好き嫌いに関係なく、人との関係において生きている。
そして死んだ時、本人の想いを超えて、周囲の人に及ぼすのだ。
それは長寿の死の場合、時には安堵感かもしれないが、けっしてどうでもいい感情ではない。
私は身近に90歳を超えた近親者を3人送ったが、それはどうでもよいこと、厄介なことではけっしてなかった。
遺された私にとっても、実に大切な時間だったし、大切ななすべきことであった。


「死」を「自分の死」に偏して見ることは「葬式」への意識調査に明確に表れる。

朝日新聞の
(be between 読者とつくる)自分の葬式は必要ですか?
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13111191.html

「自分の葬式はいらない。そう考える人は56%にのぼった。その理由は、お金、しがらみなど様々だ。」
という。

 

死とは無論、本人にとっても一大事である。
しかし遺される者、二人称の人間にとっても一大事なのだ。
何も「普通の葬式」をすることにこだわることはない。
すでに高度経済成長期~バブル期までの1955199年までに風靡した葬儀観は常識でもなんでもなくなった。
あの日本人の歴史としてはほんの短い時期に流行した「見せる葬儀」の時代は終わったのだ。
「普通の葬式」といっても今やさまざまである。
しかし、人の死を弔い、送るという本義は今こそ回復、獲得しなければないのではないか。


近年の傾向として、
死、葬式について、いわれなき偏見、穢れ意識は減少したが、死、遺体に対する無感覚も増加している
ように思うのだ。

「死」は人の死である。
きわめて人間的な出来事なのだ。
これに対する感性を失ったら、人間はほんとうに大切なものを失うことになる。

古来、日本では、通夜までは死者を生者と見なして取り扱った。
これは死について近親者の認識には時間的差異があることを長い時代の知恵として学んだからである。

私は死亡判定から通夜までを「生と死の境界線にある」と表現している。

 

近親者は、その死者をある種の断念をして葬るのである。
この時、古来多くの地域、民族において、その葬りはその人たちが信ずる宗教の手を借りて葬ってきた。

土葬にしても、例えばキリスト教徒(カトリック)は、終末の日の身体の蘇りを信じ、例えば仏教徒は火葬による白骨化をもって成仏の<徴(しるし)とし、風葬では死者の魂が山の頂にある浄土に昇ると信じられ、というように。
死後の行き先に対するさまざまな信仰に裏打ちされて葬法が選択されてきた。

それ故、葬式を行って遺体処理をする、あるいは、葬式全体の中に遺体処置を位置づけたのである。


遺体処理を行うための道すがら人々が葬列をして見送る、というのは世界各地で見られる風習である。
そこには遺体処理が汚物処理の如きものとは明確に区別されて、死者に対する愛惜と敬意の思いを見てとることができる。

 

2017年10月 1日 (日)

葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②

 

①葬制

 

人が亡くなると葬儀が行われる。

ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。

この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。

この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。

さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。


「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。

 

②死の判定

 

近代以前、つまり近代医学が発達する前は、しばしば「宗教者が死の判定を行った」と記録されている。

これは日本のみならず欧米においてでもある。

「死」という事実は、戦場、災害とか,いかんしがたい場合を除いて、「誰かによって」認定される必要があった。

そこで認定されることによって、死は公認され、葬の過程に進むことが可能となった。

 

近代以降には、つまり近代医学が確立することにより、「死は医師により判定されるもの」となった。

 

その後、人工呼吸器ができる前までは、心臓死によって死は判定されたが、人工呼吸器ができることによって脳死状態になっても心臓が動き続けるという、「脳死」と「心臓死」の乖離が生じ、脳死者からの臓器移植が可能となった。

 

各国とも心臓死について特に定めることがないが、脳死については法律でその判定法を定めているところが多い。

 

近親者はその死を看取る。

 

③遺体処理

 

遺体を土葬(埋葬)、火葬、風葬、天葬(鳥葬)等して葬ること。

「葬法」と言う。


日本では、2015年の火葬率は99.986%(死胎を除く。土葬は総死亡約130万のうちわずか185に過ぎない)となっている。
火葬率は、1960年代のバチカン公会議でローマ・カトリックが火葬容認に転じて以降、欧米でも火葬率が急上昇している。

また、中国、韓国では国策として火葬を促進している。

そうしたなかにあっても日本の火葬率は統計上100%で、世界一である。

 

④文化・宗教的処理

 

葬式等を行い、死者と別れの時をもち、死者を送別すること。

 

⑤社会的処理

 

死を社会的に告知し、除籍等の事務処理を行うこと。

 

⑥心理的処理

 

近親者の死はしばしば近親者に死別の悲嘆(グリーフgrief)をもたらす。

それはそれぞれ固有のものである。

 

近親者自らなすグリーフワーク(喪の作業)を大切にしたり、この近親者に対して心のケアを行ったり、死者を追悼するための行事(法事等)を営むこと。

 

ここで注意することは近親者自身のなす喪の仕事grief workが大切なのであり、支援careは、その環境をよりよく用意する、近親者のなす喪の仕事grief workを邪魔しないことである。

 

このことは、人間が身体的存在だけではなしに、精神的な存在でもあり、社会的な存在でもあることを示している。

また、人間が関係する人間関係において、その相手に悲嘆(グリーフ)をもたらす、関係存在でもあることを示している。

 

ある人は「人間が死ぬと単に肉体の死という物理的な死だけでは終わらない。文化的な死、社会的な死としてもあるのである。」と述べている。

つまりはそれが「人間が死ぬと葬儀をする」という意味である。

肉体が死ぬという物理的な死があるだけならば、遺体処理は残るにしても、葬儀は必要ない。

 

葬制の中の遺体処理にしても、単に物理的に死体を処理するのではない。

葬制全体の位置づけの中に、葬制という脈絡の中に置かれていると言うことができる。

 


「死」の概念

 

ここで簡単に「死」の概念をまとめておく。

 

①いのちがなくなること

 

古代日本人は「身体から霊魂が遊離してしまうこと」と理解した。

 

現代の死は医師が判定。
医学的死とは全細胞死ではなく、「有機的全体としての個体として生命活動がやんだと判断されること」を言う。

 

従来の心臓死のほか、脳死がある。

改正・臓器移植法が2010年7月17日施行され、「本人が生前拒否意思を表明していないケースでは、縁者がいないケースまたは遺族がいても遺族がこれを書面により承諾するときに脳死判定、臓器移植を行うことができる」とされた。

15歳以上という年齢制限もなくなった。

 

尊厳死・延命治療の中止については、本人の意思、家族の意思の確認が求められる。

 

病気や事故等でいのちにかかわる状態で本人が意思表示できない時に備え、a.治療方法、b.栄養補給方法、c.心停止の際の心肺蘇生の希望の有無等を「事前指定書(LMD レット・ミー・ディサイドlet me decide 医療の自己決定)」に記入し、かかりつけ医師と代理人が署名する。

カナダで80年代に創唱され、日本での運動は1994年から始まっている。

 

遺体処理の種類


「遺体処理」とは、土葬、火葬、風葬、水葬などのことである。

遺体処理が必要なのは、死後の身体は腐敗するからである。

 

腐敗する遺体をそのままにしておくことはできないので、何らかの遺体処理が必要になる。

 

遺体処理の方法を「葬法」と言う。

古代エジプトにおいては王等の権力者の際にはミイラ化が行われた。

 

南北戦争以降、エンバーミングが行われることで、腐敗の進行をほぼ停止させることが可能となったが、レーニン、毛沢東、金日成といった特定の政治的権威者以外は、永久保存されていない。


一般には、エンバーミングしたとはいえ、しかるべき葬儀が行われた後には埋葬または火葬されている。


日本ではあまりの長期にわたる遺体の保全は、技術的に可能であっても、国民の宗教感情がそれを認めるところにはきていない。

 

したがって死体遺棄罪(刑法190条)の嫌疑を避けるためにもIFSAでは、四十九日という葬送習俗を参考に、50日規定を設けている。


ここで、主な葬法を解説しておこう。


①土葬


法律的には「埋葬」と言われる土葬は、古来より世界各国で行われている遺体処理の最も一般的な方法である。

 

土を掘り、そこに遺体を埋める。遺体を布で包んだり、棺に入れることが多い。


②火葬


遺体を火で焼く処理を言う。

 

古来から行われているが、人工的に遺体を解体する方法なので、必ずしも一般化はされなかった。

イスラム教を信じる人たちは今なお火葬を忌避している。


日本では,火葬は仏教の伝来と軌を一にして普及し(考古学的には5世紀に既に火葬の痕跡が発見されている)、近世に浄土真宗系門徒の多い北陸地方等で普及した。

また江戸や大阪といった大都市においても普及した。

 

しかし、本格的な普及は、明治末期、政府が当時のコレラの大流行を受け、公衆衛生上の理由により促進してからである。


1960
年に日本では火葬率が6割を超え、現在(2015年)では統計上100%という世界一の火葬先進国である。


60
年代のバチカン公会議でカトリックが火葬を容認したことも影響し、世界的にも普及の兆しがあり、その意味では火葬は近代的な葬法と言うことができる。

 


東日本大震災の仮埋葬

 

2011年の311東日本大震災において、遺体の公衆衛生上の処置として2年間を期限として宮城県で約2千体の仮埋葬が行われた。

(2年というのは骨化して安定すると考えられた期間である。)

しかし、東京都が火葬を受け入れる等の火葬可能環境が生まれると、遺族等が仮埋葬された柩の掘り起こし行動をとり、やむなく行政は仮埋葬された遺体を201111月までにそのほとんどを掘り起こし、火葬した。

 

このことは、もはや日本では「懇ろな葬り」とは火葬のことである、という認識が徹底されていることを示した。


近代以降でも明治三陸地震、昭和三陸地震では大きな墓穴を掘り、個人の識別なく集団埋葬が行われ、大正時代の関東大震災では大きな穴に遺体を投げ込み、野焼きされた。


今回の仮埋葬は一部納体袋のままであったが、多くは納棺したうえで、個人識別を明らかにして仮埋葬された。

2年後の掘り起しを想定したからである。

今回はほとんどの柩が掘り起こされたが、木棺は火葬を前提として軽く、燃えやすく、ベニヤを貼り合わせたもの(フラッシュ棺)であったために1メートル以上の土の圧力で潰れ、横も湿気に弱く乱雑な状態となった。

1カ月後とはいえ、遺体はすでに一部白骨化が進み、首と胴体等が分離し、納体袋、棺内は体液、血液の漏出、それに雨水が加わり、引き上げる前に体液、血液を排出し、臭いを消すため、石灰を撒き、土を埋め戻した。

遺体が毛布にくるまった状態の場合、毛布を剥ぐと皮膚が剥がれた状態となった。

 

7~8月の夏の掘り起こし作業は臭いも酷く作業員には難儀となった。
作業を請け負った建設業者等は作業の継続を拒否し、その後は葬祭業者が引き受けた。


掘り返され、引き上げられた遺体は新しい納体袋に入れ、新しい棺に納め、蓋にはテープを貼った。

火葬場で予め家族に火葬時刻を示し、入炉前に家族は遺体を改めることなくお別れした。

 

一部ではあるが、掘り起こし作業を遠目で確認した遺族もいた。

また、まれではあるが(主に子の父)が掘り起こされた遺体を、本人であることを自ら希望して確認した例もある。


仮埋葬は当初は自衛隊の手で行われたが、厚労省生活衛生課は今でも一部に土葬が残る三重県、和歌山県の土葬事例を参考にした。

今回は年を期限とした一時的埋葬であったにもかかわらず、掘り起こされることを前提としない事例を参考にしたため、穴は深く掘られた。
これが仮埋葬後の掘り起こしを苦渋に満ちたものにした一因である。

例外があった。


女川では、仮埋葬を自衛隊が行わなかった。

 それが幸いした。
厚労省生活衛生課の考えた処理法とは無関係に行われた。

住民は仮埋葬を「火葬場再開までの一時的処理」と理解した。
土は浅く掘り、むしろ棺の上を土で覆う、という程度にした。


女川では火葬場への通路を確保し、火葬が再開されると、棺の上の土を払い、住民が連携し、棺を小型トラックに乗せ、火葬場に運んだ。

遺体の腐敗は進んだものの、棺は保たれた。


③風葬


死体の骨化、解体を自然に任せる方法である。

日本では、内陸地では人里離れた山(霊山とその地ではされていた)の麓などを墓地と定め、そこに死体を置いてきたり、また、海岸地方では海岸の洞窟に死体を運び込んだ。


そして動植物が他の動植物の遺骸がそうであるように、動植物、バクテリアが食し、自然に解体し還るようにさせた。


「自然葬」というなら、風葬こそが自然葬であった。

古来から中世にかけて、風葬は土葬と並ぶ一般的な葬法であった。

日本人の歴史を考えるならば、最も長期的に行われた遺体処理は風葬であったことを覚えておいていい。

 
土葬は近世以降(室町時代末期の戦国時代以降)に一般的になった葬法である。

 

火葬は歴史は古いとはいえ、一般化したのは明治末期以降で、6割という大勢を決したのは戦後のことである。

 

そういう意味では火葬は近代の葬法である。


④水葬


海に遺体をそのまま沈める葬法である。

 

今でも航海中に死んだ場合には水葬が船員法で認められている。
といっても実施はきわめて例外的である。

かつては漁村では漁師などの葬法として行われたところもある。

 

この他にチベットの天葬(鳥葬)などいくつかの葬法がある。


二次葬


火葬が行われる場合、一次葬が火葬、焼骨を墓地や納骨堂に納めたり、散骨することが二次葬になる。


かつて沖縄等で遺体を甕に入れて骨化するのを待ったのが風葬の一種で一次葬、骨化した後、それを洗い骨甕(骨壷)に入れて納骨するのが二次葬。

 

ヨーロッパでも最初土葬にし、骨化したものを改めて火葬したりして遺骨を墓に納める二次葬が少なくない。

 

 

 

2017年9月24日 (日)

「遺体」の言語的考察ー遺体論①

いよいよ「遺体論」に入る。
あるいは「遺体」を視点とした葬制を見ることになるかもしれない。

j地味な話であるから、関心のある人だけに読んでいただければいい。
その第1回は「遺体の言語的考察」である。

「遺体」の言語的考察ー遺体論①


①「死者のからだ」を意味する語

 

日本語には、「死者のからだ」を示す語にはいくつかある。
その代表的なものは「死体」と「遺体」である。

この2つは同じような言葉でありながら、われわれはこれを日常無意識のうちに区別して用いているように思う。
どう違うのであろうか。
まず、言葉の意味を探ってみよう。


国語辞典で「遺体」の項を調べると

「死んだ人のからだ。なきがら。」(角川新国語辞典)とある。
「死体」の項には「しかばね。なきがら。〔対〕生体」(同)とある。

では、2つに共通する「なきがら」はどうなっているかというと

(亡骸)死人のからだ。しかばね。遺体」()とある。

「しかばね」は「死んだ人のからだ」(同)とあるから、これでは「死体」と「遺体」の区別はつかない。
2つとも「死んだ人のからだ」を意味する同義語ということになってしまう。

もう少し詳しい広辞苑(第6版)で関連する語がどう説明されているか見てみることにしよう。

 

遺体 

(「父母ののこした身体」の意から) 自分の身体。人のなきがら。遺骸(いがい)


死体(屍体)

死んだ人や動物のからだ。死者の肉体。死骸。「――遺棄罪」。


なきがら(亡骸・亡躯)

 魂のぬけがら。死体。しかばね。


しかばね(屍・尸)

(「死にかばね」の意)死人のからだ。死骸。なきがら。かばね。むくろ。「しかばねかんむり」の略。


かばね(屍・尸)

死人のからだ。なきがら。しかばね。骸骨(がいこつ)に同じ。「しかばねかんむり」の別称。


むくろ(身・躯)

 (ム(身)クロ(幹)の意)からだ。身体。また、胴体。(「骸」とも書く)首を切られた胴体。転じて、死骸。なきがら。朽木の幹。


遺骸

 死骸。なきがら。遺体。


死骸(屍骸)

 人や動物の死後の肉体。死体。なきがら。 


ちなみに「骸」は音では「ガイ」だが、訓では「カバネ」「ムクロ」である。

 

 

②言葉の違い


これらを見てみると、説明は一見堂々巡りのようでありながら、違いのようなものも浮かび上がってくる。


「しかばね」「かばね」「むくろ」「遺骸」「死骸」は、
「死者の肉体」だけでなく、「死んで骨になったもの」までを意味する時間的には広い概念を有する語のようである。


「死骸」には、人だけではなく動物の場合にも使われる。

したがって、
「肉体が残された状態の死者のからだ」をだけ主として表す語は
「死体」「遺体」「亡骸」
の3つのように思える。

このうち「亡骸」は「死んで魂のなくなったからだ」という一種の遺体観の表現である。
つまり「生きている」という状態は肉体と霊魂が合一している状態のことであり、ここから霊魂が離れることを「死」と称し、霊魂が離れ、死者となった人の肉体が「亡骸」である。

 

③「死体」と「遺体」の違い

 

「死体」と「遺体」の違いはどうであろうか。


「死体」は文字どおりに解釈すれば「死んだからだ」であり、「遺体」は「遺」が「あとにのこす、のこる」という意味であるから「死んで後に残されたからだ」と解釈される。「亡骸」と類似する意味あいをもっているように思う。

しかし、われわれは日常、「死体」と「遺体」を使い分けている。
それはわれわれの「死者のからだ」に対する態度の違いと言ってよいだろう。


「死体」という言葉は「生きているからだ(生体)」と対比される「死んだからだ」という客観的な態度で使っている。

したがって法律では全て「死体」と表記される。
「死体解剖保存法」「死体遺棄」「死体損壊」「引取者のいない死体」「非自然死体」「死体の移動」「変死体」「異状死体」「死体を埋葬」「『火葬』とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう」等。

それに対して「遺体」は、死者に対する礼節をもった、大切にする態度で用いている。
「ご死体」とは言わないが、「ご遺体」と言うことがあることにそれは現れている。
死体を物体として見るのではなく大切な、大事にされるべきもの、つまり二人称(近親者)から見た死体のことである。
または近親者の心情を考慮して大切に扱われる死体のことである。

 

3)「遺体」に対する態度

 

「遺体」という語には「死んだ肉体ではあるが、それまでは生命が宿っていたものであるから尊敬されなければならないもの」という意味あいがあるように思う。

別な言い方をすれば、
死体に向き合ったときに、そこに生きた人のいのちへ尊敬の念を抱いて表現するときに「遺体」と言うのである。


「葬儀(葬送)をする」ということは、死者のからだを自分とは無関係な単なる死体として処理するのではなく、大切なかけがえのないいのちの宿った「遺体」として扱い、尊敬の態度をもって葬ることを意味する。

例えばエンバーミングされるのは、近親者が死者を大切に思う気持ちから依頼されるものであるから「死体」ではなく「遺体」である。
葬儀に関係する者、エンバーマーは、徹頭徹尾、敬意をもって「遺体」として取り扱うのである。

英語でも用法が似ている。

乏しい知識で解説するならば、デッド・ボディ
dead bodyは文字どおり「死体」であるし、コープスcorpseも「死骸」といった意味あいである。
これに対して、リメインズ
remainsは直訳すれば「残されたもの」で「遺体」を表す。

 

(注)
派生的に述べるならば、「遺骨」は敬意の対象であるが、それだけではない。
刑法
190条に「遺骨損壊」とある。
この法律の対象とするのは、一つはかつて土葬(埋葬)された死体(遺体)が骨化したものをいう。
もう一つは死体(遺体)が火葬された結果の焼骨のうち原則として近親者によって拾骨(骨上げ)されたものをいう。


火葬された焼骨の全てが「遺骨」ではない。

日本では地域により拾骨の習慣・習俗が異なり、主として西日本が「部分拾骨」であり、主として東日本が「全部拾骨」である。
このため「拾骨された焼骨」が「遺骨」と扱われる。

なお、「散骨(自然葬)」では、拾骨された焼骨を細かく砕いて海や山等に撒くのであるから、撒かれるのは「遺骨」である。

 

 

より以前の記事一覧

フォト
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

仲間

ウェブページ