葬儀

2018年7月11日 (水)

死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

このところ「遺体管理」の問題について考察している。

流れとしては

 

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html

 

に続くものである。

今回書くものを含め、概要は以下に書いている。

 

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html



死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

 

死亡場所により、その直後の遺体処置に違いがある。

また、病院でも、見分けは困難だが、すべてが看護師によって行われているわけではない。
当然歴史的変化がここには反映されている。

 

①死亡の場所の統計的変化

 

死亡の場所は、人口動態調査によると戦後大きく変化した。


1951
(昭和26)年には、自宅が88.4%と圧倒的に多い。
病院は9.1%、診療所は2.6%、合わせても11.7%に過ぎない。

病院・診療所が2割を超えるのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年のことで、病院と診療所を合わせ20.6%。
この年に自宅は79.3%と減少。


戦後の経済成長と共に医療のインフラは整備され、それに比例して病院等の医療施設での死亡が増加する。
病院死が増加することで、地域共同体による遺体処置(湯灌等)は病院での看護師等による死後の処置に取って代わられることになる。


病院等の医療施設での死亡が半分を超すのは1977(昭和52)年のこと。
以降は病院死が増加して自宅死が減少するという傾向が顕著になる。
1999
(平成11)年には病院・診療所での死亡が合わせて80%を超え、自宅死は15%まで減少した。

老人施設での死亡が2%を超え2.1%となり注目されるようになったのが2004(平成16)年のことである。

2010(平成22)年には病院・診療所での死亡が合わせて80.3%、老人施設での死亡は3.5%と伸び、自宅死亡が12.6%。
最新の統計である2015(平成27)年には病院・診療所での死亡が76.6%、老人施設での死亡が6.3%、自宅死亡が12.7%となっている。

老人施設での死亡が増加した理由については、終末期を老人施設で暮らす高齢者が増加したことに加え、かつては老人施設で暮らす高齢者が危篤になると救急車を呼び入院させ、死亡すると病院死にカウントされていたのが、老人施設で看取ろうという機運が高まり、施設での看取りが増えたことによる。

 


②死後の処置の担い手

 

自宅死が多い時期、つまり高度経済成長期以前は、人の死は家族が担い、死亡後の葬送は地域共同体が中心になって担っていた。


自宅死が多かった時代


一般には家族が看取り、主治医が来訪し死亡判定し、家族が死水をとり、遺体を安置した枕元で僧侶が枕経をあげ、家族で夜を徹して看取った。

当日、多くは2日目、地域の一員が水に湯を加えて適温にしたお湯で死者の身体を洗い、死装束に着替えさせるという湯灌(ゆかん)という習俗があった。

これは場所、場所で異なるが、古くは僧侶が行った事例もあるが、家族または地域の一員によって行われた。
その実態もさまざまである。
担当となったものの恐怖心を和らげるため、事前に酒を供し、酔っぱらって行われたこともあれば、家族の手で丁寧に行われたこともある。
都市部ではこれを担う専門の人がいたこともある。
あまりにもさまざまで、こうだ、と定式化はできない。

2
日目、または3日目に僧侶の立ち会いの下に家族の手で納棺され、通夜し、3日目または4日目には自宅または寺で葬儀をして出棺し、火葬または墓地に埋葬(土葬)された。


火葬率の推移

 

火葬または埋葬(土葬)までを急いだのは、遺体の腐敗が進行し、死者の尊厳を侵すことへの恐怖からであった。


都市部では火葬が多かったが、郡部では土葬が多く、火葬率が日本の統計で6割を超えたのが戦後の1960(昭和35)年の63.1%。
以後全国で地方自治体単位での火葬場建設が進み火葬率が急伸した。

1975
(昭和50)年に86.5%、1985(昭和60)年に94.5%、1995(平成7)年に98.3%となり、2010(平成22)年には99.9%を記録。
2015
(平成27)年には統計上100%の99.99%となっており、世界一の火葬先進国である。
1970
年以降、かつては土葬が多かった欧米でも火葬が顕著に増加傾向にある。


地域共同体から葬祭事業者へ

 

日本の葬儀は、地方共同体が中心に営んでいた。
大都市では1877(明治10)年頃以降に、地方では戦後の1950(昭和25)年以降に葬具提供業者として葬祭業が始まる。

現在の葬祭事業者の創設時期の分布は、1955(昭和30)年以前が全体の約1割、全体の約4割が1955年以降1995(平成7)年以前、1995年以降現在までが全体の約5割となっている。

葬祭事業者は、出自がさまざまで、登録の要もなく、したがって標準化規制もないため、葬祭事業者の業態はさまざまである。

1996
(平成8)年以降、厚労相認定葬祭ディレクター技能審査が開始され、2016(平成28)年まで21回を重ね、215,489名、116,470名の合格者を出し、合格者総数が葬祭従事者の約3割に達したことで標準化はかなり進行している。
だが、この資格取得が葬祭従事あるいは営業条件とはされていない。


葬祭事業者が葬儀運営の中心になるのは地域によって異なるが197080年代といえる。
ここで運営主体が地域共同体から葬祭事業者に漸次移行が進んだ。

葬祭事業者の遺体の係わりも同一ではない


この時期が病院死亡の増加した時期に相応するため、遺体の処置は地域共同体の湯灌から病院等での死後の処置に移行し、葬祭事業者はそのはざまで遺体処置に係わることになった。

遺体を細かく観察して適切な処置に心を砕く葬祭事業者もいれば、ドライアイスの補充以外は遺体処置にほとんど関心を示さない葬祭事業者もいる。
現在でも葬祭事業者の遺体処置への取り組みに大きな温度差があるのはこうした背景による。
地域差だけではなく葬祭事業者間に取り組みに温度差がある。

※次回は病院での死後の処置の実態について書く。
病院関係者、葬祭担当者も自分の守備範囲の経験だけで、さまざまであること、その実態は意外と知られていない。
ましてや一般の人には知られていない。

ちゃんとした紹介文献もほとんどないので、詳しく書く。

2018年7月 6日 (金)

遺体は公衆衛生上安全か?

遺体は公衆衛生上安全か?

 

遺体のすべてが公衆衛生上リスクが高いわけではない。
だが、同様に言えることは「リスクが高い遺体もある」ということだ。
問題は、多くの場合、その判別がないままに遺体は病院から搬出されていることだ。

「病院が死亡退院を許すのは、公衆衛生上の危険がない、と判断しているからだ」
というのは事実に即さないきれいごと。
「病院が死亡後、死後のケア(死後の処置)をしているので、公衆衛生上は安全である」
というのはほとんど妄言に近い神話。
この神話を信じる医療関係者、葬祭関係者が案外多いのに驚く。
医療関係者、特に医師、は死亡判定後についてほとんど関心を示さない人が多いのは極めて残念なことだ。

神話の怖さはリスク対処をしないことにある。
適正なリスク対処をすればいたずらに怖がる必要はない。

 

したがって、遺体に敬意を払い、尊厳を確保すると同時に、取扱で注意すべきものは、感染症等からのリスクへの対処である。

 

①病理解剖500例の分析

 

森吉臣(獨協医科大学教授【当時、現名誉教授】。専門:病理学)は

遺体を扱う立場にある者(葬儀関係者、医療従事者など)は、多くの遺体が病原菌に汚染されており、不注意に扱うと感染を受ける可能性があること、また、公衆衛生上も周囲環境を汚染する危険性があることを認識する必要がある。しかし、だからといってむやみに恐れる必要はまったくなく、病原体や感染症に対する知識を修得し、予防法、消毒法を身につけて正しく対処すれば危険性はなくなる

と、説く。


森は、獨協医科大学越谷病院において行われた病理解剖500例を分析し、その結果を以下のように述べた。


500例の解剖例中、感染症が認められたのは、全体の65.2%の326例であった。感染症が認められなかったのは、残りの174例で、34.8%であった。特にここで注意すべきことは、感染性の高い肝炎ウイルス感染症や結核症が比較的上位を占めていることである。肝炎ウイルス感染症が35例、結核症が18例、また重症感染症である敗血症が19例で、合計72例である。これは500例の解剖症例中14.4%に相当する。


遺体内の細菌の増殖は経過時間によって飛躍的に増加する。
それは一般的な菌である大腸菌を尿10ml102乗個入れて実験すると24時間経過後に107乗個まで増殖した。
遺体は死亡後の経過時間に比例してリスクは高まる
(以上、森吉臣「遺体と公衆衛生」、『遺体衛生保全の基礎』所収に基づく)


病院等の医療施設での死後の処置は、死亡直後に行われることが多く、死亡後2時間以内がほとんどである。
いわゆる「死体現象」が発生している事例の割合は低い。
また、死後の処置は、死後硬直が顕著になる2時間前までに行うことが原則となっている。


死後の処置によって「死体現象」をなくする、止める効果はまったくない。

「死体現象」の進行を止めるにはエンバーミングを処置する以外の方法はない。
(しかし、病院で死亡直後にエンバーミングが処置されている例は今はない。)


「死体現象」の進行を考えると、「遺体管理」ということで最も重要になるのは、遺体が家族に渡され、葬祭事業者に管理を委ねられる以降が最も重要になる。

 

②開示されない感染症情報

 

感染症については、感染症法による一類、二類、三類および指定感染症は厳しく管理されていて告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡以外は、たとえ感染症を保持していても、死亡診断書、死体検案書に記載されない。

病院と懇意な場合は医師が把握している限りの感染症についての情報は葬祭事業者に注意する旨が伝えられることがあるが、多くの場合には個人情報保護を理由に開示されない


また、主な死因でない場合には、医師は遺体が保持している感染症のすべてについて把握していないケースも多い。

先の病理解剖結果は30日以上経過して判明することが多く、その結果は遺族にも葬祭事業者にも開示されないことが多い。
また、開示されてもすでに葬儀は終わり、火葬され、焼骨ななっている。

したがって死亡後に看護師等の医療関係者、介護関係者、葬祭事業者が遺体を取り扱う場合、危険な感染症を保持していることを前提にスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて患者のみならず遺体も取り扱う必要がある

 

スタンダードプリコーション

どの患者(遺体)も感染症の有無に関係なく感染症を保持しているという前提で、手洗いの励行、うがいの励行、環境の清掃を行う。
また、血液・体液・分泌物・嘔吐物・排泄物などを扱うときは、手袋を着用するとともに、これらが飛び散る可能性のある場合に備えて、マスクやエプロン・ガウンの着用。
また使用器具等は滅菌、消毒する。

 

院内感染の流行から、スタンダードプリコーションは、厚労相においては看護師教育内容基準等には採用され、また高齢者の介護施設でも危険認知と対策強化がなされている。
だが、より危険度が高まる葬祭事業者への指導は弱い

推測するに、医療施設、介護施設においては集団感染発生の危険度が高く、集団発生が生じると社会問題化することがあるのだろう。
遺体の場合、病院や施設外に出た場合、発生源のリスクは同等以上だが個別化されるため、施設、場所が厚労相の管轄を離れるため責任が問われないことによるのだろう。


葬祭事業者が組合等を通じて自衛策として研修をしているが不充分である。
葬祭ディレクター技能審査のテキストでは遺体取扱時のスタンダードプリコーションの内容を示し、必要性を説いているが、葬祭事業者における実態としては、このリスクに対応する熱心度で事業者格差が大きい。
(ちゃんと対策している葬祭事業者もいれば、まったく無関心な葬祭事業者もいる。葬祭事業者の選択は、見積金額が高いか安いか、だけではなく、こうした対処をきちんとしている事業者であるかも見分けることが重要になる。これが「葬祭サービスの質」の一つだ。「お金がすべて」かのように考える消費者も愚かであるし、「葬祭サービスの質」を説明しないで、「低価格のみ」を宣伝する葬祭事業者はおかしいのだ。)

2018年7月 5日 (木)

葬祭サービスと葬祭ディレクター―葬祭サービスとは何か④最終回

「葬祭サービスとは何か?」について、歴史的文脈、遺体、遺族心理と過去3回論じてきた。
しばらく時間を置いたが、最終回となる今回は「葬祭ディレクター」を扱う。

 

葬祭サービスの歴史的文脈ー葬祭サービスとは何か?①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-6f10.html

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html

遺族のケアで考えるべきこと 「死別」ということ―葬祭サービスとは何か?③

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/04/post-9d52.html



なぜ「葬祭ディレクター」なのか?

過去22年間、葬祭業界が団体の壁を越えて一致して取り組んできたのが「葬祭ディレクター技能審査」である。

この制度は「葬祭サービス」という事業分野の社会的地位の向上を目的とし、このためには葬祭サービスに携わる「人材の育成、人材の質の向上」が欠かせない、という共通認識の下に取り組んできたものであるからだ

 

■「葬祭ディレクター技能審査」の経緯と概容

 

「葬祭ディレクター」は一般名称ではない。
厳密に規定された称号である。

葬祭サービス業務に携わる必須資格ではないものの、「看護師」「医師」「税理士」がそれぞれ定められた試験に合格して認定された者だけを指す称号であるのと同様である。

 

「葬祭ディレクター」は、
「葬祭ディレクター技能審査協会が毎年実施する葬祭ディレクター技能審査に合格し、1級(または2級)葬祭ディレクターとして認定された者だけが名乗ることが許される称号」
としてある。


試験を実施し、認定するのは協会であるが、「葬祭ディレクター技能審査」は、1996(平成8)年3月に労働大臣(現・厚生労働大臣)の認定を受けた制度としてある。

 

「技能審査」は、厚労省において現在大きく見直され、現在、新規認定はない。

しかし、葬祭ディレクター技能審査は、過去の実績(毎年約2,600人に及ぶ受験者数、社会的評価の定着)、充実した評価方式が高く評価され、「異例」として存続を許可され継続している。


将来的には(直ちにではないが)「技能検定」の枠組みに包摂されるのではなかろうか、と個人的には思っている(私個人は本制度の立ち上げから関与したが、2016年度をもって退いた)。

 

葬祭ディレクター技能審査の第1回は1996(平成8)年のこと。

同年826日(月)に1級葬祭ディレクター技能審査を、翌827日(火)に2級葬祭ディレクター技能審査を、全国10会場にて実施した。

以来、1級・2級同日併行実施に変更したものの毎年継続実施され、20179月に実施された技能審査で22年となる。

 

2016年までの合計は、受験者総数は49,660名、1級合格者16,470名、2級合格者15,489名。合格者総数は31,959名である。

2級合格者の半数がその後1級を取得していると仮定すると、約2万5千人が葬祭ディレクターの概数となる。

 

葬祭従事者は多岐にわたり各種統計でも実数把握ができないが、およそ10万人と想定すると全体の4分の1程度となる。

葬祭事業に関係する各種事業所の主要担当者は資格取得していると見られる。

別な言い方をするならば、葬祭ディレクターが不在の葬祭事業所はその質が疑われるという認識が一般化するに至った。

 

葬祭ディレクター技能審査協会は、専門事業者の全国団体・全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)と冠婚葬祭互助会の全国団体・全互協(一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会)の主要2団体によって構成・運営されている。

しかし、葬祭事業に従事するすべての者に受験の門戸は開かれており(労働大臣が認定した際の条件)、実際にも両団体以外の受験者、合格者が約3割を占めている。

今では葬祭サービス事業分野における唯一にして統一された資格制度として社会的評価を受けている。

 

■葬祭ディレクターが変えたもの

 

「葬祭ディレクター」が葬祭サービス事業分野で変えたものは何か?

 

制度設計を開始した24年前の葬祭業務現場は、「極端に」言えばこうであった。

葬祭業務従事者の主要業務はどちらかといえば祭壇等の葬儀実施のための設営を中心としたものであり、「葬祭サービス」という視点はあまりなかった。

プロとしての意識は低く、知識は自己流が跋扈し、遺体を取り扱う立場でありながら公衆衛生知識に疎く、対消費者意識も欠け、マナーも悪く、全体的にコンプライアンス(法令遵守)の認識も薄かった。

各企業内部では教育訓練がなされないのに「10年経たなければ一人前ではない」という神話が横行。

 

結果として社会的地位としての評価が低く、かつ、死穢意識からくる不当な差別観に晒されていた

 

こうした状況に対して危機意識を抱いた全葬連、全互協が一致して取り組んだのが葬祭ディレクター技能審査制度の立ち上げであった。

 

相互に何かと軋轢があった両団体が一致して取り組むには、労働省が「認定条件」として強く促したこともあった。

だが、多死高齢社会に足を踏み入れていながら、社会的地位の低さから、このままでは社会的課題に対応できないという差し迫った社会的要求を両団体幹部が共有したことによる。

 

それまでは「葬祭業務」の範囲、要求される質についての確立された共通認識がなかったので、「葬祭サービス」という概念を導入して業務の範囲、深度の枠を再構成した。

 

「葬祭ディレクター」を「葬祭サービスを提供するプロ(専門家)」と位置づけた。

そのうえでどのような知識しかも信頼できる内容のある知識をもつべきかを定めた。

 

歴史、葬儀を囲む社会環境、業務内容、公衆衛生、葬具、棺、火葬、墓、霊柩車、法要、死後事務、関連法令等についての知識、加えて葬儀が宗教儀礼として行われることが多いために宗教宗派とその儀礼の基礎理解も課した。

消費者にサービスを提供する者としての基準となるマナー、弁えておくべき法令の遵守も重要である。

葬祭サービスの中心となるのが死者の尊厳、遺族への配慮であることから遺体の死体現象と対処法、遺族心理についての理解は欠かせない。

 

当初は「葬祭サービス」と言えば、お客様への言葉遣い、礼の仕方といったマナーに関心が集まりがちであった。

これに加えて、お客様、特に死別直後の遺族の立場、心情を尊重したサービスをいかに提供すべきか各自が考えられるようにすることがテーマとなった。

 

「葬祭サービスを提供するプロ(専門家)の育成」という課題が浸透したことには葬祭事業を巡る環境変化もある。

 

葬儀が個人化、多様化し、高度経済成長期に定式化したかに見えた葬儀の常識が変容し、原点に立っての構築、対応が迫られるようになった。

 

家族関係や地域関係が変わり、遺族個々への対応をせざるを得なくなった。

経済格差が拡大し、それぞれに合った適切なサービスの提供も求められるようになった。

 

もはや祭壇の大きさで葬儀の価格やサービス内容を決める時代ではなくなった。

葬祭サービスで求められることの幅も広がり、深度も深くなった。

 

葬儀の現場は大きく変わった。

そのことを痛感しているのは現場の葬祭ディレクターである。

彼らがいなければ今の葬儀現場はどうなっていただろうか、と思うと、継続して葬祭ディレクターを育成してきたことの重要性がわかる。

 

また一方、依然として一部の経営者が葬儀の現場に無理解なまま、数字だけを追っている姿勢は変えなければいけないと思う。

経営と現場が一致して取り組むべき課題はまだまだ道半ばである。


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学科試験、実技筆記試験。このほか、実技試験として接遇、司会、幕張がある。
2級受験資格はじつ葬祭実務経験が2年以上、1級受験資格は2級取得後2年以上の実務経験または5年以上の葬祭実務経験


2018年6月26日 (火)

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける―中外日報コラム④最終回

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。
今回は最終回。

1回は、
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は、超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

3回は都市化・過疎化と葬儀、墓—中外日報コラム③

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ad89.html

 

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける

 

■葬送の変化の20

 

「葬送が変化した」と言われて20年が経過。
葬送が明確に「個人化」へ舵を切ったのが1995年。
阪神・淡路大震災が発生し、6千人を超える大量死を生んだ年であった。


1990
年前後から跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)散骨が話題となり、1999年には樹木葬が誕生。
今や「送骨」も現れた。


葬儀では1995年に「家族葬」という言葉が誕生。
2000
年には葬儀式を伴わない「直葬」が話題を集めた。

宮型霊柩車は姿を消し、葬儀は自宅から斎場(葬儀会館)へ場所を移動。

1990年頃は会葬者300人という葬儀もごく一般的であったが、今や3060人程度が最も多い。

 

■仏教各派の葬送儀礼に変化が見られない

 

こうして何もかも変化したように思えるが、仏教各派の葬儀儀礼の次第にはあまり変化が見られない。

禅宗のみならず各宗派の次第を見ると、「葬列」が行われていた時代痕跡を多くが残している。

しかし、おそらくほとんどの僧侶は葬列を知ることはない。

 

中には遺体安置から始まり、柩を前に読経し、棺を閉じて出棺し、葬列を組み、火葬の火を点火するまで、かつての葬儀プロセスが1時間の中に再現されているものがある。

おそらく葬儀の進行に合わせ、都度行われてきたものなのだろう。


しかし、今、かつての葬儀進行への知識も想像力も欠いたまま、「正しい儀礼」を踏襲している。

 

■儀式に現場感覚が失われている

 

儀式が本来もっていた具体性、現場感覚が失われてはいないか。葬儀は、固有の死に直面し、死者を葬り弔うという遺族や死者の仲間たちの悔恨、絶望、悲嘆等の心情の揺れのプロセスを背景としたものであったはずである。

 

例えば、引導の松明は火葬の点火の名残。

今導師は、その生々しい緊張感を保持して引導しているだろうか。

 

死者個々に向き合って行われただろうことを示すのが引導文、歎徳文、諷誦文と言われるもの。

定型文中の名を入れ替えただけのものになってはいないか。

 

■死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける

 

「葬儀式は大切だ」と多くの僧侶は言うが、自分たちが営む儀礼にどこまで自覚的だろうか。

 

通夜と葬儀の意味の違いも知らず、遺族が式としての通夜を省くと「儀礼軽視」と難ずる。

そのくせ意味不明な「式中初七日」は簡単に受け入れる。

 

死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける。

その場に立ち竦み悩む僧侶にこそ期待したい。



(補足)小型化は全国で起こっているが、東京では20人以下が多いという。
家族5人程度といったのも普通に見られるようだ。

個人化した今、人数が問題ではない。
それぞれで考え方、事情も異なるからだ。
問題は弔いの実質を持っているかだろう。

過去の高度経済成長期の葬儀、多数の会葬者を集めて行われたが、社会儀礼に偏し、弔いの実質が伴わない葬儀が少なくなかった。

中高年の僧侶と話していると、今の葬儀の変化を嘆いているが、それは高度経済成長期の葬儀に比べて、というのが多い。
ちょっとおかしい。

社会の背景も異なる。

しかし、過去のありようへの反省がなくては、今を批判するのはおかしいだろう。

2018年6月23日 (土)

都市化・過疎化と葬儀、墓ー中外日報コラム③

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。

1回は
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

そして、今回は3回目。
ちなみに中外日報では「
人口、地方から都市へ 墓じまいより放置墓深刻」と編集部がタイトルを付けた。

■都市化・過疎化と葬儀、墓

 

1950(昭和25)年時の日本の人口は郡部が8割、市部が2割。それが戦後高度経済成長で1955(昭和30)年に始まる戦後高度経済成長以降、人口大移動が発生。今や郡部2割、市部8割と逆転している
戦後日本はこれだけ大きな変化をしたのだ。
地域共同体が中心だった社会が個人化した。
多くのものが変化したし、人の死も葬送もまた大きく変化した。

 

人口分布が大きく変化したのに寺の分布は江戸時代より大きく変わっていない。

過疎地の寺院が残った高齢檀信徒の手では維持できなくなり、消滅が相次ぐのは社会の趨勢ではある。

 

問題の一つは、都市化した住民が大量の宗教的浮動層を生んだこと。

地方寺院と都市寺院を結ぶという点では教団はネットワークとしてまったくといっていいほど機能しなかった。
住民を送り出す側の地方寺院は、都市寺院に檀信徒を奪われるのを嫌って紹介しなかった。

(補記)もとより寺院だけに宗教的浮動層の大量発生の責を負わせることは不当である。
都市住民の足元が浮遊し、家族は核家族を中心とし、将来の単身化を生んだ。
テレビが普及し、情報が溢れる。
都市はたくさんの興味あるもので満ちていた。
経済的には総中流を生み、大量消費社会となる。
しかし、1990年代以降、個は孤に変じ、今や大格差社会となる。
宗教は懐かしさの対象であって、観光として魅力をもつが、人間の生死にあまり交差しない。
それこそ盆、彼岸、葬儀、法事でのみ頭を過(よぎ)るのだが、過らない人もまた多い。


都市寺院は、都市化の恩恵を受け、地方出身の住民の葬儀・法事で泡銭を獲得し、地方寺院の疲弊化と反対に富裕化。
だが、その住民を取り込み檀信徒化することには失敗した。
葬儀に対し、頼まれ仕事という意識で、死者、遺族に責任をもって取り組もうとする寺があまりに少数に留まった。

(補記)都市住民、特に地方から都市に来た新住民はそれなりの悩み、問題を抱えていたのだが、それに対応したのは創価学会、立正佼成会、霊友会等の新宗教。
既成宗教は軒並み新住民の取り込みに失敗する。


その間隙を今ネット企業が僧侶派遣事業で攻める。
派遣要員となったのは地方、都市を問わず寺院格差により食えなくなった僧侶たち、2世僧侶たちだ。

都市寺院は、僧侶派遣を自分たちに入ってくるはずの収入を横取りするものとして敵対視。
だが、葬儀だけを頼む宗教的浮動層からは、都市寺院僧侶の「やってやる」とばかりの尊大さが人気を低くし、「お客様サービス」として評価を受ける派遣僧侶がむしろ相対的に高く評価される傾向にある。

(補記)僧侶個人の資質により大きく異なる。
今は、若い僧侶を中心に、身を低くして接する、誠実な僧侶が増えていることは確かだ。
しかし、総じて大きな名門寺院の僧侶ほど、偉そうな顔して、自分たちが上席に座るのは当然、敬語で話しかけられて当たり前、と思っているのが多い、と思うのは偏見だろうか?
自分に能力がないのを知っているから、上から目線でしか接しようとしないのか?


無論、僧侶派遣事業は宗教収奪であり、正当性はない。
だがそれに対抗すべき寺院側にも宗教性が欠ける点が問題を深刻にしている。


今、NHKが若手のディレクターが中心になり「墓じまい」を煽る。
地方等の家墓を整理し、都市周辺の承継を必要としない永代供養墓(合葬墓、合同墓)へ改葬することだ。
90
年代は「お墓の引っ越し」と言われ、今は「墓じまい」

(補記)確かに住居を地方から都市に移し、もう地方に戻る意思がない者は多く、高齢になれば墓参も大変になる。
地方に親や親戚がいたときはともかく、帰っても実家もない、あっても地元に残る親戚とは疎遠。
子がない人も多い。
子がいても、その子に子がいない例は多い。
継承されるべき家(イエ)がない人は多い。
だが、墓は何とかしなくちゃいけない、と念慮しなくてはならない存在としてあるのか?

 

騒がれてはいるが、はたして「墓じまい」は増加しているのだろうか?

改葬数を見ると1998年7万件、20068.9万件、2014年8.4万件、最新の2016年は9.7万件。

確かに増加はしている。
だがもてはやすほどではない。


他方、確実に増加していると思われるのが地方郡部の放置墓。
2~3割に及ぶ。
墳墓総数を少なめに1千万基と推定、1割としても放置墓は100万基となる計算になる。

(補記)日本人は「先祖」を大切にする、と言われる。
先祖祭祀の事例は多い。

しかし、「墓」ということが大衆に定着してくるのは室町末期の戦国時代以降のこと。

江戸時代に入り、大名、旗本、上流武士、豪農、豪商といった守るべきものがある人たちは、生活の起源となった人を崇拝し、それを祀ることで家のアイデンティティを確保したであろう。

だが名もなき大衆はどうだったのか?
せいぜいが生を共にした両親、祖父母までであり、それは「祖先祭祀」というよりも「死者祭祀」ではなかったか?

一つの墓石に同じ家の死者の遺骨を納める「家墓」。
まず火葬でなければ同じ場所に納骨(法律的には「埋蔵」)できない。
火葬率が高かったのは江戸、大坂等の大都市、地方では浄土真宗の門徒の勢力が強かった北陸地域等。
1896
(明治29)年の調査で火葬率は3割以下(26.8%)であるから、一般的ではあり得ない。

 

江戸時代に一つの墓石に複数の遺骨が納められた事例はあるようだが、家族全員代々となると、よほどではないか。

私の母方の家は大名の家老職であった。
今でも寺の墓地の一角に代々の墓石が広く置かれているが、祖父母までは個人墓である。
叔父が「こんなことは続けられない」と家墓を造り、今では叔父と昨年死んだ叔母が一緒に入っている。

私の父方は関東の大名で「取り立て家老」というのだろうか、代々ではなく、家老になったこともある家であった。

参勤交代があるので、東京と地方に墓はあったようだ。
東京では宗派の異なる複数の墓があったらしい。
というのは、明治で陸軍の将軍になった曽祖父の巨大な墓(隣に妻の墓、一角に息子の墓)があり、私が管理しているのだが、大出世した曽祖父以前の墓の記録がないのだ。
曽祖父が新たに求めた寺は元々の檀那寺とは異なる。
大成功した曽祖父は、それ以前の父母、祖父母等の墓を捨てた。

私の双系は江戸期までは上流武士である。
しかし、そんなものだ。

 

火葬が急速に進捗するのは明治末期以降。
コレラが大流行し、伝染病予防法が制定され、明治政府は公衆衛生の観点で土葬から火葬へ舵を切った。
「家」が単位となったのは1898(明治31)年公布の明治民法が家制度を強調した影響が大きい。

といっても急に火葬率が増えたわけではない。
第二次大戦の直前、1940(昭和15)年に火葬率はようやく5割になった。
昭和の初期に「〇〇家」の墓は大流行するのだが、大都市や火葬が進んでいた地域でのこと。

戦後になり、国が融資制度を設け、地方自治体に火葬場建設を奨励した。
この結果、196063.1%、196571.8%、197079.2%、197586.5%、198091.1%、198594.5%、199097.1%、199598.3%、200099.1%、201099.9%、2015年には統計上100%の99.99%と火葬率は急上昇。
土葬はまれになった。

大人口移動で都市に来た人たちが、都市近郊に墓を求める「墓ブーム」が到来するのは1970年代のこと。
家族形態は戦後民法の基礎、世帯である核家族。
都市周辺は火葬がすでに一般的。
新しい墓地許可条件は「焼骨の埋蔵に限る」と条件づけられた。
時代は総中流。
墓石もブランド物が選ばれる。

古いと思われる「家墓」が一般化したのは戦後、70年代、80年代のこと。
そこで言われた「家」はもはや明治民法下の「家(イエ)」ではなく「世帯」であった。

世帯単位であれば、継承が困難になるのは目に見えている。
今では一般世帯の3分の1(全世帯の4分の1)が一人世帯。
今後は継承を必ずしも前提としないシステムでなければ墓は行き詰る。

近年の東京、大阪に出現しているビル型「大納骨堂」「室内墓地(霊廟)」と称されるもの(墓地埋葬法上は「納骨堂」)。
墓参りに便利、無縁にならない、が売り。

でも、少し危険。
建物、骨壺を自動移送するシステム(倉庫システムの応用にすぎない)、いずれも将来はメンテナンスを必要とする。
納骨堂は「死者の安寧」の観点から維持されるべきである。
売ったお金の一部は常に基金として保全し、将来の用途に備える必要があるが、事業主体である寺院がどれだけ基金化しているだろうか?

すでにいくつか経営困難になり、事実上「売り」に出され、経営母体が変更している事例がある。
経営実態の公開は必要である。



2018年6月 7日 (木)

超高齢社会 「死」の観念、大きく変化-中外日報コラム②

「孤独死」「無縁墓」は再考を―中外日報コラム①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

 

超高齢社会 「死」の観念、大きく変化―中外日報コラム②

「平成29年版高齢社会白書」によれば、2016年の日本の総人口1億2693万人に対し、65歳以上人口は3459万人となり、高齢化率は27・3%。
指標では21%以上は「超高齢社会」であり、日本では10年にすでに突入している。

 

問題は「現役世代」(15歳~64歳)の比率の低下である。
戦後高度経済成長期の初期である55年には1人の高齢者を11・2人で支えていたのが、15年には2・3人で支えるまでになった。

これでは年金その他社会保障が財政的にもたないと今「高齢者」の定義を70歳さらには75歳に引き上げる検討が開始されている。

 

「後期高齢者」の75歳以上人口は1691万人、総人口の13・3%だが、日本の将来推計人口(平成29年推計)」では、35年には2151万人、総人口の18・7%と推計されている。

 

「平成28年簡易生命表」によれば、生命表上で出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数である「寿命中位数」は、1955年に男70年、女74年であったのが、2016年には男84年、女90年と著しく伸長し、「人生90年」時代に突入。

 といっても、すべてが長生きするわけではないのはもちろんのことだ。

 

「平均余命」は、55年には65歳時、男性12年、女14年だったのが、16年には男20年、女24年となった。
つまり、男性77歳、女性79歳だったのが、男性85歳、女性89歳に伸びたのである。

 

死の個人化と超高齢化により、「死」という観念が大きく変化している。

 

20年前頃から葬儀で「長寿をまっとうした」という言葉を耳にしなくなった。

かつては80歳以上で亡くなると「長寿」と言った。

昭和前期である1930年当時は、80歳以上で死亡した者の全死亡に対する割合は5%程度。

したがって80歳以上で亡くなる人は珍しく、その人たちの葬儀は、長寿にあやかろうとする人々が集まり、寿ぎ、祝うかのようだったという。

 

だが今は80歳以上での死亡者数の割合は6割を超え、あたりまえのもの。

90、100と長寿化するに従い、葬儀の会葬者は減る。

葬儀で悲しむ者がいないわけではないが少数化し、淡々と営まれる傾向にある。

ある僧侶は「今の葬儀では、遺族も、会葬者も、そして僧侶も緊張感に欠ける傾向にある」と語る。

 

超高齢化に反比例して、どうも「長生き」願望が低下しているように思える。

4060代の人たちと話すと、本音として「70代までの死」が願望されるようになっているように思えるのだ。

それは80を超すと認知症リスクが急激に高まる等、要介護期間が長期化している等の現実を目撃しているからだ。

【以下、追加】


80
代以上の人間にしても、死は選べないのだから、好き好んで長生きしているわけではない。

 

自分が70の大台を超えて思うのは、かねてから社会通念としてある「死が怖い」という実感がないのだ。

仲間は、少ないものの早いので10代、20代で死に、30代の後半からがんで死亡する者が増加してきた。

40代、がんで死亡した者は「なんでオレが死ななきゃならないのだ!」と最期まで怒り狂っていた。
60
代ですでにバスケットボールの仲間5人中3人が欠けた。

この世に残された者としては、いずれ自分が死ぬのはごく自明のこと、という想いだ。


「死が怖い、はあたりまえ」と言われるが、それ自体が、死に晒されて生きていた前時代までの産物かもしれない。

もとより年齢に無関係に死はいつでも介入する、という事実に変わりはないし、私はそれをいやというほど経験を強いられてきた。

2018年4月15日 (日)

遺族のケアで考えるべきこと 「死別」ということ―葬祭サービスとは何か?③

「葬祭サービスとは何か?」の第3回である。
第1回は、「葬祭サービスの歴史的文脈」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-6f10.html
第2回は、「死者・遺体の尊厳を守る」
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html

■「遺族ケア」の文脈

日本の葬儀で「遺族のケア」が課題になったのはそんなに古いことではない。
1990年代以降のことである。
特に米国から「グリーフワーク」、「グリーフケア」という言葉が紹介されてからである。

米国では、特に戦後のサナトロジー、デススタディ(死学、A・デーケンが日本に「死生学」と紹介)の研究成果がもたらしたものである。

日本では85年前後より終末期の患者のケアが注目され、WHOが全人的な患者のケアと並べて、「家族のケア」の必要性を提唱したのが1990年。

家族は患者との死別という大きな出来事を体験し、死後は「遺族」となって生きる。
医療は患者の死によって終わるが、「遺族のケア」の必要性は終わるわけではない。

終末期医療で「家族ケア」の必要性は説かれたものの、看護師の看護業務の多忙から充分なされていないのが今も実情である。
しかし、これを気にかけている看護師は少なくない。
死による退院後、これを気にかけ、病院の業務としてではなく看護師個人が休暇をとり葬儀に参列するケースも見られる。
そして各地の死別者(配偶者の死、子の死、自死による家族の死等)の会に関心を寄せ、参加する看護師は少なくない。
彼らがいなければ日本のグリーフケア活動はずっと遅れていたであろう。

■遺族ケアに着目していた人たち

ではその前にこの課題に注目はされていなかったのか、というとそうではない。

葬儀というものは2つの面をもつ。
死者と近親者を中心とした葛藤、交流という「内面的部分」と死者を送る儀礼・行事という「外面的部分」である。

葬祭業従事者の業務は、当初はあくまで「外面的部分」の支援、つまり葬具の提供や祭壇等の設営、葬儀の運営ということにあった。
しかし、遺族と接する現場の担当者レベルでは、一部で(けっして主流ではなかったが)、この「内面的部分がもたらす問題」はいやがおうにも直面せざるを得ないものとしてあった。
遺族のことを親身に考えればそうなる。
「ご遺族は身を挺しても守らなくてはいけない」と自らの仕事を深く自覚していた人を私は幾人も知っている。

葬儀に内面的部分と外面的部分があることはある意味で常識である。
しかし葬祭業者が葬儀を全面請け負うことになり、「葬儀」と言えば外面的部分だけを意味する傾向を強くするようになった。
現在の「直葬」「一日葬」「0葬」「家族葬」…の議論は、葬儀の外面部分の議論になってしまっていて、この議論の発展性のなさは、葬儀をあまりに外面的部分にのみ着目していることからきている。

■習俗としての遺族ケア

習俗ということで言うならば、四十九日が深く定着したのは何も仏教が教えたからだけではない。
死別を受容することがいかにたいへんであるか、ということへの共感が強くあったからだ。

四十九日はインド発祥であるが、49日とは言わず、20日、30日と長さはそれぞれだが、世界各地で死後の一定期間を大事にする慣習は少なくない。

四十九日、百か日、一周忌…という儀礼が重要なのではない。
近親者が死別という事実を受け容れることの困難さをそれぞれが体験しており、それが深い共感に支えられていることが重要なのだ。

もとより死別は固有であるから、人によって喪の期間は異なる。
死後7日間過ぎたから、30日、50日、3カ月、1年、2年過ぎたから「喪は終了」、とは言えない。
子を亡くした親の喪は10年経ってもあけることがないのはよくあることである。

僧侶のなかには「何もグリーフケアなどという横文字を出さなくとも、寺では長年大事にしてきた。四十九日に代表される法事もそう、盆もそう、特に最初の盆である新盆は特に重要視される。春秋の彼岸もそうである」と言う者がいる。

確かにそうだ。
しかし、僧侶がそれらを習慣行事としてではなく、個々の檀信徒に向き合って真剣に営んできたかが問われるだろう。

■「死別」の関係性

死別の悲嘆のことを英語ではグリーフという。

もとより死別の悲嘆だけがグリーフではない。
一般の悲しさよりも心を深く傷め、裂くような悲嘆がグリーフで、死別のみならず失恋、離婚、失業、離別その他大きな心の傷みで体験する。
とりわけ死別が代表的とされているのは誰でもが避け得ない出来事であるからだ。

死別の悲嘆は深く関係していた者と死によって分かたれることによって発生する。
関係の薄い者と死別しても発生しない。

また関係は深いが長寿であるとか長い闘病の結果でむしろ死が本人にも平安をもたらすだろうと納得を得られた場合には静かな死の受容がある。

日本では高齢化が著しく進み、80才以上での死亡者が死亡者全体の6割を超えた。
その結果、悲嘆が強くない葬式が増加している。

大正、昭和前期であれば、長寿は80才以上を言い、その場合には長寿を寿ぐようなお祝いとして葬式が営まれることもあった。
だが、近年の葬式は、家族の解体、親戚関係が薄くなったこともあり、高齢になればなるほど会葬者も少なく、遺体処理的な葬式が増える傾向にある、というまた別の問題を抱える。

現状は、「血縁」という理由だけで死者と心的に近い関係とは必ずしも言えない。
家族の変容・解体は進行中である。
およそ6~7割の人は「家族」に親和的、プラスイメージをもつであろうが、3~4割はそうではない。

親族がいて遺体の引き取り手がいない人は2010年のNHK無縁社会プロジェクト調査では3万1千人だった。
おそらく2018年現在はその数は6万人を超えるのではないか。
※単独世帯で看取られずに死亡し、死後数日、数週間経過して発見される「ひとり死」が増加している。東京都監察医務院等のデータから推計すると年間3万人程度と思われる。

必ずしも遺族=死別悲嘆者とはいえない。
また、同じ家族のなかでも大きな温度差がある。

■死別の悲嘆の固有性、多様性

死者と心的に深い関係性をもつ者が死別により深い悲嘆を体験するのは病気ではない。
人間として極めてあたりまえのことである。

昔の葬式で「喪主だからひとさまの前で泣いたり取り乱したりせず気丈に振る舞うように」と奨励することがあった。
だが、それは葬式を外面的な儀礼としてのみ理解して、葬式の本質が死別に伴う作業という内面的部分にあることを忘れ、また死別の悲嘆を第三者が甘く見ての誤った理解からであった。

死別の悲嘆は多様である。

近親者の死はほとんどの人が体験する。
いくつかの類型に分けることは可能だが、関係が個々である以上、死別の悲嘆も個々で異なる。
「私の父が死んだときは…」と一般化することができない。
多くの人が間違うのは、自分の体験した少数の事例をもとに他人の死別を類推してしまうことによって発生する。

配偶者の死の場合でも、その2人の歴史、家庭環境、発生状況、そもそもの関係性等によって大きく異なる。
配偶者の死ということだけで簡単に類型化できない。

基本的に人は個々によって生は異なる。
同じように死別も個々によって異なるのだ。
表象も、涙、怒り、無気力等さまざまである。

人間は他人の死に対しては存外冷淡である。
簡単に了解してしまう。
あの約2万人の犠牲者が出た3・11東日本大震災は死の過酷さを喚起させる大きな出来事であった。
だがその時でも例外ではなかった。
同じ被災地であっても凄まじい温度差があった。
同じ被災地であっても、犠牲者を抱えた人とそうでない人との間には凄まじいまでの温度差があった。

■グリーフケアの限界

近年、葬儀において葬祭従事者の役割としてグリーフケアが注目されるようになった。
葬儀の内面的部分において死別が基本にあり、個々の遺族の支援は死別の悲嘆に無理解であっては不可能である。

しかし誤解してはならないのは葬祭従事者の行えるケアはささやかなもので、せいぜい個々の死別者の自らなすグリーフワークを邪魔しないことだ、ということは理解しておくべきだろう。
最も効果があるのは家族同士、友人である。

但し、誰の支援も得られない人も増えている。
少しの気づき、配慮が葬儀支援で大きな差となることもある。

(注)
「グリーフ」については何度か書いているが、私が書いてまとまったもので、ネットで見られるものには、2003年と古いが、次のものがある。
「グリーフとは何か?」
http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/grief.htm

2018年3月28日 (水)

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

■葬儀はだれのためにあるか?

 

「葬祭サービス」の目的は、葬儀等を十全に支援することにある。

そして葬儀等の目的を集約するならば、死者を弔い、送る(別れる)ことである。

 

これは一義的には死者の尊厳を守り弔うことであり、これを死者の近親者が充分に行えるように、近親者の想いに配慮して行うことである。

 

葬儀の葬祭事業者への発注は死者の近親者から行われるため、葬祭事業者にとっての顧客は発注する近親者であり、近親者のために葬儀を行う、と考えがちである。

それは一概には誤りとは言えない。

しかし単純すぎる。

 

そもそも死者が発生しなければ葬儀はない。

その死者を弔い、葬るために葬儀はあるのだから、葬儀の最大の主人公は死者である。

 

葬儀は誰のために行われるか、「死者のため」か「近親者のため」か、の二者択一を迫られるならば、その解答は「死者のため」である。

葬儀において「死者のため」が貫徹されなければ、結局は「近親者のため」にもならない。

 

仮に近親者が死者をいい加減にし、自分たちの満足のために葬儀を行なおうとするならば、葬祭従事者は近親者の意に反しても「死者の尊厳は私が守る」と心に覚悟するのでなければ葬祭サービスは成立しない。

 

■「遺体管理」は重要な責務

 

近年の通夜の場では、柩に近寄らず、遠巻きにしている近親者が少なくない。

「葬儀」ではなく「遺体処理」の場になっているのでは、と危惧する例が少なくない。

 

何も呼び名が「葬儀」とつくから死者の弔いを大事にしていて、「直葬」だから遺体処理だというほど単純ではない。

 

経済格差も大きいし、それぞれの家族の状況、事情、さらには死に至った状況も個々では異なる。

葬儀の外見だけでは判断できない。

それぞれの個々の固有の事情を見なければわからない。

 

90年代後期から主潮流となった「葬儀の個人化」は、外見では判断できない時代に入ったということである。

 

昔から葬儀が急がれるのは「遺体は腐敗する」からである。

遺体の腐敗が進み、死者の尊厳が失われることへの怖れが葬儀を急がせる。

 

死の状況にもよるが、一般的に言うならば、死亡後2~3日で葬儀を終了するのは、近親者の心情、心理を考えると「別れの時間」が不足している。

3日よりも4日、5日がいい。

少なくとも慌ただしいと近親者が思うことは避けるべきである。

 

問題は遺体を必要な期間管理できるかということである。

エンバーミングを処置するのでなければ遺体の安全な保全には自ずと限界がある。

葬祭従事者の大きな役割の一つが「遺体の管理」である。

 

だがこの任務の重要性に対する葬祭事業者の認識は未だに充分ではない。

正確に言うならば、充分な認識をもっている人、ほとんど認識していない人、その中間にある人が混在している。

 

2016(平成28)年の人口動態統計によるならば、死亡数は1,307,748人。

病院等死75.8%(2000年比▲4.3)、老人施設死6.9%(同+5)、自宅死13.0%(同▲0.9)、その他2.1%(同▲0.7)である。

 

16年前の2000年(死亡数961,653人)と比べると老人施設死が増えて、病院等死が減少している。

老人施設死が増加しているのは老人施設入居者増だけが理由ではなく、かつては老人入居者が危篤になると病院に搬送されて病院で死亡していたケースが多かったのが、病院に搬送して治療の見込みがない場合には、そのまま施設で看取るという考えをする施設が増加したことが多い。

 

1951(昭和26)年には病院等死11.6%、自宅死82.5%であったから大きく変わった。

 

病院等死が2割を超えたのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年。

病院等死が過半数を超えたのが1977(昭和52)年。

この時期を前後に葬祭事業者が大きく増加した。

それゆえ死後の遺体に対する処置は病院がするもの、という観念をもつ葬祭事業者が多い。

 

しかし、病院等での死後の処置は「遺体の管理」という観点で見ればはなはだ不充分なものである。

 

■遺体の変化、感染症 

 

遺体の死後変化は死後1時間内外から発生する。

外見的に死後硬直が出る等明らかになるのは主として病院等から出て以降である。

また病院では死後硬直が進む以前に死後の処置を済ませようとする。

 

だから看護師等は遺体の死後変化については無知に等しく、その対処は充分ではない。

病院における死後の処置はとりあえずの処置に過ぎない。

 

では遺体の変化に直面する葬祭従事者が充分に認識しているか、と言えば残念ながらそうではない。

葬祭従事者も死後変化については正確な認識に乏しく、公衆衛生的配慮も不充分である。

せいぜいドライアイスをあてるだけで遺体は管理不在の下におかれる。

 

遺体の変化は病気、死因、環境によって大きく異なり個体差が大きい。

また日々変化するので細かな観察が欠かせない。

遺体の管理に心砕く事業者はいるが、それは少数派に留まっている。

 

※遺体の変容については

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

 

「遺体処置」といえば納棺、湯灌を外注化するところが多い。

一般により丁寧な作業が行われているが、腐敗進行という観点で見るとおよそ効果がない処置である。

 

葬儀の祭壇設営、式の進行は専門分野であるが、遺体の管理は専門外であると認識している葬祭従事者があまりに多過ぎる。
これでは「丁寧で高品質な葬祭サービスを提供している」とは言えない。

 

葬祭従事者は、自分がわからないものだから病院等での専門職である看護師による死後の処置を過剰に信頼し、映画『おくりびと』が人気になれば納棺・湯灌の遺体処置業者に丸投げするケースが少なくない。
極端に言えば遺体の顔も状態にも無関心な葬祭事業者があまりに多過ぎる。

遺体を遠巻きにするのは近親者だけではなく、葬祭従事者も同様である。

 

遺体を詳細に観察している葬祭従事者は理解していることだが、顔面に浮腫等が発生し、近親者が会葬者に遺体との面会を嫌がる事例は1015%程度あるし、身体に至っては5割以上に見られる。臭気も無視できない。

 

また遺体は公衆衛生的にも安全とは言えない。

感染症でも特に危険な一類・二類、三類および指定感染症については厳しく管理され告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡の場合以外は死亡診断書・死体検案書に記載されない。

多くの場合、個人情報であることを理由に開示されない。

また医師が遺体の保持している感染症のすべてを把握していないケースが多い。

 

それゆえ葬祭従事者が遺体を扱う際には、危険な感染症を保持していることを前提としたスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて遺体を取り扱う必要がある。

 

遺体に接する近親者、葬祭従事者への公衆衛生的配慮にもっと関心を払う必要がある。

 

■死者の尊厳を守るということ

 

死者の尊厳ということは、生前の死者の功績や名声に無関係に、また葬儀費用の高にも無関係に誰にも等しく認められるべき権利である。

いのちの尊厳に欠かせない、葬送に従事する者にとって最も重視されるべき理念である。

近親者から遺体を預かり、葬儀が完了するまで葬祭事業者が遺体の管理の責任を負っていることの重要性は極めて大きい。

 

死者の尊厳を守る意味では、東日本大震災の教訓から、葬祭従事者の誰もが、公衆衛生に配慮した遺体対応ができるようになっていることが社会的責任としてある。

 

エンバーミングは現在年間4万体に処置されている。

死亡数に対して約3%である。

2000年に2万体を越し、この時が約1.7%であったから処置件数は倍に、割合も1.8倍近く増加している。

でも、事業者、施設、技術者が少なく、まだまだ選択肢になりえていない地域が多い。

 

※エンバーミングについては

http://www.embalming.jp/

 

浮腫の激しい遺体、事故遺体、病気でひどく変容した遺体、海外等に居住してすぐ帰れない近親者、子どもも高齢者も安心して死者と対面できること等を考慮すれば、エンバーミングの処置率は全体の30%程度には可能になるのが望ましい。

事業利益の向上のためではなく、遺体の尊厳、ゆとりある別れの実現のため、エンバーミングは積極的に検討されていいと思う。

 

エンバーマーの養成機関

https://www.humanceremony.ac.jp/subject/embalming/

 

2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

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目次

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互井住職×碑文谷創

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合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

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2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

Epson044

 

談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




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