2018年7月 9日 (月)

海洋散骨ガイドラインへの要望―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む③

前回まで
海洋民族の記憶の古層―『海へ還る―海洋散骨の手引き』を読む①
海洋散骨ガイドラインー『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-a687.html

 

『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む

が少し長くなった。

今回はこれでまとめるため、少し長くなっている。

 

海洋散骨ガイドラインは極めてよくできている。
前回紹介していなかった項目で重要と思われるのは

 

10 日本海洋散骨協会ガイドライン遵守事業者の登録及び公表

である。

 

 

7散骨意思の確認業務、8散骨証明書の交付義務(情報の10年間保管義務を含む)と10遵守事業者の登録・公表と組み合わせることで、

誰がどういう目的で誰を散骨しようとしたか、その散骨はどの事業者がどこで実施したか、という記録が保管されることになる。

 

 

これにこだわるのは2点ある。

 

1つは、散骨の方法の相当の節度だけではなく、散骨の目的が「葬送」ではなく、「遺骨遺棄」になっていないかの確認である。
2
つ目は情報の適正な管理である。

 

このために共通仕様の「散骨申込書」を作成し、これには特別な理由がない限り火葬許可証(火葬済印)、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証のいずれかを添付することを条件とするとよい。

 

加えて次の文書に申込者の自署を求める。

 

 

海洋散骨申込書

 

私は、海洋散骨ガイドラインを遵守して、下記の者の遺骨を、海洋散骨することを申込みます。

 

申込みにあたり、あくまで遺骨遺棄を目的としたものではなく、葬送を目的とすることを誓約します。

 

海洋散骨する被葬者氏名

 

添付する証明書 いずれかに〇 火葬許可証、火葬証明書、改葬許可証、その他(             )

被葬者本人の生前の散骨希望する文書等がある場合はそのコピー

 

申込み者氏名(自署)

 

被葬者との関係

 

当事業所は申込み内容を確認しましたので、海洋散骨の申込みを受託します。

 

受託するにあたり、当事業所は、海洋散骨ガイドラインならびに関係法令を遵守します。

 

本申込書ならびに散骨証明書の控えは当事業所において「個人情報取扱に関する海洋散骨協会の基本方針」に従い、個人情報保護法等の関係法令の定めに従い、5年間適正に管理します。

 

事業所名

 

担当者名(自署)

 

 

申込書と受託書は同一の書面に書かれ、控えを申込者に残す。

 

散骨で必要なことは目的の正当性と方法の相当の節度である。

 これを文書化することが望ましい。

 

自署とし、記名捺印にしないのは証拠の確保である。

記名捺印では偽造が行われる可能性があるからだ。

 

本書との関係でいえば、勝桂子さんによる第5章「墓じまいと海洋散骨」が本来で言えば、火葬許可証、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証の手続きについて実務家の立場で詳述されるべきである。

 それが必ずしもそうなっていないのは残念である。

勝さんの指摘で、墳墓に収められているのは焼骨が埋蔵されている事例ばかりではなく、埋葬(土葬)された遺骨も古い場合あり、原状復帰、改葬作業においては費用が嵩む可能性がある、というのは重要である。

 

「墓じまい」という言葉自体が新しい用語で、法律概念としては改葬である。
承継者不在、あるいは墳墓が遠隔地にある、という理由で、これまであった墳墓を維持できないために整理する事例は、びっくりするほどではないが増加していることは事実である。

 

墓所は原状復帰すれば解決するが、問題は墳墓に埋蔵してあった遺骨の取扱である。

改葬とは墓地埋葬法第23項で

 

この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

 

とある。

 

この先が永代供養墓(合葬墓)であれば問題は少ない。

これまで管理していた遺骨を、今後は承継を必要としない墓または納骨堂に託すことになるからだ。


しかし、この先が散骨であるとすれば、どうだろう。

れまでの遺骨の本人の生前意思、あるいは直接関係して供養してきた人の意思も不明である。

 

遺骨遺棄になるかならないか、かなり微妙である。

それが葬送であるならば、葬送する人の意思、心情が問われる。

 

個別の心情は問えないので、せめて散骨を申込む人が申込書に「遺骨遺棄ではなく葬送を目的としている」ことの意思表示が必要となろう。

そして申込む人も自らの死後に散骨を希望するのでなければ論理矛盾になるだろう。

 

供養論を展開するのであれば、主観で「寺院が悪い」とか、どこに、誰に責任を求めるか、ではなく、死者、遺骨に対する宗教感情の変化を社会背景との関係で整理して論じられるべきである。

 

その整理が充分にされていない議論展開になっている。

 

あえて些末な部分を例として取り上げる。

 

(墓じまいが)これほどに一気に、市民権を得、広まった理由は何でしょう?(略)よく言われるのは、核家族化によって、3世代で同居することが少なくなったからという理由です。(略)行政書士という立場からは、核家族が増えた端緒は、戦後に民法が改正されたとき、親と子のみの二世代戸籍が採用され、三世代以上がひとつの戸籍に入ることができない制度になったところにあると考えています。(略)すなわち、核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです。

 

明治民法の家制度が戦後民法で廃されたことは事実である。

戦後憲法と矛盾するからである。

 

「核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです」という意味不明な言葉は、では明治民法の家制度がよかったとするのか、という疑問をもたざるを得ない。

もちろん、そうではないだろう。

 

戸籍法が変わったりしたことが家族意識に影響を与えたことは事実であるが、それだけではない(勝さんも「端緒」と言っている)。

 

戦後、高度経済成長することで、郡部から都市部への人口の大移動が起こり、家族分散が生じ、都市部に移動した住民は地方の実家に住む親と同居せず、親と子のみの核家族単位の生活が多くなった。


核家族は、子が育ち独立すれば夫婦のみ世帯となり、どちらかが欠ければ単身世帯になる。

現在、全世帯の4分の1、一般世帯(施設等の世帯を除いたもの)の3分の1が単身世帯となっている。

 

「親族」と言っても、子ども時代に近くに住んでいた、行き来が多かった、今も連絡がある…というのであれば関係は親密である。

だが離れて、無関係に過ごせば関係は自然に疎遠になる。

 

今、葬儀で「親族席」が縮小傾向にあるのは、戦前と比べてではない。

1980年代、1990年代と比して大きく縮小している。


勝さんが言いたかったのは、供養する気持ちを持ち続けることの大切さ、ということだろう。

 

海洋散骨が増えた社会的背景については村田ますみさんの第1章「海洋散骨とは?」がよくまとまっており充分である。

 

村田さんは海洋散骨がどういうものであるか、イメージしやすく展開している。

海洋散骨基礎知識が40ページ程度にうまくまとまっている。

 

感心したのは「散骨の歴史」。

 

12ページ程度にコンパクトに、ヨーロッパ、アメリカ、アジア(特に中国、韓国)の火葬事情、墓地事情、そして日本の古代からの火葬史から現代の墓事情までまとめられている。

 

私はとかくグダグダ書く癖があるので、こうしたまとめ方には教わるところが多かった。

 

補完するなら、1960年代のローマ教会のバチカン公会議で世界的に火葬が公認化されて以降、火葬は近代葬法として村田さんが紹介した以上に、ヨーロッパ、アメリカで伸びている。

 諸外国の火葬率の新しいデータは日本斎苑協会のホームページで見ることができる(イギリス火葬協会のまとめが出典)

http://www.j-sec.jp/files/f_1528351312.pdf

 

村田さんは2010年のデータで、ヨーロッパで火葬率70%を超えている国としてスイス、イギリス、スウェーデン、デンマークの4か国を挙げているが、201516年ではチェコ、スイス、スウェーデン、デンマークの4か国が80%を超している。

 

北米ではカナダが70%、アメリカ合衆国が50%と急伸している。

 

北米ではCANA(北米火葬協会)が2017年のデータを公表しているが、各州軒並み火葬率がアップしている。

「カリフォルニア州では火葬率が50%を超える」と書かれているが、全米で50%となり、西海岸ではワシントン州、オレゴン州では70%を超え、カリフォルニア州では6170%となっている。

ニューイングランドの最東北部にあるメイン州でも火葬率は70%を超えている。

 

村田さんがカリフォルニア州法に着目しているのはさすがである。

散骨、エンバーミングでは、カリフォルニア州法が日本にとって参考となると思われる。

 

 

2018年7月 8日 (日)

海洋散骨ガイドライン―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』はいろいろな意味で興味深かった。
特に興味深かったのが「付録」として掲載された日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」である。
これは優れている。

ガイドライン策定趣旨に次のように記されている。

万が一、散骨の態様が祭祀としての節度を越え、一般市民の宗教的感情を害した場合、遺骨遺棄罪にあたり違法と判断される可能性があります。
そこで、海洋散骨が祭祀としての節度をもって行われることを確保するために、業界団体として散骨方法に関する自主基準を策定する必要があると考えました。

そこで「散骨について否定的見解」をもつ人がいるという「事実も真摯に受け止め」、そうした人にも「理解を得られるよう、適正な散骨方法を広めていくこともまた、散骨事業者の責務」としている。
加えて、次の一文がある。出色と言ってよい。

そこで、海を生業とする方々とのトラブルの防止、環境保全、散骨の安全確保などの観点から問題視される可能性のある海洋散骨を抑止するためにも、業界団体として自主基準を策定する必要性があると考えました。

この点に関しては第4章に海事代理士の高松大さんが「海洋散骨と海事法規」を書いており、これは必読である。
私個人としては海洋葬について突き詰めて考えてこなかった。
まさに「不勉強」であったが、これは教えられた。

この自主基準は極めて具体的である。

〇粉骨義務
「遺骨を遺骨と分からない程度(1ミリ~2ミリ程度)に粉末化」
〇散骨場所の選定義務
「人が立ち入ることができる陸地から「1海里以上離れた海洋上のみ」「河川、滝、干潟、河口付近、ダム、湖や沼地、海岸・浜辺・防波堤やその近辺」での散骨禁止
「散骨のために出航した船舶においてのみ」散骨可で、「フェリー・遊覧船・交通船など一般の船客がいる船舶」では不可。
「漁場・養殖場・航路を避け、一般の船客から視認されないよう努める」義務。
〇自然環境への配慮義務
「自然に還らないもの(金属・ビニール・プラスチック・ガラスその他の人工物)を海に」撒くことの禁止。
「献花、献酒するにあたっては、周囲の状況に配慮」する義務。
〇参列者の安全確保義務
「船客賠償保険加入」義務、「小型船舶に乗船中の小児」にライフジャケット着用義務、「緊急時の連絡体制」、「乗員定員厳守」、「風速・波高・視程による出航停止基準や出航後の運航中止基準」の確立、厳守、「法令に従い安全に船舶の運航を行うこと」
〇散骨意思の確認義務
「官公庁からの依頼の場合を除き、本人の生前の散骨希望意思に基づく申込みまたは葬儀を主宰する権限がある者からの申し込みが必要」
「本人の生前の散骨希望意思の確認が取れずかつ葬儀の主催者が本人の親族でない場合」は「全量散骨を避けるなど適切な助言」の努力義務
〇散骨証明書の交付義務
「緯度・経度を示した散骨証明書を交付」、散骨場所情報の「10年間保管」義務
〇一般市民への配慮義務
「桟橋やマリーナの他の利用者への配慮」義務

驚くべきは、8つの注を設け、なぜこうした配慮が必要かを解説している点。
行き届いた内容となっている。
このガイドラインについては第3章「海洋散骨に関する法律」で弁護士の武内優宏さんが詳しく解説している。

■散骨の合法性に対する論理への若干の疑問

8月23日のエンディング産業展で村田さん、武内さんによるセミナーが予定されている。
このタイトルが「散骨は違法?合法?グレイゾーン?高まるニーズに対応するための海洋散骨基礎知識」と題されている。

私個人としては「葬送を目的として、相当の節度をもって行われる」前提で散骨は刑法190条の遺骨遺棄罪に該当しないと考えている。

1991年に葬送の自由をすすめる会が相模灘で第1回の散骨を「自然葬」と名付けて行った。
同会は「葬送の自由」を掲げて実施した。

法律に優位するのは無論憲法である。憲法第13条には

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

とある。

その下に刑法も民法といった法律も存在する。
さらに自治体が独自に定めるものが「条例」である。
(注)付言するなら、戦後民法が改正されたが、憲法が変わった以上、その理念を異にする明治民法は大きく改正をよぎなくされた。

散骨が合法か否かが問題となるのは2つの法律である。

刑法190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

この中で、散骨は「遺骨遺棄罪」に該当するか、否かである。

ガイドラインでは

散骨については、法務省が、1991年に、葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪(刑法190条)に違反しないとの見解を示しています。
このように、散骨は「節度をもって行われる限り」自由に行うことができます。

と、書いているのは書きすぎである。

武内弁護士はさすが、もう少し精緻に議論を展開している。

ここは、朝日社会部による「法務省見解」に依らず、
海洋葬の自由を確保するために「葬送の祭祀を目的」として「相当の節度」をもって行うべくガイドラインを設けた。
と書くのが適当である。
この点はぜひ次回改正してほしい。
せっかくの自主基準である。

(注)エンバーミングについても刑法190条死体損壊罪にあたるのではないか、という係争があったが、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)が精緻な(A420ページ)自主基準をもって実施していたことにより「IFSAの自主基準に則して行われるエンバーミングは正当業務行為」という判決が2006年に確定している。ここでも目的の明示、詳細な相当の節度の内容を規定している。

なぜ書きすぎか、というと、法務省が見解を発表した事実はないからである。
「法務省の見解」とされたのは、第1回自然葬実施について朝日新聞社会部記者が報じたものである。
後日、私が「見解を発表した」とされる法務省刑事局の担当官に面接して聴いたところはこうである。

相模灘の散骨について、法務省として遺骨遺棄罪として摘発する意思があるかないか取材を受けた。
法務省として違反かどうか判断する立場にはない。
違反かどうかは裁判所が判断すべきものである。
したがって法務省は判断しない。
今、これを摘発する段階ではない。
検事という法曹人としての個人的な考えで解説するならば、刑法190条の法益(法律が守ろうとしているもの)は遺体、遺骨に対する社会的風俗としての宗教感情である。
今回の散骨がこの法益を害するものか慎重に見極める必要がある。
目的が仮に正当であるとしても次に問われるのは方法が「相当の節度」をもって行われているか、である。
散骨は外形的には遺骨遺棄に当たる。
例えば死体解剖であるが、外形的には死体損壊になるが、死体解剖保存法、献体法、刑事訴訟法で定めがあり、これらに該当すれば死体損壊罪に該当しない。
それ以外であれば、目的と方法について慎重に検討されるべきであろう。
散骨法ができれば別だが。

当時、各種世論調査が行われ、散骨を自分が行うか、については15%程度であったが、家族がその意思をもって行うか、については7割程度が支持すると回答していた。
国民に明確な違反意識がない段階で法務省が摘発するというのは違うだろう、という意見であった。
見解発表という報道については「見解発表する立場にないのだから」と強く否定していた。

朝日社会部記者は2つの過ち、世論のミスリードをした。
1つは「法務省が見解発表」という事実でないことの報道。
2つめ、担当官の個人的考えのうち「方法については相当の節度が必要」をより簡易な「節度」という表現に置き換えたことである。

武内弁護士が参考として例示している熱海市、伊東市のガイドラインでも「節度」ではなく、「相当の節度」という表現が用いられている。

墓地埋葬法
第4条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外にこれを行ってはならない。

ここで書かれている「埋葬」とは「土葬」の意で、「焼骨」とは「火葬された骨」の意である。
厚生労働省は、墓地埋葬法は散骨を想定していない、と発言しているが、散骨は合法とは言っていない。
現実としては散骨に反対する、あるいは規制したいという自治体があり、それぞれの自治体に判断を任せている状態にある。

海洋散骨ガイドラインも、喪服着用しない等、ここまで神経を使う必要があるか、と思うほど民意に配慮している。
北海道長沼町の散骨を禁止する条例にしても、散骨を一律否定するのは行き過ぎと思われるが、きっかけが無茶苦茶な住民の意識を逆なでするような事業者の散骨実施にあった。
まさに自主基準が求められる。
または、民意を反映した散骨法等の制定が必要となる。

私個人は基本的人権に属することを何がなんでも法律で規制しよう、という考えには組みしない。
しかし、葬送というのは弔う権利を保障するためにも慎重な相当の節度を要する、と考えている。

2018年7月 2日 (月)

海洋民族の記憶の古層―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む①

太田宏人さんとの縁で、村田ますみさんから彼の遺稿が収録された本を出す準備をされていると教えていただいた。

 

(注)太田宏人さんについては
ペルーとの関係を含めてわかる晃輝和尚の
https://ameblo.jp/seiryo-koki/entry-12377528763.html

asunohaさん(僧侶)の

http://taka.hasunoha-blog.info/shinsai6year/

私が書いた太田さんの訃報

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-134c.html

私が書いた太田さんの葬儀の報告

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-10c5.html

 

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』(啓文社書房)

である。

アマゾンで予約したが、それに先行して、贈呈いただいた。感謝!

Photo


この本はいろいろな意味で学ぶところが多かった。
海洋散骨について論じる場合に、避けて通れない必読書であろう。
とても丁寧に作られている。

本書については追々書いていき、感想も書かせていただくが、まずは太田さんの遺稿について触れたい。
全体の1割、20ページ足らずであるが、この小論、太田さんらしいキラリと光るものがある。

太田宏人さんは第2章「宗教面から見た海洋散骨」について書いている。

海洋散骨(海上散骨)について、日本の既存の伝統宗教からは、懐疑的な声が聞こえます。しかしながら、この国には「海へ還る」「海で眠る」という伝統があったことは事実です。

 

そして太田さんは「海洋民族の記憶の古層」を指摘する。
太田さんが展開するように、「人種的にも、文化的にも、日本人のルーツは多様」であり、「いくつもの他界観」をもっている。


その一つが「山上他界」「海上他界」である。

四方を海で囲まれた島々から成る日本列島。

長い海岸線に囲まれ、島の多くは山岳地帯。

平野部に後に都市が建設されるが、私たちがかつて住んだ地域は、背後が山で海岸線に沿った集落か、山間にあって河川の傍の集落であるかが多い。

山間部では死者は近くの霊山の麓から「浄土」へ還っていくと考えられた。
海岸線では海岸の洞窟から死者は海の彼方にある「浄土」へ還っていくと考えられた。

宗教学者である山折哲雄が日本の地理から生まれた日本人の浄土観を描いている。
これが近世以前の日本人の「古層」の他界観であった。

 

太田さんは、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を紹介する。

 

仏教の浄土といえば、阿弥陀如来の住む西方浄土が有名です。もうひとつ、観音菩薩が住む、あるいは降り立つ山「補陀落」または「補陀落山」という浄土が、南の海上はるか彼方にあるとされました。

 

私は、太田さんが海上他界に着目したことに彼の豊かな宗教観を反映していると見る。

太田さんの小論は「仏式海洋散骨」はどうあったらいいか、について実践的に書くのであるが、その背後には彼の禅僧としての供養へのこだわりがある。

 

仏教が海の上での散骨そのものについて反対する根拠は、私は希薄だと思っています。散骨に反対する僧侶は、墓制度や、供養の場所として大切な機能をもつ墓の存在と相容れないためと考えているようです。しかし、墓制度そのものは明治以降も常に変化を続けています。また、散骨を選ぶ確たる理由がある場合、やみくもに反対するのは衆生救済、衆生の抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与えること、慈悲)を旨とする大乗仏教の実践者として、どうなのでしょうか。

 

僧侶に対して批判して傍観者になるのではなく、供養をしてほしいと願う人がいれば、参加して供養すべきではないか、と勧めている(もっと穏便にだが)。
そして極めて実践的に仏式の海洋散骨での法事のあり方を提示している。

 

どこでも苦あるところには馳せ参じた。

供養することに生命を削り、一介の聖(ひじり)たろうとした太田さんの姿がここでも見ることができるように思う。

 



 

 

2018年6月26日 (火)

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける―中外日報コラム④最終回

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。
今回は最終回。

1回は、
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は、超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

3回は都市化・過疎化と葬儀、墓—中外日報コラム③

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ad89.html

 

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける

 

■葬送の変化の20

 

「葬送が変化した」と言われて20年が経過。
葬送が明確に「個人化」へ舵を切ったのが1995年。
阪神・淡路大震災が発生し、6千人を超える大量死を生んだ年であった。


1990
年前後から跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)散骨が話題となり、1999年には樹木葬が誕生。
今や「送骨」も現れた。


葬儀では1995年に「家族葬」という言葉が誕生。
2000
年には葬儀式を伴わない「直葬」が話題を集めた。

宮型霊柩車は姿を消し、葬儀は自宅から斎場(葬儀会館)へ場所を移動。

1990年頃は会葬者300人という葬儀もごく一般的であったが、今や3060人程度が最も多い。

 

■仏教各派の葬送儀礼に変化が見られない

 

こうして何もかも変化したように思えるが、仏教各派の葬儀儀礼の次第にはあまり変化が見られない。

禅宗のみならず各宗派の次第を見ると、「葬列」が行われていた時代痕跡を多くが残している。

しかし、おそらくほとんどの僧侶は葬列を知ることはない。

 

中には遺体安置から始まり、柩を前に読経し、棺を閉じて出棺し、葬列を組み、火葬の火を点火するまで、かつての葬儀プロセスが1時間の中に再現されているものがある。

おそらく葬儀の進行に合わせ、都度行われてきたものなのだろう。


しかし、今、かつての葬儀進行への知識も想像力も欠いたまま、「正しい儀礼」を踏襲している。

 

■儀式に現場感覚が失われている

 

儀式が本来もっていた具体性、現場感覚が失われてはいないか。葬儀は、固有の死に直面し、死者を葬り弔うという遺族や死者の仲間たちの悔恨、絶望、悲嘆等の心情の揺れのプロセスを背景としたものであったはずである。

 

例えば、引導の松明は火葬の点火の名残。

今導師は、その生々しい緊張感を保持して引導しているだろうか。

 

死者個々に向き合って行われただろうことを示すのが引導文、歎徳文、諷誦文と言われるもの。

定型文中の名を入れ替えただけのものになってはいないか。

 

■死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける

 

「葬儀式は大切だ」と多くの僧侶は言うが、自分たちが営む儀礼にどこまで自覚的だろうか。

 

通夜と葬儀の意味の違いも知らず、遺族が式としての通夜を省くと「儀礼軽視」と難ずる。

そのくせ意味不明な「式中初七日」は簡単に受け入れる。

 

死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける。

その場に立ち竦み悩む僧侶にこそ期待したい。



(補足)小型化は全国で起こっているが、東京では20人以下が多いという。
家族5人程度といったのも普通に見られるようだ。

個人化した今、人数が問題ではない。
それぞれで考え方、事情も異なるからだ。
問題は弔いの実質を持っているかだろう。

過去の高度経済成長期の葬儀、多数の会葬者を集めて行われたが、社会儀礼に偏し、弔いの実質が伴わない葬儀が少なくなかった。

中高年の僧侶と話していると、今の葬儀の変化を嘆いているが、それは高度経済成長期の葬儀に比べて、というのが多い。
ちょっとおかしい。

社会の背景も異なる。

しかし、過去のありようへの反省がなくては、今を批判するのはおかしいだろう。

2018年6月23日 (土)

都市化・過疎化と葬儀、墓ー中外日報コラム③

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。

1回は
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

そして、今回は3回目。
ちなみに中外日報では「
人口、地方から都市へ 墓じまいより放置墓深刻」と編集部がタイトルを付けた。

■都市化・過疎化と葬儀、墓

 

1950(昭和25)年時の日本の人口は郡部が8割、市部が2割。それが戦後高度経済成長で1955(昭和30)年に始まる戦後高度経済成長以降、人口大移動が発生。今や郡部2割、市部8割と逆転している
戦後日本はこれだけ大きな変化をしたのだ。
地域共同体が中心だった社会が個人化した。
多くのものが変化したし、人の死も葬送もまた大きく変化した。

 

人口分布が大きく変化したのに寺の分布は江戸時代より大きく変わっていない。

過疎地の寺院が残った高齢檀信徒の手では維持できなくなり、消滅が相次ぐのは社会の趨勢ではある。

 

問題の一つは、都市化した住民が大量の宗教的浮動層を生んだこと。

地方寺院と都市寺院を結ぶという点では教団はネットワークとしてまったくといっていいほど機能しなかった。
住民を送り出す側の地方寺院は、都市寺院に檀信徒を奪われるのを嫌って紹介しなかった。

(補記)もとより寺院だけに宗教的浮動層の大量発生の責を負わせることは不当である。
都市住民の足元が浮遊し、家族は核家族を中心とし、将来の単身化を生んだ。
テレビが普及し、情報が溢れる。
都市はたくさんの興味あるもので満ちていた。
経済的には総中流を生み、大量消費社会となる。
しかし、1990年代以降、個は孤に変じ、今や大格差社会となる。
宗教は懐かしさの対象であって、観光として魅力をもつが、人間の生死にあまり交差しない。
それこそ盆、彼岸、葬儀、法事でのみ頭を過(よぎ)るのだが、過らない人もまた多い。


都市寺院は、都市化の恩恵を受け、地方出身の住民の葬儀・法事で泡銭を獲得し、地方寺院の疲弊化と反対に富裕化。
だが、その住民を取り込み檀信徒化することには失敗した。
葬儀に対し、頼まれ仕事という意識で、死者、遺族に責任をもって取り組もうとする寺があまりに少数に留まった。

(補記)都市住民、特に地方から都市に来た新住民はそれなりの悩み、問題を抱えていたのだが、それに対応したのは創価学会、立正佼成会、霊友会等の新宗教。
既成宗教は軒並み新住民の取り込みに失敗する。


その間隙を今ネット企業が僧侶派遣事業で攻める。
派遣要員となったのは地方、都市を問わず寺院格差により食えなくなった僧侶たち、2世僧侶たちだ。

都市寺院は、僧侶派遣を自分たちに入ってくるはずの収入を横取りするものとして敵対視。
だが、葬儀だけを頼む宗教的浮動層からは、都市寺院僧侶の「やってやる」とばかりの尊大さが人気を低くし、「お客様サービス」として評価を受ける派遣僧侶がむしろ相対的に高く評価される傾向にある。

(補記)僧侶個人の資質により大きく異なる。
今は、若い僧侶を中心に、身を低くして接する、誠実な僧侶が増えていることは確かだ。
しかし、総じて大きな名門寺院の僧侶ほど、偉そうな顔して、自分たちが上席に座るのは当然、敬語で話しかけられて当たり前、と思っているのが多い、と思うのは偏見だろうか?
自分に能力がないのを知っているから、上から目線でしか接しようとしないのか?


無論、僧侶派遣事業は宗教収奪であり、正当性はない。
だがそれに対抗すべき寺院側にも宗教性が欠ける点が問題を深刻にしている。


今、NHKが若手のディレクターが中心になり「墓じまい」を煽る。
地方等の家墓を整理し、都市周辺の承継を必要としない永代供養墓(合葬墓、合同墓)へ改葬することだ。
90
年代は「お墓の引っ越し」と言われ、今は「墓じまい」

(補記)確かに住居を地方から都市に移し、もう地方に戻る意思がない者は多く、高齢になれば墓参も大変になる。
地方に親や親戚がいたときはともかく、帰っても実家もない、あっても地元に残る親戚とは疎遠。
子がない人も多い。
子がいても、その子に子がいない例は多い。
継承されるべき家(イエ)がない人は多い。
だが、墓は何とかしなくちゃいけない、と念慮しなくてはならない存在としてあるのか?

 

騒がれてはいるが、はたして「墓じまい」は増加しているのだろうか?

改葬数を見ると1998年7万件、20068.9万件、2014年8.4万件、最新の2016年は9.7万件。

確かに増加はしている。
だがもてはやすほどではない。


他方、確実に増加していると思われるのが地方郡部の放置墓。
2~3割に及ぶ。
墳墓総数を少なめに1千万基と推定、1割としても放置墓は100万基となる計算になる。

(補記)日本人は「先祖」を大切にする、と言われる。
先祖祭祀の事例は多い。

しかし、「墓」ということが大衆に定着してくるのは室町末期の戦国時代以降のこと。

江戸時代に入り、大名、旗本、上流武士、豪農、豪商といった守るべきものがある人たちは、生活の起源となった人を崇拝し、それを祀ることで家のアイデンティティを確保したであろう。

だが名もなき大衆はどうだったのか?
せいぜいが生を共にした両親、祖父母までであり、それは「祖先祭祀」というよりも「死者祭祀」ではなかったか?

一つの墓石に同じ家の死者の遺骨を納める「家墓」。
まず火葬でなければ同じ場所に納骨(法律的には「埋蔵」)できない。
火葬率が高かったのは江戸、大坂等の大都市、地方では浄土真宗の門徒の勢力が強かった北陸地域等。
1896
(明治29)年の調査で火葬率は3割以下(26.8%)であるから、一般的ではあり得ない。

 

江戸時代に一つの墓石に複数の遺骨が納められた事例はあるようだが、家族全員代々となると、よほどではないか。

私の母方の家は大名の家老職であった。
今でも寺の墓地の一角に代々の墓石が広く置かれているが、祖父母までは個人墓である。
叔父が「こんなことは続けられない」と家墓を造り、今では叔父と昨年死んだ叔母が一緒に入っている。

私の父方は関東の大名で「取り立て家老」というのだろうか、代々ではなく、家老になったこともある家であった。

参勤交代があるので、東京と地方に墓はあったようだ。
東京では宗派の異なる複数の墓があったらしい。
というのは、明治で陸軍の将軍になった曽祖父の巨大な墓(隣に妻の墓、一角に息子の墓)があり、私が管理しているのだが、大出世した曽祖父以前の墓の記録がないのだ。
曽祖父が新たに求めた寺は元々の檀那寺とは異なる。
大成功した曽祖父は、それ以前の父母、祖父母等の墓を捨てた。

私の双系は江戸期までは上流武士である。
しかし、そんなものだ。

 

火葬が急速に進捗するのは明治末期以降。
コレラが大流行し、伝染病予防法が制定され、明治政府は公衆衛生の観点で土葬から火葬へ舵を切った。
「家」が単位となったのは1898(明治31)年公布の明治民法が家制度を強調した影響が大きい。

といっても急に火葬率が増えたわけではない。
第二次大戦の直前、1940(昭和15)年に火葬率はようやく5割になった。
昭和の初期に「〇〇家」の墓は大流行するのだが、大都市や火葬が進んでいた地域でのこと。

戦後になり、国が融資制度を設け、地方自治体に火葬場建設を奨励した。
この結果、196063.1%、196571.8%、197079.2%、197586.5%、198091.1%、198594.5%、199097.1%、199598.3%、200099.1%、201099.9%、2015年には統計上100%の99.99%と火葬率は急上昇。
土葬はまれになった。

大人口移動で都市に来た人たちが、都市近郊に墓を求める「墓ブーム」が到来するのは1970年代のこと。
家族形態は戦後民法の基礎、世帯である核家族。
都市周辺は火葬がすでに一般的。
新しい墓地許可条件は「焼骨の埋蔵に限る」と条件づけられた。
時代は総中流。
墓石もブランド物が選ばれる。

古いと思われる「家墓」が一般化したのは戦後、70年代、80年代のこと。
そこで言われた「家」はもはや明治民法下の「家(イエ)」ではなく「世帯」であった。

世帯単位であれば、継承が困難になるのは目に見えている。
今では一般世帯の3分の1(全世帯の4分の1)が一人世帯。
今後は継承を必ずしも前提としないシステムでなければ墓は行き詰る。

近年の東京、大阪に出現しているビル型「大納骨堂」「室内墓地(霊廟)」と称されるもの(墓地埋葬法上は「納骨堂」)。
墓参りに便利、無縁にならない、が売り。

でも、少し危険。
建物、骨壺を自動移送するシステム(倉庫システムの応用にすぎない)、いずれも将来はメンテナンスを必要とする。
納骨堂は「死者の安寧」の観点から維持されるべきである。
売ったお金の一部は常に基金として保全し、将来の用途に備える必要があるが、事業主体である寺院がどれだけ基金化しているだろうか?

すでにいくつか経営困難になり、事実上「売り」に出され、経営母体が変更している事例がある。
経営実態の公開は必要である。



2018年6月 2日 (土)

「孤独死」「無縁墓」は再考を―中外日報コラム①

 

仏教関係の新聞『中外日報』2018420日から518日まで4回にわたってコラムを掲載した。

これについては後で紹介するつもりであったが、予想よりも早く中外日報ホームページに1回目が掲載された。

「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉

 www.chugainippoh.co.jp/rensai/zuisou-zuihitu/20180420.html

 

そこで慌てていったんアップしたが、少し注を入れよう、ということで再アップする。
以下が原文に注を加えたもの。


東京都監察医務院「世帯分類別異状死統計調査」によると、東京23区内で自宅死亡した単身世帯のうち死後2日目以降に発見された者は、2004年が2148人、08年2630人、12年が3257人、16年には3657人と増加している。

 

(注)死後2日目以降を再集計して得られた数。上記調査では当日発見された場合も含めて出している。

 

 

ここから推計するに、全国で死亡時に看取る人がいなかった「ひとり死」は年間約3万人となるだろう。

 

(注)「ひとり死」は小谷みどりさん命名。私は「単独死」と称していたが…

 

監察医務院は「孤独死」といい、人によっては「孤立死」というが、これは価値観をともなった用語で不当である。

 

「国民生活基礎調査」によるならば、16年は単独世帯が27%を占めた。若者から高齢者まで4人に1人以上が「ひとり暮らし」。

「ひとり暮らし」をよぎなくされる者もいれば選択する者もいる。「ひとり暮らし」の実態はさまざまである。

 

知人は「ひとり暮らし」の兄を毎月2回訪問していたが、その合間に兄は突然死。妹である知人は「孤独死」という言葉に深く傷ついた。

 

いずれにしろ生前を知らずして、結果として死亡時に看取る者がいなかった人を、死亡後に第三者が安易に「孤独死」「孤立死」と呼んでいいわけはない。

私は価値観なしの用語「単独死」「ひとり死」を用いる。

 

そう言えば「無縁墓」もいやな言葉である。

 

誰とて縁のない人はいない。
たまたま子がいなく墓の跡を継ぐ血縁者がいない、というだけのことである。

 

(注)墓地埋葬法施行規則第3条に「死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下「無縁墳墓等」という。)  

とある。
法令上の文言であるが、だからといって「いい」とする訳にはいかない。

 

 

16年の合計特殊出生率は1.44人、少子化傾向は続く。
生涯未婚率(50歳時の未婚率)は男性23%、女性14%(15年)と非婚化は進む。

離婚数は婚姻数の約3分の1。


結婚する、一生添い遂げる、子どもがいる、家族が一緒に住む、病者を看護する、高齢者や障がい者を介護する―のがあたりまえとは言えない時代となった。
「ひとり」という生き方をすべてが選択したわけではないが実態は多様で個別の事情はさまざまで異なる。


寺はすべての人と縁を結ぶ存在だろう。
それであるならば、せめて寺から「孤独死」「無縁墓」という言葉を追放したいものだが…。

 

2018年5月20日 (日)

散骨の島 カズラ島

Img_3893


「散骨の島」として知られるカズラ島について、本日(2018520日)の朝日新聞に作家である重松清さんと訪問した
(視界良考)重松清さんと @自然葬の島

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13502356.html?iref=pc_ss_date

が載っている。

 

カズラ島のことはもっと知られていい。
島根県隠岐の海士町にある無人島カズラ島。
ホームページ
http://www.kazurajima.jp/

 

私はカズラ島については2010年に取材して雑誌『SOGI』に書いている。
当時のものであるが当時の掲載写真とともに再掲しておく。
散骨(自然葬)についての議論も簡単であるが整理している。

 

レポート

現代の霊島 散骨の島

隠岐の無人島カズラ島訪問記

 

■カズラ島

隠岐諸島は、日本海にあり島根半島の北方約50キロにある。

島根県に属している。

昔は隠岐国という自立的な地域であった。

 

隠岐は島前と島後に分かれる。

島前は主に知夫里島知夫村)、中ノ島海士町)、西ノ島西ノ島町)から成り、島後は島後島隠岐の島町)。

小島を入れると180島くらいから成るという。

 

今回の主役は島前にあるカズラ島。

海士町の諏訪湾入り口にある無人島である。

ここ一帯は大山隠岐国立公園の「第一種特別地域」。

将来も無人島であることが約束されている。

内海にあるため海面は穏やか。

 

対岸の慰霊所からカズラ島を望む
Img_3960_3

 

隠岐は遠流の地として有名。

13世紀には後鳥羽上皇が流され、この地で最期を遂げている。

また、隠岐は日本と中国、朝鮮半島の交易の地としても歴史に刻まれる。

 

■散骨(自然葬)を巡る論議

散骨が市民団体葬送の自由をすすめる会の手で「自然葬」と名づけられて相模湾で行われたのが1991年のことである。

その後、散骨(自然葬)は徐々に市民権を獲得し、今では「葬送を目的として相当の節度をもって行われるならば違法ではない」という法解釈が定着している。

 

各種の調査を見ると、「散骨をしたい」とする意見は15%程度であるが、「本人の希望であれば」等の意見を含めると約7割の人が理解を示している。

「理解している」「反対していない」が約7割というのが国民感情を表しており、刑法190条遺骨遺棄罪に該当していないとする数字的根拠である。

 

といっても無原則で認められているのではなく、「相当の節度」が求められている。

 

ここでいう「相当の節度」とは、①遺骨を細かく、原型がわからないまでに粉砕し、②生活用水として住民が使用している河川、養殖場や海水浴場など風評被害が起こる可能性のある土地を避けて行う、ということである。

「散骨が違法ではない」というのは、こうした基本的条件をかなえた場合に限るので、そもそも無条件ではない。

 

だが「相当の節度」を弁えない散骨もあり問題を発生させた。

 

北海道の長沼町では住居に近い公園の木々の根元に原型が残る遺骨を撒き、地域住民の反発を受け散骨禁止条例ができた。

この風評被害を恐れ、秩父市、御殿場市、岩見沢市等のいくつかの市区町村で散骨の禁止、制限の条例化が行われている。

 

長沼町の例で見れば、最初に墓地として申請した業者が、許可を得られなかったので、その地を公園とし、「散骨であれば墓地である必要はない」と勝手に理解し、公園内の木々の根元に遺骨を細かく粉砕することもなく撒いた。

これを「散骨樹木葬」と称した。

これを周囲の住民が発見して騒いだのが条令制定につながった。

 

長沼町のケースであれば、節度を全く弁えずに行った業者の行為が批判されるべきで、つまり散骨の方法が問題とされるべきで、散骨そのものの是非として論じられるべきではなかった。

 

長沼町のケースが教えてくれたのは葬送が住民の素朴な感情と折り合いを丁寧につけることの必要性であった。

だから散骨禁止条例を作り上げた住民が批判されるのではなく、そこまで住民を怒らせた、配慮なく遺骨を放置して「散骨樹木葬」なるものを行った業者が批判されるべきなのだ。

 

■島全体が霊場

隠岐のカズラ島は「日本初の専用散骨所」というネーミング、あるいは「自然散骨所」というネーミングが注目されるのではない。

海士町の住民との息の長い話し合いがあり、隠岐の国立公園という環境を維持しながら、隠岐の人あるいは隠岐出身者の永眠の地を確保しようという合意に向けた努力がなされたということである。

 

カズラ島に接近
Img_3962_2

無人島カズラの自然は最大限確保し、むしろその未来を考え、散骨の時だけの上陸、その通路を恒久的なコンクリートではなく、木材によるものとしている。

 

カズラ島の仮設接岸
Img_3963_2


 

島の自然を守るため島への上陸を制限している。

また、追悼はちょうど真向かいの対岸の慰霊所で行う。

 

慰霊所に実際に行ってみて驚くのは、慰霊所からカズラ島が正面にくっきりと姿を現すことである。

地図で見るよりも近いのだ。

誤解を避けずに言うならば、慰霊所から見えるカズラ島全体が「ハカ」に見えるのだ。

散骨は「ハカ」の体内に分け入り、その体内に同化できるように撒き、そして出て、「ハカ」全体を拝む如きなのだ。無人島カズラ全体が自然の造った霊廟の如くあるのだ。

 

島内には地蔵も
Img_3970_2


そして隠岐の人が隠岐から出て行った人の遺骨を迎える場所として、跡継ぎがいない人のためにも、また、全国の人も受け入れる場所として設けた霊廟なのだ。

 

島の頂上散骨場所

白く見えるのが先日家族揃って撒いた散骨痕
Img_3968_3

 

カズラの位置は孤島ではない。

隠岐の島々に抱かれているようにしてある。

隠岐をもっと大きな生命体としてとらえるならば、隠岐があらゆる死者を受け入れているが如く感じるのだ。

地元の人々と丁寧に協働して散骨の島カズラは作られて行っている。

 

島から慰霊所を望む
Img_3971_3

 

海士町にある共葬墓地

古い墓石と新しい墓石が混合してある
Img_3951_2

 

 

問い合わせ先

㈱カズラ

島根県隠岐郡海士町福井847-1

電話085140642

東京支店

東京都板橋区船渡4-16-11

電話0359704149

http://www.kazurajima.jp/sankotsu/index.html

 

 

㈱カズラの当時のスタッフ。取材には設計家の杉山昌司さんも同行したImg_3871_3

2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

Photo_2

 

目次

Photo_3

互井住職×碑文谷創

Photo_4

Photo_5

Photo_14

Photo_15

合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

Photo_12
Photo_13

2017年6月 1日 (木)

あのとき それから 1990年日本初の樹木葬

昨日2017年5月31日朝日新聞夕刊特集「あのとき それから 1999年(平成11年)日本初の樹木葬」(記者:帯金真弓さん)が掲載された。

Jumokuso20170531_2
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12965781.html?ref=pcviewer


いま樹木葬は中国、韓国でも人気らしいが、起源は1999年に岩手県一関市の祥雲寺(当時:現在は知勝院)が山ごと「樹木葬墓地」として許可を得て開設したのが最初。
自然保護活動と葬送を一体化した提案であった。
http://www.jumokuso.or.jp/description/index.html

これは2005年の「都市型樹木葬」をうたったエンディングセンター「桜葬」の提案につながる。
http://www.endingcenter.com/jumoku/


元来「樹木葬」は90年前後の新潟妙光寺の永代供養墓「安穏廟」に代表される継承を必要としない、誰にも開かれた墓「永代供養墓」の動き、
http://www.myoukouji.or.jp/annon/index.html
1991年の葬送の自由をすすめる会の「自然葬」(散骨)
http://www.shizensou-japan.org/
における自然志向を背景として生まれたものである。

桜葬の出現で墓地内エリアで容易に実施できると理解した横浜市や東京都が「人気がありより安く大量に遺骨を埋蔵できる墓地」として注目。
理念よりも「樹木を墓標とした墓地」くらいの安易な取り組みが全国に広がっている。

自然保護を真剣に考えたものでは千葉県袖ケ浦市の真光寺の里山墓地がある。
https://shinko-ji.jp/jumokuso/

現在「樹木葬」と称するものは多数あるが、理念があるものはそれほど多くなく、便乗型が少なくない。
90年前後に永代供養墓ブームが生じ、墓不況が本格化すると、理念なく追随し永代供養墓が全国に増えたが、「死後の安心を託す」のであるから便乗型の多くが失敗したという過去がある。

なお帯金記者のまとめた私のコメントは以下のとおり。

■「墓の形態=弔う心」ではない 葬送ジャーナリスト・碑文谷創(ひもんやはじめ)さん(71)

そもそも「家墓」は古来の概念ではありません。明治政府の民法による「家」意識の高まりと伝染病対策の火葬推進で、庶民に広がるのは明治末期から昭和の初め。複数人が同じ墓に入る前提となる火葬率が6割を超えたのは1960年以降。家の墓を守るのが「伝統」と語られるが、そんなことはない。

戦後は家制度が廃止されたのに墓制度は戦前のまま。経済成長と共に地方から都市への人口移動が進み、新興都市住民が周辺で墓を買った。70年代は空前の霊園開発ブームで、バブル崩壊までは数百万円もする墓が飛ぶように売れた。社会が変化しているのに、寺を中心とした業界は檀家(だんか)制度や長子継承に縛られたままで、80年代に継承性の問題が表面化したのです。

伝統はないから、崩れるのも早い。今は骨を郵送して納骨を任せる「送骨」サービスも登場し、合葬なら3万円程度で利用できる所も。火葬場から遺骨を引き取らない例も出てきています。

弔いの形態はこの30年で多様化しています。かつて墓の大きさで信心深さを語ることもあったが、今は永代供養墓でも熱心に墓参する人もいれば、立派な家墓でも放置する人もいて、放棄墓の問題は深刻です。その外形から、弔う心を測ることができなくなってきているのです。


コメントがまとめられるというのは難しいことだが、ここは帯金記者の苦労を考え、そのまま掲載しておく。

墓の略歴について書いておこう。

墓地は古来よりある。
民衆が墓をもったのは戦国時代以降
江戸時代までは個人単位の墓
明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
•1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。


2017年1月13日 (金)

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


葬列

山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。
近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。

ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。
だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。


この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。

85
になる母親は「がんの末期で治療の術はもうない」と医師から言われた。
娘が、
「最期は家で」
と、
母親を自宅に連れ帰ったのだ。

娘がスプーンで食べさせようとすると、
母親は「もういい」と拒んだ。
そして静かに「ありがとう」と娘に感謝した。
その数日後の夜、眠るように静かに息を引き取った。


翌朝、連絡を受けてきた主治医が「ばあちゃん、よかったな」と言って涙を零した。


葬式は「母の遺言ですから」と自宅で行われ、近所の年寄り仲間が集まった。

山の中腹にある共同墓地までを、葬儀社の若い社員たちが柩を担いだ。
檀那寺の若い副住職が葬列を先導。
埋葬地に鍬(くわ)を入れ、引導を渡した。

深く掘られた穴に柩が静かに下ろされた。

再び盛られた土の上に、娘は履いてきた草履を脱いで置いた。
そして合掌した。


フォト
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

仲間

ウェブページ