2018年10月11日 (木)

「ハカジマイ」はほんとうに流行っているのか?

NHKでは憑き物がついたように「ハカジマイ」を話題にしている。
???

本日アップするのは20172月に書いたもので、『ソナエ』に掲載されたのは同年3~4月頃だろう。
再掲にあたり一部を補っている。(以下、本文)


墓石業者に聞くと「新築される墓があまりない。最近は【ハカジマイ】が多い」という。
ハカジマイ=墓をしまう(終う、了う)、つまりは「墓を片づける」ことの意。

ハカジマイとは、従来あった墓や納骨堂を整理し、遺骨をまとめて承継(跡継ぎ)を必要としない永代供養墓(合葬墓)に移すこと。

中には行き先が海への散骨のケースもあるらしい。
ハカジマイを散骨で、というのは限りなく「遺骨遺棄」に近い。

ハカジマイをすれば承継者がいない場合に墓が「無縁」となることから免れる。
己の遺骨の行方も決めておく必要があるが。

子がいても墓の世話で迷惑をかけたくないのでハカジマイを選択するケースがある。

かつては「先祖を供養する大切なお墓」で、墓参りを欠かさないのが日本人の美徳といわれた。
だが、今や邪魔者扱い。
これを聞いて「あー世も末だ」と嘆く人もいる。


ハカジマイは法律的には「改葬」にあたる。
90
年代から「改葬」が話題になった。
だが、多くは「お墓の引越し」という意味でであった。


戦後の高度経済成長期に日本では地方から都市へという人口大移動が行われた。
当時は「若者」だった世代も高齢者になった。
遠距離のお墓参りは高齢者には負担、ということで、地方のお墓を整理して今住む都市にお墓を求めて引越しするのが「お墓の引越し」。


お墓の引越しには約310万円かかる、と言われた。
元のお墓を撤去し更地にする費用が30万円程度、寺で閉眼供養してもらう費用が30万円程度、新しく都会に新設する墓の費用が250万円程度、しめて約310万円也。


ハカジマイであれば、元の墓の撤去費用30万円程度、閉眼供養30万円程度は変わらないが、新たに求める合葬墓は20万円くらいから、しめて約80万円也。

安いか高いかと言ったら、安くはないし、手間もかかる。
※言っておくが「閉眼供養をしなければ改葬許可申請に必要な埋蔵証明を出さない」と言う権利は寺にはそもそもない。あくまで任意。


「ハカジマイ」「お墓の引越し」が騒がれるのだから、さぞかし「改葬」が増えているのだろう、とデータを調べてみる。
多少は増えてはいるが今のところはビックリするほどではない。
今流行りの「終活セミナー」では「改葬」(ハカジマイ、お墓の引越し)が欠かせないテーマだが踊っているのは業者だけ?

ハカジマイを考えるのは墓の承継を大切な問題と考えていることを示すようなもので、ハカジマイを即危険視する必要はないように思う。


小谷みどりさん(第一生命経済研究所主席研究員)の調査によると、過半数が将来にわたりお墓が継承されることに懸念を示している。
そのデータが示すように、改葬は多くないが、新しく墓を求める人の約3分の1は既に承継者を必要としない新しい形の永代供養墓(合葬墓)、樹木葬、散骨(自然葬)を選択している。
新しく墓石を求める人が激減していることは事実だろう。


そもそも日本人の墓は「先祖の供養」のためなのか?
3代続いているのは古いほう。
祖父母あたりがいいところだ。
むしろ「死者となった家族の供養」あたりが実態に近かったのではないだろうか?
家族の墓参りであれば人間として自然な行為。


「家墓」の歴史が本格化したのは明治末期以降。
火葬が前提なので、火葬率が6割を超えたのが戦後の1960年。
今こそ火葬率は統計上は100%であるが、「家墓」が一般になったのは戦後と言ってもよい。
墓は、日本人は古くから先祖崇拝を伝統としてきた、という神話の象徴として、憶測で語られ過ぎたのではないか?


現在では3世帯同居が少なくなり、核家族、夫婦世帯、単独世帯が中心となった。
墓は家族の姿を似せているのではないか。

 2014年、朝日新聞が報じて話題になったのが熊本県人吉市で行った市内の全墓地995カ所の現況調査結果。
なんと「全1万強の墓の約4割超の6474基が無縁墓」だった。

 

「無縁墓」とあるが、身元調査までやったわけではないだろう。
管理料を納めていない、墓参の様子が見られない、連絡しても返事がない、と言うことなのだろう。
すべてが承継者がいないことを意味しないだろう。

人吉市だけの話ではないだろう。
地方には改葬もされず放置されたままの墓が多い。

2018年8月28日 (火)

葬送問題のコンテキスト 「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

このところ紹介すべき本の紹介がしきれていない。
3冊を本の表紙だけ紹介しておこう。いずれも優れた本。出版順に

①星野哲『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書)
Hoshino

②松島如戒『私、ひとりで死ねますか―支える契約家族―』(日本法令)
Matsushima

③瀧野隆浩『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版)
Takino

星野さんは立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者。
松島さんはりすシステム創始者。
瀧野さんは毎日新聞社会部編集委員。
お三方とも私と親しい関係にある。


これからが本文


葬送問題のコンテキスト 
シンポジウム「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

2018
82413001430 エンディング産業展で「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」と題するシンポジウムが開催された。
当日配付資料を100部作製し持参したのだが、少々残ったようなので、90名以上の方が参加した模様。
会場が100人定員だったので、会場はいっぱいになった。

パネリストは、葬送の自由をすすめる会副会長の西田真知子さん、りすシステム創設者の松島如戒さん、エンディングセンターの井上治代さん、そしてコーディネータは当時を知る人間というので私が指名された。
西田さん
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松島さん

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井上さん

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西田さん、松島さん、井上さんの順に各15分ずつに最初に発表した。
全体が90分しかないので、私の進行の不手際があり、ディスカッションの課題として4つ用意したものが、「NPO が果たした意味、意義、問題点」だけで終えた。
私としては消化不良の感があったが、聴く側としては90分という短くない時間であったので、けっして短い時間ではなかっただろう。
そこで「解説」として私が用意し、当日も用いた資料に参考写真を加えて以下に示す。

 

■墓の略歴


★墓地は古来よりある。

★民衆が墓をもったのは室町後期(戦国時代)以降。

★江戸時代までは個人単位の墓が多い。

★明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。

1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)

1970年代より都市化の影響で大都市周辺で墓地開発が急増。自然破壊が問題に。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行

1980年代後期 墓システムが問題化

1991年バブル景気崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。

2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択している実態が明らかに。


■永代供養墓(合葬墓)


「合同墓」「共同墓」「合葬式墓地」とも
個別納骨⇒13年、33年を経て承継者がいない場合に合葬、最初から合葬の大きく2つのタイプが


★「承継者の有無を前提としない墓」

 「血縁」から「結縁」へ

★跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓(無縁塔)ではない。

★人間の生き方はさまざま。
それぞれの生き方、生を尊重し、承継者の有無にかかわらず寺あるいは墓地が責任をもって供養(管理)


★「永代供養墓」1985年比叡山久遠墓が最初

1990年前後(19891991

 新潟 妙光寺「安穏廟」(小川英爾さん)
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京都 女の碑の会「志縁廟」(谷嘉代子さん)
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 上から1979年12月に京都・常寂光寺に建立された「女の碑」、中、1989年11月に建立した「志縁廟」、下、谷嘉代子さん

  東京 「もやいの碑」(松島如戒さん)
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 マスコミが話題に


★現在、約2000? 今、改葬(お墓の引っ越し、墓じまい)先としても注目。遺骨処分場になるケースも


※当日は女の碑の会「志縁廟」の写真を紹介できなかったが、雑誌『SOGI』19号(1994年)に当時は花園大学教授だった谷さんに寄稿いただいており、そこにあった写真が上の写真である。

 

■散骨(自然葬)

 

1991年 葬送の自由をすすめる会が相模灘で散骨実施 
 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称」(初代会長の安田睦彦さん)
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上、安田睦彦さん、下1993年3月宮城県大森山再生の森での最初の山での自然葬(葬送の自由をすすめる会)

1994年 東京・公営社「海洋葬」 企業による散骨の最初。
今は小型セスナ機、ヘリコプターによる海上散骨も


2014年 一般社団法人日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」

■樹木葬

 

★墓地として許可を得る(粉骨の必要なし)。


1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。
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 Chisak
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中、前住職で開創者の千坂げん峰さん

森を墓地としての許可を得て、自然との共生という理念に共感する人が墓地として使用することで自然育成・保護活動を支援。
穴を深く掘り、遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。


★エンディングセンターが2005年「都市型樹木葬」として東京・町田いずみ浄苑内に「桜葬」。

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(エンディングセンター)

その後「樹林葬」とか、「墓石の代替に樹木」と解釈され、さまざま理念なき世界に。

 

■生死の境界と「生前契約」


★「生」「死」の分断。死のタブー。


1985年頃より「終末期ケア」が課題に


1990年頃より「墓システムの矛盾」が提起


1995年頃より「葬儀の個人化」が進む


2000年頃より「死別によるグリーフ」が問題に

 終末期ケアと葬儀の双方から「本人のケア」と共に「家族のケア」の重要性が提起

 成年後見制度施行


2010年頃より「終活ブーム」
 経産省「ライフエンディング・ステージ」という概念で終末期と死後事務等の連続的支援を提起


2015年頃より

 単身世帯の増加(一般世帯の3分の1)で「ひとり死」が課題に

2018年8月27日 (月)

妙光寺・安穏廟が切り開いたもの

2018年の新潟・妙光寺の送り盆(第29回フェスティバル安穏)が825日(土)に行われた。

妙光寺からの報告
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1660681727391950&id=503879279738873

永石光陽さん(大分・常妙寺住職)のレポート
 https://www.facebook.com/hiroshi.fujita.79677/posts/1009145359291530?comment_id=1009187275954005&notif_id=1535349947679400&notif_t=feedback_reaction_generic
瀧野隆浩さん(毎日新聞社会部編集委員)のレポート

https://www.facebook.com/takahiro.takino.3/posts/1208307602645726


今回は安穏廟とフェスティバル安穏の歴史について触れる。

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1989
年に当時まだ目新しい「永代供養墓」である安穏廟が開設され、翌1990年の8月に第1回の「フェスティバル安穏」が開催された。これがNHK が報じたことで一挙に墓問題に火が点いた。

この第1回の企画に際し、住職の小川英爾さん(現・院首)をサポートしたのが当時ルポライターであった井上治代さん(社会学者)。ゲストに当時の墓問題のスペシャリストであった藤井正雄さん(宗教学、大正大学教授)、女の碑の会の代表で翌年1990年に京都。常寂光寺に女の碑の会員のための「志縁廟」を開設した谷嘉代子さん(関西大学教授)等が参加してシンポジウムを開催。
この場に出席したのが90年に東京・巣鴨にもやいの会の会員用合葬墓「もやいの碑」に開設、1993年生前契約のりすシステムをつくった松島如戒さん、1991年に相模灘で「自然葬」と称して最初の散骨を行った葬送の自由をすすめる会の会長となる安田睦彦さん(元朝日新聞記者)等。
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1990
年前後の日本の葬送の変革の旗手たちが一堂に揃った記念碑となるイベントであった。
藤井正雄さん、谷嘉代子さんは亡くなられている。
私が松島さんにお会いしたのは44歳の時、松島さんは53歳であった。今、私は72歳、松島さんは81歳である。
井上さん、小川さんは当時30代であった。

地元スタッフが育ち、地元の檀信徒が中心となって2010年から「送り盆」となった。

 

現在「LGBTの人でも入れる墓」ができるなど話題になっているが、安穏廟は事実婚であろうと、LGBTであろうと、友人同士であろうと、当人同士が合意している限り、「血縁」という枠を超えて一緒に入れることを、1989年当時から可能としている。これは1999年にできた岩手県一関の樹木葬墓地(知勝院)でも同様である。

■「安穏廟」とは?

お墓を建てたいが後を委ねる家族がいない、」「子供がいても後々の負担をかけられない、かけたくない。」

こうした家族の変化を受けて、妙光寺では、宗派を越え、かつ跡継ぎを必要としないお墓『安穏廟』を平成1(1989)年、全国に先駆けて実現しました。承継者がいなくなっても、妙光寺が基金運用によって供養、管理を続けるお墓です。
時代とともに変化する私たちの暮らしのなかで、『安穏廟』が提唱したことは、単に新しいお墓としてだけでなく、家族や血縁を超えて人々が集い、生き方について語り合う交流の場の大切さです。開設から四半世紀以上が経ち、人々の心のよりどころとしてしっかり定着しています。

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■安穏廟、フェスティバル安穏の小史

 

1989(平成1)年

 安穏廟完成

1990(平成2)年

 フェスティバル安穏が開始

 第121世紀の葬送と結縁を考える」ゲスト:藤井正雄(大正大教授)、谷嘉代子(関西大教授・女の碑の会代表)角田由紀子(弁護士)、長島義介(新潟青陵大教授)
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1993(平成5)年

 安穏廟2基目完成

 第4「葬送の自由の声に仏教はどう応えるか」ゲスト:山折哲雄(宗教学者)

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1996(平成8)年
 第7回「
私の人生、私の死」ゲスト:新藤兼人(映画監督)

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1997(平成9)年

 安穏廟3基目完成

1998(平成10)年

 第9回「柳田邦男が語る生と死」ゲスト:柳田邦男(ノンフィクション作家)

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2000(平成12)年

 安穏廟4基目完成
 新本堂上棟式

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2001(平成13)年

 杜の安穏完成

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 第12回「「いま寺からのメッセージ―人々の生死を寺に託せるか―」ゲスト:高橋卓志(長野・神宮寺住職)、草野榮應(東京・明治寺住職)、秋田光彦(大阪・應典院主幹)、村田幸子(元NHK解説員))
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2006(平成18)年

 杜の安穏増設

2008(平成20)年

 杜の安穏増設

2010(平成22)年

 杜の安穏池の上完成

 「送り盆」が開始

 送り盆法要、院庭ステージでのイベント、トーク、参道脇でのバザール広場、大道芸、蓮の花手作り体験、京住院・祖師堂・客殿でのイベント・各種教室、墓地・安穏廟での常経、光のなかの安穏法要、夜の交流会…と多彩、かつ、さまざまな人の自主参加による「妙光寺の夏の御祭」として模様替えした。

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2013(平成25)年

 杜の安穏池の上第2期工事完成

永代供養

永代使用料の一部を基金運用することで、お盆と春秋のお彼岸、合同供養祭の年4回の法要回向、及び維持管理を妙光寺が行います。ご事情で年会費の納入が停止された場合、その年から起算して13年間は個別埋葬を継続し、その後も総廟に合同埋葬のうえ、お名前を刻み、引き続き永代にわたり供養を継続します。

 

■使用権の相続

使用権は血縁等に関わりなく、契約者が指定してお届けいただくことによって継承できます。使用権の継承者は継承以降の年会費を納入いただきます。

 

■会員制

契約者はすべて「安穏会員」として登録いたします。会員としての義務は一切ありません。妙光寺から定期的に通信物を郵送し、所在地の確認と行事のご案内をいたします。 

 

2018年8月 2日 (木)

シンポ「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

エンディング産業展2018822日~24日に東京ビッグサイトで行われる。

私はこうしたイベントとはほとんど無縁で、エンディング産業展の第1回のパンフレットに葬送業界の概況について書いたことがあるくらいである。

 

私は、八木澤壮一先生等との関係で旧葬文研(葬送文化学会)のメンバーで、現・日本葬送文化学会の名前だけ(会費を納めるだけ)の会員であるが、現会長の福田充さんから話があって、2413時~14時半に行われるシンポジウムのコーディネータを務めることになった。

 

テーマは
NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来

参加者は
松島如戒さん(NPO法人りすシステム、もやいの碑の創設者として知られる)


井上治代さん(認定NPOエンディングセンター理事長、桜葬を始めたことで知られる。社会学者、東洋大学元教授)




西田真知子さん(NPO葬送の自由をすすめる会副会長。自然葬として散骨を実施したことで知られる。安田会長の後、一時島田裕巳さんが会長をしたが、現在は安田会長時代のメンバー中心に戻っている)

 

 

永代供養墓は1985年に比叡山久遠墓が最初であるが、社会的に注目を浴びたのが1989年創設の新潟妙光寺の安穏廟が最初。

墓は家墓中心で承継を前提とし、承継者がいない墓は「無縁墳墓」となり存続が保証されていなかった。

そこで安穏廟は承継者を前提とせず、寺が続く限り、永代に供養すると共に、血縁に限らず友人でも(今課題となっているLGBTでも当時すでにOKだった)一緒に入れる墓、すべての人に開かれている墓を提唱した。

これを取材で知った当時ノンフィクション作家であった井上治代さんが共鳴し、紹介。
妙光寺住職(当時)小川英爾さんと一緒に1990年に第1回フェスティバル安穏を開催。
テーマは「21世紀の葬送と結縁を考える」
パネルディスカッションのメンバーは弁護士、地元大学教授のほかに今年亡くなった墓地問題の碩学である藤井正雄先生(大正大学教授=当時)、女の碑の会代表の谷嘉代子先生(関西大学教授=当時)が参加した。

ここに顔を出していたのが松島如戒さんであり、「自然葬」を提唱した安田睦彦さんであった。

 

谷さんの「女の碑」は、1979年、京都・常寂光寺に建てられ、市川房江さん揮毫の「女ひとり生き、ここに、平和を希う」という名言で知られる。
「志縁廟」と名づけられた。
戦時中適齢期で多くの若者が戦場で死に、生涯独身で生きた女性たちが、血縁を超えて一緒に死後埋蔵された(現在は会員を募集停止)。

松島さんは19891990)年に磯村英一さんを会長に「地縁血縁国籍宗教不問の会員制合葬墓」である「もやいの碑」を建立
1993
年には葬儀等生前契約受諾NPO「りすシステム」を組織し、「生前契約」を日本で初めて作った。

 

「葬送の自由をすすめる会」は、安田睦彦さんが19909月に「葬送の自由」を提唱。91年に会を発足。199110月に相模灘で第1回の「自然葬」を実施。
墓地以外での葬送に道を拓いた。

 

井上治代さんは女性問題から家墓制度に疑問を感じ、取材を続け19906月『現代お墓事情―ゆれる家族の中で』を発表し、墓問題を提起。同年7月「21世紀の結縁と墓を考える会」(後に「21世紀の結縁と葬送を考える会」、En21)を組織。妙光寺、りすシステム、日本初樹木葬(岩手県)に関与して、2000年エンディングセンターに発展。2005年桜葬墓地完成。

 

葬送に関する市民運動は1990年前後に開始され、葬送の世界を一変させた、と言っても過言ではない。

 

1999年には岩手県一関で日本初の樹木葬墓地が開設された。

 

1989年~1999年、1990年代を「お墓の革命」と私は称している。

 

これに関与した松島、井上、西村さんの想いを聴く、ということは今後の葬送のあり方を考える上で極めて重要であると思う。

 

30年前の事情を知っている、ということで今回のコーディネータをすることになったが、私はこの問題に報道という面以上に関与してきた。
最初の「永代供養墓セミナー」を小川さん、松島さん、藤井先生、井上さん等と開催したり、「フェスティバル安穏」の企画に参与、りすシステムやエンディングセンターの初期の活動に参与、一関の樹木葬の最初の約款は私が作成した。安田さんからは原稿を求められたこともある(事情があって原稿は撤回したが)。

松島、安田、井上さんとは協働もしたし、喧嘩もした間柄である。

私としても第三者としてではなく、当事者として係わった時期であり、90年代は思い出深い時期である。

 

90分という限定された時間であるが、有意義な時間となるよう努めたい、と思っている。

2018年7月 9日 (月)

海洋散骨ガイドラインへの要望―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む③

前回まで
海洋民族の記憶の古層―『海へ還る―海洋散骨の手引き』を読む①
海洋散骨ガイドラインー『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-a687.html

 

『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む

が少し長くなった。

今回はこれでまとめるため、少し長くなっている。

 

海洋散骨ガイドラインは極めてよくできている。
前回紹介していなかった項目で重要と思われるのは

 

10 日本海洋散骨協会ガイドライン遵守事業者の登録及び公表

である。

 

 

7散骨意思の確認業務、8散骨証明書の交付義務(情報の10年間保管義務を含む)と10遵守事業者の登録・公表と組み合わせることで、

誰がどういう目的で誰を散骨しようとしたか、その散骨はどの事業者がどこで実施したか、という記録が保管されることになる。

 

 

これにこだわるのは2点ある。

 

1つは、散骨の方法の相当の節度だけではなく、散骨の目的が「葬送」ではなく、「遺骨遺棄」になっていないかの確認である。
2
つ目は情報の適正な管理である。

 

このために共通仕様の「散骨申込書」を作成し、これには特別な理由がない限り火葬許可証(火葬済印)、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証のいずれかを添付することを条件とするとよい。

 

加えて次の文書に申込者の自署を求める。

 

 

海洋散骨申込書

 

私は、海洋散骨ガイドラインを遵守して、下記の者の遺骨を、海洋散骨することを申込みます。

 

申込みにあたり、あくまで遺骨遺棄を目的としたものではなく、葬送を目的とすることを誓約します。

 

海洋散骨する被葬者氏名

 

添付する証明書 いずれかに〇 火葬許可証、火葬証明書、改葬許可証、その他(             )

被葬者本人の生前の散骨希望する文書等がある場合はそのコピー

 

申込み者氏名(自署)

 

被葬者との関係

 

当事業所は申込み内容を確認しましたので、海洋散骨の申込みを受託します。

 

受託するにあたり、当事業所は、海洋散骨ガイドラインならびに関係法令を遵守します。

 

本申込書ならびに散骨証明書の控えは当事業所において「個人情報取扱に関する海洋散骨協会の基本方針」に従い、個人情報保護法等の関係法令の定めに従い、5年間適正に管理します。

 

事業所名

 

担当者名(自署)

 

 

申込書と受託書は同一の書面に書かれ、控えを申込者に残す。

 

散骨で必要なことは目的の正当性と方法の相当の節度である。

 これを文書化することが望ましい。

 

自署とし、記名捺印にしないのは証拠の確保である。

記名捺印では偽造が行われる可能性があるからだ。

 

本書との関係でいえば、勝桂子さんによる第5章「墓じまいと海洋散骨」が本来で言えば、火葬許可証、火葬証明書(分骨証明)、改葬許可証の手続きについて実務家の立場で詳述されるべきである。

 それが必ずしもそうなっていないのは残念である。

勝さんの指摘で、墳墓に収められているのは焼骨が埋蔵されている事例ばかりではなく、埋葬(土葬)された遺骨も古い場合あり、原状復帰、改葬作業においては費用が嵩む可能性がある、というのは重要である。

 

「墓じまい」という言葉自体が新しい用語で、法律概念としては改葬である。
承継者不在、あるいは墳墓が遠隔地にある、という理由で、これまであった墳墓を維持できないために整理する事例は、びっくりするほどではないが増加していることは事実である。

 

墓所は原状復帰すれば解決するが、問題は墳墓に埋蔵してあった遺骨の取扱である。

改葬とは墓地埋葬法第23項で

 

この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

 

とある。

 

この先が永代供養墓(合葬墓)であれば問題は少ない。

これまで管理していた遺骨を、今後は承継を必要としない墓または納骨堂に託すことになるからだ。


しかし、この先が散骨であるとすれば、どうだろう。

れまでの遺骨の本人の生前意思、あるいは直接関係して供養してきた人の意思も不明である。

 

遺骨遺棄になるかならないか、かなり微妙である。

それが葬送であるならば、葬送する人の意思、心情が問われる。

 

個別の心情は問えないので、せめて散骨を申込む人が申込書に「遺骨遺棄ではなく葬送を目的としている」ことの意思表示が必要となろう。

そして申込む人も自らの死後に散骨を希望するのでなければ論理矛盾になるだろう。

 

供養論を展開するのであれば、主観で「寺院が悪い」とか、どこに、誰に責任を求めるか、ではなく、死者、遺骨に対する宗教感情の変化を社会背景との関係で整理して論じられるべきである。

 

その整理が充分にされていない議論展開になっている。

 

あえて些末な部分を例として取り上げる。

 

(墓じまいが)これほどに一気に、市民権を得、広まった理由は何でしょう?(略)よく言われるのは、核家族化によって、3世代で同居することが少なくなったからという理由です。(略)行政書士という立場からは、核家族が増えた端緒は、戦後に民法が改正されたとき、親と子のみの二世代戸籍が採用され、三世代以上がひとつの戸籍に入ることができない制度になったところにあると考えています。(略)すなわち、核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです。

 

明治民法の家制度が戦後民法で廃されたことは事実である。

戦後憲法と矛盾するからである。

 

「核家族を率先して推奨したのは、この民法を採用した政府だったのです」という意味不明な言葉は、では明治民法の家制度がよかったとするのか、という疑問をもたざるを得ない。

もちろん、そうではないだろう。

 

戸籍法が変わったりしたことが家族意識に影響を与えたことは事実であるが、それだけではない(勝さんも「端緒」と言っている)。

 

戦後、高度経済成長することで、郡部から都市部への人口の大移動が起こり、家族分散が生じ、都市部に移動した住民は地方の実家に住む親と同居せず、親と子のみの核家族単位の生活が多くなった。


核家族は、子が育ち独立すれば夫婦のみ世帯となり、どちらかが欠ければ単身世帯になる。

現在、全世帯の4分の1、一般世帯(施設等の世帯を除いたもの)の3分の1が単身世帯となっている。

 

「親族」と言っても、子ども時代に近くに住んでいた、行き来が多かった、今も連絡がある…というのであれば関係は親密である。

だが離れて、無関係に過ごせば関係は自然に疎遠になる。

 

今、葬儀で「親族席」が縮小傾向にあるのは、戦前と比べてではない。

1980年代、1990年代と比して大きく縮小している。


勝さんが言いたかったのは、供養する気持ちを持ち続けることの大切さ、ということだろう。

 

海洋散骨が増えた社会的背景については村田ますみさんの第1章「海洋散骨とは?」がよくまとまっており充分である。

 

村田さんは海洋散骨がどういうものであるか、イメージしやすく展開している。

海洋散骨基礎知識が40ページ程度にうまくまとまっている。

 

感心したのは「散骨の歴史」。

 

12ページ程度にコンパクトに、ヨーロッパ、アメリカ、アジア(特に中国、韓国)の火葬事情、墓地事情、そして日本の古代からの火葬史から現代の墓事情までまとめられている。

 

私はとかくグダグダ書く癖があるので、こうしたまとめ方には教わるところが多かった。

 

補完するなら、1960年代のローマ教会のバチカン公会議で世界的に火葬が公認化されて以降、火葬は近代葬法として村田さんが紹介した以上に、ヨーロッパ、アメリカで伸びている。

 諸外国の火葬率の新しいデータは日本斎苑協会のホームページで見ることができる(イギリス火葬協会のまとめが出典)

http://www.j-sec.jp/files/f_1528351312.pdf

 

村田さんは2010年のデータで、ヨーロッパで火葬率70%を超えている国としてスイス、イギリス、スウェーデン、デンマークの4か国を挙げているが、201516年ではチェコ、スイス、スウェーデン、デンマークの4か国が80%を超している。

 

北米ではカナダが70%、アメリカ合衆国が50%と急伸している。

 

北米ではCANA(北米火葬協会)が2017年のデータを公表しているが、各州軒並み火葬率がアップしている。

「カリフォルニア州では火葬率が50%を超える」と書かれているが、全米で50%となり、西海岸ではワシントン州、オレゴン州では70%を超え、カリフォルニア州では6170%となっている。

ニューイングランドの最東北部にあるメイン州でも火葬率は70%を超えている。

 

村田さんがカリフォルニア州法に着目しているのはさすがである。

散骨、エンバーミングでは、カリフォルニア州法が日本にとって参考となると思われる。

 

 

2018年7月 8日 (日)

海洋散骨ガイドライン―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む②

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』はいろいろな意味で興味深かった。
特に興味深かったのが「付録」として掲載された日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」である。
これは優れている。

ガイドライン策定趣旨に次のように記されている。

万が一、散骨の態様が祭祀としての節度を越え、一般市民の宗教的感情を害した場合、遺骨遺棄罪にあたり違法と判断される可能性があります。
そこで、海洋散骨が祭祀としての節度をもって行われることを確保するために、業界団体として散骨方法に関する自主基準を策定する必要があると考えました。

そこで「散骨について否定的見解」をもつ人がいるという「事実も真摯に受け止め」、そうした人にも「理解を得られるよう、適正な散骨方法を広めていくこともまた、散骨事業者の責務」としている。
加えて、次の一文がある。出色と言ってよい。

そこで、海を生業とする方々とのトラブルの防止、環境保全、散骨の安全確保などの観点から問題視される可能性のある海洋散骨を抑止するためにも、業界団体として自主基準を策定する必要性があると考えました。

この点に関しては第4章に海事代理士の高松大さんが「海洋散骨と海事法規」を書いており、これは必読である。
私個人としては海洋葬について突き詰めて考えてこなかった。
まさに「不勉強」であったが、これは教えられた。

この自主基準は極めて具体的である。

〇粉骨義務
「遺骨を遺骨と分からない程度(1ミリ~2ミリ程度)に粉末化」
〇散骨場所の選定義務
「人が立ち入ることができる陸地から「1海里以上離れた海洋上のみ」「河川、滝、干潟、河口付近、ダム、湖や沼地、海岸・浜辺・防波堤やその近辺」での散骨禁止
「散骨のために出航した船舶においてのみ」散骨可で、「フェリー・遊覧船・交通船など一般の船客がいる船舶」では不可。
「漁場・養殖場・航路を避け、一般の船客から視認されないよう努める」義務。
〇自然環境への配慮義務
「自然に還らないもの(金属・ビニール・プラスチック・ガラスその他の人工物)を海に」撒くことの禁止。
「献花、献酒するにあたっては、周囲の状況に配慮」する義務。
〇参列者の安全確保義務
「船客賠償保険加入」義務、「小型船舶に乗船中の小児」にライフジャケット着用義務、「緊急時の連絡体制」、「乗員定員厳守」、「風速・波高・視程による出航停止基準や出航後の運航中止基準」の確立、厳守、「法令に従い安全に船舶の運航を行うこと」
〇散骨意思の確認義務
「官公庁からの依頼の場合を除き、本人の生前の散骨希望意思に基づく申込みまたは葬儀を主宰する権限がある者からの申し込みが必要」
「本人の生前の散骨希望意思の確認が取れずかつ葬儀の主催者が本人の親族でない場合」は「全量散骨を避けるなど適切な助言」の努力義務
〇散骨証明書の交付義務
「緯度・経度を示した散骨証明書を交付」、散骨場所情報の「10年間保管」義務
〇一般市民への配慮義務
「桟橋やマリーナの他の利用者への配慮」義務

驚くべきは、8つの注を設け、なぜこうした配慮が必要かを解説している点。
行き届いた内容となっている。
このガイドラインについては第3章「海洋散骨に関する法律」で弁護士の武内優宏さんが詳しく解説している。

■散骨の合法性に対する論理への若干の疑問

8月23日のエンディング産業展で村田さん、武内さんによるセミナーが予定されている。
このタイトルが「散骨は違法?合法?グレイゾーン?高まるニーズに対応するための海洋散骨基礎知識」と題されている。

私個人としては「葬送を目的として、相当の節度をもって行われる」前提で散骨は刑法190条の遺骨遺棄罪に該当しないと考えている。

1991年に葬送の自由をすすめる会が相模灘で第1回の散骨を「自然葬」と名付けて行った。
同会は「葬送の自由」を掲げて実施した。

法律に優位するのは無論憲法である。憲法第13条には

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

とある。

その下に刑法も民法といった法律も存在する。
さらに自治体が独自に定めるものが「条例」である。
(注)付言するなら、戦後民法が改正されたが、憲法が変わった以上、その理念を異にする明治民法は大きく改正をよぎなくされた。

散骨が合法か否かが問題となるのは2つの法律である。

刑法190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

この中で、散骨は「遺骨遺棄罪」に該当するか、否かである。

ガイドラインでは

散骨については、法務省が、1991年に、葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪(刑法190条)に違反しないとの見解を示しています。
このように、散骨は「節度をもって行われる限り」自由に行うことができます。

と、書いているのは書きすぎである。

武内弁護士はさすが、もう少し精緻に議論を展開している。

ここは、朝日社会部による「法務省見解」に依らず、
海洋葬の自由を確保するために「葬送の祭祀を目的」として「相当の節度」をもって行うべくガイドラインを設けた。
と書くのが適当である。
この点はぜひ次回改正してほしい。
せっかくの自主基準である。

(注)エンバーミングについても刑法190条死体損壊罪にあたるのではないか、という係争があったが、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)が精緻な(A420ページ)自主基準をもって実施していたことにより「IFSAの自主基準に則して行われるエンバーミングは正当業務行為」という判決が2006年に確定している。ここでも目的の明示、詳細な相当の節度の内容を規定している。

なぜ書きすぎか、というと、法務省が見解を発表した事実はないからである。
「法務省の見解」とされたのは、第1回自然葬実施について朝日新聞社会部記者が報じたものである。
後日、私が「見解を発表した」とされる法務省刑事局の担当官に面接して聴いたところはこうである。

相模灘の散骨について、法務省として遺骨遺棄罪として摘発する意思があるかないか取材を受けた。
法務省として違反かどうか判断する立場にはない。
違反かどうかは裁判所が判断すべきものである。
したがって法務省は判断しない。
今、これを摘発する段階ではない。
検事という法曹人としての個人的な考えで解説するならば、刑法190条の法益(法律が守ろうとしているもの)は遺体、遺骨に対する社会的風俗としての宗教感情である。
今回の散骨がこの法益を害するものか慎重に見極める必要がある。
目的が仮に正当であるとしても次に問われるのは方法が「相当の節度」をもって行われているか、である。
散骨は外形的には遺骨遺棄に当たる。
例えば死体解剖であるが、外形的には死体損壊になるが、死体解剖保存法、献体法、刑事訴訟法で定めがあり、これらに該当すれば死体損壊罪に該当しない。
それ以外であれば、目的と方法について慎重に検討されるべきであろう。
散骨法ができれば別だが。

当時、各種世論調査が行われ、散骨を自分が行うか、については15%程度であったが、家族がその意思をもって行うか、については7割程度が支持すると回答していた。
国民に明確な違反意識がない段階で法務省が摘発するというのは違うだろう、という意見であった。
見解発表という報道については「見解発表する立場にないのだから」と強く否定していた。

朝日社会部記者は2つの過ち、世論のミスリードをした。
1つは「法務省が見解発表」という事実でないことの報道。
2つめ、担当官の個人的考えのうち「方法については相当の節度が必要」をより簡易な「節度」という表現に置き換えたことである。

武内弁護士が参考として例示している熱海市、伊東市のガイドラインでも「節度」ではなく、「相当の節度」という表現が用いられている。

墓地埋葬法
第4条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外にこれを行ってはならない。

ここで書かれている「埋葬」とは「土葬」の意で、「焼骨」とは「火葬された骨」の意である。
厚生労働省は、墓地埋葬法は散骨を想定していない、と発言しているが、散骨は合法とは言っていない。
現実としては散骨に反対する、あるいは規制したいという自治体があり、それぞれの自治体に判断を任せている状態にある。

海洋散骨ガイドラインも、喪服着用しない等、ここまで神経を使う必要があるか、と思うほど民意に配慮している。
北海道長沼町の散骨を禁止する条例にしても、散骨を一律否定するのは行き過ぎと思われるが、きっかけが無茶苦茶な住民の意識を逆なでするような事業者の散骨実施にあった。
まさに自主基準が求められる。
または、民意を反映した散骨法等の制定が必要となる。

私個人は基本的人権に属することを何がなんでも法律で規制しよう、という考えには組みしない。
しかし、葬送というのは弔う権利を保障するためにも慎重な相当の節度を要する、と考えている。

2018年7月 2日 (月)

海洋民族の記憶の古層―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む①

太田宏人さんとの縁で、村田ますみさんから彼の遺稿が収録された本を出す準備をされていると教えていただいた。

 

(注)太田宏人さんについては
ペルーとの関係を含めてわかる晃輝和尚の
https://ameblo.jp/seiryo-koki/entry-12377528763.html

asunohaさん(僧侶)の

http://taka.hasunoha-blog.info/shinsai6year/

私が書いた太田さんの訃報

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-134c.html

私が書いた太田さんの葬儀の報告

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-10c5.html

 

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』(啓文社書房)

である。

アマゾンで予約したが、それに先行して、贈呈いただいた。感謝!

Photo


この本はいろいろな意味で学ぶところが多かった。
海洋散骨について論じる場合に、避けて通れない必読書であろう。
とても丁寧に作られている。

本書については追々書いていき、感想も書かせていただくが、まずは太田さんの遺稿について触れたい。
全体の1割、20ページ足らずであるが、この小論、太田さんらしいキラリと光るものがある。

太田宏人さんは第2章「宗教面から見た海洋散骨」について書いている。

海洋散骨(海上散骨)について、日本の既存の伝統宗教からは、懐疑的な声が聞こえます。しかしながら、この国には「海へ還る」「海で眠る」という伝統があったことは事実です。

 

そして太田さんは「海洋民族の記憶の古層」を指摘する。
太田さんが展開するように、「人種的にも、文化的にも、日本人のルーツは多様」であり、「いくつもの他界観」をもっている。


その一つが「山上他界」「海上他界」である。

四方を海で囲まれた島々から成る日本列島。

長い海岸線に囲まれ、島の多くは山岳地帯。

平野部に後に都市が建設されるが、私たちがかつて住んだ地域は、背後が山で海岸線に沿った集落か、山間にあって河川の傍の集落であるかが多い。

山間部では死者は近くの霊山の麓から「浄土」へ還っていくと考えられた。
海岸線では海岸の洞窟から死者は海の彼方にある「浄土」へ還っていくと考えられた。

宗教学者である山折哲雄が日本の地理から生まれた日本人の浄土観を描いている。
これが近世以前の日本人の「古層」の他界観であった。

 

太田さんは、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を紹介する。

 

仏教の浄土といえば、阿弥陀如来の住む西方浄土が有名です。もうひとつ、観音菩薩が住む、あるいは降り立つ山「補陀落」または「補陀落山」という浄土が、南の海上はるか彼方にあるとされました。

 

私は、太田さんが海上他界に着目したことに彼の豊かな宗教観を反映していると見る。

太田さんの小論は「仏式海洋散骨」はどうあったらいいか、について実践的に書くのであるが、その背後には彼の禅僧としての供養へのこだわりがある。

 

仏教が海の上での散骨そのものについて反対する根拠は、私は希薄だと思っています。散骨に反対する僧侶は、墓制度や、供養の場所として大切な機能をもつ墓の存在と相容れないためと考えているようです。しかし、墓制度そのものは明治以降も常に変化を続けています。また、散骨を選ぶ確たる理由がある場合、やみくもに反対するのは衆生救済、衆生の抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与えること、慈悲)を旨とする大乗仏教の実践者として、どうなのでしょうか。

 

僧侶に対して批判して傍観者になるのではなく、供養をしてほしいと願う人がいれば、参加して供養すべきではないか、と勧めている(もっと穏便にだが)。
そして極めて実践的に仏式の海洋散骨での法事のあり方を提示している。

 

どこでも苦あるところには馳せ参じた。

供養することに生命を削り、一介の聖(ひじり)たろうとした太田さんの姿がここでも見ることができるように思う。

 



 

 

2018年6月26日 (火)

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける―中外日報コラム④最終回

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。
今回は最終回。

1回は、
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は、超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

3回は都市化・過疎化と葬儀、墓—中外日報コラム③

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ad89.html

 

葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける

 

■葬送の変化の20

 

「葬送が変化した」と言われて20年が経過。
葬送が明確に「個人化」へ舵を切ったのが1995年。
阪神・淡路大震災が発生し、6千人を超える大量死を生んだ年であった。


1990
年前後から跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)散骨が話題となり、1999年には樹木葬が誕生。
今や「送骨」も現れた。


葬儀では1995年に「家族葬」という言葉が誕生。
2000
年には葬儀式を伴わない「直葬」が話題を集めた。

宮型霊柩車は姿を消し、葬儀は自宅から斎場(葬儀会館)へ場所を移動。

1990年頃は会葬者300人という葬儀もごく一般的であったが、今や3060人程度が最も多い。

 

■仏教各派の葬送儀礼に変化が見られない

 

こうして何もかも変化したように思えるが、仏教各派の葬儀儀礼の次第にはあまり変化が見られない。

禅宗のみならず各宗派の次第を見ると、「葬列」が行われていた時代痕跡を多くが残している。

しかし、おそらくほとんどの僧侶は葬列を知ることはない。

 

中には遺体安置から始まり、柩を前に読経し、棺を閉じて出棺し、葬列を組み、火葬の火を点火するまで、かつての葬儀プロセスが1時間の中に再現されているものがある。

おそらく葬儀の進行に合わせ、都度行われてきたものなのだろう。


しかし、今、かつての葬儀進行への知識も想像力も欠いたまま、「正しい儀礼」を踏襲している。

 

■儀式に現場感覚が失われている

 

儀式が本来もっていた具体性、現場感覚が失われてはいないか。葬儀は、固有の死に直面し、死者を葬り弔うという遺族や死者の仲間たちの悔恨、絶望、悲嘆等の心情の揺れのプロセスを背景としたものであったはずである。

 

例えば、引導の松明は火葬の点火の名残。

今導師は、その生々しい緊張感を保持して引導しているだろうか。

 

死者個々に向き合って行われただろうことを示すのが引導文、歎徳文、諷誦文と言われるもの。

定型文中の名を入れ替えただけのものになってはいないか。

 

■死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける

 

「葬儀式は大切だ」と多くの僧侶は言うが、自分たちが営む儀礼にどこまで自覚的だろうか。

 

通夜と葬儀の意味の違いも知らず、遺族が式としての通夜を省くと「儀礼軽視」と難ずる。

そのくせ意味不明な「式中初七日」は簡単に受け入れる。

 

死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける。

その場に立ち竦み悩む僧侶にこそ期待したい。



(補足)小型化は全国で起こっているが、東京では20人以下が多いという。
家族5人程度といったのも普通に見られるようだ。

個人化した今、人数が問題ではない。
それぞれで考え方、事情も異なるからだ。
問題は弔いの実質を持っているかだろう。

過去の高度経済成長期の葬儀、多数の会葬者を集めて行われたが、社会儀礼に偏し、弔いの実質が伴わない葬儀が少なくなかった。

中高年の僧侶と話していると、今の葬儀の変化を嘆いているが、それは高度経済成長期の葬儀に比べて、というのが多い。
ちょっとおかしい。

社会の背景も異なる。

しかし、過去のありようへの反省がなくては、今を批判するのはおかしいだろう。

2018年6月23日 (土)

都市化・過疎化と葬儀、墓ー中外日報コラム③

中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。

1回は
「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

2回は超高齢社会 「死」の観念、大きく変化中外日報コラム
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-ac5c.html

そして、今回は3回目。
ちなみに中外日報では「
人口、地方から都市へ 墓じまいより放置墓深刻」と編集部がタイトルを付けた。

■都市化・過疎化と葬儀、墓

 

1950(昭和25)年時の日本の人口は郡部が8割、市部が2割。それが戦後高度経済成長で1955(昭和30)年に始まる戦後高度経済成長以降、人口大移動が発生。今や郡部2割、市部8割と逆転している
戦後日本はこれだけ大きな変化をしたのだ。
地域共同体が中心だった社会が個人化した。
多くのものが変化したし、人の死も葬送もまた大きく変化した。

 

人口分布が大きく変化したのに寺の分布は江戸時代より大きく変わっていない。

過疎地の寺院が残った高齢檀信徒の手では維持できなくなり、消滅が相次ぐのは社会の趨勢ではある。

 

問題の一つは、都市化した住民が大量の宗教的浮動層を生んだこと。

地方寺院と都市寺院を結ぶという点では教団はネットワークとしてまったくといっていいほど機能しなかった。
住民を送り出す側の地方寺院は、都市寺院に檀信徒を奪われるのを嫌って紹介しなかった。

(補記)もとより寺院だけに宗教的浮動層の大量発生の責を負わせることは不当である。
都市住民の足元が浮遊し、家族は核家族を中心とし、将来の単身化を生んだ。
テレビが普及し、情報が溢れる。
都市はたくさんの興味あるもので満ちていた。
経済的には総中流を生み、大量消費社会となる。
しかし、1990年代以降、個は孤に変じ、今や大格差社会となる。
宗教は懐かしさの対象であって、観光として魅力をもつが、人間の生死にあまり交差しない。
それこそ盆、彼岸、葬儀、法事でのみ頭を過(よぎ)るのだが、過らない人もまた多い。


都市寺院は、都市化の恩恵を受け、地方出身の住民の葬儀・法事で泡銭を獲得し、地方寺院の疲弊化と反対に富裕化。
だが、その住民を取り込み檀信徒化することには失敗した。
葬儀に対し、頼まれ仕事という意識で、死者、遺族に責任をもって取り組もうとする寺があまりに少数に留まった。

(補記)都市住民、特に地方から都市に来た新住民はそれなりの悩み、問題を抱えていたのだが、それに対応したのは創価学会、立正佼成会、霊友会等の新宗教。
既成宗教は軒並み新住民の取り込みに失敗する。


その間隙を今ネット企業が僧侶派遣事業で攻める。
派遣要員となったのは地方、都市を問わず寺院格差により食えなくなった僧侶たち、2世僧侶たちだ。

都市寺院は、僧侶派遣を自分たちに入ってくるはずの収入を横取りするものとして敵対視。
だが、葬儀だけを頼む宗教的浮動層からは、都市寺院僧侶の「やってやる」とばかりの尊大さが人気を低くし、「お客様サービス」として評価を受ける派遣僧侶がむしろ相対的に高く評価される傾向にある。

(補記)僧侶個人の資質により大きく異なる。
今は、若い僧侶を中心に、身を低くして接する、誠実な僧侶が増えていることは確かだ。
しかし、総じて大きな名門寺院の僧侶ほど、偉そうな顔して、自分たちが上席に座るのは当然、敬語で話しかけられて当たり前、と思っているのが多い、と思うのは偏見だろうか?
自分に能力がないのを知っているから、上から目線でしか接しようとしないのか?


無論、僧侶派遣事業は宗教収奪であり、正当性はない。
だがそれに対抗すべき寺院側にも宗教性が欠ける点が問題を深刻にしている。


今、NHKが若手のディレクターが中心になり「墓じまい」を煽る。
地方等の家墓を整理し、都市周辺の承継を必要としない永代供養墓(合葬墓、合同墓)へ改葬することだ。
90
年代は「お墓の引っ越し」と言われ、今は「墓じまい」

(補記)確かに住居を地方から都市に移し、もう地方に戻る意思がない者は多く、高齢になれば墓参も大変になる。
地方に親や親戚がいたときはともかく、帰っても実家もない、あっても地元に残る親戚とは疎遠。
子がない人も多い。
子がいても、その子に子がいない例は多い。
継承されるべき家(イエ)がない人は多い。
だが、墓は何とかしなくちゃいけない、と念慮しなくてはならない存在としてあるのか?

 

騒がれてはいるが、はたして「墓じまい」は増加しているのだろうか?

改葬数を見ると1998年7万件、20068.9万件、2014年8.4万件、最新の2016年は9.7万件。

確かに増加はしている。
だがもてはやすほどではない。


他方、確実に増加していると思われるのが地方郡部の放置墓。
2~3割に及ぶ。
墳墓総数を少なめに1千万基と推定、1割としても放置墓は100万基となる計算になる。

(補記)日本人は「先祖」を大切にする、と言われる。
先祖祭祀の事例は多い。

しかし、「墓」ということが大衆に定着してくるのは室町末期の戦国時代以降のこと。

江戸時代に入り、大名、旗本、上流武士、豪農、豪商といった守るべきものがある人たちは、生活の起源となった人を崇拝し、それを祀ることで家のアイデンティティを確保したであろう。

だが名もなき大衆はどうだったのか?
せいぜいが生を共にした両親、祖父母までであり、それは「祖先祭祀」というよりも「死者祭祀」ではなかったか?

一つの墓石に同じ家の死者の遺骨を納める「家墓」。
まず火葬でなければ同じ場所に納骨(法律的には「埋蔵」)できない。
火葬率が高かったのは江戸、大坂等の大都市、地方では浄土真宗の門徒の勢力が強かった北陸地域等。
1896
(明治29)年の調査で火葬率は3割以下(26.8%)であるから、一般的ではあり得ない。

 

江戸時代に一つの墓石に複数の遺骨が納められた事例はあるようだが、家族全員代々となると、よほどではないか。

私の母方の家は大名の家老職であった。
今でも寺の墓地の一角に代々の墓石が広く置かれているが、祖父母までは個人墓である。
叔父が「こんなことは続けられない」と家墓を造り、今では叔父と昨年死んだ叔母が一緒に入っている。

私の父方は関東の大名で「取り立て家老」というのだろうか、代々ではなく、家老になったこともある家であった。

参勤交代があるので、東京と地方に墓はあったようだ。
東京では宗派の異なる複数の墓があったらしい。
というのは、明治で陸軍の将軍になった曽祖父の巨大な墓(隣に妻の墓、一角に息子の墓)があり、私が管理しているのだが、大出世した曽祖父以前の墓の記録がないのだ。
曽祖父が新たに求めた寺は元々の檀那寺とは異なる。
大成功した曽祖父は、それ以前の父母、祖父母等の墓を捨てた。

私の双系は江戸期までは上流武士である。
しかし、そんなものだ。

 

火葬が急速に進捗するのは明治末期以降。
コレラが大流行し、伝染病予防法が制定され、明治政府は公衆衛生の観点で土葬から火葬へ舵を切った。
「家」が単位となったのは1898(明治31)年公布の明治民法が家制度を強調した影響が大きい。

といっても急に火葬率が増えたわけではない。
第二次大戦の直前、1940(昭和15)年に火葬率はようやく5割になった。
昭和の初期に「〇〇家」の墓は大流行するのだが、大都市や火葬が進んでいた地域でのこと。

戦後になり、国が融資制度を設け、地方自治体に火葬場建設を奨励した。
この結果、196063.1%、196571.8%、197079.2%、197586.5%、198091.1%、198594.5%、199097.1%、199598.3%、200099.1%、201099.9%、2015年には統計上100%の99.99%と火葬率は急上昇。
土葬はまれになった。

大人口移動で都市に来た人たちが、都市近郊に墓を求める「墓ブーム」が到来するのは1970年代のこと。
家族形態は戦後民法の基礎、世帯である核家族。
都市周辺は火葬がすでに一般的。
新しい墓地許可条件は「焼骨の埋蔵に限る」と条件づけられた。
時代は総中流。
墓石もブランド物が選ばれる。

古いと思われる「家墓」が一般化したのは戦後、70年代、80年代のこと。
そこで言われた「家」はもはや明治民法下の「家(イエ)」ではなく「世帯」であった。

世帯単位であれば、継承が困難になるのは目に見えている。
今では一般世帯の3分の1(全世帯の4分の1)が一人世帯。
今後は継承を必ずしも前提としないシステムでなければ墓は行き詰る。

近年の東京、大阪に出現しているビル型「大納骨堂」「室内墓地(霊廟)」と称されるもの(墓地埋葬法上は「納骨堂」)。
墓参りに便利、無縁にならない、が売り。

でも、少し危険。
建物、骨壺を自動移送するシステム(倉庫システムの応用にすぎない)、いずれも将来はメンテナンスを必要とする。
納骨堂は「死者の安寧」の観点から維持されるべきである。
売ったお金の一部は常に基金として保全し、将来の用途に備える必要があるが、事業主体である寺院がどれだけ基金化しているだろうか?

すでにいくつか経営困難になり、事実上「売り」に出され、経営母体が変更している事例がある。
経営実態の公開は必要である。



2018年6月 2日 (土)

「孤独死」「無縁墓」は再考を―中外日報コラム①

 

仏教関係の新聞『中外日報』2018420日から518日まで4回にわたってコラムを掲載した。

これについては後で紹介するつもりであったが、予想よりも早く中外日報ホームページに1回目が掲載された。

「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉

 www.chugainippoh.co.jp/rensai/zuisou-zuihitu/20180420.html

 

そこで慌てていったんアップしたが、少し注を入れよう、ということで再アップする。
以下が原文に注を加えたもの。


東京都監察医務院「世帯分類別異状死統計調査」によると、東京23区内で自宅死亡した単身世帯のうち死後2日目以降に発見された者は、2004年が2148人、08年2630人、12年が3257人、16年には3657人と増加している。

 

(注)死後2日目以降を再集計して得られた数。上記調査では当日発見された場合も含めて出している。

 

 

ここから推計するに、全国で死亡時に看取る人がいなかった「ひとり死」は年間約3万人となるだろう。

 

(注)「ひとり死」は小谷みどりさん命名。私は「単独死」と称していたが…

 

監察医務院は「孤独死」といい、人によっては「孤立死」というが、これは価値観をともなった用語で不当である。

 

「国民生活基礎調査」によるならば、16年は単独世帯が27%を占めた。若者から高齢者まで4人に1人以上が「ひとり暮らし」。

「ひとり暮らし」をよぎなくされる者もいれば選択する者もいる。「ひとり暮らし」の実態はさまざまである。

 

知人は「ひとり暮らし」の兄を毎月2回訪問していたが、その合間に兄は突然死。妹である知人は「孤独死」という言葉に深く傷ついた。

 

いずれにしろ生前を知らずして、結果として死亡時に看取る者がいなかった人を、死亡後に第三者が安易に「孤独死」「孤立死」と呼んでいいわけはない。

私は価値観なしの用語「単独死」「ひとり死」を用いる。

 

そう言えば「無縁墓」もいやな言葉である。

 

誰とて縁のない人はいない。
たまたま子がいなく墓の跡を継ぐ血縁者がいない、というだけのことである。

 

(注)墓地埋葬法施行規則第3条に「死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下「無縁墳墓等」という。)  

とある。
法令上の文言であるが、だからといって「いい」とする訳にはいかない。

 

 

16年の合計特殊出生率は1.44人、少子化傾向は続く。
生涯未婚率(50歳時の未婚率)は男性23%、女性14%(15年)と非婚化は進む。

離婚数は婚姻数の約3分の1。


結婚する、一生添い遂げる、子どもがいる、家族が一緒に住む、病者を看護する、高齢者や障がい者を介護する―のがあたりまえとは言えない時代となった。
「ひとり」という生き方をすべてが選択したわけではないが実態は多様で個別の事情はさまざまで異なる。


寺はすべての人と縁を結ぶ存在だろう。
それであるならば、せめて寺から「孤独死」「無縁墓」という言葉を追放したいものだが…。

 

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