2018年10月30日 (火)

「Good Death」」はないだろうーおごるな終末期医療

「グッドデス(good death)」という言葉が、終末期医療、緩和ケアにおいて今注目を浴びつつあるようだ。
これを最初に目にした時、思わず「バカな!」と思った。

この用語は、提唱者の意図と異なるだろうが、死に方に「良い死に方」と「悪い死に方」がある、という価値区分を与えかねない。
ある意味で危険かつおこがましい用語であると思う。


「グッドデス」は2000年頃に米国で誕生。
日本語では「良い死」と訳さず「望ましい死」と訳されているのはそれなりの配慮だろう。
この用語の意味は、終末期医療の見直しを医療者側からではなく、患者本人、家族側の視点から患者、家族、看護者、介護者に対して調査し、その重要要素を客観的に測定し、終末期医療に活かそうという点にある。

それなら「グッドデス」などというセンセーショナルな用語にせず「終末期医療の患者、家族の視点での検証」くらいでいい。

考えてみれば「望ましい死」という訳語も充分にうさんくさい。

研究者は、患者等の側から「生の終末」のあり方を考えるべき、という「善意」で使用しているのだろうが、人間の死全体への考察、配慮を著しく欠くものとなっている。


そもそも世の中には災害、事故、犯罪、戦争のみならず子どもや若年者の死、自死、薬物死、突然死、感染症による死等々「望まれない死」で溢れているではないか。

終末期医療においてさえも、充分な看取りを医療以外のさまざまな要因でできなかった、できることを許されなかった事例で溢れているではないか。
「終末期医療に限る」とはいえ「good death/グッドデス」はあまりに無神経な用語である。
また、それに乗る方もどうかしている。


ターミナルケア(終末期医療)に決定的方向性を与えたエリザベス・キューブラー・ロス『死の瞬間』が発表されたのは1969年である。
「キュア(治療)よりケアcareが必要なことがある」という指摘は深い説得力があった。
「死」は医療という囲いの中のものではなく、「人間の死」だという本来性を示してくれた。


日本で延命治療全盛期に「尊厳死」をリビング・ウィルとして提唱されたのが1981年(前身の安楽死協会は1976年)。
老化による身体的機能の低下も人間にとって自然なこととし、終末期には過剰な栄養補給をせず、できるだけ自然で穏やかな医療を、と「平穏死」が
石飛幸三、長尾和宏らによって2010年以降に提唱されている。


キューブラー・ロスや尊厳死は、末期がんその他重篤な病の終末期にあって、治療には限界があることを認め、終末期患者への治療以外の選択肢をも促すものであり、平穏死あるいは自然死は高齢社会を背景として、人間は経年により衰えることが自然という当たり前のことに気づかせ、高齢者の終末期医療の見直しを提唱するものであった。


これまでの動きはそれなりに医療のあり方を問うチャレンジ精神にあふれていた。
むしろ人間の生にとって医療は部分的なものであることを明らかにしてくれたように思う。


人間は死ぬ定めにあるが、どう死ぬかはわからない。
さまざまな死が予期、計画を超えて起こる。
そこには良い死も悪い死もない。
また死に方だけでその人の生が評価されるわけではないのだ。

2018年9月24日 (月)

人生は統計どおりにいくわけない

 

「人生90年時代」と言われる。
(「100年時代」と言われることがあるが、少し早すぎ)
女性の寿命中位数(過半数が生存する年齢。出生者のちょうど半数が生存すると期待される年数)が、90年を超えたからである。

 

最新の簡易生命表(2017【平成29】年)によれば、寿命中位数は男性84.08年(平均寿命81.09年)、女性90.03年(同87.26年)となっている。

以下の原稿は201612月に書いたので、雑誌掲載は20172月頃であろう。
※データは執筆当時。

・・・・・・・・・

今、私は71歳を目前にしている。

 

この年齢、いささか中途半端である。
80
歳を超えた先輩からは「まだまだ若い」と言われ、50代以下の人たちからは「賞味期限切れ」「老害」と言われる。

 

「高齢者」という枠組上も中途半端である。
75
歳以上は「後期高齢」で立派な高齢者扱いだが、「65歳以上75歳未満」は「前期高齢」とされて「高齢者予備軍」扱いである。

 

データで見てみる。
最新の「平成27年簡易生命表」によるならば、「平均寿命」と言われる0歳児の平均余命は男性80.76年、女性86.99年となっている。
戦後最初の昭和22年には男性50年、女性54年であったから、この70年で日本人の寿命は30年も伸びたことになる。

 

「寿命中位数」というのもある。
「生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数」のことであり、これでは、小数点以下を四捨五入するならば男性84年、女性90年になる。

 

私が後何年生きるか?というのは平均的な予測では1416年である。
ところがこれはあくまで統計上の話に過ぎない。

 

人生は統計上の推測どおりにはいかないのだ。
私の中学の同級生の約2割はすでに人生を終えている。
早い者は10代で死んだ。
40
代からがんで死ぬ者が多くなった。
この1年間に死亡した同級生は10名近くいて、その7割は女性であった。
女性が長生きなどとは決まっていない。

 

女性の寿命中位数が90年ということは、90歳には同年の人の半数がすでに死亡しているということだ。
そして生きていても80歳台になると認知症になる可能性が急激に高まり、あくまで平均的な話だが、85歳を超すと要介護の生活になる可能性が高まる。

90
歳を超えても、100歳を超えても元気な人はいる。
「健康」はブームでテレビや雑誌でも関心が高い。
しかし、誰もが元気な高齢者になるわけではない。

 

私の母は3年前に98歳で死亡した。
長寿だったが、10年以上を認知症で要介護の終末期を送った。
そして1年後に母を看取った姉が72歳で死亡した。
その1年前には従妹が62歳で死亡している。

姉も従妹も死亡の約1年前の健康診断でがんが発見された。
すでに後期のステージⅣで、従妹は13ヵ月後に、姉は11ヵ月後に慌ただしく死んでいった。

 

従妹、姉、同級生の死を経験すると、71歳の自分が生きているのは、たまたま、運でしかないと思う。
同年代や年下の者の死は何とも辛い。

 

小児がんで子どもを亡くした親の集まりに参加したことがある。
子が15歳で入院し20歳で死亡した親は、10年経過しても子の死をきのうの死であるかのように想い、心を傷つけていた。

死亡後の喪は1年とは決まっていない。

 1ヶ月後に早々と死者を忘れる人もいる。
他方、10年経過してもまだまだ喪の最中にいる人もいる。

 

従妹、姉の終末期の1年は、私にとって濃密な時間であった。
死亡後は、しばらく虚脱感から脱せないでいた。
私は今死を刻んで生きている。

2018年9月14日 (金)

「終活ブーム」の底にあるもの

「人生90年」時代に突入した。
明治期までの「人生40年」の倍、統計的な話ではあるが、「人間の一生」は長くなった。

子どもは、6歳で小学生、12歳で中学生…と成長のめどがある。
しかし、高齢者には「いつまで」というめどがない。

私は「たぐいまれ」と言われた古希を過ぎた。
正直なところ生きるのにいささか疲れている。
「もう、いつでもよい」という想いだが、こればかりは自分では決められない。
学生時代に同級の親友に死なれて以降、元々執着心があまりない人間であるが、4年前に姉を72歳で亡くして以降、ことさら自分の生へは一切執着はない。

※こんなことをすぐ言ったり書いたりするものだから、「元気だして」「まだまだ長生きして」とかの励ましを受ける。身体も今のところ元気だし、別に死に急いでいるわけではない。若い人に「70年よく生きましたね」と感心されたが、幸運か悪運かは知らず、生死の境を彷徨う病気等を経験したことはなかった。とりわけ健康に留意して生活したわけではなく、徹夜、深酒等と健康に害あることはたくさんやった。「がんばって生きた」訳ではない。生存という意味ではなんとなく生存という結果になっている。生きている以上、私は「書く者」だから、あっちこっちに難癖をつけながら、私なりに考え、私なりに書いたり、話したり、している。
「今の瞬間を生きる」と言うつもりもない。普通に生きている、今のところは。「生」に過度の思い入れをもたないのは、死者のことが常に私の頭にあるからだ。

よく、尊敬された老僧がいざ自分が死ぬとなると恐怖に怯えた、という話がされ、「人間いつになっても死は怖いものだ」と死と恐怖を結び付けて話されるが、いささか疑っている。

私も姉の年齢を超えた。
72
年も人生を生きていると、さまざまな死、親しい人との別れを体験せざるを得ない。
私もそうであった。
とりわけ辛いのが、同年輩や自分より若い者の死。

叔母は当時91であったか、72で死んだ姉の死の様子、葬儀の模様を報告しに行った時、「なんで年寄りの私が生きていて、ユコちゃん(姉のこと)が死ななくてはいけないのよ」と宙を睨んで呻いていた。
その叔母も死んだ。
私の親世代は昨年に母方の叔母が死んですべてこの世を去った。
だが、子世代でも2人、親世代に先行して死んでいる。

姉の死で思ったことは、死ぬ者もさまざまな解決できない想いを残してであろうが、遺される方がきつい、ということであった。
貧乏くじを引いた感をしていた。

日本は「超高齢社会」にあり、私もその高齢化率を高める要因となっている。
高齢者相手の犯罪も増加、高齢者の犯罪割合も増加、貧困高齢者も増加、そして高齢者相手のビジネスも盛んになっている。
その一つが「終活ビジネス」だ。
「単身世帯」が増えれば「おひとりさま向けビジネス」が盛んになる。
ビジネスをする方からすれば変わった話ではない。
人口の多いところを対象にして狙ったビジネスをするのはあたりまえのことである。

だが何かいやなのだ。
いろんなリスクを挙げて、脅かし、怯えさせる商法に見えるのだ。
親切、優しさで言ってくれているのかもしれない。

しかし、偏見なのだろうが、そうは思えない。

2
年前に当時の赤堀編集長から『ソナエ』に連載の話があり、与えられたコラム名が「終活の喝!」であった。
笑ってしまったが、こちらはお席に招かれたらありがたくうかがう身。
1回を「終活ブームの底にあるもの」とした。

前にも同じようなテーマで書いている。
私も「終活」をテーマに週刊誌等で書いているから、大きく言えばブームを煽っている立場の人間に入るのだろう。
だが、どこかで醒めて見ている。
そうした私が書いた記事である。

碑文谷 創の「終活」に喝!

「終活ブーム」の底にあるもの

 

「終活」は、2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得た。


「終活」という用語は週刊朝日による造語。
主として葬儀や墓について考えようという主旨の連載だったと記憶している。
だがこれに葬送以外の司法書士、保険やらの事業者がわっと飛びついたのは2011年夏に公表された経産省「ライフエンディング・ステージ」に関する研究報告が契機であった。


省庁が終末期医療、介護、遺言、エンディングノート、成年後見、介護保険、葬儀保険、葬儀、墓、遺族の死別による悲嘆、遺産相続等の死後の事務処理その他の人生の終末期~死後を一連の流れとして提示し、その課題を提起した最初のものであったろう。
終末期医療や介護は既に大きな問題としてあったが、その後の遺族の抱える問題までを一環として捉える視点のものはなかった。


日本は高齢化率が世界一の超高齢社会となったが、過去の基盤であった家族、血縁、地域共同体が弱まり、個人が周囲のサポートが得られにくくなり、行政もそれを充分にサポートするだけの人も金も不足するなか、社会的にどういうサポート体制を築くべきかの民間への問題提起としてあった。


終末期、死、死後…は人としては一連の流れの中にあるのに、それに係わる業界は分断され、横の繋がりに欠けている。
情報は氾濫しているがその質に問題があるものが多い。
当事者はどれが適正な情報かの判断がつかず、最も重要な自由意思に基づく判断・選択が困難な状況に置かれている。

隣接する専門家同士が問題意識を共有し、ネットワークを構築し、生活者のサポート体制を構築することの必要性を説いた。
私も報告書作成に数回徹夜するほど深く関与したので、報告書が評価されたことはうれしいがその後の動きにはいささか心配である。


死の問題は戦後、特に高度経済成長期以降、長く敬遠、忌避されてきた。
ようやく注目されるようになったのが、1985年以降。
がんを中心とした終末期医療のあり方がまず問題となった。

その後の進展は速かった。
高齢化が進み、家族、地域社会は急速に弱体化した。
伝統的家の象徴である墓も継続性が疑問視されるようになった。

この遠因は日本社会の興隆期とも言うべき高度経済成長にあり、急速な人口移動による地方の地域共同体の弱体化・崩壊、核家族化の末路としての家族解体と単身世帯の増加を結果した。
しかも高齢化がここに加わった。

8割あった在宅死が2割を切るまで減少し、現実に死に向き合わない家族が増え、リアルな死の認識が欠け、抽象化した。

「個人化」と言うと好ましく聞こえるが、「個人」についての社会的合意のないまま、さまざまな分野で孤立を強いた。
死も例外ではない。


経産省報告書発表以降、錦の御旗にするように、銀行やら保険会社まで、さまざまな人たちが「終活」に乱入してきた。
口あたりはいいが、生活者当人の真の利益なぞ考えていないのではないか、と思われるものがたくさんあることが心配である

(報告)「葬送ジャーナリスト塚本勝の終活探訪記」の第6回に取り上げられた。

https://seniorguide.jp/column/tsukamoto/1142171.html


このブログも長いが、こちらのインタビューも長い。

2018年9月 8日 (土)

「いのち」を考える―生死のつながりの中で

『ソナエ』に2016年末から当時の赤堀編集長との縁で連載記事をもたせていただいた。
2年のお付き合いであった。
現在発売中の同誌の記事をもって連載終了となる。

「終活」をうたう一般の人向けの発言、というのは私としては得意ではない。
実践的に行政や市民団体との関係で係わることはあったし、それは終末期の問題から死後事務まで幅広く学んできた者の責任であると思っていた。
事実、当初は終末期医療、介護、葬儀、墓、遺言や財産相続、死後事務が独立しており、相互に知識を共有することはなかった。
行政の研究会に参加しても、全体を理解している者はほとんどいなかった。

松島如戒さんがもやいの碑を立ち上げ、会員の要望からその前の葬儀等の死後事務を扱うりすシステムを立ち上げ、その後会員の要望から単身者の入院保証等の生前支援にまで関係するようになった。
業界としての事業分野は異なっても、一人の人生を考えると一連のものである。

15
年以上前であるが、ある終末期医療の研究会から「葬儀の話を聞かせてほしい」と講演の要請があった。
その要請の基になったのが看護師さんたちの「死亡退院した後の遺体、ご家族の様子を知りたい」という関心であった。

看護師さんたちは患者とその家族に接し、看護業務を行っている。
死亡退院したから終わりとは割り切れない想いを抱いている看護師さんが少なくない。
中には、病院から有給休暇をとって葬儀に参列している看護師さんもいるという。

但し、私に講演依頼するのに反対した人たちがいたという。それは医師たちであった。
「尊厳ある死」を迎えさせるために熱心な医師も、関心はそこまでで、死者、遺族となった家族についてはいささかも関心を示さなかったという。
時代も変わったから、今では「遺族外来」を始めた大西秀樹医師(埼玉医大)の例も現れたから、大きく変化しているのだろう。
幸い、看護師さんたちの声が大きく、私は講演することになったし、講演後に相次いで質問にきたのは看護師さんたちであった。

ターミナルケアにおいては、WHO(世界保健機構)も、患者のケアに加えて家族のケアの大切さを唱えている。
医療機関では、そこまでの支援は現実的に困難なようだが、心を砕いている看護師たちは確実にいる。

最近では、実践的に葬送から介護に足を伸ばした吉川美津子さん、医療の現場から葬送の現場まで幅広く取材研究している小谷みどりさん、防衛問題のプロでありながら終末期医療、葬送の現場を、丁寧に取材を積み重ねている毎日の瀧野隆浩記者のような優秀な人たちが出てきている。
私は今や彼らに学ぶ立場にいる。

場違いな『ソナエ』に私が書いたものを順次紹介するが、最初は最終原稿から。

編集部にしてもそうだったろうが、私にも毎回場違い感があった。
そこで「最終原稿」は少々気負ったものになった。

 

「いのち」を考える―「迷惑をかけたくない」は不遜

 

人間は誰でも死ぬ。それは個体での話。


人類という観点でいえば新陳代謝を繰り返し、人類の未来に生命をつなげている。
そうであれば死は必然であるし、生命の継承にとって必要である。


ある仏教の宗派では、死亡すると「還本国」という。
大きな生命の源に還っていく。
けっして無になるのではない。


人間の大きな生命体は、個体である人の膨大な生死(しょうじ)の積み重ねで繋がれている。
そこで生きた人間個々が小さかろうが、中くらいであろうが、大きかろうが、それぞれが文書化されようがしまいが確かな歴史を刻んでいる。


人間の生は長くて115年、明治期までは平均寿命は40年台。
かつては乳幼児の死亡率が高かったから、この世で言葉をもつ前に喪われた生命もおびただしくあった。


近世以前、有力者、学問や芸術で何ごとかをなした者は歴史文書に刻まれたが、多くの名もなき民衆個々の生の痕跡はほとんどが埋もれたままだ。


それなりに恋があり、新しい生命の誕生を喜び、家族や仲間のつながりで充足した時間があったろう。
またきょうのパンを得るための苦労、飢饉、戦に徴兵され、子の病にとまどい、心配し、多くの生き別れがあった。
感染症は猛威をふるい、災害にも弱く、個々の生命は軽々と奪われた。
そうした悲喜の中でいのちは繋がれ、今もある。


大きな種としての生命を考えると同時に、私は固有の個の生死にこだわる。
それを「名もない」と切り捨てたら、今の私たちはない。


誰でもが死ぬ。
ならばせめていい死に方をしたい、と考えるのも当然だ。
戦後、終末期医療は格段に進歩した。
「死に方が選べる」と期待する気持ちもわかる。

だが他方で、依然として「選べない死」が跋扈し、依然多数派である事実は押さえておいたほうがいい。

突然の死は、その人の未来だけではなく、家族がその人とありたいと思った未来をも奪う。


「人生90年」時代、という超高齢社会に突入した。
最期まで元気でありたい、という願望は痛いほどわかる。
だが、それは一握りの人にしか許されない。

今まで他人の世話もしたろう。
だが、多くの人から世話されて生きてきたのも事実だ。
私個人も他人、家族に「迷惑をかけっぱなし」で今がある。

気持ちはわからないでもないが、「迷惑をかけたくない」と思うのは不遜である。


死亡する前でも多くの支えが必要だし、死亡したら、いくら計画や準備をしても、納棺も火葬も、墓への納骨あるいは散骨も自分ではできない。
人が生きるということ自体たいへんだが、死後にも膨大な事務処理が残される。

2018年8月28日 (火)

葬送問題のコンテキスト 「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

このところ紹介すべき本の紹介がしきれていない。
3冊を本の表紙だけ紹介しておこう。いずれも優れた本。出版順に

①星野哲『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書)
Hoshino

②松島如戒『私、ひとりで死ねますか―支える契約家族―』(日本法令)
Matsushima

③瀧野隆浩『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版)
Takino

星野さんは立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者。
松島さんはりすシステム創始者。
瀧野さんは毎日新聞社会部編集委員。
お三方とも私と親しい関係にある。


これからが本文


葬送問題のコンテキスト 
シンポジウム「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

2018
82413001430 エンディング産業展で「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」と題するシンポジウムが開催された。
当日配付資料を100部作製し持参したのだが、少々残ったようなので、90名以上の方が参加した模様。
会場が100人定員だったので、会場はいっぱいになった。

パネリストは、葬送の自由をすすめる会副会長の西田真知子さん、りすシステム創設者の松島如戒さん、エンディングセンターの井上治代さん、そしてコーディネータは当時を知る人間というので私が指名された。
西田さん
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松島さん

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井上さん

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西田さん、松島さん、井上さんの順に各15分ずつに最初に発表した。
全体が90分しかないので、私の進行の不手際があり、ディスカッションの課題として4つ用意したものが、「NPO が果たした意味、意義、問題点」だけで終えた。
私としては消化不良の感があったが、聴く側としては90分という短くない時間であったので、けっして短い時間ではなかっただろう。
そこで「解説」として私が用意し、当日も用いた資料に参考写真を加えて以下に示す。

 

■墓の略歴


★墓地は古来よりある。

★民衆が墓をもったのは室町後期(戦国時代)以降。

★江戸時代までは個人単位の墓が多い。

★明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。

1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)

1970年代より都市化の影響で大都市周辺で墓地開発が急増。自然破壊が問題に。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行

1980年代後期 墓システムが問題化

1991年バブル景気崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。

2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択している実態が明らかに。


■永代供養墓(合葬墓)


「合同墓」「共同墓」「合葬式墓地」とも
個別納骨⇒13年、33年を経て承継者がいない場合に合葬、最初から合葬の大きく2つのタイプが


★「承継者の有無を前提としない墓」

 「血縁」から「結縁」へ

★跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓(無縁塔)ではない。

★人間の生き方はさまざま。
それぞれの生き方、生を尊重し、承継者の有無にかかわらず寺あるいは墓地が責任をもって供養(管理)


★「永代供養墓」1985年比叡山久遠墓が最初

1990年前後(19891991

 新潟 妙光寺「安穏廟」(小川英爾さん)
 Shukushou

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京都 女の碑の会「志縁廟」(谷嘉代子さん)
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 Photo_3
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 上から1979年12月に京都・常寂光寺に建立された「女の碑」、中、1989年11月に建立した「志縁廟」、下、谷嘉代子さん

  東京 「もやいの碑」(松島如戒さん)
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 マスコミが話題に


★現在、約2000? 今、改葬(お墓の引っ越し、墓じまい)先としても注目。遺骨処分場になるケースも


※当日は女の碑の会「志縁廟」の写真を紹介できなかったが、雑誌『SOGI』19号(1994年)に当時は花園大学教授だった谷さんに寄稿いただいており、そこにあった写真が上の写真である。

 

■散骨(自然葬)

 

1991年 葬送の自由をすすめる会が相模灘で散骨実施 
 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称」(初代会長の安田睦彦さん)
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上、安田睦彦さん、下1993年3月宮城県大森山再生の森での最初の山での自然葬(葬送の自由をすすめる会)

1994年 東京・公営社「海洋葬」 企業による散骨の最初。
今は小型セスナ機、ヘリコプターによる海上散骨も


2014年 一般社団法人日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」

■樹木葬

 

★墓地として許可を得る(粉骨の必要なし)。


1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。
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中、前住職で開創者の千坂げん峰さん

森を墓地としての許可を得て、自然との共生という理念に共感する人が墓地として使用することで自然育成・保護活動を支援。
穴を深く掘り、遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。


★エンディングセンターが2005年「都市型樹木葬」として東京・町田いずみ浄苑内に「桜葬」。

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(エンディングセンター)

その後「樹林葬」とか、「墓石の代替に樹木」と解釈され、さまざま理念なき世界に。

 

■生死の境界と「生前契約」


★「生」「死」の分断。死のタブー。


1985年頃より「終末期ケア」が課題に


1990年頃より「墓システムの矛盾」が提起


1995年頃より「葬儀の個人化」が進む


2000年頃より「死別によるグリーフ」が問題に

 終末期ケアと葬儀の双方から「本人のケア」と共に「家族のケア」の重要性が提起

 成年後見制度施行


2010年頃より「終活ブーム」
 経産省「ライフエンディング・ステージ」という概念で終末期と死後事務等の連続的支援を提起


2015年頃より

 単身世帯の増加(一般世帯の3分の1)で「ひとり死」が課題に

2018年8月17日 (金)

戦場が兵士の心を蝕む

朝日新聞816日朝刊に「(消された戦争 記録と記憶:3)見過ごされたトラウマ」(木村司記者)という記事が掲載された。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13637456.html?ref=pcviewer
YAHOO
ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180816-00000007-asahik-soci

 


戦場での体験や軍隊生活を原因として、心に傷を負った多くの日本兵がいた。しかし、そうした人たちは、この社会に存在しないかのように扱われてきた。

という印象深い書き出しで始まる。

 

山形の精神科五十嵐善雄医師が紹介した事例は、2008年に「慢性の統合失調症」との紹介状を手に診察に訪れた男性。
学徒出陣で、旧満州へ。戦後4年間はシベリアに抑留。帰国後、幻聴に襲われ、自傷行為を繰り返した。40代後半から30年間、精神科に入院。
という男性。
幻聴や幻覚が、中国で手にかけた人たちの声や表情のフラッシュバックだった

統合失調症ではなく、戦争によるPTSD心的外傷後ストレス障害)ではなかったか――

というのが五十嵐医師の診断。


もう一つは

戦時中、精神疾患を発病した日本兵は主に、千葉県の国府台(こうのだい)陸軍病院に送られた。1937年から45年まで1万人余りが入院した。

 約8千人分の「病床日誌」(カルテ)は、終戦時の焼却命令に抗し、病院関係者がひそかに残していた。戦友の死や戦闘への恐怖、罪悪感によるストレス症状が読み取れる。日誌を研究する埼玉大の細渕富夫教授(61)は「悪夢に苦しめられるなど、PTSDとみられる患者は少なくない」とみる。

戦争、軍隊が兵士の心に大きな傷をもたらすことは第一次世界大戦を経験した欧米では知られていた。
でも日本(軍)では「精神的弱者が強い軍隊の障害にならないよう排除すべき」であり、徴兵が広がれば、こうした弱者が入らざるを得ないが、彼らは「落伍しても当然」という考えが優勢であった。
もっとも「死学thanatology(デーケンさんが「死生学」と訳した)」が本格的に研究されるようになった契機は朝鮮戦争の米軍帰還兵の心的障がいの研究であった。
戦場が兵士の心を蝕むリスクの研究はまだ60年くらいにすぎない。

本記事でも
イラクやインド洋に派遣され、帰国後に自殺した自衛官は61人
という事例の紹介がある。

今、10万部を超えるベストセラーとなっているのが、
吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』
(中公新書)


本書は、著者によるならば、「凄惨な戦場の現実」を歴史学の手法で「戦後歴史をとらえ直す」こと、「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」からとらえ直す、という新鮮でまっとうな課題をもった挑戦である。
Photo
本書は「異常に多い戦病死者」「餓死者」に着目している。
この着目は説得力がある。

私の母方の叔父の一人がフィリピン戦線で「戦死」とされているがその実態は知らない。
姉である私の母は、骨箱として送られた中に石が一つ入っていたことを98歳で死亡するまで(認知症でありながら)悔しがっていた。
マラリアによる死か、栄養失調による餓死か、自死か、戦闘死か、その他による死か、一切が不明なのだ。

本書では、戦争が大きく兵士の心を蝕んだことについて、2項目で書いている。

1章 死にゆく兵士たち―絶望的抗戦期の実態Ⅰ

3.自殺と戦場での「処置」

2章 身体から見た戦争―絶望的抗戦期の実態Ⅱ
病む兵士の心―恐怖・疲労・罪悪感

 

描写はリアルである。

無謀な戦場が兵士の精神を蝕み、傷つけ、多くを死に追いやったことをかなり具体的に描いている。
詳しくは自ら本書を手に取ってほしい。

確かに、日本軍の無謀さがより強く日本軍兵士の心を蝕んだことは事実だ。

だが、これは日本軍だけのことではなかった点も忘れてはならない。
米軍の太平洋戦争(19391945)においても、さらに朝鮮戦争(19501953)、ベトナム戦争(19611973)の従軍者もそうであったし、その後の湾岸戦争(1991)、アフガン派兵(2001~)、イラク戦争・駐留(20032011)もそうであった。
英仏、ロシアにおいても例外ではないだろう。
また、直接戦闘には参加していないはずの、海外派遣された自衛隊の隊員たち(1991~)にも無縁なことではなかった。

本書は、太平洋戦争における日本軍の現実に肉迫している。
その意味で必読と言えよう。

2018年7月18日 (水)

葬祭事業者における遺体管理業務の実態

病院等における「死後のケア」の実態について①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/1-f03a.html

病院等における「死後のケア」の実態について②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-eea3.html

の続き

 

葬祭事業者における遺体管理業務の実態

死後のケアが病院死のケースでは看護職員において行われることが一般的ではある(看護職員以外が行っているケースもある)。
だが、死亡後に火葬までに少なくとも2日、一般的には3~5日(長い場合は2週間も)時間を要するので、死後ケアをもって遺体への十全な処置であるわけがない。
その後に家族から委託されて管理する葬祭事業者による遺体の管理することがより重要となる。

 

(1)葬祭事業者に委ねられる遺体管理

 

①病院死の場合

 

死亡直後における遺体処置としては、病院内死亡の場合に病院経営者の経営方針によっては葬祭事業者が病院内で処置にあたるケースがあるが、一般的には看護職員が担当する。


但し、病院により死後のケアは極めて限定的で簡易な処置で終え、遺体搬送のためにくる葬祭事業者にその後の処置を任せる病院は意外と多い。


また、「死体現象」に無理解なために、エンゼルメイクにはこだわるが、内容的にも技術的にも不充分な処置に留まり葬祭事業者に遺体が委ねられるため、葬祭事業者による補充処置が必要とされるケースは多い。

 

②病院死以外の場合

 

病院死以外のケース、老人施設、自宅、その他の事例ではほとんどの場合、死亡後に遺族の委託により葬祭事業者が遺体を管理し処置している。

病院死以外には病院における死後の処置と同程度の処置が葬祭事業者の責任で行われる。

 

(2)葬祭事業者の責任で行われる遺体処置の差異

 

葬祭従事者によって行われる遺体管理はさまざまである。


遺体管理を自らの責務と自覚しておらず、式の設営や進行を主業務と認識している者もいる。
また、遺体処置のほとんどを外注化してドライアイスの交換だけを行っている者もいる。


しかし、映画『おくりびと』のヒット、近年は葬祭ディレクターの認知、普及、増加、エンバーミングへの認知の高まり、そして東日本大震災における経験等から遺体の尊厳への関心が高まっており、遺体の処置および管理に関心を寄せる者は増加している。

 

①簡易な処置、管理

 

葬祭従事者が行う遺体処置、管理は簡易なものは以下の通り。


主として病院等死で、病院等で死後の処置が行われていた場合、布団の上にビニールシートを敷き、体液や血液の漏出に備え、遺体を寝かせ、顔に体液や血液の漏出がある場合には脱脂綿で拭い、ドライアイスを約10㎏程度遺体に載せ、布団をかけ安置し、顔に白布をかける。

納棺時には家族の手を借りて納棺のうえ、ドライアイスを1110㎏程度交換する。
通常ドライアイスは10㎏単位にパックされている。

 

②細かな処置、管理

 

死体現象には個体差が大きいため、着衣を解き、全身を観察する。

体液および血液の漏出がないよう創傷部については脱脂綿をあて包帯等をして患部を覆う。
鼻、口腔の脱脂綿を交換し、奥に詰める。
下腹部のおしめを交換する。

全身を水に濡らし絞った手拭で拭き、アルコール消毒液で拭く。
保湿剤を全身に塗る。
顔の膨らみ等を確認し、必要な場合には含み綿で形状を整える。
必要な場合には洗髪する。髪、眉毛、髭を整え、着替えを行う。
家族が希望すれば一緒に化粧を施す。
布団の上にビニールシーツを敷き、安置する。

ドライアイスは気候、遺体の状況を判断して10㎏~20㎏を判断し載せる。
頭の下にもドライアイスを置き、10cm程度頭を高くする。
ドライアイスは喉、胃腸の上に配置し、体液漏出部を凍らせ、また、胃腸部が最も早く腐敗が進行するのでドライアイスで腐敗進行を遅延させる。


状態を1日に2度は確認し、乾燥状態を確認し、保湿し、体液及び血液漏出部があるか確認する。
顔には浮腫がなくとも全身の浮腫発生を確認する。
消臭を行う。

遺族と相談し、早期に納棺を勧め、納棺後も棺内の遺体を細かく観察し、変化に対応した処置を行う。

5℃以下では腐敗進行は遅くなり、納棺後は冷気が還流するので保冷効果は高い。
しかし、遺体は時間の経過で進行するので常に変化の確認を行う必要がある。


処置は使い捨ての手袋を欠かさず、処置後は手指をよく消毒する。
結核菌は自発呼吸がないので一般には菌は漏出しないが、移動時、また腹部を圧迫することで菌が出ることもある。

 

実際に①と②、その中間、と葬祭従事者の処置と管理には大きな差があるのが実情である。


遺体管理は、家族、処置者の双方の公衆衛生を守る、遺体の尊厳を守る、遺族に臭気等で嫌な想いをさせない、安全に常に配慮している安心感を与える―ということが大事で何よりも優先されるべき、葬祭事業者としては最も優先されるべき業務としてある。


病気によっても変化するので医療関係者との情報交換は必要である。

(この項終わり)

「死体現象」について書いたところSNSで拡散したのだろうか、このブログの読者以外からたくさんのアクセスがあった。
私としては文脈の中で理解を得たいので、まとめて書いてみた。
エンバーミングについては

を参照願いたい。

病院等における「死後のケア」の実態について②

 

病院等における「死後のケア」の実態について①

 

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/1-f03a.html

 

の続き

 

病院等における「死後のケア」の実態について②

 

(5)死後のケア(死後の処置)の概容

 

死後の処置の一般的な内容は、小林祐子によると以下の通り。

 

今日の臨終直後のケアは、一般的に以下の ように実施されている。医師の死亡確認後、家族だけで別れの時間を過ごした後、臨終後 の身体の整容になる。この時、風習や習俗の 尊重に配慮する必要がある。例えば「死水」 または「末期の水」では、家族が唇を水で浸す習慣がある。仏教的には釈迦が入滅のとき、 口渇を訴えたという故事に基づくが、地方の 習俗では、悪しきものから守る、魂を呼び止めるという意味があるとされている。
通常の病死の場合、死後硬直の出現は、一般的に1~2時間で始まることから、出現前に身体の 整容を終わることが重要になる。筋肉の弛緩している時期は、比較的ケアが行いやすいと されていることから、家族との別れを済ませてから速やかに実施している。処置に際しては、体内の排泄物・貯留物を除去し、創傷の処置を行う。また、体内の貯留物が排泄されないように、体腔に弾綿を詰める。全身の清拭后、外観を整えるため死化粧を施す。
(「死後のケア再考」新潟青陵大学紀要第520053月)

 

(6)看護職員による死後のケアの実質の差

 

平野裕子は
「死後の処置は諸外国では死体業者、葬儀社、役所などが実施しているが日本においては病院死の増加に伴い、看護師が療養上の世話の延長として実施することが多い」
としながら、
「しかし、看護師は現行の医療体制における入院期間の短縮化や治療の効率化により、煩雑化する医療業務に追われ、死の瞬間まで生存者であり続けたいと願い、心的葛藤を繰り返すがん患者やその家族に十分に寄り添う看護を提供しているとは言い難い」
と実情の困難さを指摘している。


「包括的ケアの観点から遺族ケアニーズが高まるなか、死後の処置に関する教育は、先輩看護師が後輩看護師に伝統的に手技を教え、看護師主導、かつ短時間に施されていた背景があり、今なおエンゼルメイクの手技、手法に主眼が置かれ」ている実情を報告している。


平野が行った調査1は
「死後の処置を教える看護師の死後の支援時の思いと新人看護師に対する支援の実態調査」
で、まさに厚労省『新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】』で「死後のケア」を「演習」とした内容に相応する。
埼玉県内の5病院の「新人看護師に死後の処置を教えたことのある看護師20名(臨床経験平均10年強)に対する面接調査を行った。

その結果、
「現在勤務している病院における死後の処置を含む逝去時の看護手順書の閲覧経験は3名にあり、メイク方法の確認が1名、理由は忘れたが新人看護師時代に1回のみ見たが2名であった。これ以外の者については見た経験の有無を問われてもその記憶があいまいでわからない、また見たことがないと回答していた」
とある。


看護手順書についても箇条書き程度のものから詳細なものまであった。

死後のケアの手順書が規定されていても実効性が乏しく、標準基準はないに等しい。


平野は死後の処置の実態について、
死後の処置は「たいてい2名で実施していた。死後の処置にかける所要時間については20分以内が原則であり、点滴などのルート類の抜去などを含めても3040分以内に終わらせると回答した者が1名いた」
と所要時間を報告している。
(平野裕子:埼玉県立大学保健医療福祉学部講師、「看取りケア充実に向けた死後の処置教育プログラムの開発に関する研究」科学研究費助成事業研究結果報告書、2015

 

(7)「死体現象」に理解が乏しい看護職員

 

「死体現象」については看護師の認識は乏しい。

時間制限の基になる一つの死後硬直については9割方が理解しているが、腐敗、肌色の変化、皮下出血、体温低下、うっ血、浮腫、乾燥等についての理解は半数以下、中には1割程度というのが実態。

看護職が死後の処置をした場合でさえ「死体現象」を知らずに行うのであるから、遺体に対しての処置としては充分でないことは明らかである。


もっとも口腔への脱脂綿詰めについては
「後から体液漏出防止に効果がない」
として後からの葬祭従事者による低温管理に委ねるエンゼルケア専門家もいる。
だが喉奥への詰め物効果は臭い防止にあり、こうした死後時間経過に伴う変化に対応していない者は少なくないどころか一般的である。



(この項続く)

病院等における「死後のケア」の実態について1

犠牲者が200人を超えた西日本豪雨災害の件について心を傷める毎日である。
連日の酷暑の中、被災者、支援する人たちの置かれた過酷な状況を思う。
自衛隊員にも熱中症被害が出ている、という。
https://digital.asahi.com/articles/ASL7K533CL7KUTIL03B.html
「頑健」と思われる自衛隊員、各地から派遣された消防、警察、自治体職員の熱意は思うが、健康管理が丁寧に実施されることを切望している。

今回の西日本豪雨災害では200人を超える死者が出た。
東日本大震災以降、広島、熊本、今回の広島、岡山、愛媛等広範囲な西日本の災害。
災害が頻繁な感じがする。
私が幼少期に体験した岩手県一関の洪水被害。
1947
1948年に連続で合わせて500人以上が死亡した。
その例だけではなく、古くから日本列島は地震、洪水、土砂災害の歴史と言っていい。

今回は予告したので、病院等における「死後のケア」の実態について書く。
量が多くなったので、3回に分けて掲載する。


「遺体管理」については
死後、人間の身体はどう変容するのか?死体現象

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html
死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5cff.html

に続くものである。

 

 

 

病院等における「死後のケア」の実態について①

 

(1)死後の処置の歴史

 

明治時代には自宅死が多かったが、少ないながら病院死はあった。
医療機関での死後の処置については、近代看護婦の先駆と言われる大関和(おおぜき・ちか。18581932)等が著した『實地看護法』(1910【明治43】)に遺体消毒の記述が見られるのが最初といわれる。


戦後、病院死が増えることで、危篤となると家族が呼ばれ、医師による最終救命、死亡判定が行われると家族による死水が取られ、看護婦(以前、女性は「看護婦」、男性は「看護士」と称されたが2002【平成14】年に「看護師」に統一)による遺体の清拭・消毒、浴衣への着替えが行われることが一般的になった。これは「清拭」「湯かん」等さまざまに呼称された。


「清拭」とは看護師が入浴できないでいる患者の身体を拭き、必要に応じて、おしめや下着の着替えを行う作業のことであり、死後の身体への処置もその延長で「清拭」と呼ばれることが多かった。
「湯かん」とは地域共同体が死者の身体をたらいで洗い清浄にして死装束に着替えさせた慣習行為で、病院で死後に清拭や着替えがされたことをもって「病院で湯かんしてくれる」という言い方になった。
病院側から言われることはあまりない呼称。


1995
(平成7)年~2000(平成12)年前後以降に「死後の処置」が一般的になり、その延長線上に現在主に行われている形式にまとまる傾向となり、看護教本に1または2ページ記載され、1時限教授されることが多くなった。(処置の概容は次項参照)


2001
(平成13)年に元看護師の小林光恵等が「エンゼルメイク研究会」を発足させ、死後の処置を家族と一緒の看取り、ケアとしての死化粧である「エンゼルメイク」を提唱。
その影響下で化粧に偏らない「エンゼルケア」という用語が誕生し普及。
死後の処置に看取りの延長戦での「ケア」としての要素を付加する傾向が強まり、看護師等へ死後の処置への関心を高めた。

 

(2)死後の処置は医療外業で健康保険の対象ではない

 

「死後の処置」は「死後」のことであるから健康保険の対象にならないし、看護師という資格保有者だけに許された業としてはない。


保健師助産師看護師法第5条によれば、
「看護師」は「
厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者」である。
「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者」である。
31条に「看護師でない者は第5条に規定する業をしてはならない」、「准看護師でない者は第6条に規定する業をしてはならない」とある。


但し、死後の処置は、死亡をもって医療行為は終了したという考えで、保健師、看護師、准看護師の有資格の看護職員にのみ許された業ではない。

 

(3)「死後のケア」が看護職員の研修項目に

 

死後の処置について厚労省は正式に看護職員の研修に「死後のケア」という言葉で採用することを正式決定するのは2014(平成26)年2月のことである。
それまでは看護師等の研修に義務づけられてはこなかった。

厚労省が20142月に作成したのは『新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】』で、
「表4 技術的側面:看護技術についての到達目標」に新たに「死亡後のケアに関する技術」が取り上げられ「①死後のケア」が追加された。
但し、項目が加わっただけで、「技術指導の例」にも記載されておらず、その具体内容は提示されていない。

従来、正式名称がなかったが、おそらく今後は「死後のケア」が正式名称とされるであろう。


ガイドライン本体に記載はないが、調べると
「第3回新人看護職員研修ガイドラインの見直しに関する検討会」(20141月)記録において「新人看護職員研修ガイドライン到達目標の修正内容」として「死後のケア」が追加され、その理由として「超高齢化社会を迎え、新人看護職員研修においても実施すべき項目である。
各施設の状況を考慮し、『★なしⅢ』 とする」と記されている。
(筆者注::★1年以内に 経験し修得到達を目指す項目。Ⅰ:できる Ⅱ:指導の下でできる Ⅲ:演習でできる Ⅳ:知識としてわかる、と区分されている。)


おそらく終末期ケアが課題となっていることから、医療関係者が患者の死にあたって、最期をきちんとケアしたことを示す重要性が提示されているのであろう。


実際に患者の遺族からは、その死後のケアの処置内容がどうかではなく、「看護職員がきちんとしてくれた」ことへの評価が高い。
逆に言えば、死後のケアをきちんと行わないと医療関係者の評価が下がり、終末期ケアへの信頼が得られない、といえるだろう。


死後のケア(死後の処置)に対する看護職員の関心は一般病棟に比べ、ホスピス等の緩和ケア病棟において高い。

 

(4)死後のケアの実態

 

死後のケアは看護職員が行った場合でも約30分程度と短時間を強いられる。

しかも基準が明確でないことから清拭中心に済ませる者、メイクに偏る者等があり、内容は一定しておらず、特に体液・血液漏出保護等に係わる措置では手を抜く傾向が見られ、十全な遺体処置が行われているわけではない。


但し、ガイドラインの項目に「死後のケア」が追加されたからといって、死後のケア(死後の処置)が保健師、看護師、准看護師にのみ許された業ではないということへの変更はない。


実態として死後のケアは看護職員が病院等の施設で一般的に行われてきたが資格が定められた看護師、准看護師以外が行っている事実もある。


看護師等は過重労働で生きた患者の看護に時間を取られる。
また死後のケアの重要性を病院経営者が認識しておらず、死後のケアは看護師の本来業務ではない、という考えの持ち主がいる。
あるいは病院経営上の効率化を考える病院経営者もいる。


病院においては遺体搬送を葬祭事業者と契約しているケースもある。
遺体搬送業務に霊安室の管理を含むだけではなく、葬祭事業者が遺体処置業務もセットに含んで契約して葬祭従事者の派遣、あるいは病院内での遺体処置従事者を葬祭従事者との契約で行っているところもある。

また病院自体がパート契約等で遺体処置従事者を雇用している事例もある。

病院内で看護職員以外が作業を行う場合には病院職員の定めた、供給する作業着を着用して移動、作業するために患者、家族には病院が遺体処置を行っているものと映る。


また、近年では地域によって葬祭事業者の遺体取扱技術が向上しており、斎場(葬儀会館)という施設保有の葬祭事業者が増加していることから、病院内では簡単な処置で済ませ、後は葬祭事業者に委ねるところもある。


病院等以外での死亡の場合には訪問看護師が行う事例はある。
だが、すべてを看護師、准看護師が行っているわけではない。むしろ病院等での死亡以外においては葬祭ディレクター等の葬祭従事者あるいは葬祭事業者の下請としての湯灌業者、納棺業者、死化粧業者等、介護施設職員、または家族、隣人・知人等の非専門の一般人によって死亡後の遺体の処置は行われるのが一般的である。


死後のケアは医療行為外であるために健康保険の対象にはなっていない。
そのため、病院内で看護職員か否にかかわらず死後のケアを行っている場合には、「処置管理料」が無料から約4万円までの差がある。多いのは1万円内外である。

(この項続く)

2018年7月11日 (水)

死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

このところ「遺体管理」の問題について考察している。

流れとしては

 

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html

 

に続くものである。

今回書くものを含め、概要は以下に書いている。

 

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html



死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

 

死亡場所により、その直後の遺体処置に違いがある。

また、病院でも、見分けは困難だが、すべてが看護師によって行われているわけではない。
当然歴史的変化がここには反映されている。

 

①死亡の場所の統計的変化

 

死亡の場所は、人口動態調査によると戦後大きく変化した。


1951
(昭和26)年には、自宅が88.4%と圧倒的に多い。
病院は9.1%、診療所は2.6%、合わせても11.7%に過ぎない。

病院・診療所が2割を超えるのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年のことで、病院と診療所を合わせ20.6%。
この年に自宅は79.3%と減少。


戦後の経済成長と共に医療のインフラは整備され、それに比例して病院等の医療施設での死亡が増加する。
病院死が増加することで、地域共同体による遺体処置(湯灌等)は病院での看護師等による死後の処置に取って代わられることになる。


病院等の医療施設での死亡が半分を超すのは1977(昭和52)年のこと。
以降は病院死が増加して自宅死が減少するという傾向が顕著になる。
1999
(平成11)年には病院・診療所での死亡が合わせて80%を超え、自宅死は15%まで減少した。

老人施設での死亡が2%を超え2.1%となり注目されるようになったのが2004(平成16)年のことである。

2010(平成22)年には病院・診療所での死亡が合わせて80.3%、老人施設での死亡は3.5%と伸び、自宅死亡が12.6%。
最新の統計である2015(平成27)年には病院・診療所での死亡が76.6%、老人施設での死亡が6.3%、自宅死亡が12.7%となっている。

老人施設での死亡が増加した理由については、終末期を老人施設で暮らす高齢者が増加したことに加え、かつては老人施設で暮らす高齢者が危篤になると救急車を呼び入院させ、死亡すると病院死にカウントされていたのが、老人施設で看取ろうという機運が高まり、施設での看取りが増えたことによる。

 


②死後の処置の担い手

 

自宅死が多い時期、つまり高度経済成長期以前は、人の死は家族が担い、死亡後の葬送は地域共同体が中心になって担っていた。


自宅死が多かった時代


一般には家族が看取り、主治医が来訪し死亡判定し、家族が死水をとり、遺体を安置した枕元で僧侶が枕経をあげ、家族で夜を徹して看取った。

当日、多くは2日目、地域の一員が水に湯を加えて適温にしたお湯で死者の身体を洗い、死装束に着替えさせるという湯灌(ゆかん)という習俗があった。

これは場所、場所で異なるが、古くは僧侶が行った事例もあるが、家族または地域の一員によって行われた。
その実態もさまざまである。
担当となったものの恐怖心を和らげるため、事前に酒を供し、酔っぱらって行われたこともあれば、家族の手で丁寧に行われたこともある。
都市部ではこれを担う専門の人がいたこともある。
あまりにもさまざまで、こうだ、と定式化はできない。

2
日目、または3日目に僧侶の立ち会いの下に家族の手で納棺され、通夜し、3日目または4日目には自宅または寺で葬儀をして出棺し、火葬または墓地に埋葬(土葬)された。


火葬率の推移

 

火葬または埋葬(土葬)までを急いだのは、遺体の腐敗が進行し、死者の尊厳を侵すことへの恐怖からであった。


都市部では火葬が多かったが、郡部では土葬が多く、火葬率が日本の統計で6割を超えたのが戦後の1960(昭和35)年の63.1%。
以後全国で地方自治体単位での火葬場建設が進み火葬率が急伸した。

1975
(昭和50)年に86.5%、1985(昭和60)年に94.5%、1995(平成7)年に98.3%となり、2010(平成22)年には99.9%を記録。
2015
(平成27)年には統計上100%の99.99%となっており、世界一の火葬先進国である。
1970
年以降、かつては土葬が多かった欧米でも火葬が顕著に増加傾向にある。


地域共同体から葬祭事業者へ

 

日本の葬儀は、地方共同体が中心に営んでいた。
大都市では1877(明治10)年頃以降に、地方では戦後の1950(昭和25)年以降に葬具提供業者として葬祭業が始まる。

現在の葬祭事業者の創設時期の分布は、1955(昭和30)年以前が全体の約1割、全体の約4割が1955年以降1995(平成7)年以前、1995年以降現在までが全体の約5割となっている。

葬祭事業者は、出自がさまざまで、登録の要もなく、したがって標準化規制もないため、葬祭事業者の業態はさまざまである。

1996
(平成8)年以降、厚労相認定葬祭ディレクター技能審査が開始され、2016(平成28)年まで21回を重ね、215,489名、116,470名の合格者を出し、合格者総数が葬祭従事者の約3割に達したことで標準化はかなり進行している。
だが、この資格取得が葬祭従事あるいは営業条件とはされていない。


葬祭事業者が葬儀運営の中心になるのは地域によって異なるが197080年代といえる。
ここで運営主体が地域共同体から葬祭事業者に漸次移行が進んだ。

葬祭事業者の遺体の係わりも同一ではない


この時期が病院死亡の増加した時期に相応するため、遺体の処置は地域共同体の湯灌から病院等での死後の処置に移行し、葬祭事業者はそのはざまで遺体処置に係わることになった。

遺体を細かく観察して適切な処置に心を砕く葬祭事業者もいれば、ドライアイスの補充以外は遺体処置にほとんど関心を示さない葬祭事業者もいる。
現在でも葬祭事業者の遺体処置への取り組みに大きな温度差があるのはこうした背景による。
地域差だけではなく葬祭事業者間に取り組みに温度差がある。

※次回は病院での死後の処置の実態について書く。
病院関係者、葬祭担当者も自分の守備範囲の経験だけで、さまざまであること、その実態は意外と知られていない。
ましてや一般の人には知られていない。

ちゃんとした紹介文献もほとんどないので、詳しく書く。

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