2017年10月14日 (土)

民俗、習俗にとっての遺体ー遺体論④

「遺体論」は今回をもって最終回とする。



民俗、習俗において「遺体」とはどういう存在だったのか?―遺体論④

 

 

はじめに

古来、日本人は遺体をどうとらえていたのであろうか?
ここで葬儀習俗に残るものを手掛かりに述べるが、そういう形に定着するまで時代変遷があったはずである。

たとえば民衆が地域共同体を確立する以前はどうであったか?
都市での民衆の死体が路傍や川のほとりに棄てられていたという光景が伝えられるが、そこで民衆は人の死、そして遺体をどういう目で見ていたのだろうか?
単純に棄てられる例もあったろうが、その状況にあって、その時代の民衆は割り切ることのできない感情を抱えていたのではないか?

たとえば第二次大戦下、大陸で敗戦直後の状況で逃げまどう中で、死亡した老人や子たちの遺体を処理するために穴を掘り設けた場所に家族の遺体を置いてきた人々の心情はどうであったのか。
その時そうせざるを得なかった、遺体を火葬にして遺骨を持ち帰る時間的にも精神的にも余裕を奪われていた人たちが、その後どういう想いを抱えてきたのか。
今、私たちはその体験者の想いを記録、書かれたもので知ることができる。


戦友の死について、放置してきた人の記録もある。
あるいは家族はもとより関係者不在の中で死亡した人、名前を全く知られることなかった遺体が多くあった。

また、家族がどのように死んだのか、まったく情報がなかった人も少なくない。
名前も知られなかった遺体、飛び散った遺体が数多くあった、ということと、近親者の死についてまったく情報がなく、思いめぐらした人たちが数多くいた、ということは、同数ではなかったにせよ、裏表の面がある。

70年以上も前の昔の話」と言われるが、私が生まれた直前から遡ること20年間の短期間に起こった
ことである。

 歴史で言えば近現代史の話である。

私は東北人であるから、昭和の前期にあった東北大飢饉のことも想起せざるを得ない。
残って飢えた人たちだけではなく、そこにいられず逃げ出し、ある者たちは売られて関東各地に出てきた。
そこで名もなく死んでいった者たちがいた。

想像を絶する話であるが、1930年以降に生じたことは、まだその一端を記録で読むことができる。
ただ死者たちの肉声はないが。

古代の「棄葬」についても記録の多少はあるが、それについて民衆がどう考えていたか、おそらく立場によってもさまざまであろう、個々の想いを知ることは困難である。

私たちは「知らないことが多い」という地点から出発せざるを得ない。
そして今の私たちが死者たちに抱く想いが単純であり得ないように、私たちとは異なる点が多いだろうが、過去においてもけっして単純であったはずはないだろう。

ネアンダール人の3万年前以上前の墓であった北イラクのシャニダール遺跡から死者を弔い葬った跡と思える花粉が発見された。
これは死者を弔い葬る人類最古の証として注目され、私も大興奮した。
今も信じたい気持ちは強い。
(もっともその後の研究では、花粉は動物が持ち込んだ可能性も否定できないようで「明らかな証拠」とは言えないようだが)

だが、これだけは言える。
シャニダール遺跡が最古かどうかは別にして、少なくとも1万年以上前から人類は死者を葬る時に何らかの弔いの儀礼を伴ってきたことがある、ということ。
おそらく弔われないで葬られ、放置され、棄てられたことも多かったと思うが。

日本人の死についての習俗は、5千年前、数万年の話ではない。
もっと後代の話である。
それでも今から見れば充分に古い話であり、しかし、時代を経過し、その過程では変容もしたであろう、伝えられてきた話である。
そのことを前提として、その一端を見ていこう。

葬儀習俗と遺体

 

1)魂よびと湯灌

 

人が死亡したと思われると「魂よび(魂よばい)」と言われる動作が民俗では見られる。
死者の枕元であったり、屋根に上がってであったり、井戸に向かって、といろいろであるが、その人の名を呼ぶ。


死とは、魂(霊)が肉体から遊離することであると信じられていたため、魂に呼びかけ、再び肉体に戻り、再生することを願って行われた。

その後再生儀礼が、死の事実確認儀礼へと意味を変えていく。


これは最近の話であるが、例えば80年代までは病院の死の臨床現場ではよく行われたことであるが、危篤に陥ると医師は家族を病室から追い出し、患者の上に乗り心臓マッサージを試みる。
それは時にはあばら骨が折れるほどでもあった。
しばらくその行為を行った後、家族を病室に招き入れ、汗をかいたまま「手を尽くしましたが、残念ですがご臨終です」と宣告する風景はよく見られたものである。
この臨終時の心臓マッサージは再生を装った死の事実確認儀礼となっていたのである。


この魂よびの習俗から理解されることは、遺体とは魂が遊離して残された身体、つまり亡骸である。


では遺体は魂の抜けたものという理解が徹底していたかというと必ずしもそうではない。


現代の「湯灌」は古い習俗というより、在宅高齢者の入浴サービスから転じたものである。
これと異なり、かつては、
納棺するに先立って、身近な人の手で湯灌をすることが行われた。
これは死者の霊魂の浄化を願って行われたとされる。
したがって必ずしも霊魂が完全に遊離した状態に遺体があると理解されてもいなかったようである。
(実用的には、座棺が主だった時代にあって、死後硬直した死体を納棺する際、死後硬直を解くのに湯灌は役立ったといわれる。)

 

2)位牌と遺体

 

神葬祭(神道による葬儀)では、遷霊祭(せんれいさい。みたまうつし)を大事にする。
通夜に行われる儀式であるが、死者の御霊(みたま)を遺体から霊代(たましろ)である霊璽(れいじ)に移す儀式である。


霊代は、中国では儒教で用いられ、その影響を受けて仏教の位牌は誕生した。真宗では用いない。
位牌に死者の霊が宿っていると信じられ、葬儀では位牌が祭壇の中央に飾られたり、葬列や出棺の際には喪主が位牌をもったりして、極めて大事にされる。


死は、肉体から霊魂が遊離した状態であると信じられ、その霊魂を祭るのが葬儀であるから、位牌が中心になる。
ちなみに遺影が使用されて以降は遺影がむしろ中心的に扱われる傾向にある。
死者の面影という認識で霊魂観が弱くなっていることを反映している。


アメリカ等では、葬儀は遺体との別れが中心になっているのに対し、日本では、少なくとも論理的には位牌、つまり霊魂が中心になっているのが特徴的である。

 

3)儀式における遺体の位置

 

日本においても、葬儀では位牌がどちらかといえば中心になってはいるが、通夜などにおいては遺体が中心を占めている。

これは通夜(今は通夜は葬儀の逮夜、前日という理解が主流だが、かつては死亡直後の夜から葬儀前夜までが通夜であった)が生と死の境界線上にあるからである。
通夜の間は、必ずしも霊魂が肉体から完全に遊離していないという認識からであろう。
通夜では、身近な者が遺体を中心にして死者との最後の宴会を行った。


戦後の高度経済成長期以降の葬儀式・告別式となると、遺影写真の一般化もあって事情は変化する。

今、葬儀で遺体の納められた柩は祭壇の前面に置かれる。
かつては、といっても葬列の時代から祭壇の時代に移って以降であるが、異なる。

遺体が腐敗を開始するという事情もあったろうが、それによる腐臭を近くに感じないようにと、70年代までは遺体は祭壇の後ろに置かれることが多かった。
経緯としては、葬列が告別式に変わり、告別式の装飾壇である祭壇の上部に輿を模した宮型が置かれたので、宮型の後部に柩が置かれた。宮型は「棺前(かんまえ)」と呼ばれたこともあった。
しかし、実際には臭いからできるだけ遠ざけるという意味合いもあったのではないか。
江戸時代の図絵を見ると、寺院に運ばれた遺体()は寺院の内陣には置かれず、外陣に置かれた。


だが、葬列は明らかに遺体()が中心である。

遺体に対しては愛着と忌避の複雑な感情があったことがわかる。


ちなみに80年代(早いところでは70年代)以降は遺体(柩)は、祭壇の前に置かれることが多くなったが、これはドライアイスの使用が一般化したことと、自宅葬で運び出しに便利という理由だからである。

寺葬で柩が内陣に置かれなかったのは、葬列が到着するのを受けて本尊を背に引導を渡したと説明されることがある。
だが、それは理屈で、ケガレ意識から寺も逃れられなかったことを示すように思われる。

2000
年以降、寺葬に積極的な僧侶は、寺の荘厳(しょうごん)を用いて祭壇の仮設なしに内陣で葬儀を執り行うケースもある。

 

 

死穢意識-民俗としての「遺体」

 

1)死と穢れ

 

日本の葬式において遺体が愛着されながらも、むしろ見た目においては忌避されることが多いように映るのは、「死は穢れである」という意識の所産であると言えよう。


死が恐怖の対象として理解されるのは日本特有のことではない。
高齢者の死が4分の3以上の時代になり、死は生の完成、終結という考え方も現れるようになった。
しかし、これは戦後の80年代以降のことである。
高度医療が進み、社会的に安定する以前は「死は生を奪うもの」という考え方が強かった。


かつては高齢化と死は今のように直結しておらず、高齢での死はむしろ珍しいもの、幸せなものと認識されていた。
高齢になったから死ぬのではなく、突然の災害、病気によって絶たれる生が多かった。

戦前は日本に限らず、死亡者数全体において高齢者の死者が占める割合は3割未満であったろうと思われる(昭和初期は80歳以上での死は全体の3~5%)。
乳幼児の死亡率が高いということがあったにしても、若くての死が珍しいことではなかったといえる。

(注1:
死の高齢化 昭和初期の80歳以上の死亡者の全死亡者に対する割合は3~5%である、と記した。近年だけ見ても、これは顕著に割合が増加している。1990年:38.7%、1995年:42.0%、2000年:43.8%、2005年:48.6%、2010年:55.4%、2015年:61.3%。最新の2016年は62.4%で、男性は51.7%、女性は73.8%となっている。人口動態統計を加工。)
(注2:
寿命中位数 生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数を寿命中位数という。1955年:男性69.79年、女性74.19年、1965年:男性72.00年、女性77.04年、1975年:男性75.31年、女性80.17年、1985年:男性78.06年、女性83.38年、1995年:男性79.49年、女性85.73年、2005年:男性81.56年、女性88.34年、201583.76年、女性89.79年。完全生命表(5年ごと発表)による。毎年発表される簡易生命表によると2016年:男性83.98年、女性89.97年となっている。平均寿命より約3年長くなっている。
平均余命(平均寿命)の推移を見ると、1891(明治24)-1898(明治31)年:男性42.8年、女性44.3年、1947(昭和22)年:男性50.06年、女性53.96年、1955(昭和30)年:男性63.60年、女性67.75年、1975(昭和50)年:男性71.73年、女性76.89年、1995(平成7)年:男性76.38年、女性82.85年、2015年男性80.75年、女性86.99年となっており、戦前までは人生4050年であり、高齢化とは戦後の現象であることがわかる。1955年以降に人生6070年、1975年以降に人生7080年、2015年以降は人生8090年時代に突入している。)


日本においては、死の恐怖を「死霊が取り憑く」と表現した。
それゆえ死霊に取り憑かれないために浄めが考えられた。

だが、こうした強烈な表現の背景には、死そのものの恐怖と同時に死体が腐敗して変貌する恐怖もあった。
遺体に対する忌避の感情は、腐敗に根ざすところも強く影響した。

 

2)死は伝染する

 

遺体に触ると「穢れに染まって死霊が取り憑く」と理解され、また死者の出た家のかまどとは別火で食事をしたというのは、死はうつる、伝染するものと理解されたことからきている。


おそらく当時は明確には自覚されていなかっただろうが、感染症(かつて「伝染病」、古くは「疫病(えきびょう)」と言われた)に対する恐怖心があったのだろう。
感染症の蔓延を根拠として死一般が伝染するものという観念を生み出したものと思える。
死穢に染まることを今から見れば異常なほど嫌ったし、また遺体処理に携わる者(火葬従事者、墓堀、柩の担ぎ手)を差別した。

「忌中(きちゅう)」とは死後49日間と言われるが、死穢(しえ)が浄化されない間は死者の家の者は社会から隔離し、これを「忌み」といった。

 

3)遺体は変貌する

 

死そのものに対する恐怖心は、死体の腐敗による変貌の様(さま)により、より強化されたようである。
死によって体温は低下し、死斑(しはん)が出て、全身に広がり、死体は硬直していく。
腐敗が始まると異臭を放ち、肉体は解体を始めていく。


第三者にとってこうした遺体の変貌する様は忌避すべき対象となる。
と同時に家族にとってもこの変貌は精神的に辛いものであった。
それは愛する母であり、父であり、夫であり、子供であるものが、次第に生前の様子を失い、尊厳を失い、まさに死霊に取り憑かれたとしか表現のしようがないものに変わっていくのである。


こうした死体の変貌に対する恐れが、死者に対する愛着がありながらも葬式を早く、慌ただしく出すことを促した。


火葬により、白骨化した様(さま)が成仏の徴と理解されたのは、白骨化によりもはや恐怖の変貌を見なくてすむということで、浄化されたと理解されたためであろう。

 

4)死穢への対抗手段

 

死穢(しえ)に対抗するためにさまざまな手段が講じられた。
死穢に染まったと思われる者を隔離することもその1つである。

「浄め」と言われているのは、死穢からの浄化を意味していた。

 

①塩、水による浄め

 

今、会葬御礼のはがきに浄め塩が同封されることが多いが、これは70年代に葬祭業者が考案したものである。
そもそもは火葬場からの帰りに家に入る前に、家族に身体の要所に塩をふりかけてもらってから家の内に入ったものである。

古くから海水、塩、水は穢れへの対抗手段として考えられた。
死穢に染まったとされる者は海水を浴びたり、水を浴びたりした。

これは現代的に解釈するならば、洗浄し、消毒しているのであり、塩や水がこれに効果があると信じられた。
正しい知識とは言えないが、昔の人の公衆衛生意識の反映である。。

 

②酒食による浄め

 

例えば、土葬時の墓を掘る役目の人には大いに酒食を振舞ったとされる。
酒は恐怖心を薄れさせ、食事をたくさん食べることにより健康で死霊を撥ねつけると信じられたからなのだろう。
酒や食事が死穢への対抗手段として有効なものと考えられていたようである。

 

今日の葬儀の習俗にも死穢観念の残滓(ざんし)があり、浄めも残存している。
しかし、時代状況が変わったために、切実さは姿を消して、形式として残っているだけである。

形式として、言葉として残っているところに死穢観念の根強さを見て取ることもできるかもしれない。

現代において、習俗の模倣による継続を再検討すべきことも確かであろう。
死穢観念は、かつての若くての死、疫病等への恐怖という死に対するリアルな認識に根ざしたものであった。
それ故に、今では根拠のない死穢観念を追放することは正当であるが、死に対するリアルな認識を放棄してはならないと思う。

 

遺体を巡る遺族の心理

 

1)アンビバレントな感情

 

遺体に対する遺族の感情は複雑である。


死んで遺体となっても、霊魂は分離したと言われても、なお愛する肉親であるという感情から抜け出すことができない。
一方で生前とは容貌が変化した遺体があり、恐怖感もある。


こうした矛盾した2つの感情にとらわれるのが遺体である。
愛惜と恐怖のアンビバレント(両義的)な感情にとらわれるのが遺体という存在である。


第三者が遺体を見る感情と愛する者が見る感情とでは大きく異なる。


冬に掛け布団1枚だけであれば「寒くないか」と思い、ドライアイスで凍らされると「かわいそうに」と思う。
死者に向かって生前と同じように語りかける。
遺体とは愛する者にとっては完全な死者ではなく、いまだ生き続けている家族でもある。


1988
年に日本に導入されたエンバーミングは、こうした遺体へのアンビバレントな感情から解放し、心ゆくまで死者と触れ合いながら時間を共有して別れる機会を提供する。
そのことによってより人間的な関係感情と共に死の事実を受け入れることがより可能となる。

もちろんこれは死生観に関する問題もある。
朽ちる遺体を見て死の事実を認識することもあるだろう。
だからどういう形で死者と別れたいか、というのはそれぞれが自由意思で選択されるべきものである。

 

2)火葬を巡る心理

 

火葬を境にして遺族の心情は大きく変化すると言われる。
火葬までが長引くことによって不安になり、また火葬がいざ行われようとすると動揺する。
火葬が終わるとこの不安と動揺が諦めを伴い鎮静化される。


拾骨(骨上げ。ちなみに火葬場で「収骨」と表記されることがほとんどだが、意味的には「拾う」のであって(骨壺に)「収める」ではない。何とかならないだろうか?役所が右倣えでやっているものを変えるのは絶望的だが)の際に近親者の緊張感が緩むことはしばしば見られる。

火葬の日取りが決まらないと遺体の変貌に対する恐怖心、不安な気持ちが強くなる。
火葬が行われようとすると、愛する家族が喪われるという恐怖感、淋しさによって支配される。

いざ火葬が終われば、恐怖心はなくなるが、もう会うことができないという諦めに心が支配される。
身体へのこだわりがなくなるので、死者への思いは精神化される。 


この状態を指して「遺族の気持ちが落ち着いた」と言うことがあるが、具体的に執着する対象である遺体がなくなって、緊迫感から解放される。
そして悲しみが深く心の底に沈殿している状態に近くなるようである。


したがって悲しみがなくなるわけではない。
事実、火葬後5日くらいすると死別が傷みとなって近親者の心を襲う事例は少なくない。

 

3)解体と尊厳

 

遺族あるいは死者と身近な人にとって、その人の死を容認することは避けたいという心情がある。
もちろん近親者だからといっていつまでも拘泥(こうでい)するとは限らない。
死者との心の交流がいかほどであったかなどによってここには温度差のようなものがある。

同じ遺族であっても、一方はいつまでもその死を認めたがらず、悲しみにくれていて、他方ではあっさりとその死を認めている人もいる。
あるいは友人などが遺族以上のこだわりを見せる場合もある(悲嘆の代行)。

また、遺族の感情はそのまま表面化するわけではない。
悲嘆を押し殺して感情の安定ぶりを装うこともある。


通夜や出棺に際して、親しい弔問者に故人と対面させることがある。
「眠っているようようで、おだやかでしょう」と対面を勧めることもあるが、長期の入院などによる死後の変化により容貌が著しく変貌している場合には、遺族はこれを拒否したり、避けたがる傾向がある。


対面を拒否したり、避けるときには、遺族には故人の尊厳を守ろうとする意識が働いている。
故人の容貌の変化、悪化は、愛する者の解体であり、それは遺族および身近な人にとっては、自らの精神的危機にもなる。
遺体への執着と遺体の解体の危機は、精神的に極めて不安な状況作り出している。



以上、「遺体論」を終える。
別に論じているものがあるのだが、公表してからまた掲載したいと思う。
長い間、退屈な議論に付き合ってくれた方々に感謝する。
おそらく拙い議論ゆえであろうが、「遺体論」には近づきにくい雰囲気があるのだろう。
今まで書いたものでは格段に読まれなかったものの一つとなった。
ま、書くべきものを書く、というスタンスはこれからも同じである。

 

2017年10月 9日 (月)

弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③

弔われない遺体

 

①行旅死亡人(身元不明の死者)

 

1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。

この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。

7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をなすべし」とある。

 

行旅死亡人は、死亡地の市区町村により官報に記載される。
遺体は腐敗するので身元が判明するまで保全できないので、公費によって(約20万円)火葬され、骨壺として遺留物と共に各役所の責任で一定期間保管される。

 

官報記載例をあげておこう。

 

「名前本籍・住所・氏名不詳年齢6070歳位性別男性身長167cm身体的特徴体格中肉着衣灰色トレーナー長袖ハイネックシャツ黒色ズボン黒長靴所持品現金3,110円在中の小銭入れ上記の者は、平成2×年6月●日午後零時●分頃、●●市の●●川河口から北へ500メートルの●●湾で発見され、死亡年月日・死因は不詳。身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市生活福祉課まで申し出てください。」

 

「名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 5060歳位 性別 男性 身長 175センチメートル 身体的特徴 やせ型、短髪白髪混じり 着衣 none 所持品 カバン(黒色) ポーチ(黒色) 財布(2つ折り、黒色) 現金60円 腕時計 電気髭剃り 果物ナイフ 眼鏡 はさみ

上記の者は、平成2×年●月●日午前9時●分、●●市●●公園●番●号●立●●公園内●●東方付近樹木で縊死しているところを発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。お心当たりの方は当市生活福祉課までお申し出ください。」

 

これで身元が判明するというのも無理があるだろうが、行方不明となった家族を必死に捜そうとすれば類似ケースがあるかもしれない。

 

なお、行旅死亡人についての全国統計はない。

東京都で年間約100人程度、全国でも約1000人程度であるというのが2010年のNHKの調査でわかった。

 

②引き取り手のない遺体

 

その他身元は判明しても引き取り手のいない遺体がNHKの調査(20101月)によると約3万1千人。

身元判明し縁者を見つけても甥や姪というケースが少くなく、「縁者」というだけで、実際は「他人」に等しく、遺体の引き取りを拒否するケースが多いという。

 

NHK調査によると、縁者が親子、きょうだい関係にある場合は引き取られる率が高く、引き取られる率が低かったのが叔父、叔母―甥、姪の関係にあった場合、という。
但し近年は親子関係も危うくなっている。
中高年の一人暮らし世帯には離婚した者も少なくない。
離婚して妻方に引き取られて年月の長い子が一人暮らしの父の死にあたって遺体の引き取りを拒否する例も少なくない。


人口動態総覧(2016年)によると
離婚は216,798組で結婚の620,531組に対して34.9%になることから推定されるように、一度結婚しても離婚経験する者は3割以上はいると思われる。
2016
年については、全離婚組数のうち、結婚5年未満が31.4%、510年が20.5%、以下年数が増えるにしたがって割合は低下し、1015年が13.6%、1520年が10.6%、2025年が7.8%となっている。結婚25年以上でも9.6%いることから結婚年数に関係なく離婚の危機はある。
離婚は子がいない場合が41.9%と多いが、別に言えば半数以上に子がいる。
離婚者の年代を多い順に並べると(全離婚者の内訳)、男性では3033.1%と最も多く、4028.8%、2015.8%、5013.6%、606.3%、701.9%、80歳以上0.4%、100.4%、女性は順に3035.3%、4027.3%、2021.9%、509.7%、603.7%、701.1%、100.7%、80以上0.2%
80以上が少ないのは配偶者の生存率の低下、10代が少ないのは結婚数が少ないことからきている。
20
代、30代と子どもが小さいうちに離婚し、以後単身という人も多い。
離婚は妻方から言い出すケースが圧倒的に多いと言われる。


三世代同居世帯が急速に減少し、単身世帯が各年代で増加した結果、血縁にかぎらず人間関係をもちにくい人が増えている。
全国の死亡者総数は1,307,748人(2016年人口動態統計確定)であった。
おそらく引き取り手のない遺体数は、この4.5%、年間約6万体はいるのではないか。


死亡者総数の1割以上は引き取り手のいない人や、引き取り手がいても、弔いの想い不在のまま、事務的に火葬の手続きでお終いというケースだろう、と私は推定している。

これについて「人は生きたように死ぬ。本人の自己責任」と言う者が絶たない。
しかし、その人の生のプロセスがどうであれ、すべての死者、遺体の尊厳は保持されるべきである。

今後、こうした弔われることのない遺体が増加すると予測している。

引き取り手のない遺体のその後


引き取り手のない遺体は(市区町村によって対応は異なるが)、親族調査、親族交渉が面倒、かつ遺体保全の問題があり、市区町村の福祉事務所等ではとりあえず公費(約20万円)で火葬までし、骨壺にして5年程度保管し、引き取り手がいない時は市町村墓地または好意で協力してくれる墓地の合葬墓に埋蔵される。
また費用は本人の遺産を精査し、残金がある時はそこから弁済し、残りは国庫に収められる。

相続人がいる時は、遺体を引き取らず、相続だけするというケースはなくはないだろうが、そう多くはないだろう。
相続するなら公費はそこから弁済される。

横須賀市エンディング・プラン・サポート事業
2016
年開始。ひとり暮らしで身寄りがなく生活にゆとりがない高齢の市民の葬儀・納骨・死亡届出人・リビングウィルという終活課題を生前契約という形でサポート。これは本人の生前意思を生かすという意味で有用だが、一人暮らしの人の死で発生するトラブルを事前に解決しておこうという自治体にとっては自衛策という面もあろう。公費使用を抑制できるし、作業は生前契約先の葬祭事業者が行い、福祉事務所の関与は少なくなる。今後各自治体に拡がるだろう。但し、横須賀市が献体斡旋にまで乗り出すのは行き過ぎと思うが。

 

「遺体」について考察するとき、こうした「弔われることのない遺体」の存在について理解しておく必要があると思う。

 

 

「遺族」とは誰のことか?―縮小する「家族」観

 

死者と親しい者、愛着をもっている者にとっての遺体とはどういう存在なのだろうか。

血縁関係の遺族は、家族が解体していく中で、死者にこだわらない、つまり死を特別な出来事と見ないケースも増えている。

「家族」を私は二親等以内の血族、配偶者と見做している。
生まれた時の家族、つまり両親(一親等)、きょうだい(兄弟姉妹)は二親等、それに祖父母(両親のそれぞれの親)。
結婚後の家族、配偶者、子ども(一親等)、孫(二親等)。
この2つを合わせて死者本人の家族という。

だが、これが変化しているようだ。
二親等から一親等への縮小が見られるのだ。

葬儀は本来、死者本人の関係性で見ていかなければならない。
喪主が子となる時(配偶者はいても高齢)、子は案外と親の歴史、交友関係を知らない。
別居であるとなおさらである。
すると喪主の立場では、本人のきょうだいは三親等の「おじ」、「おば」になって家族ではない親戚になってしまう。
私は個人的には「いとこ」すら「家族」同様に思う人間だが、これは稀らしい。
どうも本人のきょうだいは、結婚後は家族でなくなることが多いらしい。

葬式などではこのところの違和が現れるのだ。
本人のきょうだいは自分の家族のことだから親身に心配する。
しかし喪主らにとっては「無関係な親戚が口を出す」となる。

これは子どもだけではない。
本人の配偶者も、場合によっては本人すら、「本人のきょうだい」を「家族」の範疇とはしない例が結構見られる。
「遺族」という言葉がもつイメージが変化してきているのだ。

そこで血縁以外の関係も含めた概念として「近親者」という言葉を用いてみる。
実際にその死者と近い関係にあった人、という意味である。
事実、血縁以上に、あるいは血縁同様に、本人と親しい者がいる。
そして、今流行の「家族葬」で排除されがちなのが、こうした「近親者」なのだ。

死は一人称だけのものではない


WHOの提言として終末期医療において、「本人」に続いて「家族」への配慮が出てきて以降、変化が見られる。

2013年に施行された死因・身元調査法(警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律)では、
第二条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、礼意を失わないように注意しなければならない。

とこれまでの死体取扱規則の文面を踏襲し、かつ、

第三条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、遺族等の心身の状況、その置かれている環境等について適切な配慮をしなければならない。
と定めた。


人の死は本人だけの問題ではない。
それは近親者にとってのものでもあるのだ。


その近親者にとっては、死亡直後の段階では、既に息をしなくなった、死んでしまった、魂の抜けてしまったものであったと言われたにしても、その死後の身体には愛着がある。
特別な感情の対象である。
これは人間としてきわめて自然な感情である。
割り切る者もいるが、割り切れない想いを抱く者は少なくない。
むしろ依然として多数派であろう。

「故人」という言葉で割り切れない、まだ人格をもった、半分生きた存在と見ていることが多い。

遺体は、近親者にとって「故人」という他者にはなり切れていない存在である。
それ故にそれを送別するには充分な可能な限り納得できるだけの身体をもった死者との心の対話が必要とされる。
といっても納得できるとは限らないのだが、それでも死者との別れを行うことが重要であることに変わりがない。

そうであっても多くの人にとって「死」は「自分の死」つまり第一人称の死を本義と理解する人が多いらしい。
どうも近年の「終活ブーム」は「死」の理解への誤解をも促進しているらしい。

確かに自分の遺体は自分ではどうしようもない。
誰かに頼まなくてはいけない。
だが自分だけでできないのはそれだけではない。
人間は好き嫌いに関係なく、人との関係において生きている。
そして死んだ時、本人の想いを超えて、周囲の人に及ぼすのだ。
それは長寿の死の場合、時には安堵感かもしれないが、けっしてどうでもいい感情ではない。
私は身近に90歳を超えた近親者を3人送ったが、それはどうでもよいこと、厄介なことではけっしてなかった。
遺された私にとっても、実に大切な時間だったし、大切ななすべきことであった。


「死」を「自分の死」に偏して見ることは「葬式」への意識調査に明確に表れる。

朝日新聞の
(be between 読者とつくる)自分の葬式は必要ですか?
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13111191.html

「自分の葬式はいらない。そう考える人は56%にのぼった。その理由は、お金、しがらみなど様々だ。」
という。

 

死とは無論、本人にとっても一大事である。
しかし遺される者、二人称の人間にとっても一大事なのだ。
何も「普通の葬式」をすることにこだわることはない。
すでに高度経済成長期~バブル期までの1955199年までに風靡した葬儀観は常識でもなんでもなくなった。
あの日本人の歴史としてはほんの短い時期に流行した「見せる葬儀」の時代は終わったのだ。
「普通の葬式」といっても今やさまざまである。
しかし、人の死を弔い、送るという本義は今こそ回復、獲得しなければないのではないか。


近年の傾向として、
死、葬式について、いわれなき偏見、穢れ意識は減少したが、死、遺体に対する無感覚も増加している
ように思うのだ。

「死」は人の死である。
きわめて人間的な出来事なのだ。
これに対する感性を失ったら、人間はほんとうに大切なものを失うことになる。

古来、日本では、通夜までは死者を生者と見なして取り扱った。
これは死について近親者の認識には時間的差異があることを長い時代の知恵として学んだからである。

私は死亡判定から通夜までを「生と死の境界線にある」と表現している。

 

近親者は、その死者をある種の断念をして葬るのである。
この時、古来多くの地域、民族において、その葬りはその人たちが信ずる宗教の手を借りて葬ってきた。

土葬にしても、例えばキリスト教徒(カトリック)は、終末の日の身体の蘇りを信じ、例えば仏教徒は火葬による白骨化をもって成仏の<徴(しるし)とし、風葬では死者の魂が山の頂にある浄土に昇ると信じられ、というように。
死後の行き先に対するさまざまな信仰に裏打ちされて葬法が選択されてきた。

それ故、葬式を行って遺体処理をする、あるいは、葬式全体の中に遺体処置を位置づけたのである。


遺体処理を行うための道すがら人々が葬列をして見送る、というのは世界各地で見られる風習である。
そこには遺体処理が汚物処理の如きものとは明確に区別されて、死者に対する愛惜と敬意の思いを見てとることができる。

 

2017年10月 1日 (日)

葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②

 

①葬制

 

人が亡くなると葬儀が行われる。

ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。

この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。

この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。

さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。


「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。

 

②死の判定

 

近代以前、つまり近代医学が発達する前は、しばしば「宗教者が死の判定を行った」と記録されている。

これは日本のみならず欧米においてでもある。

「死」という事実は、戦場、災害とか,いかんしがたい場合を除いて、「誰かによって」認定される必要があった。

そこで認定されることによって、死は公認され、葬の過程に進むことが可能となった。

 

近代以降には、つまり近代医学が確立することにより、「死は医師により判定されるもの」となった。

 

その後、人工呼吸器ができる前までは、心臓死によって死は判定されたが、人工呼吸器ができることによって脳死状態になっても心臓が動き続けるという、「脳死」と「心臓死」の乖離が生じ、脳死者からの臓器移植が可能となった。

 

各国とも心臓死について特に定めることがないが、脳死については法律でその判定法を定めているところが多い。

 

近親者はその死を看取る。

 

③遺体処理

 

遺体を土葬(埋葬)、火葬、風葬、天葬(鳥葬)等して葬ること。

「葬法」と言う。


日本では、2015年の火葬率は99.986%(死胎を除く。土葬は総死亡約130万のうちわずか185に過ぎない)となっている。
火葬率は、1960年代のバチカン公会議でローマ・カトリックが火葬容認に転じて以降、欧米でも火葬率が急上昇している。

また、中国、韓国では国策として火葬を促進している。

そうしたなかにあっても日本の火葬率は統計上100%で、世界一である。

 

④文化・宗教的処理

 

葬式等を行い、死者と別れの時をもち、死者を送別すること。

 

⑤社会的処理

 

死を社会的に告知し、除籍等の事務処理を行うこと。

 

⑥心理的処理

 

近親者の死はしばしば近親者に死別の悲嘆(グリーフgrief)をもたらす。

それはそれぞれ固有のものである。

 

近親者自らなすグリーフワーク(喪の作業)を大切にしたり、この近親者に対して心のケアを行ったり、死者を追悼するための行事(法事等)を営むこと。

 

ここで注意することは近親者自身のなす喪の仕事grief workが大切なのであり、支援careは、その環境をよりよく用意する、近親者のなす喪の仕事grief workを邪魔しないことである。

 

このことは、人間が身体的存在だけではなしに、精神的な存在でもあり、社会的な存在でもあることを示している。

また、人間が関係する人間関係において、その相手に悲嘆(グリーフ)をもたらす、関係存在でもあることを示している。

 

ある人は「人間が死ぬと単に肉体の死という物理的な死だけでは終わらない。文化的な死、社会的な死としてもあるのである。」と述べている。

つまりはそれが「人間が死ぬと葬儀をする」という意味である。

肉体が死ぬという物理的な死があるだけならば、遺体処理は残るにしても、葬儀は必要ない。

 

葬制の中の遺体処理にしても、単に物理的に死体を処理するのではない。

葬制全体の位置づけの中に、葬制という脈絡の中に置かれていると言うことができる。

 


「死」の概念

 

ここで簡単に「死」の概念をまとめておく。

 

①いのちがなくなること

 

古代日本人は「身体から霊魂が遊離してしまうこと」と理解した。

 

現代の死は医師が判定。
医学的死とは全細胞死ではなく、「有機的全体としての個体として生命活動がやんだと判断されること」を言う。

 

従来の心臓死のほか、脳死がある。

改正・臓器移植法が2010年7月17日施行され、「本人が生前拒否意思を表明していないケースでは、縁者がいないケースまたは遺族がいても遺族がこれを書面により承諾するときに脳死判定、臓器移植を行うことができる」とされた。

15歳以上という年齢制限もなくなった。

 

尊厳死・延命治療の中止については、本人の意思、家族の意思の確認が求められる。

 

病気や事故等でいのちにかかわる状態で本人が意思表示できない時に備え、a.治療方法、b.栄養補給方法、c.心停止の際の心肺蘇生の希望の有無等を「事前指定書(LMD レット・ミー・ディサイドlet me decide 医療の自己決定)」に記入し、かかりつけ医師と代理人が署名する。

カナダで80年代に創唱され、日本での運動は1994年から始まっている。

 

遺体処理の種類


「遺体処理」とは、土葬、火葬、風葬、水葬などのことである。

遺体処理が必要なのは、死後の身体は腐敗するからである。

 

腐敗する遺体をそのままにしておくことはできないので、何らかの遺体処理が必要になる。

 

遺体処理の方法を「葬法」と言う。

古代エジプトにおいては王等の権力者の際にはミイラ化が行われた。

 

南北戦争以降、エンバーミングが行われることで、腐敗の進行をほぼ停止させることが可能となったが、レーニン、毛沢東、金日成といった特定の政治的権威者以外は、永久保存されていない。


一般には、エンバーミングしたとはいえ、しかるべき葬儀が行われた後には埋葬または火葬されている。


日本ではあまりの長期にわたる遺体の保全は、技術的に可能であっても、国民の宗教感情がそれを認めるところにはきていない。

 

したがって死体遺棄罪(刑法190条)の嫌疑を避けるためにもIFSAでは、四十九日という葬送習俗を参考に、50日規定を設けている。


ここで、主な葬法を解説しておこう。


①土葬


法律的には「埋葬」と言われる土葬は、古来より世界各国で行われている遺体処理の最も一般的な方法である。

 

土を掘り、そこに遺体を埋める。遺体を布で包んだり、棺に入れることが多い。


②火葬


遺体を火で焼く処理を言う。

 

古来から行われているが、人工的に遺体を解体する方法なので、必ずしも一般化はされなかった。

イスラム教を信じる人たちは今なお火葬を忌避している。


日本では,火葬は仏教の伝来と軌を一にして普及し(考古学的には5世紀に既に火葬の痕跡が発見されている)、近世に浄土真宗系門徒の多い北陸地方等で普及した。

また江戸や大阪といった大都市においても普及した。

 

しかし、本格的な普及は、明治末期、政府が当時のコレラの大流行を受け、公衆衛生上の理由により促進してからである。


1960
年に日本では火葬率が6割を超え、現在(2015年)では統計上100%という世界一の火葬先進国である。


60
年代のバチカン公会議でカトリックが火葬を容認したことも影響し、世界的にも普及の兆しがあり、その意味では火葬は近代的な葬法と言うことができる。

 


東日本大震災の仮埋葬

 

2011年の311東日本大震災において、遺体の公衆衛生上の処置として2年間を期限として宮城県で約2千体の仮埋葬が行われた。

(2年というのは骨化して安定すると考えられた期間である。)

しかし、東京都が火葬を受け入れる等の火葬可能環境が生まれると、遺族等が仮埋葬された柩の掘り起こし行動をとり、やむなく行政は仮埋葬された遺体を201111月までにそのほとんどを掘り起こし、火葬した。

 

このことは、もはや日本では「懇ろな葬り」とは火葬のことである、という認識が徹底されていることを示した。


近代以降でも明治三陸地震、昭和三陸地震では大きな墓穴を掘り、個人の識別なく集団埋葬が行われ、大正時代の関東大震災では大きな穴に遺体を投げ込み、野焼きされた。


今回の仮埋葬は一部納体袋のままであったが、多くは納棺したうえで、個人識別を明らかにして仮埋葬された。

2年後の掘り起しを想定したからである。

今回はほとんどの柩が掘り起こされたが、木棺は火葬を前提として軽く、燃えやすく、ベニヤを貼り合わせたもの(フラッシュ棺)であったために1メートル以上の土の圧力で潰れ、横も湿気に弱く乱雑な状態となった。

1カ月後とはいえ、遺体はすでに一部白骨化が進み、首と胴体等が分離し、納体袋、棺内は体液、血液の漏出、それに雨水が加わり、引き上げる前に体液、血液を排出し、臭いを消すため、石灰を撒き、土を埋め戻した。

遺体が毛布にくるまった状態の場合、毛布を剥ぐと皮膚が剥がれた状態となった。

 

7~8月の夏の掘り起こし作業は臭いも酷く作業員には難儀となった。
作業を請け負った建設業者等は作業の継続を拒否し、その後は葬祭業者が引き受けた。


掘り返され、引き上げられた遺体は新しい納体袋に入れ、新しい棺に納め、蓋にはテープを貼った。

火葬場で予め家族に火葬時刻を示し、入炉前に家族は遺体を改めることなくお別れした。

 

一部ではあるが、掘り起こし作業を遠目で確認した遺族もいた。

また、まれではあるが(主に子の父)が掘り起こされた遺体を、本人であることを自ら希望して確認した例もある。


仮埋葬は当初は自衛隊の手で行われたが、厚労省生活衛生課は今でも一部に土葬が残る三重県、和歌山県の土葬事例を参考にした。

今回は年を期限とした一時的埋葬であったにもかかわらず、掘り起こされることを前提としない事例を参考にしたため、穴は深く掘られた。
これが仮埋葬後の掘り起こしを苦渋に満ちたものにした一因である。

例外があった。


女川では、仮埋葬を自衛隊が行わなかった。

 それが幸いした。
厚労省生活衛生課の考えた処理法とは無関係に行われた。

住民は仮埋葬を「火葬場再開までの一時的処理」と理解した。
土は浅く掘り、むしろ棺の上を土で覆う、という程度にした。


女川では火葬場への通路を確保し、火葬が再開されると、棺の上の土を払い、住民が連携し、棺を小型トラックに乗せ、火葬場に運んだ。

遺体の腐敗は進んだものの、棺は保たれた。


③風葬


死体の骨化、解体を自然に任せる方法である。

日本では、内陸地では人里離れた山(霊山とその地ではされていた)の麓などを墓地と定め、そこに死体を置いてきたり、また、海岸地方では海岸の洞窟に死体を運び込んだ。


そして動植物が他の動植物の遺骸がそうであるように、動植物、バクテリアが食し、自然に解体し還るようにさせた。


「自然葬」というなら、風葬こそが自然葬であった。

古来から中世にかけて、風葬は土葬と並ぶ一般的な葬法であった。

日本人の歴史を考えるならば、最も長期的に行われた遺体処理は風葬であったことを覚えておいていい。

 
土葬は近世以降(室町時代末期の戦国時代以降)に一般的になった葬法である。

 

火葬は歴史は古いとはいえ、一般化したのは明治末期以降で、6割という大勢を決したのは戦後のことである。

 

そういう意味では火葬は近代の葬法である。


④水葬


海に遺体をそのまま沈める葬法である。

 

今でも航海中に死んだ場合には水葬が船員法で認められている。
といっても実施はきわめて例外的である。

かつては漁村では漁師などの葬法として行われたところもある。

 

この他にチベットの天葬(鳥葬)などいくつかの葬法がある。


二次葬


火葬が行われる場合、一次葬が火葬、焼骨を墓地や納骨堂に納めたり、散骨することが二次葬になる。


かつて沖縄等で遺体を甕に入れて骨化するのを待ったのが風葬の一種で一次葬、骨化した後、それを洗い骨甕(骨壷)に入れて納骨するのが二次葬。

 

ヨーロッパでも最初土葬にし、骨化したものを改めて火葬したりして遺骨を墓に納める二次葬が少なくない。

 

 

 

2017年9月24日 (日)

「遺体」の言語的考察ー遺体論①

いよいよ「遺体論」に入る。
あるいは「遺体」を視点とした葬制を見ることになるかもしれない。

j地味な話であるから、関心のある人だけに読んでいただければいい。
その第1回は「遺体の言語的考察」である。

「遺体」の言語的考察ー遺体論①


①「死者のからだ」を意味する語

 

日本語には、「死者のからだ」を示す語にはいくつかある。
その代表的なものは「死体」と「遺体」である。

この2つは同じような言葉でありながら、われわれはこれを日常無意識のうちに区別して用いているように思う。
どう違うのであろうか。
まず、言葉の意味を探ってみよう。


国語辞典で「遺体」の項を調べると

「死んだ人のからだ。なきがら。」(角川新国語辞典)とある。
「死体」の項には「しかばね。なきがら。〔対〕生体」(同)とある。

では、2つに共通する「なきがら」はどうなっているかというと

(亡骸)死人のからだ。しかばね。遺体」()とある。

「しかばね」は「死んだ人のからだ」(同)とあるから、これでは「死体」と「遺体」の区別はつかない。
2つとも「死んだ人のからだ」を意味する同義語ということになってしまう。

もう少し詳しい広辞苑(第6版)で関連する語がどう説明されているか見てみることにしよう。

 

遺体 

(「父母ののこした身体」の意から) 自分の身体。人のなきがら。遺骸(いがい)


死体(屍体)

死んだ人や動物のからだ。死者の肉体。死骸。「――遺棄罪」。


なきがら(亡骸・亡躯)

 魂のぬけがら。死体。しかばね。


しかばね(屍・尸)

(「死にかばね」の意)死人のからだ。死骸。なきがら。かばね。むくろ。「しかばねかんむり」の略。


かばね(屍・尸)

死人のからだ。なきがら。しかばね。骸骨(がいこつ)に同じ。「しかばねかんむり」の別称。


むくろ(身・躯)

 (ム(身)クロ(幹)の意)からだ。身体。また、胴体。(「骸」とも書く)首を切られた胴体。転じて、死骸。なきがら。朽木の幹。


遺骸

 死骸。なきがら。遺体。


死骸(屍骸)

 人や動物の死後の肉体。死体。なきがら。 


ちなみに「骸」は音では「ガイ」だが、訓では「カバネ」「ムクロ」である。

 

 

②言葉の違い


これらを見てみると、説明は一見堂々巡りのようでありながら、違いのようなものも浮かび上がってくる。


「しかばね」「かばね」「むくろ」「遺骸」「死骸」は、
「死者の肉体」だけでなく、「死んで骨になったもの」までを意味する時間的には広い概念を有する語のようである。


「死骸」には、人だけではなく動物の場合にも使われる。

したがって、
「肉体が残された状態の死者のからだ」をだけ主として表す語は
「死体」「遺体」「亡骸」
の3つのように思える。

このうち「亡骸」は「死んで魂のなくなったからだ」という一種の遺体観の表現である。
つまり「生きている」という状態は肉体と霊魂が合一している状態のことであり、ここから霊魂が離れることを「死」と称し、霊魂が離れ、死者となった人の肉体が「亡骸」である。

 

③「死体」と「遺体」の違い

 

「死体」と「遺体」の違いはどうであろうか。


「死体」は文字どおりに解釈すれば「死んだからだ」であり、「遺体」は「遺」が「あとにのこす、のこる」という意味であるから「死んで後に残されたからだ」と解釈される。「亡骸」と類似する意味あいをもっているように思う。

しかし、われわれは日常、「死体」と「遺体」を使い分けている。
それはわれわれの「死者のからだ」に対する態度の違いと言ってよいだろう。


「死体」という言葉は「生きているからだ(生体)」と対比される「死んだからだ」という客観的な態度で使っている。

したがって法律では全て「死体」と表記される。
「死体解剖保存法」「死体遺棄」「死体損壊」「引取者のいない死体」「非自然死体」「死体の移動」「変死体」「異状死体」「死体を埋葬」「『火葬』とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう」等。

それに対して「遺体」は、死者に対する礼節をもった、大切にする態度で用いている。
「ご死体」とは言わないが、「ご遺体」と言うことがあることにそれは現れている。
死体を物体として見るのではなく大切な、大事にされるべきもの、つまり二人称(近親者)から見た死体のことである。
または近親者の心情を考慮して大切に扱われる死体のことである。

 

3)「遺体」に対する態度

 

「遺体」という語には「死んだ肉体ではあるが、それまでは生命が宿っていたものであるから尊敬されなければならないもの」という意味あいがあるように思う。

別な言い方をすれば、
死体に向き合ったときに、そこに生きた人のいのちへ尊敬の念を抱いて表現するときに「遺体」と言うのである。


「葬儀(葬送)をする」ということは、死者のからだを自分とは無関係な単なる死体として処理するのではなく、大切なかけがえのないいのちの宿った「遺体」として扱い、尊敬の態度をもって葬ることを意味する。

例えばエンバーミングされるのは、近親者が死者を大切に思う気持ちから依頼されるものであるから「死体」ではなく「遺体」である。
葬儀に関係する者、エンバーマーは、徹頭徹尾、敬意をもって「遺体」として取り扱うのである。

英語でも用法が似ている。

乏しい知識で解説するならば、デッド・ボディ
dead bodyは文字どおり「死体」であるし、コープスcorpseも「死骸」といった意味あいである。
これに対して、リメインズ
remainsは直訳すれば「残されたもの」で「遺体」を表す。

 

(注)
派生的に述べるならば、「遺骨」は敬意の対象であるが、それだけではない。
刑法
190条に「遺骨損壊」とある。
この法律の対象とするのは、一つはかつて土葬(埋葬)された死体(遺体)が骨化したものをいう。
もう一つは死体(遺体)が火葬された結果の焼骨のうち原則として近親者によって拾骨(骨上げ)されたものをいう。


火葬された焼骨の全てが「遺骨」ではない。

日本では地域により拾骨の習慣・習俗が異なり、主として西日本が「部分拾骨」であり、主として東日本が「全部拾骨」である。
このため「拾骨された焼骨」が「遺骨」と扱われる。

なお、「散骨(自然葬)」では、拾骨された焼骨を細かく砕いて海や山等に撒くのであるから、撒かれるのは「遺骨」である。

 

 

2017年9月22日 (金)

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

遺体について論じる時、死体現象について知らねばならない。

病院における「死後のケア」「死後の処置」について看護職にある者は「遺体のその後」について充分な知識をもって死後の処置にあたっているとはいえない。
それゆえ「死後の処置」をもって遺体は安全になるわけではない。
遺体の変容は主として病院から出て、葬祭業者に引き渡されてから本格的に進行するのだが、一部を除いて遺体の管理に自覚的である葬祭担当者は少ない。

私は死体現象について専門家ではない。
そこで、本稿を核にあたり、以下の書籍等を参照したことを予めお断りしておく。

石山いく夫『法医学への招待』
上野正彦『死体は生きている』『死体は語る』
佐藤喜宣「ヒトの死・医学概論」(『遺体衛生保全概論』所収)


◎死後、人間の身体はどう変容するか?

―死体現象

 

遺体の変容とその過程


人間の身体は死亡後、いわゆる「死体現象」という変容過程を経る。
その概容は、以下の通りである。

なお、本稿を記述するにあたり、死亡後の身体については、刑法等の「生体」に対する表現である「死体」ではなく、尊厳あるものとしての表現の一般的呼称「遺体」を用いている。

 

①死斑


心臓が停止して血液の流れが止まると、血管内の血液は下のほうに集まる。
上になった部分の皮膚は蒼白になり、下になった部分の皮下の静脈には血液が溜まっていく。
この溜まった血液の色が皮膚を通して見えるのが死斑である。


死亡後2030分で点状の斑点が出現し、死亡後2〜3時間で斑点が融合。
死後10時間くらいまでは死斑は固定しないが、20時間以上経過すると固定。

 

②死後硬直


死後2時間くらい経過すると、筋肉内のグリコーゲンの減少と乳酸の増加に伴ってアデノシン三リン酸(ATP)が減少。
この化学反応のため次第に筋肉が硬化し、関節が動かなくなる現象が死後硬直。


死後2時間くらいで顎関節に現れ、順次全身の筋肉におよび、6〜8時間で手足の筋肉に明確に認められるようになる。
8〜10時間くらいまでは、筋肉に力を加えて伸ばすと柔らかくなり、再び硬直を起こす。死後およそ20時間で硬直は最も強くなる。
その後は腐敗が強まるため、死後硬直は次第に解けていく。

 

③腐敗


遺体の腐敗は消化器系である胃や腸から始まる。


死後1時間内外で腸内細菌の増殖が認められる。
また、死亡すると胃酸や腸の消化液が胃腸そのものを溶かし、酵素による自家融解を起こす。


腸内細菌の繁殖と胃腸の融解によって腐敗が進行し、腐敗ガスが発生。
この腐敗ガス中に含まれる硫化水素が血液中のヘモグロビンと結合して硫化へモグロビンが作られると、腹部が淡青藍色に変色。
この変色が全身に波及し、さらに腐敗ガスが発生すると、全身が膨らんでいく。


腐敗が進行すると、全身は次第に暗赤褐色に変色し、膨らんだ死体は巨人のような外観を呈する。


さらに腐敗が進行すると乾燥し、体表は黒色に変色し、体の組織は腐敗汁を出して融解し始め、遂には骨が露出される。


※遺体は乾燥しやすいので、保湿剤の使用は必須である。

遺体はドライアイスの処置等が適切に行われれば、死後34日の葬儀の期間は一般にそれほどのひどい変化はない。


但し、腐敗には天候や保存の状態のほかに個体差があり、遺族が他人との面会を断わるような変化を来たす遺体が約
1015%ほどある。
(浮腫は全身に及び、
2日目以降には50%を超えるが、遺族が気にする顔に及ぶ事例は1015%程度。)


皮膚の変色がひどくなる、

表皮の下に体液が染み出て水泡が形成される、その水泡が破れる、遺体から出る腐敗臭がひどくなる、腐敗ガスが体内に充満して口や肛門等から漏出してくる、顔やお腹が膨張してくる、という変化が死後2〜4日以内でも発生するケースがある。


遺体はデリケートなものなので、搬送、安置の際に細かく観察して取り扱う必要がある。


死をもって活動を停止するのは脳などであり、器官や細胞は変化し続ける。


古来、葬儀を急いだのは、遺体の腐敗が酷くなり、死者の尊厳が失われる恐怖心からであった。

遺体の状態によってはゆっくりお別れできる環境を用意することができなくなることもある。

(以上、碑文谷創『四訂葬儀概論』。一部補充。なお石山いく夫『法医学への招待』、上野正彦『死体は生きている』『死体は語る』等を参考)


いわゆる「死体現象」は早くて死亡後⒛~30分経過後くらいから発生するが、主として2~3時間経過後であり、以後進行していく。


④体温低下
 

物質代謝がなくなり、熱再生も漸次なくなることから、死後2時間程度から体温低下し、5時間後以降は低温となり冷却する。


⑤血液就下
 

心拍停止により血液循環が停止し、重力に伴い、体内血液は身体の下に移動する。→死斑。
身体各所で発生、臓器内でも起こる。


⑥腐敗性水泡
 

腐敗が進むと、遺体表面に腐敗性水泡が生じ、中にヘモグロビンを含む液と腐敗ガスが貯留。

これが破綻すると表皮が剥離して真皮が露出(スキンスリップ)。
腐敗遺体を移動する際に表皮剝離し広範囲に真皮が露出した状態になることが多い。
体液露出を招く。


⑦腐敗ガス
 

死後数時間後から腸管内に腐敗ガスが発生し始め、死後2日前後には腹腔内、全身の皮下組織、諸臓器にも発生。

ガスが大量発生した状態を「ティシューガス」という。
ティシューガスは強い腐敗臭を発し、遺体の静脈が膨れる。

特に外傷がある部分に発生。
生前にガス壊疽や敗血症等を罹患している場合や褥瘡がある場合に発生しやすい。
巨人化の原因となる。

腸内ガス圧で肛門は開き、便を漏出する。

寝たきり生活が長いと体位変換をしばしば行なわないと褥瘡ができる。
褥瘡部分や外傷部分は死亡直後にしっかりとした保護が必要となる。


⑧皮下気腫
 

死亡直前に肺・気管から漏れ出たガスが皮下組織に溜まり皮下気腫をおこす。
心肺蘇生による肋骨骨折、肺・気管・気道の損傷や手術。気管切開からの人工呼吸器による空気漏れ等が原因。


(以上、佐藤喜宣「ヒトの死・医学概論」『遺体衛生保全概論』所収等を参考)

2017年9月21日 (木)

死学ー遺体の位置づけと取り扱う者の倫理③

死学thanatology,death study

―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理

の3回目

1回目は
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-098c.html#_ga=2.189845483.1927935313.1505885956-429877542.1505885828

死学thanatology,death study

2回目は
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―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理③

 


死学―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理③

 

2)サナトロジー事始め

 

 

①死学

 

A・デーケンが「死生学」と呼んだのは、欧米で言う「サナトロジー(thanatology)」であり、ギリシア語のタナトス(死)を表す語からきている。
英語ではdeath studyとなる。
言うならば「死に関することについての学問、研究」である。


デーケンは「死について学ぶことは、そのまま死までの生き方を考えること」という主張に基づいて名づけたことによる。
デーケンは同様にdeath education(死についての教育)も「死の準備教育」と名づけており、この2つの用語はデーケンによって殆ど同じ分野、位置づけをもっている。


死を他人事として考えるのではなく、自らのこととして考える、という基本的態度を言うならば正しい。
だがもともと生と死は分かたれるものではないが、死が人の死であることによってもたらされるさまざまな問題を考えるには「死」を主題とすることに逡巡する、ためらう必要はないであろう。
死を学ぶことにデーケンは一定の価値観を置くよう提唱しているが、あえて特定の価値観を設定することは学問分野の客観性を危うくする事態もあるのではないか。


本来「死」は生と分かちがたくあるのであるから、「死生」とあえて結びつけなければ論じられないとするのは死への偏見を助長しかねない、と危惧する。

 

 

②死学の領域

 

 

死学が最初に主としてテーマとしたのは、

終末期医療(terminal care)における生の質(クオリティ・オブ・ライフ Quality of Life, QOL)、尊厳死と延命措置、緩和ケア(
ホスピス hospice)、情報の開示と同意(インフォームド・コンセントinformed consent)、患者およびその家族の心のケア、

さらには
死別に基づく遺族ケア
Bereavement Care、グリーフ(死別による悲嘆grief)である。


加えて
看取りと葬送が文化人類学的、民俗学的背景、宗教的社会的背景の考察からくる死生観、死と法制の問題も包含する。


また、法医学、遺体の死後変化およびエンバーミングという遺体の科学的研究・技術も含む。遺体からの感染症を防御する公衆衛生も課題である。


また、死という問題がもつ種類、子どもの死、災害・事故死、戦争死、自死が与える影響とそのサポート、死がもつ側面(一人称の死、二人称の死、三人称の死)における位相の相違も大きな問題となる。
死は家族の変容や超高齢社会の到来、あるいは貧困、感染症とも深く関係してくる。
死がもつ人間的、社会的、宗教的、文化的、科学的側面が全て考察・研究の対象となる。

 

死が、生命と分かつことなく生命の問題と密接に関係してくることから、近年、終末期医療における問題以外に脳死・臓器移植、遺伝子診断、代理母等の問題、さらには遺伝子組み換え作物による遺伝子汚染など医学分野も超えた生物学におよぶバイオエシックス(bioethics。生命倫理)の課題としても提起されている。

 

死学というのは、その存在自体が研究においては多分野との学際的なものにならざるを得ないものとしてある。

だが他分野と大きく異なるのは、
個別の固有の人の死を人間的に、言うならば感性全体で受け止めることをあくまで原点としてなされることである。

法制度とも深く関係するが、その死者、その家族に視点を合わせ、ときには倫理的評価から外れて寄り添うことが要求される分野である。
これが他の研究と大きく一線を画すものとなっている。


もとより呪術的、非科学的であることは排されるのだが、死と呪術が歴史的・文化人類学的に深く関係してきたものであるから、何に死にゆく人を家族が託す、あるいは、託さざるを得ないのかを、温かく、同じ視点に立って考察する。

 

 

 

③死学の歴史

 

 

人類のみならずあらゆる地球上の生物は死ぬことを運命づけられている。
デーケンによるならば「人間の死亡率は100%」である。

だが、それぞれの死は同一ではなく固有なものである。
この固有な死に寄り添うのが死学の基本であり、原点である。


私が言う「死学」とデーケンが言う「死生学」や島園進(上智大学教授・宗教学)が言う「死生学death and life study」との違いについて、ここでは先ほど述べた以上には言及しない。
また何と呼ぶかはそれほど重要ではない。


※過去に私は島薗批判を展開している。島薗が欧米のdeath studiesに対し、自分が提唱するdeath and life studiesが優れているかのような論を展開したからだ。しかし当時の島薗のプロジェクトはlifeを入れることで製薬会社当からの寄附は獲得したが、研究成果として一体何を提示できたというのか、極めて疑問である。用語の目新しさだけでは実態は変わらない。



Thanatology,death study
が問われるようになったのはそれほど昔ではない。

グリーフワークの元となった「モーニングワーク」という語を創唱したのはオーストリアの精神分析者ジークムント・フロイトSigmund Freud18561939)である。
彼は、最初の世界規模の戦争で約2百万人の死者を出した第一次大戦を契機として研究を進めた。
さらに死を巡る研究は、主として第二次世界大戦後、特に朝鮮戦争、ベトナム戦争の帰還兵の精神疾患の研究が促進した面がある。
その地平が開いた舞台で今死に関する学問、研究は開花したという背景がある。

 

 

④死学の基本文献

 

死学について詳述することは今回は避け、自分で勉強を進めるための図書を紹介する。
以下、日本語または日本語に翻訳されているthanatologyに関する私の推薦図書である。
初出の年代順で、同一著者からは1点とした。(日本人に対する理解を含め選んだ。)

 

・A・ファン・ヘネップ『通過儀礼』1909(弘文堂)

 

・G・フロイト「喪とメランコリー」1917(『人はなぜ戦争をするか』光文社古典新訳文庫所収)

 

・E・リンデマン「悲嘆―症候と処置」1944(フルトン編『デス・エデュケーション』現代出版所収)

 

・G・ゴーラー「死のポルノグラフィー」1955(『死と悲しみの社会学』ヨルダン社所収)

 

・Ⅴ・ジャンケレヴィッチ『死』1966(みすず書房)

 

・E・キュー・ブラ―・ロス『死ぬ瞬間』1969(中公文庫)

 

・C・M・パークス『死別遺された人たちを支えるために1972メディカ出版)

 

・E・S・シュナイドマン『死にゆく時―そして残されるもの』1973(誠信書房)

 

・圭室諦成『葬式仏教』1976(大法輪閣)

 

・柏木哲夫『病める心からの解放』1976(いのちのことば社)

 

P・アリエス『死を前にした人間』1977(みすず書房)

 

・P・メトカーフ、R・ハンティントン『死の儀礼―葬送習俗の人類学的研究』19791991(未来社)

 

・小此木啓吾『対象喪失』1979(中公新書)

 

J・W・ウォーデン『グリーフカウンセリング』19821991(川島書店)

 

・石山昱夫『法医学への招待』1991(筑摩書房)

 

・J・ボウカ―『死の比較宗教学』1991(玉川大学出版部)

 

・J・L・ハーマン『心的外傷と回復』1992(みすず書房)

 

・五来重『葬と供養』1992(東方出版)

 

・野田正彰『喪の途上にて大事故遺族の悲哀の研究』1992(岩波書店

 

波平恵美子「弔い―死者儀礼に表現される死の観念」1993(岩波書店講座『死の科学と宗教』所収)

 

・S・B・ヌーランド『人間らしい死に方』1993(河出書房新社)

 

・柳田健一『死にかたがわからない』1994(東京書籍)

 

・星野一正『死の尊厳』1995(思文閣)

 

・A・デーケン『死とどう向き合うか』1996(NHK出版)

 

・碑文谷創『葬儀概論』199620032011,2017(元:表現文化社、現:葬祭ディレクター技能審査協会)

 

・小松義彦『死は共鳴する』1996(勁草書房)

 

・柳田邦男「私の場合、その自己分析」1997(『〈突然の死〉とグリーフケア』所収、春秋社)


これに続いて「遺体論」を展開するつもりであったが、少し現実的に「遺体」を考えよう、ということで「遺体管理の現状」ということを次回から数回に分けて展開する。最後に「遺体論」を展開する予定。

 

2017年9月20日 (水)

死学ー遺体の位置づけと取り扱う者の倫理②

死学thanatology,death study

―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理
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の第2回


死学
thanatology,death study

―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理②


1.死学とは何か?
(続き)

 

1)日本における現状

 

国際葬儀連盟(FIAT-IFTA)では「葬祭業者」をサナトロジストthanatologistと呼称している。
「サナトロジーthanatology」は「死に関する学問、研究」という意味だが、ここでは誇り高く「死の専門家」と宣言している。
なお、全米葬祭業者協会(NFDA)では自らを「フューネラルディレクターfuneral director」と称している。


日本における「葬祭業」というのは明治時代からあるが、最初は、その多くは葬具提供や葬列の人夫手配等であった。
葬祭業界というのが成立するのは戦後のこと。最初、葬祭業は「遺体を扱う」のであるから厚生省(当時)に関係した。
それを「葬祭業は死体取り扱い業ではなくサービス業である」と主張して葬祭業は通産省(当時)と関係することを求めた。


おそらく当時の通産省では葬祭業をどう位置づけたらいいのか悩ましい時代が戦後長く続いたのだと思う。
葬祭業の大会等に招かれた通産省(現・経済産業省)の担当課長は、「葬祭業は人生最後の儀礼に係わる尊いお仕事です」と決まって挨拶したものだ。


業界の内部には「儀礼産業」あるいは「儀礼文化事業」という主張を掲げる人もいる。

業界の人には、死に係わる仕事からくる社会的な偏見、差別があったために「人生儀礼」「儀礼文化」に係わるとすることで誇りをもちたい、ということがあったように思う。

近年はホテルや航空会社で働く人と同様に「ホスピタリティ産業」であると理解する企業も多くなった。
死者の尊厳を守り、死別して悲嘆に陥っている遺族を支援する「究極のサービス業」である、と主張する人々もいる。


2011
8月経済産業省がライフエンディング・ステージに関する報告書をまとめ、それに寄与する葬祭業のあり方を提言した。

これによると、葬祭業は生活者のライフエンディングに関わる医療者、介護者、あるいは死後の事務処理を行う会計士、行政書士、弁護士等とネットワークを組み、連携すること、「生活者の視点に立った葬祭サービス業」の構築を行うことが要請されている。
そこにおいては消費者契約法、景品表示法、個人情報保護法を守り、超高齢社会における本人あるいは家族、近親者への精神的かつ実務的支援を専門家として提供するサービス、という位置づけである。


葬祭サービス業が他のサービス業とは異なるのは、個々の、固有の遺体の尊厳を守り、その家族、近親者等に寄り添った支援、情報提供であり、宗教者や地域社会と協働し、その信仰や習慣を尊重する態度であろう。
これまでの葬祭業が社会的に位置づけられることが少なかったのは、社会を覆っていた死への穢れ意識であった。
それを打破するのは遺体、家族への偏見なき対応である。

 「生と死を考える会」の創始者にして「死生学」という呼称を最初に提起したA・デーケン(上智大学名誉教授、1932~)は、1985年を「死生学元年」と名づけた。死について語ることが社会的に公認され(始めた)年ということである。

そのきっかけとなったのが癌患者への病名告知の是非、延命治療の是非というターミナルケア(終末期医療)の問題からである。
続いて死別した遺族の悲嘆(グリーフ)の問題に拡がっていった。

死や葬送が市民権を得るようになったのは95年以降のこと。
奇しくもエンバーミングが日本に導入されたのは1988年のことであった。
でも、死に対する偏見・差別は今もなお社会に残っていて、これとの闘いはまだ始まったばかりとも言える。

(この項続く)

 

 

2017年9月19日 (火)

死学 ―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理①―遺体に対する考察

遺体に関する考察

 

「遺体」についてはこれまで何回か書いている。

しかし、ブログではまとまった形では掲載していない。そこでこの地味だが逃れられないテーマについて、さまざまな形で書いたものを再編して掲載する。
SNSという特性の同時性とはかけ離れたものであるが、ご理解いただきたい。
しばらく続くが、関心のある方は目をとおしていただけると幸いである。

 

葬儀を論ずる場合に「遺体」は外せない。
しかし、過去に仏教会との関係で葬儀について書き、その中で遺体について書いたら、「残酷過ぎる」ということで、その箇所がカットをよぎなくされたことがあった。


葬儀は死を受けとめる作業であり、プロセスである。遺体の現実を見ずして葬儀を語れるか、と憤慨したが、それまで散々と意見の違いで摩擦が生じていたので、やむなくカットした、という苦い思い出がある。

 

最初は

死学thanatology,death study

―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理」
IFSA『遺体衛生保全概論』所収)
を3回に分けて掲載する。

 

死学thanatology,death study

―遺体の位置づけと取り扱う者の倫理①

 

1.死学とは何か?

 

はじめに

 

本論は遺体を取り扱うエンバーマーにとっての遺体の取り扱いに関する倫理について書くことを本旨としている。
但し、エンバーミングは別名で「葬儀科学funeral science」とも称されるように、大きくは死学thanatology,death studyに位置づけられるべきものとしてある。


ところが死学とは、欧米においても日本(多くは「死生学」という用語において)においても内容は確定しているものではない。

人の死は個の死だけではなく、近親者(血縁に限定せず親しい関係を結んだ者、という意味で用いるが)等との関係において起こる出来事である。その意味では医療という範囲を超えていく。


近年においては、1995年に生じた117阪神・淡路大震災、2011年に生じた3・11東日本大震災において数千人、数万人というレベルでの大量死が起こっており、そこで死者および近親者への取り扱い、支援が問題となっている。
それはあくまで個々の死でありながら社会としてどう対応するかが問われる問題としてある。


考えてみるならば、人間が経験してきた歴史には、常に(と表現していいほど)、日常に発生する個々の死に加えて、感染症、自然災害、近代においては戦争により大量死が繰り返されてきた。

乳幼児の死は、戦後日本でようやく抑制することに成功したが、アフリカ、アジア等の第三世界においては今もなお大きな問題としてある。貧困、公衆衛生が人間社会にとって大きな問題となっている。

死学は、死を接点とする、そもそも諸側面から問われる問題を、それがしばしば当該分野では単独に、あるいは孤立的に捉えられがちなテーマを、学問分野だけにもにとらわれず、多様な視点から照射して、個々の患者本人とその周囲の近親者に対して、原点を探りつつ、自由で人間的な死、自由で人間的な弔いを支援するとともに、死に対して向き合っていける社会の実現に寄与することを目的としたものである。

死学の最初に関心を呼んだのは終末期医療terminal care)の分野で人間的な死に方を実現するための患者への支援、ケアの場面であった。

近代医療が治療cureを優先し、患者の人間的な生き方を無視しがちな状態に警鐘を鳴らし、cureだけではなくcareも充分に配慮すべきとの主張を行った。
今の日本では大方のコンセンサスとなっているこうした終末期医療は、死学がもたらした大きな成果である。

同時に災害、戦争、事故、犯罪の被害者である近親者の問題にも関心が向けられてきた。

こうしたことに遭遇して死亡した人の近親者だけではなく、がん等の病気の患者に対する近親者の看護、また近親者の死に面した遺族に対する支援、ケアも課題となっている。WHO(世界保健機構)がホスピスの課題として患者本人へのケアだけではなく、その家族のケアも重要と指摘したのは最近のことである。
しかし、この家族へのケアの状況は医療機関では重要なことと認識されていながら、具体的に取り組んでいる事例はまだ少ない。


喪の作業grief workに対する関心は高まっているが、これの障害になっているのは家族の態様や社会のあり方である。こうして死を排除してきた近代の社会も問われることとなった。

今日terminal care 、あるいはgrief careと呼ばれるものの起源は、欧米では宗教者による病者やその家族へのパストラルケアpastoral careにある。ホスピスの起源が修道院に求められるように。

患者やその家族、あるいは災害等の被災者の家族への傷みpain,今、特定の宗教に偏してではなく,スピリチュアルspirichual、つまり根源的問いとして語られている。
死に瀕した人、あるいは死別した人の傷みが深いことをspirichual painspirichual careは語る。だが、これは中世社会が経験したように論理を超えるゆえ危険性があることも心得ている必要がある。


私たちが求められているのは病気の人、被害に遭った人、そしてその人たちの死に向かうプロセスにおいて抱く傷みと看取りと死別後に抱く家族の傷みに対して、まるでその人のことがわかるように説くことではない。
常に謙虚に固有の傷みとして受け止め、理解しようとする態度である。死者への尊敬、遺族への配慮はささやかな佇まいであり、日本語で呼ぶ「遺体衛生保全」embalmingは彼らに捧げるささやかな一つの環境なのだと思う。

 

2017年9月10日 (日)

人の生死は残る者の心に刻まれ、受け継がれていく

前回の更新が7月29日だから、1ヶ月以上放置したことになる。
過去には半年以上放置した前歴があるから、私としては珍しいものではない。

放置の理由はいつも単純である。
他にやることに気が囚われて、更新できずの日が続いて、そのうちこれを書こうか、あれを書こうかと迷い、結局手つかずになる、ということだ。

そこできょうはかまえず、今朝の新聞で、これはと思ったことを書き留める。

「大のスポーツ狂い」(皆は信じないかもしれないが中高ではバスケットボールの選手で、結構優秀なガードのプレイヤーだった)としては、心躍る出来事だったのは昨日、陸上100m男子、桐生が日本人初の9秒台、9秒98で走り抜けたことだった。
「暁の超特急」吉岡隆徳が当時の世界タイ記録10秒3を記録したのが1935年のこと。
桐生が高校3年で10秒01を記録してから、その後何人かのスプリンターが出てきたが、私はなぜか桐生に賭けていた。
その桐生が9秒台に突入したのだから昨日から心が躍り放なしである。

今朝の朝日では「科学の扉」で気になる記事が。
「『想定外』を考える新感染症 瞬く間に」
である。
そこで書かれているが
 
20世紀中に起きたパンデミックは3回あり、すべてインフルエンザだった。世界で2千万人以上が死亡したとされるスペイン風邪(1918~19年)も、元々は鳥インフルエンザウイルスが起源とされている。

 パンデミックが起きれば交通網が止まり、医療機関は患者であふれる。世界銀行は、スペイン風邪のような深刻なパンデミックが起きた際の損失を世界のGDPの約5%にあたる4兆ドルと試算している。国の想定では最悪の場合、国内の患者数が2500万人、死者を64万人と推計。米政府は今年6月に発表した想定で、死者は最悪で193万人に上ると予測している。

これだけ公衆衛生が徹底する世の中になったが、人間は感染症(かつては「伝染病」といわれた)を克服できていない。
それどころか地球温暖化、グローバル化、人口増加で、「動物から人へ」という感染症の脅威、瞬時の拡散、大打撃の脅威は拡大している。

想えば日本でも中世に「疫病」と恐れられ、日本人の死穢(しえ)意識を決定づけることになったのも感染症の脅威であった。
(ケガレ意識というものはこうした事実に基づいていることを知らず、どうでもいい議論を展開している人類学、民俗学の「学者」が多すぎる!)

東ローマ帝国が機能不全に陥った背景にはペスト大流行による人口の急激な減少があった。

「メメント・モリ」(死を想え)という言葉が有名だが、これは14世紀の「黒死病」と恐れられたペストの大流行を背景としている。

話は替わり、
広告特集で私の大好きなミュージシャン山下達郎が取り上げられている。
新曲REBORNについて話しているところに過不足なく彼の死生観が語られている。

「僕は、人が死んだら灰になるだけ、という死生観には納得できない。
家族や友人たちが一人二人とこの世を去る中で、たとえ彼らが社会的に特別なことを成し遂げたわけではなくても、彼らが生きた歴史や思い出は、残された者も心に刻まれていく。そして、それは受け継がれていく。」

大げさに言えば、私たちが歴史の中に生きている、というのは有名無名を問わず、生きて死んでいった人たちの流れの中にいる、ということであり、その中で私たちも死んで次の世代にバトンを渡していくということである。

これからも時たまこのブログを書く。
あまり期待しないでいてくれると気が楽である。
「ブログの更新が止まっていますね」と言われるのは結構プレッシャーである。
気が結構弱いのだ。

近況で言えば、たいしたことはないのだが、1週間前ほどからときたま咳込む現象が生じて悩んでいる。便秘だといっては気にし、眼がむずかるといっては目薬をさし、右耳が聴こえにくい(今は治った)といっては心配し・・・原稿を少しずつ書きながら悩んでいる。そんなつまらない気が小さいことにくよくよしている。

2017年5月19日 (金)

僕はあなたの息子でした―個から見た死と葬送(27)

これを書いたのは2年半ほど前のことである。
今も父の死は鮮明である。
遺骨の一部は今も私の引き出しに入れてある。


父は晩年、よく「危篤だ」と自分で電話をかけてきた。

兄には別な日に「危篤」になったようだ。
要は「顔を見せろ」ということだ。

行くと息子の顔をまじまじとみつめ、
「僕が死んだらどうするか言ってみろ」
と言うのだ。

自分の意思が息子に伝わっているか、確認をするのだ。

危篤になった時のことから始まり、葬式や納骨、そして自分の書斎の本の行く末まで、全部を、私が父からそれまで何度も聞かされたとおりに言うと、
「それで頼む」
と言った。

知り合いから電話があると、
「死んでから葬式に来てもらうより、今の生きているうちに会いに来てくれ」
と見舞いを催促する。

父はあらたまった席では「私」と言ったが、少し気楽な関係では自分のことを終生「僕」と言っていた。

その父が死んでから14年。
十三回忌は2年前にしなければいけなかった計算だ。
生きていれば百歳を超えている。

死後5年目あたりから、父のことは「懐かしく」感じるようになったが、いまだに父の思い出は明徴である。

父の葬儀でとり乱しながら、私は必死に父に語りかけていたものだった。

「私は、僕は、あなたの息子でした」
と。

その言葉は、14年後の今も、私の中では少しも色あせていない。

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