エッセイ

2017年1月16日 (月)

死の授業―個から見た死と葬送(14)

死の授業


「健全な時代」と言うべきなのだろうか。



私たちの青春時代には、背中にベタッと死が張りついた感覚で生きていたものだ。

だが、目の前に座る学生たちの目には、珍しいことを見るような好奇心、あるいは理由もない怖れの感覚が支配しているように見えた。


そもそも授業内容に関心がなく、席に着くなり堂々と机の上に両手と頭を落として寝だす無関心な者もいる。


初めて耳にすることなのだろう。
死というのは年齢・性別・健康かどうかに関係なく突然侵入してくることがあること、
高齢者の終末期の状況、
人が死ぬと腐敗すること、
昔は乳幼児の死亡率が高かったこと、
単独死のこと…などなど、
ほとんど学生たちの日常会話の俎上にのることがありえない話題なのだろう。



澱んだ空気にたまらず、教壇の上から大声を出し
「聴く気のない者は出て行け」
「寝ている者、喋っている者は出て行け!」と叫ぶ。
すると学生たちは、教師が叱ることに驚き、姿勢を正す。

自分たちの常に反抗的だった時代と比べ、今の学生たちは何と温和なのだろう、と今度はこちらが驚く。



「デス・スタディ(死について学ぶ)」は、どこかで体験が交差しないと難しいのかもしれない。
「脳死」「セカンド・オピニオン」「死者との共食」など…

今は彼らには呪語に等しいかもしれない。
いつか「知る」時が来ると信じて、時間の最後まで授業をした。






2017年1月15日 (日)

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


母の初盆


厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。
毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。


昨年も厳しい夏であった。
でも母は元気に先頭に立って歩いた。
その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。
だから今年の夏は母の初盆である。


本堂には100人以上の人が集まった。
法要の後、住職が立って言った。


今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めることができました。
今年初盆のお宅は
23軒です。
3月の大震災でごきょうだいを亡くされた方もおいでです。
今年は震災でお亡くなりになった方々、身元不明の方々も覚えてお勤めしました。
仏さまになられたということは、全てのいのちがつながっているということです。
仏さまのいのちのつながりを共にいただきたいと思います。


母は戦争の時の話をよくした。


たくさん人が死んだ。
妹も日本への帰還船のなかで死んだ。
栄養失調だった。
その人たちはいなくなったのではなく、私のいのちに今もつながっているのよ。


つらい想い、悲しい想いも併せて、今、私たちはいのちをいただいている。


玄関先で灯を点し送り盆をした。
たくさんの人たちが手を振って去る風景が心に浮かんだ。
母もその妹もその中にいた。

(2011年9月記)



2016年12月25日 (日)

掃除のプロは寺にいる

家にいると、今までやらなかったことを普通にやるようになる。

といっても、ほんの少しだが・・・


いつも10時には四畳半に籠る。
その前の、かつては車に乗っていた時間が空く。

昨日ははなれの窓ふき。
今朝は座敷、玄関、廊下…
昭和初期の建物なので障子が多い。
はたき(といっても昔のものとは違うが)をかけ雑巾で枠や柱を拭く。

地方に行かない時は事務所に朝から夜まで祝日、土日関係なく籠る生活だったから、普通家で当然やっていたことをまったくやっていなかった。
家にいるようになったので、あたりまえにやるようになった。
といっても30~40分くらいの話。

「掃除」といえば過去に感心したのは
その手際のよさ、集中力、速さ、それでいて細部の配慮・・・
ぴか一はお寺の人たちである。

坊さん連中は掃除のプロである。
もっとも私ができなすぎなのかもしれないが…
見ていてほれぼれする。

食器洗いでも、私がちょこっと手を出したら、
「それダメ。食器の底もきちんと洗わないと」
と叱られたことがある。
檀家の女性陣からだ。
速さ、力強さ…見事なものだ。
「じゃま」と言われて、寺の台所から追い出されたことがある。

掃除をしながら、そんなことを思い出していた。
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