エッセイ

2018年5月26日 (土)

報告 太田宏人さんの葬儀のこと

201852425日、15日早朝に48歳の若さで亡くなった太田宏人さんの葬儀が行われた。

太田さんは、雑誌『SOGI』を休刊に至るまでの後期、12年間にわたり共に支えてくれた。
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東京都大田区の臨海斎場(最寄り駅モノレール流通センター)で、2418時から通夜、2510時半から葬儀が行われた。
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会葬者で目立ったのは彼の属する曹洞宗のみならず各宗派の若い僧侶たち。

彼が東日本大震災の後、長期に係わり、死後遺骨の一部を散骨してほしいと熱望した宮城県女川の若い僧侶も駆けつけた。

全国から駆けつけた僧侶、神職の多くは24日または25日日帰りで馳せ参じた。

葬儀の裏方は海洋葬や終活カウンセラー等の活動を支える人たちが中心になってくれた。

 

201410月号に太田さんは築地のがんセンターで亡くなったお母さんの死について書いている。
http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html

その中で印象深いのは、次の文章である。

 

よく、死生学や終末関係の記事などに「死を想え(メメント・モリ)」だとか、「死を学習しよう」などと書かれています。私も「メメント・モリ」が、生を際立たせるためには必要不可欠なことと思います。しかし、現実の人の死に様から離れたところで語られる「死」は観念に過ぎません。記号にさえ思えます。
実際の「死」は衝撃をともないます。
衝撃をともなうリアルな「死」は本人だけではなく、家族や縁ある人々も程度の差こそあれ、ともに体験するものです。

 

私は彼の書いたことを全面的に首肯する。

 

彼は同じ文中に書いている。

 

亡くなられた方々や遺族たちの人生の物語が欠落していては、それは「死の表層」でしかない。

 

太田さんの葬儀会場(1Fに式場、2Fにメモリアルコーナー)は、彼と彼の家族、彼の仲間の「物語」が満ちたものであった。

太田さんの若い日々
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僧侶・太田さん
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ご家族
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メモリアルコーナーでとりわけ目を引いたのは、お二人の娘さんが亡くなった彼に寄せた恋文であった。

 

出棺に際して、夫人とお二人の娘さんがそれぞれ自らの言葉で、詰まり詰まり挨拶されたが、それぞれが彼に「愛しています」と強く言い切っていた。

 

弔辞は最初に師僧である寺江規克師(曹洞宗蔵守院住職)。

彼との出会いは、ペルーの日系人のための寺、曹洞宗慈恩寺で放置された寺、墓地、位牌について曹洞宗宗務院に訴えがあり1999年に宗務院にいた寺江師が現地視察に赴いたこと。
寺江師が現地で1994年からペルーに行き、日系ペルー人向け『ペルー新報』日本語版編集長をしていた彼に出会う。
太田宏人さんは放置された位牌すべてを書き写し、今では知られなくなった人たちの物語を復刻する。

太田さんの情熱に煽られるように寺江師は日系ペルー人の鎮魂の作業を共にした。

寺江師の寺は青梅線の羽村駅が最寄りだろうか?
寺江師に随って修行し、20124月に彼は出家、得度をするのだが、弟子である彼の送り迎えを師である寺江師が行ったという。
「普通は逆だが、私は喜んで弟子の送り迎えをした」
と寺江師は述懐しておられた。
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2番目に弔辞を寄せたのは、太田さんと国学院大学神道学科の同級生、神社系の一般財団法人日本興隆財団事務局長の佐久間宏和さん。

大学卒業後、1994年に太田さんは忽然と姿を消した(ペルーに行った)という。
「太田!」と呼びかけた佐久間さんは、学生時代のヤンチャな太田さんとの日々、2000年に帰国後、佐久間さんの季刊誌『皇室』に書き、東日本大震災で被災した神社の仮宮を設ける活動、被災地レポートを彼に頼んだことを愛情深く語った。

太田さんは熊本地震でも神職たちと被災地で協働した。

太田さんは曹洞宗の僧侶であるが、他の仏教宗派、神道の神職、キリスト教の牧師とも広く、また生死の現場で協働した、宗教の枠を超えた宗教者であった。

 

3番目は、「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」発起人、宗教者災害支援連絡会世話人、大阪大学教授の稲葉圭信さん。
東日本大震災、熊本地震に際し稲葉さんは被災地に行き、被災地で活動をする宗教者と深く連携した。
そこに太田さんがいた。

稲葉さんのブログ「避難所でトイレの仏様に出会った!」

http://altruism.blog56.fc2.com/blog-entry-331.html

は、太田さんの被災地支援活動の「現場」を活写している。
稲葉さんが3回目の熊本入りのおり、避難所で太田さんに出会った。

 

その避難所には、仮設トイレを掃除する人たちがいる。被災者が自主的に、トイレットペーパーを取り換えたり、掃除をしている。そこに単独で参加し、掃除の合間に被災者の声に耳を傾ける僧侶のO氏。
彼は、仮設トイレをすべて手作業で拭き掃除をした。他のボランティアがしない便器内も手作業で拭く。
(略)
O氏は、午前、午後と毎日、仮設トイレの掃除を続けた。避難所の仮設トイレが汚いと、トイレの利用回数を減らそうとする人もいる。そのために、水分摂取量を控え、体調を崩す。仮設トイレがきれいであれば、利用する人の心と体の負担が軽減される。

消毒液のにおい、便器からの飛沫も服につく。O氏の黒いシャツは、汗で白い粉が吹いていた。手は、トイレ掃除をおわって、消毒液のニオイが。その彼と握手をした。

表に出ないボランティア。地味な活動かもしれない。しかし、避難所の仮設トイレを利用している避難者は気がついていたであろう。
そう、O氏の顔は輝いていた。私は避難所で確かに「トイレの仏様」に出会ったのだ。

 

この「O氏」こそ、太田宏人さんであった。

 

4番目が私であったが、私の次に弔辞を述べたのが、ペルー食品、ブラジル食品、その他在留外国人向けサービスを展開するキョウダイジャパンの木本結一郎さん。
日系ペルー人が日本に来て頼るのがキョウダイジャパンのサービスだ。
太田さんの夫人太田プリシラさんは日系ペルー人、ペルーで太田さんと出会い、結婚して2000年に来日。
太田夫妻を支えたのが木本さん夫妻。
まさに同志であった。

 

太田さんは日本に帰国後もペルーにいる日系ペルー人のために、また日本に来たペルー系日本人のために半端じゃないエネルギーを割いた。

 

私は太田さんと2004年から2016年まで一緒に仕事をして、日系ペルー人のこと、被災地での活動のことを彼から聞き、また、彼はそのことを雑誌に書いた。
だが、この日弔辞を述べた、彼との協働者たちと会ったのは初めて。
また、大阪・應典院の秋田光彦師、溝口さん、大竹さん、八木さん等の古くからの知り合いにも会ったが、話は聞いていたが初めてお会いする人が多かった。

 

葬儀の前に祭壇の中段に置かれた太田さんと面会した。
ふくよかで逞しかった彼は痩せていた。
しかし、その顔は清々としていた。

 

24日、25日と続いた葬儀、私はすっかり疲れた。
考えてみれば彼は私の息子たちと同年輩。
「生き切った」とはいえ、思いを残しての死だったろう。
暗澹とし、重い錘を心だけではなく、身体の底に抱え、ヒーヒーと呻いている自分がいた。

 

以下は、私が25日に読ませていただいた弔辞である。

 

弔辞

碑文谷 創

 12年間雑誌『SOGI』の外部スタッフとして取材、編集に参画してくれた太田宏人さんに対して、共に雑誌制作を行った者たちを代表し、ここに厚い感謝の意を表します。

 

 太田さんに出会ったのは、2003年(平成15年)の秋であったと思います。仏教タイムズ編集長の工藤さんから紹介されてのものでした。南米ペルーで日系人向けの『ペルー新報』日本語版編集長をされていましたので、日系ペルー人の葬儀事情について雑誌に計3回にわたって書いていただきました。

それを契機に2004年の夏から雑誌の取材、編集企画に、休刊に至るまで12年間の長きにわたり参画いただきました。

 太田さんが自ら書いているように、大学の演劇部活時代から、気のおけない親友と「殴り合う喧嘩」をするほど「熱い」人でした。私と出会った後もそうでした。強い信念と熱情をぶつけてきて、よく衝突したものです。

 しかし、熱くぶつかる、というのはまさに太田さんの個性で、それが彼の人に対する最大の敬意の表現でした。

 

 太田さんは終始人の生き死に、そのリアルな現場にこだわり続けた人でした。

 太田さんにとって「ライター」であることは、リアルな「現場」に行って、「現場」の声にひたすら耳を傾け、「現場」の声を発信することでした。「ライター」は誇りある仕事で、彼はその発信に責任を取るべく「署名記事であること」にこだわり抜きました。太田さんはよく「ライターの太田です」と言っていましたが、そこには強い自尊、プライド、使命感があったように思います。

 

 太田さんは2012年出家し、僧侶兼ライターとなりました。以降、私には立ち位置が変化したように思います。稼業としてはライターなのですが、彼が自己紹介で「ライター、僧侶」とは書かず、その後は「僧侶」が先で、「僧侶、ライター」と書くようになりました。僧侶としての自らの活動、問題意識を自らライターとして記録し、発信するようになりました。

 

 東日本大震災の被災地ボランティア活動に身を投じ、被災地で死者を鎮魂すること、被災者の傍に立つことを通じて自らを「僧侶」と自覚したのではないでしょうか。

 

 太田さんは「僧侶」としても異色でした。寺をもたない僧侶である太田さんは、東日本大震災に続き熊本地震の避難所の現場にもいち早く入り、新潟では終末期医療の現場における宗教者としての臨床ケアに従事しました。また、派遣僧侶として家族と死別し、悲しみ、混乱を抱えた遺族に寄り添い法事を勤め、ペットを亡くし深い喪失にある人の傍らに立ち、海洋散骨の現場で弔い、鎮魂しました。

彼のフェイスブックには、自らが重病で死に臨んでいるのに、医師の反対を無視し、病院を脱出して、一つひとつのリアルな死を弔い供養する法事を大切に勤めた様が書かれています。

 

 日本において400年以上の昔、位階をもたない、まさに半僧半俗の「遁世僧」「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶たちが、大寺院での栄達を望まず、民衆の死の現場に分け入った如く、彼は現代において「聖」であろうとしたのだと思います。

 

 太田宏人さんは、48年というけっして長いとは言えない人生を、疾風の如く生き切りました。

友人である柏木篤志さんが悪性腫瘍のため45歳で死亡された時、太田さんは次のように書きました。

「最期の時まで、柏木篤志は生き抜いた。病魔に身体は蝕まれた。それは事実だ。だが彼の精神は1ミリたりとも敗退しなかった。最後の最後まで、柏木は父親として尊厳ある死を全うした」

まさに太田さんも「尊厳ある死を全う」されました。自身で書かれたように、「その生き様によって、大いなるものを」、ご家族に、そして私どもに遺してくれました。

 

 太田宏人さんが深く愛されたご家族、奥様、お二人のお嬢様、ごきょうだいの皆様に対し、心からなる哀悼の意を表します。また、自分が大切だと信じたものに対し、覚悟をもって挑み続けた太田宏人さんに深い敬意を表し、追悼の言葉とします。

 2018年(平成30年)5月25日

 

 

 

 

 

 

2018年4月 1日 (日)

『葬儀概論』四訂第2刷、『解題 葬儀概論』改訂版ができました

『葬儀概論』4訂2刷 2018年3月30日発行

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『葬儀概論』の初版は1996年4月、改訂版が2003年5月、大幅に増ページした増補三訂版が2011年4月、四訂版が2017年4月に出した。

大きな改訂は4回であるが、毎年最新データに入れ替えたり、小さな修正、追加を行っている。

今回四訂版の第2刷を出すにあたっても微修正を行っている。大きいのは第10章関連法規とその解説で死体取扱規則を死因・身元調査法に差し替えた点である。

結果としては微修正であるが、見直しを全ページにわたって行っている。基本は該当ページを変更しない条件で行っている。ページ数の変更をよぎなくされるものは、表現を多少いじり、次の改訂版に持ち越す。
辞書を編むような地道な作業である。
膨大な索引もやり直す。用語数が増えているがページ数は変更しないので、デザイナーには苦労を掛けた。

『葬儀概論』には何が書かれているか?

『葬儀概論』は、葬祭ディレクター技能審査のテキストとして作成したが、葬送について学ぼうとする人々にとっては欠かせないもの、と自負している。
葬送の歴史を古代から現在までを記述しているのは本書しかない。
その内容をあるものは大きく、あるものは細かく以下示す。

第1章 葬儀の意味

第2章 葬儀の歴史

(資料)死と葬送の日本の歴史年表、葬儀の起源、日本の古代の葬送儀礼、古代の葬儀観、厚葬から薄葬へ、御霊信仰、天皇の葬儀と仏教、法華三昧と常行三昧、(略)、明治維新と神仏分離、近世・近代の火葬の歴史、明治時代の葬儀、戦前までの葬儀、戦後の葬儀、現在の葬儀事情

第3章 死とその環境

死の環境(臨終、死の場所、死亡者数の推移、増える65歳以上人口、高齢者の死の割合の増加)、死の判定と死因調査(死の判定、「脳死」の問題、死亡診断書と死体検案書、死因調査、監察医制度、行政解剖と司法解剖、死因、自死、葬祭業者は法的に死が確定しないと遺体を取り扱えない)、遺体と公衆衛生

第4章 葬儀の実際

臨終、受付、遺体の引き取り・安置、打ち合わせ、見積、枕飾り、枕経・遺体処置・納棺、設営、幕張、飾りつけ、通夜、葬儀、司会進行、接客・誘導、出棺、火葬、葬儀後の会食、撤収、請求・集金、アフターサービス、法要、事前相談

第5章 葬儀の知識

死亡記事・死亡広告、告別の方法(焼香、献花、玉串拝礼、宗派による焼香の違い、等)、香典、返礼品、霊柩車、棺、祭壇(祭壇の原型と変遷、祭壇の位置づけ、等)、葬具、戒名(法名・法号)、布施、仏壇・仏具、墓(墓石の形態、墓埋法に規定された「お墓」、埋葬(埋蔵)、改葬、墓地の分類、使用権、お墓の承継、埋骨方法、散骨、樹木葬・桜葬)、死後の手続き、相続、遺言、相続税、遺体の海外移送、海外の葬儀事情、葬儀と習俗、葬儀の生前準備、顧客獲得システム、グリーフワーク

第6章 社葬・団体葬

第7章 日本の宗教の概要

日本の宗教団体概要、神道(神道、神社神道、教派神道)、仏教(仏教の歴史、奈良仏教系、天台宗系、真言宗系、修験道系、鎌倉仏教、浄土宗系、浄土真宗系、融通念仏宗、時宗、日蓮宗系、臨済宗、曹洞宗、新教派系)、キリスト教(キリスト教の歴史、日本への伝来、現在日本のキリスト教)、諸教(諸教の概念、諸教の概要)

第8章 宗教儀礼

神葬祭、天台宗の葬儀、真言宗の葬儀、浄土宗の葬儀、浄土真宗の葬儀(浄土真宗の葬儀の意味、臨終と通夜、本願寺派の葬儀式、大谷派の葬儀式)、臨済宗の葬儀、曹洞宗の葬儀、日蓮宗の葬儀、カトリックの葬儀、プロテスタントの葬儀、天理教の葬儀、金光教の葬儀、友人葬

第9章 葬祭サービスと葬祭ディレクター

事例研究、事例からの教訓、葬祭サービスとは何か?、葬祭ディレクターの倫理

第10章 関連法規とその解説

墓地、埋葬等に関する法律、感染症法、船員法、医師法、戸籍法、軽犯罪法、刑法、刑事訴訟法、死体解剖保存法、献体法、警察官等が取り扱う死体の原因又は身元調査等に関する法律、行旅病人及び行旅死亡人取扱法、臓器移植法、貨物運送事業法、生活保護法、割賦販売法、都市計画法、建築基準法、民法、消費者契約法、景品表示法

多くの書物、情報、協力があったからこそまとめることができたことは言うまでもない。
各章末の参考文献は直接参照しなかった文献以外にも注目すべき文献を示しているので用途は広いだろう。


『解題 葬儀概論』改訂版 2018年3月30日発行

『解題 葬儀概論』は2014年に初版で以後は手を一切加えていなかった。
これは『葬儀概論』の増補三訂4刷をベースにしていたが、今回は四訂2刷をベースに改訂を行った。

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これは葬祭ディレクター技能審査の学科試験用のテキストで、過去問題を単に〇×で覚えるのではなく、文脈で学習できるようにと、問題解説を主として葬儀概論の該当箇所、場合により複数個所を提示して行っているもの。
今回は問題を一部差し換え、問題解説を充実させている。
学科試験対策としては極めてていねいにできているはずである。

これを作った経緯は、
試験問題には重要項目がある。
過去出題のも含まれることがある。
そのままの場合には正解率は著しく高いのだが、同じ内容を出題形式をほんの少し変更しただけで、正解率が著しく低下する現象を憂えてであった。

知識を文脈で理解しないと、本当の知識を身に着けたことにはならない、という危機感からであった。

『解題 葬儀概論』は私の手作りである。
ワードで文書を作成したものをpdfのプレス品質に変換し、印刷会社に直接渡す。
そのため素人感満載であるが、内容的には不足はない。
最後の修正まで自分で操作している。
自分で最後までする、というのは欠点もある。
打ちミスもあるからだ。
すべてプリントして校正はするのだが、どうしても客観視に欠ける点が残る。

『葬儀概論』は毎年の受験者が新たに購入してくれればいいのだが、そうはいかない。
旧版を先輩から譲られて受験する人もいる。
前回の大幅改訂が2011年の増補三訂版であるから、『解題 葬儀概論』(改訂版)の末尾に約4ページの「4訂版以降についての補遺」を加えた。

『葬儀概論』はB5判360ページ、『解題 葬儀概論』はA4判168ページに及ぶ。
したがって作業中は手元のインクジェットプリンターが凄まじく働く。
紙の消費は膨大である。
今年は画面上で赤字を入れられるSurface Proにパソコンを換えて紙消費を少なくしたが、それでも最後は紙での確認になる。

葬祭ディレクター技能審査は1996年の第1回から2016年第21回まで関係し、今は引退しているが、テキスト作成には著者としての責任をもっている。
次の世代に引き継ぐまで残された時間は多くない。
自分の頭がどこまで機能してくれるか、にかかっている。

★『葬儀概論』『解題 葬儀概論』の求め先

葬祭ディレクター技能審査協会
〒105-0023東京都港区西新橋1-18-12 COMS虎ノ門6F
電話 03-6206-1281 Fax 03-3500-4212
〒108-0075東京都港区港南2-4-12 港南YKビル4F
電話 03-5769-8704 Fax 03-5769-8702

なお『葬儀概論』は定価10,258円、『解題 葬儀概論』は定価3,000円となっている(送料別)。


2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

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目次

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互井住職×碑文谷創

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合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

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2018年3月10日 (土)

火の子

新宿西口の墓地近くの古い雑居ビルの一角に「火の子」はあった。

私が通い始めたのは青木新門さんに連れて行かれたのがきっかけであった。
ママのイクさんは岩手県の盛岡の近くの出身ということで、同じ岩手県一関で生まれた私に対して親近感をもってくれた。
92-93年くらいであったろうか。
開店が73年、閉店が02年であるから、その30年の火の子の歴史の晩期に私は立ち合ったことになる。

以来、私は一人でも、あるいは仲間と連れ立って、あるいは新門さんからの呼び出しに応じて通うようになった。

この店のいいところは客同士の会話が多いことだ。
イクさんが客同士を引き合わせてくれる。
いろんな方と知り合いになれた。
私が子ども時代に隣家ですでに高校生だった方と隣り合わせになる、ということもあった。
編集者が多く、そこで知り合った方から原稿依頼を受けたこともある。
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「文化人類学で日本の葬儀に関心があるハーバード大学の学生がいる」
と山口昌男さんから紹介されたのが、今オーストラリアにいる鈴木ひかるさんだ。
山口さんは当時静岡県立大教授だった。

新宿西口とはいっても、青梅街道を渡り、小路を入った墓地近くであったから、フリの客はいない。
みな最初は誰かに連れてこられたのがきっかけだ。
誰かが仲間を連れてくると、イクさんはノートに名前とメモを書き、小型のデジタルカメラで写真を撮り、記録した。
だからその人が後から行っても、名前と顔、誰と来たかがイクさんに記憶されていて、それで居つくことになる。

常連の本が並べられていて、私の本や雑誌『SOGI』もその中にあった。
私が初めて会う人には私の本をもってきて「これを書いた人なの」と紹介してくれる。

私も新門さんも、今はもうほとんど呑まなくなったが、かつてはよく呑んだ。
新門さんは豪快に呑み、豪快にしゃべった。
私と新門さんが火の子に行くと、皆で死や葬送の話題で盛り上がることもあった。

イクさんこと内城育子さんが火の子を閉め、独居しておられたが、ときおりお電話をいただくことがあった。
晩年は特に細い声になった。

尾形弘紀さんから連絡をいただき、3年前に83歳で亡くなったイクさんが撮りだめた写真展の企画を教えていただき、実行委員会に名を連ねさせていただいた。
内城育子写真展「火の子の宇宙」
3月19日から24日まで銀座ギャラリー「巻房2」で開催される。
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このことが毎日新聞に掲載された。
https://mainichi.jp/articles/20180303/k00/00e/040/195000c

とてもいい記事で、当時の火の子の様子を伝えてくれるものとなっている。

なお、尾形さんから送られた案内状も紹介しておく。
ほんとうに裏方で準備された方々に感謝!
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2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

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談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
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ページだてである。

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https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
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年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
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分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






上野創『がんと向き合って』を読む

上野創『がんと向き合って』を読む

■「がんとともに生きる」

今朝(201824日)の朝日新聞朝刊を読んでいて気づいたのは「がんとともに生きる」という記事がさまざまな形で取り上げられていたことであった。
がんに罹ったことで退職を強要されることもまだまだ多い、という現実には心を痛める。
がん治療が相変わらず過酷なこと。
体力はもとより精神的にも大きな揺れをもたらすこと。

小児がんで子どもを亡くされた親たちの会で聴いた話は今でも鮮烈である。
(きょう明日掲載と聞かされていた「弔いのあり方」が掲載されていたが、これについては別に書く。)

■近親者のがんでの死亡

 

姉が約40年前にまず乳がん、翌年子宮がん。
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度目の時は家族全員覚悟した。
その後の抗がん剤治療のダメージが姉には過酷だったようだ。姉は一応治癒したことになり、その治療の悪夢から逃れるように10年後以降は病院の検査からも遠ざかった。
そして30年後、体調不良で病院に行き検査したらステージⅣの診断。
治療の手立てがなかったこともあり、腸閉塞の手術はしたものの無治療を選択。
告知後11か月に、骨と皮になり72歳で死んだ。

従妹はその前年、ステージⅣと診断され、入退院を繰り返し告知後13か月に62歳で死んだ。
私の見舞いは、病院に行って、ひたすら従妹の腫れた脚をさすり続けることだった。

友人が40歳を目前にまさに苛烈な闘病の結果死んだのは約30年前のこと。

高齢であったが叔父2人ががんで死亡したが、この2人は病院から見放されたものの、数年間穏やかに自宅で生活し、穏やかに死んだ。

■上野創『がんと向き合って』(朝日文庫)


身近な者ががんに罹り死亡したことを見ていたが、その実相を知った気持ちになったのは、朝日新聞の高橋美佐子記者に夫にして同じ朝日の記者上野創記者の『がんと向き合って』(朝日文庫)を贈呈され読んだことによる(きょうの朝日の記事には高橋記者も参加して書いている)。
https://www.amazon.co.jp/がんと向き合って-朝日文庫-う-13-1-上野/dp/4022615249

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歳の記者上野さんは199711月に会社の定期健診を契機に横浜市立大学医学部付属病院で睾丸腫瘍と診断され、睾丸除去の手術。
その後に肺転移していることを告知され、「手術で取ることは不可能で、抗がん剤の治療しかない」「放っておけば半年もちません」と言われ、抗がん剤治療を受けることになる。

睾丸撤去手術の翌日、高橋美佐子記者は上野創記者に結婚を申し出る。


手術の2日後のことだった。ベッドサイドに来た彼女が満面の笑顔で「結婚しよう」と言った。

そのきっぱりとした言い方は自信に満ちていた。

驚いた。こちらは言葉が出ない。(略)

そもそも、がんを手術したばかりの僕だ。明らかに「不良物件」。格付けは一気に下がったはず。

こんな状態のオトコと結婚なんて!

 

128日抗がん剤の点滴開始。

上野記者のすごいところは告知を受けた時の自分の精神状態、家族はどう思うか、医者の態度…等を正確に、飾ることなく露わに記録していることだ。
さすが新聞記者だな、と感心する。

抗がん剤点滴の翌日の描写はこうだ。

近くのトイレに駆け込んで「おえっ」とやって、それが始まりだった。

やがて、たえず吐くのを我慢している状態になった。ひどい二日酔いがずっと続いているようなものだ。

ときどき大波のように手ごわい吐き気が襲ってくる。こぶしを握り、つばを我慢し、全身の神経を集中してやり過ごす。しかし。懸命にこらえても、結局は吐いてしまった。胃の中の物が逆流を繰り返すと、みぞおちのあたりがひきつるように痛んだ。唾液と鼻水と涙が同時に出る。

 

抵抗力の低下で病原菌の感染のリスクに晒される。
クリスマス前には体毛が脱落する。
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回目の抗がん剤の効果が出ない。

効きにくい10%に入っているのか、と不安に陥る。

主治医からなげられた「あきらめなければならない事態」という言葉は、僕の心のなかに居座ってどす黒い存在感を放射していた。

それは、死の予感だった。

たちの悪い細胞は、副作用ばかり引き起こす薬をせせら笑いながら、僕の全身を内側からむしばんでいく。そうして、僕の心身から徐々に温度を奪っていくのだと連想した。

 

こうも語る。26歳の青年が、だ。

 

妻は「明日は外泊だよ。うちで作戦会議しよう」と言い、「絶対、大丈夫」と笑顔を残して職場に戻った。

僕は一人になって考えた。

自分自身の死の恐怖と向き合ったが、それは意外なほど重くなかった。ある意味で、死は苦しみからの解放ですらあった。

それより、重くのしかかるのは、残していく人たちのことだった。

何度考えても、逝ってしまう人間の方が、残される人間より気楽だと感じた。(略)それとも、「自らの死の恐怖から逃げ出したくて、残される側の心理に目が向くのか。

 

1229日から2回目の抗がん剤投与。

 

大みそかから三が日は「どん底」だった。吐き気に加え、倦怠感に襲われた。

自分の体が、自分の物でないようなだるさだった。どんより重くて、寝ていても起き上がっていても落ち着かず、身の置きどころがない。「この肉体を脱いだら楽だろう」という思いだった。

 

また

 

大みそかの夜、突然顔面と手足がしびれるようになった。

びりびりと弱い電流を流しつづけているような感じで、目の下が小刻みに震えるようになった。治療前に主治医が言った「四肢麻痺」「車いす」という言葉がよみがえった。

 

17日、主治医が「薬が効きはじめた」という朗報をもたらされる。
しかし、腫瘍は残っている。
そこで3回目の抗がん剤の投与。

通常の3倍量投与の「超大量化学療法」。

5日間かけての投与だ。

 

そして「予想もしなかった心の嵐」が上野記者を追い詰める。

心が落ち込み、「まったくコントロールできない」「すべてうんざりだ、ばかばかしい、やめちまおう」「圧倒的な虚無感が全身を貫いた」、この竜巻のような激情は3日間続く。

 

そして3倍量の抗がん剤の副作用は凄まじく、敗血症で多臓器不全の一歩手前まで。

 

611日病理検査の結果、腫瘍は認められず、同18日退院。
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月から仕事復帰。

10月、1年遅れの結婚式。

(この時の上野記者のはにかんだ笑い、高橋記者の豪快な笑い顔の写真は秀逸だ。)

 

だが翌年、19995月、再発。
左肺の腫瘍を内視鏡切除して抗がん剤を2クール。

感染症にかかったが、ようやく熱が低下。
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14日退院。

同年10月職場復帰。

 

20004月再々発。
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3回目の内視鏡手術と抗がん剤2クール。
退院は8月。

上野記者は3回目の入院で闘病記を書くことを決意。

200010月から朝日新聞神奈川版に「がんと向き合ってー一記者の体験から」を連載。
それをまとめたのが本書。

これは書評ではない。
上野記者の圧倒的な現実描写に驚き、紹介するものである。
だいたい今読むのが遅すぎる。
姉や従妹から病状については聞いたものの、ここまで詳しく聞くことはできなかった。

本書の中の一節は、退院後夫妻で沖縄に行った時の感慨である。

ふと、1千年前に人が生きていたということをリアルに感じたことがあった。(略)
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千年前にも人は喜び、悲しみ、悩み、絶望したり、はしゃいだりしながら生きたはず。そして、一人残らず死んだ。自分もさして変わらないことをしている一人だと思うと、愉快というかこっけいというか、肩の力が抜ける気がした。

本書は残念ながら絶版。

でもアマゾンで古書が買える。
重版を切に期待している。

 

上野記者へのインタビュー記事はこちら

http://www.mammo.tv/interview/archives/no230.html

鎌田實さんとの対談も面白い。

https://gansupport.jp/article/series/series01/series01_01/4382.html

 

 

上野記者の最も新しい記事、朝日新聞デジタルで

https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20180130004936.html



2018年1月30日 (火)

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IFSA(日本遺体衛生保全協会=エンバーミングの組織)から『エンバーミング技術』3号が出た。



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目次
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日本のエンバーマーたちの技術進化はめざましく、先進国の北米とも遜色ないレベルになっている。
今回の3号は橋詰知子さん(スーパーバイザー、燦ホールディングスグループ公益社)が座長となってまとめたもの。
馬塲、佐藤(貴)、関、橋詰さんが創刊号からの編集委員。
監修は高篠智(杏林大医学部講師)、宇屋貴(スーパーバイザー)さん

私は創刊号以来の最後の尻たたき役で制作を完成する役。
こういう若い人たちと一緒にする仕事は楽しかった。

1000円+郵送料
事務局は
〒254‐0013神奈川県平塚市田村9-9-16
電話0463-52-0544
メール:formail@embalming.jp
ホームページ:http://www.embalming.jp/
こうした仕事もしている。


昨晩、白河の青木かおるさんから電話があり衝撃を受けた。

全葬連会長、公益社(京都)会長、葬祭ディレクター技能審査協会会長の
松井昭憲さん(75)が急逝された。
今朝、京都公益社の松井さんと同級生で営業本部長の加藤さんに電話してうかがったところによると
死亡は19日、24日には密葬を近親者で済ませ、2月15日13時から京都駅近くの公益社南ブライトホールにて社葬が行われるとのこと。
文字通りの急逝。
深夜に浴室で倒れ、救急車で搬送し、搬送先の病院で息を引き取られたとのこと。

松井さんとは先代で全葬連2代目会長を務めた松井信史朗さんからの付き合い。
雑誌を創刊した当時、先代が全葬連の役員に私を紹介してくださった。

昭憲さんは私の4つ上。
全葬連教育研修委員長の時、中央にあまり出て来られない所属員のために地方でセミナーをやる、というので当時燦ホールディングスの社長であった吉田武さんと私が組んで地方行脚したのはよく覚えている。

全葬連会長になって以降、「勉強したい」というので上京された折に、しばしば品川駅近くのホテルで「家庭教師」を務めさせていただいた。
京都公益社の社員研修等で話をさせていただいたこともある。

全葬連と全日本仏教会では今でも定期的に意見交換を行っているが、松井さんが会長になってからのこと。
仏教会と葬祭業界が話もしたことがないのはおかしい、というので初回は私が仲立ちをさせてもらった。

葬祭業界の国際組織であるFIAT‐IFTA(国際葬儀連盟)の副会長で、今年会長に就任が内定していた。
就任演説の原稿を依頼され、昨年すでに渡していたが、読まれることはなくなった。

さまざまな評価はあるだろう。
だが、私は個人的に親しくさせていただいたことを深く恩義に感じている。
一昨年の私の雑誌休刊、事務所閉鎖でも、変わらぬ付き合いをさせていただいた数少ない一人であった。
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京都新聞の訃報はhttp://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180129000144

公益社会長の松井昭憲氏(まつい・あきのり)が19日午前1時15分、急性心筋梗塞のため京都市内の病院で死去した。75歳。京都市出身。近親者で密葬を行った。社葬は2月15日午後1時から京都市南区西九条池ノ内町60、公益社・南ブライトホールで開く。葬儀委員長は京都銀行頭取の土井伸宏氏。喪主は長男雄(ゆう)氏。

 2004年から全日本葬祭業協同組合連合会長を務めた。

個人的なことで言えば
昨年末に母方の叔母(母の弟の妻)が亡くなった。
これで親の世代が全員死んだ。
といっても子世代でも従妹が62歳で、姉が72歳で死んでいる。
生命は順番どおりとは限らない。

私も姉の死んだ歳に並んだ。
いつ死んでもおかしくない歳であるし、自覚はあるのだが、元気であるため長命しそうなのが不安である。
「死ぬことが怖い」
というが、幾多の友人、身内の死を経験することで、それはない。

いのちの価値はけっして長さではない。
また、自分のことを考えても、若い時に書いたものを今書けと言われてもできない。
今が「成熟」というわけではない。
歳を重ねての成長もあるし、退化もある。
その時、その時の価値があるのだと思う。
また、過ぎ去ったことは後悔しても戻れない。

また、いのちの長短は自分ではけっして選べない。

話は変わるが、昨秋に新潟妙光寺の住職交代での記念誌
『角田山妙光寺法燈継承式記念誌 妙光寺のこれまで、そして、これから』
を編集させていただいた。
さんざん皆であーでもない、こーでもない、と打ち合わせを重ね、寺の全体像をどう伝えたらいいかを議論して作った。
寺に関係する人が自分の関心のあるところから、どこからでも読めて、負担なく読める、ということを一義的に考えて編んだ。
また、若い世代の僧侶たちに読んでもらいたい、と願って編んだ。
地方の過疎地にあるけっして豊かとはいえない寺がどう歩んできたか、檀家の人たちの暮らしにどう寄り添ったか、写真1枚1枚にこだわって編んだ。
永代供養墓の先駆者という派手な面だけではなく、地味な歩みも知ってほしかった。

この記念誌を毎日新聞の昨日(2018年1月29日)朝刊コラム「身じまい練習帳」で滝野記者が取り上げてくれた。
滝野記者のFacebookにはその前後のことも含めて書いてある。
https://www.facebook.com/takahiro.takino.3?fref=hovercard&hc_location=friends_tab

若い世代の僧侶たちに読んでほしい。
入手は可能だ。
価格はついていないが、1冊あたり実費だけで2千円はかかっている、ということは頭に入れて郵送費込みで寺に申し込んでほしい。
といっても残部がたくさんあるわけではない。
真に読みたい人だけが申し込んでもらえば、と思う。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html
もっともわけてくれるかを私が保証するものではない。

2017年12月22日 (金)

最新死後事情ー講演録

昨日(2017年12月21日)午後に東京・飯田橋で関東シニアライフアドバイザー協会のビバシニア講座で講演してきた。
古くからの仲間である田島エリコさんから紹介された。
同協会では電話相談を受け付けており、最近は樹木葬やらの葬送関係の問い合わせも多く、電話相談の受けて向けに話を聞かせてくれ、というのが主旨。
行政書士、社会福祉士、医業経営コンサルタントなど多彩な肩書をもつ方々が多かった。

パンフレットには次のように書かれていた。

一人暮らしが増えて人生の終末期の考え方も大きく変化してきました。
身寄りのない人は死後処理や葬儀、お墓を生きているうちにきちんと決めておく人が多くなりいろいろな選択肢が出てきました。
特に「樹木葬」「散骨」「納骨堂」などの新しい情報を知ることが大事です。
今回は、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏を講師にお迎えして詳しくお話していただきます。


90分の講義の後で30分の質疑。
最近の講演ではできるだけ写真を多用している。
葬儀の変遷、永代供養墓、散骨、樹木葬…耳では聞いたり、読んだりしているがイメージがさまざまなので、見てもらうことがいちばん、と写真を見せる。
最近は講演を頼まれると、依頼テーマに合わせてパワーポイントで資料を都度用意する。
全部新規というわけではない。
過去の資料を再構成しプラス新規ということが多い。
同じテーマで話すなら楽だが、構成が新規となると時間配分が難しい。
今回は樹木葬等の墓の最新事情というのが最初の依頼であったが、これに家族葬、直葬などの葬儀の最近の動向も、というので話す量は倍になった。
資料は倍、話す時間は90分だから、どう時間配分したらいいか悩む。
だから、ここは資料を後から読んでくれ、とか途中カットしながら進める。

以下は昨日の講演の資料(但し、写真はカット)

◎タイトル:
最新死後事情 家族葬、直葬、散骨、樹木葬が人気だが。 多様化する葬送

◎主旨:
´社会が変わる今の社会は少子化・高齢化・多死社会へまっしぐら。「家族」も核家族すら危うくなり、個人化、単身世帯の増加が進んでいます。社会の経済格差も拡大しています。
´葬送習慣が変わる地域共同体、血縁共同体を中核に形成されてきた葬送習慣が急速に崩れています。
´葬儀が変わる葬儀をしない火葬のみの直葬、近親者中心の家族葬、葬儀はさまざまになりました。一方、死と葬式の自宅離れが進み、葬儀会館での葬式が中心になり、まるごと葬祭業者への依存が進んでいます。葬式の宗教離れも進行中です。
´墓が変わる:跡継ぎ不要の永代供養墓、墓を不要とする散骨(自然葬)、樹木・森との共生を求める樹木葬…等新しい葬送形態も生まれています。
´死のもつ特性:死は計画できない。死はいつか、どのように、わからない。誰もが死ぬのは確実だが。終末期、死後のことは誰かに頼まないとできません。死は自分だけの問題ではない。事前に意思を示すことや準備はできるが

◎変わる社会
1 少子多死社会(1955年から2075年までの出生数、死亡数の予測を含めたグラフ)
2 本格的な高齢社会(超高齢社会) (0~14歳、15~64歳、65~74歳、75歳以上人口の構成推移と予測グラフ)
3 死亡の場所の割合推移(グラフ)
4 伸びる平均寿命(平均寿命の推移と予測グラフ) しかし、誰もが長命ではない。80歳過ぎたら認知症リスク
5 世帯構成・世帯構造の割合推移(グラフ) 一人世帯が増え、三世代世帯は減少 「ひとり死」のリスク
6 高齢者世帯構成・世帯構造の割合(グラフ) 高齢者はだれが看る 嫁、配偶者→娘、同居の未婚の子(娘、息子)、誰もいない、一人暮らしを選ぶ人、一人暮らしをしなくてはならない人

◎死者のいのちの価値比べはしない
それぞれによって死別の意味は違う。
それぞれの人にとって変わるもの。
それぞれにとってかけがえのないもの。
残念なことに人間は他者の死に無頓着。

◎看取りの大切さ
看取りはお葬式より大切。
でも看取れない死もある。
その時は通夜が大切。


◎お葬式の変遷(写真)

◎葬式はどう変わったか?
■会葬者数の推移
 1991 280人  2011年 114人 2017年 40人?
■社会儀礼中心の葬儀→個人の葬儀
 マニュアル葬儀はイヤ→その人に合った葬儀
■デフレ→格差社会

◎どんな葬式だったらイヤか? 「0葬」「直葬」が出現したわけ
■簡略な処理の横行 
 引き取られない遺体約6万体
 増える「送骨」
■ゆっくり別れる
■送るのは血縁者とは限らない時代に
■「直葬」葬儀儀礼をしない葬儀  「0葬」拾骨をしない
■マニュアル葬儀はイヤ
 お仕着せ
■意見を聴いてくれなかった
■慌ただしい
 ゆっくり別れる時間が取れなかった

◎家族葬は人気だが、「家族葬」って何?
1995年に現れた「家族葬」
 本人と親しい者だけでゆっくり別れたい
 本人を知らない人が7割の葬儀への疑問から始まる。
■「家族葬」には定義がない ⇒近親者葬
 数人から80人までの幅
■「家族葬」が本人とほんとうに親しかった人を 拒むのは正当か?
■「家族葬」は「安い葬儀」?「簡略な葬儀」?

◎あなたが弔ってほしい人は誰ですか?
■「迷惑をかけたくない」というが
 「迷惑」とは何か?
■誰が「近親者」なのか?
■死は「高齢者」のものか?
■死後の事務処理を委託する場合
 生前契約書
 公正証書遺言 祭祀承継者の指定 負担付き遺贈

◎残る問題
■葬式にお坊さんは必要か?
■遺骨の行方 散骨、樹木葬、永代供養墓
■死別で発生すること グリーフ


◎お墓の世界
´新しい形態のお墓を選ぶのはもはや例外ではない。
´承継者が必要としないものを選ぶ傾向も。
´家族が一緒に入るのも悪くはない。

◎墓の略歴
 墓地は古来よりある。
´民衆が墓をもったのは戦国時代以降
´江戸時代までは個人単位の墓
´明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
´1955年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
´1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
´1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
´2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。

そもそも墓は?
´墓地埋葬法に規定。
´墓地、納骨堂は特別区と市が許可権限。
´埋葬=土葬 火葬が進み、現在ほとんどない。
´焼骨の埋蔵 墓地に限る
´焼骨の収蔵 他人の焼骨を預かるのは納骨堂に限る。
´墓地、納骨堂は一部例外はあるが原則として地方自治体、宗教法人以外には認めない。
´寺墓地 檀信徒用 境内墓地 宗教施設
 事業目的(檀信徒以外に供する)は民間霊園
 
宗教法人の墓地 名義貸し禁止。土地が宗教法人の所有が条件。

◎永代供養墓(えいたいくようぼ)
1985
比叡山久遠墓
1990年前後新潟妙光寺安穏廟
京都 女の碑の会「志縁廟」
東京巣鴨 もやいの碑
マスコミが話題に
今、遺骨処分場になるケースも
´永代久遠墓 「貴方自身の子孫に代わり、永代に亘り供養する墓地」(HPより)
´永代供養墓 跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓=無縁塔ではない。
´人間の生き方はさまざま、どんな人のためにも寺は開かれている。それぞれの生き方、生を尊重し、承継者のいかんにかかわらず寺が責任をもって供養
´永代供養墓 理念なきものは不人気
´信頼されると会員から檀徒になる事例も多い
´子がいる事例が多い。 親が選んだ場所というので墓参する子が多い。
´血縁という枠を取り払う事例も。
´生前から係わる

永代供養墓 新潟 妙光寺安穏廟(写真)

東京・巣鴨 合葬墓 もやいの碑、飛天塚(写真)

東京・中野 明治寺 多宝塔(写真)

長野県松本市 神宮寺永代供養墓(写真)

◎散骨(自然葬)
´1991年 葬送の自由をすすめる会 相模灘で散骨実施 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。自然葬」という言葉は、本会が1991年2月、発足にあたって起草した「会結成の趣旨」の中で初めて使われました。」(HPより)
´「厚生省が公認」は朝日社会部のフライイング
´法的一般的解釈 「遺骨を遺棄(捨てる)する目的ではなくあくまで葬送を目的とし、相当の節度(①細かく砕き、原型を残さない、②風評被害を招かないよう生活用水としての川、養殖場や海水浴場の付近を避ける、③付近の住民の感情を尊重等)をもって行うならば刑法190条遺骨遺棄罪にはあたらないだろう。
´墓地内の散骨場では可
´地方自治体によっては条例で禁止、制限もある。
´厚労省は「墓地埋葬法は散骨を前提としていない」とは言うが「合法」とは言っていない。

カズラ島 散骨場(写真)

◎樹木葬
´1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。自然保護に共感する人が墓地として使用することで理念に共感し、自然保護活動を支援
´墓地として許可を得るので粉骨の必要なし。
´穴を深く掘り(1メートル以上)遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。
´エンディングセンターが2004年「都市型樹木葬」として東京町田いずみ浄苑内に「桜葬」
´その後「樹林葬」とかさまざま理念なき世界に

岩手県一関市 知勝院樹木葬墓地(写真)

エンディングセンター樹木葬 桜葬(写真)

千葉県袖ケ浦市 真光寺里山葬(写真)

以上。

資料をきちんと説明するなら180分かかるので途中省略しながらである。

後の質問では週刊文春の「ビル型納骨堂の利点と難点」について質問された。
私の見解は明確である。
「全部とは言わないが、ほとんどが理念より事業、もうけを目的としており薦められない。また永続性ということでも疑問がつくところが多い。基金などつくって運用しているかチェックが必要だろう。」
というものである。

永代供養墓の選択基準についても質問された。
「3万円から90万円まであるが、安ければ良識的ということでは全くない。全国に数は多いが、理念がなく、無縁塔の衣を替えただけのものが8割といっていい。死後を託すのだから託す信頼がおけるか見極める必要がある。」
というのが回答。

 




2017年12月 7日 (木)

老化、自然死をどう考えるか―Q&A③

死について「おまえはどう考えるか?」と質されると、一般論の解説では済まない。
ここは素直に自分の考えを言わないといけない。

③老化、自然死をどう考えるか?-Q&A③



Q
医療の発展により長生きできることは良いことなのか。
「当然」と多くの人は答えますが、医療費の増大がこれからの子どもたちに負担になることを考えると、老化自然死をど
う考えますか?
(私の場合は老化とともに死を迎えたい)

 

A

ここで「老化」「自然死」について解説することはしません。

人のいのちは自分では左右できません。
そもそもベッドの上で死ぬかさえもわかりません。
どんな事態が自分を襲うかは予期の範囲を超えています。

昔の人は6070歳を「寿命をまっとうした」と考え、そこまで生きることを熱望しました。

今や8割以上の人がその理想を実現する社会になりました。
私も「古来稀なり」と言われた70歳を超えました。


私は先立った友人たちのことを考えると、すでに自分は「余りの人生」に入ったと自覚しています。
これ以上の長寿は望んでいません。
ですから病気になっても、生活の質を犠牲にした延命治療を拒否することを広言しています。


しかし、いつまでかはわかりませんが、今生かされていることは大切にして、死に急ぐことはしません。

私は大きな病はありませんが高血圧、うつ病等を抱えています。
必然的に投薬しており、医療費は使わせていただいています。
医療費を使うこと自体子世代へ負担をかけること、と頭では理解していますが、投薬を拒否するほど潔くはありません。


私は個室入院を希望しない、保険対象外の治療は選択しない、と自分では決めて、家族にも伝えています。
しかし、外出中に突然発症し、救急車で運ばれたら、望まなくとも何らかの救命処置が施されかねません。
そうなるかもしれません。

自分の終末は自然に任せようと思っています。
特に終末に臨んでの過度の栄養補給は拒否します。

従妹の終末期、栄養補給でブヨブヨし、見舞っては脚を摩っていました。
しかも腐敗しやすいですから。


在宅治療へのこだわりもありません。
家族の負担もありますから、かねあいで無理はしない、という考えです。

多少の希望はありますが、家族を拘束することは意図しません。
自分の終末期がどんなか自体がわからないのですから。

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