社会

2018年11月12日 (月)

『現代用語の基礎知識2019』が出た

■自転車を買った

一昨日、自転車を買った。
変哲もない普通の自転車だ。

これまで家にあった、これも変哲もない自転車が壊れていた、ということも理由だ。
もう一つは、はるか昔、高校生時代以降乗っていなかった自転車に乗ろう、と思い立ったのが理由だ。

中学時代、国道の坂道を目を瞑って降りる、という危険な遊びをした、という古層に近い経験があるので、易しいものと思っていた。
50
年を超える長い空白時代を経て乗った自転車は、すぐ慣れはしたものの、老いた者にとってはいささか安定性を欠く乗り物だった。

そこで昨日、「練習」と、歩けば2025分先の井荻駅まで走ってみた。
往復わずかな時間、閉じこもることの多い身としては、さわやかな風を感じて走る楽しい時間であった。
自転車にも少し慣れた。
車では「揺れる」など感じることもないが、自転車は初動時に揺れる。
動き出せば「安定」する。

私は、いわば「初心者」なので、交差点、交差点ではいったん休止する(それが交通ルールに則った正しい乗り方なのだ)が、多くの自転車乗りは、ろくに見ないで、休まず走る。
車に乗っている時、自転車はこわい、と思っていたが、ほんとうに「怖い」走り方をする。

いなかの長い一本道と異なり、小路は特に交差点が多い。
自転車であると、漕いではすぐ交差点。
車と異なり、一方通行も無視だから、どこから車や自転車が来るやもしれない。
それなのに、平気で交差点をわたる。
あまり人の通らない小路では、「だいたい安心」という気があるのだろう。
自転車自体が安定性を欠くが、乗り手の意識が危険である。

 

■現代用語の基礎知識


さて先日、『現代用語の基礎知識2019』が送られてきた。
昨日の朝刊に出版広告が出たので報告しておく。
2019
私が「葬送」というページ(現在3ページ)を担当するようになったのは正確な記憶がない。
手元にある原稿データで最も古いのが2006年。
それが最初だとすると12年間書き続けてきたことになる。

もちろん、毎年少しずつ改訂するのだ。
サラから始めるわけではない。
編集部が新聞、雑誌の新語とおぼしき用語関連記事の切り抜きを送ってくれる。
それに私の調べを加え、掲載語を決める。

最初は見開き2ページだった。
読者のことを考え、フォントを大きくするにつれ、掲載語も解説文字数も少なくなった。

担当するにあたり、基本語はできるだけ外さないようにしている。
「新語」を追いかけては理解できないことが多いからだ。
最初に担当するにあたり、担当外のカタカナ語などの間違いも修正してもらったことを記憶している。


2007
年版の記載を抜粋しておく。

いのちがなくなること。古代の日本人は身体から霊魂が遊離してしまうことを死と理解した。現代の人間の死は医師が判定するとされている。医学的な死とは細胞にいたるまでの死ではなく、有機的全体としての個体として生命活動がやんだと判断されることを言う。現在は心臓死脳死2種類による判定がある。心臓死は、①呼吸の停止、②心拍停止、③瞳孔散大・対光反射消失、の3点の不可逆的停止を判断して死亡を判定。「不可逆的」とは元に戻ることがない、という意味で蘇生の可能性がないということ。脳死は、脳の機能が失われたことをもって判定される死。臓器移植カードなどで本人が脳死判定に同意し、家族も同意した場合に行われる。従来は脳死と心臓死の時間的差はあまり問題ではなかったが、医療技術の進歩により人工呼吸器(レシピレータ)が開発され、脳死に至っても心臓は動き血流が身体を回るという現象が生じた。脳死に至ると人工呼吸器をつけても通常で1週間程度、長くても1ヶ月程度で心臓死に至るとされる。2つの死の概念が出て、どれをもって個体の死とするべきか議論がある。

自宅死

自宅での死亡が減少し、病院での死亡が一般的となっている。その推移を見ると、1952年には自宅死は82.5%あったが、73年には50.2%となり、2004年には12.4%にまで減少した。自宅での家族による看取りが少なくなり、生活の場から死が切り離される傾向にある。今後は介護保険による在宅介護、在宅ホスピスの普及により自宅死も見直される可能性もある。

死後の処置

医師による死の判定直後に行われる遺体に対する清浄、傷口などの処置、衛生的処置、着替え、死化粧などを言う。「清拭」とも言われ、現在では病院死が多いことから、看護師など医療関係者の手で行われることが多い。近年では「エンゼルケア」とも言われることがある。在宅死の場合には訪問看護師あるいは葬祭従事者が行う。葬祭従事者が行うものは「納棺」と言われ、遺体に清拭を施し、死装束に着替えさせ、死化粧を施す。「湯灌」とは現代では遺体を浴槽に入れシャワー洗浄するものを言う。

エンバーミング

日本語で「遺体衛生保全」と訳される。遺体を消毒・防腐・化粧・修復する処置。胸部または大腿部の動脈を小切開し、防腐剤を注入し血液を静脈から排出する。腹部も小切開し、ガスや腸の内容物を排出し、防腐剤を注入する。目や頬、傷口を修復する。半永久的保存も可能。2時間程度の簡易処置でも処置後10日間程度は腐敗などの遺体変化が生じない。北米では遺体の9割に処置される。日本では1988年に導入され、現在25ヶ所で実施し、年間14千体。遺体の海外移送にはエンバーミングを義務づける国が多い。2004年から日本でも民間団体であるIFSA(日本遺体衛生保全協会)が技術者エンバーマーの養成、資格制度を開始した。医科大学解剖学教室における献体遺体の保存においてもこの手法は用いられている。

献体

医学部や歯学部の学生の教育のために行われる解剖実習に死後の遺体を供することを無償で行うこと。生前に自分の意思で家族の同意を得て大学に登録しておく。献体遺体に対する解剖を「正常解剖」と言う。解剖実習後は大学の責任で火葬され遺骨は家族に返還されるが、引き取り手のいない遺骨は大学の責任で合祀墓に納められる。

斎場

葬儀をする場所のこと。昔は臨時に設営されたが現在では常設の建物の斎場(葬儀会館)が現れている。2005年現在斎場(葬儀会館)で行われる葬儀は69.4%となっている。葬儀は一般的には自宅で行われることが多かったが、90年代以降に全国各地で葬祭事業者による斎場建設が進み、今や斎場葬が主流となった。2000年以降、病院からの遺体の自宅への搬送・安置が急激に減少した。火葬場のことを「斎場」とも言うが、これは火葬場に式場を併設した以降の戦後の用法。

祭壇

告別式用の装飾壇のこと、昭和の前期に大都市で現れ、60年代に全国で用いられるようになった。仏式で主として使用される上部が宮型、寺院建築風の装飾物は昔の葬列で用いた輿(柩を運ぶ道具)が変形したもの。現在では葬儀式の法要・礼拝のための装置という意味と死者を弔うための表現装置という意味があり、後者の比重が大きくなっている。現在では生花祭壇が隆盛となり、中には祭壇抜きの葬儀もある。葬儀が個性化する中で大きく変容している。

葬儀

葬送儀礼の略。死後の通夜・葬儀・火葬から喪と続く一連の死者を弔い、葬るための儀礼を言う。「葬式」とも言う。葬儀式(死者を送るために行われる主として宗教儀礼)と告別式(死者に別れを告げる社会儀礼)とが並行して行われる葬儀・告別式方式が主流であったが、近年は通夜への会葬者が多くなり、通夜・告別式方式が主流となってきている。東北地方等、葬儀式に先立って火葬を行う骨葬方式もある。

家族葬

家族中心に営まれる葬式のこと。日本のこれまでの葬式は地域共同体や勤務先等のコミュニティ中心で、対社会的に営まれてきた。これに対して近親者だけでの社会に閉じられて営まれる葬式を「密葬」と言った。95年以降、密葬に代わり「家族葬」という用語が登場、2000年以降に全国的に市民権を獲得してきた。家族葬にも幅があり、家族数人だけによるものから、家族・親戚による30人内外のもの、それに友人・知人を加えた5060人前後のものまである。死者本人をよく知る者を中心としたこぢんまりとした葬儀を呼ぶ。葬儀は92年のバブル景気崩壊後、個人化、小型化の傾向を示している。90年頃の会葬者数の平均は280人程度であったが05年には132人まで減少している。



■「この分野を読む」2012年版


011
年の東日本大震災が契機だったろうか、用語解説に加えて「この分野を読む」を毎年新規に書くことになった。
2012
年版(2011年秋刊行)は以下。

 

【この分野を読む】

●死者・行方不明が2万人を超える東日本大震災の特徴は、大津波により瞬時に死と生が分かたれたことである。人命救助活動は翌12日には終了。その後の遺体捜索・収容作業が難航。直後は1万人を超す行方不明者が出た。海上、崩壊建物下、原発事故現場付近さえ捜索が実施されたが、今なお多くの行方不明者が残る。1カ月後以降に発見された遺体は一部白骨化し腐敗が進み、身元確認は採取されたDNAや歯型によって行われている。自衛隊・消防・警察・宗教者・葬祭業者の徹底した死者への敬意、弔いは記憶されていい。また行方不明者に対する死亡届は特例として家族の申述書により提出可能となったが、家族の多くが自らの手による死亡判定に困惑している。

●被災地の火葬場は小規模が多いうえに停電等で機能停止。多くの遺体は遠隔地の火葬場に送られた。火葬が進まないために公衆衛生上保全が困難な遺体は2年を期限に仮埋葬された。だが、火葬が進むと仮埋葬は中止、埋葬された柩も掘り起こされ、再納棺の後に火葬されている。

●自死(自殺)者数年間3万人台が13年連続。各自治体や宗教者が自殺予防に積極的に取り組むが、自死を「いのちを大切にしない」とする見方も依然多い。多くはさまざまな事情で精神疾患を伴う「追い込まれた死」との認識は徹底していない。被災地では有意に自死が増加している。

●孤独死や引き取り手のいない遺体も依然として多い。家族のいない人は「孤族」とも言われる。終末期や葬送面からも家族、親族関係が弱まるにつれ、血縁に依存しない人間関係づくりが課題となっている。

●超高齢社会となり増大する高齢者の医療費を軽減しようと、家族意思による「尊厳ある死」を政府が推進するなど、人の死が経済効率の対象となっている。

 

2019年版「この分野を読む」

新しい『現代用語の基礎知識2019』の「葬送」編の「この分野を読む」は以下。

「人生90年時代」といわれる超高齢化、一般世帯の3分の1を占めるに至った1人世帯の増加、格差社会化等の社会、家族の大きな変化が人生の終末期およびそれに続く葬送の分野にも大きく影響を与えている。

 終末期医療においては、平穏死、自然な死願望が強くなっている。だが在宅医療、介護の需要が高まる一方、地域医療、介護体制の整備は遅れ、家族の介護負担の大きさから、個別事情に応じた病院、施設、在宅という看取りの選択の多様化、自由が主張されている。
 ターミナルケアについては、WHO (世界保健機構)が本人のケアに加えて家族のケアの必要性を説いているが、介護離職の深刻化もあり、家族の事情へのきめ細かい考慮や対策も社会的課題となっている。

 また、増加する単身者への社会的対応は充分ではない。単身者は入院保証人にも苦労し、看取る者がいなくひとり死する者は推定年間3万人、遺体の引き取り手がいないケースは推定年間6万件以上。

 自治体は、引き取り手のいないひとり死が増加し自治体負担費用が増加し財政を圧迫していることから、横須賀市が開始した生前に単身者が死後事務プランを策定、契約しておくエンディングプラン・サポート事業に多くの自治体が注目、追随している。

 葬儀の個人化、多様化は進み、葬儀の小規模化は都市部のみならず地方部でも明確に認められる。葬儀観が多様化、分裂したことに加えて、80歳以上の死者の割合が6割を超えた。死亡年齢が高くなるほど会葬者が少なくなる傾向が明確に認められる。

 他方、2011 年の東日本大震災以降、14年広島土砂災害、16年熊本地震、18年西日本豪雨災害、北海道地震と各地で大小の自然災害が発生、多数の死者、行方不明者を生んだ。人命救助対策が主だった災害対策に遺体対応の重要性がようやく認識されるようになった。

『現代用語の基礎知識2019』本体では「人生100年時代」としているが、私はデータからいってまだ早く、女性の寿命中位数が90歳台に入った段階なので「人生90年時代」としている。
署名原稿であるから、私自身の眼も大切にしている。
ちなみに「終活」は以下。

 

▼終活

高齢化(寿命中位数84.08年、女性90.63)、少子化、家族分散を背景に、自身の終末期(医療、介護)、死後(葬儀、墓、相続等)について、エンディングノートや遺言等で準備すること。2009年に週刊朝日が造語。葬祭業者、司法書士、弁護士等との事前相談、生前契約もある。団塊世代が65歳以上となり4割程度が「関心あり」との調査結果があるが、実際に着手しているのは1割未満。むしろ世話する人間がいないまま要介護、終末期、死に至る《高齢難民》が増加し、社会がどう支えるかが大きな課題になっている。

2018年10月30日 (火)

「Good Death」」はないだろうーおごるな終末期医療

「グッドデス(good death)」という言葉が、終末期医療、緩和ケアにおいて今注目を浴びつつあるようだ。
これを最初に目にした時、思わず「バカな!」と思った。

この用語は、提唱者の意図と異なるだろうが、死に方に「良い死に方」と「悪い死に方」がある、という価値区分を与えかねない。
ある意味で危険かつおこがましい用語であると思う。


「グッドデス」は2000年頃に米国で誕生。
日本語では「良い死」と訳さず「望ましい死」と訳されているのはそれなりの配慮だろう。
この用語の意味は、終末期医療の見直しを医療者側からではなく、患者本人、家族側の視点から患者、家族、看護者、介護者に対して調査し、その重要要素を客観的に測定し、終末期医療に活かそうという点にある。

それなら「グッドデス」などというセンセーショナルな用語にせず「終末期医療の患者、家族の視点での検証」くらいでいい。

考えてみれば「望ましい死」という訳語も充分にうさんくさい。

研究者は、患者等の側から「生の終末」のあり方を考えるべき、という「善意」で使用しているのだろうが、人間の死全体への考察、配慮を著しく欠くものとなっている。


そもそも世の中には災害、事故、犯罪、戦争のみならず子どもや若年者の死、自死、薬物死、突然死、感染症による死等々「望まれない死」で溢れているではないか。

終末期医療においてさえも、充分な看取りを医療以外のさまざまな要因でできなかった、できることを許されなかった事例で溢れているではないか。
「終末期医療に限る」とはいえ「good death/グッドデス」はあまりに無神経な用語である。
また、それに乗る方もどうかしている。


ターミナルケア(終末期医療)に決定的方向性を与えたエリザベス・キューブラー・ロス『死の瞬間』が発表されたのは1969年である。
「キュア(治療)よりケアcareが必要なことがある」という指摘は深い説得力があった。
「死」は医療という囲いの中のものではなく、「人間の死」だという本来性を示してくれた。


日本で延命治療全盛期に「尊厳死」をリビング・ウィルとして提唱されたのが1981年(前身の安楽死協会は1976年)。
老化による身体的機能の低下も人間にとって自然なこととし、終末期には過剰な栄養補給をせず、できるだけ自然で穏やかな医療を、と「平穏死」が
石飛幸三、長尾和宏らによって2010年以降に提唱されている。


キューブラー・ロスや尊厳死は、末期がんその他重篤な病の終末期にあって、治療には限界があることを認め、終末期患者への治療以外の選択肢をも促すものであり、平穏死あるいは自然死は高齢社会を背景として、人間は経年により衰えることが自然という当たり前のことに気づかせ、高齢者の終末期医療の見直しを提唱するものであった。


これまでの動きはそれなりに医療のあり方を問うチャレンジ精神にあふれていた。
むしろ人間の生にとって医療は部分的なものであることを明らかにしてくれたように思う。


人間は死ぬ定めにあるが、どう死ぬかはわからない。
さまざまな死が予期、計画を超えて起こる。
そこには良い死も悪い死もない。
また死に方だけでその人の生が評価されるわけではないのだ。

2018年9月28日 (金)

格差社会の葬送、寺院・教会

人口動態統計の最新の発表等があったため、それらの紹介を兼ねて、本日「も」長い。

 

■「人生90年時代」の到来と少子多死社会の伸び

 

平成29年(2017)簡易生命表によると、平均寿命(0歳児の平均余命)は、男性81.09年、女性87.14年と前年比0.1年伸びた。
1960
(昭和35)年が男性65.32年、女性70.19年であったから約60年間で1517年伸びたことになる。
より実感に近いのは寿命中位数である。
「寿命中位数」とは、「生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数」のこと(それまで半数が死亡することと同義であるが)。
寿命中位数では、男性84.08年、女性90.03年となっている。
女性が90年を超え、「人生90年時代」の到来である。

でも、これを寿ぐ雰囲気ではない。

9
21日に97日付の「平成29年(2017)人口動態統計(確定数)の概況」が公表された。それによると、
出生数は前年より約31千人減少して946065人。
死亡数は前年より約3万3千人増加して134397人。
人口の自然減は拡大している。
※出生数が100万人を割ったのは2016年、死亡数が100万人を超えたのは2003年。出生数は19471952年まで200万人を超えていた。その世代がすべて65歳を超えた。

他方、まとまり調和した社会を謳った日本社会も1991年のバブル景気崩壊、2008年のリーマン・ショック(金融恐慌)を経て分断が進んでいる。
1970
年頃には高度経済成長を背景に内閣府の調査で自らを中流と意識する者が9割となり「1億総中流」と言われたが、今や「格差社会」である。

 

■「高齢者」の定義

 

実感として言うならば、別の言い方をすれば「私の個人的な体験に基づく極めて個人的な感想」であるが、60歳の定年は早い。

私は65歳を過ぎて、急に体力が落ちた。
あくまで「実感」にすぎないのだが、65歳定年が適切であろう。

だが、これも個体差が大きい。
65
歳を過ぎても元気に働ける人がいる。
意欲も高く保っている人がいる。
そういう人は積極的に用いないと資源の無駄遣いになる。

65
歳定年がうたわれているが、いまだに60歳定年が多く、後は65歳まで1年更新の再雇用制度が多い。
給料は2分の1
3分の2に減って。
同じ仕事をする能力があり、同じ仕事をしているならば、同じ給料払っていいではないか。

これまで一般的に「現役世代」より「高齢者世代」が相対的に裕福であった。
だが高齢者世代にも変化が見える。
大雑把に言えば4分の1が「貧困高齢者」である。

今は「高齢者」とは65歳以上を言うが、6574歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と言う。
今この75歳以上高齢者が増加していることから、年金支給、健康保険負担の問題もあり、行政は「高齢者」の定義を70歳あるいは75歳以上に変更しようと画策している。

20171月、日本老年医学会は、高齢者の定義が65歳以上であるのは、個体差はあるものの現状に合わないとして、6574歳を「准高齢者」、7589歳を「高齢者」、90歳以上を「超高齢者」と区分することが妥当、とする提言を発表している。
※プロ野球では内野手の松井稼頭央(西武)が引退を発表したが42歳。同じく現役引退を発表した投手の浅尾拓也(中日)は33歳。プロ野球では30歳を超えると「ベテラン」で、40歳を超えての現役は一握り。人間の身体能力はそうしたものなのだろう。だが、社会的に引っ張っていく世代は30代、40代、50代中心であるのが健全だと思う。ところが企業では、スポーツ選手もどきに、40歳前後でふるいにかけられることが横行している。子どもを育てる世代が苦境に陥っているのも「子どもの貧困」の一因。

■国民生活基礎調査で見る所得格差

 

「国民生活基礎調査」によると、1世帯あたりの2016年の所得では次のようになっている。平均所得金額は500万2千円であるが、中央値はもう少し下がって442万円。
所得分布を見ると、

 

平均所得金額を上回るのは、5001000万円31.7%、1000万円以上が12.6%の約44%と半数未満。
平均所得金額が500万円未満は55.6%と過半数を超える。
これだけではない。
500
万円未満を見ると、
300
500万円が24.6%、300万円未満が31.2%を占めている。
上と下に分れ、下が多くなっている。

 

2017年時点の生活意識調査で見ると、

 全体では
「大変苦しい」が23.8%、「やや苦しい」が32.0%と合わせて過半数を上回る55.8%となり平均所得金額以下の割合とほぼ同率。
「高齢者世帯」では54.2%であるが、「児童のいる世帯」が58.2%であり、「子どもの貧困」が裏付けられる数字となっている。
「大変苦しい」では、より明確で「全体」が23.8%なのに対し、「高齢者世帯」は所得が少ないにもかかわらずそれを下回る220%(資産が関係)であるが、「児童のいる世帯」では4分の125.1%となっている。

多いのは「普通」で32.0%であるから半数はもとより3分の1に届かない。
「ややゆとりがある」は4.3%、「大変ゆとりがある」はわずか0.7%。
1000
万円以上が12.6%であるから、実際のゆとり層はもう少し多いはずだが。

日本の世帯状況は、大雑把に言えば、
1
割強の「富裕」層、3割強の「普通」層、2割強の「普通以下」層、3割強の「貧困」層に分れている。
これだけの格差のある社会だ、ということになる。

※だから「平均葬儀費用」「平均布施額」などというデータは意味がなく、消費者がそれに踊らされる必要もなければ、実際踊らされるわけがない。

■格差社会と葬送、寺院・教会


1991
年のバブル景気崩壊、2008年のリーマンショック以降、日本国内においても経済格差が深刻になっている。
一時は「総中流」と言われたが、今やすっかり瓦解。
一部の者たちへの富の集中は進み、その他との経済文化には大きな開きが生じている。

テレビコマーシャルを見ても、富裕層対象とそうでないのに二分化している。
富裕層対象商品、サービスは、はなから富裕層以外を対象としていない。

貧困層は明らかに拡大している。
近年、多くの寺やNPOが「子どもの貧困」に着目し、「子ども食堂」を開く事例が増えているが、頭が下がる。

近年の葬送の変化は、単身世帯の増加等の社会変化、戦後70年以上を経過した個人の意識の多様化もあるが、経済格差の拡大も大きな要素となっている。

葬儀総費用については、おおまかに言うならば、次の3つに分かれる。

・補助なしで葬儀を営めない層から50万未満の葬儀がせいぜいとする層が3割
50200万円とする層が4割

 

200万円超でも平気とする層が3

「平均金額」などは無意味である。
富裕層がたくさん消費すれば「平均」は上がる。

葬祭業者を見ても、平均葬儀単価が100万円以下と150180万円に2分化している。
1990
年頃の200300万円が「平均」だった時代とは明らかに異なっている。

今でも「平均葬儀単価」は140150万円である。
中央値は100120万円だろう。
しかし、この数字をまったく消費者は参照する価値がない。
0~50万円の層が70万円だと言われたら「高い!」と思うのは自然なこと。
200
万円超が平気な層は180万円だったら「良心的、安くついた」と思うだろう。

中にはお金があっても死者のための支出は無駄と考える人間もいる。
それも一つの現実ではあるが、
「葬儀費用が高ければ供養心が高い」なんてことはない。

寺院へのお布施も当然ながら異なる。
寺院の檀信徒にもいろいろな層がいる。
10
万円がせいぜいの檀信徒も少なくない。
100
万円以上普通に出せる檀信徒もいる。
これらを平均して2030万円になる。
「平均」というものがあるわけではないのだ。
いろいろな層があって、結果として平均金額を算出すると2030万円になるのである。

低額な布施を出す檀信徒が増加していることを「宗教心の低下」と結論づけるのはやめたほうがいい。
そもそも「出せない」層が増えている。

都会の大寺院はブランド化して富裕層が多い。
だから平気で70万円以上を提示する。
それに比して、圧倒的多数の地方寺院は、檀信徒が流出して数も減り、高齢化が進み、負担できる金額は明らかに減少している。
「ほとんどが10万円」と言う地方寺院も多い。
「イオンのお葬式」で「お布施金額の目安」が15万円と聞くと、「うちより高い」と言う地方僧侶は少なくない。

「自立」が困難な寺院は増加一方である。
これは仏教寺院に限った現象ではなく、キリスト教会においても言える。

都市部(だけではないが)の仏教寺院、キリスト教会で今問題になっているのは、檀信徒、教会員に単身高齢者が増加していることである。
こうした寺院、教会内の単身高齢者の世話、サポートで忙しくしている住職、牧師、神父は少なくない。

もっともこうした問題を内包しながら、その現実を見ようとしていない住職、牧師がより多数派であるのが残念である。

 

2018年9月24日 (月)

人生は統計どおりにいくわけない

 

「人生90年時代」と言われる。
(「100年時代」と言われることがあるが、少し早すぎ)
女性の寿命中位数(過半数が生存する年齢。出生者のちょうど半数が生存すると期待される年数)が、90年を超えたからである。

 

最新の簡易生命表(2017【平成29】年)によれば、寿命中位数は男性84.08年(平均寿命81.09年)、女性90.03年(同87.26年)となっている。

以下の原稿は201612月に書いたので、雑誌掲載は20172月頃であろう。
※データは執筆当時。

・・・・・・・・・

今、私は71歳を目前にしている。

 

この年齢、いささか中途半端である。
80
歳を超えた先輩からは「まだまだ若い」と言われ、50代以下の人たちからは「賞味期限切れ」「老害」と言われる。

 

「高齢者」という枠組上も中途半端である。
75
歳以上は「後期高齢」で立派な高齢者扱いだが、「65歳以上75歳未満」は「前期高齢」とされて「高齢者予備軍」扱いである。

 

データで見てみる。
最新の「平成27年簡易生命表」によるならば、「平均寿命」と言われる0歳児の平均余命は男性80.76年、女性86.99年となっている。
戦後最初の昭和22年には男性50年、女性54年であったから、この70年で日本人の寿命は30年も伸びたことになる。

 

「寿命中位数」というのもある。
「生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数」のことであり、これでは、小数点以下を四捨五入するならば男性84年、女性90年になる。

 

私が後何年生きるか?というのは平均的な予測では1416年である。
ところがこれはあくまで統計上の話に過ぎない。

 

人生は統計上の推測どおりにはいかないのだ。
私の中学の同級生の約2割はすでに人生を終えている。
早い者は10代で死んだ。
40
代からがんで死ぬ者が多くなった。
この1年間に死亡した同級生は10名近くいて、その7割は女性であった。
女性が長生きなどとは決まっていない。

 

女性の寿命中位数が90年ということは、90歳には同年の人の半数がすでに死亡しているということだ。
そして生きていても80歳台になると認知症になる可能性が急激に高まり、あくまで平均的な話だが、85歳を超すと要介護の生活になる可能性が高まる。

90
歳を超えても、100歳を超えても元気な人はいる。
「健康」はブームでテレビや雑誌でも関心が高い。
しかし、誰もが元気な高齢者になるわけではない。

 

私の母は3年前に98歳で死亡した。
長寿だったが、10年以上を認知症で要介護の終末期を送った。
そして1年後に母を看取った姉が72歳で死亡した。
その1年前には従妹が62歳で死亡している。

姉も従妹も死亡の約1年前の健康診断でがんが発見された。
すでに後期のステージⅣで、従妹は13ヵ月後に、姉は11ヵ月後に慌ただしく死んでいった。

 

従妹、姉、同級生の死を経験すると、71歳の自分が生きているのは、たまたま、運でしかないと思う。
同年代や年下の者の死は何とも辛い。

 

小児がんで子どもを亡くした親の集まりに参加したことがある。
子が15歳で入院し20歳で死亡した親は、10年経過しても子の死をきのうの死であるかのように想い、心を傷つけていた。

死亡後の喪は1年とは決まっていない。

 1ヶ月後に早々と死者を忘れる人もいる。
他方、10年経過してもまだまだ喪の最中にいる人もいる。

 

従妹、姉の終末期の1年は、私にとって濃密な時間であった。
死亡後は、しばらく虚脱感から脱せないでいた。
私は今死を刻んで生きている。

2018年9月14日 (金)

「終活ブーム」の底にあるもの

「人生90年」時代に突入した。
明治期までの「人生40年」の倍、統計的な話ではあるが、「人間の一生」は長くなった。

子どもは、6歳で小学生、12歳で中学生…と成長のめどがある。
しかし、高齢者には「いつまで」というめどがない。

私は「たぐいまれ」と言われた古希を過ぎた。
正直なところ生きるのにいささか疲れている。
「もう、いつでもよい」という想いだが、こればかりは自分では決められない。
学生時代に同級の親友に死なれて以降、元々執着心があまりない人間であるが、4年前に姉を72歳で亡くして以降、ことさら自分の生へは一切執着はない。

※こんなことをすぐ言ったり書いたりするものだから、「元気だして」「まだまだ長生きして」とかの励ましを受ける。身体も今のところ元気だし、別に死に急いでいるわけではない。若い人に「70年よく生きましたね」と感心されたが、幸運か悪運かは知らず、生死の境を彷徨う病気等を経験したことはなかった。とりわけ健康に留意して生活したわけではなく、徹夜、深酒等と健康に害あることはたくさんやった。「がんばって生きた」訳ではない。生存という意味ではなんとなく生存という結果になっている。生きている以上、私は「書く者」だから、あっちこっちに難癖をつけながら、私なりに考え、私なりに書いたり、話したり、している。
「今の瞬間を生きる」と言うつもりもない。普通に生きている、今のところは。「生」に過度の思い入れをもたないのは、死者のことが常に私の頭にあるからだ。

よく、尊敬された老僧がいざ自分が死ぬとなると恐怖に怯えた、という話がされ、「人間いつになっても死は怖いものだ」と死と恐怖を結び付けて話されるが、いささか疑っている。

私も姉の年齢を超えた。
72
年も人生を生きていると、さまざまな死、親しい人との別れを体験せざるを得ない。
私もそうであった。
とりわけ辛いのが、同年輩や自分より若い者の死。

叔母は当時91であったか、72で死んだ姉の死の様子、葬儀の模様を報告しに行った時、「なんで年寄りの私が生きていて、ユコちゃん(姉のこと)が死ななくてはいけないのよ」と宙を睨んで呻いていた。
その叔母も死んだ。
私の親世代は昨年に母方の叔母が死んですべてこの世を去った。
だが、子世代でも2人、親世代に先行して死んでいる。

姉の死で思ったことは、死ぬ者もさまざまな解決できない想いを残してであろうが、遺される方がきつい、ということであった。
貧乏くじを引いた感をしていた。

日本は「超高齢社会」にあり、私もその高齢化率を高める要因となっている。
高齢者相手の犯罪も増加、高齢者の犯罪割合も増加、貧困高齢者も増加、そして高齢者相手のビジネスも盛んになっている。
その一つが「終活ビジネス」だ。
「単身世帯」が増えれば「おひとりさま向けビジネス」が盛んになる。
ビジネスをする方からすれば変わった話ではない。
人口の多いところを対象にして狙ったビジネスをするのはあたりまえのことである。

だが何かいやなのだ。
いろんなリスクを挙げて、脅かし、怯えさせる商法に見えるのだ。
親切、優しさで言ってくれているのかもしれない。

しかし、偏見なのだろうが、そうは思えない。

2
年前に当時の赤堀編集長から『ソナエ』に連載の話があり、与えられたコラム名が「終活の喝!」であった。
笑ってしまったが、こちらはお席に招かれたらありがたくうかがう身。
1回を「終活ブームの底にあるもの」とした。

前にも同じようなテーマで書いている。
私も「終活」をテーマに週刊誌等で書いているから、大きく言えばブームを煽っている立場の人間に入るのだろう。
だが、どこかで醒めて見ている。
そうした私が書いた記事である。

碑文谷 創の「終活」に喝!

「終活ブーム」の底にあるもの

 

「終活」は、2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得た。


「終活」という用語は週刊朝日による造語。
主として葬儀や墓について考えようという主旨の連載だったと記憶している。
だがこれに葬送以外の司法書士、保険やらの事業者がわっと飛びついたのは2011年夏に公表された経産省「ライフエンディング・ステージ」に関する研究報告が契機であった。


省庁が終末期医療、介護、遺言、エンディングノート、成年後見、介護保険、葬儀保険、葬儀、墓、遺族の死別による悲嘆、遺産相続等の死後の事務処理その他の人生の終末期~死後を一連の流れとして提示し、その課題を提起した最初のものであったろう。
終末期医療や介護は既に大きな問題としてあったが、その後の遺族の抱える問題までを一環として捉える視点のものはなかった。


日本は高齢化率が世界一の超高齢社会となったが、過去の基盤であった家族、血縁、地域共同体が弱まり、個人が周囲のサポートが得られにくくなり、行政もそれを充分にサポートするだけの人も金も不足するなか、社会的にどういうサポート体制を築くべきかの民間への問題提起としてあった。


終末期、死、死後…は人としては一連の流れの中にあるのに、それに係わる業界は分断され、横の繋がりに欠けている。
情報は氾濫しているがその質に問題があるものが多い。
当事者はどれが適正な情報かの判断がつかず、最も重要な自由意思に基づく判断・選択が困難な状況に置かれている。

隣接する専門家同士が問題意識を共有し、ネットワークを構築し、生活者のサポート体制を構築することの必要性を説いた。
私も報告書作成に数回徹夜するほど深く関与したので、報告書が評価されたことはうれしいがその後の動きにはいささか心配である。


死の問題は戦後、特に高度経済成長期以降、長く敬遠、忌避されてきた。
ようやく注目されるようになったのが、1985年以降。
がんを中心とした終末期医療のあり方がまず問題となった。

その後の進展は速かった。
高齢化が進み、家族、地域社会は急速に弱体化した。
伝統的家の象徴である墓も継続性が疑問視されるようになった。

この遠因は日本社会の興隆期とも言うべき高度経済成長にあり、急速な人口移動による地方の地域共同体の弱体化・崩壊、核家族化の末路としての家族解体と単身世帯の増加を結果した。
しかも高齢化がここに加わった。

8割あった在宅死が2割を切るまで減少し、現実に死に向き合わない家族が増え、リアルな死の認識が欠け、抽象化した。

「個人化」と言うと好ましく聞こえるが、「個人」についての社会的合意のないまま、さまざまな分野で孤立を強いた。
死も例外ではない。


経産省報告書発表以降、錦の御旗にするように、銀行やら保険会社まで、さまざまな人たちが「終活」に乱入してきた。
口あたりはいいが、生活者当人の真の利益なぞ考えていないのではないか、と思われるものがたくさんあることが心配である

(報告)「葬送ジャーナリスト塚本勝の終活探訪記」の第6回に取り上げられた。

https://seniorguide.jp/column/tsukamoto/1142171.html


このブログも長いが、こちらのインタビューも長い。

2018年9月 8日 (土)

「いのち」を考える―生死のつながりの中で

『ソナエ』に2016年末から当時の赤堀編集長との縁で連載記事をもたせていただいた。
2年のお付き合いであった。
現在発売中の同誌の記事をもって連載終了となる。

「終活」をうたう一般の人向けの発言、というのは私としては得意ではない。
実践的に行政や市民団体との関係で係わることはあったし、それは終末期の問題から死後事務まで幅広く学んできた者の責任であると思っていた。
事実、当初は終末期医療、介護、葬儀、墓、遺言や財産相続、死後事務が独立しており、相互に知識を共有することはなかった。
行政の研究会に参加しても、全体を理解している者はほとんどいなかった。

松島如戒さんがもやいの碑を立ち上げ、会員の要望からその前の葬儀等の死後事務を扱うりすシステムを立ち上げ、その後会員の要望から単身者の入院保証等の生前支援にまで関係するようになった。
業界としての事業分野は異なっても、一人の人生を考えると一連のものである。

15
年以上前であるが、ある終末期医療の研究会から「葬儀の話を聞かせてほしい」と講演の要請があった。
その要請の基になったのが看護師さんたちの「死亡退院した後の遺体、ご家族の様子を知りたい」という関心であった。

看護師さんたちは患者とその家族に接し、看護業務を行っている。
死亡退院したから終わりとは割り切れない想いを抱いている看護師さんが少なくない。
中には、病院から有給休暇をとって葬儀に参列している看護師さんもいるという。

但し、私に講演依頼するのに反対した人たちがいたという。それは医師たちであった。
「尊厳ある死」を迎えさせるために熱心な医師も、関心はそこまでで、死者、遺族となった家族についてはいささかも関心を示さなかったという。
時代も変わったから、今では「遺族外来」を始めた大西秀樹医師(埼玉医大)の例も現れたから、大きく変化しているのだろう。
幸い、看護師さんたちの声が大きく、私は講演することになったし、講演後に相次いで質問にきたのは看護師さんたちであった。

ターミナルケアにおいては、WHO(世界保健機構)も、患者のケアに加えて家族のケアの大切さを唱えている。
医療機関では、そこまでの支援は現実的に困難なようだが、心を砕いている看護師たちは確実にいる。

最近では、実践的に葬送から介護に足を伸ばした吉川美津子さん、医療の現場から葬送の現場まで幅広く取材研究している小谷みどりさん、防衛問題のプロでありながら終末期医療、葬送の現場を、丁寧に取材を積み重ねている毎日の瀧野隆浩記者のような優秀な人たちが出てきている。
私は今や彼らに学ぶ立場にいる。

場違いな『ソナエ』に私が書いたものを順次紹介するが、最初は最終原稿から。

編集部にしてもそうだったろうが、私にも毎回場違い感があった。
そこで「最終原稿」は少々気負ったものになった。

 

「いのち」を考える―「迷惑をかけたくない」は不遜

 

人間は誰でも死ぬ。それは個体での話。


人類という観点でいえば新陳代謝を繰り返し、人類の未来に生命をつなげている。
そうであれば死は必然であるし、生命の継承にとって必要である。


ある仏教の宗派では、死亡すると「還本国」という。
大きな生命の源に還っていく。
けっして無になるのではない。


人間の大きな生命体は、個体である人の膨大な生死(しょうじ)の積み重ねで繋がれている。
そこで生きた人間個々が小さかろうが、中くらいであろうが、大きかろうが、それぞれが文書化されようがしまいが確かな歴史を刻んでいる。


人間の生は長くて115年、明治期までは平均寿命は40年台。
かつては乳幼児の死亡率が高かったから、この世で言葉をもつ前に喪われた生命もおびただしくあった。


近世以前、有力者、学問や芸術で何ごとかをなした者は歴史文書に刻まれたが、多くの名もなき民衆個々の生の痕跡はほとんどが埋もれたままだ。


それなりに恋があり、新しい生命の誕生を喜び、家族や仲間のつながりで充足した時間があったろう。
またきょうのパンを得るための苦労、飢饉、戦に徴兵され、子の病にとまどい、心配し、多くの生き別れがあった。
感染症は猛威をふるい、災害にも弱く、個々の生命は軽々と奪われた。
そうした悲喜の中でいのちは繋がれ、今もある。


大きな種としての生命を考えると同時に、私は固有の個の生死にこだわる。
それを「名もない」と切り捨てたら、今の私たちはない。


誰でもが死ぬ。
ならばせめていい死に方をしたい、と考えるのも当然だ。
戦後、終末期医療は格段に進歩した。
「死に方が選べる」と期待する気持ちもわかる。

だが他方で、依然として「選べない死」が跋扈し、依然多数派である事実は押さえておいたほうがいい。

突然の死は、その人の未来だけではなく、家族がその人とありたいと思った未来をも奪う。


「人生90年」時代、という超高齢社会に突入した。
最期まで元気でありたい、という願望は痛いほどわかる。
だが、それは一握りの人にしか許されない。

今まで他人の世話もしたろう。
だが、多くの人から世話されて生きてきたのも事実だ。
私個人も他人、家族に「迷惑をかけっぱなし」で今がある。

気持ちはわからないでもないが、「迷惑をかけたくない」と思うのは不遜である。


死亡する前でも多くの支えが必要だし、死亡したら、いくら計画や準備をしても、納棺も火葬も、墓への納骨あるいは散骨も自分ではできない。
人が生きるということ自体たいへんだが、死後にも膨大な事務処理が残される。

2018年8月31日 (金)

「暴力」とは何か?

今朝(2018831日)の朝日新聞朝刊スポーツ欄の「視点」(パワハラ疑惑 体操協会が第三者調査へ 「反暴力」揺るがすな)は、何とも言えぬ不快感を感じさせるものであった。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13658205.html?iref=pc_ss_date
そこには「暴力」についての本質的考察を欠いた、「優等生的な常識」「上からの説教」だけがあったように感じたからだ。

日本体操協会が、指導中の暴力を理由に速見佑斗コーチを無期限の登録抹消処分としたことに対し、指導を受けていた宮川紗江が処分の見直しと、同協会幹部からパワーハラスメントを受けたことを訴えている問題で、同協会はパワハラについて第三者委員会の調査に委ねることにした。新たな展開となったが、コーチの暴力の是非はパワハラとは分けて考える必要がある。

 スポーツ指導における暴力は、それを受けた側がどう感じるかにかかわらず許されない。」
という言葉から始まる。

体罰の問題性について
指導上の暴力は、された選手だけでなく、その様子を見せられる周辺の選手をも傷つける。2011年、愛知・刈谷工高野球部の2年生が自殺した経緯を調べた愛知県の第三者調査委員会は「部内で体罰を見聞きしたことなどでうつ病を発症し、自殺の一因となった」という報告書をまとめた。
と指摘する。
これは正当である。
過去のスポーツ界において「指導」と称した「体罰」が横行し、多くの生徒を傷つけたことは事実だし、スポーツ、体育の世界で、それがまだ払拭されていないし、早急に改善すべきはその通りである。


しかし、
「速見コーチが選手をたたいたり、髪を引っ張ったりする行為が繰り返しあった事実を、同協会が第三者の訴えから本人に確認し、処分をしたことは極めて正しく、反暴力の立脚点として揺るがせない。処分の重さが適切か、宮川へのパワハラがあったかどうかは別問題だ。

 幸い、宮川自身、暴力を受けたことを認め、「暴力は認められない」と考えを改めている。
 2012年に大阪・桜宮高男子バスケットボール部の主将が顧問の暴力などを理由に自殺して以降、暴力的指導の根絶に向けてスポーツ界は努力している。それを後戻りさせる論議は避けなければならない。」
とする結論には違和感がある。

問題は「体罰」だけではない。
それだけが優先されるべきではない。

 同時に、指導者の選手のえこひいき、正当性を欠く指導の強制等も同様に、あるいはもっと広く蔓延し、多くの生徒を傷つけてきた事実も早急に改善されなければならず、どちらが先に、という問題ではない。
 そういう意味で具志堅副会長(日本体操協会)が「体質改善」ということを言ったのは正当性がある。

「視点」を書いた記者への私のいらだちは、「暴力」について、「身体的暴力」に偏し、「心理的暴力」の問題性について、どこか鈍感なところが感じられるからだ。
また、暴力案件についても体操協会の調査と宮川選手の発言には差があり、第三者委員会の調査が必要なのに、体操協会の調査をそのまま受け入れていることだ。

「暴力」という言葉は、人間の長い歴史の中で語られ続けてきたが、実は未成熟な言葉で、必ずしも社会的な合意を充分に得ていない。
一般には「乱暴な力。無法な力」と辞書的には解されているが、近年はもう少し幅をもって理解されるようになっている。
例えばウイキペディアでは
暴力(ぼうりょく)とは他者の身体財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待モラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。」
と書いている。

おそらくこう規定するのがいいのだろう。
「暴力とは、他の人間あるいは集団(の一部)が、何らかの行動、言葉、態度、物理的な力を発揮する、あるいは発揮しないことによって、その人間の人権をおかす、おかそうとする、またはおかしかねない事態を招くことをいう」

言葉による虐待、差別、不当な無視・放置や偏見もそうである。もとより武力もそうである。
どれがより酷いか、より優先されるべきかは、常識的に定まる性質のものではない。

極端な事例であるが、親の殺害において、それ以前の親から子への精神的虐待への反発があるものもある。
暴力は状況によって個別に異なる。
暴力には一方的に加害者と被害者に峻別できないケースもある。

広い意味で「暴力」を言うならば、私にも社会、集団、家族に対して加害者である面があり、あるいは加害者になる可能性がある。
暴力は、誰もが無縁ではないのだ。

「視点」の記者を好意的に見るならば、宮川選手の記者会見によってパワハラ問題が大きくなり、パワハラも問題だが、コーチの体罰事案が忘れ去られるのではないか、という危機感があったのかもしれない。
しかし、この記事からは残念ながら、それはうかがえない。

記事から感じるのは、身体的暴力と心理的暴力を区分けする暴力に対する偏見である。
さらに言うならば、自らを暴力と無縁の第三者としてしまう、断罪する側に身をおく、おこがましさである。
週刊誌やテレビに見え隠れする偽善性がここにもうかがえる。

「暴力」かどうか、当事者にはよく見えない。
自分や自分の属する集団には甘くなりがちだからである。
だから「第三者委員会」のようなものが必要なのだ。

以上は、私が記事に感じた違和感を文章にしたものであり、あくまで私の感想に過ぎない。
反論を期待したい。

2018年8月28日 (火)

葬送問題のコンテキスト 「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

このところ紹介すべき本の紹介がしきれていない。
3冊を本の表紙だけ紹介しておこう。いずれも優れた本。出版順に

①星野哲『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書)
Hoshino

②松島如戒『私、ひとりで死ねますか―支える契約家族―』(日本法令)
Matsushima

③瀧野隆浩『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版)
Takino

星野さんは立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者。
松島さんはりすシステム創始者。
瀧野さんは毎日新聞社会部編集委員。
お三方とも私と親しい関係にある。


これからが本文


葬送問題のコンテキスト 
シンポジウム「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

2018
82413001430 エンディング産業展で「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」と題するシンポジウムが開催された。
当日配付資料を100部作製し持参したのだが、少々残ったようなので、90名以上の方が参加した模様。
会場が100人定員だったので、会場はいっぱいになった。

パネリストは、葬送の自由をすすめる会副会長の西田真知子さん、りすシステム創設者の松島如戒さん、エンディングセンターの井上治代さん、そしてコーディネータは当時を知る人間というので私が指名された。
西田さん
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松島さん

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井上さん

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西田さん、松島さん、井上さんの順に各15分ずつに最初に発表した。
全体が90分しかないので、私の進行の不手際があり、ディスカッションの課題として4つ用意したものが、「NPO が果たした意味、意義、問題点」だけで終えた。
私としては消化不良の感があったが、聴く側としては90分という短くない時間であったので、けっして短い時間ではなかっただろう。
そこで「解説」として私が用意し、当日も用いた資料に参考写真を加えて以下に示す。

 

■墓の略歴


★墓地は古来よりある。

★民衆が墓をもったのは室町後期(戦国時代)以降。

★江戸時代までは個人単位の墓が多い。

★明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。

1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)

1970年代より都市化の影響で大都市周辺で墓地開発が急増。自然破壊が問題に。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行

1980年代後期 墓システムが問題化

1991年バブル景気崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。

2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択している実態が明らかに。


■永代供養墓(合葬墓)


「合同墓」「共同墓」「合葬式墓地」とも
個別納骨⇒13年、33年を経て承継者がいない場合に合葬、最初から合葬の大きく2つのタイプが


★「承継者の有無を前提としない墓」

 「血縁」から「結縁」へ

★跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓(無縁塔)ではない。

★人間の生き方はさまざま。
それぞれの生き方、生を尊重し、承継者の有無にかかわらず寺あるいは墓地が責任をもって供養(管理)


★「永代供養墓」1985年比叡山久遠墓が最初

1990年前後(19891991

 新潟 妙光寺「安穏廟」(小川英爾さん)
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京都 女の碑の会「志縁廟」(谷嘉代子さん)
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 上から1979年12月に京都・常寂光寺に建立された「女の碑」、中、1989年11月に建立した「志縁廟」、下、谷嘉代子さん

  東京 「もやいの碑」(松島如戒さん)
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 マスコミが話題に


★現在、約2000? 今、改葬(お墓の引っ越し、墓じまい)先としても注目。遺骨処分場になるケースも


※当日は女の碑の会「志縁廟」の写真を紹介できなかったが、雑誌『SOGI』19号(1994年)に当時は花園大学教授だった谷さんに寄稿いただいており、そこにあった写真が上の写真である。

 

■散骨(自然葬)

 

1991年 葬送の自由をすすめる会が相模灘で散骨実施 
 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称」(初代会長の安田睦彦さん)
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上、安田睦彦さん、下1993年3月宮城県大森山再生の森での最初の山での自然葬(葬送の自由をすすめる会)

1994年 東京・公営社「海洋葬」 企業による散骨の最初。
今は小型セスナ機、ヘリコプターによる海上散骨も


2014年 一般社団法人日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」

■樹木葬

 

★墓地として許可を得る(粉骨の必要なし)。


1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。
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中、前住職で開創者の千坂げん峰さん

森を墓地としての許可を得て、自然との共生という理念に共感する人が墓地として使用することで自然育成・保護活動を支援。
穴を深く掘り、遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。


★エンディングセンターが2005年「都市型樹木葬」として東京・町田いずみ浄苑内に「桜葬」。

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(エンディングセンター)

その後「樹林葬」とか、「墓石の代替に樹木」と解釈され、さまざま理念なき世界に。

 

■生死の境界と「生前契約」


★「生」「死」の分断。死のタブー。


1985年頃より「終末期ケア」が課題に


1990年頃より「墓システムの矛盾」が提起


1995年頃より「葬儀の個人化」が進む


2000年頃より「死別によるグリーフ」が問題に

 終末期ケアと葬儀の双方から「本人のケア」と共に「家族のケア」の重要性が提起

 成年後見制度施行


2010年頃より「終活ブーム」
 経産省「ライフエンディング・ステージ」という概念で終末期と死後事務等の連続的支援を提起


2015年頃より

 単身世帯の増加(一般世帯の3分の1)で「ひとり死」が課題に

2018年8月27日 (月)

妙光寺・安穏廟が切り開いたもの

2018年の新潟・妙光寺の送り盆(第29回フェスティバル安穏)が825日(土)に行われた。

妙光寺からの報告
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1660681727391950&id=503879279738873

永石光陽さん(大分・常妙寺住職)のレポート
 https://www.facebook.com/hiroshi.fujita.79677/posts/1009145359291530?comment_id=1009187275954005&notif_id=1535349947679400&notif_t=feedback_reaction_generic
瀧野隆浩さん(毎日新聞社会部編集委員)のレポート

https://www.facebook.com/takahiro.takino.3/posts/1208307602645726


今回は安穏廟とフェスティバル安穏の歴史について触れる。

19901
1989
年に当時まだ目新しい「永代供養墓」である安穏廟が開設され、翌1990年の8月に第1回の「フェスティバル安穏」が開催された。これがNHK が報じたことで一挙に墓問題に火が点いた。

この第1回の企画に際し、住職の小川英爾さん(現・院首)をサポートしたのが当時ルポライターであった井上治代さん(社会学者)。ゲストに当時の墓問題のスペシャリストであった藤井正雄さん(宗教学、大正大学教授)、女の碑の会の代表で翌年1990年に京都。常寂光寺に女の碑の会員のための「志縁廟」を開設した谷嘉代子さん(関西大学教授)等が参加してシンポジウムを開催。
この場に出席したのが90年に東京・巣鴨にもやいの会の会員用合葬墓「もやいの碑」に開設、1993年生前契約のりすシステムをつくった松島如戒さん、1991年に相模灘で「自然葬」と称して最初の散骨を行った葬送の自由をすすめる会の会長となる安田睦彦さん(元朝日新聞記者)等。
19901_2
1990
年前後の日本の葬送の変革の旗手たちが一堂に揃った記念碑となるイベントであった。
藤井正雄さん、谷嘉代子さんは亡くなられている。
私が松島さんにお会いしたのは44歳の時、松島さんは53歳であった。今、私は72歳、松島さんは81歳である。
井上さん、小川さんは当時30代であった。

地元スタッフが育ち、地元の檀信徒が中心となって2010年から「送り盆」となった。

 

現在「LGBTの人でも入れる墓」ができるなど話題になっているが、安穏廟は事実婚であろうと、LGBTであろうと、友人同士であろうと、当人同士が合意している限り、「血縁」という枠を超えて一緒に入れることを、1989年当時から可能としている。これは1999年にできた岩手県一関の樹木葬墓地(知勝院)でも同様である。

■「安穏廟」とは?

お墓を建てたいが後を委ねる家族がいない、」「子供がいても後々の負担をかけられない、かけたくない。」

こうした家族の変化を受けて、妙光寺では、宗派を越え、かつ跡継ぎを必要としないお墓『安穏廟』を平成1(1989)年、全国に先駆けて実現しました。承継者がいなくなっても、妙光寺が基金運用によって供養、管理を続けるお墓です。
時代とともに変化する私たちの暮らしのなかで、『安穏廟』が提唱したことは、単に新しいお墓としてだけでなく、家族や血縁を超えて人々が集い、生き方について語り合う交流の場の大切さです。開設から四半世紀以上が経ち、人々の心のよりどころとしてしっかり定着しています。

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■安穏廟、フェスティバル安穏の小史

 

1989(平成1)年

 安穏廟完成

1990(平成2)年

 フェスティバル安穏が開始

 第121世紀の葬送と結縁を考える」ゲスト:藤井正雄(大正大教授)、谷嘉代子(関西大教授・女の碑の会代表)角田由紀子(弁護士)、長島義介(新潟青陵大教授)
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1993(平成5)年

 安穏廟2基目完成

 第4「葬送の自由の声に仏教はどう応えるか」ゲスト:山折哲雄(宗教学者)

19934

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1996(平成8)年
 第7回「
私の人生、私の死」ゲスト:新藤兼人(映画監督)

19967

19978

1997(平成9)年

 安穏廟3基目完成

1998(平成10)年

 第9回「柳田邦男が語る生と死」ゲスト:柳田邦男(ノンフィクション作家)

199893

2000(平成12)年

 安穏廟4基目完成
 新本堂上棟式

2000112

2001(平成13)年

 杜の安穏完成

2002134

 第12回「「いま寺からのメッセージ―人々の生死を寺に託せるか―」ゲスト:高橋卓志(長野・神宮寺住職)、草野榮應(東京・明治寺住職)、秋田光彦(大阪・應典院主幹)、村田幸子(元NHK解説員))
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2006(平成18)年

 杜の安穏増設

2008(平成20)年

 杜の安穏増設

2010(平成22)年

 杜の安穏池の上完成

 「送り盆」が開始

 送り盆法要、院庭ステージでのイベント、トーク、参道脇でのバザール広場、大道芸、蓮の花手作り体験、京住院・祖師堂・客殿でのイベント・各種教室、墓地・安穏廟での常経、光のなかの安穏法要、夜の交流会…と多彩、かつ、さまざまな人の自主参加による「妙光寺の夏の御祭」として模様替えした。

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2013(平成25)年

 杜の安穏池の上第2期工事完成

永代供養

永代使用料の一部を基金運用することで、お盆と春秋のお彼岸、合同供養祭の年4回の法要回向、及び維持管理を妙光寺が行います。ご事情で年会費の納入が停止された場合、その年から起算して13年間は個別埋葬を継続し、その後も総廟に合同埋葬のうえ、お名前を刻み、引き続き永代にわたり供養を継続します。

 

■使用権の相続

使用権は血縁等に関わりなく、契約者が指定してお届けいただくことによって継承できます。使用権の継承者は継承以降の年会費を納入いただきます。

 

■会員制

契約者はすべて「安穏会員」として登録いたします。会員としての義務は一切ありません。妙光寺から定期的に通信物を郵送し、所在地の確認と行事のご案内をいたします。 

 

2018年8月16日 (木)

「聖職者」の虐待に思う「聖」への幻想

日本では僧侶の堕落について言及するとき、妻帯制度をもち出す人が依然として多い。
僧侶に「聖職者」たるべきことを求め、出家によって異性と交わらない道を歩むことを過度に期待した幻想による所産でしかない。


日本では1985(明治5)年に僧侶の異性との接触、異性間交渉を長く禁止していた僧尼令が廃止され、以降は僧侶の肉食妻帯は自由とされた。

 

もとより僧尼令はあれど、破戒僧はいつの時代にも存在したし、実態として守られてきたわけではなく、一休、親鸞の時はあまり問題とされていない。

 

宗教に係わる者が今でも「聖職者」と言われることがあるが、私はある意味、これは「宗教者差別」であると思う。
人権に属する人間の基本的欲求を制限することを課し、それで「聖」であることを教団のみならず社会が強制している。


こんな「差別」がいつまでも続くわけはない。
これが今続々と明らかにされているローマカトリックの神父の性犯罪である。

ローマカトリックの神父は公的には妻帯を禁止されている。
だが、こうした無理が通用するわけがなく、その無理が多くの性犯罪を生んだ。
今明らかにされているのは現在のものだけではない。
すでに死亡した神父の過去の性犯罪もどんどん明らかにされている。

 

昨日(2018815日)に朝日新聞が報じたものは
カトリック神父300人が性的虐待 被害者は数千人か

https://digital.asahi.com/articles/ASL8H23KWL8HUHBI002.html?iref=pc_ss_date

そこに報じられている内容は凄まじい。


米ペンシルベニア州最高裁判所は14日、同州のカトリック教会で起きた神父による少年少女への性的虐待についての大陪審の調査報告書を公表した。報告書には虐待を行っていた神父300人以上の実名リストも盛り込まれた。教会側の隠蔽(いんぺい)工作についても指摘している。

大陪審は同州内の8教区を対象に2年かけて50万ページの教会内部文書を調べたほか、関係者への聞き取りなどを行った。過去70年以上にわたって神父400人以上の関与が浮上、うち虐待の証拠がそろった故人も含む300人以上について公表した。」
文書から明らかになった被害者は1千人ほどだが、大陪審は実際には数千人に上ると見ている。被害者の多くは少年だが、中には少女も含まれていたという。思春期前の年齢の被害者が多かった。また、教会は虐待の告発を受けても警察に通報せずにいい加減な内部調査で済ませたり、加害者を別の任地に配属したりし、問題が大きくなるのを防いでいた。」

これは「犯罪」である。
ローマカトリック教会の問題であるが、それだけではない。
人々が宗教者に無責任に「聖」の幻想を抱き、それが制度となり、それが現実と著しく異なるものであるから「犯罪の温床」となり、多くの犯罪を今もなお生んでいる。

ローマカトリック教会の犯罪報道を以下に示すが、これはカトリック教会のみを批判するためではない。
「聖職者」ではないが、プロテスタント教会にも「牧師の性犯罪」はあるし、仏教の「僧侶の性犯罪」もいまだにある。
宗教界のみならず社会に性犯罪は蔓延している。
宗教者(教職もそうだ)の性犯罪が多いのは、「聖職者」であることを期待される幻想の所産、という面があることを忘れてはならない。

キリスト教団体で性的虐待、被害4千人超 豪政府が調査

https://digital.asahi.com/articles/ASKDH4W7CKDHUHBI025.html?iref=pc_ss_date

ローマ法王「苦悩と恥辱」 聖職者の性的虐待に謝罪

https://digital.asahi.com/articles/ASL1K2FC4L1KUHBI00C.html?iref=pc_ss_date

(地球24時)聖職者の性的虐待問題、チリの司教ら34人辞意

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13500699.html?iref=pc_ss_date

スポットライト世紀のスクープ カトリック教会の大罪 著者:ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム 出版社:竹書房https://book.asahi.com/article/11594245?iref=pc_ss_date
日本カトリック司教団、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を制定
https://www.christiantoday.co.jp/articles/22845/20161220/japan-catholic-bishops-sexual-abuse-victims-day.htm

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