社会

2018年4月30日 (月)

日本の「超高齢社会」の現状を大雑把に説明すると

いろいろなつながりがあるものだ。
雑誌をやめて、毎日新聞の「ひと」に紹介されたのが201611月のことであった。

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2016/11/20161112-2e08.html

これを読んだ学生時代の友人が、自分が発行する新聞に、およそジャンル違いなのだが「原稿を書かないか?」と勧めてくれた。

ありがたく書かせていただいた。

そこからまた原稿依頼があった。

 

【テーマ】 仮題「中高年ノート」~家族、年金、葬儀、墓の現代事情~                                   【字 数】 400字詰め×6.0枚=2,400字

 

幅が広い。
年金生活者であるが「年金」についてはあまり書いたことがないので焦った。

そこで、今「超高齢社会」にある日本の現状を、その概略だけでもデータを用いて描いてみようか、と思った。

それほど多くないスペースなので、あまりに概略的で、いろいろ摘まんできた感じになるのは承知していた。

でも簡単に一望できるとすれば、それはそれで便利かもしれない、と思った。

 

取り上げるテーマが幅広いものだから、扱うデータも多く、それだけ手間がかかる。

幸い時間はある。
事務所にいたときは、スタッフに下読みしてもらい、データをチェックしてもらっていたが、今はその点ひとりで仕上げなくてはならないので、その点がいささか心配だが…

 

締切を2日間延ばしてもらって仕上げた原稿がこれである。
Photo

字数の関係でカットした部分と注釈を補い、以下に示す。

 

「超高齢社会」が変えているもの

碑文谷 創

 

■人生90年時代

日本の高齢化率(65歳以上人口が総人口に占める割合)は、最新の2016(平成28)年では27・3%。

今や世界一の「超高齢社会」であり、22年後の30年には33・2%になると推計されている。

 

日本は戦後高度経済成長の初期である1955(昭和30)年には高齢化率はわずか5・3%と若い社会であったが、大きく変わった。

とはいっても高齢化は先進国に共通する傾向である。

 

「平成28年簡易生命表」によれば、生命表上で出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数である「寿命中位数」は、1955年に男約70年、女約74年であったのが、16年には男約84年、女約90年と著しく伸長した。

 

もちろんすべてが長生きするわけではない。

半分はそれまでに死ぬ。

だが、総じて言うならば「人生90年」時代に突入している。

「平均余命」は、55年には65歳時、男性12年、女14年だったのが、16年には男20年、女24年となった。

 

■高齢者世帯の1世帯あたりの総所得308万円

「平成28年年金制度基礎調査」によれば、65歳以上で公的年金の支払いのない者は14%、受給者でも、平均額こそ151万円であるが、100万円未満が37%もいる。

有業者は6569歳では本人35%、配偶者27%であるが、7074歳となると本人21%、配偶者16%と急低下する。

 

「平成28年国民生活基礎調査」によれば、全世帯の1世帯あたりの総所得平均は546万円であるが、高齢者世帯は308万円と低い。

しかし、1人あたりで計算すると、全世帯平均212万円、高齢者世帯200万円とあまり差がない。

 

また、貯蓄額で見ると、全世帯が平均貯蓄額1033万円、平均借入金額431万円であるのに対し、高齢者世帯は平均貯蓄額1225万円、平均借入金額68万円。

相対的に高齢者世帯が有利になっている。

 

しかし、高齢者世帯でも、貯蓄がない、貯蓄300万円以下を足すと34%になる。

また65歳以上の生活保護受給者は97万人と高齢者の2・86%を占め、全人口に占める生活保護受給者の割合1・67%に比べ多く、格差が大きい。

 

■家族が変容 ひとり暮らしが増える

1986年には、高齢者世帯がわずか6%であったが16年には27%になった。

「平成28年国民生活基礎調査」によれば、平均世帯人員は、60年には4・14人であったが年々縮小。86年には3・22人、95年には2・91人、16年には2・47人となった。

 

世帯構造を65歳以上の者のいる世帯に限定してみると、合計で全世帯の48%の2417万世帯。

その内訳は、単独世帯が27%と全世帯と同程度。

夫婦のみ世帯が最も多く31%。

親と未婚の子のみの世帯が21%、三世代世帯はわずか11%、その他の世帯が10%となっている。

夫婦のみの世帯は将来の単独世帯候補である。

 

誰にも看取られずに死亡する「ひとり死」。

東京都監察医務院の統計等から全国で約3万人と推計される。

 

■要介護者等の7割が80歳以上

介護保険法は97年に制定、2000年から施行された。

老人医療費の増大、介護の長期化、家族が変容し家族介護が困難となり、介護の社会化へ移行。

最新の改正は17年。

 

介護保険法での「要支援」とは、日常生活に支援が必要な状態のこと。

「要介護」とは寝たきり、認知症等で介護が必要な状態のこと。

 

厚労省老健局によれば、要支援または要介護と認定された者の合計は569万人。

うち72万人が6574歳、497万人が75歳以上。

国民生活基礎調査によると、要支援者は30%、要介護者が67%となっている。

 

「要介護者等の年齢階級別構成割合」では4064歳4%、6569歳4%、7074歳8%、757915%、808425%、858924%、90歳以上21%、となっており、明らかに80歳以上から要介護リスクが高まっている。

 

要支援の原因は、関節疾患、高齢による衰弱、骨折・転倒の順。

要介護の原因は、認知症、脳血管疾患(脳卒中)、高齢による衰弱の順。

 

近年は「介護離職」等、介護者の負担が社会問題を生んでいる。

 

介護者が事業者の場合は13%、別居の家族等が12%、同居者が59%と最も多い。

配偶者が25%、子が22%、子の配偶者が10%、父母やその他の親族が2%、不詳等16%。

介護者の高齢化も問題で、60代が33%、70代が25%、80歳以上も12%いる。

 

 

■増える高齢者の刑法犯検挙者割合

「平成28年の犯罪情勢」(警察庁)によると、刑法犯検挙人員は07年が約36万人であったのが年々減少し、16年は約23万人となった。

だが、65歳以上の者の割合は逆に増加。

07年が13%であったのが16年には21%まで増加。

窃盗(万引含む)が最も多く、暴行、傷害、占有離脱物横領、詐欺、強制わいせつ、脅迫、恐喝、強盗、殺人の順。

万引では検挙人員の45%が60歳以上となっている。

 

80歳以上の死者が6割を超す

80歳以上の死亡者が全死亡者の6割を超えた。

昭和初期であれば80歳を超えての死は全死亡者の5%前後に過ぎず、80の声を越すと「天寿をまっとうした」と言われたものだが、

今では95歳を超えてが「天寿」となった。

 

死亡の場所は、51年には病院等での死が12%、自宅死亡が83%と自宅死が普通であった。

だが、77年に病院等死が51%、自宅死49%と逆転。

16年には病院等死が76%、自宅死が13%、となっている。

近年増加しているのが老人施設での死で7%までになった。

今後は在宅看護・介護の増加もあって老人施設死、自宅死を合わせて2530%近くまで増加する見込み。

 

■「墓じまい」は増えているのか?

最近はテレビ話題で人気の「墓じまい」だが、ほんとうに増えているのだろうか。

 

「墓じまい」とは、これまでの家墓を改葬して、遺骨を跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)等に移すことを言う。

改葬数は04年までは年間6万件程度であったのが、15年には9万件に。10年で3万件増加したが、この間死亡者数も100万人から130万人に増加しているし、家族も変容しているので特に多い数字ではない。

 

増加が顕著なのは、遺骨の納骨にあたって従来の家墓形態から3分の1が90年頃より出てきた永代供養墓(合葬墓、合同墓)、樹木葬、散骨(自然葬)といった継承を前提としない葬りに移行していることである。

 

また明確に増加しているのは、地方の墓地で放置される墓。2~3割に迫る勢いだ。

 

超高齢社会は、高齢者の生活、終末期、死、死後の風景を明らかに変えている。

 

 

(注)単独世帯(単身世帯)については一般に「34.5%」と言われる。この数字と違う?という疑問をもたれた方もいよう。
34.5
%とあるのは「2015年国勢調査」の数字で、上に引用したのは「2016年国民生活基礎調査」の数字である。

調査も違えば、前提としているものが違う。

国民生活基礎調査の2015年の「単独世帯」は26.8%である。

2016年国民生活基礎調査」は以下参照。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa16/dl/02.pdf

 

国勢調査では以下のように記されている。

 

平成27年国勢調査による10月1日現在の我が国の世帯数は53448685世帯となった。平成22年と比べると,1498181世帯増加している。 世帯の種類別にみると,一般世帯数は53331797世帯となり,一般世帯人員は1億 24296331人で,一般世帯の1世帯当たり人員は2.33人となっている。また,施設等 の世帯数は11万7千世帯となり,施設等の世帯人員は279万8千人となっている。

 

 一般世帯数の推移を平成7年以降についてみると,一貫して増加している。また, 一般世帯の1世帯当たり人員の推移をみると,一貫して減少しており,平成22年と比べると2.42人から2.33人に減少している。

一般世帯数を世帯人員別にみると,世帯人員が1人の世帯が1841万8千世帯(一般 世帯の34.5%)ともっとも多く,世帯人員が多くなるほど世帯数は少なくなっている。 平成22年と比べると,世帯人員が2人以下の世帯はいずれも増加しているのに対し, 3人以上の世帯はいずれも減少しており,特に6人以上の世帯は10%以上減少している。

 

国勢調査は「一般世帯」の「1人世帯=34.5%」としている。
国勢調査では

世帯の種類 国勢調査では,世帯を「一般世帯」と「施設等の世帯」の2種類に区分している。

「一般世帯」とは,「施設等の世帯」以外の世帯をいう。 

「施設等の世帯」とは,学校の寮・寄宿舎の学生・生徒,病院・療養所などの入院者,社会 施設の入所者,自衛隊の営舎内・艦船内の居住者,矯正施設の入所者などから成る世帯をいう。

と定義している。

あくまで施設等の世帯を除く一般世帯についてのデータである。

 

「平成27年国勢調査 人口等基本集計結果 結果の概要」

http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/kihon1/pdf/gaiyou1.pdf

 

なお将来推計とされるのは国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口・世帯数」で、こちらは国勢調査の概念での「一般世帯」を対象としたものである。

『日本の世帯数の将来推計(全国推計)(2018(平成30)推計)

http://www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/HPRJ2018/t-page.asp

 

データを引用する場合、「単独世帯」「単身世帯」「1人世帯」と言葉の意味は同じであるが、引用によって概念、調査が違っていることに留意する必要がある。

 

放置墓についての一例

http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2015061900001.html

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3562/1.html

2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

Epson044

 

談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
1
ページだてである。

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https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
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年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
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分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






2017年11月 7日 (火)

エンディングノートと終活

少しずつ記録。

「エンディングノート」と「終活」

 

「終活」という言葉は、今やすっかりと定着した感がある。

経過として見るならば、まず「エンディングノート」がブームとなり、それを後押しするように「終活」ブームが現れた。

 

■エンディングノート

 

「エンディングノート」について、『現代用語の基礎知識2007』に私が記載した原稿データが残っている。

(もし2007年版が最初であるとすれば、本年(2017年)119日発売開始される『現代用語の基礎知識2018』まで12年連続して「葬送」編の用語解説を継続執筆していることになる。)


エンディングノート

「遺言ノート」とも言う。「遺言」は法律的な文書で主として死後の財産について定めるもので葬式の希望等は法的拘束力がない。エンディングノートは、法的な拘束力は弱いものの、自分の臨終における尊厳死の選択、葬儀についての希望、残される家族へ贈る言葉、自分史、葬式の案内をする親戚・友人の名簿、書類の保管場所、家系図等を記して、残す遺族へのメッセージ、覚書を記すもの。

2018

「エンディングノート」という用語ではないが、市販本としての最初は、井上治代『遺言ノート―死ぬ前にどうしても残しておきたい大切なこと』(19967月)だろう。

■本邦最初はセキセー

 

もっとも最初は、それより先行する2~3年前、名古屋のギフト会社㈱セキセー(現在はシャディ㈱セキセー事業部)が葬儀の事前準備として会社(社葬)の場合と並んで個人(個人葬)の場合について小冊子を作成している。

 

㈱セキセーの創業者で、当時社長の石原正次さんの企画で、葬祭業者対象に消費者への販売ツールとして作成されたものである。

 

石原さんはアイディアマンとして知られる。

 

会社のメイン商品は葬儀の返礼品の販売であったが、葬祭業の未来についてさまざまな企画を提起した。

 

葬祭業を「Death Industry」と定義し、葬儀だけではなく、葬儀の前before、葬儀の後afterを含む一連のことを取り扱う事業であるべきことを早い段階から提起した。

 

その企画の一つが社葬の準備、個人葬の準備のための小冊子の企画であった。

 

エンディングノートについて「本邦初」というならばセキセーの企画であろう。

 

■東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』

 

私も、署名のものでも市販のものでもないが、最初期のものを書いている。

 

おそらく地方自治体が「葬送」をテーマに作成した最初の書籍である東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』(19973月)で私が担当した「巻末チェックシート」である。

 

エンディングノートがその後「自分の死後に備える」ものに傾斜していくのに比して、全体を「わたし自身について」と「家族について」とに分け、「家族の死、死後」についても対応しているのが特徴である。

 

大きな項目だけを以下上げる。

 

1.わたし自身について

 

・後継者について

 

・ターミナルケアについて

 

・葬儀について

 

・墓について

 

・死後の手続きについて

 

2.家族について

 

・臨終の際には

 

・死の宣告をされたら

 

・遺体の安置

 

・見積

 

・宗教者との打ち合わせ

 

・通夜

 

・葬儀・告別式

 

・会食

 

・お礼のあいさつ

 

・諸手続き

 

・追悼儀礼

 

これの原型にしたものをホームページに保管しているので、当分見ることができる。

 

もはや歴史的産物と言ってよい。

 

チェックシート

 

自分の死 葬儀の準備 http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/chkjibun.htm

 

家族の死 葬儀の準備 http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/chkkazoku.htm

 

 

 

東京都生活文化局『わたしたちのデザイン―葬送―』は、3万部製作したと記憶している。

 

地方の大小自治体の関心も高く、増刷希望が相次いだが、予算内で作成する配布物という位置づけのため重版はかなわなかった。

 

5144ページの本格的なもの。このハンドブックは結婚編とペアで制作されたが、私が関与したのは「葬送」編のみ。

 

葬送編の執筆にあたったのは、私のほか嶋根克己さん(専修大教授)、井上治代さん(元東洋大教授。当時はノンフィクション作家)、御船美智子さん(お茶の水女子大教授)、そして都の担当者。

 

結果として、私が3分の2程度を書いた。

 

今は入手できないものなので、主な内容と主な筆者(記憶を頼りに)を記録しておく。

 

1部 葬送の変化

 

・第1章 葬儀を知る(嶋根さん)

 

・第2章 変化する葬送観(都担当者+碑文谷)

 

・第3章 墓地を考える(井上さん)

 

2部 葬送のプロセス

 

・第1章 葬儀の手順(碑文谷)

 

・第2章 死後の手続き(碑文谷)

 

3部 葬儀と費用

 

・第1章 葬儀にかかわる費用(御船さん)

 

・第2章 会葬と交際費(碑文谷+都担当者)

 

4部 葬送と法律

 

・葬送に関する主な法律(碑文谷)

 

巻末 チェックシート(碑文谷)

 

参考 葬儀に関する情報バンク(都担当者)

Photo

 

 

■「終活」

 

「終活」は、2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得た。

 

「終活」という用語は週刊朝日による造語。主として葬儀や墓について考えようという主旨の連載だったと記憶している。

 

■経産省「ライフエンディング・ステージ

 

だが「終活」に、葬送分野以外の司法書士、保険やらの事業者がわっと飛びついたのは2011年夏に公表された経産省「ライフエンディング・ステージ」に関する研究報告発表が契機となった。

 

省庁が終末期医療、介護、遺言、エンディングノート、成年後見、介護保険、葬儀保険、葬儀、墓、遺族の死別による悲嘆、遺産相続等の死後の事務処理その他の人生の終末期~死後を一連の流れとして提示し、その課題を提起した最初のものであったろう。

 

終末期医療や介護は既に大きな問題としてあったが、その後の遺族の抱える問題までを一環として捉える視点のものはなかった。

 

日本は高齢化率が世界一の超高齢社会となったが、過去の基盤であった家族、血縁、地域共同体が弱まり、個人が周囲のサポートが得られにくくなり、行政もそれを充分にサポートするだけの人も金も不足するなか、社会的にどういうサポート体制を築くべきかの民間への問題提起としてあった。

 

終末期、死、死後…は、人としては一連の流れの中にあるのに、それに係わる業界は分断され、横の繋がりに欠けている。

 

そのため情報は氾濫しているがその質に問題があるものが多い。

 

(現在も情報は氾濫しているが、情報の質は大いに憂うべき状況にある。他の人も指摘しているが、一部を除き、テレビや雑誌に出てくる自称「専門家」「コメンテータ」、雑誌に書いている素人「ライター」の質が低くてウンザリ。要するに「書く」「話す」ことへの責任、プライドがないのだ。取材も本来関心がないものだから、他媒体が一度取り上げたところを安易に取り上げ、しかも表面的なおざなりなものが多い。クオリティを看板にする『アエラ』も酷い。)

 

当事者はどれが適正な情報かの判断がつかず、最も重要な自由意思に基づく判断・選択が困難な状況に置かれている。

 

報告書では、そこで隣接する専門家同士が問題意識を共有し、ネットワークを構築し、生活者のサポート体制を構築することの必要性を説いた。

 

私も報告書作成に数回徹夜するほど深く関与したので、報告書が評価されたこと自体はうれしいが、その後の動きにはいささか心配である。

 

(この研究会の第1回に私が参加したのだが、座長は嶋根さんで、東京都と併せて印象深いプロジェクトでご一緒することになった。)

 

■「終活ブーム」の背景となる社会変化

 

死の問題は戦後、特に高度経済成長期以降、長く敬遠、忌避されてきた。

 

ようやく注目されるようになったのが、1985年以降。がんを中心とした終末期医療のあり方がまず問題となった。

 

その後の進展は速かった。

 

高齢化が進み、家族、地域社会は急速に弱体化した。

 

伝統的家の象徴である墓も継続性が疑問視されるようになった。

 

この遠因は日本社会の興隆期とも言うべき高度経済成長にあり、急速な人口移動による地方の崩壊、核家族化の末路としての家族解体と単身世帯の増加を結果した。

 

しかも高齢化がここに加わった。

 

8割あった在宅死が2割を切るまで減少し、現実に死に向き合わない家族が増え、リアルな死の認識が欠け、抽象化した。

 

「個人化」と言うと好ましく聞こえるが、「個人」についての社会的合意のないまま、さまざまな分野で孤立を強いた。

 

死も例外ではない。

 

経産省報告書発表以降、錦の御旗にするようにさまざまな人たちが「終活」に乱入してきた

 

口あたりはいいが、生活者当人の真の利益なぞ考えていないのではないか、と思われるものがたくさんあることが心配である。

 

「終活」に関心のある人は3割以上と高いが、実際に準備しているのは5%足らず、というデータがある。

 

圧倒的な多数は、「終活」と無縁に終末期を過ごし死んでいる。

 

こうしたところで数々の問題が発生している。

 

この部分にもっと照射すべきではなかろうか。


お断り:本稿の一部は「ソナエ」のコラムに掲載した。

 

 

 

 

 

2017年6月24日 (土)

平和の礎―戦争を記憶する沖縄、忘却する本土

623日は沖縄の「慰霊の日」であった。

糸満市の平和祈念公園で沖縄戦戦没者の追悼式が行われた。


沖縄タイムズは追悼式の模様を次のように報じた。


翁長知事、相次ぐ事件・事故に憤り 沖縄全戦没者追悼式典

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/105028

沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/105014


朝日新聞では「慰霊の日」にちなみ鉄血勤王隊の生存者である古堅実吉さん(87)の話を紹介している。


命の限り 沖縄戦語る

http://www.asahi.com/articles/DA3S13002339.html

 

記事に出ていた沖縄師範健児之塔も平和の礎(いしじ)も行った。
訪れたのは普通の日であったが、戦没者の家族が平和の礎を訪れ、おそらく家族とおぼしき人の名を刻んだ文字を撫で、水をかけ弔っていた姿が強烈な印象としてある。

沖縄戦は太平洋戦争の末期、1945(昭和20)年41日に米国を中心とする連合国軍が沖縄本島に上陸(その前326日慶良間諸島上陸に始まる)、日本軍と激しい戦闘が行われ、多くの民間人を含む20万人を超える犠牲者が出た。


6
23日は牛島司令官が摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決した日(22日説もある)で組織的な戦闘が終結したとされる日である。


但しその後も散発的な戦闘は続き、沖縄市では、

沖縄戦の降伏調印式は、沖縄市の前身である旧越来村森根(現、嘉手納飛行場)で行われました。米第10軍の司令部が置かれていた旧越来村森根に、宮古島の第28師団長・納見中将、奄美大島から高田少将、加藤少将らが呼ばれ、正式に降伏調印式が執行されました。1945年(昭和20年)97日のことであります。

(沖縄市「沖縄戦の歴史」)

http://www.city.okinawa.okinawa.jp/heiwanohi/2524

 

として沖縄戦公式終結の97日を「沖縄市民平和の日」に制定している。


太平洋戦争は中国、台湾、インド以東の東南アジアの、いわゆる「外地」が中心であった。

しかし、戦況悪化により本土にも戦争はあった。

最初は1942418日東京、名古屋等へのドーリットル空襲であった.

無差別の大規模なものは沖縄戦に先行する半月前の1945310日のB29による東京大空襲(B293百機飛来し、東京下町を焦土化し約10万人が死亡)を始めとする大阪、神戸、名古屋等の各地で空襲があった。
各地の例の一つに私の出身地仙台での空襲がある。敗戦直前の710日にB29100機以上来襲、10003000人が死亡、約6万人が被災。

1945
86日には広島に、89日には長崎に原爆が投下された。
広島では投下直後を含め約12万人、長崎では7万人以上の犠牲者が出た。

ただ国内の地上戦の戦場は沖縄であった。

 


今年の沖縄慰霊の日が72年目。私の世代と時を同じくしている。

 

私の記憶としては当然自らの戦争体験はない。但し戦後の疲弊は経験していてそれが12歳頃まで明確にあった。
戦争の記憶が人々によって語られ、教育現場でも強くあった。

経済成長が始まる1955(昭和30)年頃から急速に戦争の記憶が遠のいたように記憶している。

 

急速に遠のいた背後には意識的なものがあったように思う。

 

「死」の記憶を遠ざけ、「生」を謳歌する。日本人は高度成長の裏で為政者のみならず大衆意識としても死穢意識を強くした。それが完成するのが1975(昭和49)年前後の「総中流」であったように思う。

もとより個的な戦争の影は残った。
私の叔父のフィリピンでの戦死にしても、それは母にとって認知症になっても深い傷としてあった。
だが共有はされなかった。

 

沖縄は米軍が占領し、米軍施政下に置かれた。
いわゆる本土復帰は1972(昭和47)年のこと。


沖縄は、戦時中は日本軍の、戦後は米軍の支配下にあり、戦後の日本の経済成長とは無縁にあった。
これが沖縄の貧困に影響している。

沖縄では戦争、戦後の記憶が共有されただけではなく、いまだに多くの米軍基地を抱える。

 

沖縄の鉄血勤王隊生存者である古堅さんは87歳。
おそらく1930(昭和5)年生まれだろう。
太平洋戦争開始の1941(昭和16)年には11歳、沖縄戦終結の1945(昭和20)年には15歳。
おそらく動員された最後の世代であったろう。

最後の玉砕戦の先兵として駆り出された世代が1913(大正2)年~1925(大正14)年の大正生まれ世代。

現存者は少ない。

 

指導者層の中心はそれ以前の明治中期以降生まれ世代である。現存者はいないに等しい。

ちなみに開戦時の首相であった東條英機は1884(明治17)年生まれである。

 

子どもとして意識があって戦禍を体験した世代の最後は1942(昭和17)年生まれ、75歳前後が最後である。
しかし沖縄で米軍政下を意識的に体験したのは1969(昭和44)年生まれ以前であるから現在48歳以前の人たちである。

 

沖縄では戦争、戦後の意識が共有され(風化の危険もささやかれているが)、本土ではほとんどが忘却されている。
この意識の差が大きな軋轢を生んでいる。


2017年6月13日 (火)

「個人化」という社会の問題―葬送を小手先で考えるな!

葬儀の「個人化」現象は1995年前後から明確になり、それから20年。

これが葬儀だけの問題ではなく、今日本社会に大きく進んでいる「個人化」という大きな問題の現象の一つである。

この問題に切り込んだ経産省の20代、30代の若手のレポート「不安な個人、立ちすくむ国家」が注目を浴びている。
これを報じた朝日の今朝(2017年6月13日)の記事
社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D4GVQK6DULFA01D.html?iref=comtop_8_05

経産省ホームページに掲載されている報告書本文は、元はパワーポイント資料なのだろう65ページに及ぶ。
探すのが面倒だからリンクしておく。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

私は昨日名古屋で話してきて、日本社会が戦後であっても
1955年 から始まる経済成長
1975年 頃から顕著になり総中流化
1991年のバブル崩壊を期にした
1995年 前後からの個人化、高齢化、不況の顕在化
2000年 頃からこの問題の顕在化
2008年 のリーマンショックでこの傾向が明確になったこと

こうした社会変化に葬送の世界が見事に照応している。
むしろ反映していない部分もある。これからそれが出てくるだろう。
多様化、個別化を真剣に考えなければいけない。

講演の一部で語ってきたところであった。

社会保障、子どもの貧困、保育所不足、単身化
ひいては
お一人様の死の急増

こういった問題に正面から取り組んだレポートだと思う。

葬儀であれ墓であれ、終活であれ、そこから落ちこぼれるむしろ大きな問題であれ、きちんと見るなら根本から考えなくてはならない。
小手先で流行を追ってはいけない。

その中で「今、人が死亡すること、死別」という大事な営みがどういう問題に晒されているのかきちんと考えなくてはならないと思う。

私は「死」「葬送」というジャンルで発言しているものだから、あえてこだわる。

2017年6月 1日 (木)

あのとき それから 1990年日本初の樹木葬

昨日2017年5月31日朝日新聞夕刊特集「あのとき それから 1999年(平成11年)日本初の樹木葬」(記者:帯金真弓さん)が掲載された。

Jumokuso20170531_2
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12965781.html?ref=pcviewer


いま樹木葬は中国、韓国でも人気らしいが、起源は1999年に岩手県一関市の祥雲寺(当時:現在は知勝院)が山ごと「樹木葬墓地」として許可を得て開設したのが最初。
自然保護活動と葬送を一体化した提案であった。
http://www.jumokuso.or.jp/description/index.html

これは2005年の「都市型樹木葬」をうたったエンディングセンター「桜葬」の提案につながる。
http://www.endingcenter.com/jumoku/


元来「樹木葬」は90年前後の新潟妙光寺の永代供養墓「安穏廟」に代表される継承を必要としない、誰にも開かれた墓「永代供養墓」の動き、
http://www.myoukouji.or.jp/annon/index.html
1991年の葬送の自由をすすめる会の「自然葬」(散骨)
http://www.shizensou-japan.org/
における自然志向を背景として生まれたものである。

桜葬の出現で墓地内エリアで容易に実施できると理解した横浜市や東京都が「人気がありより安く大量に遺骨を埋蔵できる墓地」として注目。
理念よりも「樹木を墓標とした墓地」くらいの安易な取り組みが全国に広がっている。

自然保護を真剣に考えたものでは千葉県袖ケ浦市の真光寺の里山墓地がある。
https://shinko-ji.jp/jumokuso/

現在「樹木葬」と称するものは多数あるが、理念があるものはそれほど多くなく、便乗型が少なくない。
90年前後に永代供養墓ブームが生じ、墓不況が本格化すると、理念なく追随し永代供養墓が全国に増えたが、「死後の安心を託す」のであるから便乗型の多くが失敗したという過去がある。

なお帯金記者のまとめた私のコメントは以下のとおり。

■「墓の形態=弔う心」ではない 葬送ジャーナリスト・碑文谷創(ひもんやはじめ)さん(71)

そもそも「家墓」は古来の概念ではありません。明治政府の民法による「家」意識の高まりと伝染病対策の火葬推進で、庶民に広がるのは明治末期から昭和の初め。複数人が同じ墓に入る前提となる火葬率が6割を超えたのは1960年以降。家の墓を守るのが「伝統」と語られるが、そんなことはない。

戦後は家制度が廃止されたのに墓制度は戦前のまま。経済成長と共に地方から都市への人口移動が進み、新興都市住民が周辺で墓を買った。70年代は空前の霊園開発ブームで、バブル崩壊までは数百万円もする墓が飛ぶように売れた。社会が変化しているのに、寺を中心とした業界は檀家(だんか)制度や長子継承に縛られたままで、80年代に継承性の問題が表面化したのです。

伝統はないから、崩れるのも早い。今は骨を郵送して納骨を任せる「送骨」サービスも登場し、合葬なら3万円程度で利用できる所も。火葬場から遺骨を引き取らない例も出てきています。

弔いの形態はこの30年で多様化しています。かつて墓の大きさで信心深さを語ることもあったが、今は永代供養墓でも熱心に墓参する人もいれば、立派な家墓でも放置する人もいて、放棄墓の問題は深刻です。その外形から、弔う心を測ることができなくなってきているのです。


コメントがまとめられるというのは難しいことだが、ここは帯金記者の苦労を考え、そのまま掲載しておく。

墓の略歴について書いておこう。

墓地は古来よりある。
民衆が墓をもったのは戦国時代以降
江戸時代までは個人単位の墓
明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
•1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。


2017年3月26日 (日)

公取「葬儀取引実態調査報告書」公表―葬祭業の実態、課題が明らかに①下請法違反

公正取引委員会は(2017年)3月22日報道発表資料を公表した。

「(平成29年3月22日)ブライダルの取引に関する実態調査報告書」
http://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h29/mar/170322_1.html
「(平成29年3月22日)葬儀の取引に関する実態調査報告書」
http://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h29/mar/170322_2.html

この2つの報告書が同日に発表されたのは偶然ではない。この同一調査をブライダル業、葬儀業に分けて報告書として作成したものだからである。

「葬儀業とブライダル業を併せて営んでいる事業者も存在することから,葬儀業又はブライダル業を営んでいると思われる事業者を対象として調査票3,500通を送付するとともに,当該事業者のうち葬儀業又はブライダル業を営んでいると回答した事業者(以下,それぞれ,「葬儀業者」,「ブライダル業者」という。)から報告のあった取引先納入 業者を対象として調査票7,000通を送付し,書面調査を実施した。 」

加えて「書面調査における回答者を含め,ブライダル業者4名及び納入業者24名を対象にヒアリングを実施した」(ブライダル業調査)、「書面調査における回答者を含め,葬儀業者4名及び納入業者33名並びに関係事業者団体1名を対象にヒアリングを実施した」(葬儀業調査)とある。

この調査目的は
「公正取引委員会は,独占禁止法上の優越的地位の濫用規制及び下請法に基づき,納入業者に不当に不利益を与える行為に対し厳正に対処するとともに,違反行為の未然防止に係る取組を行っている。また,この未然防止の取組の一環として,公正取委員会は,優越的地位の濫用規制上又は下請法上問題となり得る事例が見受けられる取引分野について, 取引の実態を把握するための調査を実施している。」
とある。

その動機となったのが「葬儀の分野においては,平成28年に冠婚葬祭業者に対して下請法に基づく勧告が行われるなど,これまでも,優越的地位の濫用規制上又は下請法上問題となる行為がみられてきたところである」として報告書が事例をあげているのは「(平成28年6月14日)株式会社日本セレモニーに対する勧告等について」である。
http://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h28/jun/160614_1.html

本件は「ア 結婚式の施行に係るビデオの制作 イ 冠婚葬祭式の施行に係る司会進行,美容着付け,音響操作等の実施を個人である事業者又は資本金の額が5千万円以下の法人である事業者」に対して
「ア 本件下請事業者の給付の内容と直接関係ないにもかかわらず,本件下請事業者に対し,前記(1)の下請取引に係る交渉等を行っている冠婚葬祭式場の支配人又は発注担当者から,おせち料理,ディナーショーチケット等の物品(以下「おせち料理等」という。)の購入を要請し,あらかじめ従業員又は冠婚葬祭式場等ごとに定めていた販売目標数量に達していない場合には再度要請するなどして,購入要請を行っていた。
イ 本件下請事業者(144名)は,前記アの要請を受け入れて,おせち料理等を購入した(総額3302万1500円)
なお「本件下請事業者は,おせち料理等の購入に当たって,日本セレモニーの指定する金融機関口座に購入代金を振り込むための振込手数料を負担していた」
とされる件。

公取は、同社の行為が下請法第4条第1項第6号の規定に違反するものとして、同社に以下の勧告を出した。

「本件下請事業者が購入したおせち料理等の購入金額から当該おせち料理等の飲食物に係る仕入原価相当額を控除した金額及びおせち料理等の購入に当たって本件下請事業者が負担した振込手数料を速やかに支払うこと。」
「取締役会の決議により確認すること。
ア 前記2(2)の行為が下請法第4条第1項第6号の規定に違反するものであること。
イ 今後,下請事業者の給付の内容を均質にし又はその改善を図るため必要がある場合その他正当な理由がある場合を除き,下請事業者に対し,自己の指定する物を強制して購入させ,又は役務を強制して利用させないこと。」
参照:株式会社日本セレモニーに対する勧告等について
http://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h28/jun/160614_1.files/160614.pdf

ブライダル業者において優先的地位濫用規制上問題となる取引状況

「(平成29年3月22日)ブライダルの取引に関する実態調査報告書」でブライダル業を営むと回答のあった255業者、ブライダル業者と取引があるとの納入業者の回答数 1,157を対象。
※数は取引数(%は取引数/回答のあった納入業者の総数)

①商品・サービスの購入・利用の要請 278(24.0%)
②金銭・物品の提供の要請 194(16.8%)
③採算確保が困難な取引(買いたたき) 142(12.3%)
④発注内容の変更(受領拒否を含む。) 94(8.1%)
⑤やり直し 77(6.7%)
⑥従業員等の派遣の要請 77(6.7%)
⑦返品 43(5.1%)
⑧発注内容以外の作業等 56(4.8%)
⑨代金の減額 28(2.4%)
⑩代金の支払遅延 22(1.9%)
合計(上記行為が1つ以上見られた取引数) 435(37.6%)

納入業者から,ブライダル業者から優越的地位の濫用規制上問題となり得る行為を1つ以上受け たと回答のあった取引は37.6%(435取引)。
資本金区分から下請法の適用対象となり得るのは,435取引のうち,90取引。

注:資本金区分とは公取「下請法の概要」によると以下のとおり。

(1)物品の製造・修理委託及び政令で定める情報成果物・役務提供委託を行う場合

(1)物品の製造・修理委託及び政令で定める情報成果物・役務提供委託を行う場合の模式図

(2)情報成果物作成・役務提供委託を行う場合((1)の情報成果物・役務提供委託を除く。)

(2)情報成果物作成・役務提供委託を行う場合((1)の情報成果物・役務提供委託を除く。)の模式図

この実態調査を受けて公取は「本調査の結果,ブライダルに関する一部の取引において,ブライダル業者に よる優越的地位の濫用規制上又は下請法上問題となり得る行為が行われてい る状況が認められた」と結論づけた。


葬祭業者において 優越的地位の濫用規制上問題となり得る行為がみられた取引の状況(行為類型別)

「(平成29年3月22日)葬儀の取引に関する実態調査報告書」で明らかにされた問題ある取引状況(葬儀業を営むと回答のあった696業者、葬儀業者と取引があるとの納入業者の回答数 1,451)
※数は取引数(%は取引数/回答のあった納入業者の総数)

①商品・サービスの購入・利用の要請 216(14.9%)
②採算確保が困難な取引(買いたたき) 166(11.4%)
③金銭・物品の提供の要請131(9.0%)
④発注内容の変更(受領拒否を含む。) 110(7.6%)
⑤返品 71(6.4%)
⑥発注内容以外の作業等 74(5.1%)
⑦従業員等の派遣の要請 67(4.6%)
⑧やり直し 60(4.1%)
⑨代金の支払遅延 35(2.4%)
⑩代金の減額 28(1.9%)
合計(上記行為が1つ以上見られた取引数) 434(29.9%)

納入業者から,葬儀業者から優越的地位の濫用規制上問題となり得る行為を1つ以上受けたと回 答のあった取引は29.9%(434取引)。 資本金区分から下請法の適用対象となり得るのは,434取引のうち,101取引。

【納入業者からの具体的回答事例】
① 商品・サービスの購入・利用の要請 イベントのチケットやおせち料理の購入,互助会への入会など,様々な要請がある。葬儀業者側では 取引先の納入業者の購入実績や入会実績を記録しており,実績が少ないと取引を減らされるため,不 要なものでも要請に応じるしかない。
② 採算確保が困難な取引(買いたたき) 葬儀業者が消費者向け価格として設定した価格の75パーセントを納入価格とする契約で取引を始め たのだが,一方的に消費者向け価格として設定した価格の45パーセントにまで下げられてしまった。当 該葬儀業者に対する売上高は,当社の年間総売上高の半分以上を占めており,今後の取引を考えると 仕方なく受け入れている。
③ 金銭・物品の提供の要請 葬儀業者が主催するイベントにおけるゲームの景品として,数万円分のフラワーアレンジメントの提供 の要請がある。イベントにフラワーアレンジメントを提供しても直接当社の売上げにつながることはない。 無償のため,当社にとって負担になるが,今後の取引を考えると要請に応じざるを得ない。
④ 返品 通夜・告別式の後,返礼用の海苔の一部を,自宅への弔問客用にということで,施主の自宅に届ける ことがある。遅い場合,3か月以上も経ってから届けた返礼用の海苔が葬儀業者を通じて返品されるこ とがある。返品された返礼用の海苔は風味が落ち贈答用としては使用できず,処分するしかないが,葬 儀業者は代金を支払ってくれない。
⑤ 発注内容以外の作業等 当社が仕出料理を葬儀場に届けた際や食器を引き取りに行った際,当社に関係するゴミだけでなく, 葬儀業者のゴミの処分までさせられる。この業界では,葬儀業者のゴミを仕出料理業者が処分すること が半ば当たり前のようになってしまっており,あまり疑問を持っていなかったが,よくよく考えるとおかしな 話である。ただ,他の仕出料理業者も同様のことを行っているため,取引継続のことを考えると当社の みがやらないということはできない。

仕出料理,花,返礼品・ギフトの取引において優越的地位の濫用規制上問題となり得る行為がみられた取引の割合が30%を超えており,他の取引内容に比べ高くなっていた。

下請とのブライダル、葬儀取引において問題があるのはかねてより指摘されてきたことである。
指摘された問題点は今始まったことではない。
過去から続く闇の部分が改めて問われた。
しかし、改善は迫られていると言えよう。
総じて葬儀業よりもブライダル業に問題が多い。
また、いずれにしても2005年段階よりは改善されている。
よりいっそう速度をはやめた改善が求めれている。
この課題の一掃は葬儀業、互助会に今突きつけられている。

 



2017年2月14日 (火)

子どもの貧困

子どもの貧困は日本の未来を決する問題だけではなく、子ども一人ひとりの人権に関する問題だと思う。

3keysによれば
http://3keys.jp/state/

OECDによると2005年の日本の子どもの貧困率は14.3%となっており、約6人に1人が貧困状態と言われています(2009年の厚生労働省調査によるとは15.7%)。
子どもの貧困とは、等価可処分所得の中央値の50%以下の所得で暮らす相対的貧困の17歳以下の子どもの存在及び生活状況を言い、一般的な水準の半分にも満たない水準で暮らしている子どもたちがどれだけいるのかということを指しています。

つまり社会がますます豊かになり、一般的な水準が上がっていくのに対して、その水準から落ちこぼれてしまっている子どもたちが、実に6人に1人の割合がいるということになります。
このような日本における貧困率は下図のようにOECD平均値を超えており、世界水準でみたら高い水準であることがわかります。

さらに母子世帯においては、66%が貧困となっており、地域のつながりの希薄化や離婚・核家族化等による支え合いの減少が貧困に強く結びついていることや、ひとり親家庭等に対しての社会保障が十分に追いついていない現状も窺えます。

そして

子どもたちは生まれた環境の経済的状況や、余裕等によってこれからの社会を生き抜いていく上で必要とされているあらゆる力が身につけられなくなってしまっているのが現状です。

さらにそのような力が身につかないことによって自分自身を責めたり、自信や意欲をもなくしていく、意欲や希望の格差にもつながりかねません。

日本では児童憲章によってすべての子どもたちに以下の権利があると定められていますが、実態としては環境によってそれが十分に保障されていないのです。

と指摘する。

親の責任に帰すこともできない。さらには次世代にも問題は引き継がれるリスクが高い。

これらの問題は何世代かにわたって引き継がれてきた根深い問題であり、それに対して社会に十分がサポートがないという社会の在り方の問題として考えていかなければいけません。親が生活保護を受給していた場合、その子どもが母親になった場合に生活保護を受ける確率は一般の約10倍近く、貧困率も3倍程度になります。その他でも親の離婚歴や、親からのDV歴等が、貧困状況に影響している


貧困の連鎖は深刻な問題である。

朝日新聞特集「子どもと貧困」では次のように報じている。
http://digital.asahi.com/articles/ASJBD638ZJBDPTIL022.html

困窮世帯の高校中退率が高いと貧困が連鎖しやすいとして、国は「子どもの貧困対策大綱」などで中退防止を掲げる。

 文部科学省厚生労働省によると、2014年度の高校中退者数は5万3391人で中退率は1・5%。生活保護世帯の中退者数は2323人で中退率4・5%。全世帯平均の3倍だ。

 20代への国の調査結果(12年)を労働政策研究・研修機構が分析したところ、失業率は高卒6・1%に対し高校中退者は14・6%。正社員の割合は高卒44・3%に対し、中退者は21・6%だった。
困窮世帯の高校中退率が高いと貧困が連鎖しやすいとして、国は「子どもの貧困対策大綱」などで中退防止を掲げる。

 文部科学省厚生労働省によると、2014年度の高校中退者数は5万3391人で中退率は1・5%。生活保護世帯の中退者数は2323人で中退率4・5%。全世帯平均の3倍だ。

 20代への国の調査結果(12年)を労働政策研究・研修機構が分析したところ、失業率は高卒6・1%に対し高校中退者は14・6%。正社員の割合は高卒44・3%に対し、中退者は21・6%だった。

記事では、慶応大の中室牧子准教授の話を紹介している。

高校中退で十分な技術や知識が身につかなければ、リーマン・ショックのような予期せぬ事態でリストラなどの困難に陥りやすい。高卒や大卒者との生涯収入の差も出てくる。家庭を持っても、生活が不安定で子どもの教育にお金をかけられず貧困の連鎖が起きうる。問題を放置することの社会的コストは大きい。

NHKスペシャル2月12日放映「見えない貧困~未来を奪われる子どもたち~」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170212
はかつて「無縁社会」に取り組んだスタッフたちの継続的取り組みによる労作であった。

6人に1人の子どもが相対的貧困状態に置かれている日本。そ
の対策は喫緊の課題とされながら有効な手立てを打てていない。
そうした中、東京、大阪などの自治体や国が初めて大規模調査を実施。
世帯収入だけでは見えない貧困の実態を可視化し、対策につなげようとしている。
調査から貧困を見えにくくしていた要因も浮かび上がりつつある。
1つ目は、ファストファッションや格安スマホなど物質的な豊かさによって粉飾されること。
2つ目は高校生のアルバイトなど子ども達が家計の支え手になっていること。
3つ目は、本人が貧困を隠すために、教師や周囲の大人が気づきにくいことだ。
こうした状況を放置すれば、将来の社会的損失は40兆円に上るという試算もある。
進学率の低迷、生活保護や社会保障費の増加など、社会全体のリスクとして捉えるべきと専門家も指摘している。
相対的貧困に直面する子どもたちの実態ルポとデータ解析で可視化し、専門家の提言も交え、「見えない貧困」を克服する道筋を明らかにしていく。


「将来の社会的損失は40兆円」という数字にも驚かされるが、そうした規模で子どもの人権が侵害され、侵害されるリスクを抱えていることには真剣に向き合う必要があると思う。

2017年2月13日 (月)

超高齢者には「終活」の準備は無理だ では?

『月刊エルダリープレス シニアライフ版』2017年3月号に

「‘ヘルプ信号‘早急に 周囲の支援受け生活継続」という記事が掲載された。
Photo_2


この原稿は「終活」といっても実際に準備しているのはわずか、という状況を踏まえてのものである。


以下、元原稿

困ったら早くヘルプ信号を出す。子や行政に甘えていい

――「終活」がブームになったのはいつからですか?

「終活」という言葉は、2009年「週刊朝日」による造語です。2012年にユーキャン新語・流行語のトップテンに選ばれ、あっという間に市民権を得ました。
――どうして火がついたのでしょうか?

 かつては「人生60年」と言われて生活設計もそれが前提になっていた。ところが今は男性が80年、女性が90年と超高齢社会になり、社会にひずみが出てきました。「長寿」そのものはいいことです。しかし、それを支える基盤が社会にも家族にもなくなりました。長くなった20~30年の生活設計ができない、という問題に直面することになりました。
――その一つは経済不安?

 今の高齢者で最も多いのは夫婦2人世帯。戦後は核家族ですから子どもが育って独立していくと夫婦だけの世帯になる。今の高齢者は優しいですから、できるだけ子どもに迷惑をかけないで、夫婦だけでやっていこうとする。例えば夫が70歳で死亡する。残された妻は自分が残りどれだけ生きるかわからない。10年なのか、20年なのか、30年なのかわからない。どれだけのお金があったら充分かめどが立たない。かつては高齢者ほど資産があって裕福でしたが、格差が広がり、今の80代より下はむしろ資産をもたない貧しい高齢者が多くなっています。「長寿」といっても80代以降は急激に認知症が増えるし、大病して身体の自由が失われる危険は高まる。「要介護」になるリスクが高まります。「高齢者の単独世帯も約25%。「おひとりさまの死」も他人事ではない。

――「老老介護」も増えていますね。

夫婦ともに75歳を超えて、配偶者が要介護になると、残った者も高齢ですから体力的に大変です。共倒れの危険もある。今は「認認介護」という言葉も出てきました。夫婦共に認知症。こうなると生活が成り立たなくなります。

――死後の不安もあります。

 配偶者の死ということは精神的にも大きな問題ですから、残った人が葬式の手配やら、死後のさまざまな事務処理など自分だけでは充分にやれるわけがありません。

 私は、自力での生活が困難になったら、周囲に「ヘルプ信号」をできるだけ早く出すように、と言っています。子どもや行政に遠慮せず出す。自分たちだけでやろうとするな、と言っています。周囲も、より注意深く配慮する必要があります。

 




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