葬送

2017年1月15日 (日)

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


母の初盆


厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。
毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。


昨年も厳しい夏であった。
でも母は元気に先頭に立って歩いた。
その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。
だから今年の夏は母の初盆である。


本堂には100人以上の人が集まった。
法要の後、住職が立って言った。


今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めることができました。
今年初盆のお宅は
23軒です。
3月の大震災でごきょうだいを亡くされた方もおいでです。
今年は震災でお亡くなりになった方々、身元不明の方々も覚えてお勤めしました。
仏さまになられたということは、全てのいのちがつながっているということです。
仏さまのいのちのつながりを共にいただきたいと思います。


母は戦争の時の話をよくした。


たくさん人が死んだ。
妹も日本への帰還船のなかで死んだ。
栄養失調だった。
その人たちはいなくなったのではなく、私のいのちに今もつながっているのよ。


つらい想い、悲しい想いも併せて、今、私たちはいのちをいただいている。


玄関先で灯を点し送り盆をした。
たくさんの人たちが手を振って去る風景が心に浮かんだ。
母もその妹もその中にいた。

(2011年9月記)



2017年1月13日 (金)

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


葬列

山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。
近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。

ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。
だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。


この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。

85
になる母親は「がんの末期で治療の術はもうない」と医師から言われた。
娘が、
「最期は家で」
と、
母親を自宅に連れ帰ったのだ。

娘がスプーンで食べさせようとすると、
母親は「もういい」と拒んだ。
そして静かに「ありがとう」と娘に感謝した。
その数日後の夜、眠るように静かに息を引き取った。


翌朝、連絡を受けてきた主治医が「ばあちゃん、よかったな」と言って涙を零した。


葬式は「母の遺言ですから」と自宅で行われ、近所の年寄り仲間が集まった。

山の中腹にある共同墓地までを、葬儀社の若い社員たちが柩を担いだ。
檀那寺の若い副住職が葬列を先導。
埋葬地に鍬(くわ)を入れ、引導を渡した。

深く掘られた穴に柩が静かに下ろされた。

再び盛られた土の上に、娘は履いてきた草履を脱いで置いた。
そして合掌した。


2017年1月 5日 (木)

弔われなかった死者たちの「葬」―個のレベルから見た死と葬送(9)

個のレベルから見た死と葬送(9

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。


弔われなかった死者たちの「葬」


「葬」とは、歴史的に見れば多様である。


大昔であれば、死ねば山や野に、いや川原や路端に捨てられたこともある。
聖たちがその死体を集めて火をつけ燃やし、その跡地である塚に名をつけて歩いたとされる記録もある。
中世から近世にかけ、戦場や災害で死んだ者の死体は、集められ、大きな穴が掘られ、そこに投じられ埋められ、その跡は「塚」等と呼ばれた。

大昔でも、死者を棺に入れ、集落の近くにハカを設けて埋葬したり、死者を担ぎ、霊の他界への入口と伝えられた聖なる山の麓に置くことで葬ったこともある。
 近世になると、民衆へも、死者には「戒名(法名)」と言われる死者への名の贈与が行なわれ始めた。
他界へ旅立つ餞のように。
もとより無名のままの死も多かった。

今も世界では、戦災や大災害での死者が、名もなく葬られることが起きている。

日本でも、わずか半世紀余り前の第二次大戦中の戦地や被災地では、個々の名を記録されない「葬」があった。
それを悔いて、一人ひとりの死者の残滓を探す旅も戦後70
余年を経た今でも続けている人がいる。

「施餓鬼」、毎年寺で行なわれるその場には、集まる者たちの血縁等の死者だけではなく、名もなく葬られた死者たちへの深い悔恨や慙愧があるだろう。

「葬」が揺れる今、弔われなかった非業の死者たちの「葬」にも目を向けることがあっていい。


2016年12月16日 (金)

火葬事情の実態

鵜飼秀徳『無葬社会』の書評の中で
最初に書かれた「火葬10日待ちの現実」は少し走りすぎ。
昨冬は死亡者数が少なく火葬場経営者が青くなったのは有名な事実。
「待ち」が出るのは葬儀時刻帯が似たよりなため混む時刻が決まっていること、東京では斎場(葬儀会館)が少なく、火葬場付きの式場人気が高く競争になること、決して「火葬場が混んでいる」わけではない。
また、名古屋が解消したが、本来火葬場を新設または改造したいのだが地域住民の反対によって妨げられている事例だ。
将来的には問題がないわけではないが、今の問題ではない。

と書いた。

この問題については、よく読まれている「考える葬儀屋さんのブログ」で

「無葬社会」鵜飼秀徳氏が流すデマを批判する

で、過激に「火葬10日待ち」状態という話は、デマです。」
と書いている。
併せて読んでいただくといいだろう。
多死社会となると「火葬は間に合うのだろうか?」という危惧はすぐ言われる。

東京は全国では珍しく民営が多い。民営の火葬場は先も見て経営しているので、とりあえずすぐパニックになる状況にはない。

問題はむしろ震災。
これは地域協力等で対処していかなければいけない問題。
これはどの地域でも同じ問題である。
東日本大震災で土葬はもう日本では選択肢ではないことが明らかになった。


よく言われる誤解は「東京の火葬料は高い
というもの。

実際の検証は火葬研の武田至さんがやっているが、民営だから高い、ということはない。
コストという意味では全国の火葬場では1体あたり約6万円前後はかかっている。

地方で無料とか1万円とかがあるのは、差額を自治体が負担しているからだ。
かかるものはかかる。

ある地方都市の首長さんから火葬場の運営について相談を受けたことがある。
サービスを充実するための財源がないというので、
「市民から1万円でも取ったらどうですか?」
と話したところ
「それだけはできない。そんなことをしたら選挙で落ちる」
と言われたことがある。
そこは火葬料が無料であった。

「社会福祉」という位置づけなのだが、地方自治も財源不足で悩んでいるのだから、負担できる市民には負担を求めていいのではないか。
負担できない人にまで負担させる、と言うのではない。
実際にはコストがかかっていることは、せめて市民に知らせる義務があると思う。
知ったうえで市の予算で手当てするのは市の自由だが、コストがかかっていることに関心がない、知らない市議も少なくない。


葬儀費用について「安ければいい」という意見があるが、「適切なコスト」と考えていく必要がある。

今の葬儀の安さ競争、度を超すと葬儀社に勤める従業員の人件費の過度な圧迫につながりかねない。
低賃金で過重労働・・・「ブラック」企業になりかねない。

「葬儀費用」に消費者の関心が高まるのは結構だが、時々度を越しかねない時がある。
消費者運動に携わっている人たちの意識も相当変わってきたが、まだ中には差別意識から「高い」と宣わっている人がいるのは困りものである。
「安さ」を求める消費者が「ブラック」企業を生む、というのは残念なことだ。

葬儀社や寺院攻撃はときおり「死」に係わる者への差別、偏見が関係していることが少なくない。

普通の眼で適切に考える、ということが必要だ。

 

 

2016年12月 3日 (土)

「宇宙葬」の可否?! クイズ番組に出す不見識

昨日の夜クイズ番組を見ていたら、

「宇宙への埋葬は可能か?」(この通りの表現だったかどうかは?だが)
という質問が出された。

「可能」が正解とされたが、出題そのものが不見識である。

これはやらせである。
「宇宙葬」を手掛ける銀河ステージあたりが仕組んだのだろう。
法的規制はない。だから「いい」とは言えない。
私はこの「宇宙葬」なるもの、人の夢を利用した「えげつない商法」だと思っている。

事業開始後数年経過して、新しいニュースでもないのに、この会社の働きかけに応じて大々的に報道した新聞、雑誌があるが、
「報道がこの会社の事業の宣伝の片棒担ぐことになる」
と批判したが、コメントそのものが抹殺された苦い経験がある。

米セレスティス社のCelestis Memorial Spaceflightsを提供するもの。
遺骨を粉骨したものをカプセル(標準クラス・シングルで1g、ツインで2g、ファーストクラス・シングルで3g、ツインで7g)に入れ、ロケットに搭載、大気圏外に打ち上げ、いずれは重力で墜ちてくる際に燃え尽きる、というもの、45万円以上かかる。

私は、宇宙空間は今でも宇宙ゴミが心配されている人類共有の大切な空間、汚すおそれのあるものは自粛すべきだと思っている。
規制がないことをいいことに、さまざまな商魂での利用は慎むべきだと考えている。
こうした事業は「葬送の自由」でもなんでもない。

この社のホームページに
Q.
宇宙葬に関して、法律上の問題点はありませんか?
A. 日本では墓地、「埋葬等に関する法律」により「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」と定められていますが、宇宙葬や海洋への散骨に関しては「葬送の一つとして節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪には当たらない」というのが法務省の見解として発表されています。

とあるのは明らかな嘘である。(※「墓地、埋葬等に関する法律」、「墓地埋葬法」「墓埋法」と略される。)

「法務省の見解」そのものが存在しない。
91年10月に葬送の自由をすすめる会が最初の散骨を相模灘で行った際に、これを朝日新聞の社会部記者(同会会員)が報道にあたって法務省刑事局担当官に面接した際、担当官は「法務省として見解を出すことはない」と断わった。
これに対し、食い下がった記者に対し「法曹人としての個人としては、遺骨遺棄を目的にするのではなく、あくまで葬送を目的として相当の節度をもって行うのであれば、遺骨遺棄を禁じた刑法190条の法益上、即違法とか考えて対処すべきとは考えてはいない。」
と「違法見解」に踏み切らない背景説明を行った。

これを朝日記者は意図的に「法務省が見解を発表」としたものである。
法務省が記者会見を行って発表したものではない。
言うならば、この記者のスタンドプレイである。
(以上は私が直接取材したものである。)

「大朝日」がそう書いたものだから、事実関係を調査しないマスコミや学者たちが「法務省見解」があることを既成事実として書いた。愚か者たちよ!

しかも、朝日の記者は意図的にだと私は思うが、担当官の「相当の節度があれば」を「節度があれば」と書き換えた。

私も法務省見解によるのではなく
、「葬送を目的として、相当の節度【遺骨が原型を残さないよう細かく砕き、撒く場所も風評被害が生じない場所(生活用水として用いられている河川、養殖場や海水浴場の付近、他人の敷地等は避けて)で行う等】をもって行うならば違法とは言えないという法的合意がおおよそできている
という見解を示している。

この朝日の歪みある意図的報道にせよ、相模灘の散骨に対して言っているので、この当時「宇宙葬」なるものに言っているのではない。
ないものに対して「見解」があるわけないのだ。

こうした銀河ステージの説明を鵜呑みにしてテレビはクイズ番組の「正解」を作っている。
答のないものは答がないのだ。
これは「正解の捏造」であり、こうしたクイズの質問そのものが「宇宙葬」事業の宣伝なのである。

この会社のホームページを覗いてみて驚いた。
葬送をなんでも商売にしている。
ここの「樹木葬」なんていい加減だ。
「樹木葬」が商標登録されなかったことを利用して、過去の歴史も理念も無視して、「樹木葬」を名乗る。
多少係わった者だから言わせてもらうが、こんなの「樹木葬」jじゃねぇや!
ここには葬送の理念はなく商魂しかない。
 
いちいちろくな検証のない、安易な作りのクイズ番組にケチをつけるのは大人気ない。
しかし、変な「常識」が捏造されるのは嫌だ。

福島から自主避難した子どもに対して担任教師までも「菌」呼ばわりしたニュース
 
新潟市の小学校で、原発事故のあと福島県から自主避難してきた4年生の男子児童が、担任の教諭から名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれたとして、1週間以上、学校を休んでいることがわかり、新潟市教育委員会は、児童の心を傷つける不適切な発言だったとして謝罪しました。(NHK
の方が重要である。
 
「びきまえ」YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jLHWb0KD45c
3回目が公開された。
「第401回  改めて問われる遺体への尊厳 ~葬送明文化の礎登場!400回記念更新月間~」
相変わらず私の滑舌の悪さは酷い。
内容は「遺体を取り扱わない葬儀社なんかあり得ない。遺体の尊厳を守る最後の砦は葬祭業者」という話。

2014年8月 6日 (水)

墓、葬式は未だに偏見・差別の対象

昨日19時からジム。
1週間に1・2回、各約1時間では効果はまだ見られない。
ジムの気分の良さは、汗をたっぷり流し、シャワーを浴び、ついでに頭まで洗ってしまうことだ。
身体を動かす、それだけでいい気分だ。
机の前で、あーでもない・こうでもない、と頭が煮詰まるのよりずっといい。

昨日、walkingマシーンに乗りながらテレビのチャンナルをいじっていたら、フジテレビが「お墓・葬式100の疑問」という2時間番組をやっていた。
マシンを使いながら見ていると、不快感で胸一杯になった。

テレビ局は葬送については相変わらずのゲテ物扱いなのだ。
この世界はわかんないものがたくさんあって、世の中の常識とは違う世界だから教えてあげるね、…といってウソ800を並べている。

悪いのは坊さん、葬儀社、親戚…というのはもはや定番だ。
この世界もずいぶんと変わっているのに、出てくるのは依然としてみんな悪徳な奴ばかり。

葬儀社だけでなく僧侶も各2世たちは学校で虐めにあった経験をもつ人が多い。悪徳僧侶、悪徳葬儀社の子だという、いわれなき差別を受ける。

確かに中には「悪徳」と言われても仕方がない人もいる。
だが、それは役所職員、教師、医師、不動産業者にもいるではないか。
僧侶、葬儀社だけが、その職業にあるだけで、そうした社会的悪意に晒されなくてはならないのか。
これを「差別」「偏見」と言う。

その番組もまったくいい加減な作り方でしかない。
消費者が困る問題なら、それに即して番組を作ればいい。
「自動車の選び方」「いいレストランの見分け方」「どんなホテルに泊まりたい」
「時計の選び方―機能で選ぶか、デザインで選ぶか、価格か、ブランドか」というものと同じような視点でなぜ番組がつくれないのか。
最初から悪意、偏見でかかわっているとしか思えない。

こっけいなのは「マナー」である。
未だに重ね言葉等を禁句にしている。重ね言葉を忌むこと自体が偏見のなすわざである。
番組がこれを禁句とするのは妥当か、とトークするならわかるが、「マナー専門家」なる者が勝手に判断するのはいかがなものか。
嗤ったのは「ご愁傷さまです」の語尾をあいまいにするのが正しい、という説。お悔みの気持ちを相手にはっきり伝えないのがいい、ということになる。
お悔みの言葉に正しい言い方なぞ存在しない。まさに死者、遺族と会葬者の関係に基づくもので、マナーなど余計なものでしかない。

番組作成者に見識というものがない。
事柄の調査がいい加減である。
差別・偏見の世情に迎合している。

墓や葬式で俗信を知らないことが恥ずかしいことではない、
死、近親者の死者についてきちんと考えることが最も大切なことなのだ。

料金項目の説明も素人そのものである。
簡単に「450万円」もの請求書なんて出すものではない。
あまりに一般的事例とかけ離れている。
そんな金額払えない、と消費者が言っているので、葬儀単価は下がり、死亡者数が増えても市場は縮小しているのだ。

お盆前の季節番組であることはわかるが、安易な取り扱いはいい加減にしろ、と言いたい。
さすが最後までwalkingしながら観ているわけにはいかなかったが、不愉快さが胸に沈殿した。


きょうは広島に原爆投下69回目の日。

昨夜TBSラジオでアメリカのマンハッタン計画や日本の理研、仁科研究室等でも原爆研究をしていた話がされていた。
どうも兵器としての現実性は低かったようだが、そうした研究があったことは事実である。

福島原発事故を踏まえるなら、日本は被害者の視点だけで核兵器を論ずるべきではないように思う。
原子力発電所の計画がそもそも核兵器への転化がすぐ可能ということが、これを始めた正力等の脳裏に厳然とあった事実である。

きょうは、あの日のように暑い一日である。

2013年10月 1日 (火)

阿呆らしい「宇宙葬」

毎日の夕刊が「宇宙葬」について大々的に報じている。
マトモか?

こういうのはロマンでもなんでもない。
ただ人の夢を収奪した事業じゃないか!

いいかげん、こんなのを「自分らしい」なんて賛美するな。

マスコミはこんな阿呆らしい事業に報道することで手を貸している、ということを自覚する必要がある。

それは小さいかもしれないが、宇宙にゴミをばらまく行為だ。

市民運動家ももう少し自覚したほうがいい。

死者を大切にし、死者の夢を大切にすることと、こうしたばかげた事業に手を貸すことは違う。

10年以上前に「サンデー毎日」から取材されて、あまりのばかばかしさに憤激したが、事態は変わっていない。

アプリを開発したって変わらんじゃないか。

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