報告

2018年7月 2日 (月)

海洋民族の記憶の古層―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む①

太田宏人さんとの縁で、村田ますみさんから彼の遺稿が収録された本を出す準備をされていると教えていただいた。

 

(注)太田宏人さんについては
ペルーとの関係を含めてわかる晃輝和尚の
https://ameblo.jp/seiryo-koki/entry-12377528763.html

asunohaさん(僧侶)の

http://taka.hasunoha-blog.info/shinsai6year/

私が書いた太田さんの訃報

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-134c.html

私が書いた太田さんの葬儀の報告

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/05/post-10c5.html

 

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』(啓文社書房)

である。

アマゾンで予約したが、それに先行して、贈呈いただいた。感謝!

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この本はいろいろな意味で学ぶところが多かった。
海洋散骨について論じる場合に、避けて通れない必読書であろう。
とても丁寧に作られている。

本書については追々書いていき、感想も書かせていただくが、まずは太田さんの遺稿について触れたい。
全体の1割、20ページ足らずであるが、この小論、太田さんらしいキラリと光るものがある。

太田宏人さんは第2章「宗教面から見た海洋散骨」について書いている。

海洋散骨(海上散骨)について、日本の既存の伝統宗教からは、懐疑的な声が聞こえます。しかしながら、この国には「海へ還る」「海で眠る」という伝統があったことは事実です。

 

そして太田さんは「海洋民族の記憶の古層」を指摘する。
太田さんが展開するように、「人種的にも、文化的にも、日本人のルーツは多様」であり、「いくつもの他界観」をもっている。


その一つが「山上他界」「海上他界」である。

四方を海で囲まれた島々から成る日本列島。

長い海岸線に囲まれ、島の多くは山岳地帯。

平野部に後に都市が建設されるが、私たちがかつて住んだ地域は、背後が山で海岸線に沿った集落か、山間にあって河川の傍の集落であるかが多い。

山間部では死者は近くの霊山の麓から「浄土」へ還っていくと考えられた。
海岸線では海岸の洞窟から死者は海の彼方にある「浄土」へ還っていくと考えられた。

宗教学者である山折哲雄が日本の地理から生まれた日本人の浄土観を描いている。
これが近世以前の日本人の「古層」の他界観であった。

 

太田さんは、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を紹介する。

 

仏教の浄土といえば、阿弥陀如来の住む西方浄土が有名です。もうひとつ、観音菩薩が住む、あるいは降り立つ山「補陀落」または「補陀落山」という浄土が、南の海上はるか彼方にあるとされました。

 

私は、太田さんが海上他界に着目したことに彼の豊かな宗教観を反映していると見る。

太田さんの小論は「仏式海洋散骨」はどうあったらいいか、について実践的に書くのであるが、その背後には彼の禅僧としての供養へのこだわりがある。

 

仏教が海の上での散骨そのものについて反対する根拠は、私は希薄だと思っています。散骨に反対する僧侶は、墓制度や、供養の場所として大切な機能をもつ墓の存在と相容れないためと考えているようです。しかし、墓制度そのものは明治以降も常に変化を続けています。また、散骨を選ぶ確たる理由がある場合、やみくもに反対するのは衆生救済、衆生の抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与えること、慈悲)を旨とする大乗仏教の実践者として、どうなのでしょうか。

 

僧侶に対して批判して傍観者になるのではなく、供養をしてほしいと願う人がいれば、参加して供養すべきではないか、と勧めている(もっと穏便にだが)。
そして極めて実践的に仏式の海洋散骨での法事のあり方を提示している。

 

どこでも苦あるところには馳せ参じた。

供養することに生命を削り、一介の聖(ひじり)たろうとした太田さんの姿がここでも見ることができるように思う。

 



 

 

2018年6月14日 (木)

藤井正雄先生のこと

宗教学者、大正大学名誉教授である藤井正雄先生(1934年生まれ)が69日にお亡くなりになった。83歳。

浄土宗僧侶(お父上は浄土宗門主、知恩院85世、増上寺84世の藤井實應師)。
仏教と民俗の関係についての研究の第一人者である。
「仏教の民俗化、民俗の仏教化」は名言。
1990
年以降は生命倫理に強い関心をもたれ、京大再生医学研究所倫理委員会委員、日本生命倫理学会会長も歴任された。
若い頃、当時気鋭だった学者仲間には奈良康明、佐々木宏幹、山折哲雄、伊藤唯真氏らがいる。

私の関心から言えば、先生は葬送と仏教の関係について、最初にトータルに教授してくださった方。
雑誌の顧問として多くの学者、宗教者をご紹介くださり、座談会への参加、連載のご執筆…と、四半世紀にわたりご指導、ご協力いただいた。

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雑誌『SOGI』創刊号(1991.1)に誌上特別講義を行ってくださったうちの冒頭の2ページ。
この時に私が取材し、記事をまとめたのを評価していただいて以降四半世紀以上お付き合いいただいた。


雑誌の編集には多くの方からご協力をいただいたが、その筆頭は藤井先生であった。

私が何がしか葬送と仏教について語れるのは藤井先生あってのこと。
ご自宅にもおうかがいしたし、先生が用事の途中で事務所に来られたことも多い。

主著は博士論文『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』


1990
年の対談集『葬儀を考える』はとかく葬儀に対して理論的に斜に構えていた仏教界に、葬儀というテーマを提起した画期的な本である。
藤井正雄先生と伊藤唯真先生(当時:仏教大学教授、現:浄土宗門主)が1997年に編まれた『葬祭仏教 その歴史と現代的課題』は、浄土宗の立場からであったが、教義仏教と生活仏教に分立並行していた仏教界に寺という基盤に立って日本仏教を見直すことを促す最初期のものであった。

貴重な辞典・事典も編集された。

『仏教儀礼辞典』『葬儀大事典』

遺骨、墓についても広く説明、問題提起した

『骨のフォークロワ』『お墓のすべてがわかる本』
は今読んでもおもしろい。
晩年も新しい動きには関心をもたれ、散骨、永代供養墓、樹木葬については直接お会いし、電話などでずいぶんと意見交換したものだ。

啓蒙書も多く出されているが
『仏事の基礎知識』は出色である。

訃報が入り、奥様とお話をさせていただいたが、5年前より病み、昨年秋以降は、自宅での看護が困難となり入院され、最期は心臓が弱くなられたとのこと。

通夜は61718時から
ご葬儀は61813時から
いずれも増上寺光摂殿講堂にて行われる。
供花等は下記にお問い合わせください。

㈱牧野総本店 電話03-3445-0506 FAX 03-3445-0508

以上、藤井正雄先生に心からなる感謝を表し、報告させていただきます。

 

2018年6月 7日 (木)

超高齢社会 「死」の観念、大きく変化-中外日報コラム②

「孤独死」「無縁墓」は再考を―中外日報コラム①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/06/post-5ece.html#_ga=2.10109173.1943673036.1528352822-775014334.1512971023

 

超高齢社会 「死」の観念、大きく変化―中外日報コラム②

「平成29年版高齢社会白書」によれば、2016年の日本の総人口1億2693万人に対し、65歳以上人口は3459万人となり、高齢化率は27・3%。
指標では21%以上は「超高齢社会」であり、日本では10年にすでに突入している。

 

問題は「現役世代」(15歳~64歳)の比率の低下である。
戦後高度経済成長期の初期である55年には1人の高齢者を11・2人で支えていたのが、15年には2・3人で支えるまでになった。

これでは年金その他社会保障が財政的にもたないと今「高齢者」の定義を70歳さらには75歳に引き上げる検討が開始されている。

 

「後期高齢者」の75歳以上人口は1691万人、総人口の13・3%だが、日本の将来推計人口(平成29年推計)」では、35年には2151万人、総人口の18・7%と推計されている。

 

「平成28年簡易生命表」によれば、生命表上で出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数である「寿命中位数」は、1955年に男70年、女74年であったのが、2016年には男84年、女90年と著しく伸長し、「人生90年」時代に突入。

 といっても、すべてが長生きするわけではないのはもちろんのことだ。

 

「平均余命」は、55年には65歳時、男性12年、女14年だったのが、16年には男20年、女24年となった。
つまり、男性77歳、女性79歳だったのが、男性85歳、女性89歳に伸びたのである。

 

死の個人化と超高齢化により、「死」という観念が大きく変化している。

 

20年前頃から葬儀で「長寿をまっとうした」という言葉を耳にしなくなった。

かつては80歳以上で亡くなると「長寿」と言った。

昭和前期である1930年当時は、80歳以上で死亡した者の全死亡に対する割合は5%程度。

したがって80歳以上で亡くなる人は珍しく、その人たちの葬儀は、長寿にあやかろうとする人々が集まり、寿ぎ、祝うかのようだったという。

 

だが今は80歳以上での死亡者数の割合は6割を超え、あたりまえのもの。

90、100と長寿化するに従い、葬儀の会葬者は減る。

葬儀で悲しむ者がいないわけではないが少数化し、淡々と営まれる傾向にある。

ある僧侶は「今の葬儀では、遺族も、会葬者も、そして僧侶も緊張感に欠ける傾向にある」と語る。

 

超高齢化に反比例して、どうも「長生き」願望が低下しているように思える。

4060代の人たちと話すと、本音として「70代までの死」が願望されるようになっているように思えるのだ。

それは80を超すと認知症リスクが急激に高まる等、要介護期間が長期化している等の現実を目撃しているからだ。

【以下、追加】


80
代以上の人間にしても、死は選べないのだから、好き好んで長生きしているわけではない。

 

自分が70の大台を超えて思うのは、かねてから社会通念としてある「死が怖い」という実感がないのだ。

仲間は、少ないものの早いので10代、20代で死に、30代の後半からがんで死亡する者が増加してきた。

40代、がんで死亡した者は「なんでオレが死ななきゃならないのだ!」と最期まで怒り狂っていた。
60
代ですでにバスケットボールの仲間5人中3人が欠けた。

この世に残された者としては、いずれ自分が死ぬのはごく自明のこと、という想いだ。


「死が怖い、はあたりまえ」と言われるが、それ自体が、死に晒されて生きていた前時代までの産物かもしれない。

もとより年齢に無関係に死はいつでも介入する、という事実に変わりはないし、私はそれをいやというほど経験を強いられてきた。

2018年6月 2日 (土)

「孤独死」「無縁墓」は再考を―中外日報コラム①

 

仏教関係の新聞『中外日報』2018420日から518日まで4回にわたってコラムを掲載した。

これについては後で紹介するつもりであったが、予想よりも早く中外日報ホームページに1回目が掲載された。

「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉

 www.chugainippoh.co.jp/rensai/zuisou-zuihitu/20180420.html

 

そこで慌てていったんアップしたが、少し注を入れよう、ということで再アップする。
以下が原文に注を加えたもの。


東京都監察医務院「世帯分類別異状死統計調査」によると、東京23区内で自宅死亡した単身世帯のうち死後2日目以降に発見された者は、2004年が2148人、08年2630人、12年が3257人、16年には3657人と増加している。

 

(注)死後2日目以降を再集計して得られた数。上記調査では当日発見された場合も含めて出している。

 

 

ここから推計するに、全国で死亡時に看取る人がいなかった「ひとり死」は年間約3万人となるだろう。

 

(注)「ひとり死」は小谷みどりさん命名。私は「単独死」と称していたが…

 

監察医務院は「孤独死」といい、人によっては「孤立死」というが、これは価値観をともなった用語で不当である。

 

「国民生活基礎調査」によるならば、16年は単独世帯が27%を占めた。若者から高齢者まで4人に1人以上が「ひとり暮らし」。

「ひとり暮らし」をよぎなくされる者もいれば選択する者もいる。「ひとり暮らし」の実態はさまざまである。

 

知人は「ひとり暮らし」の兄を毎月2回訪問していたが、その合間に兄は突然死。妹である知人は「孤独死」という言葉に深く傷ついた。

 

いずれにしろ生前を知らずして、結果として死亡時に看取る者がいなかった人を、死亡後に第三者が安易に「孤独死」「孤立死」と呼んでいいわけはない。

私は価値観なしの用語「単独死」「ひとり死」を用いる。

 

そう言えば「無縁墓」もいやな言葉である。

 

誰とて縁のない人はいない。
たまたま子がいなく墓の跡を継ぐ血縁者がいない、というだけのことである。

 

(注)墓地埋葬法施行規則第3条に「死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下「無縁墳墓等」という。)  

とある。
法令上の文言であるが、だからといって「いい」とする訳にはいかない。

 

 

16年の合計特殊出生率は1.44人、少子化傾向は続く。
生涯未婚率(50歳時の未婚率)は男性23%、女性14%(15年)と非婚化は進む。

離婚数は婚姻数の約3分の1。


結婚する、一生添い遂げる、子どもがいる、家族が一緒に住む、病者を看護する、高齢者や障がい者を介護する―のがあたりまえとは言えない時代となった。
「ひとり」という生き方をすべてが選択したわけではないが実態は多様で個別の事情はさまざまで異なる。


寺はすべての人と縁を結ぶ存在だろう。
それであるならば、せめて寺から「孤独死」「無縁墓」という言葉を追放したいものだが…。

 

2018年5月26日 (土)

報告 太田宏人さんの葬儀のこと

201852425日、15日早朝に48歳の若さで亡くなった太田宏人さんの葬儀が行われた。

太田さんは、雑誌『SOGI』を休刊に至るまでの後期、12年間にわたり共に支えてくれた。
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東京都大田区の臨海斎場(最寄り駅モノレール流通センター)で、2418時から通夜、2510時半から葬儀が行われた。
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会葬者で目立ったのは彼の属する曹洞宗のみならず各宗派の若い僧侶たち。

彼が東日本大震災の後、長期に係わり、死後遺骨の一部を散骨してほしいと熱望した宮城県女川の若い僧侶も駆けつけた。

全国から駆けつけた僧侶、神職の多くは24日または25日日帰りで馳せ参じた。

葬儀の裏方は海洋葬や終活カウンセラー等の活動を支える人たちが中心になってくれた。

 

201410月号に太田さんは築地のがんセンターで亡くなったお母さんの死について書いている。
http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html

その中で印象深いのは、次の文章である。

 

よく、死生学や終末関係の記事などに「死を想え(メメント・モリ)」だとか、「死を学習しよう」などと書かれています。私も「メメント・モリ」が、生を際立たせるためには必要不可欠なことと思います。しかし、現実の人の死に様から離れたところで語られる「死」は観念に過ぎません。記号にさえ思えます。
実際の「死」は衝撃をともないます。
衝撃をともなうリアルな「死」は本人だけではなく、家族や縁ある人々も程度の差こそあれ、ともに体験するものです。

 

私は彼の書いたことを全面的に首肯する。

 

彼は同じ文中に書いている。

 

亡くなられた方々や遺族たちの人生の物語が欠落していては、それは「死の表層」でしかない。

 

太田さんの葬儀会場(1Fに式場、2Fにメモリアルコーナー)は、彼と彼の家族、彼の仲間の「物語」が満ちたものであった。

太田さんの若い日々
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僧侶・太田さん
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ご家族
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メモリアルコーナーでとりわけ目を引いたのは、お二人の娘さんが亡くなった彼に寄せた恋文であった。

 

出棺に際して、夫人とお二人の娘さんがそれぞれ自らの言葉で、詰まり詰まり挨拶されたが、それぞれが彼に「愛しています」と強く言い切っていた。

 

弔辞は最初に師僧である寺江規克師(曹洞宗蔵守院住職)。

彼との出会いは、ペルーの日系人のための寺、曹洞宗慈恩寺で放置された寺、墓地、位牌について曹洞宗宗務院に訴えがあり1999年に宗務院にいた寺江師が現地視察に赴いたこと。
寺江師が現地で1994年からペルーに行き、日系ペルー人向け『ペルー新報』日本語版編集長をしていた彼に出会う。
太田宏人さんは放置された位牌すべてを書き写し、今では知られなくなった人たちの物語を復刻する。

太田さんの情熱に煽られるように寺江師は日系ペルー人の鎮魂の作業を共にした。

寺江師の寺は青梅線の羽村駅が最寄りだろうか?
寺江師に随って修行し、20124月に彼は出家、得度をするのだが、弟子である彼の送り迎えを師である寺江師が行ったという。
「普通は逆だが、私は喜んで弟子の送り迎えをした」
と寺江師は述懐しておられた。
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2番目に弔辞を寄せたのは、太田さんと国学院大学神道学科の同級生、神社系の一般財団法人日本興隆財団事務局長の佐久間宏和さん。

大学卒業後、1994年に太田さんは忽然と姿を消した(ペルーに行った)という。
「太田!」と呼びかけた佐久間さんは、学生時代のヤンチャな太田さんとの日々、2000年に帰国後、佐久間さんの季刊誌『皇室』に書き、東日本大震災で被災した神社の仮宮を設ける活動、被災地レポートを彼に頼んだことを愛情深く語った。

太田さんは熊本地震でも神職たちと被災地で協働した。

太田さんは曹洞宗の僧侶であるが、他の仏教宗派、神道の神職、キリスト教の牧師とも広く、また生死の現場で協働した、宗教の枠を超えた宗教者であった。

 

3番目は、「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」発起人、宗教者災害支援連絡会世話人、大阪大学教授の稲葉圭信さん。
東日本大震災、熊本地震に際し稲葉さんは被災地に行き、被災地で活動をする宗教者と深く連携した。
そこに太田さんがいた。

稲葉さんのブログ「避難所でトイレの仏様に出会った!」

http://altruism.blog56.fc2.com/blog-entry-331.html

は、太田さんの被災地支援活動の「現場」を活写している。
稲葉さんが3回目の熊本入りのおり、避難所で太田さんに出会った。

 

その避難所には、仮設トイレを掃除する人たちがいる。被災者が自主的に、トイレットペーパーを取り換えたり、掃除をしている。そこに単独で参加し、掃除の合間に被災者の声に耳を傾ける僧侶のO氏。
彼は、仮設トイレをすべて手作業で拭き掃除をした。他のボランティアがしない便器内も手作業で拭く。
(略)
O氏は、午前、午後と毎日、仮設トイレの掃除を続けた。避難所の仮設トイレが汚いと、トイレの利用回数を減らそうとする人もいる。そのために、水分摂取量を控え、体調を崩す。仮設トイレがきれいであれば、利用する人の心と体の負担が軽減される。

消毒液のにおい、便器からの飛沫も服につく。O氏の黒いシャツは、汗で白い粉が吹いていた。手は、トイレ掃除をおわって、消毒液のニオイが。その彼と握手をした。

表に出ないボランティア。地味な活動かもしれない。しかし、避難所の仮設トイレを利用している避難者は気がついていたであろう。
そう、O氏の顔は輝いていた。私は避難所で確かに「トイレの仏様」に出会ったのだ。

 

この「O氏」こそ、太田宏人さんであった。

 

4番目が私であったが、私の次に弔辞を述べたのが、ペルー食品、ブラジル食品、その他在留外国人向けサービスを展開するキョウダイジャパンの木本結一郎さん。
日系ペルー人が日本に来て頼るのがキョウダイジャパンのサービスだ。
太田さんの夫人太田プリシラさんは日系ペルー人、ペルーで太田さんと出会い、結婚して2000年に来日。
太田夫妻を支えたのが木本さん夫妻。
まさに同志であった。

 

太田さんは日本に帰国後もペルーにいる日系ペルー人のために、また日本に来たペルー系日本人のために半端じゃないエネルギーを割いた。

 

私は太田さんと2004年から2016年まで一緒に仕事をして、日系ペルー人のこと、被災地での活動のことを彼から聞き、また、彼はそのことを雑誌に書いた。
だが、この日弔辞を述べた、彼との協働者たちと会ったのは初めて。
また、大阪・應典院の秋田光彦師、溝口さん、大竹さん、八木さん等の古くからの知り合いにも会ったが、話は聞いていたが初めてお会いする人が多かった。

 

葬儀の前に祭壇の中段に置かれた太田さんと面会した。
ふくよかで逞しかった彼は痩せていた。
しかし、その顔は清々としていた。

 

24日、25日と続いた葬儀、私はすっかり疲れた。
考えてみれば彼は私の息子たちと同年輩。
「生き切った」とはいえ、思いを残しての死だったろう。
暗澹とし、重い錘を心だけではなく、身体の底に抱え、ヒーヒーと呻いている自分がいた。

 

以下は、私が25日に読ませていただいた弔辞である。

 

弔辞

碑文谷 創

 12年間雑誌『SOGI』の外部スタッフとして取材、編集に参画してくれた太田宏人さんに対して、共に雑誌制作を行った者たちを代表し、ここに厚い感謝の意を表します。

 

 太田さんに出会ったのは、2003年(平成15年)の秋であったと思います。仏教タイムズ編集長の工藤さんから紹介されてのものでした。南米ペルーで日系人向けの『ペルー新報』日本語版編集長をされていましたので、日系ペルー人の葬儀事情について雑誌に計3回にわたって書いていただきました。

それを契機に2004年の夏から雑誌の取材、編集企画に、休刊に至るまで12年間の長きにわたり参画いただきました。

 太田さんが自ら書いているように、大学の演劇部活時代から、気のおけない親友と「殴り合う喧嘩」をするほど「熱い」人でした。私と出会った後もそうでした。強い信念と熱情をぶつけてきて、よく衝突したものです。

 しかし、熱くぶつかる、というのはまさに太田さんの個性で、それが彼の人に対する最大の敬意の表現でした。

 

 太田さんは終始人の生き死に、そのリアルな現場にこだわり続けた人でした。

 太田さんにとって「ライター」であることは、リアルな「現場」に行って、「現場」の声にひたすら耳を傾け、「現場」の声を発信することでした。「ライター」は誇りある仕事で、彼はその発信に責任を取るべく「署名記事であること」にこだわり抜きました。太田さんはよく「ライターの太田です」と言っていましたが、そこには強い自尊、プライド、使命感があったように思います。

 

 太田さんは2012年出家し、僧侶兼ライターとなりました。以降、私には立ち位置が変化したように思います。稼業としてはライターなのですが、彼が自己紹介で「ライター、僧侶」とは書かず、その後は「僧侶」が先で、「僧侶、ライター」と書くようになりました。僧侶としての自らの活動、問題意識を自らライターとして記録し、発信するようになりました。

 

 東日本大震災の被災地ボランティア活動に身を投じ、被災地で死者を鎮魂すること、被災者の傍に立つことを通じて自らを「僧侶」と自覚したのではないでしょうか。

 

 太田さんは「僧侶」としても異色でした。寺をもたない僧侶である太田さんは、東日本大震災に続き熊本地震の避難所の現場にもいち早く入り、新潟では終末期医療の現場における宗教者としての臨床ケアに従事しました。また、派遣僧侶として家族と死別し、悲しみ、混乱を抱えた遺族に寄り添い法事を勤め、ペットを亡くし深い喪失にある人の傍らに立ち、海洋散骨の現場で弔い、鎮魂しました。

彼のフェイスブックには、自らが重病で死に臨んでいるのに、医師の反対を無視し、病院を脱出して、一つひとつのリアルな死を弔い供養する法事を大切に勤めた様が書かれています。

 

 日本において400年以上の昔、位階をもたない、まさに半僧半俗の「遁世僧」「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶たちが、大寺院での栄達を望まず、民衆の死の現場に分け入った如く、彼は現代において「聖」であろうとしたのだと思います。

 

 太田宏人さんは、48年というけっして長いとは言えない人生を、疾風の如く生き切りました。

友人である柏木篤志さんが悪性腫瘍のため45歳で死亡された時、太田さんは次のように書きました。

「最期の時まで、柏木篤志は生き抜いた。病魔に身体は蝕まれた。それは事実だ。だが彼の精神は1ミリたりとも敗退しなかった。最後の最後まで、柏木は父親として尊厳ある死を全うした」

まさに太田さんも「尊厳ある死を全う」されました。自身で書かれたように、「その生き様によって、大いなるものを」、ご家族に、そして私どもに遺してくれました。

 

 太田宏人さんが深く愛されたご家族、奥様、お二人のお嬢様、ごきょうだいの皆様に対し、心からなる哀悼の意を表します。また、自分が大切だと信じたものに対し、覚悟をもって挑み続けた太田宏人さんに深い敬意を表し、追悼の言葉とします。

 2018年(平成30年)5月25日

 

 

 

 

 

 

2018年5月18日 (金)

訃報 太田宏人さんのこと

2004年から2016年の休刊に至るまで、雑誌『SOGI』の取材、編集に参画いただいた太田宏人さんが515日午前719分に亡くなられた。

太田宏人さん(太田さんのFacebookから)
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15日に太田さんのFacebook
https://www.facebook.com/hirohito.ota.7

にお嬢さんが難病で入院加療中であったが「今朝死亡」と書き込まれていたのを八木芳久さんがシェアされて知った。
その後にご家族が葬儀の日程も書き込まれていたが、今は太田さんご自身が書いた状態のままになっているので、ここで記載しておく。

 

訃報によれば

喪主:太田プリシラ(妻)

通夜:524日(木)午後6時~

葬儀:525日(金)午前10時半~12

式場:臨海斎場 第3・4式場

式場住所:大田区東海1-3-1

式場電話番号:03-5755-2833

供花・問い合わせ連絡先:山田屋葬儀社 

電話03-3761-1493

ファックス03-3761-3950

 

一時、25日の開始時刻が11時となっていたが、山田屋葬儀社さんに問い合わせたところ、「ご家族がゆっくりお別れしたい」との意向で開始を30分繰り上げて長くしたとのこと。

 

昨日は式場にメモリアルコーナーを設け、「太田さんの書いた原稿の雑誌掲載誌を並べたい」という村田ますみさんの希望で、バックナンバーをチェックし、太田さんが書いた記事、編集した記事すべてに付箋をつけ、19時に2箱をヤマト便で送った。

太田さんと知り合ったきっかけは「世界の葬儀式」というコーナーがあり、仏教タイムズの工藤編集長の紹介でペルーの葬送事情について書いてもらったことだ。
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回連続カラーで掲載した。
雑誌掲載が20041月からなので、2003年秋に最初に会ったのだと思う。

ペルーの日系紙『ペルー新報』で長く日本語編集長をして、日本に戻り、フリーランスのライターとして多彩な執筆をしていた

南米の仏教事情ということで工藤さんと知り合い、そこから私たちの雑誌につながった。

 

雑誌の取材・編集に加わってもらったのは2004年の夏以来である。
彼は途中、曹洞宗の僧侶の資格も取得し、Facebookでの自己紹介によるならば「僧侶、ライター」として活動してきた。

僧侶として東日本大震災、熊本地震に際してはすぐ被災地入りして、しかも長期にわたって支援活動を展開した。
また、終末期の臨床ケアを長期にわたって行った。
雑誌『SOGI』に彼はそのことについても率直に書いている。

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197041日生まれというから48歳。

まさに油の乗り切っている歳。

彼の終末期の記録をみると、膠原病その他を抱え、最後は目も不自由となり、病気の行く末に期待できず、死に向き合い、しかし生き続けた壮烈な様がうかがえる。
重病人で外出を厳しく医者に止められても、少しでも動けるなら、最後まで法事に駆けつけた。

仏教、被災者、死者、遺族、患者に向き合い、自らの家族を思い、最後までいささか慌ただしく生き切った。

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「現場」にこだわった人であった。
彼の担当したコーナーには「現場から現場へ」と名付けられた。

熱い情熱と鋭い問題意識で執拗に問い続けた。

 

私もどちらかといえば短気な人間であるので、よく衝突した。

しかし彼の「異質な眼」は確実に雑誌の視点を拡げてくれるものであった。

私たちにとって、彼の書くもの、取り上げるものはとても大切なものであった。

 

こちらが才なく、雑誌休刊ということになったが、それゆえ彼の貢献に充分な報いができなかったが、最後まで雑誌を継続することに付き添ってくれた。
深い感謝を捧げる。

 

彼の死後にFacebookにはたくさんの仲間、ペルーからも多くの追悼の言葉が寄せられた。
その中で熊本地震の避難所にボランティアとして出かけた太田さんが、日に34回黙ってトイレを清掃していた様が目撃した人から報告されていた。
その現場ですべきことをする。
それが太田さんの48年の生涯を貫いた覚悟のようなものではなかったか。

最初に雑誌『SOGI』に寄稿した原稿
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2018年4月 1日 (日)

『葬儀概論』四訂第2刷、『解題 葬儀概論』改訂版ができました

『葬儀概論』4訂2刷 2018年3月30日発行

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『葬儀概論』の初版は1996年4月、改訂版が2003年5月、大幅に増ページした増補三訂版が2011年4月、四訂版が2017年4月に出した。

大きな改訂は4回であるが、毎年最新データに入れ替えたり、小さな修正、追加を行っている。

今回四訂版の第2刷を出すにあたっても微修正を行っている。大きいのは第10章関連法規とその解説で死体取扱規則を死因・身元調査法に差し替えた点である。

結果としては微修正であるが、見直しを全ページにわたって行っている。基本は該当ページを変更しない条件で行っている。ページ数の変更をよぎなくされるものは、表現を多少いじり、次の改訂版に持ち越す。
辞書を編むような地道な作業である。
膨大な索引もやり直す。用語数が増えているがページ数は変更しないので、デザイナーには苦労を掛けた。

『葬儀概論』には何が書かれているか?

『葬儀概論』は、葬祭ディレクター技能審査のテキストとして作成したが、葬送について学ぼうとする人々にとっては欠かせないもの、と自負している。
葬送の歴史を古代から現在までを記述しているのは本書しかない。
その内容をあるものは大きく、あるものは細かく以下示す。

第1章 葬儀の意味

第2章 葬儀の歴史

(資料)死と葬送の日本の歴史年表、葬儀の起源、日本の古代の葬送儀礼、古代の葬儀観、厚葬から薄葬へ、御霊信仰、天皇の葬儀と仏教、法華三昧と常行三昧、(略)、明治維新と神仏分離、近世・近代の火葬の歴史、明治時代の葬儀、戦前までの葬儀、戦後の葬儀、現在の葬儀事情

第3章 死とその環境

死の環境(臨終、死の場所、死亡者数の推移、増える65歳以上人口、高齢者の死の割合の増加)、死の判定と死因調査(死の判定、「脳死」の問題、死亡診断書と死体検案書、死因調査、監察医制度、行政解剖と司法解剖、死因、自死、葬祭業者は法的に死が確定しないと遺体を取り扱えない)、遺体と公衆衛生

第4章 葬儀の実際

臨終、受付、遺体の引き取り・安置、打ち合わせ、見積、枕飾り、枕経・遺体処置・納棺、設営、幕張、飾りつけ、通夜、葬儀、司会進行、接客・誘導、出棺、火葬、葬儀後の会食、撤収、請求・集金、アフターサービス、法要、事前相談

第5章 葬儀の知識

死亡記事・死亡広告、告別の方法(焼香、献花、玉串拝礼、宗派による焼香の違い、等)、香典、返礼品、霊柩車、棺、祭壇(祭壇の原型と変遷、祭壇の位置づけ、等)、葬具、戒名(法名・法号)、布施、仏壇・仏具、墓(墓石の形態、墓埋法に規定された「お墓」、埋葬(埋蔵)、改葬、墓地の分類、使用権、お墓の承継、埋骨方法、散骨、樹木葬・桜葬)、死後の手続き、相続、遺言、相続税、遺体の海外移送、海外の葬儀事情、葬儀と習俗、葬儀の生前準備、顧客獲得システム、グリーフワーク

第6章 社葬・団体葬

第7章 日本の宗教の概要

日本の宗教団体概要、神道(神道、神社神道、教派神道)、仏教(仏教の歴史、奈良仏教系、天台宗系、真言宗系、修験道系、鎌倉仏教、浄土宗系、浄土真宗系、融通念仏宗、時宗、日蓮宗系、臨済宗、曹洞宗、新教派系)、キリスト教(キリスト教の歴史、日本への伝来、現在日本のキリスト教)、諸教(諸教の概念、諸教の概要)

第8章 宗教儀礼

神葬祭、天台宗の葬儀、真言宗の葬儀、浄土宗の葬儀、浄土真宗の葬儀(浄土真宗の葬儀の意味、臨終と通夜、本願寺派の葬儀式、大谷派の葬儀式)、臨済宗の葬儀、曹洞宗の葬儀、日蓮宗の葬儀、カトリックの葬儀、プロテスタントの葬儀、天理教の葬儀、金光教の葬儀、友人葬

第9章 葬祭サービスと葬祭ディレクター

事例研究、事例からの教訓、葬祭サービスとは何か?、葬祭ディレクターの倫理

第10章 関連法規とその解説

墓地、埋葬等に関する法律、感染症法、船員法、医師法、戸籍法、軽犯罪法、刑法、刑事訴訟法、死体解剖保存法、献体法、警察官等が取り扱う死体の原因又は身元調査等に関する法律、行旅病人及び行旅死亡人取扱法、臓器移植法、貨物運送事業法、生活保護法、割賦販売法、都市計画法、建築基準法、民法、消費者契約法、景品表示法

多くの書物、情報、協力があったからこそまとめることができたことは言うまでもない。
各章末の参考文献は直接参照しなかった文献以外にも注目すべき文献を示しているので用途は広いだろう。


『解題 葬儀概論』改訂版 2018年3月30日発行

『解題 葬儀概論』は2014年に初版で以後は手を一切加えていなかった。
これは『葬儀概論』の増補三訂4刷をベースにしていたが、今回は四訂2刷をベースに改訂を行った。

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これは葬祭ディレクター技能審査の学科試験用のテキストで、過去問題を単に〇×で覚えるのではなく、文脈で学習できるようにと、問題解説を主として葬儀概論の該当箇所、場合により複数個所を提示して行っているもの。
今回は問題を一部差し換え、問題解説を充実させている。
学科試験対策としては極めてていねいにできているはずである。

これを作った経緯は、
試験問題には重要項目がある。
過去出題のも含まれることがある。
そのままの場合には正解率は著しく高いのだが、同じ内容を出題形式をほんの少し変更しただけで、正解率が著しく低下する現象を憂えてであった。

知識を文脈で理解しないと、本当の知識を身に着けたことにはならない、という危機感からであった。

『解題 葬儀概論』は私の手作りである。
ワードで文書を作成したものをpdfのプレス品質に変換し、印刷会社に直接渡す。
そのため素人感満載であるが、内容的には不足はない。
最後の修正まで自分で操作している。
自分で最後までする、というのは欠点もある。
打ちミスもあるからだ。
すべてプリントして校正はするのだが、どうしても客観視に欠ける点が残る。

『葬儀概論』は毎年の受験者が新たに購入してくれればいいのだが、そうはいかない。
旧版を先輩から譲られて受験する人もいる。
前回の大幅改訂が2011年の増補三訂版であるから、『解題 葬儀概論』(改訂版)の末尾に約4ページの「4訂版以降についての補遺」を加えた。

『葬儀概論』はB5判360ページ、『解題 葬儀概論』はA4判168ページに及ぶ。
したがって作業中は手元のインクジェットプリンターが凄まじく働く。
紙の消費は膨大である。
今年は画面上で赤字を入れられるSurface Proにパソコンを換えて紙消費を少なくしたが、それでも最後は紙での確認になる。

葬祭ディレクター技能審査は1996年の第1回から2016年第21回まで関係し、今は引退しているが、テキスト作成には著者としての責任をもっている。
次の世代に引き継ぐまで残された時間は多くない。
自分の頭がどこまで機能してくれるか、にかかっている。

★『葬儀概論』『解題 葬儀概論』の求め先

葬祭ディレクター技能審査協会
〒105-0023東京都港区西新橋1-18-12 COMS虎ノ門6F
電話 03-6206-1281 Fax 03-3500-4212
〒108-0075東京都港区港南2-4-12 港南YKビル4F
電話 03-5769-8704 Fax 03-5769-8702

なお『葬儀概論』は定価10,258円、『解題 葬儀概論』は定価3,000円となっている(送料別)。


2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

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目次

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互井住職×碑文谷創

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合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

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2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

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談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年1月30日 (火)

四畳半からの報告20180130

IFSA(日本遺体衛生保全協会=エンバーミングの組織)から『エンバーミング技術』3号が出た。



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目次
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日本のエンバーマーたちの技術進化はめざましく、先進国の北米とも遜色ないレベルになっている。
今回の3号は橋詰知子さん(スーパーバイザー、燦ホールディングスグループ公益社)が座長となってまとめたもの。
馬塲、佐藤(貴)、関、橋詰さんが創刊号からの編集委員。
監修は高篠智(杏林大医学部講師)、宇屋貴(スーパーバイザー)さん

私は創刊号以来の最後の尻たたき役で制作を完成する役。
こういう若い人たちと一緒にする仕事は楽しかった。

1000円+郵送料
事務局は
〒254‐0013神奈川県平塚市田村9-9-16
電話0463-52-0544
メール:formail@embalming.jp
ホームページ:http://www.embalming.jp/
こうした仕事もしている。


昨晩、白河の青木かおるさんから電話があり衝撃を受けた。

全葬連会長、公益社(京都)会長、葬祭ディレクター技能審査協会会長の
松井昭憲さん(75)が急逝された。
今朝、京都公益社の松井さんと同級生で営業本部長の加藤さんに電話してうかがったところによると
死亡は19日、24日には密葬を近親者で済ませ、2月15日13時から京都駅近くの公益社南ブライトホールにて社葬が行われるとのこと。
文字通りの急逝。
深夜に浴室で倒れ、救急車で搬送し、搬送先の病院で息を引き取られたとのこと。

松井さんとは先代で全葬連2代目会長を務めた松井信史朗さんからの付き合い。
雑誌を創刊した当時、先代が全葬連の役員に私を紹介してくださった。

昭憲さんは私の4つ上。
全葬連教育研修委員長の時、中央にあまり出て来られない所属員のために地方でセミナーをやる、というので当時燦ホールディングスの社長であった吉田武さんと私が組んで地方行脚したのはよく覚えている。

全葬連会長になって以降、「勉強したい」というので上京された折に、しばしば品川駅近くのホテルで「家庭教師」を務めさせていただいた。
京都公益社の社員研修等で話をさせていただいたこともある。

全葬連と全日本仏教会では今でも定期的に意見交換を行っているが、松井さんが会長になってからのこと。
仏教会と葬祭業界が話もしたことがないのはおかしい、というので初回は私が仲立ちをさせてもらった。

葬祭業界の国際組織であるFIAT‐IFTA(国際葬儀連盟)の副会長で、今年会長に就任が内定していた。
就任演説の原稿を依頼され、昨年すでに渡していたが、読まれることはなくなった。

さまざまな評価はあるだろう。
だが、私は個人的に親しくさせていただいたことを深く恩義に感じている。
一昨年の私の雑誌休刊、事務所閉鎖でも、変わらぬ付き合いをさせていただいた数少ない一人であった。
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京都新聞の訃報はhttp://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180129000144

公益社会長の松井昭憲氏(まつい・あきのり)が19日午前1時15分、急性心筋梗塞のため京都市内の病院で死去した。75歳。京都市出身。近親者で密葬を行った。社葬は2月15日午後1時から京都市南区西九条池ノ内町60、公益社・南ブライトホールで開く。葬儀委員長は京都銀行頭取の土井伸宏氏。喪主は長男雄(ゆう)氏。

 2004年から全日本葬祭業協同組合連合会長を務めた。

個人的なことで言えば
昨年末に母方の叔母(母の弟の妻)が亡くなった。
これで親の世代が全員死んだ。
といっても子世代でも従妹が62歳で、姉が72歳で死んでいる。
生命は順番どおりとは限らない。

私も姉の死んだ歳に並んだ。
いつ死んでもおかしくない歳であるし、自覚はあるのだが、元気であるため長命しそうなのが不安である。
「死ぬことが怖い」
というが、幾多の友人、身内の死を経験することで、それはない。

いのちの価値はけっして長さではない。
また、自分のことを考えても、若い時に書いたものを今書けと言われてもできない。
今が「成熟」というわけではない。
歳を重ねての成長もあるし、退化もある。
その時、その時の価値があるのだと思う。
また、過ぎ去ったことは後悔しても戻れない。

また、いのちの長短は自分ではけっして選べない。

話は変わるが、昨秋に新潟妙光寺の住職交代での記念誌
『角田山妙光寺法燈継承式記念誌 妙光寺のこれまで、そして、これから』
を編集させていただいた。
さんざん皆であーでもない、こーでもない、と打ち合わせを重ね、寺の全体像をどう伝えたらいいかを議論して作った。
寺に関係する人が自分の関心のあるところから、どこからでも読めて、負担なく読める、ということを一義的に考えて編んだ。
また、若い世代の僧侶たちに読んでもらいたい、と願って編んだ。
地方の過疎地にあるけっして豊かとはいえない寺がどう歩んできたか、檀家の人たちの暮らしにどう寄り添ったか、写真1枚1枚にこだわって編んだ。
永代供養墓の先駆者という派手な面だけではなく、地味な歩みも知ってほしかった。

この記念誌を毎日新聞の昨日(2018年1月29日)朝刊コラム「身じまい練習帳」で滝野記者が取り上げてくれた。
滝野記者のFacebookにはその前後のことも含めて書いてある。
https://www.facebook.com/takahiro.takino.3?fref=hovercard&hc_location=friends_tab

若い世代の僧侶たちに読んでほしい。
入手は可能だ。
価格はついていないが、1冊あたり実費だけで2千円はかかっている、ということは頭に入れて郵送費込みで寺に申し込んでほしい。
といっても残部がたくさんあるわけではない。
真に読みたい人だけが申し込んでもらえば、と思う。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html
もっともわけてくれるかを私が保証するものではない。

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