報告

2018年5月26日 (土)

報告 太田宏人さんの葬儀のこと

201852425日、15日早朝に48歳の若さで亡くなった太田宏人さんの葬儀が行われた。

太田さんは、雑誌『SOGI』を休刊に至るまでの後期、12年間にわたり共に支えてくれた。
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東京都大田区の臨海斎場(最寄り駅モノレール流通センター)で、2418時から通夜、2510時半から葬儀が行われた。
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会葬者で目立ったのは彼の属する曹洞宗のみならず各宗派の若い僧侶たち。

彼が東日本大震災の後、長期に係わり、死後遺骨の一部を散骨してほしいと熱望した宮城県女川の若い僧侶も駆けつけた。

全国から駆けつけた僧侶、神職の多くは24日または25日日帰りで馳せ参じた。

葬儀の裏方は海洋葬や終活カウンセラー等の活動を支える人たちが中心になってくれた。

 

201410月号に太田さんは築地のがんセンターで亡くなったお母さんの死について書いている。
http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html

その中で印象深いのは、次の文章である。

 

よく、死生学や終末関係の記事などに「死を想え(メメント・モリ)」だとか、「死を学習しよう」などと書かれています。私も「メメント・モリ」が、生を際立たせるためには必要不可欠なことと思います。しかし、現実の人の死に様から離れたところで語られる「死」は観念に過ぎません。記号にさえ思えます。
実際の「死」は衝撃をともないます。
衝撃をともなうリアルな「死」は本人だけではなく、家族や縁ある人々も程度の差こそあれ、ともに体験するものです。

 

私は彼の書いたことを全面的に首肯する。

 

彼は同じ文中に書いている。

 

亡くなられた方々や遺族たちの人生の物語が欠落していては、それは「死の表層」でしかない。

 

太田さんの葬儀会場(1Fに式場、2Fにメモリアルコーナー)は、彼と彼の家族、彼の仲間の「物語」が満ちたものであった。

太田さんの若い日々
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僧侶・太田さん
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ご家族
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メモリアルコーナーでとりわけ目を引いたのは、お二人の娘さんが亡くなった彼に寄せた恋文であった。

 

出棺に際して、夫人とお二人の娘さんがそれぞれ自らの言葉で、詰まり詰まり挨拶されたが、それぞれが彼に「愛しています」と強く言い切っていた。

 

弔辞は最初に師僧である寺江規克師(曹洞宗蔵守院住職)。

彼との出会いは、ペルーの日系人のための寺、曹洞宗慈恩寺で放置された寺、墓地、位牌について曹洞宗宗務院に訴えがあり1999年に宗務院にいた寺江師が現地視察に赴いたこと。
寺江師が現地で1994年からペルーに行き、日系ペルー人向け『ペルー新報』日本語版編集長をしていた彼に出会う。
太田宏人さんは放置された位牌すべてを書き写し、今では知られなくなった人たちの物語を復刻する。

太田さんの情熱に煽られるように寺江師は日系ペルー人の鎮魂の作業を共にした。

寺江師の寺は青梅線の羽村駅が最寄りだろうか?
寺江師に随って修行し、20124月に彼は出家、得度をするのだが、弟子である彼の送り迎えを師である寺江師が行ったという。
「普通は逆だが、私は喜んで弟子の送り迎えをした」
と寺江師は述懐しておられた。
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2番目に弔辞を寄せたのは、太田さんと国学院大学神道学科の同級生、神社系の一般財団法人日本興隆財団事務局長の佐久間宏和さん。

大学卒業後、1994年に太田さんは忽然と姿を消した(ペルーに行った)という。
「太田!」と呼びかけた佐久間さんは、学生時代のヤンチャな太田さんとの日々、2000年に帰国後、佐久間さんの季刊誌『皇室』に書き、東日本大震災で被災した神社の仮宮を設ける活動、被災地レポートを彼に頼んだことを愛情深く語った。

太田さんは熊本地震でも神職たちと被災地で協働した。

太田さんは曹洞宗の僧侶であるが、他の仏教宗派、神道の神職、キリスト教の牧師とも広く、また生死の現場で協働した、宗教の枠を超えた宗教者であった。

 

3番目は、「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」発起人、宗教者災害支援連絡会世話人、大阪大学教授の稲葉圭信さん。
東日本大震災、熊本地震に際し稲葉さんは被災地に行き、被災地で活動をする宗教者と深く連携した。
そこに太田さんがいた。

稲葉さんのブログ「避難所でトイレの仏様に出会った!」

http://altruism.blog56.fc2.com/blog-entry-331.html

は、太田さんの被災地支援活動の「現場」を活写している。
稲葉さんが3回目の熊本入りのおり、避難所で太田さんに出会った。

 

その避難所には、仮設トイレを掃除する人たちがいる。被災者が自主的に、トイレットペーパーを取り換えたり、掃除をしている。そこに単独で参加し、掃除の合間に被災者の声に耳を傾ける僧侶のO氏。
彼は、仮設トイレをすべて手作業で拭き掃除をした。他のボランティアがしない便器内も手作業で拭く。
(略)
O氏は、午前、午後と毎日、仮設トイレの掃除を続けた。避難所の仮設トイレが汚いと、トイレの利用回数を減らそうとする人もいる。そのために、水分摂取量を控え、体調を崩す。仮設トイレがきれいであれば、利用する人の心と体の負担が軽減される。

消毒液のにおい、便器からの飛沫も服につく。O氏の黒いシャツは、汗で白い粉が吹いていた。手は、トイレ掃除をおわって、消毒液のニオイが。その彼と握手をした。

表に出ないボランティア。地味な活動かもしれない。しかし、避難所の仮設トイレを利用している避難者は気がついていたであろう。
そう、O氏の顔は輝いていた。私は避難所で確かに「トイレの仏様」に出会ったのだ。

 

この「O氏」こそ、太田宏人さんであった。

 

4番目が私であったが、私の次に弔辞を述べたのが、ペルー食品、ブラジル食品、その他在留外国人向けサービスを展開するキョウダイジャパンの木本結一郎さん。
日系ペルー人が日本に来て頼るのがキョウダイジャパンのサービスだ。
太田さんの夫人太田プリシラさんは日系ペルー人、ペルーで太田さんと出会い、結婚して2000年に来日。
太田夫妻を支えたのが木本さん夫妻。
まさに同志であった。

 

太田さんは日本に帰国後もペルーにいる日系ペルー人のために、また日本に来たペルー系日本人のために半端じゃないエネルギーを割いた。

 

私は太田さんと2004年から2016年まで一緒に仕事をして、日系ペルー人のこと、被災地での活動のことを彼から聞き、また、彼はそのことを雑誌に書いた。
だが、この日弔辞を述べた、彼との協働者たちと会ったのは初めて。
また、大阪・應典院の秋田光彦師、溝口さん、大竹さん、八木さん等の古くからの知り合いにも会ったが、話は聞いていたが初めてお会いする人が多かった。

 

葬儀の前に祭壇の中段に置かれた太田さんと面会した。
ふくよかで逞しかった彼は痩せていた。
しかし、その顔は清々としていた。

 

24日、25日と続いた葬儀、私はすっかり疲れた。
考えてみれば彼は私の息子たちと同年輩。
「生き切った」とはいえ、思いを残しての死だったろう。
暗澹とし、重い錘を心だけではなく、身体の底に抱え、ヒーヒーと呻いている自分がいた。

 

以下は、私が25日に読ませていただいた弔辞である。

 

弔辞

碑文谷 創

 12年間雑誌『SOGI』の外部スタッフとして取材、編集に参画してくれた太田宏人さんに対して、共に雑誌制作を行った者たちを代表し、ここに厚い感謝の意を表します。

 

 太田さんに出会ったのは、2003年(平成15年)の秋であったと思います。仏教タイムズ編集長の工藤さんから紹介されてのものでした。南米ペルーで日系人向けの『ペルー新報』日本語版編集長をされていましたので、日系ペルー人の葬儀事情について雑誌に計3回にわたって書いていただきました。

それを契機に2004年の夏から雑誌の取材、編集企画に、休刊に至るまで12年間の長きにわたり参画いただきました。

 太田さんが自ら書いているように、大学の演劇部活時代から、気のおけない親友と「殴り合う喧嘩」をするほど「熱い」人でした。私と出会った後もそうでした。強い信念と熱情をぶつけてきて、よく衝突したものです。

 しかし、熱くぶつかる、というのはまさに太田さんの個性で、それが彼の人に対する最大の敬意の表現でした。

 

 太田さんは終始人の生き死に、そのリアルな現場にこだわり続けた人でした。

 太田さんにとって「ライター」であることは、リアルな「現場」に行って、「現場」の声にひたすら耳を傾け、「現場」の声を発信することでした。「ライター」は誇りある仕事で、彼はその発信に責任を取るべく「署名記事であること」にこだわり抜きました。太田さんはよく「ライターの太田です」と言っていましたが、そこには強い自尊、プライド、使命感があったように思います。

 

 太田さんは2012年出家し、僧侶兼ライターとなりました。以降、私には立ち位置が変化したように思います。稼業としてはライターなのですが、彼が自己紹介で「ライター、僧侶」とは書かず、その後は「僧侶」が先で、「僧侶、ライター」と書くようになりました。僧侶としての自らの活動、問題意識を自らライターとして記録し、発信するようになりました。

 

 東日本大震災の被災地ボランティア活動に身を投じ、被災地で死者を鎮魂すること、被災者の傍に立つことを通じて自らを「僧侶」と自覚したのではないでしょうか。

 

 太田さんは「僧侶」としても異色でした。寺をもたない僧侶である太田さんは、東日本大震災に続き熊本地震の避難所の現場にもいち早く入り、新潟では終末期医療の現場における宗教者としての臨床ケアに従事しました。また、派遣僧侶として家族と死別し、悲しみ、混乱を抱えた遺族に寄り添い法事を勤め、ペットを亡くし深い喪失にある人の傍らに立ち、海洋散骨の現場で弔い、鎮魂しました。

彼のフェイスブックには、自らが重病で死に臨んでいるのに、医師の反対を無視し、病院を脱出して、一つひとつのリアルな死を弔い供養する法事を大切に勤めた様が書かれています。

 

 日本において400年以上の昔、位階をもたない、まさに半僧半俗の「遁世僧」「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶たちが、大寺院での栄達を望まず、民衆の死の現場に分け入った如く、彼は現代において「聖」であろうとしたのだと思います。

 

 太田宏人さんは、48年というけっして長いとは言えない人生を、疾風の如く生き切りました。

友人である柏木篤志さんが悪性腫瘍のため45歳で死亡された時、太田さんは次のように書きました。

「最期の時まで、柏木篤志は生き抜いた。病魔に身体は蝕まれた。それは事実だ。だが彼の精神は1ミリたりとも敗退しなかった。最後の最後まで、柏木は父親として尊厳ある死を全うした」

まさに太田さんも「尊厳ある死を全う」されました。自身で書かれたように、「その生き様によって、大いなるものを」、ご家族に、そして私どもに遺してくれました。

 

 太田宏人さんが深く愛されたご家族、奥様、お二人のお嬢様、ごきょうだいの皆様に対し、心からなる哀悼の意を表します。また、自分が大切だと信じたものに対し、覚悟をもって挑み続けた太田宏人さんに深い敬意を表し、追悼の言葉とします。

 2018年(平成30年)5月25日

 

 

 

 

 

 

2018年5月18日 (金)

訃報 太田宏人さんのこと

2004年から2016年の休刊に至るまで、雑誌『SOGI』の取材、編集に参画いただいた太田宏人さんが515日午前719分に亡くなられた。

太田宏人さん(太田さんのFacebookから)
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15日に太田さんのFacebook
https://www.facebook.com/hirohito.ota.7

にお嬢さんが難病で入院加療中であったが「今朝死亡」と書き込まれていたのを八木芳久さんがシェアされて知った。
その後にご家族が葬儀の日程も書き込まれていたが、今は太田さんご自身が書いた状態のままになっているので、ここで記載しておく。

 

訃報によれば

喪主:太田プリシラ(妻)

通夜:524日(木)午後6時~

葬儀:525日(金)午前10時半~12

式場:臨海斎場 第3・4式場

式場住所:大田区東海1-3-1

式場電話番号:03-5755-2833

供花・問い合わせ連絡先:山田屋葬儀社 

電話03-3761-1493

ファックス03-3761-3950

 

一時、25日の開始時刻が11時となっていたが、山田屋葬儀社さんに問い合わせたところ、「ご家族がゆっくりお別れしたい」との意向で開始を30分繰り上げて長くしたとのこと。

 

昨日は式場にメモリアルコーナーを設け、「太田さんの書いた原稿の雑誌掲載誌を並べたい」という村田ますみさんの希望で、バックナンバーをチェックし、太田さんが書いた記事、編集した記事すべてに付箋をつけ、19時に2箱をヤマト便で送った。

太田さんと知り合ったきっかけは「世界の葬儀式」というコーナーがあり、仏教タイムズの工藤編集長の紹介でペルーの葬送事情について書いてもらったことだ。
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回連続カラーで掲載した。
雑誌掲載が20041月からなので、2003年秋に最初に会ったのだと思う。

ペルーの日系紙『ペルー新報』で長く日本語編集長をして、日本に戻り、フリーランスのライターとして多彩な執筆をしていた

南米の仏教事情ということで工藤さんと知り合い、そこから私たちの雑誌につながった。

 

雑誌の取材・編集に加わってもらったのは2004年の夏以来である。
彼は途中、曹洞宗の僧侶の資格も取得し、Facebookでの自己紹介によるならば「僧侶、ライター」として活動してきた。

僧侶として東日本大震災、熊本地震に際してはすぐ被災地入りして、しかも長期にわたって支援活動を展開した。
また、終末期の臨床ケアを長期にわたって行った。
雑誌『SOGI』に彼はそのことについても率直に書いている。

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197041日生まれというから48歳。

まさに油の乗り切っている歳。

彼の終末期の記録をみると、膠原病その他を抱え、最後は目も不自由となり、病気の行く末に期待できず、死に向き合い、しかし生き続けた壮烈な様がうかがえる。
重病人で外出を厳しく医者に止められても、少しでも動けるなら、最後まで法事に駆けつけた。

仏教、被災者、死者、遺族、患者に向き合い、自らの家族を思い、最後までいささか慌ただしく生き切った。

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「現場」にこだわった人であった。
彼の担当したコーナーには「現場から現場へ」と名付けられた。

熱い情熱と鋭い問題意識で執拗に問い続けた。

 

私もどちらかといえば短気な人間であるので、よく衝突した。

しかし彼の「異質な眼」は確実に雑誌の視点を拡げてくれるものであった。

私たちにとって、彼の書くもの、取り上げるものはとても大切なものであった。

 

こちらが才なく、雑誌休刊ということになったが、それゆえ彼の貢献に充分な報いができなかったが、最後まで雑誌を継続することに付き添ってくれた。
深い感謝を捧げる。

 

彼の死後にFacebookにはたくさんの仲間、ペルーからも多くの追悼の言葉が寄せられた。
その中で熊本地震の避難所にボランティアとして出かけた太田さんが、日に34回黙ってトイレを清掃していた様が目撃した人から報告されていた。
その現場ですべきことをする。
それが太田さんの48年の生涯を貫いた覚悟のようなものではなかったか。

最初に雑誌『SOGI』に寄稿した原稿
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2018年4月 1日 (日)

『葬儀概論』四訂第2刷、『解題 葬儀概論』改訂版ができました

『葬儀概論』4訂2刷 2018年3月30日発行

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『葬儀概論』の初版は1996年4月、改訂版が2003年5月、大幅に増ページした増補三訂版が2011年4月、四訂版が2017年4月に出した。

大きな改訂は4回であるが、毎年最新データに入れ替えたり、小さな修正、追加を行っている。

今回四訂版の第2刷を出すにあたっても微修正を行っている。大きいのは第10章関連法規とその解説で死体取扱規則を死因・身元調査法に差し替えた点である。

結果としては微修正であるが、見直しを全ページにわたって行っている。基本は該当ページを変更しない条件で行っている。ページ数の変更をよぎなくされるものは、表現を多少いじり、次の改訂版に持ち越す。
辞書を編むような地道な作業である。
膨大な索引もやり直す。用語数が増えているがページ数は変更しないので、デザイナーには苦労を掛けた。

『葬儀概論』には何が書かれているか?

『葬儀概論』は、葬祭ディレクター技能審査のテキストとして作成したが、葬送について学ぼうとする人々にとっては欠かせないもの、と自負している。
葬送の歴史を古代から現在までを記述しているのは本書しかない。
その内容をあるものは大きく、あるものは細かく以下示す。

第1章 葬儀の意味

第2章 葬儀の歴史

(資料)死と葬送の日本の歴史年表、葬儀の起源、日本の古代の葬送儀礼、古代の葬儀観、厚葬から薄葬へ、御霊信仰、天皇の葬儀と仏教、法華三昧と常行三昧、(略)、明治維新と神仏分離、近世・近代の火葬の歴史、明治時代の葬儀、戦前までの葬儀、戦後の葬儀、現在の葬儀事情

第3章 死とその環境

死の環境(臨終、死の場所、死亡者数の推移、増える65歳以上人口、高齢者の死の割合の増加)、死の判定と死因調査(死の判定、「脳死」の問題、死亡診断書と死体検案書、死因調査、監察医制度、行政解剖と司法解剖、死因、自死、葬祭業者は法的に死が確定しないと遺体を取り扱えない)、遺体と公衆衛生

第4章 葬儀の実際

臨終、受付、遺体の引き取り・安置、打ち合わせ、見積、枕飾り、枕経・遺体処置・納棺、設営、幕張、飾りつけ、通夜、葬儀、司会進行、接客・誘導、出棺、火葬、葬儀後の会食、撤収、請求・集金、アフターサービス、法要、事前相談

第5章 葬儀の知識

死亡記事・死亡広告、告別の方法(焼香、献花、玉串拝礼、宗派による焼香の違い、等)、香典、返礼品、霊柩車、棺、祭壇(祭壇の原型と変遷、祭壇の位置づけ、等)、葬具、戒名(法名・法号)、布施、仏壇・仏具、墓(墓石の形態、墓埋法に規定された「お墓」、埋葬(埋蔵)、改葬、墓地の分類、使用権、お墓の承継、埋骨方法、散骨、樹木葬・桜葬)、死後の手続き、相続、遺言、相続税、遺体の海外移送、海外の葬儀事情、葬儀と習俗、葬儀の生前準備、顧客獲得システム、グリーフワーク

第6章 社葬・団体葬

第7章 日本の宗教の概要

日本の宗教団体概要、神道(神道、神社神道、教派神道)、仏教(仏教の歴史、奈良仏教系、天台宗系、真言宗系、修験道系、鎌倉仏教、浄土宗系、浄土真宗系、融通念仏宗、時宗、日蓮宗系、臨済宗、曹洞宗、新教派系)、キリスト教(キリスト教の歴史、日本への伝来、現在日本のキリスト教)、諸教(諸教の概念、諸教の概要)

第8章 宗教儀礼

神葬祭、天台宗の葬儀、真言宗の葬儀、浄土宗の葬儀、浄土真宗の葬儀(浄土真宗の葬儀の意味、臨終と通夜、本願寺派の葬儀式、大谷派の葬儀式)、臨済宗の葬儀、曹洞宗の葬儀、日蓮宗の葬儀、カトリックの葬儀、プロテスタントの葬儀、天理教の葬儀、金光教の葬儀、友人葬

第9章 葬祭サービスと葬祭ディレクター

事例研究、事例からの教訓、葬祭サービスとは何か?、葬祭ディレクターの倫理

第10章 関連法規とその解説

墓地、埋葬等に関する法律、感染症法、船員法、医師法、戸籍法、軽犯罪法、刑法、刑事訴訟法、死体解剖保存法、献体法、警察官等が取り扱う死体の原因又は身元調査等に関する法律、行旅病人及び行旅死亡人取扱法、臓器移植法、貨物運送事業法、生活保護法、割賦販売法、都市計画法、建築基準法、民法、消費者契約法、景品表示法

多くの書物、情報、協力があったからこそまとめることができたことは言うまでもない。
各章末の参考文献は直接参照しなかった文献以外にも注目すべき文献を示しているので用途は広いだろう。


『解題 葬儀概論』改訂版 2018年3月30日発行

『解題 葬儀概論』は2014年に初版で以後は手を一切加えていなかった。
これは『葬儀概論』の増補三訂4刷をベースにしていたが、今回は四訂2刷をベースに改訂を行った。

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これは葬祭ディレクター技能審査の学科試験用のテキストで、過去問題を単に〇×で覚えるのではなく、文脈で学習できるようにと、問題解説を主として葬儀概論の該当箇所、場合により複数個所を提示して行っているもの。
今回は問題を一部差し換え、問題解説を充実させている。
学科試験対策としては極めてていねいにできているはずである。

これを作った経緯は、
試験問題には重要項目がある。
過去出題のも含まれることがある。
そのままの場合には正解率は著しく高いのだが、同じ内容を出題形式をほんの少し変更しただけで、正解率が著しく低下する現象を憂えてであった。

知識を文脈で理解しないと、本当の知識を身に着けたことにはならない、という危機感からであった。

『解題 葬儀概論』は私の手作りである。
ワードで文書を作成したものをpdfのプレス品質に変換し、印刷会社に直接渡す。
そのため素人感満載であるが、内容的には不足はない。
最後の修正まで自分で操作している。
自分で最後までする、というのは欠点もある。
打ちミスもあるからだ。
すべてプリントして校正はするのだが、どうしても客観視に欠ける点が残る。

『葬儀概論』は毎年の受験者が新たに購入してくれればいいのだが、そうはいかない。
旧版を先輩から譲られて受験する人もいる。
前回の大幅改訂が2011年の増補三訂版であるから、『解題 葬儀概論』(改訂版)の末尾に約4ページの「4訂版以降についての補遺」を加えた。

『葬儀概論』はB5判360ページ、『解題 葬儀概論』はA4判168ページに及ぶ。
したがって作業中は手元のインクジェットプリンターが凄まじく働く。
紙の消費は膨大である。
今年は画面上で赤字を入れられるSurface Proにパソコンを換えて紙消費を少なくしたが、それでも最後は紙での確認になる。

葬祭ディレクター技能審査は1996年の第1回から2016年第21回まで関係し、今は引退しているが、テキスト作成には著者としての責任をもっている。
次の世代に引き継ぐまで残された時間は多くない。
自分の頭がどこまで機能してくれるか、にかかっている。

★『葬儀概論』『解題 葬儀概論』の求め先

葬祭ディレクター技能審査協会
〒105-0023東京都港区西新橋1-18-12 COMS虎ノ門6F
電話 03-6206-1281 Fax 03-3500-4212
〒108-0075東京都港区港南2-4-12 港南YKビル4F
電話 03-5769-8704 Fax 03-5769-8702

なお『葬儀概論』は定価10,258円、『解題 葬儀概論』は定価3,000円となっている(送料別)。


2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

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目次

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互井住職×碑文谷創

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合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

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2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

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談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年1月30日 (火)

四畳半からの報告20180130

IFSA(日本遺体衛生保全協会=エンバーミングの組織)から『エンバーミング技術』3号が出た。



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目次
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日本のエンバーマーたちの技術進化はめざましく、先進国の北米とも遜色ないレベルになっている。
今回の3号は橋詰知子さん(スーパーバイザー、燦ホールディングスグループ公益社)が座長となってまとめたもの。
馬塲、佐藤(貴)、関、橋詰さんが創刊号からの編集委員。
監修は高篠智(杏林大医学部講師)、宇屋貴(スーパーバイザー)さん

私は創刊号以来の最後の尻たたき役で制作を完成する役。
こういう若い人たちと一緒にする仕事は楽しかった。

1000円+郵送料
事務局は
〒254‐0013神奈川県平塚市田村9-9-16
電話0463-52-0544
メール:formail@embalming.jp
ホームページ:http://www.embalming.jp/
こうした仕事もしている。


昨晩、白河の青木かおるさんから電話があり衝撃を受けた。

全葬連会長、公益社(京都)会長、葬祭ディレクター技能審査協会会長の
松井昭憲さん(75)が急逝された。
今朝、京都公益社の松井さんと同級生で営業本部長の加藤さんに電話してうかがったところによると
死亡は19日、24日には密葬を近親者で済ませ、2月15日13時から京都駅近くの公益社南ブライトホールにて社葬が行われるとのこと。
文字通りの急逝。
深夜に浴室で倒れ、救急車で搬送し、搬送先の病院で息を引き取られたとのこと。

松井さんとは先代で全葬連2代目会長を務めた松井信史朗さんからの付き合い。
雑誌を創刊した当時、先代が全葬連の役員に私を紹介してくださった。

昭憲さんは私の4つ上。
全葬連教育研修委員長の時、中央にあまり出て来られない所属員のために地方でセミナーをやる、というので当時燦ホールディングスの社長であった吉田武さんと私が組んで地方行脚したのはよく覚えている。

全葬連会長になって以降、「勉強したい」というので上京された折に、しばしば品川駅近くのホテルで「家庭教師」を務めさせていただいた。
京都公益社の社員研修等で話をさせていただいたこともある。

全葬連と全日本仏教会では今でも定期的に意見交換を行っているが、松井さんが会長になってからのこと。
仏教会と葬祭業界が話もしたことがないのはおかしい、というので初回は私が仲立ちをさせてもらった。

葬祭業界の国際組織であるFIAT‐IFTA(国際葬儀連盟)の副会長で、今年会長に就任が内定していた。
就任演説の原稿を依頼され、昨年すでに渡していたが、読まれることはなくなった。

さまざまな評価はあるだろう。
だが、私は個人的に親しくさせていただいたことを深く恩義に感じている。
一昨年の私の雑誌休刊、事務所閉鎖でも、変わらぬ付き合いをさせていただいた数少ない一人であった。
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京都新聞の訃報はhttp://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180129000144

公益社会長の松井昭憲氏(まつい・あきのり)が19日午前1時15分、急性心筋梗塞のため京都市内の病院で死去した。75歳。京都市出身。近親者で密葬を行った。社葬は2月15日午後1時から京都市南区西九条池ノ内町60、公益社・南ブライトホールで開く。葬儀委員長は京都銀行頭取の土井伸宏氏。喪主は長男雄(ゆう)氏。

 2004年から全日本葬祭業協同組合連合会長を務めた。

個人的なことで言えば
昨年末に母方の叔母(母の弟の妻)が亡くなった。
これで親の世代が全員死んだ。
といっても子世代でも従妹が62歳で、姉が72歳で死んでいる。
生命は順番どおりとは限らない。

私も姉の死んだ歳に並んだ。
いつ死んでもおかしくない歳であるし、自覚はあるのだが、元気であるため長命しそうなのが不安である。
「死ぬことが怖い」
というが、幾多の友人、身内の死を経験することで、それはない。

いのちの価値はけっして長さではない。
また、自分のことを考えても、若い時に書いたものを今書けと言われてもできない。
今が「成熟」というわけではない。
歳を重ねての成長もあるし、退化もある。
その時、その時の価値があるのだと思う。
また、過ぎ去ったことは後悔しても戻れない。

また、いのちの長短は自分ではけっして選べない。

話は変わるが、昨秋に新潟妙光寺の住職交代での記念誌
『角田山妙光寺法燈継承式記念誌 妙光寺のこれまで、そして、これから』
を編集させていただいた。
さんざん皆であーでもない、こーでもない、と打ち合わせを重ね、寺の全体像をどう伝えたらいいかを議論して作った。
寺に関係する人が自分の関心のあるところから、どこからでも読めて、負担なく読める、ということを一義的に考えて編んだ。
また、若い世代の僧侶たちに読んでもらいたい、と願って編んだ。
地方の過疎地にあるけっして豊かとはいえない寺がどう歩んできたか、檀家の人たちの暮らしにどう寄り添ったか、写真1枚1枚にこだわって編んだ。
永代供養墓の先駆者という派手な面だけではなく、地味な歩みも知ってほしかった。

この記念誌を毎日新聞の昨日(2018年1月29日)朝刊コラム「身じまい練習帳」で滝野記者が取り上げてくれた。
滝野記者のFacebookにはその前後のことも含めて書いてある。
https://www.facebook.com/takahiro.takino.3?fref=hovercard&hc_location=friends_tab

若い世代の僧侶たちに読んでほしい。
入手は可能だ。
価格はついていないが、1冊あたり実費だけで2千円はかかっている、ということは頭に入れて郵送費込みで寺に申し込んでほしい。
といっても残部がたくさんあるわけではない。
真に読みたい人だけが申し込んでもらえば、と思う。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html
もっともわけてくれるかを私が保証するものではない。

2017年12月22日 (金)

最新死後事情ー講演録

昨日(2017年12月21日)午後に東京・飯田橋で関東シニアライフアドバイザー協会のビバシニア講座で講演してきた。
古くからの仲間である田島エリコさんから紹介された。
同協会では電話相談を受け付けており、最近は樹木葬やらの葬送関係の問い合わせも多く、電話相談の受けて向けに話を聞かせてくれ、というのが主旨。
行政書士、社会福祉士、医業経営コンサルタントなど多彩な肩書をもつ方々が多かった。

パンフレットには次のように書かれていた。

一人暮らしが増えて人生の終末期の考え方も大きく変化してきました。
身寄りのない人は死後処理や葬儀、お墓を生きているうちにきちんと決めておく人が多くなりいろいろな選択肢が出てきました。
特に「樹木葬」「散骨」「納骨堂」などの新しい情報を知ることが大事です。
今回は、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏を講師にお迎えして詳しくお話していただきます。


90分の講義の後で30分の質疑。
最近の講演ではできるだけ写真を多用している。
葬儀の変遷、永代供養墓、散骨、樹木葬…耳では聞いたり、読んだりしているがイメージがさまざまなので、見てもらうことがいちばん、と写真を見せる。
最近は講演を頼まれると、依頼テーマに合わせてパワーポイントで資料を都度用意する。
全部新規というわけではない。
過去の資料を再構成しプラス新規ということが多い。
同じテーマで話すなら楽だが、構成が新規となると時間配分が難しい。
今回は樹木葬等の墓の最新事情というのが最初の依頼であったが、これに家族葬、直葬などの葬儀の最近の動向も、というので話す量は倍になった。
資料は倍、話す時間は90分だから、どう時間配分したらいいか悩む。
だから、ここは資料を後から読んでくれ、とか途中カットしながら進める。

以下は昨日の講演の資料(但し、写真はカット)

◎タイトル:
最新死後事情 家族葬、直葬、散骨、樹木葬が人気だが。 多様化する葬送

◎主旨:
´社会が変わる今の社会は少子化・高齢化・多死社会へまっしぐら。「家族」も核家族すら危うくなり、個人化、単身世帯の増加が進んでいます。社会の経済格差も拡大しています。
´葬送習慣が変わる地域共同体、血縁共同体を中核に形成されてきた葬送習慣が急速に崩れています。
´葬儀が変わる葬儀をしない火葬のみの直葬、近親者中心の家族葬、葬儀はさまざまになりました。一方、死と葬式の自宅離れが進み、葬儀会館での葬式が中心になり、まるごと葬祭業者への依存が進んでいます。葬式の宗教離れも進行中です。
´墓が変わる:跡継ぎ不要の永代供養墓、墓を不要とする散骨(自然葬)、樹木・森との共生を求める樹木葬…等新しい葬送形態も生まれています。
´死のもつ特性:死は計画できない。死はいつか、どのように、わからない。誰もが死ぬのは確実だが。終末期、死後のことは誰かに頼まないとできません。死は自分だけの問題ではない。事前に意思を示すことや準備はできるが

◎変わる社会
1 少子多死社会(1955年から2075年までの出生数、死亡数の予測を含めたグラフ)
2 本格的な高齢社会(超高齢社会) (0~14歳、15~64歳、65~74歳、75歳以上人口の構成推移と予測グラフ)
3 死亡の場所の割合推移(グラフ)
4 伸びる平均寿命(平均寿命の推移と予測グラフ) しかし、誰もが長命ではない。80歳過ぎたら認知症リスク
5 世帯構成・世帯構造の割合推移(グラフ) 一人世帯が増え、三世代世帯は減少 「ひとり死」のリスク
6 高齢者世帯構成・世帯構造の割合(グラフ) 高齢者はだれが看る 嫁、配偶者→娘、同居の未婚の子(娘、息子)、誰もいない、一人暮らしを選ぶ人、一人暮らしをしなくてはならない人

◎死者のいのちの価値比べはしない
それぞれによって死別の意味は違う。
それぞれの人にとって変わるもの。
それぞれにとってかけがえのないもの。
残念なことに人間は他者の死に無頓着。

◎看取りの大切さ
看取りはお葬式より大切。
でも看取れない死もある。
その時は通夜が大切。


◎お葬式の変遷(写真)

◎葬式はどう変わったか?
■会葬者数の推移
 1991 280人  2011年 114人 2017年 40人?
■社会儀礼中心の葬儀→個人の葬儀
 マニュアル葬儀はイヤ→その人に合った葬儀
■デフレ→格差社会

◎どんな葬式だったらイヤか? 「0葬」「直葬」が出現したわけ
■簡略な処理の横行 
 引き取られない遺体約6万体
 増える「送骨」
■ゆっくり別れる
■送るのは血縁者とは限らない時代に
■「直葬」葬儀儀礼をしない葬儀  「0葬」拾骨をしない
■マニュアル葬儀はイヤ
 お仕着せ
■意見を聴いてくれなかった
■慌ただしい
 ゆっくり別れる時間が取れなかった

◎家族葬は人気だが、「家族葬」って何?
1995年に現れた「家族葬」
 本人と親しい者だけでゆっくり別れたい
 本人を知らない人が7割の葬儀への疑問から始まる。
■「家族葬」には定義がない ⇒近親者葬
 数人から80人までの幅
■「家族葬」が本人とほんとうに親しかった人を 拒むのは正当か?
■「家族葬」は「安い葬儀」?「簡略な葬儀」?

◎あなたが弔ってほしい人は誰ですか?
■「迷惑をかけたくない」というが
 「迷惑」とは何か?
■誰が「近親者」なのか?
■死は「高齢者」のものか?
■死後の事務処理を委託する場合
 生前契約書
 公正証書遺言 祭祀承継者の指定 負担付き遺贈

◎残る問題
■葬式にお坊さんは必要か?
■遺骨の行方 散骨、樹木葬、永代供養墓
■死別で発生すること グリーフ


◎お墓の世界
´新しい形態のお墓を選ぶのはもはや例外ではない。
´承継者が必要としないものを選ぶ傾向も。
´家族が一緒に入るのも悪くはない。

◎墓の略歴
 墓地は古来よりある。
´民衆が墓をもったのは戦国時代以降
´江戸時代までは個人単位の墓
´明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。
´1955年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)
´1970年代より都市化の影響で大都市部に墓地需要増加。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行
´1991年バブル崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。
´2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択。

そもそも墓は?
´墓地埋葬法に規定。
´墓地、納骨堂は特別区と市が許可権限。
´埋葬=土葬 火葬が進み、現在ほとんどない。
´焼骨の埋蔵 墓地に限る
´焼骨の収蔵 他人の焼骨を預かるのは納骨堂に限る。
´墓地、納骨堂は一部例外はあるが原則として地方自治体、宗教法人以外には認めない。
´寺墓地 檀信徒用 境内墓地 宗教施設
 事業目的(檀信徒以外に供する)は民間霊園
 
宗教法人の墓地 名義貸し禁止。土地が宗教法人の所有が条件。

◎永代供養墓(えいたいくようぼ)
1985
比叡山久遠墓
1990年前後新潟妙光寺安穏廟
京都 女の碑の会「志縁廟」
東京巣鴨 もやいの碑
マスコミが話題に
今、遺骨処分場になるケースも
´永代久遠墓 「貴方自身の子孫に代わり、永代に亘り供養する墓地」(HPより)
´永代供養墓 跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓=無縁塔ではない。
´人間の生き方はさまざま、どんな人のためにも寺は開かれている。それぞれの生き方、生を尊重し、承継者のいかんにかかわらず寺が責任をもって供養
´永代供養墓 理念なきものは不人気
´信頼されると会員から檀徒になる事例も多い
´子がいる事例が多い。 親が選んだ場所というので墓参する子が多い。
´血縁という枠を取り払う事例も。
´生前から係わる

永代供養墓 新潟 妙光寺安穏廟(写真)

東京・巣鴨 合葬墓 もやいの碑、飛天塚(写真)

東京・中野 明治寺 多宝塔(写真)

長野県松本市 神宮寺永代供養墓(写真)

◎散骨(自然葬)
´1991年 葬送の自由をすすめる会 相模灘で散骨実施 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。自然葬」という言葉は、本会が1991年2月、発足にあたって起草した「会結成の趣旨」の中で初めて使われました。」(HPより)
´「厚生省が公認」は朝日社会部のフライイング
´法的一般的解釈 「遺骨を遺棄(捨てる)する目的ではなくあくまで葬送を目的とし、相当の節度(①細かく砕き、原型を残さない、②風評被害を招かないよう生活用水としての川、養殖場や海水浴場の付近を避ける、③付近の住民の感情を尊重等)をもって行うならば刑法190条遺骨遺棄罪にはあたらないだろう。
´墓地内の散骨場では可
´地方自治体によっては条例で禁止、制限もある。
´厚労省は「墓地埋葬法は散骨を前提としていない」とは言うが「合法」とは言っていない。

カズラ島 散骨場(写真)

◎樹木葬
´1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。自然保護に共感する人が墓地として使用することで理念に共感し、自然保護活動を支援
´墓地として許可を得るので粉骨の必要なし。
´穴を深く掘り(1メートル以上)遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。
´エンディングセンターが2004年「都市型樹木葬」として東京町田いずみ浄苑内に「桜葬」
´その後「樹林葬」とかさまざま理念なき世界に

岩手県一関市 知勝院樹木葬墓地(写真)

エンディングセンター樹木葬 桜葬(写真)

千葉県袖ケ浦市 真光寺里山葬(写真)

以上。

資料をきちんと説明するなら180分かかるので途中省略しながらである。

後の質問では週刊文春の「ビル型納骨堂の利点と難点」について質問された。
私の見解は明確である。
「全部とは言わないが、ほとんどが理念より事業、もうけを目的としており薦められない。また永続性ということでも疑問がつくところが多い。基金などつくって運用しているかチェックが必要だろう。」
というものである。

永代供養墓の選択基準についても質問された。
「3万円から90万円まであるが、安ければ良識的ということでは全くない。全国に数は多いが、理念がなく、無縁塔の衣を替えただけのものが8割といっていい。死後を託すのだから託す信頼がおけるか見極める必要がある。」
というのが回答。

 




2017年11月20日 (月)

角田山妙光寺法灯継承式に行ってきました

新潟市(旧巻町)の日蓮宗角田山妙光寺の法灯継承式に行ってきました。
妙光寺は永代供養墓の先駆け安穏廟で知られますが、それだけではなく、お寺が生きるということを模索し続けてきた寺です。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html

700年の歴史をもち、まさに過疎地にある寺。
日本の寺の典型ともいうべき寺でした。
その寺がどう変わったか、は一つの実験例として広く検証される価値があります。

角田山妙光寺の住職が2017年11月18日に第53世小川英爾(今後は院首)さんから第54世小川良恵さんに交代する法燈継承式が行われました。

小川英爾さんの在任期間は42年。
先代小川陽一住職が66歳で亡くなり、引き継ぎもなく22歳で就任。
先代と同じ年齢となるのに合わせて次代への円滑な承継を願ってのもの。
良恵さん32歳。妙光寺初の女性住職。
今後は「院首(インジュ)」で、良恵さんが「御前さま」

継承式を迎えた角田山妙光寺
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客殿での受付
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山門から住職、新住職、檀徒総代等が行列で入堂(先頭は前に妙光寺に勤務した大分の常妙寺住職・永石光陽さん)
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檀徒役員の入堂
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小川英爾さん53世最後の導師
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小川良恵さんに住職任命状授与
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法燈の継承
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54世住職として良恵さん最初の払子
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見守る小川なぎささん(53世夫人、54世母)
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継承式を前に(左から大分の亀山さん、大分の菊地さん、私、小川英爾さん、鎌倉の松脇さん。松脇さんは良恵新住職の師僧)
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継承式前に新住職の良恵さんと
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寺を支える女性陣(の一部)上右は新住職の師僧である松脇さん夫人。20年前に妙光寺で出会った。
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継承式記念誌(A4,108ページ)
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記念誌編集後記

碑文谷 創

 

■本書は、「寺が生きる」とはどういうことか、を実践、模索した記録である。
角田山妙光寺は、700年の歴史をもつ古刹である。
しかし、その歴史、地域社会との関係を大切にしつつ、時代、社会の変化に対応して、寺に縁をもつ人々の信仰と生活、地域社会との関係を築こう、と変化を模索し続けている寺である。

■現在、1955(昭和30)年以降の日本社会の都市化、地方の過疎化の大きなうねりが地方の寺を直撃、「寺院崩壊」という声を聞く。
7万ともいわれる全国の仏教寺院で、自立可能な寺は、厳しく見るならば3万にもならないだろう。
人が地域を去り、残るは高齢者のみ。寺は老朽化したまま、地域から去った人々の墓は放置されている。
最も深刻なのは、都市、地方を問わず、寺と人々の関係の距離が開いていくばかりなことである。寺の存在意義がどんどん失われていっていることである。

■妙光寺が他の寺と一線を画す一つは、信仰の見直しを行ったことである。
日蓮宗は日蓮聖人以来、強固に現世安穏を提唱した。
これを現代に活かすために「徹底して人々の生活現実に寄り添う寺であろう」とした。
檀信徒のみならず、地域の人々が高齢化、家族の変容、労働環境の悪化、精神的孤立という中で呻吟している。
人々のところに行って話に耳を傾け、また、人々が困った時に気軽に寺に寄ることのできるように、と考え、実践した。

■いま妙光寺では生前に法号を受ける人が多い。
法号は死後の名ではなく、仏弟子として生き、死のうと志すことの証である。
法号を授与された人々が寺の活動の支え手となっている。
寺は住職のものではなく、寺を支えようという意思のある人々がいて生きる。

■「安穏廟」は、どんな家庭環境、人の個性、個別事情にもかかわらず、すべての人に開かれた寺を志向している。
「墓」は単なる死後の葬地ではない。
墓は、どんな境涯であってもすべてのいのちの尊厳を守るところであると同時に、寺はその墓を求める人の生死を支える責務がある、という永代供養墓の理念を明らかにした。
これが人々の共感を呼び、墓を求め、墓を求めた人の中から寺の支え手を生み、寺を活性化させてきた。

■こうした寺をつくったのは、小川英爾という異能な住職の力だけによるものではけっしてない。
それこそ700年にわたり寺を地道に支えてきた檀信徒たちの「自分たちの寺を生かそう」という熱意と参加の賜物である。
檀信徒だけではない。
妙光寺に縁のある人々が、それぞれの仕方で住職を信頼し、足らざるところを補い、寺を支え、再生させたのである。

■本書の編集に参画できたことは幸いであった。
本書は、小川英爾住職の次代への強烈な想いの産物である。
併せて、新倉順さん、新倉理恵子さん、かもかよこさんの献身的な参画があって誕生したものであることを記し、感謝したい。
また、編集中、常に頭にあったのは「檀信徒の方々の寺への想いに応える記念誌に」ということであった。

2017年7月23日 (日)

『未来への遊行帳2017夏』と多少の報告

松本市浅間温泉にある臨済宗妙心寺派神宮寺の高橋卓志さんからメールがあり、
雑誌『SOGI』通巻153号に掲載させていただいた高橋卓志さんへのインタビュー「葬儀、寺のあり方を問う」A4で14ページを神宮寺『未来への遊行帳2017夏』に転載させてほしい、とのこと。
パソコンからデータを取り出し送った。
それがこのほど刊行された。

高橋卓志さんについて簡単に紹介すると、こうなる。


臨済宗妙心寺派神宮寺(長野県松本市浅間温泉)住職

龍谷大学大学院実践真宗学研究科客員教授

 

いち早くチェルノブイリ原発事故の支援活動に乗り出し、以後高齢者福祉等の支援活動のためのNPO活動を市民と協働して行う等、地域に開かれた寺つくりに奔走。寺の活動・会計を公開している。

神宮寺では1996年より寺を舞台に永六輔、鎌田實さんらと尋常浅間学校の学びを10年間・100回開催。

寺のあり方を自らの活動を基盤に広く発言、龍谷大、東京大等で教鞭をとる。葬儀を寺で自ら行う実践も手掛けている。

2009年の『寺よ、変われ』はベストセラーとなり、市民、僧侶に大きな影響を与えた。
 
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高橋さんとはかれこれ〇年、高橋さんが「お坊さんサミット」を開催した時(2001年10月)以来であるから17年になる。
(ちなみにそこで私は2日目に無着成恭さんと喧嘩をやらかした)
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2007/04/post_8f1d.html

インタビューではいろいろな話をうかがった。項目をあげるとこうだ。
1.葬儀は個別につくりあげるもの(つくりあげる葬儀、遺族に係わらない僧侶、僧侶の権威・聖性)
2.神宮寺の葬儀(葬儀社の仕事・寺の仕事、神宮寺の葬儀の意味)
3.寺、僧侶のあり方、何が求められているのか(寺の経営、今・寺に求められていること、いのちに係わる仕事は手にあまるほどある)

1回1回の葬儀を独自のものとしてつくりあげる神宮寺の葬儀の全貌、今の寺・僧侶の問題点、寺に求められることを聞いた。
楽しい時間であった。
聞き手であるはずが、私も饒舌。

僧侶の聖性についても語り合ったが、もとより私は否定的に語っている。宗教家の聖性は今や僧侶の負担でしかなく、内容のないことの権威づけの修飾語、一般人の無責任な批判の温床でしかないと思っている。

この遊行帳は高橋さんの42年の「再建ルネッサンス」「変革レヴォルーション」の総括の前編にあたる。
http://www.jinguuji.or.jp/

「神宮寺だからできる」というやっかみも聞く。
おそらくそうだろう。しかし、
でも高橋さんのなみなみない取り組みなしに現在の神宮寺はない。


高橋さんとのインタビューでも名前を出した小川英爾さん(新潟市日蓮宗角田山妙光寺住職)もそろそろ一線を引く覚悟。
私は今11月の法灯継承式の記念誌の編集を手掛けている。
小川さんとは四半世紀のお付き合いになる。
高橋さん同様に寺にあって寺のあり方を徹底的に突き詰めてきた人だ。
角田山妙光寺
http://www.myoukouji.or.jp/

明日(24日)は小川さんと望月さん(柿生、川崎市日蓮宗善正寺)が一緒になって野澤耕さんの葬儀が耕さんの自宅で行われる。

耕さんのお兄さん野澤清さん(「園学」を提唱された造園家。角田山妙光寺の安穏廟、庭園は野澤清さんの設計)の葬儀は暑い夏に小川さん、望月さん、松脇さん、菊池さん、平井さん等野澤清さんにお世話になった僧たちの手で善正寺で行われたが、私はその時の葬儀を仕切らせていただいた。
耕さんは82歳、ほぼ私の一回り上、以前事務所が四谷三丁目と近くにいらしたので、兄貴のように親しくさせていただいた。
兄清さん、二女晶さんは今安穏廟に納められている。
耕さんは1月に四半世紀にわたった雑誌SOGIを閉じた私を慰労するといってごくごく親しい僧侶、マスコミ関係者、仲間が開いてくれた会にご夫妻で参加してくださった。
耕さんから4月にメールをいただいた。


碑文谷創さま

 

明日にもお会いしてイッパイなどと調子のいいお誘いをしながら、小生の季節のスキーシーズンも過ぎて早2ヵ月です。

いまさらとは存じますが、2月末のスキーを今シーズンも夫婦でどうやら楽しんですぐの3月のあたまから、突如の食欲不振におそわれ、ほとんど初めての経験に近所の医師とも相談の上4月頭にともかく検診のために入院と言う運び。そこからが添付のご説明の通りの推移でした。

お蔭さまで碑文谷さん初め、小川さんなど妙光寺関連のお歴々?とのお付き合いと家族全員をほぼ同年齢以下で送っている経験からか、本人・陽子ともいたって平静に医師とも対処することが出来、現在にいたっていますので他事ながらご安心ください。

多少の心残りは妙光寺の継承式への出席がむつかしくなりそうだというぐらいでしょうか。今の日常の暮らしは、流動食三食・・ときにおそるおそるワイングラスにイッパイのほかは変わりません。

友人知人へのおそるおそるの状況説明につどやや手こずっているというところでしょうか。もちろん終活?関連に詳しい方へは添付の説明を添えたメールでのご挨拶がよやくに完成、その手抜き第一号・・が碑文谷先輩に今発信されたところです。

考えてみますと、生を受けた1934年は日中動乱の創成期・・。

国民学校一年生の12月に太平洋戦争。

集団疎開、焼け野が原、5年生の夏に敗戦。

兄姉6人+1人は異母兄がビルマ戦線で戦死以外は、シベリア5年も含めて、中島飛行機工場での爆撃やら、長姉の重度の結核なども含めてそれなりの大変さはあったものの何とか戦後の混乱・・

長兄はこの混乱のなかに脇道にそれ、なかば野垂れ死に状態でそれでも40代半ば、それも小生の看取りのうちに逝きました。その後の兄清や小生の暮らしを考えるとあの混乱のなかに、よくこうしてことも無く・・・生きてこられた、ことの幸運を思うとこの先について思い煩うことの無意味さを思ってしまうのかも知れません。

 

まあこの先どう考えが変わるかどうかは、まだ先の話ですが・・、取りあえずのご報告です。 

こちらのことはこととして、碑文谷さんのご活躍をお祈りします。

 

のざわたかし

 

このパソコンで添付を付けるのは初めてです。さてどうなることでしょうか。

 



耕さんのご家族だけでとのことだが、耕さんの二女晶さんが8年前に亡くなった時、一緒に骨壺を買いにいった仲なので、明日は特例で押しかけることを許可された。

耕さんの奥さん陽子さんからお電話で7月17日夕奥様、ご長女に看取られて安らかに息を引き取られたという。

いろいろあったが83年弱、よくその生涯を全うされたと思う。

18日にお知らせいただいてから、何かと耕さんのことを想う日々である。

4月の聖マリアンヌ大出の検査では

すでに喉元から胃の入り口までの食道に広がる腫瘍・・下部は胃カメラも特別なものでないと通らないほどの細さ・・。頸部のリンパ節の腫れ。両肺部への細かな転移。さらに腹部大動脈周辺リンパへの転移も見られるとか。

耕さんは医師から治療の選択肢を示されたが、

 

結局のところ、この歳でこれ以上の治療は見送り、このままの推移を医師の管理のまま送りい・・という選択を本人家族同意で致しました。

4年前の従妹、3年前の姉の最期を痛切に思い起こした。

私も姉の死の年である。
姉にステージⅣの宣告がなされた時に、姉に呪文のように言っていたものだ。
「僕もいずれ死ぬ。先に逝かれるのは厳しいが、後先の順番でしかない」

 

2017年4月 9日 (日)

四訂葬儀概論が完成

『四訂葬儀概論』が4月7日完成。
Yonteigairon


初版が1996年4月、改訂版が2003年5月、増補三訂(360ページに)が2011年6月、今回の四訂が2017年4月…と平均5年強で改訂を繰り返してきたことになります。
本体9,524円と少々高いですが、葬送に関してはまとまったものはこれ1冊、内容的にはそれなりのものと思っています。
葬送の歴史としてまとまったものは本書が本邦初でしたが、現在の部分はいまだに書き続けています。
私のライフワークとなりました。

初版は1996年の葬祭ディレクター技能審査の第1回に間に合わせるべく前年の11月から企画、執筆、編集・・・で怒涛の4カ月で完成させましたが、若かったからできたのでしょう。
増補三訂版は全面的な見直しで1割強増ページ、ほぼ1年かけました。
今回の四訂版は2016年12月から4ヵ月かけました。
三訂版までは校正、索引、目次は事務所の共同作業でしたが、今回は単独作業、校正の見落としで追加作業が多く、制作の武田貞盛さんにはご苦労をおかけしました。

今回の四訂はページ数は維持しましたが、6年ぶりなのでデータを一新させるだけでもひと作業でした。
死亡者数の推移は今回は2015年の人口動態統計(確定)を使用し、将来推計については三訂では2006年の社会保障・人口問題研究所の将来人口推計を使用しましたが、今回は現在最新の2012年版を用いています。
死因、火葬率も宗教法人の統計に至るまで最新のに置き換えています。
また、葬送も大きく変化していますので、「現在の葬儀事情」を書き直すだけではなく、各部にわたって手直しを行いました。

法令の変化もあります。一部例を示すならば、
2012年に「死因究明促進法」「死因・身元調査法」が新しくできました。
今回2013年の警察取扱死体が約17万件、全死亡の13.3%であることも示しています。
同年の司法解剖が8,356件であることも法務省資料に基づいて記述しました。。

感染症法はたびたび改正されますので、最新版に基づき記述を改め、アフリカでのエボラ出血熱の深刻な流行から2015年に厚生省令で一類感染症については24時間以内の火葬等を細かく定めましたが、それについても1項を設けました。

献体遺体についても医学生等の解剖実習以外に献体遺体を用いて医師の手術手技研修に用いることができるように日本外科学会・日本解剖学会が2012年にガイドラインを作成し、文書での同意等を条件に可能としました。
この場合には通常の献体遺体が48時間以内の引き取り希望なのに24時間以内の引き取り希望としました。
年金についての制度も改められています。
2011年の東日本大震災の経験から災害遺体を尊厳をもって扱うことの教訓を得ているので詳しく論じています。
病院での死後のケア(死後の処置)の実態を示し、葬祭事業者の遺体管理の重要性もより詳述しています。

本書が常に「現役」のテキストであるために細部にわたって見直しています。

私は2016年度をもって第1回から責任をもっていた葬祭ディレクター技能審査関係の職はすべて辞しました。
しかし、『葬儀概論』については可能な限り責任をもって著者としての責任を果たしていくつもりです。

本書は葬祭ディレクター技能審査の受験者のみならず、既に葬祭ディレクターの資格を得た人へも最新情報を提供するものです。
また、死と葬送関連の学究者、関心を持たれている方、宗教者その他の方々にもきっとお役に立つはずです。

事実、宗教者が自派の儀礼については知っているが、他宗教宗派について知りたい、という需要に唯一応えるものということでお求めいただいてきました。

今回の四訂版の表紙も表現文化社が存在しなくなったことから「葬祭ディレクター技能審査協会」に変わりました。

本書のお申込みは
葬祭ディレクター技能審査協会
〒108-0075 東京都港区港南2-4-12 港南YKビル4階
(1)FAX:03-5769-8702(お問合せ先:03-5769-8704)
(2)FAX:03-3500-4212(お問合せ先:03-6206-1281)
までお願いします。
申込書は下記からダウンロード願います。
http://www.sousai-director.jp/download/chumon_201704.pdf

ぜひお求めください。
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