仏教と葬儀

2017年3月 1日 (水)

葬祭仏教の誕生―葬祭仏教の史的展開①

戒名、布施の問題を取り上げてきたが、そもそも歴史的に「葬祭仏教」とはどう展開されたかについて数回に分けて書く。


葬祭仏教の誕生


■「葬式仏教」の誕生

 

すぐれて「日本教」とでもいうべき「生活仏教」の形成に大きく影響を与えたのが「葬式仏教」であった。

寺は室町時代後期の「近世」の誕生と共に民衆、地域社会に入り込む。
仏教は
6世紀に日本に紹介されたとはいえ、近世以前は、基本は貴族、そして武家のための宗教であり、民衆の宗教ではなかった。
葬祭仏教化することによって仏教は民衆社会に土着し、外来仏教であることをやめたのである。

江戸時代中期に至り、キリシタン禁制を名目としての民衆管理、行政下におくために宗門改め、いわゆる寺請制度が定められ、寺と民衆との関係では檀家制度となった。
幕府・藩は、行政的には民衆を支配したが、それだけでは足りず、宗教の力、具体的には民衆化した仏教寺院の力を必要としたのである。

これにより仏教は国教となり、明治維新によって廃されるまでそのシステムは継続した。


明治維新により行政的位置づけを失ったからといって、檀家制度がなくなったわけではなかった。
法制的な位置づけは失ったものの、民衆との関係では生き続けたのである。
そこには仏教がすでに「外来宗教」ではなく、「生活仏教」として民衆の中に内在化していたことを示す。


この内在化にとってもっとも影響を与えたのが、仏教思想というよりは、葬祭との関係であった。

 

民俗学者の宮田登は『霊魂と旅のフォークロア』(吉川弘文館)で、近世以前の日本仏教の葬送儀礼における役割を「タマシズメ」、つまり死者の霊魂があの世に移行するのを守る「ある意味で呪術的な機能」にあったと考える。

 

 (死によって)肉体を離れた霊魂がさまようと、この世に災いをもたらす恐れがあると考えられていたことは、前にも述べた。日本仏教は、この人びとの原初的な恐れの感情に応え、霊魂を落ち着かせる儀礼を行ったのである。

 近世に檀家制度が定着する以前、民衆の葬送に携わったのは、「聖」と呼ばれる、特定の宗派に属さない民間の宗教者たちであった。彼らは、行き倒れの死体を埋め、死者の霊魂が鎮まるように念仏を唱えながら諸国を回った。(略)

 葬儀などで読まれる念仏やお経の意味は、おそらく民衆には理解されず、霊魂をあの世に送るための、一種の呪文と考えられていたであろう。また戒名も、言霊、つまり言葉や文字のもつ不思議な力によって霊を鎮めるという役割をはたすものであったと考えられる。

 日本仏教の各宗派は庶民の習俗を取り入れて定着していったが、宗派性の濃い浄土真宗は、もっぱら伝統的な慣習を忌避する傾向があった。

 

中世においても、光明真言や土砂加持という密教的要素が取り入れられ、葬送儀礼で尊重されたのは、死者の滅罪のためもあったろうが、死の穢れ、および伝染を防御するための呪術的機能が求められたからなのかもしれない。
それに浄土教の阿弥陀信仰、浄土思想が貴族の葬送儀礼で大きな影響力をもったが、これと民衆との関係は全てが解明されているわけではない。
(この項続く)

2017年2月23日 (木)

仏教界への提言・葬儀は何が問題か?―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑦番外編

仏教タイムズ2017年2月16日号に「仏教界への提言」が掲載された。
これを本ブログのシリーズ「戒名、布施問題の多角的アプローチ」の番外編として公開する。

紙面は大きいが、字数が少ないため、問題を絞った。
全日本仏教会の中間報告へも言及していない。
しかし、最も言いたかったことを書いた。

編集部からは「消費者からの視点」で書くよう要請を受けたので、「葬儀とは遺族にとってどういう場面か」ということを切り口にした。
そのことで戒名問題、布施問題、僧侶派遣についても根本的なことを書けたかと思う。
詳細は本ブログで展開しているので、本ブログの読者にはわかっていただけるだろう。

201702224

この記事は「僧侶派遣の現状と背景を追う〈5〉最終回」として掲載された。

読みやすいように、以下本文を掲載する。

■遺族にとって葬儀とは?

葬儀というのは一般論で語られるものではない。
個々の人にとっては身内が死亡し、直面する重大事なのだ。
その死者とどう相対し、送り出せばいいのか迫られる。

それが高齢(何歳から「高齢」なのかわかりにくくなっているが)で徐々に弱ってきた場合には、ある程度の受け入れ準備があるかもしれない。
死亡してホッとする場合もあれば、強い寂寥の感情に襲われる場合もある。
老老介護の場合には遺された者が役割喪失感に襲われることもある。

状況はさまざまである。

たとえがんでステージⅣを宣告され闘病していた身内であろうと、その最後が生かしているのがむごいと思っていた場合でも、死亡という事態に愕然とする。
まったく違う心的情況に追いやられる。

人間の死は、たとえ高齢者が多いとしても、基本は年齢を選ばない。
若年者が死ぬこともあり、遺された年長者、特に高齢者の場合、自分が生き残ったことへの罪悪感でさいなまれることも多い。
その悲嘆は長期化、深刻化する事例が少なくない。

災害死、突然死、事故死、戦死、犯罪死…遺族はその事態を受けとめることを拒否し茫然としている。

単独世帯が4分の1を超えた。
身内の死を後から知らされる場合もある。
家族以外がその死を世話することもある。
家族に拒まれ、あるいは家族を拒んだまま死亡する人もいる。

いかなる形であれ、死は、他人にとっては「人間は死ぬ」という事実以外のものではないかもしれないが、身内にとっては迫られる事態、緊急時としてある。

そういう「人の死」に対処するのが葬儀である。
個々の死がそうであり、固有である。

僧侶は、どんな立場で葬儀を勤めるにせよ、その固有の死に相対する想いなくして葬儀を勤めることはできない。

また、単に同じ儀礼を型通りに行えばいいものではない。

その死者、死者の周囲の人の想いに無関係に行われるのは葬儀ではない。
単なる装飾だと知るべきである。

■紛いものの「仏教式葬儀」の横行

仏教の体裁をとった葬儀は、これだけ批判されても8割以上ある、というのは、過去の慣習を引きずった結果であり、ほんとうに必要とされているものは多くて4割。

それを僧侶に葬儀を依頼するのがあたりまえ、という感覚でいる僧侶が多すぎる。
その証拠に一つひとつの葬儀に向き合って行われない葬儀が多すぎる。

葬儀で初めて遺族に会うのに、話も聴かない、死者がどうであったか、遺族の気持ちも知ろうとしない僧侶がいる。

ある僧侶派遣団体では、僧侶が遺族と話をするのを禁じている。
バカな、と思う。
そこには商売しかない。

自分の宗派の儀礼に則ることには熱心だが、死者にも遺族にも無関心な僧侶がいる。

遺族も僧侶と話すことを敬遠し、僧侶も遺族を敬遠する。

そこで行われる僧侶の営みは大いなる空虚以外の何ものでもない。
それは葬儀とは呼べないしろものであることは確かだ。
そうした紛いものが横行し、それが「葬儀」だと言われているところに不幸がある。

そうした紛いものに対して「布施」なんてあるはずがないではないか。
出す方にも受け取る方にも。

遺族の心理は敏感である。
紛い物か本物かは頭ではなく、肌で感じ取る。

■信頼される寺

寺に行けば、そこの住職が檀信徒や周囲の人に信頼されているかわかる。

「オラが死んでも住職が葬式してくれるから安心」
と思われている寺は意外と多い。
そこではあまり布施の額や「戒名料(院号料)」などという言葉を耳にしないものだ。

遺族が少し無理して包んでくると、
「後々の付き合いもあるから半分だけ今はいただく」
と半額返す僧侶もいる。

生活困窮者の檀信徒が死ぬと、「檀信徒の葬儀は寺の責任」と無料で、しかも香奠持参で駆けつける僧侶もいる。

こうした僧侶は、一般の目に入らないだけで、多くいる。
そうした住職の下にいる檀信徒たちには、生活不安、家族間の問題、その他の不安はあっても寺への不安はあまりない。

■送り手がいなくても送る覚悟

私は葬祭ディレクターの育成にこれまで長く関与してきた。
そこで言ってきたことは

「たとえ身内が死者に無関心であろうと、死者の尊厳を守り、たとえ自分だけでもきちんと弔い、送る覚悟をもて」

ということであった。

同じことが僧侶にはより以上求められると思う。

「葬祭仏教」として民衆に定着したのは、戦国時代の聖たちのそうした覚悟があったからではないか。

 

 




2017年2月19日 (日)

布施と寺の関係―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑥

布施と寺の関係

 

「布施」は理念的には、

「施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきもの」

とされている。

本質的には、仏法を説く「法施(ほっせ)」も布施としてなされるものであり、見返りを期待したものではない。
また、その僧を支えるものとしてなされる「財施(ざいせ)」も「布施」としてなされるものであり、何らかの対価、見返りを期待したものではない。
また僧や仏教徒の布施は寺院の関係を超える。地域社会に精神的、身体的、経済的、人間関係的に不安や困窮し困難にある人や事態に対して布施する。これが「無畏施(むいせ)」である。

近年、若い僧侶を中心に災害支援、被災者の物心支援、生活困窮者への支援、終末期にある病者、高齢者の支援、貧困や疎外された子どもの支援、海外の弱者への支援…などさまざまな活動が積極的に行われるようになってきている。


以上が前回のまとめである。

 

前回も紹介したように、

「布施」について『岩波仏教辞典』は後段で
転じて、僧侶に対して施し与えられる金品をいう。

と極めて現実的な解釈を示した。
これは「布施」が日本仏教においては寺檀(じだん)制度を支える財政基盤として機能したことを示している。

 

そこで「檀家制度」における布施の機能を見る前に、そもそも寺という組織について考えてみたい。
これは過去がどうあったかではなく、現代において寺という組織が機能するために、どういう検討が必要か、という課題である。

 

「寺」という組織のあり方

 

僧は個だけではなく、仏教集団、寺院、教団…という組織をもつ以上、「組織のあり方」を考えざるを得ない。

これは仏教寺院だけではなくキリスト教会も必然的に抱える問題である。

 

第1は、活動理念である。

一般に宗教教団の場合、教義であり、その教義の普及により信者の獲得となる。

だが組織が小さく、民衆の近く位置するに伴い、活動理念はより具体的にされないと、それを支える意識が不明確になる。

また、教義というのも歴史的産物である以上、常に問い返しが必要とされる。
問い返しのない教義は保存はされるかもしれないが、単なる遺物と化し、活きて働かないものとなる。

 

第2は、組織運営である。

宗教団体では、とかく上から下、という形態が見られる。
しかし、上から下へ「教える」という一方通行だけではうまくいくわけがない。

下からの信頼、信仰が強くなければ組織は機能しない。

下から、つまり信者側からの熱意ある活動を組織に活かさないと組織は活性化しない。


実際に、住職や牧師中心で成員である信者が活性化していない寺や教会は活き活きとしていない。

 

第3は、活動の透明化である。

 

その組織が何をしようとしているのか、それをどうしようとしているのかを上だけではなく下まで認識を共有しなければならない。

例えば寺の行事一つとっても、これが欠けては成立しない。


これは、一方的な考えの押しつけになってはいけない。
成員個々の多様な考えは尊重されるべきである。

だが、個々に遠慮して何も発言しない、というのもまたおかしい。

 

第4は、組織の財政基盤の確立である。

 

現実的に組織運営する以上、その活動を可能とする財政的基盤を作らなければならない。

また、その財政は組織の形態によって変わる。
ボランティアがお金と労力だけで係わる場合があるが、それはしばしば不安定で、また負担が偏ることで継続性が困難になる。

その規模に合った人件費、運営費が確保される必要がある。


理念が正しくとも成員だけで維持できる組織というのは少ない。

また成員の経済力もさまざまである。
成員が過負担になれば組織から遠のく。

企業ではないのだから、それぞれに合った負担ということが許される必要がある。貧困者を閉めだす寺なんて最悪である。

成員だけで無理なら協賛、寄附が必要となる。
これは一部の資産家や企業に頼り過ぎてはだめである。
石材業者、葬祭業者等に頼り過ぎれば癒着も生じるし、偏り過ぎるとそこが撤退したとたんに成り立たなくなる。
薄く、広く求める必要がある。


戦後の農地解放で寺は経済的な打撃を受けた。
寺自体が大地主であったのが土地を取られ、大檀家が地主、大農家に偏ったため、大檀家が没落し、財政基盤を喪失した、という寺は多い。


※これが高度経済成長期の「戒名(院号)」料問題の背景となっている。


「布施」問題はこのコンテキストで正しく語られる必要がある。


「布施は檀家制度が崩壊したので根拠がなくなった」と言う人もいるが、寺は危機にあるが崩壊、消滅したわけではない。

これからの寺を検討すべき課題として「布施」問題はきちんと、中途半端ではなく検討される必要がある。

仏教界の議論はまだまだである。

寺のあり方を問う中できちんと議論されるべきである、と私は思う。
 

そうでないと苦労している僧侶たちを見捨てることになる。

 

第5は会計の公開である。

 

今の寺を見ていると経済的に自立している寺は全体の3割もないだろう。
むしろ財政実態を公開し、どうしたらいいかを皆で考えることから再出発すべきだろう。成員であることの自覚もできる。

また、そのためには寺の運営実態を透明化し、寺が何をしていくべきかの目標を共有することが必要だ。

私の知っている寺では、個人名は伏せるが、葬儀のお布施も公開している。

100万円以上出す人もいれば、その人にお金がなく、寺が負担して葬儀を出すこともある。

平均で20万円代であった。

自分たちの葬儀だけではなく、信者全体の葬儀を可能にするために葬儀代がまさに布施として活用されている。
会計公開は成員の自覚につながるし、寺が公共性を確保するための義務でもある。

 

第6は組織の規律である。

 

組織が崩れるのは自己規律がないことからきていることが多い。


組織運営が一部の者の都合がいいように偏ったり、運営が公平を欠いたり、偏見に基づいた差別やいじめが行われたり、お金の使い方がいい加減であったり、私欲がまかりとおるものであったり…


およそ最低限の規律が確立され、常に第三者の点検に耐え得るものである必要がある。


あたりまえのように見えるが、相当意識的にしないと規律保持は難しい。

また、規律が崩れると組織内はもとより対外的信用も崩れる。
雑誌やテレビのワイドショーで寺や僧侶の悪い話題が取り上げられるのは、規律が失われた寺の問題であることが多い。

 

 

檀家制度成立以前

 

寺の組織は「檀家」制度によって支えられてきた。

といっても本格化は江戸中期以降のことで、歴史的に中世までは寺の檀那(だんな)は権力者、貴族、武家に偏していた。

ある意味で権力者の権威の誇示に寺は利用されてきた。

また、寺は宗教的=世俗的権威ともなり一大勢力ともなった。
これが戦国時代に信長が仏教団と激しく対立、排撃されるところともなった。


仏教は権力者が檀那であった時代はある程度は拡がったが、民衆の中に定着したとは言えない。

 

 もっとも中世以降になるとさまざまな僧が民衆へのアプローチを行うようになるが、それは教団としての組織的なものではなかった。


例えば、平安時代の
938年、阿弥陀聖、市聖と呼ばれ中世以降の高野聖、民間浄土教行者である念仏聖の先駆けとなった空也(972年没)が京で念仏を広める。

これ以降、民間仏教の「聖(ひじり)」と言われる僧が民衆の中に入り、死者儀礼や農耕儀礼と結びつき大衆化していった。

 

 

「檀那(旦那)」とは、

サンスクリット語のdânaに相当する音写。もともとは、施し・布施を意味するが、わが国では、寺院や僧侶に布施・寄進をするパトロン、つまり檀越(だんおつ)・檀家と同じ意味で用いられた。布施を受ける寺のことは〈檀那寺(だんなでら)〉と呼ばれる。檀家はそこで死後の菩提(ぼだい)を弔ってもらうことになるので〈菩提寺(ぼだいじ)〉とも呼ばれる。なお檀那は、家を支えるパトロンとか、恩恵を与えてくれる者の意味から、既婚の男子、特に夫や主筋の相手に対する一種の敬称とも転じ、〈旦那〉とも書かれるようになった。(岩波仏教辞典)

 

「戦国時代」とは、室町後期の応仁の乱から織豊政権誕生による天下統一に至るまでの時代のことである。

政治的には乱れ、飢饉、戦乱で民衆は苦しんだ。
一方それまでは貴族や武士の下で翻弄されていた民衆が農業生産力を向上し、定住し、近世の村をつくり、一定の社会的地位を向上させた時期にも相当する。


「戦国仏教」という言葉もあるように。この時期を中心に仏教の民衆化は進む。

それを可能としたのが「葬祭仏教」であった。

(以下続く)


☆近況報告と予告

①仏教タイムズ2017年2月16日号
http://www.bukkyo-times.co.jp/pg125.html
に「僧侶派遣の現状と背景を追う(最終回)仏教界への提言―聖たちの覚悟を現代に 碑文谷創(葬送ジャーナリスト)」
。タイトルは編集部が付けたもである。全日本仏教会の「法務執行に関する協議会」の中間報告を読んではいるが、直接は触れていない。1800字という制限であったので、問題の根幹だけに絞って書いた。記事はネット紹介。まだ掲載紙が手元に届いていない。

②日本消費者協会第11回「葬儀に関するアンケート調査」(2017年1月)
仏教タイムス2月17日号には
2017/1/19
「日本消費者協会・葬祭アンケート 葬儀費用、やや増加 相談は寺院から業者 仏式葬儀 首都圏で減少気味」
というレポートがあり、これはネットで読める。
中外日報も報じている。2017年2月3日付

「僧侶と葬儀の関係希薄に 日本消費者協会調査」

http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/jijitenbyou/20170203-001.html
この日本消費者協会調査は入手したので、後日きちんと分析し、書く。
問題も多いこの調査、読み方も含めて提示したいと思う。
何回かに分けて書くことになるだろう。


③橳島次郎『これからの死に方 (平凡社新書)』

http://booklog.jp/item/1/4582858082
を読んだ。
なかなか切れ味のいい本だ。
多くの人に読んでほしい本。
中には?の部分もあるので、これについては問題点も含めていずれ書評したい。


 

 

 

 

2017年2月16日 (木)

布施の基本的理解―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑤

戒名、布施問題について間が空いた。
前回は「布施問題の現況」について書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/01/post-68ab.html#_ga=1.177174245.173638439.1487207866

今回は「布施」について基本に立ち返るところから書いてみる。

手元にある『岩波仏教辞典』(膨大な辞典類は事務所閉鎖に伴い譲渡したが、手元に残した数少ない辞典の一つ)には以下のようにある。

出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物その他を施し与えること。

とある。
「貧窮者などに」という言葉が入っているが、僧や寺院への財政的施しという面が強いことがうかがえる。


辞典でも、布施については「財施(ざいせ)」以外に、僧側からの「法施(ほっせ)」、そして「無畏施(むいせ)」について触れている。
今日専ら用いられている「僧や寺院への財政的施し」ということだけに布施は限定されないことを説明している。

これを私なりに再整理すると次のようになる。






「布施」
は、仏教では、布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべきつの実践徳目の1つとされている。

施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものとされている。






布施はさまざまに分類されるが、一般的には次の3つに分けられる。






財施(ざいせ)





出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物、衣食などの物品を与えること。
仏教の教えへの感謝を表し、施すこと。






法施(ほっせ)





正しい仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。僧侶の務めとされている。






無畏施(むいせ)





「施無畏(せむい)」とも言い、不安やおそれを抱いている人に対し安心の施しをすること。
困った人に対し親切を施すこと、など。







無畏施
は、近年特に注目されている。
といっても「無畏施」という言葉で語られることはあまりない。

無畏施は、対象に檀信徒(そもそも戦国末期以降、特に江戸中期以降確立した、寺をさまざまな形で支える人。戦前は家制度を背景として「檀家(だんか)」と言ったが、戦後は家制度でなくなったこと―慣習的には残っているが―、信教の自由を背景に「檀信徒(だんしんと)」と正式には言われる。「檀徒(だんと)」と言うこともある)や信者も含むが、それだけではない。
寺の壁を越え、地域社会、社会の精神的、経済的、その他に困難にある人へさまざまな支援をすることを言う。
葬式、法事といった範囲を超えた僧侶、寺の社会的活動(だけではないが)は「無畏施」に相当するであろう。
その意味では「布施」を論ずる際に、もっと注目されていいいことであるように思う。

近くでは、
阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震等の災害時に若い僧侶を中心にさまざまな支援が積極的に行われた。
また「臨床宗教師」等の終末期患者等への支援(「日本的チャプレン」とも言われるように、北米のキリスト教のチャプレン活動に刺激され、日本にも日本人の宗教に合った宗教者の病院や施設等での活動が必要、と開始された。宗教間協力として行われている。中には仏教者に特定した活動も)もある。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/diarypro/diary.cgi?field=8
アジアの子どもの支援活動をするシャンティ等の活動もある。
http://sva.or.jp/about/

これらは「無畏施」に相当する「布施」である。
もっとも僧や寺が行う活動のみが「無畏施」ではなく、仏教徒が行うこうした活動がすべて「無畏施」に相当する。

この解釈には一部の仏教者から異論があるかもしれない。

「無畏施」を
「衆生を危険から救い、安全な状態にすること」(『岩波仏教辞典』)
をそのまま理解すれば、これは人々に仏法を説くことによって施すもの、という解釈も充分にあるからである。
しかし、説く内容がなければ施しにはならない。

「布施」について『岩波仏教辞典』は後段で以下のように書く。

転じて、僧侶に対して施し与えられる金品をいう。

現実的解釈と言えよう。

だが布施が成り立つのは「出す者」と「受け取る者」の間に関係が必要である。
関係があって成り立つのが布施である。
しかし、「出す者」が何かを得ることを目的とするのは布施ではない。

施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものとされている。

のが布施の本質であるからだ。

だから、布施には定額はない。あったらおかしいのだ。それはもはや布施ではない。

しかし、「布施」も歴史的文脈を離れては語れない。
建前だけでは今日の布施問題は解決しない。

(以下、続く)

※後ろを長々と書いたのだが、途中保存せず長々と書いたため、保存できず後半のデータが紛失(泣)
今回は中途半端だが、ここまで。




2017年1月29日 (日)

「布施」の問題の現況―戒名、布施問題の多角的アプローチ④

「布施」問題の現況

「布施」が今問題になっているのは、主に「葬儀の布施」である。

通称「お経料」とか「戒名料」と言われるのはその類である。

葬儀のお経の対価として「お経料」、戒名の対価として「戒名料」と言われる。

仏教会では「布施は対価ではない」として、布施は本来定額化されるべきではない、と布施の定額化に抵抗する。

それに対して僧侶派遣業は「消費者はいくら支払っていいかわからないで悩む」と、「明瞭化」をうたって定額化を進める。

寺院の一部では、消費者の「わからない、という心理は理解できる。強制ではなく、目安は出すべきだろう」と目安金額の提示をしている。

ネットで見ていると葬祭関連事業者ではなく、寺院のホームページに「布施料」などといった表現を見つけ、思わず嗤ってしまったことがある。

「布施」基盤の喪失

「布施」は寺院の財政的基盤であることは事実である。

寺院は信仰共同体であり、これの運営を財政的に支えるのは檀信徒であり、それが「布施」である。

ところが檀信徒に寺を支えるという意識が希薄になってきている。
あるいは寺を積極的に支えようとする檀信徒が少なくなってきている、ということが一つの問題。
昔は「大旦那」という存在がいたが、今は少ない。
金をもっていても大きく負担しようという大旦那がほとんどいなくなった。

もう一つは、宗教的浮動層の増加により、そもそも寺との関係がないにもかかわらず、葬儀や法事だけに僧侶を呼ぶケースが少なくない。

彼らには寺の活動を支えようとする意識はなく、あくまでも葬儀や法事の宗教的サービスの対価としての意識しかない。
そこで「対価ではない」と言ってもチンプンカンプンという現実がある。

彼らに寺を支える「布施」という意識はまるでないのだから、「対価である以上、料金を明示してほしい」という意見があるのは、ある意味で当然と言える。

寺院は「建前」を主張するが、宗教サービスの受け手である消費者は「本音」で迫る。
その「せめぎ合い」というのが「布施」を巡る問題である。
布施が寺院の財政的基盤、という問題は、布施の本質論だけではなく、寺院に「定額化」が布施の安い水準への統一になり、寺院収入を減らすことになるのではないか、という危機感もある。

地方寺院の問題

寺院の状況も異なる。

都市化つまり過疎化で、地方寺院は檀信徒が減少し、そもそも寺院収入は低下傾向にあり、地方経済も悪化しているから檀信徒にこれ以上の負担を求められない。

そこで寺院の僧侶は檀信徒に頼るのではなく、自ら正業を別にもつ。
つまりは兼業化している僧侶が多い。

但し、兼業寺院の現実も困難を抱えている。

兼業の主なものは昔から「役所の職員」「教師」「農協の職員」が多かった。
ところが役所は地方自治体の広域合併で職員が減っている。
教師は少子化で減っている。
農協も大型合併で職員数が減っている。

つまりは兼業先が少なくなっている。
住職が兼業できないと寺院は跡継ぎ不足に悩むことになる。
地方に行けば「子どもに寺を継がしていいものか」と悩む僧侶は多い。

また1カ寺で専任の住職を雇えない寺では複数の寺を兼務する「兼務住職」に頼る。
中には10カ寺ほど兼務する僧侶もいる。
いっそ寺を合併すればいいのにと思うが、これは一筋縄ではいかない。
それぞれの寺の檀信徒にとっては「おらが寺」であり、合併を好まない檀信徒が多い。

こうした兼務寺院では寺の本堂等の老朽化が大きな問題となる。
老朽化した建物を修復したいと思っても、当該寺院の檀信徒だけではできない。
そこで兼務先の他の寺の檀信徒に寄進を呼びかけても、自分の寺の話ではないので応えようとする人は少ない。
よって荒廃する寺院が後を絶たない。

「布施」相場の格差

葬儀の「布施相場」は、全国平均すれば40~50万円というところだが、現実的に多いのは20~30万円というところである。

都市部では50~70万円という数字が言われるが、郡部では5~10万円というのも少なくない。

5万円と70万円の違い、それはそのまま檀信徒の経済力の差である。

もう少し言うならば、郡部の寺の僧侶は地域住民と顔が見える場所にいる。
都市部の寺の僧侶は地域住民という感覚がなく、顔が見えない場所にいる。
という問題である。

この問題は大きい。
郡部寺院の住職は檀信徒の生活が見えているので「もっと」とは言えない。
都市部寺院の住職は檀信徒の生活が見えないので「もっと」と言える。
さらに言うならば、宗教的浮動層は檀信徒ですらない。顔が見えるはずがない。

「僧侶派遣」の問題は寺院格差を背景とした問題でもあることが問題を複雑化している。
(この項続く)

2017年1月24日 (火)

戒名問題の視点―戒名、布施問題の多角的アプローチ③

「戒名」に関する問題

戒名についての社会的関心の一つは、「戒名料」に係わる問題である。
 
これは生活者の関心である。
近年は僧侶派遣のネット事業等が「戒名料の定額化」を打ち出し、仏教会がこれに反発するという構図になっている。

これはそのまま仏教寺院の財政基盤に関する問題である。

「戒名料とは言わない」というのが仏教会および各教団の立場である。
そもそも「戒名料」と言われるようになったことが問題なのであり、これが戦後の高度経済成長以降の主に都市における「社会的」問題の一つである。

かつてこの議論があった時、大阪の僧侶が「それは東京の問題だ」と言った。
訊いたら「院号料はある」と言う。
私は「その院号料と東京の戒名料は同質の問題だ」と指摘したことがあった。

もう一つは、「戒名」が歴史的に保持してきた階級性の問題である。
そこから派生した「差別戒名」の問題である。
過去において被差別部落民に対して被差別部落民であることを示す戒名をつけたことに対する糾弾とこうした歴史に対する寺院の反省の問題である。

「戒名」「法名」「法号」の基礎理解

以下、共通理解のための基礎的解説をする。
宗派によっても理解は異なる。

元々インド仏教には戒名はなく、仏教が中国に伝わった以降に生まれたものである。

「戒名」とは、仏教教団に入り戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のこと。
本来は戒を授けられ出家した僧にのみ与えられるものだった。
つまりは「出家名」である。


出家しない在家の檀信徒も授戒会に加わって戒を受けることにより、仏法に帰依した者として戒名を与えられるようになった。
これは出家者以外の葬儀をどうするか、で課題となったものである。


日本の仏教の在家葬儀の原型となったのが禅宗の葬儀法である。
禅宗が中国で儒教の影響を受けて葬儀法を確立した。

禅宗では、出家者に対する葬儀法「尊宿喪儀法」と修行途中の僧侶に対する「亡僧喪儀法」があった。
後者の「亡僧喪儀法」を、出家ではない者、つまり「在家喪儀法」に援用した。

修行途中であり、正式に僧ではなかったので、急いで戒を授け、僧とし、あの世に送り出した。
これと同様に僧でない在家の者も戒を授け、剃髪し、僧の如きにし、あの世に送り出した。
江戸時代には男性のみならず女性も剃髪された例があったようだ。

これは民衆の葬儀法が課題となることで生まれたものである。
江戸時代以降、寺檀制度が確立する中で、亡くなった人に授戒して戒名を与えることが一般的となった。

本来戒名は、生前に入信して与えられるべきものだが、死者の場合でも生きている者として扱い、できるだけ早く授戒させようと、しばしば枕経や通夜に授戒が行われた。


これは「没後作僧(もつごさそう、ぼつごさそう)」と言い、亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送るということを表す。
文字どおり「死没後に僧となす」ことを意味する。

授戒は引導と共に葬儀儀礼の中心をなすものとして位置づけられている。

「没後作僧」については、「生前、入信に際して授かるのが本来であるが、その縁がなかった者も死後といえども切り捨てるのではないという仏の大慈悲が存在する」と説明するものもある。

もっとも日本の葬儀では、葬式以前の通夜までは「生と死の中間」つまり「死者を生きているものと見做して」取り扱ったので、通夜までの間に行うのは生きている者と見做して行ったことを意味した。


近年、「戒名料」が問題とされたこともあり、多くの教団では、できるだけ生前に授戒会などに出て戒名を得ておくことを勧めている。


浄土真宗は在家道で教義にも戒律や授戒はなく、「聞法者」という意味をこめて「法名」と言う。
仏法に帰依した者が授かる名前で、「帰敬式」(「おかみぞり」「おこうぞり」とも言う)を受けていただくものとされている。


日蓮宗は「法華経に帰依することが持戒にまさる」ということで、あるいは「経(法華経)を受け持つことが戒を持つこと」という考えから葬儀式に授戒という作法はない。
「信仰に入った証」ということで「法号」が与えられる。

「入信の証」であるならば、本来は生前に与えられるものだが、亡くなった後に授与されることが多く、また生前に与えられていても死後改めて授与し直されることが多い。
特に「院号」等の修飾語が付けられるのは一般的に死後である。


修飾語の問題

戒名(法名)は、基本的には法号の2字である。
平易に表現すれば出家名であり、仏弟子としての名前である。

これに付加された院号、道号、位号は修飾語である。
だが、この修飾語が問題である。

過去において、どんな修飾語を付加するかという基準が、寺院への貢献度と社会的功績におかれた。

「死後追贈の褒章のようなものだ」というのは的を射ている。

寺院への貢献度は、寺院の建立や修繕に貢献したとか、檀家総代として尽力したとか、篤信な信者であったとか寺院または信仰を基準にしたものだから、ここでは問わない。

問題は社会的功績である。

大名だから、武士だから、庄屋であったから、という階級社会の上の立場という理由だけではなく、下の立場の階級付けまでがされたことによる。
この道具として戒名が用いられたことが問題となる。

※今戒名の修飾語の最高位として「院殿号」が位置付けられていることが多いが、これは足利尊氏が最初と言われる。以降、武家が天下を取ったことで、大名家やその上位家臣、旗本に陰殿号が授与されることが多くなったことから来ている。

戒名が檀信徒への褒章としてだけでなく、人の社会的階層づけに利用され、ひいては差別の固定化を招いたことが、仏教寺院の体質、それを許した日本社会の問題として批判される。

「差別戒名」問題

戦後、寺院は宗団全体で差別戒名の調査を行い、その付け直し作業を行った。

※曹洞宗では
曹洞宗がこのような取り組みを始めたのは、1979(昭和54)年の「第3回世界宗教者平和会議差別発言」(注1)に対する人権の確立を願う人びとや運動団体などによる糾弾・学習がきっかけでした。

1981(昭和56)年1月の第1回糾弾会から5回におよぶ一連の糾弾・学習の中で、「差別戒名」の問題、「差別戒名」のつけ方や「差別儀礼」のやり方などが書いてあった「差別図書」の問題(注2)、寺院住職が引き起こした「身元調査差別事件」が提起されました。
そして、曹洞宗としてこれらの問題が実際に存在することを確認、「差別戒名を改正する」「差別図書を回収する」「身元調査に加担しない」ことに取り組むことを社会に約束をしました。この3点の取り組み課題は現在でも、曹洞宗の人権確立へ向けた取り組みの大きな柱です。
(注1) 「第3回世界宗教者平和会議差別発言」
1979(昭和54)年、アメリカのプリンストンで開催された、第3回世界宗教者平和会議(WCRPⅢ)において、当時の全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長が、再三にわたり「日本に部落問題はない」「百年ほど前にあったことで今はない」「部落問題を理由にしてさわぐ一部の人がいるだけ」などの差別発言を繰り返し、WCRPⅢの報告書から部落問題についての言及部分を削除させてしまった差別事件です。
その後、5回にわたり確認糾弾会が行われ、「差別戒名」「差別図書」の存在、「身元調査」に加担した事実などが指摘された、個人の差別発言のみならず、曹洞宗がこれまで抱えてきた差別体質や、歴史・社会状況への認識・疎さの現れであったのです。

(注2) 「差別戒名」、「差別図書」
主に、江戸時代から昭和初期にかけて、被差別部落の檀信徒のみに「授与」された、一般の檀信徒と比較して「不当に差別され、おとしめられた戒名」を「差別戒名」と言い、曹洞宗寺院でもその事象が確認され、現在、改正の取り組みがなされております。
また、この「差別戒名」の付け方の手引書など、曹洞宗関係者が出した書籍について、差別的な記述等が確認された6種類を「差別図書」として回収を進めております。
http://www.sotozen-net.or.jp/activity/jinken/torikumi 

だが、差別戒名だけの問題ではない。
差別戒名の原因となった、戒名が人の階層化の道具であったことへまで及んでいる。

経済の民主化による「戒名料」問題

他方、「戒名料」は、戦後社会における寺院の民主化の問題であったという側面をもつ。

戦後、民主化が達成することにより、一般の檀家は、過去の身分によって戒名が階層化されて固定化されることを嫌い、戦後日本社会の実質的な規範である経済力によって新たに階層化することを望んだ。
それが民主的だと考えたのである。

寺院側にもそれを受け入れざるを得ない理由があった。
戦前の寺院経済を支えてきた大檀家の没落が相次いだ。
大農家が農地解放で没落し、大地主であった寺院そのものも農地解放により経済的基盤を失った。
寺院経済を支える新たな基盤作りに迫られていた。

一方で、都市化により、旧来の檀家ではない新たな都市住民が都市寺院に葬祭サービスを求めてくるようになった。
これらを取り込む基準は旧来の檀家としての貢献度や社会的立場以外のものでなければいけなかった。
それは戦後社会にあっての認められた基準である金銭を置いて他になかった。

「戒名料」という名称は、戒名の階層付けを新たに経済的な貢献度で行うという表明である。
経済の民主化が進み、都市化が進んだ高度経済成長期に「戒名料」が定着し、院号の乱発が行われるようになったのは、理由のあることなのである。

この後、80年代になると消費文化が成熟し、「消費者」という概念が定着してくる。
「安く良質のものを」という考え方は戒名料にも及んだ。

ところが戒名料には公認された社会的基準がなかった。
寺院側も、おおっぴらに戒名の基準が入手時の経済的貢献度とは表明しにくい。
苦々しく感じる寺院も少なくなかった。
寺院それぞれの対応の違いが、消費者には戒名料はブラックマーケットであると映った。

90年代に入ると社会的風潮も変化してくる。
特にバブル経済が崩壊して以降、価値観の変化が見られる。
褒章を求めない人が増えてきたのだ。
世俗化が進み、あの世への信仰が低下したこともこれに重なった。

戒名の院号信仰を支えたものは、死者の冥福を願う切なる心情があったことは事実である。
まさに欧州の宗教改革時代の免罪符に近い意味を戒名は負っていたのである。

だが、あの世信仰が希薄になることによって、その意味すら感じられなくなってきた。
この結果、これまでの戒名料批判に戒名不信が付け加わる事態となった。
これがジワジワと浸透していき、戒名料収入の低下を招き、将来的には寺院経済の基礎が揺るがされるのではないか、という不安が寺院を覆うようになっている。

一方、「戒名を買う」者には檀信徒として寺を支える意識が希薄で、「寺への寄附義務がない」ことが歓迎される風潮がある。
これが寺院側にとって悩ましい問題であり、僧侶派遣業者は「檀信徒にならない」ことをメリットとして宣伝している。

※現在の戒名に対する布施の定額化で、あたりまえのように「院号、居士大姉は別料金」になっているのはいかなる理由によるものか?
「ブランド」化になっていないか?

付加価値だから「高い」のだろうか?説得力をもって語られるのを聞いたおぼえがない。

戒名問題のこれから

教義的には既に今日の戒名問題を正当づけるものはないだろう。

僧となること、仏教徒たることを表明した徴、それ以上のものではない。
このことを教義的に意味づけることは可能であろうが、できるとしても法号に対してである。院号や位号などは歴史社会的に説明できるだけである。

対処としては仏弟子たることを表明し、あるいは授戒した人に対して、法号の2字(あるいは全て院号付きで)を授与するようにするだけである。
現状の没後作僧という死後授与を改めることも考えられる。

だが、問題はそれだけではない。

戦後に戒名問題が現在のような混迷を招いた原因が寺院経済の維持にあったのであるから、寺院経済の基礎をどこに求めるかを新たに考える必要がある。

戦前までの寺檀制度は寺院経済の基盤としてあった。
だが寺檀制度の基礎となる寺院と檀家の関係が葬祭サービスに偏ったものであったことがが一つの問題である。

寺院の活動が何であるかを明らかし、それが檀信徒に理解されて活動資金が支えられるという構造作りが課題となるだろう。

もう一つは、人の階層づけが戦前は階級社会、戦後は経済中心主義を無批判に基準にして行われたことへの検討であろう。
宗教は民衆に寄り添って力になる必要があるが、社会に埋没することではないだろう。
このことをきちんと考えないと、戒名問題そのものは解決しても、姿を変えて同じような問題が再発するであろう。

ことは寺院経済に絡まった問題であるから容易ではない。
できるだけ手をつけないでそっとしておきたいと考える僧侶が多いことは理解できる。

この問題は、仏教寺院の問題だけではない。
日本社会の縮図とも言うべき問題であるように思う。



2017年1月22日 (日)

死者との関係づけ―戒名、布施問題の多角的アプローチ②

戒名、布施問題の多角的アプローチ②

死者との関係づけ

仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(下)


日本の仏教葬儀の内部に少し立ち入って見てみることにしよう。

※誤解してほしくないのは、ここで教理を語っているのではないこと。
儀礼が民衆の心性とどう関係していたのか、その全部ではなく、一端を探る試みだ、ということである。
一つの見方を提示するもので、あるべき方向を提示しているわけではない。
しかし、これはこれで私の模索の一つの結果を提示している。


「導師」に期待されているもの

死後の世界に橋渡しする存在が導師である。

導師とは民衆に法施をなし、仏法に導く僧侶という意味ではない。
葬儀においては、まさに死後の世界に導く者であり、この役目においては、超自然的なものの化身、代行者であると理解されているように思う。

ある僧侶が地域共同体の葬儀の時代にあって、僧侶は地域共同体の一員として葬儀の儀礼執行を分業した、と語っていた。

だが、分業以上のものであると思う。
その僧侶の人間性を別として、葬儀の導師を務めることによって、聖化された存在と見なされたのであると思う。

創価学会が、僧侶抜きの葬儀を提案したとき、これに対する強いアレルギーが出たのは、僧侶が収益源を失うことへの僧侶からの反発もあったろうが、導師を欠くことにより、あの世への移行が不確実なものになることに対する民衆側の不安があったのではないだろうか。
創価学会の友人葬でも儀典の係が「導師」を務めている。
「導師」の期待されている役割を暗黙のうちに受け入れたのだろう。

枕経

仏教葬儀の儀礼で最初にくるのは枕経である。

枕経とは、新しい世界に移行させるための死者に対する修練であり、秘伝を伝えることであると理解されたのではないか。

歴史的にも中世の浄土教では死にゆく者への臨終経としてあったものである。
枕経は、まさに死者に対するものとして存在した。

授戒

仏教葬儀の中心をなす儀礼は、浄土真宗を除き、授戒である。

これは意味あることであると思う。
授戒は死後の世界に入りしむるための秘儀として位置づけられたのだと思う。

ちょうど古代の男子の成人儀礼で割礼を施すように、授戒儀礼では、死者を剃髪し、過去を殺し、新しい世界の世界観たる戒を授ける。

授戒は、死者を新しい死後の世界に移行させる決定的瞬間なのである。
それ故に授戒が中心をなしたのではないか。

日本の仏教葬儀が俗人が出家して僧侶となるための加入礼を模したことは偶然ではない。死後の世界へはイニシエーションが必要なために援用されたのだと思う。
授戒し、死者が戒名を授かることは、死者が霊的存在として再生したことを示しているのである。

戒名の有無は、死者が死後の世界に無事位置づいたことを示す証明であり、遺族にとっては死者と新しい関係づけをすることが可能となったことを証明するものなのである。
戒名を得ることの意味が、民衆にとってこのように理解されたからこそ、民衆は死者のために戒名を得ることへ殊更に拘ったのだ、と考えると理解しやすいように思う。

そして導師による引導とは、まさに、死後の世界に死者が入ったことの宣言としてあった。

曹洞宗では一挙に仏世界に導くとして「喝(かーっ)」などと大声するが、その場にいる者たちには、深い印象と安心を与えるものである。

藤井正雄が、日本における葬儀式の展開は、真宗と日蓮宗を除き
「没後作僧すなわち死者を仏弟子にする授戒式と、その新仏弟子を浄土に引導するという二重構造になっている」(『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』)
と述べているが、このことは日本の仏教葬儀がイニシエーションをその本質としていることを示しているように思う。

死後の修行という考え

しかし、引導の後にも、日蓮宗などでは、死者は死後しばらくの間は修行するという考えがある。
これは何故だろうか。

イニシエーションにとって、新しい世界に入るには、本来から言えば、修行が必要であるという観念がある。
だが、死者にはその充分な時間がなかった。
そのため死者には死後も修行が課せられたと考えるのが合理的であるように思う。
これが四十九日である。

この死者の修行は死者が単独で行うのではない。
遺族も死者と共に修行に参加することになる。
これが四十九日間を遺族が籠もることの意味であり、喪に服することの意味である。

服喪というグリーフワーク

遺族はかつて、「素服」という死者の衣と等しい服で身を包んだ。
まさに死者と共に修行に参加することを義務づけられたのである。

この服喪は、死は死者に単独で生じるものではなく、死者と遺族の間に起こる共同的なものであることを示しているように思われる。

ファン・ヘネップも
「服喪中は遺族と死者とは共に一つの特別な集団を構成しており、生者の世界と死者の世界との中間におかれている」
と語る。

と同時に、服喪は遺族の悲嘆を位置づけるものであった。
服喪をシステム化することにより、遺族が家族の死によって生じる精神的な衝撃、悲嘆が生じることを自然なこととして認容したのであると思う。

遺族に対して、システムとして服喪を課すことは外からの強制ではあるが、それを遺族自身が主体的になすことによって遺族自身のグリーフワークとなっていく。
遺族は服喪という死者との共同作業を行うことを自らに課すことによって、死者のために供養し、それを死者に振り向けて回向するという名分の下に、グリーフワークをなしたのである。

服喪の習慣が仏教世界だけでなく、各地に見られるのは、死の共同性が文化を超えて人間にとって本質的なものであることを示している。
死別した者の悲嘆が人間にとって極めて自然なことであることが受け入れられていたことを示しているように思われる。

修行を終えた死者は、最終的な秘儀である中陰儀礼(四十九日法要)を経ることによって、新しい世界である死後の世界に一人前として認められることになる。
これは仏教的には「成仏した」「浄土に往生した」などと表現される。

忌み

ここで「忌み」も新しい意味をもつことになる。

四十九日は「忌中」と名づけられ、「忌みの中にある」ことを示すものである。

「忌み」とは、一般に理解されているような、死穢を避けるということだけではない。
古い世界を殺すことを意味したのではないか。
例えば、今でも関西地方を中心に残る民俗である出棺時の死者の使用した茶碗を割る行為である(真宗はこれを嫌うが、一面的理解からきていているように思う。もっとも茶碗を割る風習自体がなくなりつつある)。

これは古い世界である生前の残存物を抹殺し、死者を古い世界に戻りようのない者とすることによって、新しい世界である死後の世界で生かすための象徴行為であったのではないだろうか。

確かに死に対する恐怖心や嫌悪感は現実にあった。
また、愛する存在としてあった死者を遺された生者が断念するという意味もあったであろう。こうした心性を合理化するものとしてもあったろう。

ファン・ヘネップによるなら分離儀礼であるが、忌みは、死後の世界での再生を願って行う、死者の古い世界の抹殺行為という積極的な意味を付与されたのだと思う。

服喪することを「忌み籠もる」と言う。

これは遺族が死穢に染まっているから遠慮して籠もるという消極的な行為だけではない。

死者が新しく死後の世界に再生するための(同時に遺族がグリーフワークをなすことにより悲嘆を表出し、死者亡き後の世界に生きるための)積極的な行為として理解されたのだろう。

カミ、ショウリョウ、ホトケ、ソレイ

死者が、こうしたイニシエーションを経て、つまり死と再生を経て、死後の世界に仲間入りし、加入した存在の名称が「カミ(神)」「ショウリョウ(精霊)」「ホトケ(仏)」である。
また、家族にとっては「祖先」であり、「祖霊」である。

イニシエーションにより死と再生を経たゆえに、祖先は力をもつものと見なされ、現世に生きる者である子孫を超越的に見守り、助ける存在として理解されたのではないだろうか。

まさにファン・ヘネップの言うところの「統合」の完成である。

イニシエーションが完成することにより、死者は死後の世界に位置づき、死者のパワーが生者に統合することによって、生者もまた回復し、死別の精神的混迷から抜け出し、新しい死後のステージに移ることが可能となるのである。

イニシエーションは死を内包する

エリアーデによるならば、
イニシエーションの「目的は、加入させる人間の宗教的・社会的地位を決定的に変更すること」であり、
「哲学的に言うなら、イニシエーションは実存条件の根本的変革」に等しい。
「ほとんどふるえ上がるほどの恐ろしい厳粛さ」を示す儀礼である。

多くの加入礼が、死を内包するという事実は、人間存在を揺るがし、人間関係に裂け目をもたらす二人称の死という事態こそがイニシエーションを必要としたことを根拠づけるのではないだろうか。

イニシエーションとして葬儀を行うのは、死が、単に人が存在を失うというマイナスの出来事としてのみ理解されたのではないからだ。
あるいは、そう理解したくないという想いがイニシエーションを生んだのであろう。

しばしば、死ぬことは、本源である世界に還ること、往還することであると理解された。
これは自然の循環と豊穣を積極的に理解したいという心性から出たものではないだろうか。

仏教の教理を別として、民衆が仏教葬儀を以上のようにイニシエーションとして理解したことは、ほぼ間違いのないことではないだろうか。
そして各宗派の葬儀に対する理解も、死に際してイニシエーションが必要であるという民衆の感覚と無縁ではなかったと思われる。
これが枕経、授戒、引導などの葬儀における位置づけとなって表現されたのではないだろうか。

死と再生

改めて確認しておきたいことは、死が「危機」であると理解されたから、民衆は家族の死に際してイニシエーションを必要としたのである。

死者の再生であり、同時に遺族は死者と共に小さな死を体験することにより、危機に陥った自らの再生をなすためのものであった。

死の危機に直面したとき、近代人といえども古代的心性、つまりは原初的な心性が奥底から湧き上がってくるのでないか。
これは人間の本源からくるエネルギーなのかもしれない。
人間の歴史は、こうして死と再生を繰り返してきたのだろう。

近代人は、世俗化され、聖なる世界から引きずり出された存在である。

それゆえに、儀礼という宗教的世界の中で再生することを簡単には実感できなくなっている。
これは不幸である。

だが、死という危機に直面して、水面下で、こうした葬儀というイニシエーションを必要とする想いがフツフツとしているのではないだろうか。
そうとでも理解しないと、崩れかけているとはいえ、民衆にとって葬儀というものがもつ意味が正確に理解できないような気がするのだ。

現在、戒名問題や仏教葬儀などへの不信が出ている。
これにはさまざまな原因や理由がある。
この背景については、今繰り返すことはしない。

世俗化や近代化を余儀なくされ、これからは、確かに葬儀は多様化してきたし、今後はいっそう多様化が進むだろう。

今や葬儀をどう行うか、についてのコンセンサスが薄れてきただけでなく、なぜ行うのかについてもコンセンサスをなくしているように思う。

だが、家族の死に直面した人の想いが、根本的なところで変わってしまっているとは考えにくい。
死は個別化されつつあるとはいえ、依然として危機であり、危機をもたらすという基本的な部分を変えていないからだ。

人間の死と再生の物語を過去のこととしてだけ共有し、現在のこととしては共有できなくなったわれわれ。
物語に郷愁を覚えつつも、その中に入っていけなくなったわれわれ。
多様化とはそれぞれが、それぞれの仕方で共有されることのない物語を編むしかないところに追いやられた事実を語っているのかもしれない

2017年1月21日 (土)

仏教葬儀で「授戒」がなぜ重視されたか?上-戒名、布施問題の多角的アプローチ①

「僧侶派遣」の話題も賑々しい。
少し基本的に戒名、布施問題をさまざまな角度で考えてみたい。
過去に書いたものも改めて取り上げていることを予めお断りする。


戒名、布施問題の多角的アプローチ


第1回 仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(上)


イニシエーション
20世紀の初め、アルノルト・ファン・ヘネップは『通過儀礼』を著し、
「あるグループから他のグループへ移るには、われわれの社会における特定の儀礼──洗礼、叙品式など──にみられるのと同様な通過の際の特別な様相を呈する」
と看破した。

彼は、人生の
「区切りの一つ一つについて儀式が存在するが、その目的とするところは同じである。つまり、個人をある特定のステータスから別の、やはり特定のステータスへと通過させることに目的がある。
目的が同じであるため、その達成手段は、細部に至るまで同じというわけではないにしても、少なくとも類似するようになるのである」
と分析し、
「出生、幼年期、社会的成熟期、婚約、結婚、妊娠、出産、父親になること、宗教集団への加入礼および葬儀などの儀式が一般的に似ているのはこうした事情による」
とし、
「これらの儀式はすべて皆同一のカテゴリーに組み入れるのが合理的」
として儀礼研究に体系を与えた。

そして彼は、
「通過儀礼はさらに分離儀礼、過渡儀礼、および統合儀礼に分析される」
とした。

あまりに有名になった儀礼の分類であるが、彼は葬式についても一章を設けて詳しく通過儀礼の要素をもつことを分析している。
その冒頭で次のように述べる。

「とむらいの儀式についてまず考えられるのは、主流をなしているのは分離儀礼であって、これに対し過渡および統合の儀礼はあまり発達していないのではないか、という事である。ところが実例にあたってみるとそうではなくて、分離儀礼は数も少なく単純で、かえって過渡期の儀礼の方が持続期間も長く、複雑化しており、それだけを独立したものと認めてもよい位のものもある。さらにまた、葬いの儀礼の中で最も複雑化しかつまた重要視されるのは、死者を死者の世界に統合させる儀礼である」

これは極めて示唆に富んでいる。

統合儀礼、つまり死者の世界へ加入させるための儀礼が重要な構成要素となっていると見ているのである。

私は葬儀を通過儀礼の一類型であることを否定するものではないが、その一つにファン・ヘネップが分類する加入礼として葬儀を見ると、よりよく明らかになるのではないか、というアイディアをもっている。

ここで「加入礼」というのはイニシエーションの訳である。

ちなみにイニシエーションとは、
「 1開始、創始、創業、 2a加入、入会、入門、b入会(門)式、 3a手ほどき、手引き、b秘伝を伝えること、伝授」
(研究社『新英和中辞典』)

と説明されている語である。
文化人類学的には訳す場合には「加入礼」とされるのが一般的である。

成人式のように、古代社会において、古い子どもの世界から新たに成人した世界に加入するに際して、苦行や儀礼を通じて新たな世界に導かれることを言う。

説明的に訳すとするならば
「秘伝を伝授することにより新しい集団に導いて加入させるための儀礼」
とでもなるだろうか。

私は、このところ、戒名について考えてきた。
今一つ、なぜ戒名が葬式において重要なのか、人々が関心をもつのか、自分で納得できなかった。

そんなときエリアーデの『生と再生─イニシエーションの宗教的意義』に出会った。
葬式について論じたものではないが、読んでいて、興奮してきた。

エリアーデは前近代社会のこととして論じているのだが、それは死滅した宗教世界のことではなく、死と葬儀においては根本のところで息づいているのではないかという想いを強くしたからだ。

河合隼雄も『生と死の接点』で
「近代人は…社会的な儀式としてのイニシエーションは棄て去ったが、その無意識内には、イニシエーションの元型的なパターンが存在し、われわれに今なお作用を与えている」
と述べる。

だが、儀礼そのものに仮託する心理も消え去っているわけではないように思う。

特に、日本の仏教葬儀とその中心を占める授戒を解釈する際に、イニシエーションと考えると、見えてくるものがあるように思われる。

予めお断りしておくが、これは思いつきである。まだ考えが詰められていないが、以下、このアイディアを説明してみることにする。


葬儀はなぜ切実なのか?

葬儀は、古い世界である生前の人間が死に、新しく死後の世界に入るためには必要なイニシエーションとして考えられていたのではないか。
古い人間である身体としての人間が死に、新しく霊としての人間が生きるための加入礼の秘儀がまさに葬儀であったのではないか。

死者が出る。
あくまで2人称の死として起こった場合である。

遺族は葬儀を行うことに拘る。
このわれわれがよく知っている拘りはどうして生ずるのであろうか。
この点が私が拘るところである。


ここには「弔う気持ちは人間の自然の感情」と説明される以上の拘りがあるように思われる。

その葬儀をすることへの遺族の拘りは多くの場合、今でも実に切実である。


これは何故なのだろうか。

葬儀をしないと、死者は行き場所を失うからではないのか。

日本の民俗的観念では、弔われず、行き場所を失った死霊は、しばしば生者に対して害をもたらすと信じられてきた。

死者が行き場所を失うことは、遺された者としても死者との関係づけができないまま留め置かれることになり、これが遺族に大いなる不安をもたらすのだろう。

したがって死者を死後の世界に加入させることは遺族に課せられた大いなる義務としてあるのではないだろうか。

葬儀において、分離儀礼、つまり死者を古い生前の世界と分離させることは重要であるが、分離は既に死によって発生したのであるから、より重要になるのは死者を新しい世界に移行させることにある。
分離は加入のために残存しているものをせいぜい切り離すためのものでしかない。
あるいは、加入のための条件を整えるためのものであろう。

死者を新しい世界である死後の世界に入らせるためのイニシエーションは、日本の民衆にとっては、長く日本社会にコンセンサスを作ってきた仏教葬儀を通して行われると理解されてきたのだと思う。
その理解はかなり薄くなったとはいえ、現在でも必ずしも完全になくなったわけではない。

だから、この場合、死者や遺族が仏教徒であるかどうかはあまり問題とされない。

仏教葬儀が死者を死後の世界に加入させるための儀礼として日本人の中に理解されてきたという事実が重要なのである。
これが現在でもなお8割を超す仏教葬儀ということで現実化しているのであろう。

もちろんこの歴史的背景としては、仏教の民衆化が葬祭を中心になされたことや、江戸時代の寺檀制度の法制化がある。

この結果、
重要なのは、日本の民衆にとって、仏教徒だから仏教儀礼によるイニシエーションが選択されたのではなく、死後の世界に入るために仏教葬儀があると理解されたことである。

そうでなければ、明治維新により寺檀制度が法制的位置づけを失って約150年を経てもなお、また真正の仏教徒が3割以下になっても、依然として仏教葬儀が8割という事態を説明しきれない。
(この項続く)

2016年1月 4日 (月)

アマゾンのお坊さん便

全日本仏教会は2015年12月24日(イブ!)理事長談話を発表した。

去る12月8日、「Amazon」は僧侶手配サービスを販売開始しました。これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというものです。

背景には、「読経してもらいたいが、お寺との付き合いがない」「お布施をいくら包めばいいのか不安」といった社会からの声があるといいます。

これには、販売当初より大きな反響とともに賛否の声が寄せられており、定額で分かり易いという声がある一方、仏教界からは宗教をビジネス化しているという批判が起こっています。

私ども公益財団法人 全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。

申し上げるまでもなく、お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。

今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、およそ諸外国の宗教事情をみても、このようなことを許している国はありません。そういう意味で、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。しっかりと対応していきたいと考えます。

今回のことを通して、私ども伝統仏教界は、お寺は相談しにくいという声を真摯に受けとめ、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団・寺院運営に反映していかなければならないことを付言しておきたいと思います。

2015(平成27)年12月24日
公益財団法人 全日本仏教会
       理事長  齋 藤 明 聖

  苦悩に満ちた談話である。
このところネット企業は「お布施」とはあまり言わなくなった。
もっと割り切って「僧侶手配」と言うことが多い。
宗教者を紹介・斡旋手配をしてそのサービス対価として料金をいただくということだ。
ある意味、ビジネスであることを明確にした。

「お布施」と言えば宗教行為である。しかし、彼らは「宗教行為」などという認識はそもそもない。
一般的な葬儀は仏式で行われる。その葬儀を請けるにあたって、「僧侶の読経」も「祭壇提供」と同じ「葬儀手配」の要素に過ぎない。
元々彼らは葬祭サービスも自ら提供するのではなく、葬祭業者に手配している。
「葬祭業」ではなく「葬祭手配業」なのだ。
一般消費者が「葬儀に含まれる」ものとして「僧侶による読経」がある以上、それを避けては不十分なサービスの提供になってしまうので取り扱うのだ。
それだけのことだから宗教に介入している意識は皆無なのだ。

手配される僧侶にしても「生活手段」として仕事を受けているのだ。いわばアルバイト感覚なのだ。もっと深入りして「請負」として受けている人もいる。
そこには宗教はないのだ。

しかし、話は単純ではない。

ネット企業から仕事を受けている僧侶の中に少なからずの過疎寺院の僧侶が含まれているからだ。

過疎寺院の僧侶は過疎寺院から受ける給与だけでは食べていけない。
過疎寺院でなくとも、「兼業」している僧侶は多い。
兼業には学校教師、地方公務員、JA…この3つが3大兼業先。
しかし、少子化で教師が、大型合併で地方公務員もJAも就職が困難になっている。今、兼業先として互助会、葬儀社が増えてきている。僧侶としてではなく、葬儀社の従業員になる。
その兼業先に「派遣僧侶」が加わったにすぎない。これであれば自分の得意分野なのですぐ仕事ができるから、「いい仕事」なのだ。

住職している寺院では檀信徒も少なく、高齢化が進み、その生活を知っているだけにもっとお布施を、寄進をとは言いにくい。都会の恵まれた寺院とは違うのだ。
都会の寺院であれば納骨堂を作って寺院収入を増やすことは可能かもしれないが、地方寺院の多くはそれができない。魅力をつくる方策も資金もない。
そこで彼らは都会に出稼ぎに行く。
地元の寺院で葬儀や法事があれば帰って勤めるが、それは多くないし、今後ますます減ることが予測される。檀信徒にあまり負担をかけず、家族を養うには自分で生活費を稼ぎ、かつ寺の維持もしなければならない。
その新しい働き口が「派遣僧侶」である。

最近多数派となった結婚式のキリスト教式では、一部が自分の属する教会の牧師や神父に家族が直接依頼するが、日本のキリスト教信者は1%足らず、ほとんどは式場に任せる。
ほとんどが教団から資格を得ていない偽牧師、中には引退教師のアルバイトもある。一部が牧師派遣プロダクションに所属する牧師や神父。
1回の挙式で式場またはプロダクションからは1万5千円から3万円支払われるのが通例。依頼した家族はほとんどがいくら支払ったかもわからない。
結婚式ではすでに宗教者は結婚式産業に組み込まれている。

僧侶派遣業は宗教を食い物にしている点で私にとっては否定すべき存在だ。
しかし、派遣僧侶が悪いとは必ずしも言えない。
派遣プロダクション側は僧侶と遺族との接触を嫌う。あくまで葬儀という式典の一要素としか考えないからだ。
派遣僧侶でも上質な人は、葬儀前に遺族の話を聴き、寄り添って葬儀をし、家族が少なく不安にしている火葬場まで付き添っている。
身分は「派遣」でも僧侶として葬儀をする以上はきちんとやるのがプライドであるし責務と考えている人が数は少数ながら、いることはいる。

都会の寺院の僧侶で、檀信徒の葬儀でさえ、死者も家族の気持ちに応えるわけではなし、式典をするだけで帰ってしまうのがいる。高額な金額を家族の生活を知らないものだから、平気で要求する僧侶もいる。
平気でお布施の額が30万円であると「安い」と宣う僧侶がいる。
景気が悪いと法事も減少し、葬儀のお布施に過度に依存すると、1回の葬儀のお布施は多いほどいい。「寺の維持」にお金が必要だ、とする僧侶は少なくない。

多数の檀信徒を抱えれば、資金のない家はそれなりに低くても、資金力のある檀信徒がそれなりに寄進することで寺の経済は回る。しかし、今は資金力のある檀信徒が相応に負担することが少なくなってきている。
「皆が30万円ならうちも30万円に」と言う人が少なくなってきている。そこで一律50万円、院号は100万円などと談合し、檀家総代や葬儀社を通じて言わせるところが出てくる。
「儲けるためではなく寺の維持に必要」というのが理屈だ。
しかし低所得者にとってはこの金額は尋常なものではない。「払えない。だったら安いところに頼むしかない」となる。ここで低所得層の檀信徒は「寺に拒まれた」という意識をもち、恨みさえ抱く。

そもそも「布施」と言うならば、そこに信仰、せめて信頼がなければならない。そういうものが介在しないのであるならば、「料金」でしかない。
プロの僧侶だから「布施」になるわけではない。

寺の経営する墓地、といっても2種類ある。
・寺院境内墓地・・・寺にとっては宗教施設で、檀信徒に使用が許されているものだ。都内で大寺院が「入檀料」を条件に「販売」しているが、これは実態として「民営墓地」になる。ステータス料だけ高くなる。

・民営墓地…これが許されるのは公益法人。宗教法人も含まれる。地方寺院の名で企業が都内に納骨堂をつくったが、「宗教・宗旨不問」を言った。檀信徒意外に使用を許可するのでなければ寺院が経営するものでも「民営墓地」である。民営墓地が事業目的であれば課税対象になっても当たり前だ。寺が造れば課税を免れるものではない。実際には課税対象になって当然の民営墓地がゴロゴロある。

2t

2013年8月22日 (木)

「式中初七日」てなんだ

今や東京では珍しくなくなったもの「式中初七日」というもの。考えれば考えるほど腹立たしい。

 

本来「初七日法要」は、死亡日を入れて7日目(関西では逮夜の習慣があるのでその前日となることが多い)に行われる。
しかし、葬儀のすぐ後ということで、いろいろな地に家族、親戚が散っているので、また集まるのはたいへん、ということで、70年代以前だと思うが初七日を繰り上げて、還骨法要に連続して行われることが一般化している。

それが3~5年前からだろうか、関東、特に東京23区内では、葬式に連続して、出棺前に、柩を開けて最後のお別れをする前に、葬式に連続して初七日法要をするケースが多くなってきた。
葬式内で行われるので「式中初七日」と呼ばれる。何か違和感がある。

「繰り上げ初七日だって葬式の当日に行うのだから一緒ではないか」「やらないよりやったほうがいい」と言う方もいるだろう。。

でもあえて言うならば、形骸化した法要はやらないほうがまし、だと思う。

四十九日まで7日ごとに営まれる法事には、僧侶や縁者にとっては遺族が葬式後どうしているかを見守り、周囲も死者を忘れているわけではない、というメッセージがあると思う。 
遺族にとってみれば、悲嘆の中にありながら、死者を弔うことを7日ごとに繰り返すことは意味のある作業だろう。
別に仏教の専売特許とする必要はない(ちなみに神道では10日ごとに行い、50日祭をもっと清祓いを行う。もっともこれは明治以降に仏教の四十九日を模倣して行われるようになった)。

7日ごとに営む法事は、身内(家族と特に親しい縁者たち)だけで、形式ばらずに、見栄をはらずに自宅の仏壇の前、あるいは寺で行うプライベートなものなのだ。
けっして葬式の中で、公衆の面前で、他人の目を気にしながら営まれるものではない。


「式中初七日」が行われることでなくなったものがあり、それは「
還骨法要」(宗派により「安位諷経」とか名称は異なるが)だ。
火葬され遺骨になった死者と向き合う作業が省略された(もっとも初七日と合同することで、人々の意識からは既に消えていたかもしれないが)。

こうした簡素化は、今さら始まったことではない。繰り上げ初七日の後は三十五日か四十九日のどちらかを関係者を招いて営むことで終わらせてきた。

でも地方に行けば、皆を招くのは三十五日か四十九日を期して行う法事だが、間の7日ごとに身内と檀那寺の住職だけでひっそりではあるが営んでいるケースは多く見受けられる。

葬式当日の初七日法要が遺族に精神的に負担になるというなら省略してもいいだろう。
葬式当日の近親者の精神的負担は大きいので、初七日は、二七日(14日)に繰り下げて一緒にやればよいこと。
もはや葬祭業者が首を突っ込むことでもない。

「式中初七日」などという、無茶な簡素化、省略は、必然性を奪う。そのうち葬式すら営む意味を奪い取るだろう。

四十九日を仏教が広めたのは事実。
しかし、家族と死別し遺族になった人たちの心理に納得させるもの、必然性があったから支持されたのだ。
こうした根っこを無視して営む儀礼は、無意味を通り越して危険でもあるように思う。

東京の葬式にはこの他気に入らないものがある。

通夜ぶるまいを「お清め」という。「死のケガレ」を清める、となる。
「ご供養ですから一口でも」と通夜の会葬者に飲食をふるまうのだが、「死者との共食」に与らせたい、というのなら、あえて「清め」といわずに「供養」と言ってもいいだろう。「振る舞い」でもいいだろうし。

繰り上げ初七日の後の会食の席を「精進上げ」「精進落とし」という。
精進上げ、精進落としは、四十九日法要の後に行うもの。いっそ東北や長野で言うように、法要後の会食の一般的表現「お斎(オトキ)」でいいではないか。寿司や刺身といった生物を食す言い訳なのだろうか。

こんな慣習、単なる言葉の話ではあるが、変えていいではないか。
こんな奇妙な慣習を維持することが「葬送文化」を守ることを意味しないだろう。

 

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