遺体論

2018年7月18日 (水)

葬祭事業者における遺体管理業務の実態

病院等における「死後のケア」の実態について①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/1-f03a.html

病院等における「死後のケア」の実態について②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-eea3.html

の続き

 

葬祭事業者における遺体管理業務の実態

死後のケアが病院死のケースでは看護職員において行われることが一般的ではある(看護職員以外が行っているケースもある)。
だが、死亡後に火葬までに少なくとも2日、一般的には3~5日(長い場合は2週間も)時間を要するので、死後ケアをもって遺体への十全な処置であるわけがない。
その後に家族から委託されて管理する葬祭事業者による遺体の管理することがより重要となる。

 

(1)葬祭事業者に委ねられる遺体管理

 

①病院死の場合

 

死亡直後における遺体処置としては、病院内死亡の場合に病院経営者の経営方針によっては葬祭事業者が病院内で処置にあたるケースがあるが、一般的には看護職員が担当する。


但し、病院により死後のケアは極めて限定的で簡易な処置で終え、遺体搬送のためにくる葬祭事業者にその後の処置を任せる病院は意外と多い。


また、「死体現象」に無理解なために、エンゼルメイクにはこだわるが、内容的にも技術的にも不充分な処置に留まり葬祭事業者に遺体が委ねられるため、葬祭事業者による補充処置が必要とされるケースは多い。

 

②病院死以外の場合

 

病院死以外のケース、老人施設、自宅、その他の事例ではほとんどの場合、死亡後に遺族の委託により葬祭事業者が遺体を管理し処置している。

病院死以外には病院における死後の処置と同程度の処置が葬祭事業者の責任で行われる。

 

(2)葬祭事業者の責任で行われる遺体処置の差異

 

葬祭従事者によって行われる遺体管理はさまざまである。


遺体管理を自らの責務と自覚しておらず、式の設営や進行を主業務と認識している者もいる。
また、遺体処置のほとんどを外注化してドライアイスの交換だけを行っている者もいる。


しかし、映画『おくりびと』のヒット、近年は葬祭ディレクターの認知、普及、増加、エンバーミングへの認知の高まり、そして東日本大震災における経験等から遺体の尊厳への関心が高まっており、遺体の処置および管理に関心を寄せる者は増加している。

 

①簡易な処置、管理

 

葬祭従事者が行う遺体処置、管理は簡易なものは以下の通り。


主として病院等死で、病院等で死後の処置が行われていた場合、布団の上にビニールシートを敷き、体液や血液の漏出に備え、遺体を寝かせ、顔に体液や血液の漏出がある場合には脱脂綿で拭い、ドライアイスを約10㎏程度遺体に載せ、布団をかけ安置し、顔に白布をかける。

納棺時には家族の手を借りて納棺のうえ、ドライアイスを1110㎏程度交換する。
通常ドライアイスは10㎏単位にパックされている。

 

②細かな処置、管理

 

死体現象には個体差が大きいため、着衣を解き、全身を観察する。

体液および血液の漏出がないよう創傷部については脱脂綿をあて包帯等をして患部を覆う。
鼻、口腔の脱脂綿を交換し、奥に詰める。
下腹部のおしめを交換する。

全身を水に濡らし絞った手拭で拭き、アルコール消毒液で拭く。
保湿剤を全身に塗る。
顔の膨らみ等を確認し、必要な場合には含み綿で形状を整える。
必要な場合には洗髪する。髪、眉毛、髭を整え、着替えを行う。
家族が希望すれば一緒に化粧を施す。
布団の上にビニールシーツを敷き、安置する。

ドライアイスは気候、遺体の状況を判断して10㎏~20㎏を判断し載せる。
頭の下にもドライアイスを置き、10cm程度頭を高くする。
ドライアイスは喉、胃腸の上に配置し、体液漏出部を凍らせ、また、胃腸部が最も早く腐敗が進行するのでドライアイスで腐敗進行を遅延させる。


状態を1日に2度は確認し、乾燥状態を確認し、保湿し、体液及び血液漏出部があるか確認する。
顔には浮腫がなくとも全身の浮腫発生を確認する。
消臭を行う。

遺族と相談し、早期に納棺を勧め、納棺後も棺内の遺体を細かく観察し、変化に対応した処置を行う。

5℃以下では腐敗進行は遅くなり、納棺後は冷気が還流するので保冷効果は高い。
しかし、遺体は時間の経過で進行するので常に変化の確認を行う必要がある。


処置は使い捨ての手袋を欠かさず、処置後は手指をよく消毒する。
結核菌は自発呼吸がないので一般には菌は漏出しないが、移動時、また腹部を圧迫することで菌が出ることもある。

 

実際に①と②、その中間、と葬祭従事者の処置と管理には大きな差があるのが実情である。


遺体管理は、家族、処置者の双方の公衆衛生を守る、遺体の尊厳を守る、遺族に臭気等で嫌な想いをさせない、安全に常に配慮している安心感を与える―ということが大事で何よりも優先されるべき、葬祭事業者としては最も優先されるべき業務としてある。


病気によっても変化するので医療関係者との情報交換は必要である。

(この項終わり)

「死体現象」について書いたところSNSで拡散したのだろうか、このブログの読者以外からたくさんのアクセスがあった。
私としては文脈の中で理解を得たいので、まとめて書いてみた。
エンバーミングについては

を参照願いたい。

病院等における「死後のケア」の実態について②

 

病院等における「死後のケア」の実態について①

 

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/1-f03a.html

 

の続き

 

病院等における「死後のケア」の実態について②

 

(5)死後のケア(死後の処置)の概容

 

死後の処置の一般的な内容は、小林祐子によると以下の通り。

 

今日の臨終直後のケアは、一般的に以下の ように実施されている。医師の死亡確認後、家族だけで別れの時間を過ごした後、臨終後 の身体の整容になる。この時、風習や習俗の 尊重に配慮する必要がある。例えば「死水」 または「末期の水」では、家族が唇を水で浸す習慣がある。仏教的には釈迦が入滅のとき、 口渇を訴えたという故事に基づくが、地方の 習俗では、悪しきものから守る、魂を呼び止めるという意味があるとされている。
通常の病死の場合、死後硬直の出現は、一般的に1~2時間で始まることから、出現前に身体の 整容を終わることが重要になる。筋肉の弛緩している時期は、比較的ケアが行いやすいと されていることから、家族との別れを済ませてから速やかに実施している。処置に際しては、体内の排泄物・貯留物を除去し、創傷の処置を行う。また、体内の貯留物が排泄されないように、体腔に弾綿を詰める。全身の清拭后、外観を整えるため死化粧を施す。
(「死後のケア再考」新潟青陵大学紀要第520053月)

 

(6)看護職員による死後のケアの実質の差

 

平野裕子は
「死後の処置は諸外国では死体業者、葬儀社、役所などが実施しているが日本においては病院死の増加に伴い、看護師が療養上の世話の延長として実施することが多い」
としながら、
「しかし、看護師は現行の医療体制における入院期間の短縮化や治療の効率化により、煩雑化する医療業務に追われ、死の瞬間まで生存者であり続けたいと願い、心的葛藤を繰り返すがん患者やその家族に十分に寄り添う看護を提供しているとは言い難い」
と実情の困難さを指摘している。


「包括的ケアの観点から遺族ケアニーズが高まるなか、死後の処置に関する教育は、先輩看護師が後輩看護師に伝統的に手技を教え、看護師主導、かつ短時間に施されていた背景があり、今なおエンゼルメイクの手技、手法に主眼が置かれ」ている実情を報告している。


平野が行った調査1は
「死後の処置を教える看護師の死後の支援時の思いと新人看護師に対する支援の実態調査」
で、まさに厚労省『新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】』で「死後のケア」を「演習」とした内容に相応する。
埼玉県内の5病院の「新人看護師に死後の処置を教えたことのある看護師20名(臨床経験平均10年強)に対する面接調査を行った。

その結果、
「現在勤務している病院における死後の処置を含む逝去時の看護手順書の閲覧経験は3名にあり、メイク方法の確認が1名、理由は忘れたが新人看護師時代に1回のみ見たが2名であった。これ以外の者については見た経験の有無を問われてもその記憶があいまいでわからない、また見たことがないと回答していた」
とある。


看護手順書についても箇条書き程度のものから詳細なものまであった。

死後のケアの手順書が規定されていても実効性が乏しく、標準基準はないに等しい。


平野は死後の処置の実態について、
死後の処置は「たいてい2名で実施していた。死後の処置にかける所要時間については20分以内が原則であり、点滴などのルート類の抜去などを含めても3040分以内に終わらせると回答した者が1名いた」
と所要時間を報告している。
(平野裕子:埼玉県立大学保健医療福祉学部講師、「看取りケア充実に向けた死後の処置教育プログラムの開発に関する研究」科学研究費助成事業研究結果報告書、2015

 

(7)「死体現象」に理解が乏しい看護職員

 

「死体現象」については看護師の認識は乏しい。

時間制限の基になる一つの死後硬直については9割方が理解しているが、腐敗、肌色の変化、皮下出血、体温低下、うっ血、浮腫、乾燥等についての理解は半数以下、中には1割程度というのが実態。

看護職が死後の処置をした場合でさえ「死体現象」を知らずに行うのであるから、遺体に対しての処置としては充分でないことは明らかである。


もっとも口腔への脱脂綿詰めについては
「後から体液漏出防止に効果がない」
として後からの葬祭従事者による低温管理に委ねるエンゼルケア専門家もいる。
だが喉奥への詰め物効果は臭い防止にあり、こうした死後時間経過に伴う変化に対応していない者は少なくないどころか一般的である。



(この項続く)

病院等における「死後のケア」の実態について1

犠牲者が200人を超えた西日本豪雨災害の件について心を傷める毎日である。
連日の酷暑の中、被災者、支援する人たちの置かれた過酷な状況を思う。
自衛隊員にも熱中症被害が出ている、という。
https://digital.asahi.com/articles/ASL7K533CL7KUTIL03B.html
「頑健」と思われる自衛隊員、各地から派遣された消防、警察、自治体職員の熱意は思うが、健康管理が丁寧に実施されることを切望している。

今回の西日本豪雨災害では200人を超える死者が出た。
東日本大震災以降、広島、熊本、今回の広島、岡山、愛媛等広範囲な西日本の災害。
災害が頻繁な感じがする。
私が幼少期に体験した岩手県一関の洪水被害。
1947
1948年に連続で合わせて500人以上が死亡した。
その例だけではなく、古くから日本列島は地震、洪水、土砂災害の歴史と言っていい。

今回は予告したので、病院等における「死後のケア」の実態について書く。
量が多くなったので、3回に分けて掲載する。


「遺体管理」については
死後、人間の身体はどう変容するのか?死体現象

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html
死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5cff.html

に続くものである。

 

 

 

病院等における「死後のケア」の実態について①

 

(1)死後の処置の歴史

 

明治時代には自宅死が多かったが、少ないながら病院死はあった。
医療機関での死後の処置については、近代看護婦の先駆と言われる大関和(おおぜき・ちか。18581932)等が著した『實地看護法』(1910【明治43】)に遺体消毒の記述が見られるのが最初といわれる。


戦後、病院死が増えることで、危篤となると家族が呼ばれ、医師による最終救命、死亡判定が行われると家族による死水が取られ、看護婦(以前、女性は「看護婦」、男性は「看護士」と称されたが2002【平成14】年に「看護師」に統一)による遺体の清拭・消毒、浴衣への着替えが行われることが一般的になった。これは「清拭」「湯かん」等さまざまに呼称された。


「清拭」とは看護師が入浴できないでいる患者の身体を拭き、必要に応じて、おしめや下着の着替えを行う作業のことであり、死後の身体への処置もその延長で「清拭」と呼ばれることが多かった。
「湯かん」とは地域共同体が死者の身体をたらいで洗い清浄にして死装束に着替えさせた慣習行為で、病院で死後に清拭や着替えがされたことをもって「病院で湯かんしてくれる」という言い方になった。
病院側から言われることはあまりない呼称。


1995
(平成7)年~2000(平成12)年前後以降に「死後の処置」が一般的になり、その延長線上に現在主に行われている形式にまとまる傾向となり、看護教本に1または2ページ記載され、1時限教授されることが多くなった。(処置の概容は次項参照)


2001
(平成13)年に元看護師の小林光恵等が「エンゼルメイク研究会」を発足させ、死後の処置を家族と一緒の看取り、ケアとしての死化粧である「エンゼルメイク」を提唱。
その影響下で化粧に偏らない「エンゼルケア」という用語が誕生し普及。
死後の処置に看取りの延長戦での「ケア」としての要素を付加する傾向が強まり、看護師等へ死後の処置への関心を高めた。

 

(2)死後の処置は医療外業で健康保険の対象ではない

 

「死後の処置」は「死後」のことであるから健康保険の対象にならないし、看護師という資格保有者だけに許された業としてはない。


保健師助産師看護師法第5条によれば、
「看護師」は「
厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者」である。
「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者」である。
31条に「看護師でない者は第5条に規定する業をしてはならない」、「准看護師でない者は第6条に規定する業をしてはならない」とある。


但し、死後の処置は、死亡をもって医療行為は終了したという考えで、保健師、看護師、准看護師の有資格の看護職員にのみ許された業ではない。

 

(3)「死後のケア」が看護職員の研修項目に

 

死後の処置について厚労省は正式に看護職員の研修に「死後のケア」という言葉で採用することを正式決定するのは2014(平成26)年2月のことである。
それまでは看護師等の研修に義務づけられてはこなかった。

厚労省が20142月に作成したのは『新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】』で、
「表4 技術的側面:看護技術についての到達目標」に新たに「死亡後のケアに関する技術」が取り上げられ「①死後のケア」が追加された。
但し、項目が加わっただけで、「技術指導の例」にも記載されておらず、その具体内容は提示されていない。

従来、正式名称がなかったが、おそらく今後は「死後のケア」が正式名称とされるであろう。


ガイドライン本体に記載はないが、調べると
「第3回新人看護職員研修ガイドラインの見直しに関する検討会」(20141月)記録において「新人看護職員研修ガイドライン到達目標の修正内容」として「死後のケア」が追加され、その理由として「超高齢化社会を迎え、新人看護職員研修においても実施すべき項目である。
各施設の状況を考慮し、『★なしⅢ』 とする」と記されている。
(筆者注::★1年以内に 経験し修得到達を目指す項目。Ⅰ:できる Ⅱ:指導の下でできる Ⅲ:演習でできる Ⅳ:知識としてわかる、と区分されている。)


おそらく終末期ケアが課題となっていることから、医療関係者が患者の死にあたって、最期をきちんとケアしたことを示す重要性が提示されているのであろう。


実際に患者の遺族からは、その死後のケアの処置内容がどうかではなく、「看護職員がきちんとしてくれた」ことへの評価が高い。
逆に言えば、死後のケアをきちんと行わないと医療関係者の評価が下がり、終末期ケアへの信頼が得られない、といえるだろう。


死後のケア(死後の処置)に対する看護職員の関心は一般病棟に比べ、ホスピス等の緩和ケア病棟において高い。

 

(4)死後のケアの実態

 

死後のケアは看護職員が行った場合でも約30分程度と短時間を強いられる。

しかも基準が明確でないことから清拭中心に済ませる者、メイクに偏る者等があり、内容は一定しておらず、特に体液・血液漏出保護等に係わる措置では手を抜く傾向が見られ、十全な遺体処置が行われているわけではない。


但し、ガイドラインの項目に「死後のケア」が追加されたからといって、死後のケア(死後の処置)が保健師、看護師、准看護師にのみ許された業ではないということへの変更はない。


実態として死後のケアは看護職員が病院等の施設で一般的に行われてきたが資格が定められた看護師、准看護師以外が行っている事実もある。


看護師等は過重労働で生きた患者の看護に時間を取られる。
また死後のケアの重要性を病院経営者が認識しておらず、死後のケアは看護師の本来業務ではない、という考えの持ち主がいる。
あるいは病院経営上の効率化を考える病院経営者もいる。


病院においては遺体搬送を葬祭事業者と契約しているケースもある。
遺体搬送業務に霊安室の管理を含むだけではなく、葬祭事業者が遺体処置業務もセットに含んで契約して葬祭従事者の派遣、あるいは病院内での遺体処置従事者を葬祭従事者との契約で行っているところもある。

また病院自体がパート契約等で遺体処置従事者を雇用している事例もある。

病院内で看護職員以外が作業を行う場合には病院職員の定めた、供給する作業着を着用して移動、作業するために患者、家族には病院が遺体処置を行っているものと映る。


また、近年では地域によって葬祭事業者の遺体取扱技術が向上しており、斎場(葬儀会館)という施設保有の葬祭事業者が増加していることから、病院内では簡単な処置で済ませ、後は葬祭事業者に委ねるところもある。


病院等以外での死亡の場合には訪問看護師が行う事例はある。
だが、すべてを看護師、准看護師が行っているわけではない。むしろ病院等での死亡以外においては葬祭ディレクター等の葬祭従事者あるいは葬祭事業者の下請としての湯灌業者、納棺業者、死化粧業者等、介護施設職員、または家族、隣人・知人等の非専門の一般人によって死亡後の遺体の処置は行われるのが一般的である。


死後のケアは医療行為外であるために健康保険の対象にはなっていない。
そのため、病院内で看護職員か否にかかわらず死後のケアを行っている場合には、「処置管理料」が無料から約4万円までの差がある。多いのは1万円内外である。

(この項続く)

2018年7月11日 (水)

死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

このところ「遺体管理」の問題について考察している。

流れとしては

 

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

 

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html

 

に続くものである。

今回書くものを含め、概要は以下に書いている。

 

死者・遺体の尊厳を守るー葬祭サービスとは何か?②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/03/post-963f.html



死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

 

死亡場所により、その直後の遺体処置に違いがある。

また、病院でも、見分けは困難だが、すべてが看護師によって行われているわけではない。
当然歴史的変化がここには反映されている。

 

①死亡の場所の統計的変化

 

死亡の場所は、人口動態調査によると戦後大きく変化した。


1951
(昭和26)年には、自宅が88.4%と圧倒的に多い。
病院は9.1%、診療所は2.6%、合わせても11.7%に過ぎない。

病院・診療所が2割を超えるのは経済成長が著しくなった1959(昭和34)年のことで、病院と診療所を合わせ20.6%。
この年に自宅は79.3%と減少。


戦後の経済成長と共に医療のインフラは整備され、それに比例して病院等の医療施設での死亡が増加する。
病院死が増加することで、地域共同体による遺体処置(湯灌等)は病院での看護師等による死後の処置に取って代わられることになる。


病院等の医療施設での死亡が半分を超すのは1977(昭和52)年のこと。
以降は病院死が増加して自宅死が減少するという傾向が顕著になる。
1999
(平成11)年には病院・診療所での死亡が合わせて80%を超え、自宅死は15%まで減少した。

老人施設での死亡が2%を超え2.1%となり注目されるようになったのが2004(平成16)年のことである。

2010(平成22)年には病院・診療所での死亡が合わせて80.3%、老人施設での死亡は3.5%と伸び、自宅死亡が12.6%。
最新の統計である2015(平成27)年には病院・診療所での死亡が76.6%、老人施設での死亡が6.3%、自宅死亡が12.7%となっている。

老人施設での死亡が増加した理由については、終末期を老人施設で暮らす高齢者が増加したことに加え、かつては老人施設で暮らす高齢者が危篤になると救急車を呼び入院させ、死亡すると病院死にカウントされていたのが、老人施設で看取ろうという機運が高まり、施設での看取りが増えたことによる。

 


②死後の処置の担い手

 

自宅死が多い時期、つまり高度経済成長期以前は、人の死は家族が担い、死亡後の葬送は地域共同体が中心になって担っていた。


自宅死が多かった時代


一般には家族が看取り、主治医が来訪し死亡判定し、家族が死水をとり、遺体を安置した枕元で僧侶が枕経をあげ、家族で夜を徹して看取った。

当日、多くは2日目、地域の一員が水に湯を加えて適温にしたお湯で死者の身体を洗い、死装束に着替えさせるという湯灌(ゆかん)という習俗があった。

これは場所、場所で異なるが、古くは僧侶が行った事例もあるが、家族または地域の一員によって行われた。
その実態もさまざまである。
担当となったものの恐怖心を和らげるため、事前に酒を供し、酔っぱらって行われたこともあれば、家族の手で丁寧に行われたこともある。
都市部ではこれを担う専門の人がいたこともある。
あまりにもさまざまで、こうだ、と定式化はできない。

2
日目、または3日目に僧侶の立ち会いの下に家族の手で納棺され、通夜し、3日目または4日目には自宅または寺で葬儀をして出棺し、火葬または墓地に埋葬(土葬)された。


火葬率の推移

 

火葬または埋葬(土葬)までを急いだのは、遺体の腐敗が進行し、死者の尊厳を侵すことへの恐怖からであった。


都市部では火葬が多かったが、郡部では土葬が多く、火葬率が日本の統計で6割を超えたのが戦後の1960(昭和35)年の63.1%。
以後全国で地方自治体単位での火葬場建設が進み火葬率が急伸した。

1975
(昭和50)年に86.5%、1985(昭和60)年に94.5%、1995(平成7)年に98.3%となり、2010(平成22)年には99.9%を記録。
2015
(平成27)年には統計上100%の99.99%となっており、世界一の火葬先進国である。
1970
年以降、かつては土葬が多かった欧米でも火葬が顕著に増加傾向にある。


地域共同体から葬祭事業者へ

 

日本の葬儀は、地方共同体が中心に営んでいた。
大都市では1877(明治10)年頃以降に、地方では戦後の1950(昭和25)年以降に葬具提供業者として葬祭業が始まる。

現在の葬祭事業者の創設時期の分布は、1955(昭和30)年以前が全体の約1割、全体の約4割が1955年以降1995(平成7)年以前、1995年以降現在までが全体の約5割となっている。

葬祭事業者は、出自がさまざまで、登録の要もなく、したがって標準化規制もないため、葬祭事業者の業態はさまざまである。

1996
(平成8)年以降、厚労相認定葬祭ディレクター技能審査が開始され、2016(平成28)年まで21回を重ね、215,489名、116,470名の合格者を出し、合格者総数が葬祭従事者の約3割に達したことで標準化はかなり進行している。
だが、この資格取得が葬祭従事あるいは営業条件とはされていない。


葬祭事業者が葬儀運営の中心になるのは地域によって異なるが197080年代といえる。
ここで運営主体が地域共同体から葬祭事業者に漸次移行が進んだ。

葬祭事業者の遺体の係わりも同一ではない


この時期が病院死亡の増加した時期に相応するため、遺体の処置は地域共同体の湯灌から病院等での死後の処置に移行し、葬祭事業者はそのはざまで遺体処置に係わることになった。

遺体を細かく観察して適切な処置に心を砕く葬祭事業者もいれば、ドライアイスの補充以外は遺体処置にほとんど関心を示さない葬祭事業者もいる。
現在でも葬祭事業者の遺体処置への取り組みに大きな温度差があるのはこうした背景による。
地域差だけではなく葬祭事業者間に取り組みに温度差がある。

※次回は病院での死後の処置の実態について書く。
病院関係者、葬祭担当者も自分の守備範囲の経験だけで、さまざまであること、その実態は意外と知られていない。
ましてや一般の人には知られていない。

ちゃんとした紹介文献もほとんどないので、詳しく書く。

2018年7月 6日 (金)

遺体は公衆衛生上安全か?

遺体は公衆衛生上安全か?

 

遺体のすべてが公衆衛生上リスクが高いわけではない。
だが、同様に言えることは「リスクが高い遺体もある」ということだ。
問題は、多くの場合、その判別がないままに遺体は病院から搬出されていることだ。

「病院が死亡退院を許すのは、公衆衛生上の危険がない、と判断しているからだ」
というのは事実に即さないきれいごと。
「病院が死亡後、死後のケア(死後の処置)をしているので、公衆衛生上は安全である」
というのはほとんど妄言に近い神話。
この神話を信じる医療関係者、葬祭関係者が案外多いのに驚く。
医療関係者、特に医師、は死亡判定後についてほとんど関心を示さない人が多いのは極めて残念なことだ。

神話の怖さはリスク対処をしないことにある。
適正なリスク対処をすればいたずらに怖がる必要はない。

 

したがって、遺体に敬意を払い、尊厳を確保すると同時に、取扱で注意すべきものは、感染症等からのリスクへの対処である。

 

①病理解剖500例の分析

 

森吉臣(獨協医科大学教授【当時、現名誉教授】。専門:病理学)は

遺体を扱う立場にある者(葬儀関係者、医療従事者など)は、多くの遺体が病原菌に汚染されており、不注意に扱うと感染を受ける可能性があること、また、公衆衛生上も周囲環境を汚染する危険性があることを認識する必要がある。しかし、だからといってむやみに恐れる必要はまったくなく、病原体や感染症に対する知識を修得し、予防法、消毒法を身につけて正しく対処すれば危険性はなくなる

と、説く。


森は、獨協医科大学越谷病院において行われた病理解剖500例を分析し、その結果を以下のように述べた。


500例の解剖例中、感染症が認められたのは、全体の65.2%の326例であった。感染症が認められなかったのは、残りの174例で、34.8%であった。特にここで注意すべきことは、感染性の高い肝炎ウイルス感染症や結核症が比較的上位を占めていることである。肝炎ウイルス感染症が35例、結核症が18例、また重症感染症である敗血症が19例で、合計72例である。これは500例の解剖症例中14.4%に相当する。


遺体内の細菌の増殖は経過時間によって飛躍的に増加する。
それは一般的な菌である大腸菌を尿10ml102乗個入れて実験すると24時間経過後に107乗個まで増殖した。
遺体は死亡後の経過時間に比例してリスクは高まる
(以上、森吉臣「遺体と公衆衛生」、『遺体衛生保全の基礎』所収に基づく)


病院等の医療施設での死後の処置は、死亡直後に行われることが多く、死亡後2時間以内がほとんどである。
いわゆる「死体現象」が発生している事例の割合は低い。
また、死後の処置は、死後硬直が顕著になる2時間前までに行うことが原則となっている。


死後の処置によって「死体現象」をなくする、止める効果はまったくない。

「死体現象」の進行を止めるにはエンバーミングを処置する以外の方法はない。
(しかし、病院で死亡直後にエンバーミングが処置されている例は今はない。)


「死体現象」の進行を考えると、「遺体管理」ということで最も重要になるのは、遺体が家族に渡され、葬祭事業者に管理を委ねられる以降が最も重要になる。

 

②開示されない感染症情報

 

感染症については、感染症法による一類、二類、三類および指定感染症は厳しく管理されていて告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡以外は、たとえ感染症を保持していても、死亡診断書、死体検案書に記載されない。

病院と懇意な場合は医師が把握している限りの感染症についての情報は葬祭事業者に注意する旨が伝えられることがあるが、多くの場合には個人情報保護を理由に開示されない


また、主な死因でない場合には、医師は遺体が保持している感染症のすべてについて把握していないケースも多い。

先の病理解剖結果は30日以上経過して判明することが多く、その結果は遺族にも葬祭事業者にも開示されないことが多い。
また、開示されてもすでに葬儀は終わり、火葬され、焼骨ななっている。

したがって死亡後に看護師等の医療関係者、介護関係者、葬祭事業者が遺体を取り扱う場合、危険な感染症を保持していることを前提にスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて患者のみならず遺体も取り扱う必要がある

 

スタンダードプリコーション

どの患者(遺体)も感染症の有無に関係なく感染症を保持しているという前提で、手洗いの励行、うがいの励行、環境の清掃を行う。
また、血液・体液・分泌物・嘔吐物・排泄物などを扱うときは、手袋を着用するとともに、これらが飛び散る可能性のある場合に備えて、マスクやエプロン・ガウンの着用。
また使用器具等は滅菌、消毒する。

 

院内感染の流行から、スタンダードプリコーションは、厚労相においては看護師教育内容基準等には採用され、また高齢者の介護施設でも危険認知と対策強化がなされている。
だが、より危険度が高まる葬祭事業者への指導は弱い

推測するに、医療施設、介護施設においては集団感染発生の危険度が高く、集団発生が生じると社会問題化することがあるのだろう。
遺体の場合、病院や施設外に出た場合、発生源のリスクは同等以上だが個別化されるため、施設、場所が厚労相の管轄を離れるため責任が問われないことによるのだろう。


葬祭事業者が組合等を通じて自衛策として研修をしているが不充分である。
葬祭ディレクター技能審査のテキストでは遺体取扱時のスタンダードプリコーションの内容を示し、必要性を説いているが、葬祭事業者における実態としては、このリスクに対応する熱心度で事業者格差が大きい。
(ちゃんと対策している葬祭事業者もいれば、まったく無関心な葬祭事業者もいる。葬祭事業者の選択は、見積金額が高いか安いか、だけではなく、こうした対処をきちんとしている事業者であるかも見分けることが重要になる。これが「葬祭サービスの質」の一つだ。「お金がすべて」かのように考える消費者も愚かであるし、「葬祭サービスの質」を説明しないで、「低価格のみ」を宣伝する葬祭事業者はおかしいのだ。)

2017年10月14日 (土)

民俗、習俗にとっての遺体ー遺体論④

「遺体論」は今回をもって最終回とする。



民俗、習俗において「遺体」とはどういう存在だったのか?―遺体論④

 

 

はじめに

古来、日本人は遺体をどうとらえていたのであろうか?
ここで葬儀習俗に残るものを手掛かりに述べるが、そういう形に定着するまで時代変遷があったはずである。

たとえば民衆が地域共同体を確立する以前はどうであったか?
都市での民衆の死体が路傍や川のほとりに棄てられていたという光景が伝えられるが、そこで民衆は人の死、そして遺体をどういう目で見ていたのだろうか?
単純に棄てられる例もあったろうが、その状況にあって、その時代の民衆は割り切ることのできない感情を抱えていたのではないか?

たとえば第二次大戦下、大陸で敗戦直後の状況で逃げまどう中で、死亡した老人や子たちの遺体を処理するために穴を掘り設けた場所に家族の遺体を置いてきた人々の心情はどうであったのか。
その時そうせざるを得なかった、遺体を火葬にして遺骨を持ち帰る時間的にも精神的にも余裕を奪われていた人たちが、その後どういう想いを抱えてきたのか。
今、私たちはその体験者の想いを記録、書かれたもので知ることができる。


戦友の死について、放置してきた人の記録もある。
あるいは家族はもとより関係者不在の中で死亡した人、名前を全く知られることなかった遺体が多くあった。

また、家族がどのように死んだのか、まったく情報がなかった人も少なくない。
名前も知られなかった遺体、飛び散った遺体が数多くあった、ということと、近親者の死についてまったく情報がなく、思いめぐらした人たちが数多くいた、ということは、同数ではなかったにせよ、裏表の面がある。

70年以上も前の昔の話」と言われるが、私が生まれた直前から遡ること20年間の短期間に起こった
ことである。

 歴史で言えば近現代史の話である。

私は東北人であるから、昭和の前期にあった東北大飢饉のことも想起せざるを得ない。
残って飢えた人たちだけではなく、そこにいられず逃げ出し、ある者たちは売られて関東各地に出てきた。
そこで名もなく死んでいった者たちがいた。

想像を絶する話であるが、1930年以降に生じたことは、まだその一端を記録で読むことができる。
ただ死者たちの肉声はないが。

古代の「棄葬」についても記録の多少はあるが、それについて民衆がどう考えていたか、おそらく立場によってもさまざまであろう、個々の想いを知ることは困難である。

私たちは「知らないことが多い」という地点から出発せざるを得ない。
そして今の私たちが死者たちに抱く想いが単純であり得ないように、私たちとは異なる点が多いだろうが、過去においてもけっして単純であったはずはないだろう。

ネアンダール人の3万年前以上前の墓であった北イラクのシャニダール遺跡から死者を弔い葬った跡と思える花粉が発見された。
これは死者を弔い葬る人類最古の証として注目され、私も大興奮した。
今も信じたい気持ちは強い。
(もっともその後の研究では、花粉は動物が持ち込んだ可能性も否定できないようで「明らかな証拠」とは言えないようだが)

だが、これだけは言える。
シャニダール遺跡が最古かどうかは別にして、少なくとも1万年以上前から人類は死者を葬る時に何らかの弔いの儀礼を伴ってきたことがある、ということ。
おそらく弔われないで葬られ、放置され、棄てられたことも多かったと思うが。

日本人の死についての習俗は、5千年前、数万年の話ではない。
もっと後代の話である。
それでも今から見れば充分に古い話であり、しかし、時代を経過し、その過程では変容もしたであろう、伝えられてきた話である。
そのことを前提として、その一端を見ていこう。

葬儀習俗と遺体

 

1)魂よびと湯灌

 

人が死亡したと思われると「魂よび(魂よばい)」と言われる動作が民俗では見られる。
死者の枕元であったり、屋根に上がってであったり、井戸に向かって、といろいろであるが、その人の名を呼ぶ。


死とは、魂(霊)が肉体から遊離することであると信じられていたため、魂に呼びかけ、再び肉体に戻り、再生することを願って行われた。

その後再生儀礼が、死の事実確認儀礼へと意味を変えていく。


これは最近の話であるが、例えば80年代までは病院の死の臨床現場ではよく行われたことであるが、危篤に陥ると医師は家族を病室から追い出し、患者の上に乗り心臓マッサージを試みる。
それは時にはあばら骨が折れるほどでもあった。
しばらくその行為を行った後、家族を病室に招き入れ、汗をかいたまま「手を尽くしましたが、残念ですがご臨終です」と宣告する風景はよく見られたものである。
この臨終時の心臓マッサージは再生を装った死の事実確認儀礼となっていたのである。


この魂よびの習俗から理解されることは、遺体とは魂が遊離して残された身体、つまり亡骸である。


では遺体は魂の抜けたものという理解が徹底していたかというと必ずしもそうではない。


現代の「湯灌」は古い習俗というより、在宅高齢者の入浴サービスから転じたものである。
これと異なり、かつては、
納棺するに先立って、身近な人の手で湯灌をすることが行われた。
これは死者の霊魂の浄化を願って行われたとされる。
したがって必ずしも霊魂が完全に遊離した状態に遺体があると理解されてもいなかったようである。
(実用的には、座棺が主だった時代にあって、死後硬直した死体を納棺する際、死後硬直を解くのに湯灌は役立ったといわれる。)

 

2)位牌と遺体

 

神葬祭(神道による葬儀)では、遷霊祭(せんれいさい。みたまうつし)を大事にする。
通夜に行われる儀式であるが、死者の御霊(みたま)を遺体から霊代(たましろ)である霊璽(れいじ)に移す儀式である。


霊代は、中国では儒教で用いられ、その影響を受けて仏教の位牌は誕生した。真宗では用いない。
位牌に死者の霊が宿っていると信じられ、葬儀では位牌が祭壇の中央に飾られたり、葬列や出棺の際には喪主が位牌をもったりして、極めて大事にされる。


死は、肉体から霊魂が遊離した状態であると信じられ、その霊魂を祭るのが葬儀であるから、位牌が中心になる。
ちなみに遺影が使用されて以降は遺影がむしろ中心的に扱われる傾向にある。
死者の面影という認識で霊魂観が弱くなっていることを反映している。


アメリカ等では、葬儀は遺体との別れが中心になっているのに対し、日本では、少なくとも論理的には位牌、つまり霊魂が中心になっているのが特徴的である。

 

3)儀式における遺体の位置

 

日本においても、葬儀では位牌がどちらかといえば中心になってはいるが、通夜などにおいては遺体が中心を占めている。

これは通夜(今は通夜は葬儀の逮夜、前日という理解が主流だが、かつては死亡直後の夜から葬儀前夜までが通夜であった)が生と死の境界線上にあるからである。
通夜の間は、必ずしも霊魂が肉体から完全に遊離していないという認識からであろう。
通夜では、身近な者が遺体を中心にして死者との最後の宴会を行った。


戦後の高度経済成長期以降の葬儀式・告別式となると、遺影写真の一般化もあって事情は変化する。

今、葬儀で遺体の納められた柩は祭壇の前面に置かれる。
かつては、といっても葬列の時代から祭壇の時代に移って以降であるが、異なる。

遺体が腐敗を開始するという事情もあったろうが、それによる腐臭を近くに感じないようにと、70年代までは遺体は祭壇の後ろに置かれることが多かった。
経緯としては、葬列が告別式に変わり、告別式の装飾壇である祭壇の上部に輿を模した宮型が置かれたので、宮型の後部に柩が置かれた。宮型は「棺前(かんまえ)」と呼ばれたこともあった。
しかし、実際には臭いからできるだけ遠ざけるという意味合いもあったのではないか。
江戸時代の図絵を見ると、寺院に運ばれた遺体()は寺院の内陣には置かれず、外陣に置かれた。


だが、葬列は明らかに遺体()が中心である。

遺体に対しては愛着と忌避の複雑な感情があったことがわかる。


ちなみに80年代(早いところでは70年代)以降は遺体(柩)は、祭壇の前に置かれることが多くなったが、これはドライアイスの使用が一般化したことと、自宅葬で運び出しに便利という理由だからである。

寺葬で柩が内陣に置かれなかったのは、葬列が到着するのを受けて本尊を背に引導を渡したと説明されることがある。
だが、それは理屈で、ケガレ意識から寺も逃れられなかったことを示すように思われる。

2000
年以降、寺葬に積極的な僧侶は、寺の荘厳(しょうごん)を用いて祭壇の仮設なしに内陣で葬儀を執り行うケースもある。

 

 

死穢意識-民俗としての「遺体」

 

1)死と穢れ

 

日本の葬式において遺体が愛着されながらも、むしろ見た目においては忌避されることが多いように映るのは、「死は穢れである」という意識の所産であると言えよう。


死が恐怖の対象として理解されるのは日本特有のことではない。
高齢者の死が4分の3以上の時代になり、死は生の完成、終結という考え方も現れるようになった。
しかし、これは戦後の80年代以降のことである。
高度医療が進み、社会的に安定する以前は「死は生を奪うもの」という考え方が強かった。


かつては高齢化と死は今のように直結しておらず、高齢での死はむしろ珍しいもの、幸せなものと認識されていた。
高齢になったから死ぬのではなく、突然の災害、病気によって絶たれる生が多かった。

戦前は日本に限らず、死亡者数全体において高齢者の死者が占める割合は3割未満であったろうと思われる(昭和初期は80歳以上での死は全体の3~5%)。
乳幼児の死亡率が高いということがあったにしても、若くての死が珍しいことではなかったといえる。

(注1:
死の高齢化 昭和初期の80歳以上の死亡者の全死亡者に対する割合は3~5%である、と記した。近年だけ見ても、これは顕著に割合が増加している。1990年:38.7%、1995年:42.0%、2000年:43.8%、2005年:48.6%、2010年:55.4%、2015年:61.3%。最新の2016年は62.4%で、男性は51.7%、女性は73.8%となっている。人口動態統計を加工。)
(注2:
寿命中位数 生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数を寿命中位数という。1955年:男性69.79年、女性74.19年、1965年:男性72.00年、女性77.04年、1975年:男性75.31年、女性80.17年、1985年:男性78.06年、女性83.38年、1995年:男性79.49年、女性85.73年、2005年:男性81.56年、女性88.34年、201583.76年、女性89.79年。完全生命表(5年ごと発表)による。毎年発表される簡易生命表によると2016年:男性83.98年、女性89.97年となっている。平均寿命より約3年長くなっている。
平均余命(平均寿命)の推移を見ると、1891(明治24)-1898(明治31)年:男性42.8年、女性44.3年、1947(昭和22)年:男性50.06年、女性53.96年、1955(昭和30)年:男性63.60年、女性67.75年、1975(昭和50)年:男性71.73年、女性76.89年、1995(平成7)年:男性76.38年、女性82.85年、2015年男性80.75年、女性86.99年となっており、戦前までは人生4050年であり、高齢化とは戦後の現象であることがわかる。1955年以降に人生6070年、1975年以降に人生7080年、2015年以降は人生8090年時代に突入している。)


日本においては、死の恐怖を「死霊が取り憑く」と表現した。
それゆえ死霊に取り憑かれないために浄めが考えられた。

だが、こうした強烈な表現の背景には、死そのものの恐怖と同時に死体が腐敗して変貌する恐怖もあった。
遺体に対する忌避の感情は、腐敗に根ざすところも強く影響した。

 

2)死は伝染する

 

遺体に触ると「穢れに染まって死霊が取り憑く」と理解され、また死者の出た家のかまどとは別火で食事をしたというのは、死はうつる、伝染するものと理解されたことからきている。


おそらく当時は明確には自覚されていなかっただろうが、感染症(かつて「伝染病」、古くは「疫病(えきびょう)」と言われた)に対する恐怖心があったのだろう。
感染症の蔓延を根拠として死一般が伝染するものという観念を生み出したものと思える。
死穢に染まることを今から見れば異常なほど嫌ったし、また遺体処理に携わる者(火葬従事者、墓堀、柩の担ぎ手)を差別した。

「忌中(きちゅう)」とは死後49日間と言われるが、死穢(しえ)が浄化されない間は死者の家の者は社会から隔離し、これを「忌み」といった。

 

3)遺体は変貌する

 

死そのものに対する恐怖心は、死体の腐敗による変貌の様(さま)により、より強化されたようである。
死によって体温は低下し、死斑(しはん)が出て、全身に広がり、死体は硬直していく。
腐敗が始まると異臭を放ち、肉体は解体を始めていく。


第三者にとってこうした遺体の変貌する様は忌避すべき対象となる。
と同時に家族にとってもこの変貌は精神的に辛いものであった。
それは愛する母であり、父であり、夫であり、子供であるものが、次第に生前の様子を失い、尊厳を失い、まさに死霊に取り憑かれたとしか表現のしようがないものに変わっていくのである。


こうした死体の変貌に対する恐れが、死者に対する愛着がありながらも葬式を早く、慌ただしく出すことを促した。


火葬により、白骨化した様(さま)が成仏の徴と理解されたのは、白骨化によりもはや恐怖の変貌を見なくてすむということで、浄化されたと理解されたためであろう。

 

4)死穢への対抗手段

 

死穢(しえ)に対抗するためにさまざまな手段が講じられた。
死穢に染まったと思われる者を隔離することもその1つである。

「浄め」と言われているのは、死穢からの浄化を意味していた。

 

①塩、水による浄め

 

今、会葬御礼のはがきに浄め塩が同封されることが多いが、これは70年代に葬祭業者が考案したものである。
そもそもは火葬場からの帰りに家に入る前に、家族に身体の要所に塩をふりかけてもらってから家の内に入ったものである。

古くから海水、塩、水は穢れへの対抗手段として考えられた。
死穢に染まったとされる者は海水を浴びたり、水を浴びたりした。

これは現代的に解釈するならば、洗浄し、消毒しているのであり、塩や水がこれに効果があると信じられた。
正しい知識とは言えないが、昔の人の公衆衛生意識の反映である。。

 

②酒食による浄め

 

例えば、土葬時の墓を掘る役目の人には大いに酒食を振舞ったとされる。
酒は恐怖心を薄れさせ、食事をたくさん食べることにより健康で死霊を撥ねつけると信じられたからなのだろう。
酒や食事が死穢への対抗手段として有効なものと考えられていたようである。

 

今日の葬儀の習俗にも死穢観念の残滓(ざんし)があり、浄めも残存している。
しかし、時代状況が変わったために、切実さは姿を消して、形式として残っているだけである。

形式として、言葉として残っているところに死穢観念の根強さを見て取ることもできるかもしれない。

現代において、習俗の模倣による継続を再検討すべきことも確かであろう。
死穢観念は、かつての若くての死、疫病等への恐怖という死に対するリアルな認識に根ざしたものであった。
それ故に、今では根拠のない死穢観念を追放することは正当であるが、死に対するリアルな認識を放棄してはならないと思う。

 

遺体を巡る遺族の心理

 

1)アンビバレントな感情

 

遺体に対する遺族の感情は複雑である。


死んで遺体となっても、霊魂は分離したと言われても、なお愛する肉親であるという感情から抜け出すことができない。
一方で生前とは容貌が変化した遺体があり、恐怖感もある。


こうした矛盾した2つの感情にとらわれるのが遺体である。
愛惜と恐怖のアンビバレント(両義的)な感情にとらわれるのが遺体という存在である。


第三者が遺体を見る感情と愛する者が見る感情とでは大きく異なる。


冬に掛け布団1枚だけであれば「寒くないか」と思い、ドライアイスで凍らされると「かわいそうに」と思う。
死者に向かって生前と同じように語りかける。
遺体とは愛する者にとっては完全な死者ではなく、いまだ生き続けている家族でもある。


1988
年に日本に導入されたエンバーミングは、こうした遺体へのアンビバレントな感情から解放し、心ゆくまで死者と触れ合いながら時間を共有して別れる機会を提供する。
そのことによってより人間的な関係感情と共に死の事実を受け入れることがより可能となる。

もちろんこれは死生観に関する問題もある。
朽ちる遺体を見て死の事実を認識することもあるだろう。
だからどういう形で死者と別れたいか、というのはそれぞれが自由意思で選択されるべきものである。

 

2)火葬を巡る心理

 

火葬を境にして遺族の心情は大きく変化すると言われる。
火葬までが長引くことによって不安になり、また火葬がいざ行われようとすると動揺する。
火葬が終わるとこの不安と動揺が諦めを伴い鎮静化される。


拾骨(骨上げ。ちなみに火葬場で「収骨」と表記されることがほとんどだが、意味的には「拾う」のであって(骨壺に)「収める」ではない。何とかならないだろうか?役所が右倣えでやっているものを変えるのは絶望的だが)の際に近親者の緊張感が緩むことはしばしば見られる。

火葬の日取りが決まらないと遺体の変貌に対する恐怖心、不安な気持ちが強くなる。
火葬が行われようとすると、愛する家族が喪われるという恐怖感、淋しさによって支配される。

いざ火葬が終われば、恐怖心はなくなるが、もう会うことができないという諦めに心が支配される。
身体へのこだわりがなくなるので、死者への思いは精神化される。 


この状態を指して「遺族の気持ちが落ち着いた」と言うことがあるが、具体的に執着する対象である遺体がなくなって、緊迫感から解放される。
そして悲しみが深く心の底に沈殿している状態に近くなるようである。


したがって悲しみがなくなるわけではない。
事実、火葬後5日くらいすると死別が傷みとなって近親者の心を襲う事例は少なくない。

 

3)解体と尊厳

 

遺族あるいは死者と身近な人にとって、その人の死を容認することは避けたいという心情がある。
もちろん近親者だからといっていつまでも拘泥(こうでい)するとは限らない。
死者との心の交流がいかほどであったかなどによってここには温度差のようなものがある。

同じ遺族であっても、一方はいつまでもその死を認めたがらず、悲しみにくれていて、他方ではあっさりとその死を認めている人もいる。
あるいは友人などが遺族以上のこだわりを見せる場合もある(悲嘆の代行)。

また、遺族の感情はそのまま表面化するわけではない。
悲嘆を押し殺して感情の安定ぶりを装うこともある。


通夜や出棺に際して、親しい弔問者に故人と対面させることがある。
「眠っているようようで、おだやかでしょう」と対面を勧めることもあるが、長期の入院などによる死後の変化により容貌が著しく変貌している場合には、遺族はこれを拒否したり、避けたがる傾向がある。


対面を拒否したり、避けるときには、遺族には故人の尊厳を守ろうとする意識が働いている。
故人の容貌の変化、悪化は、愛する者の解体であり、それは遺族および身近な人にとっては、自らの精神的危機にもなる。
遺体への執着と遺体の解体の危機は、精神的に極めて不安な状況作り出している。



以上、「遺体論」を終える。
別に論じているものがあるのだが、公表してからまた掲載したいと思う。
長い間、退屈な議論に付き合ってくれた方々に感謝する。
おそらく拙い議論ゆえであろうが、「遺体論」には近づきにくい雰囲気があるのだろう。
今まで書いたものでは格段に読まれなかったものの一つとなった。
ま、書くべきものを書く、というスタンスはこれからも同じである。

 

2017年10月 9日 (月)

弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③

弔われない遺体

 

①行旅死亡人(身元不明の死者)

 

1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。

この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。

7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をなすべし」とある。

 

行旅死亡人は、死亡地の市区町村により官報に記載される。
遺体は腐敗するので身元が判明するまで保全できないので、公費によって(約20万円)火葬され、骨壺として遺留物と共に各役所の責任で一定期間保管される。

 

官報記載例をあげておこう。

 

「名前本籍・住所・氏名不詳年齢6070歳位性別男性身長167cm身体的特徴体格中肉着衣灰色トレーナー長袖ハイネックシャツ黒色ズボン黒長靴所持品現金3,110円在中の小銭入れ上記の者は、平成2×年6月●日午後零時●分頃、●●市の●●川河口から北へ500メートルの●●湾で発見され、死亡年月日・死因は不詳。身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市生活福祉課まで申し出てください。」

 

「名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 5060歳位 性別 男性 身長 175センチメートル 身体的特徴 やせ型、短髪白髪混じり 着衣 none 所持品 カバン(黒色) ポーチ(黒色) 財布(2つ折り、黒色) 現金60円 腕時計 電気髭剃り 果物ナイフ 眼鏡 はさみ

上記の者は、平成2×年●月●日午前9時●分、●●市●●公園●番●号●立●●公園内●●東方付近樹木で縊死しているところを発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。お心当たりの方は当市生活福祉課までお申し出ください。」

 

これで身元が判明するというのも無理があるだろうが、行方不明となった家族を必死に捜そうとすれば類似ケースがあるかもしれない。

 

なお、行旅死亡人についての全国統計はない。

東京都で年間約100人程度、全国でも約1000人程度であるというのが2010年のNHKの調査でわかった。

 

②引き取り手のない遺体

 

その他身元は判明しても引き取り手のいない遺体がNHKの調査(20101月)によると約3万1千人。

身元判明し縁者を見つけても甥や姪というケースが少くなく、「縁者」というだけで、実際は「他人」に等しく、遺体の引き取りを拒否するケースが多いという。

 

NHK調査によると、縁者が親子、きょうだい関係にある場合は引き取られる率が高く、引き取られる率が低かったのが叔父、叔母―甥、姪の関係にあった場合、という。
但し近年は親子関係も危うくなっている。
中高年の一人暮らし世帯には離婚した者も少なくない。
離婚して妻方に引き取られて年月の長い子が一人暮らしの父の死にあたって遺体の引き取りを拒否する例も少なくない。


人口動態総覧(2016年)によると
離婚は216,798組で結婚の620,531組に対して34.9%になることから推定されるように、一度結婚しても離婚経験する者は3割以上はいると思われる。
2016
年については、全離婚組数のうち、結婚5年未満が31.4%、510年が20.5%、以下年数が増えるにしたがって割合は低下し、1015年が13.6%、1520年が10.6%、2025年が7.8%となっている。結婚25年以上でも9.6%いることから結婚年数に関係なく離婚の危機はある。
離婚は子がいない場合が41.9%と多いが、別に言えば半数以上に子がいる。
離婚者の年代を多い順に並べると(全離婚者の内訳)、男性では3033.1%と最も多く、4028.8%、2015.8%、5013.6%、606.3%、701.9%、80歳以上0.4%、100.4%、女性は順に3035.3%、4027.3%、2021.9%、509.7%、603.7%、701.1%、100.7%、80以上0.2%
80以上が少ないのは配偶者の生存率の低下、10代が少ないのは結婚数が少ないことからきている。
20
代、30代と子どもが小さいうちに離婚し、以後単身という人も多い。
離婚は妻方から言い出すケースが圧倒的に多いと言われる。


三世代同居世帯が急速に減少し、単身世帯が各年代で増加した結果、血縁にかぎらず人間関係をもちにくい人が増えている。
全国の死亡者総数は1,307,748人(2016年人口動態統計確定)であった。
おそらく引き取り手のない遺体数は、この4.5%、年間約6万体はいるのではないか。


死亡者総数の1割以上は引き取り手のいない人や、引き取り手がいても、弔いの想い不在のまま、事務的に火葬の手続きでお終いというケースだろう、と私は推定している。

これについて「人は生きたように死ぬ。本人の自己責任」と言う者が絶たない。
しかし、その人の生のプロセスがどうであれ、すべての死者、遺体の尊厳は保持されるべきである。

今後、こうした弔われることのない遺体が増加すると予測している。

引き取り手のない遺体のその後


引き取り手のない遺体は(市区町村によって対応は異なるが)、親族調査、親族交渉が面倒、かつ遺体保全の問題があり、市区町村の福祉事務所等ではとりあえず公費(約20万円)で火葬までし、骨壺にして5年程度保管し、引き取り手がいない時は市町村墓地または好意で協力してくれる墓地の合葬墓に埋蔵される。
また費用は本人の遺産を精査し、残金がある時はそこから弁済し、残りは国庫に収められる。

相続人がいる時は、遺体を引き取らず、相続だけするというケースはなくはないだろうが、そう多くはないだろう。
相続するなら公費はそこから弁済される。

横須賀市エンディング・プラン・サポート事業
2016
年開始。ひとり暮らしで身寄りがなく生活にゆとりがない高齢の市民の葬儀・納骨・死亡届出人・リビングウィルという終活課題を生前契約という形でサポート。これは本人の生前意思を生かすという意味で有用だが、一人暮らしの人の死で発生するトラブルを事前に解決しておこうという自治体にとっては自衛策という面もあろう。公費使用を抑制できるし、作業は生前契約先の葬祭事業者が行い、福祉事務所の関与は少なくなる。今後各自治体に拡がるだろう。但し、横須賀市が献体斡旋にまで乗り出すのは行き過ぎと思うが。

 

「遺体」について考察するとき、こうした「弔われることのない遺体」の存在について理解しておく必要があると思う。

 

 

「遺族」とは誰のことか?―縮小する「家族」観

 

死者と親しい者、愛着をもっている者にとっての遺体とはどういう存在なのだろうか。

血縁関係の遺族は、家族が解体していく中で、死者にこだわらない、つまり死を特別な出来事と見ないケースも増えている。

「家族」を私は二親等以内の血族、配偶者と見做している。
生まれた時の家族、つまり両親(一親等)、きょうだい(兄弟姉妹)は二親等、それに祖父母(両親のそれぞれの親)。
結婚後の家族、配偶者、子ども(一親等)、孫(二親等)。
この2つを合わせて死者本人の家族という。

だが、これが変化しているようだ。
二親等から一親等への縮小が見られるのだ。

葬儀は本来、死者本人の関係性で見ていかなければならない。
喪主が子となる時(配偶者はいても高齢)、子は案外と親の歴史、交友関係を知らない。
別居であるとなおさらである。
すると喪主の立場では、本人のきょうだいは三親等の「おじ」、「おば」になって家族ではない親戚になってしまう。
私は個人的には「いとこ」すら「家族」同様に思う人間だが、これは稀らしい。
どうも本人のきょうだいは、結婚後は家族でなくなることが多いらしい。

葬式などではこのところの違和が現れるのだ。
本人のきょうだいは自分の家族のことだから親身に心配する。
しかし喪主らにとっては「無関係な親戚が口を出す」となる。

これは子どもだけではない。
本人の配偶者も、場合によっては本人すら、「本人のきょうだい」を「家族」の範疇とはしない例が結構見られる。
「遺族」という言葉がもつイメージが変化してきているのだ。

そこで血縁以外の関係も含めた概念として「近親者」という言葉を用いてみる。
実際にその死者と近い関係にあった人、という意味である。
事実、血縁以上に、あるいは血縁同様に、本人と親しい者がいる。
そして、今流行の「家族葬」で排除されがちなのが、こうした「近親者」なのだ。

死は一人称だけのものではない


WHOの提言として終末期医療において、「本人」に続いて「家族」への配慮が出てきて以降、変化が見られる。

2013年に施行された死因・身元調査法(警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律)では、
第二条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、礼意を失わないように注意しなければならない。

とこれまでの死体取扱規則の文面を踏襲し、かつ、

第三条 警察官は、死体の取扱いに当たっては、遺族等の心身の状況、その置かれている環境等について適切な配慮をしなければならない。
と定めた。


人の死は本人だけの問題ではない。
それは近親者にとってのものでもあるのだ。


その近親者にとっては、死亡直後の段階では、既に息をしなくなった、死んでしまった、魂の抜けてしまったものであったと言われたにしても、その死後の身体には愛着がある。
特別な感情の対象である。
これは人間としてきわめて自然な感情である。
割り切る者もいるが、割り切れない想いを抱く者は少なくない。
むしろ依然として多数派であろう。

「故人」という言葉で割り切れない、まだ人格をもった、半分生きた存在と見ていることが多い。

遺体は、近親者にとって「故人」という他者にはなり切れていない存在である。
それ故にそれを送別するには充分な可能な限り納得できるだけの身体をもった死者との心の対話が必要とされる。
といっても納得できるとは限らないのだが、それでも死者との別れを行うことが重要であることに変わりがない。

そうであっても多くの人にとって「死」は「自分の死」つまり第一人称の死を本義と理解する人が多いらしい。
どうも近年の「終活ブーム」は「死」の理解への誤解をも促進しているらしい。

確かに自分の遺体は自分ではどうしようもない。
誰かに頼まなくてはいけない。
だが自分だけでできないのはそれだけではない。
人間は好き嫌いに関係なく、人との関係において生きている。
そして死んだ時、本人の想いを超えて、周囲の人に及ぼすのだ。
それは長寿の死の場合、時には安堵感かもしれないが、けっしてどうでもいい感情ではない。
私は身近に90歳を超えた近親者を3人送ったが、それはどうでもよいこと、厄介なことではけっしてなかった。
遺された私にとっても、実に大切な時間だったし、大切ななすべきことであった。


「死」を「自分の死」に偏して見ることは「葬式」への意識調査に明確に表れる。

朝日新聞の
(be between 読者とつくる)自分の葬式は必要ですか?
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13111191.html

「自分の葬式はいらない。そう考える人は56%にのぼった。その理由は、お金、しがらみなど様々だ。」
という。

 

死とは無論、本人にとっても一大事である。
しかし遺される者、二人称の人間にとっても一大事なのだ。
何も「普通の葬式」をすることにこだわることはない。
すでに高度経済成長期~バブル期までの1955199年までに風靡した葬儀観は常識でもなんでもなくなった。
あの日本人の歴史としてはほんの短い時期に流行した「見せる葬儀」の時代は終わったのだ。
「普通の葬式」といっても今やさまざまである。
しかし、人の死を弔い、送るという本義は今こそ回復、獲得しなければないのではないか。


近年の傾向として、
死、葬式について、いわれなき偏見、穢れ意識は減少したが、死、遺体に対する無感覚も増加している
ように思うのだ。

「死」は人の死である。
きわめて人間的な出来事なのだ。
これに対する感性を失ったら、人間はほんとうに大切なものを失うことになる。

古来、日本では、通夜までは死者を生者と見なして取り扱った。
これは死について近親者の認識には時間的差異があることを長い時代の知恵として学んだからである。

私は死亡判定から通夜までを「生と死の境界線にある」と表現している。

 

近親者は、その死者をある種の断念をして葬るのである。
この時、古来多くの地域、民族において、その葬りはその人たちが信ずる宗教の手を借りて葬ってきた。

土葬にしても、例えばキリスト教徒(カトリック)は、終末の日の身体の蘇りを信じ、例えば仏教徒は火葬による白骨化をもって成仏の<徴(しるし)とし、風葬では死者の魂が山の頂にある浄土に昇ると信じられ、というように。
死後の行き先に対するさまざまな信仰に裏打ちされて葬法が選択されてきた。

それ故、葬式を行って遺体処理をする、あるいは、葬式全体の中に遺体処置を位置づけたのである。


遺体処理を行うための道すがら人々が葬列をして見送る、というのは世界各地で見られる風習である。
そこには遺体処理が汚物処理の如きものとは明確に区別されて、死者に対する愛惜と敬意の思いを見てとることができる。

 

2017年10月 1日 (日)

葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②

 

①葬制

 

人が亡くなると葬儀が行われる。

ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。

この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。

この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。

さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。


「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。

 

②死の判定

 

近代以前、つまり近代医学が発達する前は、しばしば「宗教者が死の判定を行った」と記録されている。

これは日本のみならず欧米においてでもある。

「死」という事実は、戦場、災害とか,いかんしがたい場合を除いて、「誰かによって」認定される必要があった。

そこで認定されることによって、死は公認され、葬の過程に進むことが可能となった。

 

近代以降には、つまり近代医学が確立することにより、「死は医師により判定されるもの」となった。

 

その後、人工呼吸器ができる前までは、心臓死によって死は判定されたが、人工呼吸器ができることによって脳死状態になっても心臓が動き続けるという、「脳死」と「心臓死」の乖離が生じ、脳死者からの臓器移植が可能となった。

 

各国とも心臓死について特に定めることがないが、脳死については法律でその判定法を定めているところが多い。

 

近親者はその死を看取る。

 

③遺体処理

 

遺体を土葬(埋葬)、火葬、風葬、天葬(鳥葬)等して葬ること。

「葬法」と言う。


日本では、2015年の火葬率は99.986%(死胎を除く。土葬は総死亡約130万のうちわずか185に過ぎない)となっている。
火葬率は、1960年代のバチカン公会議でローマ・カトリックが火葬容認に転じて以降、欧米でも火葬率が急上昇している。

また、中国、韓国では国策として火葬を促進している。

そうしたなかにあっても日本の火葬率は統計上100%で、世界一である。

 

④文化・宗教的処理

 

葬式等を行い、死者と別れの時をもち、死者を送別すること。

 

⑤社会的処理

 

死を社会的に告知し、除籍等の事務処理を行うこと。

 

⑥心理的処理

 

近親者の死はしばしば近親者に死別の悲嘆(グリーフgrief)をもたらす。

それはそれぞれ固有のものである。

 

近親者自らなすグリーフワーク(喪の作業)を大切にしたり、この近親者に対して心のケアを行ったり、死者を追悼するための行事(法事等)を営むこと。

 

ここで注意することは近親者自身のなす喪の仕事grief workが大切なのであり、支援careは、その環境をよりよく用意する、近親者のなす喪の仕事grief workを邪魔しないことである。

 

このことは、人間が身体的存在だけではなしに、精神的な存在でもあり、社会的な存在でもあることを示している。

また、人間が関係する人間関係において、その相手に悲嘆(グリーフ)をもたらす、関係存在でもあることを示している。

 

ある人は「人間が死ぬと単に肉体の死という物理的な死だけでは終わらない。文化的な死、社会的な死としてもあるのである。」と述べている。

つまりはそれが「人間が死ぬと葬儀をする」という意味である。

肉体が死ぬという物理的な死があるだけならば、遺体処理は残るにしても、葬儀は必要ない。

 

葬制の中の遺体処理にしても、単に物理的に死体を処理するのではない。

葬制全体の位置づけの中に、葬制という脈絡の中に置かれていると言うことができる。

 


「死」の概念

 

ここで簡単に「死」の概念をまとめておく。

 

①いのちがなくなること

 

古代日本人は「身体から霊魂が遊離してしまうこと」と理解した。

 

現代の死は医師が判定。
医学的死とは全細胞死ではなく、「有機的全体としての個体として生命活動がやんだと判断されること」を言う。

 

従来の心臓死のほか、脳死がある。

改正・臓器移植法が2010年7月17日施行され、「本人が生前拒否意思を表明していないケースでは、縁者がいないケースまたは遺族がいても遺族がこれを書面により承諾するときに脳死判定、臓器移植を行うことができる」とされた。

15歳以上という年齢制限もなくなった。

 

尊厳死・延命治療の中止については、本人の意思、家族の意思の確認が求められる。

 

病気や事故等でいのちにかかわる状態で本人が意思表示できない時に備え、a.治療方法、b.栄養補給方法、c.心停止の際の心肺蘇生の希望の有無等を「事前指定書(LMD レット・ミー・ディサイドlet me decide 医療の自己決定)」に記入し、かかりつけ医師と代理人が署名する。

カナダで80年代に創唱され、日本での運動は1994年から始まっている。

 

遺体処理の種類


「遺体処理」とは、土葬、火葬、風葬、水葬などのことである。

遺体処理が必要なのは、死後の身体は腐敗するからである。

 

腐敗する遺体をそのままにしておくことはできないので、何らかの遺体処理が必要になる。

 

遺体処理の方法を「葬法」と言う。

古代エジプトにおいては王等の権力者の際にはミイラ化が行われた。

 

南北戦争以降、エンバーミングが行われることで、腐敗の進行をほぼ停止させることが可能となったが、レーニン、毛沢東、金日成といった特定の政治的権威者以外は、永久保存されていない。


一般には、エンバーミングしたとはいえ、しかるべき葬儀が行われた後には埋葬または火葬されている。


日本ではあまりの長期にわたる遺体の保全は、技術的に可能であっても、国民の宗教感情がそれを認めるところにはきていない。

 

したがって死体遺棄罪(刑法190条)の嫌疑を避けるためにもIFSAでは、四十九日という葬送習俗を参考に、50日規定を設けている。


ここで、主な葬法を解説しておこう。


①土葬


法律的には「埋葬」と言われる土葬は、古来より世界各国で行われている遺体処理の最も一般的な方法である。

 

土を掘り、そこに遺体を埋める。遺体を布で包んだり、棺に入れることが多い。


②火葬


遺体を火で焼く処理を言う。

 

古来から行われているが、人工的に遺体を解体する方法なので、必ずしも一般化はされなかった。

イスラム教を信じる人たちは今なお火葬を忌避している。


日本では,火葬は仏教の伝来と軌を一にして普及し(考古学的には5世紀に既に火葬の痕跡が発見されている)、近世に浄土真宗系門徒の多い北陸地方等で普及した。

また江戸や大阪といった大都市においても普及した。

 

しかし、本格的な普及は、明治末期、政府が当時のコレラの大流行を受け、公衆衛生上の理由により促進してからである。


1960
年に日本では火葬率が6割を超え、現在(2015年)では統計上100%という世界一の火葬先進国である。


60
年代のバチカン公会議でカトリックが火葬を容認したことも影響し、世界的にも普及の兆しがあり、その意味では火葬は近代的な葬法と言うことができる。

 


東日本大震災の仮埋葬

 

2011年の311東日本大震災において、遺体の公衆衛生上の処置として2年間を期限として宮城県で約2千体の仮埋葬が行われた。

(2年というのは骨化して安定すると考えられた期間である。)

しかし、東京都が火葬を受け入れる等の火葬可能環境が生まれると、遺族等が仮埋葬された柩の掘り起こし行動をとり、やむなく行政は仮埋葬された遺体を201111月までにそのほとんどを掘り起こし、火葬した。

 

このことは、もはや日本では「懇ろな葬り」とは火葬のことである、という認識が徹底されていることを示した。


近代以降でも明治三陸地震、昭和三陸地震では大きな墓穴を掘り、個人の識別なく集団埋葬が行われ、大正時代の関東大震災では大きな穴に遺体を投げ込み、野焼きされた。


今回の仮埋葬は一部納体袋のままであったが、多くは納棺したうえで、個人識別を明らかにして仮埋葬された。

2年後の掘り起しを想定したからである。

今回はほとんどの柩が掘り起こされたが、木棺は火葬を前提として軽く、燃えやすく、ベニヤを貼り合わせたもの(フラッシュ棺)であったために1メートル以上の土の圧力で潰れ、横も湿気に弱く乱雑な状態となった。

1カ月後とはいえ、遺体はすでに一部白骨化が進み、首と胴体等が分離し、納体袋、棺内は体液、血液の漏出、それに雨水が加わり、引き上げる前に体液、血液を排出し、臭いを消すため、石灰を撒き、土を埋め戻した。

遺体が毛布にくるまった状態の場合、毛布を剥ぐと皮膚が剥がれた状態となった。

 

7~8月の夏の掘り起こし作業は臭いも酷く作業員には難儀となった。
作業を請け負った建設業者等は作業の継続を拒否し、その後は葬祭業者が引き受けた。


掘り返され、引き上げられた遺体は新しい納体袋に入れ、新しい棺に納め、蓋にはテープを貼った。

火葬場で予め家族に火葬時刻を示し、入炉前に家族は遺体を改めることなくお別れした。

 

一部ではあるが、掘り起こし作業を遠目で確認した遺族もいた。

また、まれではあるが(主に子の父)が掘り起こされた遺体を、本人であることを自ら希望して確認した例もある。


仮埋葬は当初は自衛隊の手で行われたが、厚労省生活衛生課は今でも一部に土葬が残る三重県、和歌山県の土葬事例を参考にした。

今回は年を期限とした一時的埋葬であったにもかかわらず、掘り起こされることを前提としない事例を参考にしたため、穴は深く掘られた。
これが仮埋葬後の掘り起こしを苦渋に満ちたものにした一因である。

例外があった。


女川では、仮埋葬を自衛隊が行わなかった。

 それが幸いした。
厚労省生活衛生課の考えた処理法とは無関係に行われた。

住民は仮埋葬を「火葬場再開までの一時的処理」と理解した。
土は浅く掘り、むしろ棺の上を土で覆う、という程度にした。


女川では火葬場への通路を確保し、火葬が再開されると、棺の上の土を払い、住民が連携し、棺を小型トラックに乗せ、火葬場に運んだ。

遺体の腐敗は進んだものの、棺は保たれた。


③風葬


死体の骨化、解体を自然に任せる方法である。

日本では、内陸地では人里離れた山(霊山とその地ではされていた)の麓などを墓地と定め、そこに死体を置いてきたり、また、海岸地方では海岸の洞窟に死体を運び込んだ。


そして動植物が他の動植物の遺骸がそうであるように、動植物、バクテリアが食し、自然に解体し還るようにさせた。


「自然葬」というなら、風葬こそが自然葬であった。

古来から中世にかけて、風葬は土葬と並ぶ一般的な葬法であった。

日本人の歴史を考えるならば、最も長期的に行われた遺体処理は風葬であったことを覚えておいていい。

 
土葬は近世以降(室町時代末期の戦国時代以降)に一般的になった葬法である。

 

火葬は歴史は古いとはいえ、一般化したのは明治末期以降で、6割という大勢を決したのは戦後のことである。

 

そういう意味では火葬は近代の葬法である。


④水葬


海に遺体をそのまま沈める葬法である。

 

今でも航海中に死んだ場合には水葬が船員法で認められている。
といっても実施はきわめて例外的である。

かつては漁村では漁師などの葬法として行われたところもある。

 

この他にチベットの天葬(鳥葬)などいくつかの葬法がある。


二次葬


火葬が行われる場合、一次葬が火葬、焼骨を墓地や納骨堂に納めたり、散骨することが二次葬になる。


かつて沖縄等で遺体を甕に入れて骨化するのを待ったのが風葬の一種で一次葬、骨化した後、それを洗い骨甕(骨壷)に入れて納骨するのが二次葬。

 

ヨーロッパでも最初土葬にし、骨化したものを改めて火葬したりして遺骨を墓に納める二次葬が少なくない。

 

 

 

2017年9月24日 (日)

「遺体」の言語的考察ー遺体論①

いよいよ「遺体論」に入る。
あるいは「遺体」を視点とした葬制を見ることになるかもしれない。

j地味な話であるから、関心のある人だけに読んでいただければいい。
その第1回は「遺体の言語的考察」である。

「遺体」の言語的考察ー遺体論①


①「死者のからだ」を意味する語

 

日本語には、「死者のからだ」を示す語にはいくつかある。
その代表的なものは「死体」と「遺体」である。

この2つは同じような言葉でありながら、われわれはこれを日常無意識のうちに区別して用いているように思う。
どう違うのであろうか。
まず、言葉の意味を探ってみよう。


国語辞典で「遺体」の項を調べると

「死んだ人のからだ。なきがら。」(角川新国語辞典)とある。
「死体」の項には「しかばね。なきがら。〔対〕生体」(同)とある。

では、2つに共通する「なきがら」はどうなっているかというと

(亡骸)死人のからだ。しかばね。遺体」()とある。

「しかばね」は「死んだ人のからだ」(同)とあるから、これでは「死体」と「遺体」の区別はつかない。
2つとも「死んだ人のからだ」を意味する同義語ということになってしまう。

もう少し詳しい広辞苑(第6版)で関連する語がどう説明されているか見てみることにしよう。

 

遺体 

(「父母ののこした身体」の意から) 自分の身体。人のなきがら。遺骸(いがい)


死体(屍体)

死んだ人や動物のからだ。死者の肉体。死骸。「――遺棄罪」。


なきがら(亡骸・亡躯)

 魂のぬけがら。死体。しかばね。


しかばね(屍・尸)

(「死にかばね」の意)死人のからだ。死骸。なきがら。かばね。むくろ。「しかばねかんむり」の略。


かばね(屍・尸)

死人のからだ。なきがら。しかばね。骸骨(がいこつ)に同じ。「しかばねかんむり」の別称。


むくろ(身・躯)

 (ム(身)クロ(幹)の意)からだ。身体。また、胴体。(「骸」とも書く)首を切られた胴体。転じて、死骸。なきがら。朽木の幹。


遺骸

 死骸。なきがら。遺体。


死骸(屍骸)

 人や動物の死後の肉体。死体。なきがら。 


ちなみに「骸」は音では「ガイ」だが、訓では「カバネ」「ムクロ」である。

 

 

②言葉の違い


これらを見てみると、説明は一見堂々巡りのようでありながら、違いのようなものも浮かび上がってくる。


「しかばね」「かばね」「むくろ」「遺骸」「死骸」は、
「死者の肉体」だけでなく、「死んで骨になったもの」までを意味する時間的には広い概念を有する語のようである。


「死骸」には、人だけではなく動物の場合にも使われる。

したがって、
「肉体が残された状態の死者のからだ」をだけ主として表す語は
「死体」「遺体」「亡骸」
の3つのように思える。

このうち「亡骸」は「死んで魂のなくなったからだ」という一種の遺体観の表現である。
つまり「生きている」という状態は肉体と霊魂が合一している状態のことであり、ここから霊魂が離れることを「死」と称し、霊魂が離れ、死者となった人の肉体が「亡骸」である。

 

③「死体」と「遺体」の違い

 

「死体」と「遺体」の違いはどうであろうか。


「死体」は文字どおりに解釈すれば「死んだからだ」であり、「遺体」は「遺」が「あとにのこす、のこる」という意味であるから「死んで後に残されたからだ」と解釈される。「亡骸」と類似する意味あいをもっているように思う。

しかし、われわれは日常、「死体」と「遺体」を使い分けている。
それはわれわれの「死者のからだ」に対する態度の違いと言ってよいだろう。


「死体」という言葉は「生きているからだ(生体)」と対比される「死んだからだ」という客観的な態度で使っている。

したがって法律では全て「死体」と表記される。
「死体解剖保存法」「死体遺棄」「死体損壊」「引取者のいない死体」「非自然死体」「死体の移動」「変死体」「異状死体」「死体を埋葬」「『火葬』とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう」等。

それに対して「遺体」は、死者に対する礼節をもった、大切にする態度で用いている。
「ご死体」とは言わないが、「ご遺体」と言うことがあることにそれは現れている。
死体を物体として見るのではなく大切な、大事にされるべきもの、つまり二人称(近親者)から見た死体のことである。
または近親者の心情を考慮して大切に扱われる死体のことである。

 

3)「遺体」に対する態度

 

「遺体」という語には「死んだ肉体ではあるが、それまでは生命が宿っていたものであるから尊敬されなければならないもの」という意味あいがあるように思う。

別な言い方をすれば、
死体に向き合ったときに、そこに生きた人のいのちへ尊敬の念を抱いて表現するときに「遺体」と言うのである。


「葬儀(葬送)をする」ということは、死者のからだを自分とは無関係な単なる死体として処理するのではなく、大切なかけがえのないいのちの宿った「遺体」として扱い、尊敬の態度をもって葬ることを意味する。

例えばエンバーミングされるのは、近親者が死者を大切に思う気持ちから依頼されるものであるから「死体」ではなく「遺体」である。
葬儀に関係する者、エンバーマーは、徹頭徹尾、敬意をもって「遺体」として取り扱うのである。

英語でも用法が似ている。

乏しい知識で解説するならば、デッド・ボディ
dead bodyは文字どおり「死体」であるし、コープスcorpseも「死骸」といった意味あいである。
これに対して、リメインズ
remainsは直訳すれば「残されたもの」で「遺体」を表す。

 

(注)
派生的に述べるならば、「遺骨」は敬意の対象であるが、それだけではない。
刑法
190条に「遺骨損壊」とある。
この法律の対象とするのは、一つはかつて土葬(埋葬)された死体(遺体)が骨化したものをいう。
もう一つは死体(遺体)が火葬された結果の焼骨のうち原則として近親者によって拾骨(骨上げ)されたものをいう。


火葬された焼骨の全てが「遺骨」ではない。

日本では地域により拾骨の習慣・習俗が異なり、主として西日本が「部分拾骨」であり、主として東日本が「全部拾骨」である。
このため「拾骨された焼骨」が「遺骨」と扱われる。

なお、「散骨(自然葬)」では、拾骨された焼骨を細かく砕いて海や山等に撒くのであるから、撒かれるのは「遺骨」である。

 

 

2017年9月22日 (金)

死後、人間の身体はどう変容するのか?―死体現象

遺体について論じる時、死体現象について知らねばならない。

病院における「死後のケア」「死後の処置」について看護職にある者は「遺体のその後」について充分な知識をもって死後の処置にあたっているとはいえない。
それゆえ「死後の処置」をもって遺体は安全になるわけではない。
遺体の変容は主として病院から出て、葬祭業者に引き渡されてから本格的に進行するのだが、一部を除いて遺体の管理に自覚的である葬祭担当者は少ない。

私は死体現象について専門家ではない。
そこで、本稿を核にあたり、以下の書籍等を参照したことを予めお断りしておく。

石山いく夫『法医学への招待』
上野正彦『死体は生きている』『死体は語る』
佐藤喜宣「ヒトの死・医学概論」(『遺体衛生保全概論』所収)


◎死後、人間の身体はどう変容するか?

―死体現象

 

遺体の変容とその過程


人間の身体は死亡後、いわゆる「死体現象」という変容過程を経る。
その概容は、以下の通りである。

なお、本稿を記述するにあたり、死亡後の身体については、刑法等の「生体」に対する表現である「死体」ではなく、尊厳あるものとしての表現の一般的呼称「遺体」を用いている。

 

①死斑


心臓が停止して血液の流れが止まると、血管内の血液は下のほうに集まる。
上になった部分の皮膚は蒼白になり、下になった部分の皮下の静脈には血液が溜まっていく。
この溜まった血液の色が皮膚を通して見えるのが死斑である。


死亡後2030分で点状の斑点が出現し、死亡後2〜3時間で斑点が融合。
死後10時間くらいまでは死斑は固定しないが、20時間以上経過すると固定。

 

②死後硬直


死後2時間くらい経過すると、筋肉内のグリコーゲンの減少と乳酸の増加に伴ってアデノシン三リン酸(ATP)が減少。
この化学反応のため次第に筋肉が硬化し、関節が動かなくなる現象が死後硬直。


死後2時間くらいで顎関節に現れ、順次全身の筋肉におよび、6〜8時間で手足の筋肉に明確に認められるようになる。
8〜10時間くらいまでは、筋肉に力を加えて伸ばすと柔らかくなり、再び硬直を起こす。死後およそ20時間で硬直は最も強くなる。
その後は腐敗が強まるため、死後硬直は次第に解けていく。

 

③腐敗


遺体の腐敗は消化器系である胃や腸から始まる。


死後1時間内外で腸内細菌の増殖が認められる。
また、死亡すると胃酸や腸の消化液が胃腸そのものを溶かし、酵素による自家融解を起こす。


腸内細菌の繁殖と胃腸の融解によって腐敗が進行し、腐敗ガスが発生。
この腐敗ガス中に含まれる硫化水素が血液中のヘモグロビンと結合して硫化へモグロビンが作られると、腹部が淡青藍色に変色。
この変色が全身に波及し、さらに腐敗ガスが発生すると、全身が膨らんでいく。


腐敗が進行すると、全身は次第に暗赤褐色に変色し、膨らんだ死体は巨人のような外観を呈する。


さらに腐敗が進行すると乾燥し、体表は黒色に変色し、体の組織は腐敗汁を出して融解し始め、遂には骨が露出される。


※遺体は乾燥しやすいので、保湿剤の使用は必須である。

遺体はドライアイスの処置等が適切に行われれば、死後34日の葬儀の期間は一般にそれほどのひどい変化はない。


但し、腐敗には天候や保存の状態のほかに個体差があり、遺族が他人との面会を断わるような変化を来たす遺体が約
1015%ほどある。
(浮腫は全身に及び、
2日目以降には50%を超えるが、遺族が気にする顔に及ぶ事例は1015%程度。)


皮膚の変色がひどくなる、

表皮の下に体液が染み出て水泡が形成される、その水泡が破れる、遺体から出る腐敗臭がひどくなる、腐敗ガスが体内に充満して口や肛門等から漏出してくる、顔やお腹が膨張してくる、という変化が死後2〜4日以内でも発生するケースがある。


遺体はデリケートなものなので、搬送、安置の際に細かく観察して取り扱う必要がある。


死をもって活動を停止するのは脳などであり、器官や細胞は変化し続ける。


古来、葬儀を急いだのは、遺体の腐敗が酷くなり、死者の尊厳が失われる恐怖心からであった。

遺体の状態によってはゆっくりお別れできる環境を用意することができなくなることもある。

(以上、碑文谷創『四訂葬儀概論』。一部補充。なお石山いく夫『法医学への招待』、上野正彦『死体は生きている』『死体は語る』等を参考)


いわゆる「死体現象」は早くて死亡後⒛~30分経過後くらいから発生するが、主として2~3時間経過後であり、以後進行していく。


④体温低下
 

物質代謝がなくなり、熱再生も漸次なくなることから、死後2時間程度から体温低下し、5時間後以降は低温となり冷却する。


⑤血液就下
 

心拍停止により血液循環が停止し、重力に伴い、体内血液は身体の下に移動する。→死斑。
身体各所で発生、臓器内でも起こる。


⑥腐敗性水泡
 

腐敗が進むと、遺体表面に腐敗性水泡が生じ、中にヘモグロビンを含む液と腐敗ガスが貯留。

これが破綻すると表皮が剥離して真皮が露出(スキンスリップ)。
腐敗遺体を移動する際に表皮剝離し広範囲に真皮が露出した状態になることが多い。
体液露出を招く。


⑦腐敗ガス
 

死後数時間後から腸管内に腐敗ガスが発生し始め、死後2日前後には腹腔内、全身の皮下組織、諸臓器にも発生。

ガスが大量発生した状態を「ティシューガス」という。
ティシューガスは強い腐敗臭を発し、遺体の静脈が膨れる。

特に外傷がある部分に発生。
生前にガス壊疽や敗血症等を罹患している場合や褥瘡がある場合に発生しやすい。
巨人化の原因となる。

腸内ガス圧で肛門は開き、便を漏出する。

寝たきり生活が長いと体位変換をしばしば行なわないと褥瘡ができる。
褥瘡部分や外傷部分は死亡直後にしっかりとした保護が必要となる。


⑧皮下気腫
 

死亡直前に肺・気管から漏れ出たガスが皮下組織に溜まり皮下気腫をおこす。
心肺蘇生による肋骨骨折、肺・気管・気道の損傷や手術。気管切開からの人工呼吸器による空気漏れ等が原因。

(以上、佐藤喜宣「ヒトの死・医学概論」『遺体衛生保全概論』所収等を参考)


「遺体管理」については、次のものが関連している。補記2018.07.18
死後、人間の身体はどう変容するのか?死体現象

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/09/post-b3b3.html

遺体は公衆衛生上安全か?

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5f6c.html

 死亡の場所の変化と遺体の取り扱いの変化

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-5cff.html

病院等における「死後のケア」の実態について①

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/1-f03a.html

 病院等における「死後のケア」の実態について②

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-eea3.html

葬祭事業者における遺体管理業務の実態

http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/07/post-c7fb.html

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