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2018年8月16日 (木)

「聖職者」の虐待に思う「聖」への幻想

日本では僧侶の堕落について言及するとき、妻帯制度をもち出す人が依然として多い。
僧侶に「聖職者」たるべきことを求め、出家によって異性と交わらない道を歩むことを過度に期待した幻想による所産でしかない。


日本では1985(明治5)年に僧侶の異性との接触、異性間交渉を長く禁止していた僧尼令が廃止され、以降は僧侶の肉食妻帯は自由とされた。

 

もとより僧尼令はあれど、破戒僧はいつの時代にも存在したし、実態として守られてきたわけではなく、一休、親鸞の時はあまり問題とされていない。

 

宗教に係わる者が今でも「聖職者」と言われることがあるが、私はある意味、これは「宗教者差別」であると思う。
人権に属する人間の基本的欲求を制限することを課し、それで「聖」であることを教団のみならず社会が強制している。


こんな「差別」がいつまでも続くわけはない。
これが今続々と明らかにされているローマカトリックの神父の性犯罪である。

ローマカトリックの神父は公的には妻帯を禁止されている。
だが、こうした無理が通用するわけがなく、その無理が多くの性犯罪を生んだ。
今明らかにされているのは現在のものだけではない。
すでに死亡した神父の過去の性犯罪もどんどん明らかにされている。

 

昨日(2018815日)に朝日新聞が報じたものは
カトリック神父300人が性的虐待 被害者は数千人か

https://digital.asahi.com/articles/ASL8H23KWL8HUHBI002.html?iref=pc_ss_date

そこに報じられている内容は凄まじい。


米ペンシルベニア州最高裁判所は14日、同州のカトリック教会で起きた神父による少年少女への性的虐待についての大陪審の調査報告書を公表した。報告書には虐待を行っていた神父300人以上の実名リストも盛り込まれた。教会側の隠蔽(いんぺい)工作についても指摘している。

大陪審は同州内の8教区を対象に2年かけて50万ページの教会内部文書を調べたほか、関係者への聞き取りなどを行った。過去70年以上にわたって神父400人以上の関与が浮上、うち虐待の証拠がそろった故人も含む300人以上について公表した。」
文書から明らかになった被害者は1千人ほどだが、大陪審は実際には数千人に上ると見ている。被害者の多くは少年だが、中には少女も含まれていたという。思春期前の年齢の被害者が多かった。また、教会は虐待の告発を受けても警察に通報せずにいい加減な内部調査で済ませたり、加害者を別の任地に配属したりし、問題が大きくなるのを防いでいた。」

これは「犯罪」である。
ローマカトリック教会の問題であるが、それだけではない。
人々が宗教者に無責任に「聖」の幻想を抱き、それが制度となり、それが現実と著しく異なるものであるから「犯罪の温床」となり、多くの犯罪を今もなお生んでいる。

ローマカトリック教会の犯罪報道を以下に示すが、これはカトリック教会のみを批判するためではない。
「聖職者」ではないが、プロテスタント教会にも「牧師の性犯罪」はあるし、仏教の「僧侶の性犯罪」もいまだにある。
宗教界のみならず社会に性犯罪は蔓延している。
宗教者(教職もそうだ)の性犯罪が多いのは、「聖職者」であることを期待される幻想の所産、という面があることを忘れてはならない。

キリスト教団体で性的虐待、被害4千人超 豪政府が調査

https://digital.asahi.com/articles/ASKDH4W7CKDHUHBI025.html?iref=pc_ss_date

ローマ法王「苦悩と恥辱」 聖職者の性的虐待に謝罪

https://digital.asahi.com/articles/ASL1K2FC4L1KUHBI00C.html?iref=pc_ss_date

(地球24時)聖職者の性的虐待問題、チリの司教ら34人辞意

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13500699.html?iref=pc_ss_date

スポットライト世紀のスクープ カトリック教会の大罪 著者:ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム 出版社:竹書房https://book.asahi.com/article/11594245?iref=pc_ss_date
日本カトリック司教団、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を制定
https://www.christiantoday.co.jp/articles/22845/20161220/japan-catholic-bishops-sexual-abuse-victims-day.htm

2018年8月 2日 (木)

シンポ「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

エンディング産業展2018822日~24日に東京ビッグサイトで行われる。

私はこうしたイベントとはほとんど無縁で、エンディング産業展の第1回のパンフレットに葬送業界の概況について書いたことがあるくらいである。

 

私は、八木澤壮一先生等との関係で旧葬文研(葬送文化学会)のメンバーで、現・日本葬送文化学会の名前だけ(会費を納めるだけ)の会員であるが、現会長の福田充さんから話があって、2413時~14時半に行われるシンポジウムのコーディネータを務めることになった。

 

テーマは
NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来

参加者は
松島如戒さん(NPO法人りすシステム、もやいの碑の創設者として知られる)


井上治代さん(認定NPOエンディングセンター理事長、桜葬を始めたことで知られる。社会学者、東洋大学元教授)




西田真知子さん(NPO葬送の自由をすすめる会副会長。自然葬として散骨を実施したことで知られる。安田会長の後、一時島田裕巳さんが会長をしたが、現在は安田会長時代のメンバー中心に戻っている)

 

 

永代供養墓は1985年に比叡山久遠墓が最初であるが、社会的に注目を浴びたのが1989年創設の新潟妙光寺の安穏廟が最初。

墓は家墓中心で承継を前提とし、承継者がいない墓は「無縁墳墓」となり存続が保証されていなかった。

そこで安穏廟は承継者を前提とせず、寺が続く限り、永代に供養すると共に、血縁に限らず友人でも(今課題となっているLGBTでも当時すでにOKだった)一緒に入れる墓、すべての人に開かれている墓を提唱した。

これを取材で知った当時ノンフィクション作家であった井上治代さんが共鳴し、紹介。
妙光寺住職(当時)小川英爾さんと一緒に1990年に第1回フェスティバル安穏を開催。
テーマは「21世紀の葬送と結縁を考える」
パネルディスカッションのメンバーは弁護士、地元大学教授のほかに今年亡くなった墓地問題の碩学である藤井正雄先生(大正大学教授=当時)、女の碑の会代表の谷嘉代子先生(関西大学教授=当時)が参加した。

ここに顔を出していたのが松島如戒さんであり、「自然葬」を提唱した安田睦彦さんであった。

 

谷さんの「女の碑」は、1979年、京都・常寂光寺に建てられ、市川房江さん揮毫の「女ひとり生き、ここに、平和を希う」という名言で知られる。
「志縁廟」と名づけられた。
戦時中適齢期で多くの若者が戦場で死に、生涯独身で生きた女性たちが、血縁を超えて一緒に死後埋蔵された(現在は会員を募集停止)。

松島さんは19891990)年に磯村英一さんを会長に「地縁血縁国籍宗教不問の会員制合葬墓」である「もやいの碑」を建立
1993
年には葬儀等生前契約受諾NPO「りすシステム」を組織し、「生前契約」を日本で初めて作った。

 

「葬送の自由をすすめる会」は、安田睦彦さんが19909月に「葬送の自由」を提唱。91年に会を発足。199110月に相模灘で第1回の「自然葬」を実施。
墓地以外での葬送に道を拓いた。

 

井上治代さんは女性問題から家墓制度に疑問を感じ、取材を続け19906月『現代お墓事情―ゆれる家族の中で』を発表し、墓問題を提起。同年7月「21世紀の結縁と墓を考える会」(後に「21世紀の結縁と葬送を考える会」、En21)を組織。妙光寺、りすシステム、日本初樹木葬(岩手県)に関与して、2000年エンディングセンターに発展。2005年桜葬墓地完成。

 

葬送に関する市民運動は1990年前後に開始され、葬送の世界を一変させた、と言っても過言ではない。

 

1999年には岩手県一関で日本初の樹木葬墓地が開設された。

 

1989年~1999年、1990年代を「お墓の革命」と私は称している。

 

これに関与した松島、井上、西村さんの想いを聴く、ということは今後の葬送のあり方を考える上で極めて重要であると思う。

 

30年前の事情を知っている、ということで今回のコーディネータをすることになったが、私はこの問題に報道という面以上に関与してきた。
最初の「永代供養墓セミナー」を小川さん、松島さん、藤井先生、井上さん等と開催したり、「フェスティバル安穏」の企画に参与、りすシステムやエンディングセンターの初期の活動に参与、一関の樹木葬の最初の約款は私が作成した。安田さんからは原稿を求められたこともある(事情があって原稿は撤回したが)。

松島、安田、井上さんとは協働もしたし、喧嘩もした間柄である。

私としても第三者としてではなく、当事者として係わった時期であり、90年代は思い出深い時期である。

 

90分という限定された時間であるが、有意義な時間となるよう努めたい、と思っている。

2018年6月23日 (土)

沖縄 「慰霊の日」

戦後73年の「慰霊の日」を迎えた23日、県内各地で20万人を超える沖縄戦の犠牲者を追悼する催しが営まれ、不戦と恒久平和を誓う祈りに包まれた。

 沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎」や、同市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」には、朝早くから多くの戦争体験者や遺族、関係者らが訪れた。亡き家族や友人の思い出、凄惨な戦場の記憶を呼び覚まし目を潤ませながら鎮魂の祈りをささげる高齢者が子や孫らとともに線香や花を手向けた。悲惨な体験を後世に語り継ごうとする家族連れの様子もみられた。

 同公園では、午前11時50分から沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われ、正午の時報に合わせて黙とうした。翁長雄志知事は平和宣言で、平和を希求する沖縄の心を発信。(沖縄タイムズ 2018623日)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/271920

 

194541日の米軍上陸から623日の牛島司令官の自決に至る3か月間、沖縄戦では激しい壮絶、凄絶な地上戦が米軍との間に展開され、軍人以外にも多くの住民が犠牲となった。20万人以上が死亡したと記録されている。

戦後、沖縄は1972年まで米国統治下に置かれ、今なお米軍の専用施設の70.3%が沖縄に集中している。

琉球侵攻、沖縄戦、沖縄米軍基地…日本にいる者としては、犠牲、差別を沖縄に強いたし、今も強いていることを常に心しておくべきことであると思う。

2018年5月20日 (日)

散骨の島 カズラ島

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「散骨の島」として知られるカズラ島について、本日(2018520日)の朝日新聞に作家である重松清さんと訪問した
(視界良考)重松清さんと @自然葬の島

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13502356.html?iref=pc_ss_date

が載っている。

 

カズラ島のことはもっと知られていい。
島根県隠岐の海士町にある無人島カズラ島。
ホームページ
http://www.kazurajima.jp/

 

私はカズラ島については2010年に取材して雑誌『SOGI』に書いている。
当時のものであるが当時の掲載写真とともに再掲しておく。
散骨(自然葬)についての議論も簡単であるが整理している。

 

レポート

現代の霊島 散骨の島

隠岐の無人島カズラ島訪問記

 

■カズラ島

隠岐諸島は、日本海にあり島根半島の北方約50キロにある。

島根県に属している。

昔は隠岐国という自立的な地域であった。

 

隠岐は島前と島後に分かれる。

島前は主に知夫里島知夫村)、中ノ島海士町)、西ノ島西ノ島町)から成り、島後は島後島隠岐の島町)。

小島を入れると180島くらいから成るという。

 

今回の主役は島前にあるカズラ島。

海士町の諏訪湾入り口にある無人島である。

ここ一帯は大山隠岐国立公園の「第一種特別地域」。

将来も無人島であることが約束されている。

内海にあるため海面は穏やか。

 

対岸の慰霊所からカズラ島を望む
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隠岐は遠流の地として有名。

13世紀には後鳥羽上皇が流され、この地で最期を遂げている。

また、隠岐は日本と中国、朝鮮半島の交易の地としても歴史に刻まれる。

 

■散骨(自然葬)を巡る論議

散骨が市民団体葬送の自由をすすめる会の手で「自然葬」と名づけられて相模湾で行われたのが1991年のことである。

その後、散骨(自然葬)は徐々に市民権を獲得し、今では「葬送を目的として相当の節度をもって行われるならば違法ではない」という法解釈が定着している。

 

各種の調査を見ると、「散骨をしたい」とする意見は15%程度であるが、「本人の希望であれば」等の意見を含めると約7割の人が理解を示している。

「理解している」「反対していない」が約7割というのが国民感情を表しており、刑法190条遺骨遺棄罪に該当していないとする数字的根拠である。

 

といっても無原則で認められているのではなく、「相当の節度」が求められている。

 

ここでいう「相当の節度」とは、①遺骨を細かく、原型がわからないまでに粉砕し、②生活用水として住民が使用している河川、養殖場や海水浴場など風評被害が起こる可能性のある土地を避けて行う、ということである。

「散骨が違法ではない」というのは、こうした基本的条件をかなえた場合に限るので、そもそも無条件ではない。

 

だが「相当の節度」を弁えない散骨もあり問題を発生させた。

 

北海道の長沼町では住居に近い公園の木々の根元に原型が残る遺骨を撒き、地域住民の反発を受け散骨禁止条例ができた。

この風評被害を恐れ、秩父市、御殿場市、岩見沢市等のいくつかの市区町村で散骨の禁止、制限の条例化が行われている。

 

長沼町の例で見れば、最初に墓地として申請した業者が、許可を得られなかったので、その地を公園とし、「散骨であれば墓地である必要はない」と勝手に理解し、公園内の木々の根元に遺骨を細かく粉砕することもなく撒いた。

これを「散骨樹木葬」と称した。

これを周囲の住民が発見して騒いだのが条令制定につながった。

 

長沼町のケースであれば、節度を全く弁えずに行った業者の行為が批判されるべきで、つまり散骨の方法が問題とされるべきで、散骨そのものの是非として論じられるべきではなかった。

 

長沼町のケースが教えてくれたのは葬送が住民の素朴な感情と折り合いを丁寧につけることの必要性であった。

だから散骨禁止条例を作り上げた住民が批判されるのではなく、そこまで住民を怒らせた、配慮なく遺骨を放置して「散骨樹木葬」なるものを行った業者が批判されるべきなのだ。

 

■島全体が霊場

隠岐のカズラ島は「日本初の専用散骨所」というネーミング、あるいは「自然散骨所」というネーミングが注目されるのではない。

海士町の住民との息の長い話し合いがあり、隠岐の国立公園という環境を維持しながら、隠岐の人あるいは隠岐出身者の永眠の地を確保しようという合意に向けた努力がなされたということである。

 

カズラ島に接近
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無人島カズラの自然は最大限確保し、むしろその未来を考え、散骨の時だけの上陸、その通路を恒久的なコンクリートではなく、木材によるものとしている。

 

カズラ島の仮設接岸
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島の自然を守るため島への上陸を制限している。

また、追悼はちょうど真向かいの対岸の慰霊所で行う。

 

慰霊所に実際に行ってみて驚くのは、慰霊所からカズラ島が正面にくっきりと姿を現すことである。

地図で見るよりも近いのだ。

誤解を避けずに言うならば、慰霊所から見えるカズラ島全体が「ハカ」に見えるのだ。

散骨は「ハカ」の体内に分け入り、その体内に同化できるように撒き、そして出て、「ハカ」全体を拝む如きなのだ。無人島カズラ全体が自然の造った霊廟の如くあるのだ。

 

島内には地蔵も
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そして隠岐の人が隠岐から出て行った人の遺骨を迎える場所として、跡継ぎがいない人のためにも、また、全国の人も受け入れる場所として設けた霊廟なのだ。

 

島の頂上散骨場所

白く見えるのが先日家族揃って撒いた散骨痕
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カズラの位置は孤島ではない。

隠岐の島々に抱かれているようにしてある。

隠岐をもっと大きな生命体としてとらえるならば、隠岐があらゆる死者を受け入れているが如く感じるのだ。

地元の人々と丁寧に協働して散骨の島カズラは作られて行っている。

 

島から慰霊所を望む
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海士町にある共葬墓地

古い墓石と新しい墓石が混合してある
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問い合わせ先

㈱カズラ

島根県隠岐郡海士町福井847-1

電話085140642

東京支店

東京都板橋区船渡4-16-11

電話0359704149

http://www.kazurajima.jp/sankotsu/index.html

 

 

㈱カズラの当時のスタッフ。取材には設計家の杉山昌司さんも同行したImg_3871_3

2018年4月 1日 (日)

『葬儀概論』四訂第2刷、『解題 葬儀概論』改訂版ができました

『葬儀概論』4訂2刷 2018年3月30日発行

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『葬儀概論』の初版は1996年4月、改訂版が2003年5月、大幅に増ページした増補三訂版が2011年4月、四訂版が2017年4月に出した。

大きな改訂は4回であるが、毎年最新データに入れ替えたり、小さな修正、追加を行っている。

今回四訂版の第2刷を出すにあたっても微修正を行っている。大きいのは第10章関連法規とその解説で死体取扱規則を死因・身元調査法に差し替えた点である。

結果としては微修正であるが、見直しを全ページにわたって行っている。基本は該当ページを変更しない条件で行っている。ページ数の変更をよぎなくされるものは、表現を多少いじり、次の改訂版に持ち越す。
辞書を編むような地道な作業である。
膨大な索引もやり直す。用語数が増えているがページ数は変更しないので、デザイナーには苦労を掛けた。

『葬儀概論』には何が書かれているか?

『葬儀概論』は、葬祭ディレクター技能審査のテキストとして作成したが、葬送について学ぼうとする人々にとっては欠かせないもの、と自負している。
葬送の歴史を古代から現在までを記述しているのは本書しかない。
その内容をあるものは大きく、あるものは細かく以下示す。

第1章 葬儀の意味

第2章 葬儀の歴史

(資料)死と葬送の日本の歴史年表、葬儀の起源、日本の古代の葬送儀礼、古代の葬儀観、厚葬から薄葬へ、御霊信仰、天皇の葬儀と仏教、法華三昧と常行三昧、(略)、明治維新と神仏分離、近世・近代の火葬の歴史、明治時代の葬儀、戦前までの葬儀、戦後の葬儀、現在の葬儀事情

第3章 死とその環境

死の環境(臨終、死の場所、死亡者数の推移、増える65歳以上人口、高齢者の死の割合の増加)、死の判定と死因調査(死の判定、「脳死」の問題、死亡診断書と死体検案書、死因調査、監察医制度、行政解剖と司法解剖、死因、自死、葬祭業者は法的に死が確定しないと遺体を取り扱えない)、遺体と公衆衛生

第4章 葬儀の実際

臨終、受付、遺体の引き取り・安置、打ち合わせ、見積、枕飾り、枕経・遺体処置・納棺、設営、幕張、飾りつけ、通夜、葬儀、司会進行、接客・誘導、出棺、火葬、葬儀後の会食、撤収、請求・集金、アフターサービス、法要、事前相談

第5章 葬儀の知識

死亡記事・死亡広告、告別の方法(焼香、献花、玉串拝礼、宗派による焼香の違い、等)、香典、返礼品、霊柩車、棺、祭壇(祭壇の原型と変遷、祭壇の位置づけ、等)、葬具、戒名(法名・法号)、布施、仏壇・仏具、墓(墓石の形態、墓埋法に規定された「お墓」、埋葬(埋蔵)、改葬、墓地の分類、使用権、お墓の承継、埋骨方法、散骨、樹木葬・桜葬)、死後の手続き、相続、遺言、相続税、遺体の海外移送、海外の葬儀事情、葬儀と習俗、葬儀の生前準備、顧客獲得システム、グリーフワーク

第6章 社葬・団体葬

第7章 日本の宗教の概要

日本の宗教団体概要、神道(神道、神社神道、教派神道)、仏教(仏教の歴史、奈良仏教系、天台宗系、真言宗系、修験道系、鎌倉仏教、浄土宗系、浄土真宗系、融通念仏宗、時宗、日蓮宗系、臨済宗、曹洞宗、新教派系)、キリスト教(キリスト教の歴史、日本への伝来、現在日本のキリスト教)、諸教(諸教の概念、諸教の概要)

第8章 宗教儀礼

神葬祭、天台宗の葬儀、真言宗の葬儀、浄土宗の葬儀、浄土真宗の葬儀(浄土真宗の葬儀の意味、臨終と通夜、本願寺派の葬儀式、大谷派の葬儀式)、臨済宗の葬儀、曹洞宗の葬儀、日蓮宗の葬儀、カトリックの葬儀、プロテスタントの葬儀、天理教の葬儀、金光教の葬儀、友人葬

第9章 葬祭サービスと葬祭ディレクター

事例研究、事例からの教訓、葬祭サービスとは何か?、葬祭ディレクターの倫理

第10章 関連法規とその解説

墓地、埋葬等に関する法律、感染症法、船員法、医師法、戸籍法、軽犯罪法、刑法、刑事訴訟法、死体解剖保存法、献体法、警察官等が取り扱う死体の原因又は身元調査等に関する法律、行旅病人及び行旅死亡人取扱法、臓器移植法、貨物運送事業法、生活保護法、割賦販売法、都市計画法、建築基準法、民法、消費者契約法、景品表示法

多くの書物、情報、協力があったからこそまとめることができたことは言うまでもない。
各章末の参考文献は直接参照しなかった文献以外にも注目すべき文献を示しているので用途は広いだろう。


『解題 葬儀概論』改訂版 2018年3月30日発行

『解題 葬儀概論』は2014年に初版で以後は手を一切加えていなかった。
これは『葬儀概論』の増補三訂4刷をベースにしていたが、今回は四訂2刷をベースに改訂を行った。

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これは葬祭ディレクター技能審査の学科試験用のテキストで、過去問題を単に〇×で覚えるのではなく、文脈で学習できるようにと、問題解説を主として葬儀概論の該当箇所、場合により複数個所を提示して行っているもの。
今回は問題を一部差し換え、問題解説を充実させている。
学科試験対策としては極めてていねいにできているはずである。

これを作った経緯は、
試験問題には重要項目がある。
過去出題のも含まれることがある。
そのままの場合には正解率は著しく高いのだが、同じ内容を出題形式をほんの少し変更しただけで、正解率が著しく低下する現象を憂えてであった。

知識を文脈で理解しないと、本当の知識を身に着けたことにはならない、という危機感からであった。

『解題 葬儀概論』は私の手作りである。
ワードで文書を作成したものをpdfのプレス品質に変換し、印刷会社に直接渡す。
そのため素人感満載であるが、内容的には不足はない。
最後の修正まで自分で操作している。
自分で最後までする、というのは欠点もある。
打ちミスもあるからだ。
すべてプリントして校正はするのだが、どうしても客観視に欠ける点が残る。

『葬儀概論』は毎年の受験者が新たに購入してくれればいいのだが、そうはいかない。
旧版を先輩から譲られて受験する人もいる。
前回の大幅改訂が2011年の増補三訂版であるから、『解題 葬儀概論』(改訂版)の末尾に約4ページの「4訂版以降についての補遺」を加えた。

『葬儀概論』はB5判360ページ、『解題 葬儀概論』はA4判168ページに及ぶ。
したがって作業中は手元のインクジェットプリンターが凄まじく働く。
紙の消費は膨大である。
今年は画面上で赤字を入れられるSurface Proにパソコンを換えて紙消費を少なくしたが、それでも最後は紙での確認になる。

葬祭ディレクター技能審査は1996年の第1回から2016年第21回まで関係し、今は引退しているが、テキスト作成には著者としての責任をもっている。
次の世代に引き継ぐまで残された時間は多くない。
自分の頭がどこまで機能してくれるか、にかかっている。

★『葬儀概論』『解題 葬儀概論』の求め先

葬祭ディレクター技能審査協会
〒105-0023東京都港区西新橋1-18-12 COMS虎ノ門6F
電話 03-6206-1281 Fax 03-3500-4212
〒108-0075東京都港区港南2-4-12 港南YKビル4F
電話 03-5769-8704 Fax 03-5769-8702

なお『葬儀概論』は定価10,258円、『解題 葬儀概論』は定価3,000円となっている(送料別)。


2018年3月27日 (火)

いくつかの報告―経王寺「ハスのカホリ」、毎日新聞「合葬墓」

経王寺

少し前の話だが、互井鑑章さんが住職の日蓮宗経王寺(東京都新宿区)の寺報『ハスのカホリ』2018年春号47号が送られてきた。


経王寺のホームページ
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
経王寺のFacebook

https://www.facebook.com/kyoouji/

 

ハスのカホリ』2018年春号47こに互井さんと私の対談「葬儀とお寺の未来」が掲載されている。

 

ハスのカホリ』表紙

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目次

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互井住職×碑文谷創

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合葬墓

毎日新聞2018322日夕刊「どうすれば安心」で合葬墓(永代供養墓)が取り上げられた。
契機は築地本願寺が合同墓を造ったことにある。

 

築地本願寺の合同墓

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

 

毎日の記事は小松やしほ記者が取材して記事にした。
これに私と小谷みどりさんがコメントしている。

記事は

https://mainichi.jp/articles/20180322/dde/012/040/004000c

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2018年2月 5日 (月)

個人化時代の葬儀②‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀②―弔いのあり方

 

昨日(201824日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2018/02/post-2a9c.html


きょうは私が寄せた談話について書く。

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談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。
何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。

しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業!
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時には修正して戻してほしい、という。
取材にきたのが131日、原稿が21日、掲載が4日。
しかも4日の朝刊を見たら高橋記者の取材記事がほかに2~3本あるではないか!
記者さんの大変さに頭が下がる。

私のように隔月刊の雑誌をつくっていたものには考えられないことだ。
最も私は取材から原稿まで1か月をかけ、原稿にしたらメールで先方に送り、翌日までには戻してほしい、と言い、その翌日にはデザイナーにメールで送る、ということはよくやっていたものだが…

さて、送られてきた高橋記者の原稿、苦労の後が見える。
高橋記者の示した骨格とねらいに沿って原稿を書き改める。
でも手を入れるとどうしても長くなる。
そこで削りに削る。
それでもまだ長い。
後の調整は高橋記者にお願いすることにした。

私が送った原稿は以下。

日本のお葬式は室町後期、戦国時代以降、少なくとも江戸時代から太平洋戦争後の混乱、復興期までは地域共同体中心で地域慣習に従い、檀家制度の影響を受けて、あたりまえのように仏式で行われてきたという特徴があります。
葬式は自宅あるいは寺で営まれてきました。

それが戦後の高度経済成長によって一変。
地方部から都市部への人口の大移動で大都市周辺に人口が集中。

そうした新都市部住民を中心に1960年ごろから、葬祭業者へ「外注」し、任せる動きが出てきます。
地域共同体の弱化、寺離れ、あらゆるサービスの外注化もあって葬祭業者任せの動きは80年代までに全国へと広がりました。

葬儀の会葬者数が増え、バブル期には平均会葬者数が300人、うち7割が死者本人を直接知らない人というケースが珍しくなくなり、遺族は弔いより会葬者に失礼がないよう気づかうという本末転倒も見られるようになりました。


90年代に入ると葬儀会館が各地にできて、自宅や寺で葬式が行われなくなります。
「病院で生まれ、病院で死亡し、葬儀会館で葬式をする」時代へとなりました。

90年代以降、地域住民も親戚も手を引いたし、寺も儀式執行のみで家族を喪い精神的に混迷した遺族をサポートしてくれない。
孤立した遺族は葬祭業者へ頼らざるをえなくなった。
特に阪神・淡路大震災以降、葬式は「個人化」に大きく舵を切ります。


この間、仏式葬儀もほぼ9割から最近は7~8割と減ってきています。
しかし、お寺と普段から関係があるのは都会では3割、地方でも5割程度です。
ですから僧侶を呼ぶにしても派遣僧侶でいい、となる。

今は小規模な、会葬者が数人から80人未満の「家族葬」が葬儀全体の3分の2を占めています。

最も簡素化志向が強いのは60台、70代以上の高齢者です。この世代は会葬者への気づかいで大変だった親の葬式の苦い経験を悔い、子に迷惑をかけたくないと考える人が多い。
ただし家族葬は明確な定義がなく、喪主である子どもが死者のきょうだいや死者の長年の友人の参列を拒んだりするといった混乱も起きています。

80歳以上の高齢者の死が6割を超えたといっても、死は年齢を選びません。
死は死にゆく者にとってはもちろんですが、家族にとって常に事件で、死別者の抱えるグリーフ(悲嘆)は依然として大きな問題です。

しかし、今は家族も大きく変容し、よく言えば多様化、バラバラ、ひとり死も増加。悲しみが共有できなくなってきています。
お葬式が「こうあらねばならない」という規範にがんじがらめの時代は終わりました。

もう一度人間関係の原点に立ちかえって生死の現実に向き合う時である葬式を、自分の、家族の、親しい者の問題としてそれぞれ考え、選択する時代になったと思います。

 

私は「孤独死」「孤立死」という遺品整理業者が造語し、マスコミが流行らせた言葉が嫌い。
他人の死をその人生を知らない者が、安易に「孤独死」「孤立死」と決めつけるのはよくない。
そこで私は価値観のもたない「単独死」を用いてきた。
ところが小谷みどりさんが新著で「ひとり死」という素敵な表現を造語されたので、早速剽窃させてもらうことにした。

葬送の変化は5年おきに顕著になる。
90
年頃 跡継ぎを必要としない永代供養墓が脚光を浴び、散骨(自然葬)が誕生。
95
年頃 「家族葬」が誕生し葬儀の小型化が始まる。
斎場戦争が勃発し、葬儀の自宅離れが加速。
2000
年頃 「直葬」が目につくようになり、病院死亡後にいったん自宅に戻り安置、という「宅下げ」が全国的に減少。
このころ宮型霊柩車がほぼ姿を消す。
2010
年頃 「終活」がブームに。

2010年頃 葬儀の小型化、簡素化が主流となる。

15年頃 葬儀の「個人化」が当たり前のようになる。

自分の書いたものへのコメントは以上である。
高橋記者には迷惑をかけた。




2018年2月 4日 (日)

個人化時代の葬儀①‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀①―弔いのあり方

 

朝日新聞(201824日)に「弔いのあり方」(全4回)の1回目「お葬式」が掲載された。
1
ページだてである。

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https://digital.asahi.com/articles/ASL2200C7L21ULZU01C.html?iref=comtop_8_06

 

主旨は
団塊の世代が高齢化し、“多死社会”が本格化します。大切な家族が亡くなったら、どこに相談すればいいのか。葬儀の費用はいくらかかるのか。自分が眠る墓はどうするのか――。お葬式やお墓への不安が尽きません。いずれ誰にもやってくる弔いのあり方について、みなさんとともに考えます。

 

朝日新聞の実施したアンケートの回答を紹介し、「不透明なお布施不信感」「葬儀の平均費用140150万円」という2人の記者の取材記事が入り、「個人化の時代 規範にしばられずに」という800字の高橋美佐子記者による私の談話記事が掲載されている。

記事の中心は読者の声。
タイトルは
「もっと多様な形であっていい」

その中で、

●「一昨年父を亡くして実感したが、葬儀やその後の法要などは、故人のためだけでなく残された者が少しずつ死を受け入れてその後を生きていくために必要な行事でもあった。母から葬儀はいらないと言われているが、なにもしないことは考えられない」(大阪府・30代女性)

●「長男の嫁です。義両親の際病気だったため、葬儀までもちろん看病がありましたので、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。自宅に連れて帰り、仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。どさくさに紛れて国会議員の弔電披露もあり(怒)、本葬後ほうほうの体で帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です。(略)」(大阪府・50代女性)

が印象に残った。

人の死があってのお葬式である。
人の死と無関係かのようにして語られる葬式論はいい加減終わりにすべきだろう。

 

記者さんの記事については
「不透明なお布施不信感」

埼玉県の50代の女性の声の紹介

きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。一人っ子の松本さんは親戚もほとんどなく、相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランク、料理の人数などを次々に尋ねられました。僧侶への対応にも追われ、父の死に向きあう余裕がなかったと言います。


そう、現実の葬式は忙しいのがネックである。

仕事を進めるためには、それも遺族の意向を確認しながら、事務的な確認作業が多いのはわかる。
しかし、まず大切なのは遺族の状況を、特に精神的な状況を把握するのが第一であるべきだろう。

遺体の保全という、すべきことは行い、1日は遺族が死者と向き合うことに専念できるようにし、2日目に葬式の日程その他を打ち合わせるというのもありではないか?


葬祭業者に聞くと、葬儀や火葬の日程、費用をまず決めたいという遺族が多い、という。

追われる気持ちになる遺族の気持ちもわからないではない。
これも家族に死者が出たことの混乱からくる。

僧侶も忙しいので、僧侶の日程を確保するのも大変、という。

そういう事情はわからないではないが、葬儀というのは儀礼だけにあるのではなく、死者と向き合うことが基本である。
1日は遺族に死者に想いを傾けることに専心させる、という選択があっていい。

お布施の問題は、同じ僧侶が父の時は「15万円から」と言い、友人の父の時は「35万円から」と言ったのが不信感を招いたと書いている。

僧侶の印象が布施の額だけであるのが淋しい。
僧侶はそれ以外に遺族の印象に残すべき係わりをしなかったのだろうか?

僧侶側に立って見るならば、片方に「15万円から」と言い、もう一方に「35万円から」と言ったのは、それぞれの家庭の経済状況を勘案してのことだろう。
一律「35万円から」と言わなかったのは、この僧侶なりの配慮の現れであろう。

葬儀の布施は僧侶の個人収入ではなく、宗教法人である寺の収入となる。
寺は多くの人に支えられ護持されている。
支える人は多様な現実を抱えており、一律の負担を求めた場合には経済的弱者には高負担になる。
負担するにしても、それぞれの経済状況に合わせてするのでなければ「寺を皆で支える」ことはできない。
だから寺の布施は定額ではないのだ。

私の知っている寺では葬儀の布施は
「檀徒の方は基本10万円以上ですが、無理な方は相談してください。経済的に許す方は、それぞれできるかぎりお願いします。また檀徒でない方は基本20万円以上でお願いします」
としている。

これは僧侶が決めたのではなく檀徒が相談して決めた。

檀徒でも10万円の負担が困難な人がいる。
しかし寺は檀徒の葬儀を拒否できない。
檀徒の葬儀をするのは寺の義務であるからだ。
檀徒のなかには分割での申し出もあり、寺はそれを受けている。
なかには寺が持ち出しのケースもある。

布施は持ち出しのあるマイナスから高いのは150万円まである。
1
年間の1件あたりの平均は約25万円であった。
最も多いのは20万円から40万円。
こうした実態は知っておいていい。

その僧侶は言っている。
「金額は明示したくないのだが、不安になる遺族が多い。いろいろ噂が立っても困る。そこで基準額を総代会で決めて提示することにした」
布施が不明、透明性がない、と言われることについては寺も頭を悩ましているのだ。

寺の実状から言えば、葬儀や法事の収入が寺の財政に占める割合は依然として高い。
現在、布施の相場は下がっている。
寺はこのままでは維持できない、と危惧している寺は多い。

かつて大檀家と言われた人は寺を護持するために多額の布施をした。
しかし近年、富裕な檀家も多額を布施しない傾向にある。
これも寺を悩ませている。

布施に幅があることに対し、消費者視点で係わる遺族は不信感を寄せる。
二重価格ではないか?
人を見て値段を変えるのか?
と。
サービスの対価だと受け取られているのだ。

真面目に取り組んでいる寺がある一方、「金の亡者」と言われても仕方がない寺があることが問題を複雑にしている。

遺族の生活状況を考えることもしないで、50万円、70万円、100万円…と提示する寺もある。
大きな、有名寺院がブランド料的感覚で平気で高額の金額を提示する例がある。

また遺族でも、得意顔をして大寺院で葬儀をしたことを語り、「200万円とられた」と、何ら困っていないのに被害者顔で語る人間がいる。
「布施のブランド化」は腹立たしい。

記事に戻ろう。

不信感を抱いたこの人は母の葬式では寺から離れ、ネット業者に依頼する。

昨年12月、90歳の母が施設で亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。06年に設立され、全国で使える葬儀場は約3500式場に上ります。葬式の件数は年々増え続け、16年度までに10万件以上を手がけました。僧侶のほかに葬儀社も紹介しています。

 母の葬儀代は、僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、火葬する前にお経をあげてもらい、3万円を渡して帰ってもらいました。火葬場では家族だけです。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。


話がわかりづらいのは、ネット業者のことを間に挟んでいるからだ。

「直葬」(ちょくそう)を「火葬式」という業者が少なくない。
火葬前に簡単に読経してもらうので、儀礼はしましたよ、という言い訳である。

別に、どこでどのように宗教的儀礼が行われてもよい。
しかし、それが「死体処理」の言い訳になっていいわけはない。
「粗末にしたわけではないのですよ」と遺族は言いたいのだろう。

檀那寺があるなら、経済的に困窮しているのであれば、率直に申し出ればいい。
檀那寺は檀徒の葬儀を拒否することはできないのだから。
檀徒には寺を支える義務(それもできる範囲で)もあるが、弔われる権利もある。むしろこちらの方が大きい。

このような時代だから、宗教までもビジネス化するのは、賛成するわけではないが、時代の趨勢であろう。
しかし、派遣僧侶といえども僧侶である。
死者を弔うことには責任感がほしい。
15
分の読経=3万円(手配業者の取り分があるから1.5万円~2万円が僧侶の取り分だろうが)という時給感覚で人の死に立ち会ってほしくはない。

ネット業者が良心的なわけはない。
葬儀の手配に加えて僧侶手配も加えれば売り上げが増え、手数料も多くなる、というビジネス的関心だけがある。

但し、残念ながら、檀那寺の僧侶と派遣僧侶、どちらのクオリティが高いか、ということは定まっていない。
檀那寺の僧侶にも不届き者がいるし、派遣僧侶にも良質な人がいるからである。

問題は、宗教者は葬儀に係わる以上は、きちんと死者、遺族、近親者に向き合うべきことだ。
今、家族も孤立しがち。
きちんと支える人が必要。
寺の僧侶がそうであってくれれば遺族は助かる。

もっとも、そうした支え手となっている宗教者は数は少ないが確実にいるし、そういったところでは「お布施が高い」とかは人々の話題にすらならない。

布施に不信をもたれる宗教者は自らの葬儀への係わりを再点検すべきなのだろう。

この読者は結局寺からは離れてしまった。


もう一つの記事は

「葬儀の平均費用140150万円」

何だかな、と思う。
世の中格差社会、葬儀の規模も費用も多様化している。
「平均」というのが意味をなさない時代だ。

また、どこからどこまでの費用を言っているのか明確ではない。
「全部」と言うのであれば、寺へのお布施も含む。
しかし、これは葬祭業者を通す筋合いのものではない。
経産省での統計によれば、葬祭業者の1件あたりの売上高の平均額はここ数年140150万円。

もっとも業者格差があり、1件当たりの売上高平均でも少ないところは80万円、多いところは170万円程度と大きく差がある。

かつては会葬者数に葬儀費用がある程度比例したが、少人数の葬儀が多くなり、会葬者数には比例しなくなった。
極端な話、会葬者20人規模で400万円かける人もいる。

自己負担額という観点で見るならば、会葬者数はいてくれたほういい。
香典を受け取ってもお返しは3分の1~2分の1
香典は5千円と1万円が多く、平均すると7~8千円になる。
今は即返しが多いから、返礼品は3千円~4千円程度が多い。

もっとも人数が少なくなったのには死亡者の高齢化も影響している。

 

今は最も一般的なのは3050人規模だろうが、現役の人が亡くなった場合には会葬者数は100人を超す例が多い。

葬祭サービスについてもクオリティが問われていい時代である。
安かろう、悪かろうが今でも通用しているのは考えものだ。
もっとも安全なのは近所の顔を見知っている葬祭業者に頼むことだ。

案外気をつけなければいけないのは安過ぎるもの。
いくら直葬とはいえ15万円以下は粗悪サービスの可能性が高い。
福祉葬ですら20万円程度。
尊厳をもって弔う、葬るには人材育成費も含めて適正な費用はかかる。
安ければいいならばサービスの質は期待しないことだ。

 

2人の記者さんの記事、いずれも金額の話。
世の中、不良サービスは淘汰されるべき。
葬儀を金額の問題としてではなく、そろそろいかに弔うべきかという観点で議論しませんか?
人間の死には無視できない問題がたくさんあるのです。






2017年11月30日 (木)

新門さんのHPは故障閉鎖中です

私が前に青木新門さんの「新門日記」のホームページを改装したお知らせをしたせいだろう。
新門さんのホームページが見えないと、このホームページを訪れる方がいる。

新門さんのパソコン不調で今ホームページは読めません。

しかし、新門さんはFacebookで発信中です。
https://www.facebook.com/yukio.aoki.75?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all

こちらをご覧ください。

2017年11月20日 (月)

角田山妙光寺法灯継承式に行ってきました

新潟市(旧巻町)の日蓮宗角田山妙光寺の法灯継承式に行ってきました。
妙光寺は永代供養墓の先駆け安穏廟で知られますが、それだけではなく、お寺が生きるということを模索し続けてきた寺です。
http://www.myoukouji.or.jp/about/index.html

700年の歴史をもち、まさに過疎地にある寺。
日本の寺の典型ともいうべき寺でした。
その寺がどう変わったか、は一つの実験例として広く検証される価値があります。

角田山妙光寺の住職が2017年11月18日に第53世小川英爾(今後は院首)さんから第54世小川良恵さんに交代する法燈継承式が行われました。

小川英爾さんの在任期間は42年。
先代小川陽一住職が66歳で亡くなり、引き継ぎもなく22歳で就任。
先代と同じ年齢となるのに合わせて次代への円滑な承継を願ってのもの。
良恵さん32歳。妙光寺初の女性住職。
今後は「院首(インジュ)」で、良恵さんが「御前さま」

継承式を迎えた角田山妙光寺
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客殿での受付
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山門から住職、新住職、檀徒総代等が行列で入堂(先頭は前に妙光寺に勤務した大分の常妙寺住職・永石光陽さん)
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檀徒役員の入堂
P1000330

小川英爾さん53世最後の導師
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小川良恵さんに住職任命状授与
P1000349

法燈の継承
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54世住職として良恵さん最初の払子
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見守る小川なぎささん(53世夫人、54世母)
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継承式を前に(左から大分の亀山さん、大分の菊地さん、私、小川英爾さん、鎌倉の松脇さん。松脇さんは良恵新住職の師僧)
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継承式前に新住職の良恵さんと
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寺を支える女性陣(の一部)上右は新住職の師僧である松脇さん夫人。20年前に妙光寺で出会った。
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継承式記念誌(A4,108ページ)
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記念誌編集後記

碑文谷 創

 

■本書は、「寺が生きる」とはどういうことか、を実践、模索した記録である。
角田山妙光寺は、700年の歴史をもつ古刹である。
しかし、その歴史、地域社会との関係を大切にしつつ、時代、社会の変化に対応して、寺に縁をもつ人々の信仰と生活、地域社会との関係を築こう、と変化を模索し続けている寺である。

■現在、1955(昭和30)年以降の日本社会の都市化、地方の過疎化の大きなうねりが地方の寺を直撃、「寺院崩壊」という声を聞く。
7万ともいわれる全国の仏教寺院で、自立可能な寺は、厳しく見るならば3万にもならないだろう。
人が地域を去り、残るは高齢者のみ。寺は老朽化したまま、地域から去った人々の墓は放置されている。
最も深刻なのは、都市、地方を問わず、寺と人々の関係の距離が開いていくばかりなことである。寺の存在意義がどんどん失われていっていることである。

■妙光寺が他の寺と一線を画す一つは、信仰の見直しを行ったことである。
日蓮宗は日蓮聖人以来、強固に現世安穏を提唱した。
これを現代に活かすために「徹底して人々の生活現実に寄り添う寺であろう」とした。
檀信徒のみならず、地域の人々が高齢化、家族の変容、労働環境の悪化、精神的孤立という中で呻吟している。
人々のところに行って話に耳を傾け、また、人々が困った時に気軽に寺に寄ることのできるように、と考え、実践した。

■いま妙光寺では生前に法号を受ける人が多い。
法号は死後の名ではなく、仏弟子として生き、死のうと志すことの証である。
法号を授与された人々が寺の活動の支え手となっている。
寺は住職のものではなく、寺を支えようという意思のある人々がいて生きる。

■「安穏廟」は、どんな家庭環境、人の個性、個別事情にもかかわらず、すべての人に開かれた寺を志向している。
「墓」は単なる死後の葬地ではない。
墓は、どんな境涯であってもすべてのいのちの尊厳を守るところであると同時に、寺はその墓を求める人の生死を支える責務がある、という永代供養墓の理念を明らかにした。
これが人々の共感を呼び、墓を求め、墓を求めた人の中から寺の支え手を生み、寺を活性化させてきた。

■こうした寺をつくったのは、小川英爾という異能な住職の力だけによるものではけっしてない。
それこそ700年にわたり寺を地道に支えてきた檀信徒たちの「自分たちの寺を生かそう」という熱意と参加の賜物である。
檀信徒だけではない。
妙光寺に縁のある人々が、それぞれの仕方で住職を信頼し、足らざるところを補い、寺を支え、再生させたのである。

■本書の編集に参画できたことは幸いであった。
本書は、小川英爾住職の次代への強烈な想いの産物である。
併せて、新倉順さん、新倉理恵子さん、かもかよこさんの献身的な参画があって誕生したものであることを記し、感謝したい。
また、編集中、常に頭にあったのは「檀信徒の方々の寺への想いに応える記念誌に」ということであった。

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