2009年9月25日 (金)

注意力散漫

昼間は暑いくらいで、朝夕は涼しい季節です。
昨日からジャケットを一応持つことにしました。
でもTシャツとジーパンというくだけすぎた習慣を脱するのはちょっぴり苦痛であったりします。

野球はジャイアンツが優勝したというのに3位争いが激しく、最後までもつれる感じです。世間の関心は、読売・報知連合を除いて、そちらに向いています。
子どもの頃からのジャイアンツ・ファン(それ以外の選択肢はありませんでしたから)としては優勝の2文字がうれしいのですが、仙台に行った楽天のにわかファンでもあり、何とか3位に食い込んでほしい期待。

子どもの頃にしたバスケは、今の日本があまりに弱く、関心を失いました。
バスケのようなチームスポーツは、チームから離れると遊ぶこともできなくなり、生涯スポーツとしてはダメですね。観戦もNBAをたまにテレビで楽しむくらい。
私のイメージでは小さいのはすばしっこく、大きいのは動きが鈍という印象がありましたが、それが背の高くない私にとってはやっていけたところでしたが、NBAは2メートルというのがすばしっこくあったりするのですから嫌になります。
そういう凄さがかえって私を熱心にさせないようなのです。

春以来、ミスが目につくようになりました。自分のです。
それは周囲に相当迷惑をかけてしまうのですが。
歳のせいにはしたくはないのですが、明らかに注意力散漫で、自分が引用した文の出所を忘れてしまうという、致命的なものまであります。
書いているときは参照したはずなのに、記憶がブチっと切れてしまっているのです。
情けないやら…

思いついたアイデアはメモしているようにしているのですが、そのメモの所在がわからなくなったり…
それでも切れ端でも日にち順に、内容順ではなくファイルするようにはしているのですが、漏れるのが多いのです。

地方に行く、といっても最近は飛行機やら新幹線やらが多く、移動の時間は短縮されているのに、結構疲れます。
以前は機内やらでは本を読んだり、車中であれば原稿書いたりしていたのですが、追われているときはせざるをえませんが、今は眠ることがほとんどです。
一応本は開くのですが、自然に目が閉じてしまうのです。

最近は、我慢が足りなくなっています。
言いたいことは言う、というようになっています。
ま、断って言いますが。
黙って他人の話を聴くというのができなくなってきています。

行った先で、つい言ってしまうので、皆さんにはご迷惑をおかけしています。

先日、よく知った記者が私の本に触発されたと「直葬」についての取材を受け、記事になったら、すぐテレビが取り上げるは、問い合わせが多く、メディアの影響の強さをしみじみ感じました。

また、ある新聞で葬儀関係の話題が書かれていたので、「ヘェー」と読んでいたら、最後に私のコメントがあるじゃないですか。
取材を受けたこと自体を忘れてしまっていたのです。

もう、あまり無責任なことはしないよう注意しなければなりません。

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2009年9月13日 (日)

原稿は格闘技 夏のご報告

いやいや前回の更新が8月22日ですから3週間ぶりの更新です。

何かすると、すぐ疲れてしまい、効率の悪い生活をあいかわらず過ごしています。

一応、原稿はボチボチです。
加えて講演の資料とか、けっこういろいろ地味な仕事もあります。

前回書いた「力を入れた」原稿を書き終えて8月28~30日は新潟・妙光寺の第20周年を迎えた「フェスティバル安穏」に出かけました。
いろいろな人から、私の後に舞台に登場した小室等さんに、白髪だけではなく、話し方のトーンが似ている、と言われましたが。
今年は個人的な想いもあり法要途中での井上治代さんの言葉には思わず泣かされました。

若い人がスタッフに加わっていただき、3分の1くらいが毎年入れ替わり、また少し休んで戻ってきたり、と人間の回転がうまくいっていて「長老」としては、たのもしく思い、すっかり楽させてもらいました。

30日が車の中でしたので、27日に衆議院選挙の期日前投票に行きました。荻窪駅の南口すぐの出張所かと思ってたところ、かなり遠いところでした。当日投票所より狭いですが、セッティングは同じ。

20年…はぁはぁしながら、私は生きてきたことが不思議な感じです。
当然にも昔20代の若者が40代の中年になっています。
8日の夜会った人たちも昔は20代でしたが、今は責任ある立場の40代、自ずと発言も変わってきています。

その中で、体力は老いても、精神年齢が若い私は、何か追い越されていき、自分だけが大人になれない感じがしました。

私の8月は、皆さんに不義理をしながら、ゆっくりと年来の課題に挑戦。得るところが多かったので、充実したものでした。
「読む」と「書く」は大違いで、書くためには自分の態度、視点が試されるので、「格闘技」をしている感じです。
たくさんの本を並べ、結局使うのはその3分の1以下になりますが、昔読んだものでも、いちいち再確認をしますし、書き進めると、この問題は自分のこれまでの考え方を修正する必要が出てきたり、と相当スリリングな体験でした。

結論はまだ煮詰められてはいないのですが、それはこれから、ということで、私がどう考えたか、の軌跡を見てもらうことに重点を置きました。

いろいろな試験もありましたが、9-10日は受験する人が5人という小試験。受験者は8-9日と講習し、前に学習したことのおさらいをし、10日に試験。私は9日の講習、場所を間違えたために20分遅刻というチョンボをしました。

10日の私が担当した科目の試験は、空所に自由書き込み式。「あ、こう考えたんだ」「いいところまで行っているけどな」という微妙な点が見えて、採点していて、ある意味で楽しかったです。
もちろん大勢の試験ではかなわないのですが。
今度は単問半分と極小論文形式にしようかな、と思っています。

最近、若い人に期待する気持ちがたくさん出てきました。
感性が豊かで、すれっからしでないところがいいです。
青木新門さんではありませんが、「バトンタッチ」をうまくやっていきたいと思っています。
そのためには、さっさと身を退いたほうがいいのかもしれません。

新刊『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)では、元本の『「お葬式」の学び方』の巻頭で書いた少しだけ歳が若かったS君の死の話を後日談を加えて再録しました。
これを読んだ、S君のいちばんの友人が「読んでいて辛かった」と感想を寄せてくれましたが、今でも辛いです。
この体験がなければ、私は死や葬送を今扱っていなかったろうし、扱っていても視点がずいぶん違ったものになっただろうな、と思います。

今年の夏直前に私よりも3周り近く年少の友人が死にました。これも自分の8月、1つの原稿に取り組んだ理由の一つでした。
顔も表情も話すときの癖も、手のひらの温かさも、手触りできるように今も感じています。

きょうは午後に出かけ講演します。高齢者の多い集まりになると思うのですが、死は高齢者だけのものではない、ということをどこかで言おうと思っています。




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2009年8月22日 (土)

力を入れた原稿を書いています

やっと暑く夏らしきなったと思ったら、天気予報では「残暑」という言い方をしていました。
確かに以前は8月10日過ぎから暑さがやわらいで、海水浴も控えるという感じでした。
今年はしかし、梅雨が長く、ピンときません。
私だけの感じかもしれませんが。

8月に入って、今まで時間をかけられなかった、手間のかかる原稿を書いています。いやでも本を読みながらの作業ですが、着々書いていたつもりですが、明日中には仕上げなければいけません。
きょう午後から本腰入れてまとめに入ります。
机の上には仏教や民俗学関係の本が乱雑に積み上げられた状態で原稿を書いています。

テーマは、一口に言えば「仏教と葬儀」のことですが、仏教も葬儀も自明ではないので、特に「仏教」は門外漢なので、それなりに考えて書かなければならず、少しずつ調べながら書いています。
私の原稿の特徴は私自身の思考のプロセスを出しながら、という形が多いです。
ですから、あくまで「私の見た」という言葉が本来頭につくべきものです。

私が書いた『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)は、動きは今一つという感じがしていましたが、どうも中部・関西地区の動きの方が活発なようです。まあまあ動いている状態のようなのでホッとしています。
税込780円というお手頃価格ですので、まだの方は是非書店にてお買い求めくださると、たいへんありがたいです。
セットで『お葬式・お墓で困らない本』(本体1500円、大法輪閣)もお求めいただくとありがたいです。

自分の本だけではなく他の人が書いた本も紹介します。
高橋卓志『寺よ、変われ』(本体780円、岩波新書)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/
5月20日発売です。すでに書評も出回っています。
売れ行き好調のようです。
寺に対してこの人以上のアジテーターはいません。いい意味で、です。
私が秋にさる宗派の研修会の講師に呼ばれているのですが、青年僧がつくった案内のチラシには本書から、もっとも過激な部分が引用されていました。
「温厚」な私としては、ちょっと楽しみです。
高橋さんには「檀家700軒という恵まれた寺だから」「寺の本業をちゃんとしているのですか?」などという坊さん仲間からの嫉妬も多いらしく、本書の中ではそれへの丁寧な回答もしています。
上田紀行さんではないですが「こんな坊さんもいたんだ!」と驚かれること間違いなしです。

田島エリコ『私のお葬式』(本体780円、マイコミ新書)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%91%AC%E5%BC%8F-%E7%94%B0%E5%B3%B6-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B3/dp/4839932050

田島さんは「戦友」とでもいえる方で、雑誌『SOGI』創刊から記者兼編集者として私を支えてくれた人です。今はフリーライターに戻られましたが、今でもお手伝いいただいています。
取材力はすごいものがあります。
お葬式についてどうしようか、とか、お葬式ってどう進むのか、とか考えている消費者の方にピッタリです。
私が書くと、つい理屈っぽいものになるのですが、平易でわかりやすいです。
見本ができた段階でいただきましたが、書店にはこれから出ると思います。
買ってみてください。
恥ずかしながらも、巻末に私も田島さんのインタビューを受けて登場しています。

8月末の新潟・妙光寺の「フェスティバル安穏」は8月29日(土)に行われます。ちょうど20歳。
http://www.myoukouji.or.jp/annon/festival/fes_next.html
今から申し込んでも大丈夫だと思います。
「墓の革命」の先駆者です。
楽しいことだけではなく、悲しいこともあった20年。
理屈はともかく一度体験されるとよいと思います。
私は前日から現地に入っています。
私は、もう「長老」ですから、他のスタッフの邪魔にならないように、と思っています。

カナダの大学で仏教学の准教授をしているマーク・ロウという素敵な男がいます。
日本の大学での留学期間が長く、日本語も上手です。
彼が今日本にきていて、先日はマークの希望で前掲の高橋卓志(松本・神宮寺住職)さんを紹介したら、松本に早速行ってきたようです。そのマークも参加する予定です。
皆は愛情こめて「マーク」と言っていますが、私はもっと愛情をこめて、彼のことを「マー君」と呼んでいます。






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2009年8月 7日 (金)

夏です

今朝は朝から陽が強いです。
まさに暑中お見舞い申し上げます。
各地も梅雨明けしたとか。

今年の夏
海水浴場、ビアガーデンも人が来なく、大変だとか。
今年はどうも水の被害が多いようです。

昨日はもっとも気をゆるす二人と呑みました。
19時から24時まで、一箇所で。
落ち着いて呑める場所です。
もっとも店の主人は閑古鳥が鳴き大変だと嘆いていました。

昨日は当然のことながら車置いて行きました。
すると朝は歩いて、になりますから、暑い!
ま、単なるわがままですが。
ぐずぐずした天気が続けば文句言い、晴れれば晴れたで文句を言い、あー情けない。

昨日は広島原爆忌、9日は長崎原爆忌
辛いですね。
核兵器廃絶に向け、少しでも動くといいですが。

原爆投下は1945年8月、私は1946年1月生まれ。
約半年後の誕生です。

そして太宰の孫が選挙に出る時代になりました。

いま1968年頃について書かれた本が出ていますが、歴史の検証の対象になったということでしょうか。
読むと、当然ながら検証される側に自分を置いて読むことになるので、落ち着きません。嫌ですね。

暑さ厳しい折り、ご自愛ください。

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2009年8月 1日 (土)

ご報告 中日新聞、東京新聞

うっかりしていましたが、8月1日朝刊
中日新聞、東京新聞の「心のページ」に

葬送の行方上
「映画『おくりびと』のヒットが意味するもの」

というタイトルの署名記事を書いています。

よろしかったらお読みください。

次週に

葬送の行方下
「死生観が共有されない時代に」(仮)

が掲載される予定です。

本日は思い切って理髪店に行ってきました。

追記
2007年2月以来、62回連載させていただいた日経BP「セカンドステージ」が終わることになりました。私の連載最終分がアップされました。
ありがたいことに末尾に私の本2冊の広告を載せてくれています。
最初12回分は構成を考えて書いたのですが、延長になり、それからは毎回何を書こうかと頭を悩ませました。
でも、結構な反応があり、こちらも勉強になりました。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html

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2009年7月 5日 (日)

葬送の変化から20歳

昨日ときょうは前ほどの蒸し暑さから解放されていますが、歩いていると汗がジワーッという感じ、まさしく梅雨です。

新潟の妙光寺(日蓮宗、住職・小川英爾さん)が毎夏行っている「フェスティバル安穏」の案内パンフレットができました。

今年は安穏廟ができて「満20年」です。
そこでテーマは「フェスティバル安穏“20歳”」
8月29日(土)13時から新潟市(市町村合併で西蒲原郡巻町から変わりました)西蒲区角田浜妙光寺で行われます。

第1部 語り合い 13:10~13:55
  昨年好評につき、檀信徒、安穏会員の方などで安穏廟へのそれぞれの想いなどの「シャベリ場」。一人ひとりの人生を感じさせてくれて好評だったので、今年も。私がコーディネイトします。

第2部 「生きているということ~映画と歌とともに~」14:10~16:00
 ゲストはフォークソングとしてはもはや大御所の小室等さんと的確な映画解説で知られる、おすぎさん
 という豪華ゲスト。
 松本・神宮寺の髙橋住職から紹介を得て実現しました。

第3部 安穏法会 16:40~18:10
 メインイベントです。昨年雨で本堂でやったところ好評だったため、本堂での法要の後、皆で移動して安穏の広場での法要と贅沢な構成となっています。

第4部 交流パーティ 18:40~20:20
 本堂前の院庭を会場にお祭気分で。名物「安穏甚句」は檀信徒のバンドに皆参加しての踊り。さらに今回は僧侶とコックの異色ユニット「しんが」が加わります。

参加費  1人1,000円、交流パーティに参加される場合は3,000円

申込 8月22日〆切 ファックス0256-77-2163
    インターネット http://www.myoukouji.or.jp/

問い合わせ 〒953-0011新潟市西蒲区角田浜1056 角田山妙光寺
         電話 0256-77-2025

以上、紹介でした。
私はスタッフとして前日から日曜日まで妙光寺にいます。いまや年寄りにつき皆の邪魔にならないよう、「安穏Tシャツ」を着て参加しています。当日は住職の小川さん、エンディングセンター代表の井上治代さん、そして私の本の即売会もします。

跡継ぎを必要としない永代供養墓の先駆けとなった安穏廟ができたのは89年、91年には葬送の自由をすすめる会による自然葬(散骨)、99年には岩手県一関市で樹木葬墓地が誕生
大雑把に言えば90年代は「お墓の革命」ともいうべき大きな変化が起こった時期です。
葬儀の方も90年始めには祭壇の生花が白菊から多彩な洋花も使うようになり、90年代は斎場(葬儀会館)建設ラッシュと葬儀の自宅離れが進行。95年頃から「家族葬」が市民権を得るなど葬儀の「個人化」が大きく進行しました。
檀家制度も弱まり、07年には仏教葬儀が初めて9割を下回るという仏教界には大きな危機感を与える事態となりました。

永代供養墓も単身者や子どものいない人が「お墓に入れないのか?」という素朴な疑問から始まり、喪家の家族(特に女性)が「他人に家に入られ、遺族であるにもかかわらず働かされて弔いができない」と葬儀の自宅離れが進み、自然志向、自然再生の動きが墓にも影響して自然葬(散骨)、樹木葬、桜葬が生まれ…とこの間の動きは一見業者主導型と見えるが実は消費者が動かしたものでした。

私が最初に自分の名だけで本を書いたのは、変化の真っ最中である94年に出した『「お葬式」の学び方』(講談社)でした。今回講談社から文庫化のお話をいただき、さすが15年前のものをそのまま出すわけにはいかないと、ほぼ4分の3を新しい原稿に、残ったものも大幅に手を加え、おそらく7月21日(火)あたりから市場に出ます。

タイトルは『「お葬式」はなぜするの?』講談社α文庫から出ます。

2000年頃から流行している「直葬(ちょくそう)」を最初に社会化した者として批判を浴びている私ですが、その問にまっこうから答えようとするものです。

愛着ある最初に出した本を全面的に改稿して、現段階の変化の最新の分析をして世に問おうとするものです。

と、いささか大げさになりましたが、思い入れたっぷりな本になりました。7月21日以降、お求めいただき、お読みいただいたうえで、忌憚なき批判をたまわれば幸いです。
昨日の夜に最後の編集者からの問い合わせに答え、すっかり私の手を離れました。

私も「死」「葬送」の世界に手を染めて10月で満20歳。
とりかかったのは44歳、現在63歳。
実は2003年に大東出版社さんから『死に方を忘れた日本人』を出したのが「遺言」のつもりでしたが、改めて第2の遺言になります。
併せてお読みいただければ幸いです。

私はスーツにネクタイというのが、どうも息苦しく、できれば避けたいのですが、先月、今月は嫌いなスーツとネクタイで出る機会が多くなるのが憂鬱です。
出かける予定がないきょうなどはTシャツにジーパン、ペラペラのジャケット姿です。
この日常の姿で出られるのがフェスティバル安穏のよさです。


 

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2009年6月23日 (火)

蒸す

梅雨ですから「蒸す」のはあたりまえですが、このジトジト感は不快です。
このところ頭には冷却シートを貼り続けです。
これは癖になり、貼らないと落ち着かない、困ったものです。
コンビニで見つけて貼り、薬局に行ったら安いパックがありました。でも清涼感、持続力はコンビニの勝ちです。

このところ1日根つめて仕事をすると2~3日身体が使いものになりません。こういうところに「老い」を感じます。
やっていると「お!この調子だと朝までやれる」と感じるのですが、また、眠眠打破を数本飲みながらですが、もつのですが、後がいけません。

葬祭の現場では感性豊かな若者が増えるというプラスの現象と、まったく相反する乱暴な葬儀営業が目につきます。
葬儀を単なるビジネスの一つとして見て、それを当然とする人たちです。
彼らは葬儀業界を「遅れている」というのですが、どうも批判の観点を取り違えているようなのです。
「儲かる」だけでしたら他にもいろいろな業種があるのですから、そちらでおやりください、と言いたくなるのです。
彼らから言わせると、葬儀業界は遅れているので、簡単に勝てるというのです。
確かに業界はいい企業が伸びるわけではなく、なんでこんな乱暴な企業が伸びるの?という不思議に満ちています。

死に関わり、死者に係わり、死別の悲嘆であるグリーフを抱えた遺族に係わるという本質を理解しようとしていない。

斎場(会館)があり、舞台一杯に飾る生花祭壇があり、リムジンの洋型霊柩車があればいいと思っているのです。人は葬儀社、互助会から取ればいい、自分にノウハウなくてもやれる、と思っているのです。
そういう奴ほど安っぽい「感動」を押し付けているのです。

現金を振り回し、口先ではもっともらしいことを言い、跋扈するんですからいやになります。
消費者もそんな輩に簡単に騙されちまうのです。

その中でまっとうな人がいるということに感激するし、共感を感じます。(考えたら、お金持ちでない人に多い!)

葬儀業界について取材したいという依頼があり、企画書に「ディープな業界事情を」とあったものですから、
「取材に対してはできるだけオープンに応じることにしているが、偏見がある場合にはお断りする」
と断ってしまいました。

「おくりびと」効果にはいいものだけがあるわけではありません。

「死亡者数も増えるし、これからの葬儀業は儲かる。零細企業も多いし」と、他業種の大手企業が目をつけ始めています。
その連中は葬儀の何たるかも理解していないのだから困ります。

物販業ではないのに、見積書にはモノの値段だけが並ぶ不思議。
消費者が賢くなったとはいえ、「サービス」には金を払おうとしないものなのだから、こうしたおかしな価格構成がまかりとおっているのです。
業者だけが悪いのではないのです。
しかし、業に携わる人が変えていかないと「不透明」という謗(そし)りは払拭できないでしょう。
「不透明」なのではなく、表示方法の拙(まず)さなのに。

きょうは晴れて、暑いのですが、ジワっとした不快感があります。
感性が鋭く、しかも勉強熱心な若者が多く集まるようにはなっています。それはとてもうれしいことです。
しかし、商売はうまいのでしょうが、きちんとした哲学をもつ経営者が多くないように思います。
これからますますそうなるような気がして憂鬱なのです。



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2009年6月11日 (木)

ちょっと一段落

いま原稿をメールで送って一段落です。
このところいくつもの原稿が重なり、おまけに地方に出かける機会も多く、アップアップで、ついブログの更新を怠ってきました。

94年に出した本の文庫版ということで、修正を開始したら、今の時点とはあまりに違い、修正というよりもほとんどが新規に書いたり、もう無茶苦茶です。
葬儀の変化が95年前後ですから、その変わり目に書いたもので、自分なりに愛着がある本ですが、15年はさすが変化が激しく、書き直しを余儀なくされました。

ずいぶん変わったものだ、と思います。
いい変化ももちろんあるのですが、これはおかしいぞ、というのもけっこうあります。

「葬儀・告別式」がなくなって「通夜・告別式」と言ったほうが適当になり、「直葬(ちょくそう)」が増えたり、関西では「香典辞退」が増えたり、「自宅葬」が風前の灯であるだけではなく、遺体の自宅への搬送・安置が少なくなったり、葬祭文化を無視した儲けだけを考えた新規参入組が増えたり、etc.

最近、腹を立ててるのは、首都圏での出棺前の初七日
犯人は葬儀社か遺族か僧侶か、と言っているうちに一部の葬儀社は標準コースにしてしまっている!
何たる見識のなさか。
こんなのはやらないほうがまし、と僧侶は一致して異議を唱えるべきだと思う。
「やるだけまし」では断じてない。

「家族葬」の実態は「安い、簡単な葬儀」の意味になっているのが7割くらいか?

「一応お葬式はしましたよ」といういい訳になっている。

何にもしないでよいから、家族だけで遺体を囲んで、ずっと2日間でも過ごしてみたら。
きっと、そのほうが意味があるに違いない。
外から鍵かけて閉じ込める。

手製の会葬礼状以外は認めない、とか。

死者と係らずに済むようになっている。

斎場(葬儀会館)のロビーでコーヒーの無料サービス?
葬儀は少しくらい不自由な方がいい。快適だと何のためにここにいるかも考えなくさせちまう。

年寄りは子ども世代に「迷惑をかけたくない」なんて考える必要ない。
今の孫ども祖父母の葬儀で香典を出すどころか、交通費に日当まで祖父母の葬儀用貯金からもらっている。


一段落、なんて書くと怒る人もいるはずだ。
「まだ、こっちには来ていない!」と。

6月、7月はそうでなくとも忙しいのに、自分で自分の首を絞めているみたいだ。
今のところ、ここ少しはウツも大人しくしてくれているから楽だ。

そういうわけで生きています。

現状報告まで。

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2009年5月14日 (木)

くじら幕

「くじら幕」の説明をしようというのではない。
これは本のタイトルである。
正式名称は

木塚たかし著『くじら幕―葬儀屋さんが見たもの』(近代文芸社刊)
http://books.livedoor.com/item/3245503
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9984404781
http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32232654.html

葬儀に従事している人の本はある。
だが、結構あやうい本が多いのも事実だ。
この出版社も危うい扱いをしているのが、本に巻かれた帯に
「現役最前線の葬儀屋が語る、その内幕」
とあることでわかる。

だが、この本はいい本である。

率直に葬儀の現場にいる人の、まっとうな視線で描かれている。

小見出しのタイトルには編集者の小ざかしさが出ているが、著者の眼はまっとうである。
終章の「父の死。そして喪主として」
には家族の死と家族がその死に出会うということがどういうことか、が素直に描かれている。
私もこれを読みながら「父の死」の情景がまざまざと浮かんできた。

きょうはこの本を紹介する。

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2009年5月 9日 (土)

歳をとったら怒りやすくなった

きょうは久しぶりに晴れた。
昨日までの降っているのか止んでいるのかはっきりせい!といったぐずぐずぶりが一掃された。

きょうは健康診断。
昨夜は夜9時までに食事を済ませよとのことで、8時半に帰宅。
眠剤飲んで早く寝たら、朝5時半に起きた。
6時半からのテレビ体操をして、といっても9時から、それもすぐ近くの2年前に入院した病院だから、飯もコーヒーも飲めないとすることがない。7時から30~40分また寝た。

検診の結果はまだ出ないが、メタボと肝臓の値で飲酒を控えるように書かれるだろう。
ということで、医師の診断では自分から言っておいた。

このところ、すぐ腹を立てているような気がする。
客観的には怒るまでのないことかもしれないが、なぜか「許せん!」と偉そうな(自己嫌悪!)腹立ちようなのだ。
きっと老化のせいだろう、と迷惑被害者には思ってもらうしかない。
おそらく老化は事実だろう。

最近腹立たしいのは「マーケティング」
何かこれだけで全てを切り取って、状況を謙虚に理解しようとしないやから。
そいつらが謙虚に学ぼうという姿勢があればいいが、「教えてやろう」みたいな面をされりゃ、腹が立つ。

ほかの人がブログで批判していたが、
http://funeralservice.livedoor.biz/archives/404043.html

同感なのは
窪田順生『死体の経済学』(小学館新書)という本の酷さ。
素人はこれで何か知ったつもりになるかもしれないが、内容にも信頼性がなく、葬祭業への差別意識と偏見に満ち満ちた、低俗という言葉がぴったりの本だ。
人間が低俗でないと、ここまで酷い本は書けない。卑しいのだ。
けっしてこの本から事実らしいという引用をしないこと。学生さん方は要注意だ。免疫も知識もないから。
こんなくだらない本を1冊出すと、あたかも専門家のような面をして雑誌でコメントしている。
私も小学館から本を出しているが、これは小学館だって品性も出版社としての良識が問われる。こっちも恥ずかしくなる。
出てすぐ読んで、腹を立てて隅っこに放り投げていたのだが、他の人がブログで的確に批判していたものだから、やっぱり酷いものは酷いということを言っておこうと思った。

低劣なものに腹を立てると、こっちまで低俗な文章になってしまうが、己は元々低劣、だが正義面だけはすまいと思っている。

どうもいろいろ仕事が先に進まず、皆さんに迷惑をかけているストレスの吐き出しの感があるが。
読み飛ばしてくだされ。

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2009年2月27日 (金)

新刊のお知らせ

昼頃、雨がみぞれになり、そして雪になった。
といってもすぐに雨に戻り、雪の影もない。
東京では雪が舞ったのは今冬2度目であろう。
積もる雪はまだない。

24日このブログのアクセス数を見て驚いた。
23、24の連日、いつもとは明らかに違うアクセス数。

その理由は映画「おくりびと」がアカデミー賞を獲得したこと。
それに合わせて青木新門さんの『納棺夫日記』(文春文庫、桂書房)が原作であることが公表されたためであった。
私が9月28日、「『おくりびと』と青木新門さん」と題して書いた記事が検索に引っかかったようだ。
http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2008/09/index.html

そういえば日経BPのセカンドステージでも第44回に「死後の処置―「おくりびと」の世界」を書いている。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony_081107_4.html

青木さんも急に忙しくなったようだ。
私より10歳上であるから、とりあえず「お体に気をつけてください」と電話で伝えた。
青木新門さん自身が映画「おくりびと」について書いたのは
http://www.sogi.co.jp/sub/sinmon/aoki01.htm
である。


私の方は、バタバタした生活は相変わらず。醜態もあいかわらず。
昨夜は薬を飲んだ後に息子と「差別」について論じあって大声を出す。
ここまではいいのだが、薬が効いた後、台所ですっころんで壁紙を頭で破ったようだ。
「ようだ」というのは私の記憶にはまるで残っていないのだ。
息子はえらい心配していたらしいが、私には痛みもなにもない。

昨日は姫路に行った。といっても日帰り。
その証拠に街で、新幹線のホームでかすかに姫路城が見えたので携帯のカメラで撮ったが、道路の先、あるいはビルとビルの間にあるはずの姫路城がかすんでいる。というより見えないだろう。(下)

きょう新刊が出た。
『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣刊、本体1500円)
http://www.daihorin-kaku.com/
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名前からわかるように平易に読める本には仕上がったと思う。全て編集に携わった誠実なSさんのおかげ。
本はできたが発売は3月10日。

平易ではあるが、いわゆる固定観念とは無縁の本。
ちょっと読んで薀蓄自慢するもよし。
小社のホームページのトップ下の本の紹介からも注文できる。
http://www.sogi.co.jp/
3月を待って書店で買ってくれるのもうれしい。
このブログの読者からの口コミで拡がってくれたらうれしい。
ネット書店(アマゾン等)ではまだ扱ってはいない。3月10日以降になれば注文できるだろう。

自分の本の紹介はしにくいものだ。1500円以上の価値はあると思うのだが。
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2009年1月 1日 (木)

暖かな元旦、暗い予感

新年あけましておめでとうございます。

きょうの東京、よく晴れて、風はあるものの、日差しもあり、いい天気です。

年賀状をまだ書いておらず、失礼しています。
週末には書こうかと思っておりますので、ご寛恕たまわりたく、お願い申し上げます。

今年の長野・松本・神宮寺住職である高橋卓志さんから年賀状代わりにいただいたのは分厚い封筒に入った本。
高橋卓志『奔僧記』(本体1600円、信濃毎日新聞社刊)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4784070974.html

信濃毎日新聞のタウン誌のコラム10年分!
読み応えがある。
寺や僧侶に期待する人しない人、寺や僧侶を非難する人そうでない人、僧侶である人そうでない人、世の中なんか変だなと思っている人そうでない人、ターミナルケアに関心のある人そうでない人、ボランティアに関心のある人そうでない人、誰でもいい、読んでみることをお勧めする。

といって私はまだ読み終えていない。10年かかって書いたもの、パッパと読んだら失礼である。
高橋さんも「1日2ページ読めば120日もつ」と言っている。コラムだから関心のあるところからチョコチョコ読むことができる。
何か○チャンネルで「松本のラスプーチン」とやられたとか。
この人、簡単に骨のあることを書く。

きょうは私の書き始めである。
ブログもそうだが、原稿の。

私が前に「今年(2008年)中に本を出す」と書いていたことを記憶している方があるかもしれない。
「どうせアイツのことだから当てにならない」と思っていた人は正解だった。2008年には出なかった。
しかし、だが、遅れたことは事実だが、おそらく(あまり自信はないが)、3月くらいにはほんとうに出そうだ。
私は怠け、編集者が奮闘してくれている。いま再校中。
編集者が同じ岩手県出身。彼にはほんとうに迷惑を書けている。

日経BPのネット連載「セカンドステージ冠婚葬祭」は2007年2月9日に始まり月2回アップしている。
結構読まれているらしく、きょうのところはランキング1位。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html

2009年もネタ切れにならなければ書く予定。
47回となった。自分でもよく書いたと思う。
48回目からQ&A形式にする。質問があれば寄せてくれれば、そしてこちらに回答能力があれば、書かせていただく。
小誌のホームページ
http://www.sogi.co.jp/
の目次の「ご意見をお待ちしています」をクリックしていただくとメール記入ページになっている。

昨夜紅白を観ていたらメッセージ性の強い歌が多いのに気づく。そういう歌が多いのか、演出の意図でそうなったのか?
話題の森山直太郎「生きてることが辛いなら」
http://www.naotaro.com/special/ikite_ly.asp
ここまで歌えるようになったというのは感慨深い。
ただ、もっとあがく歌詞でもいいな、と思ったが、それでは紛糾するだろう。このくらいでも結構問題になったらしいから。

生き辛い世の中で、昨日の紅白では「がんばれ、がんばれ」のメッセージが溢れていた。
しかし、予感するに、今年はもっと悪くなりそうだ。
情況という奴の話だが。








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2008年12月20日 (土)

師走に走る

12月に入ると地方でも東京でもクリスマス用の電飾があちこちと見られるが、いま一つ華やぎが感じられないのは若者の嬌声が聞こえないからだろうか。
「不況」という文字が、こんなにも早く生活レベルまで浸透するのは久しぶりのような気がする。

20年前に天皇が危篤になり死去したときの自粛ムードのような感じだ。

次男が就職活動をしたのは空白の10年のとき、その後活況を呈し、団塊世代の定年でその後を埋めるというので企業は新卒を獲ろうと求職活動に積極的だったのがおよそ半年で変化。
内定取り消し続出、非正規雇用が、これが「安全弁」であったとばかりにどんどん切られている。
柔軟な体制、働き方の自由とは、不況になると簡単に切ることができる体制のことかと思う。

「契約社員」とは「契約」に基づいている関係なのに、こんなに簡単に契約が破棄されていいものなのだろうか。

かつて社員に辞めてもらった厳しい体験がある。
辞めるほうには次の仕事への不安があるだろう。また、残るほうも、罪悪感、割り切れない後悔が残る。見通しの見えない手探り状態で、精神的に、きつく、耐えることができなかった。それが欝状態の最も厳しい状態での判断だったから、すっかり参ったものである。いまだに出口が見えずにいろいろと迷惑をかけているのだが。

年末というのは原稿では焦るものだが、今年はギリギリまでいくつか会合があり、忙(せわ)しない。
それぞれ厄介な問題を抱えており、年内に方向を出そうというものばかりだ。
会合には出るばかりではなく、準備もある。

きょうは比較的にいい天気だ。
私には九州に姉がいて、ブログもしており、最近写真に凝っている。どんどん腕を上げている。
そちらに対抗することなく、敢えて私は携帯で撮った写真を掲載している。

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2008年12月15日 (月)

欝もちもいいものです

きょうは1年に1回授業をする学校へ行ってきた。
レジメはここ3年変わらない。一部を最新のデータに入れ替えるだけ。
「無精者」と言われるかもしれないが、これでも生涯で後はほとんど会う機会のない人たちに、私が90分時間を与えられたとするなら言うべき内容は極めて制限される。
それなりに自分としては精選した内容のつもりだ。

それでも実態は毎年話すことが微妙に違う。
話す相手が違うし、私がいま置かれている立場も異なる。
だから同じ話にはならない。

帰りに2つ下の古い友人と駅まで一緒に帰った。
途中、私の「欝」に話が及んだ。
「ま、ボチボチ。治るということを考えないからいいんじゃないのかな」
と、僕は答えた。
薬は飲み続け、まるで薬中だが、これが普通と考えれば別に悪かない。
ときどきはっきりと自分の状態が悪いことがわかる。そうなるとどうにもできないが、そういう状態にある、ということがわかるというのは狎れてきたのだ。

講演でも、ときどき自分の病気を告白してしまうことがあるが、そうした後には必ずのように、
「実は私も…」
「私の妹が…」
と話しかけてくる人がいる。
人によれば、この病も「流行」だというが、少なくないことは確かだ。

昔、若い頃、会社の同僚がこの病にかかり、医者に行くことを勧めたが、親も含めて、頑として行かなかった。
「キチガイ扱いをするのか!」と怒鳴られたこともある。
いまはさすがに少なくなったが、まだいる。
身体に病気があるように心に病気があってもおかしくない。

「胆石で」と言うのと、「ウツで」と言うのとどこが違うというのだ。
胆石が傷むように、心もときどき傷むだけの話ではないか。

もちろん胆石の人間が傷みで仕事に出ていけないように、ウツ持ちである私は原稿をちっとも書けなくなることがある。

どうもこの病気、他人様には「怠け病」に見えるらしいので、また、自分自身もその境界があんまり明らかではないので、困るが。

だから不眠とか、閉じこもってしまいがちなときは、「行こう病院へ」と言いたい。
導眠剤を飲んで眠ることができたときの感激は忘れることができない。

ほんとうは、こんな話を書くつもりはなく、「編集者」について書こうとさっきまでは思っていた。

つまり、どういうことかと言うと、
書いた人間は自分の文章がおかしいことがわからない、
ということだ。

私の書いた文章がもともとそんなに上等でないことは認めるが、自分が何度読んでもおかしさがわからないことが、編集者には見える、ということを言いたいのだ。

自分が考えることと書くことは微妙に食い違っており、自分の回路では繋がっていることが、第三者には違和感が違和感としてわかるのだ。それだけ、書きなぐっていることを証明しているのかもしれないが、私は編集者のいない著作というものを信じない、というか、編集者に見てもらえるのがいい。

私も他人の文章を編集者として読むことがあるが、やはりその人はこう言いたいのだろうが、この表現よりは…
と思って朱を入れる(実際はクロエンピツなのだが)ことが少なくない。これは書くものの宿命みたいなものだ、と悪筆家は思うのだ。

引越し先にもようやく馴染んできた。まだ、どこに入れたかわからないで困るものがあるが。

最近、また発見したことは、まだ徹夜に近いことができる、ということ。ほんとうはそれだけ追い込まれたということなのだが、やればできる、ということだ。
忙しい、というのは一種の快感でもある、と昔よく感じたことをまた一寸感じた。
かつて徹夜をして、夜が明けて、そして仕事が仕上がると、外に出て深呼吸すると、何とも言い難い「いい気分」になったものだ。
「清々しい」とは、こういう気分を言うのではないか、と確信したものだった。
老いてその気分を忘れかけたが、あのときの「いい気分」をまた思い出したりしている。








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2008年12月 9日 (火)

大宮から見た富士

6、7日と福島県郡山市へ
昨年も今頃行き、初雪を体験した。
「今年も」と期待したが、そんな雰囲気はなし。
しかし、しかし、22時半頃、素敵なバーを出て上を見ると、微かに雪が舞っていた。

この日、導眠剤を忘れたため、布団に入ってもうつらうつら。
車を走らせていた夢で、音楽が響くところがあり、小学校の運動会か、と思うのだが、どこまで走ってもその音楽がついてくるのだ。
BGMの音が夢に入り込んでいたのだ。

翌7日、早く目覚めたので、ホテルから夜明けを撮る。
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新幹線で郡山と東京の間は1時間半弱。
大宮近くに来たら驚いた。
右側に富士山が大きく見えるのだ。
この写真は撮らなかったが、ほんとうに大きく見えた。

翌8日は大阪へ。
話す資料をたくさん事前に送っておいたのがいけなかった。
約3時間半(途中15分休んで)、一つの資料中心に時間を遣い、後の資料は簡単な説明のみ。

途中座って話すよう勧められたが、立って話すほうが話しやすいので、最後まで立ったまま話した。
見ると若干1名、眠気と闘っていた様子だったが、他は真面目に聴いてくれていた。
どうもこのところ、話がどんどん広がっていくことが多い。これも老化のせいか?

きょう9日帰京。
6日不足した睡眠を取り戻すかのように、新幹線でも爆睡。

6日、郡山行きで初めてコートの袖を通したが、それから放せなくなった。今朝の大阪も寒かった。
もちろん、東京でも普通にコートを着ている。
寒さが本格化するのだろうか?

例年、冬になると死亡する人が多い。
統計的に見事に冬多夏少である。
いまは室内はエアコンもきいているのに、と思うのだが。

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2008年11月11日 (火)

「小梅姐さん」で時代と人生を考える

昨夜、東中野のポレポレで「小梅姐さん」を観ました。
http://www.koumenehsan.com/100nen/

私より40歳以上の歳の差、ですから戦争をまともに体験した世代です。私の死んだ父より5歳上。
福岡県田川の川崎町生まれ、芸者で民謡、歌謡曲の歌手。歌手デビューは1931年のこと。戦地慰問を戦中は行い、戦後のNHK紅白歌合戦連続出場し、1992年に千葉県にて85歳にて死去。
この歌手の生涯を描いたドキュメンタリー。

この映画を観て、時代と人生がクロスして生きる様を感じた。
戦前の部分には私が直接知らない時代の空気を教えられ(昼間の部を観た家人は「記念写真が家族の記念写真の撮り方と一緒」と言っていた)、戦中には芸能人がどう時代に使われ、そこには動員された兵士たちと共感があったこと。戦後のことでは赤児を背負う母親を観ると背負われた子と私が同世代であると思ったり、「この年は自分は8歳だった」などと自分を重ねて観ていた。小梅さんは多くの人の人生をクロスさせる鑑のようなものであるようだった。
この映画がいいのは人気スターの単なる回顧になっていない点だと思う。その時代の空気を同じ目線で伝えたことにある。

その後、学生時代に同じ世界を生き、その後は別々に歩んだ者10名くらいが一緒に呑んで話をした。
死んだ者のいること、特に自死した者がいることを忘れてはいけないし、それは共通する想いだったろう。
私だけが火葬に立ち会った、孤独死だったK君のことを報告した。
大道芸をする者、牧師をする者、農業に従事する者、とそれぞれの人生があった。

懐かしさ、後悔、慙愧、…さまざまな感情に揺れた2時間半であった。
終わった後の路上でOさんに紙芝居伝統芸を披露してもらった。

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2008年11月 7日 (金)

何気なく立ち寄って求めた本

日一日と秋は深まっています。
このところ怒ったり、宥めたり、苦吟したり、と落ち着かない日々を送っている感じです。

自分が「書く」立場にいて倫理としているのは、他人を不当に貶めてはならない、ということです。
そこで自分の眼をあっちに置いたり、こっちに置いたり、俯瞰したり、接近したり、裏に回ったりするのです。
それだけで疲労して書く出口見いだせないことも少なくありません。

具体的なことは省きます。
「紙は凶器にもなる」ということをいまさらながら体験させられました。
悪意から出発したものは、いくらそうでないと思っても悪意の補完でしかなく、人を充分に傷つけるものである、ということです。
書き手の自由はありますが、書くことが暴力にもなるということを自覚しなければならない、といまさながら思うのです。

さて、私は濫読者です。
私の部屋が乱雑になったので、読み終えた本を売り払おうと思っています。いままで2度売り払ったので今度で3回目、ネットで予約をしました。
本屋を覗き、おもしろそうだなと思うと手が出て、数ページ読んで自分の感覚に合うな、と感じたらレジ行きになります。
そうした本でも戻って読んでみると「失敗した」と買ったことを後悔することが実に多いのです。

そんな私が本屋で手にし、ぶるぶると震え、一気に読み上げたのは今月11月発売の新刊
立花れん『小鳥か私』(ポプラ社)、440ページを超える大作。
心が震える…というのはこういうことでしょう。

ネットで「立花れん」を探しても、この本とストリッパーである別人しか情報がありません。

もしかしたら、私は新しい作家の誕生にめぐり合ったのではないか、という予感。

私も若い時、密かに小説の世界に憧れていました。詩も書き、表現を追い求めたものです。いまや面影すらありませんが。
こんなことを白状するのもこそばゆいことですが。
いまでも隠れて、ほんの小品とも言えないものを書きますが、それは隠れてするから楽しいのであって、作品としては駄作です。
でも表現の世界というのはどんなものであっても嘘を書けません。事実かどうかではないのです。自分の想いを裏切れないのです。

さて文章としては下手な
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html

葬儀の挨拶、またトップ。
人に読んでいただくことは単純に嬉しいことです。
私は「大切なことはマナーなどではない」
と主張しているのですが、皆さんはこういうことに関心があるのだな、とランクを見て教えられます。
今回新しくアップしたのは「死後の処置―『おくりびと』の世界」
いかにも映画のヒットに便乗したようなテーマです(>o<")

年末にかけて慌しい日々が続くことが予想されます。
そんなとき、結婚式の写真をはがきにして送っていただくと、ホッとします。

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2008年10月30日 (木)

秋を感じて

最初にご案内
ホームページを更新している。
http://www.sogi.co.jp/
この中に「変わりつつある葬儀の課題」を書いている(「評論」)。
いまの全体像を知っていただくにはいいだろう。少し長いが読んでいただければうれしい。
また、日経BP連載も2週に1回のペースで書いている。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html

昔の友人が映画の券をもってきた。
かつて赤坂小梅という芸者歌手がいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9D%82%E5%B0%8F%E6%A2%85
この赤坂小梅について地元福岡県田川市川崎町の人たちがドキュメンタリを制作した。
「小梅姐さん」http://www.koumenehsan.com/100nen/
これの実行委員会の事務局にかつての仲間がいてそれが私にも回ってきた。
11月8日(土)~28日(金)までポレポレ東中野で
自主制作、思ったよりかかったようだ。
実際に足を運んでくれる人を求めている。
私の昔の仲間も10日紙芝居師として登場するとのこと。
私は学生時代、石炭の時代が終わり閉山炭住となった筑豊に休みの度に出かけたことがある。田川にはよく行った。

ぐんと涼しくなった。
山の冠雪、北海道での雪のニュースも耳にする。
秋が深まり、冬が近づいてくる。

日曜日、月曜日と再び岩手県一関市行き。
今度は中学卒業48年目の同窓会。
中途半端な年になったのは、最近死んでいく同級生が増えたため。
今回参加者には3名のがん患者がいた。
人生80年と言われるが、それはあくまで平均の話。
実態として私の同年62~63歳で既に少しずつ歯こぼれするように死んでいっている。

定年で年金生活になっている者、定年後に再就職したが、それも今度の3月までと話す者
欝を患っているのも私だけではない。
孫のいる者もいるがいない者も同じくらいいる。
この歳まで独身の者もいる。
国際結婚した者もいるし、子どもが国際結婚した者もいる。

会には250人中、参加できたのは80名弱。
2次会には40名くらい行っただろうか。
3次会はぴたり14名。

卒業以来48年ぶりで会う者もいる。すっかり変わってわからない者もいる。その一方、しばらく話しているうちに顔の中心からおぼろげに子ども時代の顔が浮かび上がってくる者もいる。そのまま歳を重ねただけの童顔もいる。

幸せそうな顔しているが、倒産、一家離散を経験した者もいるなど、一様ではない暮らしを抱えている。

子ども時代、私たちは一様に貧しかった。だが、それ故の不満はなかった。皆が同じように貧乏だったから不満を感じることがない。
男の子にはチャンバラが人気であった。自分で木を切ることで遊び道具となるからだ。
チャンバラを通じて、どこまでが危険か、そうでないかの境界を勉強した。それは自ずと、文章化されないがルールであった。
走りが得意な者、編み物が得意な者、スケートが巧い者、人を笑わす者、勉強ができる者、喧嘩が強い者、詩作に秀でた者、さまざまな基準があって、それぞれがその分野ではヒーローだった。

日教組が諸悪の根源みたいに言った大臣や知事がいたが、私たちの時代は、岩手県教組(ガンキョウソ)が強い時であった。
いまの人には信じられないだろうが、クラス会、学級会が「児童自治会」と呼ばれ、子どもが自分たちの意思でカリキュラム以外を動かしていた。私はいろいろなことをこの時期に身に着けた。
教師は危険等の問題が出ないかぎり子どもの意思を尊重した。子どもが主役の時代に僕たちは育った。
教師とは親しく、小学時代の担任の家にはよく自転車を連ねて遊びに行ったし、中学ではバスケットボールの練習終了後には職員室に行き、当直の教師と遅くまで話していたりした。

考えてみれば小学入学が敗戦後6年。まさに戦後の貧しさと純粋な戦後民主主義教育のただなかであったわけだ。
この教育環境はいまでは得られるものではない。しかし、その中で育ったことを私は誇りをもっている。

もういっそう秋は深まっているだろうが、一関で撮った秋の風景を紹介しておこう。
街は他と同様に活気を欠いているが、いなかにはまだこうした美しさ、自然の豊かさがある。

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2008年10月24日 (金)

難波は歌舞伎町より猥雑だった

2泊3日で大阪へ行ってきた。
遊びではなく所用である。

泊めていただいたのは普段はビジネスホテル程度が多い私には身分不相応なホテル、前に九州でスイートルームなるものに泊めていただいたがそれ以来の豪華なホテル。
気持ちが落ち着かない。
昼に簡単に腹を満たそうと思ったら、最低が2500円のサンドイッチ。ホテル外に出れば安い店はあるのだが、時間がなく、泣く泣くそのサンドイッチを食した。

2日目、私の出番前に青木新門さんが「いのちのバトンタッチ―『おくりびと』と『納棺夫日記』―」と題して講演。
皆さん熱心に聴いておられた。
私が尊敬するYさんは、映画「おくりびと」を2回観て、そのたびに涙を流したと言っていたが、新門さんの話にも大感激。

Yさんは70代前半で新門さんとは同世代。
世間の冷酷な偏見を身をもって受けた人々である。
この世代の人たちには人間的に尊敬できる人が多い。
子ども時代を戦時におくり、敗戦後に教科書の黒塗りをさせられ、教師すら慣れない民主主義教育を教えられて価値観の変更を強いられ、そして戦後を生きてきた。
特に高度経済成長期は死にまつわることへの偏見が強かった。

2日間所用が終了後、街に出た。出たといっても地元の人に連れられであったから、どこに行ったのかわからない。

ミナミであることはわかったが、途中路上に客引きが溢れ、店のキャッチコピーにも笑えるものが多い。
このけばけばしさ、猥雑さは、新宿歌舞伎町がすでに失ったものである。
大阪は不景気だと聞いていたが、この賑やかさは必死に抗っていることの結果なのだろうか。

もっとも入ったのはその道から少し入ったところにある、落ち着いた素敵な店である。
こうした店と猥雑な店が同居しているのもおもしろい。

私は街の喧騒、猥雑さは嫌いではない。
学生のとき、行き詰ると歌舞伎町を彷徨い歩いたものである。

先日、場所は東京五反田だが、道を歩いていると黒服で固めた男女5人くらいが信号待ちしていた。
「塩が入っているよな。もって帰らないとかみさんに家に入れてもらえない」
などと言っている。
葬式帰りの40代とおぼしきサラリーマン。
いまだに死穢(しえ)意識が当然のようにはびこっていると知ったのは驚きであった。
あー、未来は暗い。

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2008年10月19日 (日)

樹木葬10周年で一関へ

昨日(10月18日)は岩手県一関へ行く。

樹木葬が最初に始まったのがここ一関だ。
祥雲寺(臨済宗妙心寺派、旧一関藩主田村家菩提寺)の千坂住職が始めた。いまは樹木葬墓地のほうは別院知勝院となっている。
入口の看板
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樹木葬は1999年の秋に始まった。
人手を失い荒廃していた里山を買い取り樹木葬墓地とした。
許可を出した一関市では日本初という意識もなく、岩手県規則に違反しないということで許可し、後に新聞に取り上げるは、人が押し寄せるでは、で目を白黒させていた。
私が市役所を訪問したとき、担当者は私が先輩にあたるということで安心していろいろ話してくれ、私が読売新聞に樹木葬について書いた記事も大事にファイルしていた。

樹木葬とは、よく誤解されるのだが自然葬ではない。自然葬は葬送の自由をすすめる会が91年に相模湾で自然との共生を願って墓地以外の場所に散骨したことから始まる。
散骨はいまでは、葬送を目的として、遺骨を細かく(原形が残らないまで)砕いて、海や山に他人が困惑することのないよう配慮して、つまり相当の節度をもって行うならば違法(刑法190条遺骨遺棄罪)ではないという法解釈が定着している。

樹木葬は自然との共生を願う点では同じだが、墓地としての許可を受けた区域にスコップをもって穴を70センチ以上掘り、遺骨(砕く必要はない)をそのまま骨壷から空け埋蔵し、また土を埋め戻し、その埋蔵地点に花木を植える。
もっとも最近は大きな木の周辺に埋蔵するスタイルも他では出てきている。

千坂住職は「墓石、カロートを用いない点だけが最近の樹木葬では注目されている」と不満だが、いまや樹木葬墓地は20箇所近くでき、韓国にも輸出され大々的な樹木葬墓地が開発されているようである。

千坂住職の願いは、墓地の近くを流れる久保川流域の生態系を保全し、1万年以上も自然と人間が織り成してつくってきた里山の自然を再生することであり、そのための樹木葬だという位置づけをしている。

最初の樹木葬墓地使用約款(通常は「使用規則」であるが双務的な「使用約款」となっている点に注意)の目的には
「本墓地は、美しい雑木林を造成・保護し、これを後世に残すという主旨に賛同する人々が、主旨を尊重し、本約款の定めるところに従い、本人または親族の焼骨の焼骨を埋蔵するために使用することを目的として設置するものです」
とあったが、いまはより鮮明に「美しい里山を保全しこれを後世に残すという主旨」と改正され、目的が明示されている。
「自然再生」がこの知勝院樹木葬墓地の大きな特徴である。
昨年から東大大学院の生態系の院生グループが泊り込みで調査・研究を続けており、今後は「墓地」としてだけではなく、「生態系保全」の活動で注目されるであろう。

この日に行われた10周年記念「樹木葬メモリアル」は埋蔵される人の信条を尊重し、臨済宗の方式以外にキリスト教会の牧師の聖書朗読、神職の祝詞も行われた。
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樹木葬墓地を望む。手前は水田を再度起こしたもの。奥の山林が下から望む樹木葬墓地の全景
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この季節は花が咲いていないが墓地内に埋蔵された地点を表す木片の墓標
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知勝院も整備されてきた。研究者や墓参の人が泊まれる施設が充実している。99年には何もなかった。
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この日は地域や檀家の人が地元産のワインや野菜等を販売していた。祥雲寺の檀家であるという妙齢の女性2人に「あ、テレビと一緒だ」と声をかけられる。中学の時の同級生だった。
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夕方から行われた10周年記念パーティには田村家当主(私のバスケットボール部の先輩でもある!)も出席、東大の生態系の教授とともに私が祝辞という名の短い解説をした。

80年代後半からの永代供養墓(公営では合葬式墓地)、91年の散骨(自然葬)、そして99年の樹木葬墓地への10年間を「墓の革命」と呼んでいる。
明治後半から家(イエ)と深く結びついた墓を、多様な個を尊重し、自然との共生を目指すものへと大きく選択肢を広げたのがこの10年間であるように思う。

当初は千坂住職(私は「千坂君」と呼び、彼は「櫻井君」と呼ぶ)が2泊くらいの予定で来ることを勧めたが、予定がたて込んで日帰りとなった。
感慨深い日であった。

もう紅葉が近いか
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2008年9月30日 (火)

雨の中の夜明けの散歩

今朝は雨、それほど強くはない。
帽子をかぶれば傘は不要なのだが、傘を片手に出かける。
時間は5時半
いつもは同じ目的の人にたくさん出会うが、雨とあって人が少ない。
いつもは公園で6時15分くらいからストレッチ、みんなの体操、ラジオ体操1、2と6時40分までやって家に帰るのだが、きょうは公園での体操は休みにつき家に戻ってからテレビ体操をする。

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雨の中、まだ暗い時間だった。よく見えないが雰囲気を感じてもらえれば。

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最近の散歩コースの写真いくつか。朝焼けの太陽が眩しかった。

毎朝5時半に起床、5時40分には歩き出す。
公園まで約10分、川に沿って歩き、途中でUターンして公園まで戻ると6時15分前後、そして皆の体操に加わり、6時40分に体操を終了し、家に戻るのが7時前、コーヒーをセットしてシャワーを浴び、新聞を目で追い、テレビのニュースに時折目を遣り、朝食。
8時前後に家を出るのが日常である。

前にもウオーキングのことは書いたが、ずーっと続いていたわけではない。昨年には入院とかもあり、いつの間にか中断状態が続いた。

今回はこのところしばらく継続しているので、堂々と公開。
朝の散歩再開の動機はケチなもの。
体重を5キロ落とすのに半年ほどかけたのが(入院し点滴だけの生活も貢献して)、一挙に元の体重に戻ってしまったため。
体重は落とすのは難しいが、戻るのは簡単(^_^;)

散歩は痩せる目的より、朝の気分がいい。
深呼吸し、ゆっくりはき出すとリフレッシュする感じ。


「おくりびと」について先回書いたが、本木さんが腐乱遺体を処置した後、食事ができない。すぐ吐き出してしまうという描写がある。
後からは納棺をした後でも食事ができる、という主人公の進歩、成長を描いているのだろう。
これは青木さんと離れたオリジナルだ。
青木さんは無数の蛆を描くが、死体の汚辱ではなく、掃除している間に蛆もいのちだと見て、その蛆が輝いて見える様を書いている。
腐乱した遺体に接して反吐を吐く、というのはありそうな設定であるが、私はどうかな、と思った。

この映画では「食べる」ことが「生」を象徴し、それで死の意識化を図ろうとする試みをしている。
何となくわかりやすい感じがするのだが、これは死体に日常的に接する納棺師という専門職を設定したからではないか。

「生きるために食べる」ことで、食し得ない死者を描こうという試みは葬儀の民俗の中に溢れている。
青木さんも書いているが、かつては地域の人が遺体を湯灌して座棺に納めたが、その役にあたる人には酒と食事がふんだんに振る舞われ、顔を赤くした湯灌役は酔っ払って湯灌をした。
また死の穢れに対抗するように死者に接した人には酒食が振る舞われたという。
関東では酒食を振る舞う席を「清め(浄め)」と言う。
死のリアルな怖さに対抗しようとしたのであろう。
私は「清め」というのは「死、死体は不浄なものという観念を前提とするものだから、その言葉を使うのはおかしい」と発言し続けている。

家族の死に際して、多くの人は食欲不振に陥る。それは穢れからではなく、悲嘆(グリーフ)がもたらす。それは自然なことである。

ちょっと的を外れた感があるが、食べること=生きること、という設定は、生きている以上は人は食す、というあたりまえのことであって、それが死を意識させることになるのか。
映画の中で山崎努がフグの白子をおいしそうにむしゃぶるシーンは印象的だが、それと死、死者を描くというのは別のことのように思うのだ。

死というのは圧倒的事実である。だが、残念なことに第三者はそれを見ても同情以上の感慨をもつことはまれである。死者の周辺にいる者にとっては死のもつ意味は決定的に異なる。
私は「体験しない死」というのはリアルなものではない、と常々言うが、死一般をいくら論じても、それがリアルな死からは遠くにあるのだと思う必要があるだろう。

いろいろ言ったが、「おくりびと」は秀逸なできの映画である。
葬儀に携わる人たちにはとても共感を呼ぶものになっているようだ。

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2008年8月 4日 (月)

猛暑お見舞い

毎日暑い日が続いております。
今年の夏は暑いです。
そこでほとんど、仕事以外は、事務所に閉じこもっています。
エアコン(設定「涼感29度」)を入れて寝る日も多いです。
隣の部屋のエアコンを入れ、少し間接的にして。

このブログ、7月の更新はただの一度、2週間ぶりの更新になります。
月末までバタバタの日が続き、やっと一息です。土日は事務所には出ていましたが、本を読むやら、ノンビリしました。
気が抜けたのか、やたら日中眠く、居眠りも。
土曜日夕方には、魅力的メンバーからお酒のお誘いがあり、気が動きましたが、これだけ眠いと、すぐ寝てしまい、迷惑をかけるだろうと、泣く泣く断念。
せっかくのお誘い、たいへん嬉しかったです。
残念無念、またお誘いください。

子どもの知恵熱のようなもので、無精な私がふだんはしないような量の仕事をこなしたものですから、その反動が「眠い」ということをもたらしたのでしょう。
しかし原稿ではミスが多く、事務所の皆に助けてもらいました。

8月の外出予定は月末の新潟のみ。
少し腰を据えて、原稿を早めに書こうと、何日までには何と手帳に書き込みました。
この予定でいかないと9月の地獄は見え見えなのです。

『葬儀概論』も三訂版を10月初旬には出したいので、これも8月の作業になります。
しばらくぶりの自作の本にも取り掛かるつもりです。

ここで予定を書くのは「覚悟」の表明で、そうでもしないと夏の暑さで悲鳴をあげて、8月が終わりかねないという心配からです。

先日「週刊新潮」が宇宙葬の取材の電話。私は情報提供しただけでコメント、名前を出すことも拒否。
だんだん老人の気難しさが出始めているようです。

「宇宙葬」と聞くだけで腹が立つのです。
一握りの贅沢な我侭でしかない、とニュースになること自体が腹立たしいのです。

先日、お花やさんのセミナーに行って話をしてきました。
皆さん熱心に話を聴いていただき、とても気持ちがいいものでした。
その会の全国大会でかつて2回ほど話しました。
今回の内容もそれとあまり違わないのですが、今回も来ていただいた方から、
「前のときは花やさんにもここまでの変化が起きているとは思わなかったので、早すぎたようです」
という感想が。
でも今回、人数は少なかったのですが、話をして沁みこんでいく感じでした。

年に数回、こうした気持ちのいい講演があります。
ほとんどはどこかに悔いがあるものですが。

夏は痩せるというのに、私は4キロ太りました。
下げるのは難しいですが、太るのは簡単。
メタボ化を避けるため、気をつけなくては、と思うのですが。
仕事をしていると煙草と飴を交互に口に入れているので。

山折哲雄さんと島田裕巳さんの対談
『日本人の「死」はどこに行ったのか』(朝日新書)
はおもしろかったです。
これを読んで、私の感覚とは違うと自覚できたので、収穫の多いものでした。

呑みのお誘い、2日前くらいでしたら、体調整えますので、喜んで受けさせていただきます。
お盆も事務所に詰めています。



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2008年7月12日 (土)

ドトールが好き

この季節、例年のことだが慌しい。
あちこちに出かけ、まとまった仕事もある。
自分一人のことであればいいのだが、私の仕事の進み具合で関係者の方に集まっていただき、次のステップに進む、というものだから、「できなかった」とは言えないので、踏ん張って仕事をする。
仕事ができているということは、少し改善しているのだろう。

2日前だったろうか、遅くまで仕事していたら、頭が冴えてしまって、覚醒し、通常の導眠剤2個では眠れず、起き出して1個追加、眠気が来るまで酒を飲んだが、どうもそのまま椅子で寝てしまったようで、朝には家人から何十回目かの注意を受ける。

昨日、一段落したが、きょうから押せ押せで遅くなった原稿にやっと手をつけることになる。

昨日もそうだが、大気が不安定で、晴れていたかと思うと局所的な雨、という夏らしい天気。
考えてみればもう7月も半ば。

コーヒーで薀蓄を語る人が多いが、以前は自分でブレンドしたこともあったが、最近はドトールで豆を買い、コーヒーメーカー用に挽いてもらってきて飲む。
きのうは2種類買った。
自分でブレンドするよりずっとおいしい。
スターバックス派もいるだろうが、私は断然ドトール派である。
何も店が煙草を吸えるようになっているからではなく、味が私の好みである。

昨日、外を歩いていたら宮型霊柩車に出遭った。
かつては宮型霊柩車を見たら親指を隠すと言われた。
この都市伝説もここに書いた。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html
この日経BP社の「セカンドステージ」
この霊柩車の記事はやっとランクインしたが、その前に書いた「葬祭ディレクター」の話はランクインできなかった。おそらく初めてのことである。
読者は正直で、自分の関心あるものは読むがそうでないものは読まない。業界内では大きな問題でも関心が低い。
13年間、これに最初の立ち上がりから係わり続けた者としては、少し淋しい気がする。

また、慌しく、尻に火がついた状態が続くので、次の更新は今月末になるのではないか、と憂うのだが、考えてみたら、いままでもしょっちゅう更新しているわけではない。
でも書かなくても、アクセス数はチェック、だいたいはお馴染みさんが多いようだが、テーマによって急に上がることもある。
グーグルの検索は結構細かいから、そのせいでこちらのブログにアクセスされる方がいるようだ。

歳をとる、ということの一つは「疲れやすい」ということだ。昔のように2晩徹夜はおろか、1晩すら一切できなくなった。
少し前までは会合で呑んだ後、もう1軒、ということがあったが、もう10時過ぎ、と時計で確認すると、次に行くのが面倒になる。
また、馴染みの店が次々と閉店したせいもある。

私は「アエラ」の愛読者で、後ろにある高村薫さんの「平成雑記帳」はお気に入りである。
この高村さんの社会や人を視る目は確かである。

7月14日号で「自殺」について取り上げている。
警察庁が6月20日に自殺者統計を更新、平成10年から19年まで自殺者3万人超で10年連続だったと報じられたことからである。
ちなみに警察庁のデータは
http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
高村さんは自殺された遺族の喪失感の複雑さに言及している。
途中経過を除いて(乱暴すぎるが)最後の締めは「自殺がそういう漠とした拒絶の行為であるなら、社会がまず見いだすべきは、この漠とした拒絶を言い当てる言葉である。言葉さえあれば、死の誘惑はしばし後退する」である。
自死については最近「自殺予防」ということで厚労省を中心に盛んに取り上げられているが、私には違和感がつきまとう。

高村さんの分析は優れている(途中を是非お読みいただきたい)。しかし「この漠とした拒絶を言い当てる言葉」はあるのだろうか。何か高村さんは書かないといけないから書いたという感じがする。むしろないということを言外に籠めたように読める。
そもそも自殺者は死にたくて死んでいるのであろうか。
かつては自殺に生を対立項としてとらえた論考が多くてうんざりさせられたものだ。高村さんが書いているように
「しかし、生きてさえおればいいことがあるというのが必ずしも真ではないことぐらい、現代人なら誰でも知っている」
のだ。

厚労省の「平成19年人口動態月報年計(概数)の概況」が最も最新であるが、このところ死因の順位はあまり変わらない。
①悪性新生物
②心疾患
③脳血管疾患
④肺炎
⑤不慮の事故
⑥自殺
⑦老衰
である。男女差があり、男性の7位は「慢性閉塞性肺疾患」で老衰は10位と下がる。女子は5位が老衰で、6位が不慮の事故、7位が「腎不全」で、「自殺」は8位である。

人口動態統計では平成19年の自殺者合計は30,777人で、男性が21,977人、女性が8,800人となっているので、「男性の自殺」が目につく。欝患者は女性の方が男性よりもはるかに多いのに、である。

「自殺」をあまり大げさにとらえる必要はないように思う。
この「自殺」という言葉がよくない。これでは「犯罪者」ではないか。
「自死」でいいではないか。

極めて限定された私個人の体験では「自死への傾斜」というのは選択的行為ではない。
自死を「追い込まれた死」とする理解が拡がっているが、それに近い感覚である。息をするのも辛いのだ。
私のは医師に言って新しい薬をもらって、その傾斜感が少し遠のいた状態であるが。
私としては他の死因同様に病気、疾患のように思える。
死生観なんてここには入り込む余地はないのだ。
視野狭窄に陥るのだ。

何回「生きる意味」を聞かされても、「いのちの大切さ」を説かれようと、そういう世界とは無縁の極北に自死はある。
また、自死遺族が大変な苦悩、自責、悲嘆を体験するのが自死である。

これはおよそ自分の体験を基にした感覚に過ぎない。
だが好きな高村さんの書くのを(これは非常に優れたものだが)読んで、私個人の感覚には大きなズレを感じたので書いてみた。







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2008年6月30日 (月)

「フェスティバル安穏の詳細/「健康」という名の「ファッショ」

前回ご案内した「フェスティバル安穏(第19回)」の詳細が住職の小川さんからパンフレットが送られてきたのでご紹介します。

テーマ「未来への安らぎ」
日時:2008年8月30日(土)13:00~18:10
場所:新潟市西蒲区角田浜1056 角田山妙光寺
http://www.myoukouji.or.jp/
後援:エンディングセンター
http://www.endingcenter.com/

受付;11:00~
(喫茶コーナーあり、予約で昼食もとれます)
開会:13:00
第1部:講演:13:15~14:30
藤田弓子(俳優)「いくつになっても旬」
http://www9.plala.or.jp/yumiko-f/
第2部:ミニコンサート15:00~15:20
「杏(きょう)とゆかいなおやじたち」
酒井杏、酒井淑幸、風岡英治
http://www.geocities.jp/shin5897/index.html
第3部:語り合い15:20~16:35
「私が遺言するとしたら―これだけは伝えたい大切なこと」
妙光寺檀信徒、安穏会員、井上治代(東洋大准教授・エンディングセンター代表)、小川英爾(妙光寺住職)
司会 碑文谷創
第4部:安穏法会17:20~18:10
安穏廟前で日蓮宗僧侶十数名で声明、読経、供養
今年は少し時間を遅くしたので夕暮れの中300本の大ローソクが幽玄な世界をつくるでしょう。
http://www.myoukouji.or.jp/annon/festival/index.html


新潟市に市制合併で繰り込まれましたが、元は巻町(まきまち)と言いました。行き方は新潟駅で乗換え、越後曽根駅下車、越後曽根駅からバスを出します。
新潟10:40~越後曽根11:13 バス11:15 妙光寺着11:35
新潟11:40~越後曽根12:13 バス12:15 妙光寺着12:35
帰りは
妙光寺18:25~越後曽根着18:45 越後曽根18:56~新潟19:32
(新潟からだけではなく反対側から来る列車にも対応しています)
車の方:関越自動車では巻潟東下車シーサイドライン方向30分
駐車場はたくさん用意しています。(車両部がいるくらいです、ボランティア・スタッフですが)
宿泊:ご自身で新潟近辺等でご予約ください。

藤田弓子さんとはNHKテレビ「新トーキョー人の選択」でご一緒したことがあります。
「語り合い」は昨年初めて行い好評につき今回も行います。
なお今回は家族葬、法事、合宿等ができる塔頭寺院「京住院」開堂記念として行われます。
参加費:1000円
参加申込:不要です。どなたでもご自由に、お誘いあわせのうえご参加ください。


さて、もう一つのテーマ
「健康」という名の「ファッショ」

大上段に構えましたがセコイ話です。
神奈川県の松沢知事の「禁煙条例制定」や中川元自民党幹事長による「タバコ税、1箱1000円に」の動きです。

喫煙者としては暮らしにくい時代になってきました。
ネットでも賛否双方が意見を闘わせています。

私も喫煙者ですが、分煙は賛成で、レストランは禁煙でもかまいませんが、どこか1室(ヶ所)喫煙スペースを作ってほしいのです。
ささやかな願いです。
但し、酒場までとなると困りますね。
東北新幹線は全面禁煙ですが、どこか1室でいいですから喫煙室をつくってもらいたいと思うのです。

健康被害や受動喫煙が言われています。
言うのを咎めません。どうぞおっしゃってください。
しかし、最近の喫煙者を犯罪者呼ばわり、人格否定、意思薄弱、その他いろいろ大手を振っての非難がされていますが、私はこれを密かに「健康ファッショ」と呼んでおります。

健康に気をつけるのはどうぞ。私もその方の健康を害しようとは思いませんから、隔離して結構です。
しかし、喫煙スペースまで取り上げないでください。これはもうほとんど懇願です。

私は1日3箱というヘビー・スモーカーです。近づくだけで服や皮膚から臭う、と言われるほど。さんざん顰蹙をかっていますが、これでも3回くらい禁煙に取り組み、最大3週間ほど禁煙しましたが失敗して今日に至ります。家でも「ほたる族」です。

「制限」されることは我慢しますが、「禁止」となると、これはもう「暴力」です。
喫煙されていない方はこれまで我慢されていたというのは理解します。
しかしですね。
「禁煙の強制」も立派な「暴力」ではないか、と私は思うのです。
喫煙者はすでに社会の少数派です。この少数派を血祭りにして葬ろうとはしないでいただきたいのです。

梅雨の盛りですね。
しかし放送で「寒いです。4月の気温です」
と言われると違和感が。
4月なんてすぐ前のこと。
歳を重ねると時間もゆっくり流れるようです。





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2008年2月16日 (土)

いなか

北海道、日本海側地域は大雪とか、東京は快晴
ホームページを更新している。
ちょっとタイトルだけが刺激的な
「高慢な僧侶は生き残れるか?」
http://www.sogi.co.jp/sub/zuiso/ska3.htm
と、最近話題の「一日葬儀」批判
http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/qa/qa54_65.htm#q59
日経BPの「セカンドステージ」も月2回の割合で更新
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html

先日、私の出身地から出てきた同級生に会った。
62を過ぎているのに同級生と会うと少し子ども時代の心境になる。
「いなか」というのは人々が集合した町の周辺部を言うらしいが、「いなか」という言葉には出身地への懐かしい想いがある。
もとより「いなか」を出て50年弱経過すると、いなかも昔のいなかではない。
以前は行動範囲がせいぜい自転車であったが、いまは車社会、それも地方のほうが進んでいる。
かつては辺鄙なところも開発されていたり、バイパスができたり、出身小学校は名前は残っているが、校舎も場所を移動し、通学エリアも変わった。
心象としてのいなかと実態としてのその町は大きく変わっている。

このところ政府の後押しで広域合併が行われ、変な名前の市ができていて、名前と地理が一致しなくなっている。
苦笑したのは岩手県の「奥州市」である。
水沢、前沢、江刺等が合併し、名乗り、以前は一関との合併が協議されていた平泉は奥州市に吸収されそうだという。

元々は白河以北が奥州である。藤原三代の治世区域である。
それを一部である地域が「奥州」を名乗るのであるからおかしい。
こういう名前がつくと藤原氏の中心エリアである平泉は隣の新幹線乗車口である一関市に吸収されるのを潔しとはせず、奥州市に入ることを選ぶであろう。

奥州市の北が北上市である。これは広域合併の模範とされたところで、元の黒沢尻が中心となり周辺の町村を併せてできたものである。
ちなみに岩手県は、旧藩では盛岡を中心とした南部藩と南が伊達藩からなり、現在の北上が南部と伊達の境界にある。

私の子ども時代には旧藩意識がまだ残っていて、県央、県北の南部藩に対抗意識が少なからずあった。
高校には生徒が宮城県北部からも通ってきていたが、旧伊達藩の地域であるから違和感がなかった。

同級生の話によると、一関では通夜の前に火葬にする。
葬儀の前に火葬をするのは埼玉県の県北以北、千葉県の県北以北、広く東北地方がそうである。
一般に火葬化が遅れ、土葬がかつては中心であった地域に多く見られる現象である。
骨葬でも、通夜の前に火葬するところと通夜と葬儀の間に火葬をするところがあり、これは地理上の線で区分けができない。

私が推論するには、戦後に火葬が導入された時、墓地に埋葬するまでが葬儀と考えた地域が骨葬を選択した。
最初は通夜をし、翌朝に自宅から出棺し、途中で火葬し、その足でお寺に行き葬儀をし、葬儀を終えるとその足でお寺の墓地に行き埋蔵した。
もともと葬儀を急ぐのは遺体が腐敗を進めることへの忌避感からきたものである。
火葬をすれば葬儀は急ぐことはない。
先に火葬さえすれば慌てることなく、日が置けることから、正式の通夜は葬儀の前日に行うという習慣ができたのであろう。
これは戦後の習慣と言ってもいいのではないか。

骨葬地域は茨城、長野、新潟の一部でも見られ、九州の熊本など散在している。
土葬に換えて火葬とするとき、火葬を葬儀の過程でどう位置づけたらよいか迷ったのであろう。

かつては土葬までが一連の葬儀であった。
土葬が火葬に換わったので最後に火葬をもってきた地域が東京、大阪等の大部分であった。
火葬を終えた遺骨はもう腐ることもないので、納骨は急ぐ必要がなくなった。そこで四十九日に納骨というスタイルができた。もとより四十九日納骨の必要はない。四十九日までは葬儀が続いているという感覚が四十九日納骨という習慣を生み出したのだろう。
いまでは簡略化して、火葬後すぐに納骨する人も少なくない。

骨葬地域では比較的に早く、葬儀を終えるとその足で納骨するケースが多い。お墓に納めるまでが葬儀だからだ。

最近は納骨が遅くなる傾向もある。遺族が手元に遺骨を置いているのは合法である。
「あまり長く置くと執着するので、早めに納骨してしまうのがよい」と説教する人がいるが、余計なお世話というものだ。
遺族が納得したら納骨すればいいので、周囲があれこれ言うものではない。
高齢者の半数以上が一人世帯、夫婦のみ世帯で占めている。
配偶者の遺骨を手元に置いておき、自分が死んだら一緒に納骨をしてほしいという高齢者も少なくない。

いつだったか、2年くらい前だろう。一関の駅前で民謡と踊りをやっていた。
その歌詞を聴いてびっくりした。
「南部の一関はよ~」と歌っていたからだ。
一関は伊達の支藩一関藩があったところで伊達藩であり南部藩ではない。それが県境に合わせて「伊達=宮城県」「南部=岩手県」という誤った解釈が生まれたのであろう。
江戸は遠くになりにけりである。

私は高校の途中から仙台に移住したから、県名は変われども旧伊達藩内の移動であった。
仙台は珍しく公立高校が男女別学であった。
女子は宮城一女、宮城二女、宮城三女、男子は仙台一高、仙台二高、仙台三高…となっていた。
男女別学率が27%とかで全国でもその別学率は高かった。
これが男女共同参画で問題となり、共学化が進められた(反対意見が同窓生中心に出され、大騒ぎの結果)。
出身高の二高のホームページを見たら、既に昨年から共学化したようだ。
長くもったもんだと思う。

共学には共学の良さがあり、別学には別学の良さがある。
共学であると男女の関係が自然であるが、別学ではむしろ異性を意識する。
文化祭では女子高生が男子校に押し寄せ、われわれ男子高生は女子高の文化祭に押し寄せたものである。
客観性はないが、別学の場合、恋愛はむしろ盛んだったのではないだろうか、と体験的には思うのである。
ま、共学の方が自然だと思う。異性を妄想化するのを防ぐ意味ではよいことだ。

出身高にはいい思い出がない。
それは別学だったからではなく、当時の進学教育が東北大一本槍だったからだ。
私が東北大を受験しないと教師に言ったら、職員室に呼ばれ、大声で叱られた。
理系と文系に教室は分けられ、文系は成績順に法学部、経済学部、文学部、教育学部の順に進路を選ぶように勧められた。
勉強したい学部を選ぶのではなく、成績順なのである。
さすがいまはそんな無茶苦茶はないと思うが。
私はそんなコースに乗ることはいやで、東北大そのものを受けないという選択をした。
もちろん受けていたとしても受かったかどうかは別である。
以降、受験勉強そのものを放棄したから成績は急降下した。代わりに本を濫読し、詩をつくったりした。

当時、職員室で私を怒鳴った担任教師が、後年に不倫相手を殺害する事件を起こし、私のところにも減刑嘆願書が回ってきたが、私は署名することを拒んだ。

「いなか」ということから思わぬ発展をした。
「いなか」を離れ、東京に住みついた私の悔いは、言葉のハンディキャップをなくそうとしたあまり、東北弁を話せなくなったことである。
いまではそうした雰囲気はあまりないが、当時の東京には何となく東北弁を馬鹿にするような雰囲気を感じていた。
同郷の人に会うと、相手は懐かしさで同郷の方言で話しかけてくるが、私は標準語しか喋れなくなっていて、なんか気まずい想いをしたものである。
だが、東京生まれの息子に言わせれば、私の言葉はネイティブではないようだ。





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2008年2月 8日 (金)

葬儀と宗教

きょうの東京は晴。
だが、明日の午後から雪との予報。
今年は寒いし、雪も多い。

東京の雪と子どもの頃の東北の雪は違っている感じがする。
東北でも平野地で積雪はそれほどでもなかったが。
東京の雪はあくまで一時的なもので、東北の雪は日常であるからかもしれない。
寒さも東北のほうが厳しいが、慣れがあるのだろうか、東京の寒さのほうがこたえる。
北海道に冬に行って感じたのは、屋内の温度の高さだ。外と内ではえらい違いだ。
東北はそれほど備えていないので、内でも寒い。

先週の土曜日に市民向け講座で「葬儀と宗教」と題して話をした。
資料は前に別の講演で用いたものを流用。
日本における大きな教団の解説と、それぞれの宗派の葬儀への考え方を簡略に解説する。
90分だから話せる内容には制限がある。

仏教用語の言葉の難しさを指摘する聴衆がいたが、もっともなことで、私もやっとこさ覚えた。
同じ内容を宗派でそれぞれ別な表現をするのも局外者にとっては厄介なことだ。
その宗派では自明なものでも局外者にとっては、そんなこともあって難しい。

「礼拝」という言葉がある。仏教では「らいはい」であるが、キリスト教では「れいはい」である。
広辞苑によれば「らいはい」は「神仏の前に低頭・合掌して恭敬の意を表すこと」で、「れいはい」は「神仏などを拝むこと。現代では主としてキリスト教でいう」とある。

でもキリスト教で言う「れいはい」はこの記述では不充分である。「人々が教会に招かれ、神の前で懺悔し、御業に感謝し、神を讃え、心を開いて神の言葉に耳を傾ける」とでもいうべきもので、仏教で言うならば「法会」「法要」という言葉に近い。
キリスト教が後から入ってきたのだから、もう少し別な言葉を用いればよかっただろう。広辞苑の解説者はおそらくキリスト教徒ではなく、在来語である「礼拝(らいはい)」をキリスト教で何故違った意味で用いたのかわからず、共通要素を求めて解説し、後は「主としてキリスト教で用いる」と逃げたのであろう。

日常語と仏教で用いる語が違った意味をもつことがある。
「荘厳」はその一つである。
日常語は「荘厳な雰囲気」とか使われ、「たっとくおごそかこと、重々しく立派なこと」を意味する。
しかし仏教で「荘厳(しょうごん)」と言うと「仏像・仏堂を法具、仏具等で飾ること、または飾り」を意味する。

それはさておき、今回、かいつまんで話した(ま、関心のない人には退屈だったろうが)のだが、話しながら奥底にある構造に似たものがあるという感じがした。それは一つに集約されるのではないが。

今回は紹介だけに終わったが、なぜ葬儀に宗教が介在したのか、その歴史についても述べたかったのだが、時間が不足した。
宗教者(神職、僧侶、牧師、神父等)にしても、自分の属する教団の考え方はある程度はわかるが、他の教団についてはわかっていないのが普通である。
例えば真宗の僧侶が「仏教と葬儀」について語れば、それは真宗の考え方で仏教一般ではない。

無論、私が話したのは「信仰」をさておき「知識」としてである。
当の信者にとってはへ~という話である。あるいは「間違っている」と言われかねない大雑把な内容である。

それぞれの宗派の儀礼には意味があり、その宗派を理解しなければわからないものも少なくない。葬儀について見ると、死生観や習俗等とのせめぎあいも見て取れる。

しかし、各宗派の理解を見ていると、現代にあって考え直すべきところもあるように思える。

葬儀というのが近親者にもつ意味をよく考える必要がある。

よく熱心な宗教者から出る「葬儀は布教(宣教)の場」という言葉は私は違うと思う。それはふだんの布教(宣教)活動でやればいいことで、死を前にした人々に対しては戯言のように思える。
説教(法話)が不要であると言うのではない。それはもっと死者に近親者の想いに副うものでなければならないだろう。

葬儀においては日本だけではなく米国においても宗教の形骸化が進んでいる。これからもっと進むであろう。日本で、今は98%の葬儀で宗教儀礼が営まれているが、内容の薄さはどんどん進行しており、戦後生まれが高齢者の過半を迎える15年後には形としても選択されることは少なくなるだろう。
私は数字の根拠なく「15年後には無宗教葬が15%になる」と語呂合わせみたいなことを言っている。

だが、それでいいのだろうか?

人の死というのはその人の生を凝縮した面があるように思う。きれいごとだけではない。
人の生はおぞましいものであることも少なくない。葬儀はそれをきれいごととして処理するのではなく、もっと死者に即し、そうしたおぞましさ、汚れ、弱さ、孤独、等も引き受けるものであるだろう。

葬式をしない「直葬(ちょくそう)」には、個々を見ればさまざまな背景がある。だからまとめて切り捨てることは避けるべきだろう。
その中で確実に進行している一つが「死体処理」的感覚である。「家族葬」と言われるものにもある。
それは死者と遺される者との間の心的関係の遮断である。

「人間の尊厳」「死者の尊厳」というのはきれいごとばかりの世界でのことではない。破れた、自尊心を失った、傍から見ればどうしようもない人間に対しても言われるべき言葉である。
宗教者が「死に係る」ということは、そうした人間の赤裸々な現実の生死に係るということである。

単なる「儀礼」として第三者的に時間を過ごすのではなく、その生死の現場に係るのだということを自覚する必要があるように思える。

話はがらりと変わる。
藤沢周平のエッセイを読んでいたら、周平の故郷、山形県の荘内の桃の節句で獅子が各家を回るが、その「お獅子さま」に人々は「ご苦労さまです」と口々に言った、とある。

よくビジネスマナーの解説で「目上の人にはご苦労さまです」と言わず、「お疲れさまです」と言う、と書かれているが、私はこれを不思議に思っていた。
「ご苦労さま」と「お疲れさま」の間にはそんなに境界というものはなかったのではないだろうか、と思っていたからである。

「ご苦労さま」には「他人の骨折りをねぎらう」意味で、ある意味で感謝の表現である。
「お疲れさま」には「他人の労苦に対する配慮」の意味があるように思う。「大変でしたね」とか、あるいはその人の仕事への尊敬があるように思える。
目上に言うか、目下に言うか元々は関係なかったのではないか。
それが階層社会であえて使い分けられたのではないか。
そもそも目上、目下というのは階層を前提としたものである。
私の育った時代が戦後民主主義の時代で、「平等」を煩く言われた時代であったというのも関係しているかもしれない。
何かこの使い分けは納得できないでいる。

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2008年1月31日 (木)

本を出すということ

昨日、きょうと東京は少し暖かく感じます。
でも、寒さは2月が本番ですから、これからまた寒い日がくるでしょう。

きょう、かつてお世話になった方の遺稿集をいただきました。
一つの仕事をなす方には哲学があります。
「哲学」という言葉が相応しくなければ「芯」のようなものがあります。
実学の中にそうした強い芯がある、と見てその方の作品を見ると(ほんの一部ですが)、感じるものがあります。
きれいに仕上がった本を読むと、亡くなった方への想いと同時に、ご家族やお弟子さんたちがこの本を出すためにいかに尽力したか、その想いを感じます。

また、昔書いた物語を出版された方がいました。
想いの籠もった本に仕上がりました。
その方の本に寄せる想いを見ていると、私は本を消費しているように恥じ入ります。

本が売れるということは、たくさんの人に読んでいただけるということなので、いいことです。
しかし、たとえたくさん売れなくとも想いの籠もった、読んで深く感じる本があります。
その1冊はとても貴重なものです。

いまの出版事情から言えば、百万部を越すベストセラーもありますが、店頭に数日並ぶだけ、また並びもしない本がたくさんあります。

手軽に作られる本もありますが、その本にほとんど全精力をつぎ込んだ本もまた少なくありません。
本を出す人にとっては特別なものなのです。

売れる本だけではなく、市場ではすぐ忘れられる本、ほとんど陽の目をみない本でもいい本はたくさんあります。
売れたかどうかだけに価値を置けません。
本というのは、市場がありながら、それだけでは割り切れない世界です。

本の印税は8%~10%です。昔は刷り部数保証が多かったですが、いまは実売部数を基本にしているところも多くなりました。
仮に300ページの本を1千円で売るとすると(売価は消費税込みで1050円)、100万部ですと1億円の印税ですが、1千部であれば(この数字だって大変な数字です)印税は10万円(あるいは8万円)にしかなりません。その本に投じた費用、時間も不足してしまいます。
本を出せば儲かるのではなく、むしろほとんどの本は持ち出しになります。
これは著者だけではなく、出版社側も同様です。

ちなみに1千円で売られる本は出版社に入るのが6~7割です。本屋さんは10~12%で1冊は100円~120円、後は取次です。本屋さんは実売り上げは低いですから、万引に遭うと大変です。
出版社も出したからすぐ収入があるわけではありません。委託販売であれば7ヵ月後に精算されます。その前に印刷費とかは支払う必要があります。
結構、辛い商売です。

横道に逸れましたが、本を出す人にとっては特別な本というのがあり、それは市場とほとんど関係しないことが多いということです。

こうした現実を嘆くのではなく、こうした現実の中に本を出すということがあるということです。
出版不況はいまさらのことではなく、20年前から言われ続けていることです。
でも本の出版が減少するのではなく、いまも数多くなされているのは、本を出すことへの特別な想いをもついる人がいるからです。

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2006年11月17日 (金)

老けた!

Oさんから早速昨夜の写真が届きました。


私の講義の様子、やっぱり60歳です(;_;)


いや、別に若く見られようというわけではないのです。
たまたま8年前に出した本の監修者紹介に載っていた写真と比較しましたら、もう別人です。


昨日は18時半から21時半まで90分2コマ
でも、講義という形にならず、学生さんには悪いことをしました。


講演と違って授業ですから
コミュニケーションをとりながら、と思ったら
全体がコミュニケーションになってしまいました。


せっかく私の話を聞こうと思ってきてくださった皆さん
改めてごめんなさい(-∧-)


でも、私的には皆さんの感じ方などわかって楽しい時間でした。


終わった後の飲み会も楽しかったです。

24時近かったのですが、皆さん、ご無事でご帰還なさったでしょうか?


きょうは残りの原稿3本
無事、書き上げましたV(^-^)


でも、月曜まで仕上げる仕事が3本あります(;o;_;)o


追伸
写真は公開したいところですが、著作権と肖像権の保護のため公開できません。念のため

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2006年11月 6日 (月)

仙台

昨日は仙台に日帰り


といっても朝7時台の新幹線に乗り、夕方には帰ってきましたから、滞在時間はわずかです。

若い方が多かったので、「家族の死」ということがどういうことか、理解していただけたか、いま一つ不安です。


仙台は高校時代に住んだ街
自転車で動いていましたから行動半径は知れています。

昨日行った場所も、私にとっては初めての土地

でも昔に比べると、街が拡大している様子がわかります。


私は仙台二高出身なのですが、同窓会名簿も案内も来たことがないし、現住地を届けたこともないので「行方不明者」扱いでしょう。

昔は下駄あるいは運動靴、それに肩からかける布のカバン、まったくのバンカラ姿でしたっけ

広瀬川沿いを自転車で通学していたことが思い出されました。

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2006年11月 2日 (木)

マスコット

プロフィールにつけている人形の写真

プレゼントなのですが、結構気に入っています。

顔の部分が上下するのがかわいいです。


さてきょうは、伊藤園のお茶についていた付録
チリンチリンと鳴ります。
風鈴みたい。
かばんに入れて忘れていたもの、きっと夏のおまけだったのでしょう。

昨日の午前中は歯医者で虫歯治療
治療中、口を開けたまま咳き込んでしまいました。
「動かないでくださいね」
と言われたのですが、我慢しきれず、咳の大噴射(;_;)
その治療はやり直し



午後の来客は九州の僧侶の方

樹木葬について意見を求められる。

樹木葬も流行の兆しだが、理念が大事である。



きょうの午前中は葬祭業者60人を前に一席

テーマは「葬祭サービスのあり方」

この人たちは長い付き合いで、人柄がいい方々が多い。

50分熱心に耳を傾けていただき、終わった後は質問も。

きょうは聴衆にのせられて、私としては快調

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